今は語ってるから語ってるだけ。語ってなければ語っていない。
ちょうどインドの乞食行者たちのように、おまえらに対して一言たりとも語らない。
ただ、彼らがあまりにも語らないせいで、おまえらはその存在性にすら気づかない。
貧困や飢餓にあえいでいながらも、その苦しみのはけ口がどこにあるのかすら知らない
何十億もの人々が、ただおまえらに対して不平を一言も唱えていないからといって、
さもそんな人間など存在していないかのようにすら、おまえらのほうが思い込んでいる。
今の地球上で、資本主義先進国の我田引水によって餓死している人々も、
確認されているうちでは1000万人程度だが、その実数はその何倍にも上るとされる。
なぜそのようなことが起こるのかといえば、死亡診断書を書けるような医師もいないような所で
餓死や病死していってるのがほとんどだからで、より陰惨な環境において死亡しているからこそ、
現代における餓死者数の正確な実数すら確認することができない。だからといって、おまえらは、
「いるのかいないのかも分からないような連中なんてどうでもいい」という論理で、
どこまでも彼らの人命を蔑ろにして、自分たちばかりが自由に遊び呆け続けて憚らない。
「文句があるんなら、それ相応の手順を踏んで、さっさと言ってくればいい」などという怠慢によって、
手順を踏んだ上での意思表示もままならないような人々の命を蔑ろにして、ドブに捨てる。
だからといって人々が死んでいないわけではなく、確実にどこかで誰かが今でもたくさん死んでいる。
別にそれが俺なわけじゃないが、語ることもままならない彼らの意見を代弁する程度のことは俺にも出来、
いま現在限りのない放辟邪侈に走り続けているおまえらよりは、よっぽど共感にも即している。
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