俺はてっきり、おまえらは俺のことなんて歯牙にもかけてないもんだと思ってた。
せいぜい目障りだとか、邪魔だとか思う程度だと。
しかし、事態は逆だった。
正義が悪を憎むように、悪もまた正義を憎んでいて、
しかも悪こそは、正義への憎悪を糧に生き延びて来たのだった。
今まさに目の前に迫りつつある破滅すらも、
おまえらは正義への憎悪によって切り抜けられると思っている。
たとえ切り抜けられなくたって、その憎悪を糧に悪態をつき続けることで、
改俊して反省をするような事態を介すことなく死に絶えられることを期待している。
そんなに俺が正義なわけでもないんだが?
ただ、重大犯罪者よりは多少マシなだけのつまらぬ俗人に過ぎないが?
自分のことを聖人だ君子だ善人だなどと呼ばわっても来たが、
それも所詮は、究極の小人や悪人然としたおまえらよりも
自分がマシな存在であることを示すための比喩表現だったに過ぎない。
一切が極端に劣悪化している現代、何もしていないだけの俺ですら、どちらかといえば小人や悪人寄り。
普遍的な観点から見ても本当に聖人や君子であるのは、孔子や孟子や釈迦といった
歴史上の聖賢自身であって、俺だって彼らからは遠くかけ離れていて、どちらかといえばおまえらのほうに近い。
同時代に生まれ、同じ価値観の中で生かさせられる境遇にあるおまえらと俺とで、
おまえらのほうが今の価値観に見合って優遇され、俺のほうが見合わずに冷遇されるのなら、
やはりおまえらのほうが偉大扱いな上、別に俺が今の価値観への敵対者ともならない。
今の価値観に基づいて、俺が劣悪であり、至らない存在であるのなら、それも受け入れる。
今の価値観で劣悪である俺が、優良であるおまえらを羨望させられるというのなら、それも受け入れる。
今の時代に敵対するから次代を求めるのではなく、行き詰まりつつある今という時代を
順当に受け継いでいくことだけを必ずしも前提に、次代へと歩み出す。
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