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聖書 Part4


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127 2010/07/20(火) 12:09:12 ID:rIi84K5Viw
俺はこの前までは、おまえらは「楽しんでいない」ものとばかり思っていた。
善因楽果悪因苦果の罪福の道理に基づいて、俺ばかりが自分の人生を楽しんで、
おまえらは楽しんでるフリをしつつも、心の底では苦しんでいるのだと思っていた。

しかし、実際には“まだ”そうとは言えないようだ。まだ、おまえらは苦しんでいない。
自分たちが目の敵にしている共産主義者や独裁主義者などよりも、桁外れに深刻な大罪を
自分たちこそが犯してきている、その罪深さを自分たちの器の小ささ故に受け止めることができず、
罪深さを自覚的にわきまえられないせいで、反省することもできないでいる。

反省したくないからしないのではなく、まだ反省をすることもできない。
小人にとってはあまりにも深刻過ぎる事態の前に思考や理解が停止して、現実把握が追いつかない。
だから、悪びれたりする以前に、自分たちの劣悪さを自覚してもいない。劣悪さへの自覚がないから、
悪因苦果の罪福による辛苦にも気づきようがない。罪福の道理は確かに遍在しているが、
それをわきまえる余地もないほどに一切が劣悪と化したとき、罪福の道理は覆い隠される、
覆い隠されることで、悪因苦果まみれの状態をも楽しんでしまう「狂生(荀子より)」が生ずる。

世の一切が劣悪であり続け、罪福の道理が覆い隠され続けるのであれば、おまえらは楽しみ続けられもする。
そしておそらく、おまえらはそれを期待してもいる。しかし、世俗に「絶対」などというものはあり得ない。
善悪の分別が徹底されて罪福も明確化される、江戸時代のような泰平の時代が数百年程度で途切れるように、
善悪の分別が転倒して罪福が覆い隠される、今のような無明の乱世もいつかは途切れてしまわざるを得ない。

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