まだ、「いつから」だったのか俺には定かでない。
俺自身が気付いたここ四、五年限りの話なのかもしれないし、
もしかしたら裏では何十年も前から気付かれていたのかもしれない。
しかし、今となっては見るに明らかで、もはや覆しようもない「当然の成り行き」となっている、欧米聖書圏の終焉。
アメリカもイギリスも崩壊してイスラエルも消滅して、罪状の深刻な国々は丸ごと禁治産下に置かれ、
全ての教会は取り壊されるか十字架を外して儒学などの正学のための学問所とし、
全ての新旧約聖書も焼き捨てられるか裁断されて四書五経や仏典に刷り直される、
それが最も典型的な成り行きとなっていて、まるで大道や大橋のど真ん中を歩むが如く、堂々たる。
仮に小道や小橋の端をコソコソと歩くようにして、聖書信仰や欧米聖書圏の存続を目論んだ所で
人類の破滅を煽るだけだし、何よりもつまらない。今となってはそうであることが判明しきっている、
権力犯罪原理主義などを擁護して存続させてあげようなどとするほうが、人間の性情に即さない。
それこそ、部屋中がゴキブリとナメクジとゲジとヤスデで埋め尽くされているのを欲するようなもの。
そうあるべきでないのはもちろんだし、そうしたいとももちろん思わない。
人間の当たり前な性情に基づいて、自然と聖書信仰や欧米聖書圏の存続が廃されて、
まるで立て板に水を流すようにして、当たり前の成り行きとして聖書信仰や欧米聖書圏は滅亡しつつある。
そこに俺ごときが「〜べきだ」などと意見を加えることのほうがむしろ蛇足であり、醜悪な断末魔をも
晒しつつも、結局は滅亡せざるを得ない時代遅れたちへの弔いの念こそを欠かしてはならない。南無阿弥陀仏。
「大徳は官せず、大道は器ならず、大信は約せず、大時は斉しからず。此の四者を察かにするときは、以て本に志すあるべし」
「大成された道徳は限られた用途だけに見合うというようなものではないし、天下に堂々たる大道は特殊なものではないし、
大いなる信義は瑣末な約定などしないし(『新約』も『旧約』も完全否定)、大いなる時は一時の示し合わせなどではない。
根本中心からの大いなる志しと共に、これら四つ至言の言うところは明らかになる」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・学記第十八より)
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