>>384  「長を挟まず、貴を挟まず、兄弟を挟まずして友たり。 
 友なる者は其の徳を友とするなり。挟むことあるべからざるなり」 
 「年齢の長幼も、身分の貴賤も、兄弟の間柄も差し挟まないでこそ友である。 
 友はお互いの徳の高さを友とするのであり、それ以外のいかなる差し挟みもあるべきでない」 
 (権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・万章章句下・三より)   
 君臣・父子・夫婦の序列を重んずる「三綱」や、その三綱の下に兄弟と朋友を置いて 
 君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友とする「天下の達道(中庸)」に基づいて、東洋社会においては 
 朋友の関係というのは、あらゆる人間関係の中でも最も粗略なもので、もう一つ下ればもはや他人同士でしかない 
 一番疎遠な知り合い関係として、比較的軽んじられてきた。それは上記の論を述べた孟子も了解していて、   
 「父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」 
 「父子には親愛があり、君臣には道義があり、夫婦には区別があり、長幼には序列があり、朋友には信頼がある」 
 (権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・滕文公章句上・四より)   
 とも述べており、父子と君臣の順番が三綱や天下の達道とはひっくり返っているにしても、 
 朋友の関係を最下位に置いていることには違いない。また   
 「善を責むるは朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊なうの大なる者なり」 
 「善悪を責め合うのは朋友程度の関係においてであるべきで、父子の関係で 
 善悪を責めたりするのは恩を損なうことにもなりかねないので、すべきでない」 
 (権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句下・三〇より)   
 ともあり、ざっくばらんとした朋友の関係を、三綱や天下の達道において上位に当たる父子の関係などに 
 適用するのは避けるべきであることも指摘している。その上で、あまり程度の高くない人間関係としての 
 朋友の関係なりの長所や利点を孟子は上記のように述べており、朋友の関係すら友愛に持ち込もうとする 
 どこぞやカルト聖書などと比べれば、十分に制御が効いた範囲内での、朋友の関係の存在価値の指摘となっている。
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