善と悪


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001 2010/08/14(土) 01:16:59 ID:JMtSyc7op6
善と悪ってどういう基準で決まるんでしょうか。

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002 2010/08/14(土) 02:02:10 ID:LzWFhd7Ixw
003 2010/08/14(土) 05:50:59 ID:PWyNo78MqE

自分で決める:

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004 2010/08/14(土) 10:21:52 ID:qvgmopTUU.
悪は必要である。もし悪が存在しなければ、善もまた存在しないことになる。悪こそは善の唯一の存在理由なのである。
byアナトール・フランス

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005 2010/08/14(土) 13:42:18 ID:cBMDzmOoSM
>>3 全面的に支持!

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006 2010/08/14(土) 16:22:03 ID:flDQeoByCw:DoCoMo
悪との相対性すら捨て去った、独立して一概な善の実体のことを「徳」という。
そしてその実践を「道徳」ともいう。

ちなみに独立して一概な悪の実体は「罪」であり、
その実践を「犯罪」ともいう。

相対性を超えた所にある絶対的な善悪は確かに実在するが、
もはやそれらは「善悪」などとは呼ばれず、道徳や犯罪といったより具体的な言葉で呼ばれる。

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007 2010/08/26(木) 19:46:29 ID:zlX.GNBId.
利己的なら悪で、利他的なら善かなー。

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008 2010/08/27(金) 23:36:07 ID:TrC3BJZ1j2
真面目に生きてるのがバカらしいって。
私なんか、たった14年の人生経験だけど真面目に生きるのが一番ラクな方法だと思う。
人に迷惑かけなければ、人から恨まれる事もないし、
何か人に言えないような事をすれば、いつかバレるんじゃないかって不安だろうし。
だから私はそういうラクな人生を狙って生きてるんだぜ、ひっひっひ。
信号無視なんてしないぜ。車にひかれるリスクが高いからな。
酒?タバコ?税金払うの嫌だし、お金使って自分の体痛めるなんて、私はゴメンだね。
嫌いな先輩とか先生にヘコヘコするのは気分が悪いからやらない。
友達が困っていたら自分の出来る範囲で助ける。
友達が苦しむのを見るのは自分が苦しいから、その自分の苦しみが和らぐ程度に助ける。
別に人の為にやってるわけじゃないんだぜ。全部私さえ良ければ良いのだ。ふっふっふ。
私は一生懸命自分の頭で考えて生きてるんだ。私の都合で好き勝手に生きてる。
病気のお父さんを看病してるのも、私の都合でやってるだけ。
だから私は大きな不幸に合っても失敗しても誰も恨まない。
「クソみたいな連中」なんてどこにも居ない。
私とは違う生き方の人が居るというだけだ。
その生き方に反感を持って「クソみたいな連中」とか思ったって、
そもそも私が正義じゃないんだから意味なんてない。
自分が正義じゃないんだから、
自分が共感する相手は良い人で、反感を持つ相手は悪い人、なんて事があるはずがないと思う。
単に自分が気持ち良いかそうじゃないかってだけ。
人はそれを善とか悪とか言ってる。

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009 2010/08/28(土) 04:23:27 ID:Rp2mEsGTbc
>>1
綺麗とブスの判断が出来るならok

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010 2010/08/28(土) 17:41:05 ID:reGakNea6k
資本主義から見たら、共産主義は悪
共産主義から見たら、資本主義は悪

自らの正義と反する正義を悪という。


人に心がある限り、この世に
真の平等・真の自由・真の平和・真の正義なんて無い。

自分の正義は自分だけの正義
あなたの正義はあなただけの正義

自らの正義を他人に強制した瞬間にその正義は他人にとっての悪となる。

互いに認め合いたいけど、できないのも人間。
難しいもんだね。

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011 2010/08/28(土) 21:21:22 ID:wxkhi19Qnk:DoCoMo
善も悪も諦観しようというのなら、善にも悪にも手を出すべきでない。

手を出しておきながら善悪を傍観的に語るのは、言動不一致にあたる。

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012 2010/08/29(日) 23:59:26 ID:mu3RsKfL4w
>>7を基本にして、あとは個別の問題ごとに考えて判断する

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013 2010/08/30(月) 15:33:43 ID:oXw5nZUAvo
善はカントが提起した哲学的命題になりうるが、悪はならないな。
善は人間が社会的存在と認識した瞬間に生まれたア・プリオリな理念に由来する。
歴史、文化、民族、個人にかかわりなく共通な
欲得、利害、幸不幸、好き嫌いなど「社会のいかなる傾向」からも独立した精神。
善は行動の動機に存在し、傾向は結果に帰結する。
つまり善は結果にかかわりがなく「傾向」は結果がすべて。
悪は、その社会的傾向にあらわれる負の「表現」にすぎない。
うーん、カントのつまみ食いです。
要するに善と悪はもともと対置するものではないような?

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014 2010/08/30(月) 16:38:02 ID:EmT/cr.wko:DoCoMo
それは、カントのいう善がただ単に、善悪みそくそな中での盲目な意志に過ぎないからだ。

そんなものは真の善徳であるとは到底いえず、
かえって善徳をみそくそに付すものであるからして、悪のうちにすら入る。

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015 2010/08/30(月) 17:23:29 ID:nHTqdsAnoE
>善と悪ってどういう基準で決まるんでしょうか

善と悪の判断基準というのは時代ごとにも違うし
地域的・民族的にも違ってくるのだと思う
ただし一つ考えられることは善も悪も先天的なものでは
ないということ
後天的に経験から学び取っているところが多いに関係している
ように感じられる
それゆえに時代ごとや地域・民族などの善悪基準が違ってくる
のではないのかな

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016 2010/08/31(火) 15:15:36 ID:OEuEkK.28U
>>13読んだか?

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017 2010/08/31(火) 22:53:52 ID:itGoMwczX6
>>16

>カントによれば、人間の認識能力には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリにそなわっている(wikiより)


確かにカントによれば感性(善・悪)は先天的に備わっているというのは何かの本で読んだことがある
しかし馬鹿な私の頭ではそのことがいまひとつ理解できないでいる
それで自らの馬鹿な頭で考える限り後天的すなわち経験論的にしか「善」・「悪」の判断という
ことが身につかないのではと考えあえて後天的経験論的主張をさせていただいたのです
できる事であるならば先天的(善・悪)の獲得経緯をもう少しかみ砕いた形で提示しては
いただけないだろうか
私は答えを知りたいだけで自分自身が間違うことは別に構わない主義です
アプリオリすなわち先天的(善・悪)の獲得経緯を知る事ができればと感じております

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018 2010/08/31(火) 23:22:06 ID:TTMKko4dcY:DoCoMo
cuntを出した時点で、答えにたどり着く気なんかないのが見え見え。

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019 2010/08/31(火) 23:29:04 ID:itGoMwczX6
>>18

>cuntを出した時点で、答えにたどり着く気なんかないのが見え見え

答えはカントではなくニーチェということなのかな?
ならばニーチェは(善・悪)について何といっているのか噛砕いて
教えてはいただけないでしょうか?

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020 2010/09/01(水) 05:56:27 ID:ghHpDL6ACs
[YouTubeで再生]

 楽しい事が   善     つまんない事が   悪

                  あなたの気分次第。

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021 2010/09/01(水) 06:56:32 ID:ghHpDL6ACs

  生きてる言葉…現代...

  今の 日本の  前途   善 と 悪   と 悪の強さ
 
  http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1283291513...

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022 2010/09/01(水) 15:17:40 ID:NEM.YvPNL2
>歴史、文化、民族、個人にかかわりなく共通な 欲得、利害、幸不幸、好き嫌いなど
>「社会のいかなる傾向」からも独立した精神。
つまり「後天的経験論的なもの」に善は存在し得ないとカントは言っています。
そうでなければ、おっしゃるように善は常に変化して、正義も名誉も詭弁でしかありませんし、
愛も自由も自己利益あるいは自己憐愍のための方便に堕落してしまいます。
「後天的経験論的なもの」に善は存在しないのなら、いったいそれはどこにあるのだろう?
ということがカントの「理性」探求の出発点だったのではないでしょうか?

人間は誕生するとき、社会機能をア・プリオリに、あるいはプレ・インストールされています。
そうでなければ、脳はただのメモリスペースに過ぎず、見たことにも聞いたことにも
何も感応できません。コンピュータソフトはOSを前提に走る、ではそのOSを機能させる
「機能」は? これが社会的動物たる人間の脳が理性を機能させるおおもとです。
ユングを借りた、あくまであたとえ話ですが、そう見当違いでもないと思います。

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023 2010/09/01(水) 19:29:52 ID:tP0fvKVMS6
>>22

>人間は誕生するとき、社会機能をア・プリオリに、あるいはプレ・インストールされています。
>そうでなければ、脳はただのメモリスペースに過ぎず、見たことにも聞いたことにも
>何も感応できません。
>コンピュータソフトはOSを前提に走る、ではそのOSを機能させる
>「機能」は? これが社会的動物たる人間の脳が理性を機能させるおおもとです。
>ユングを借りた、あくまであたとえ話ですが、そう見当違いでもないと思います。

---------------------------------------------------------------------------------------

あなたの表現するところの「OS」すなわち基本ソフトが人間に先天的に備わって
いたものだとするならば「オオカミ少女」の話はどのように思われるのだろうか
人間として生まれそしてオオカミによって育てられた
すなわち人間として生まれ「人間的OS」を先天的に備えており、しかしながら
オオカミに育てられたゆえに人間である少女には「膳・悪」の判断基準すら存在しなかった
とするならばやはり「善・悪」の判断基準のような道徳性は後天的に
人間社会の中で獲得されるものではないのかと私は感じてしまうのですが

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024 2010/09/01(水) 23:37:01 ID:GXVnGRm3WI
善・悪ってそれほど大切なことじゃない気がする。

好き・嫌いの方がもっと大切なんじゃないかな。

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025 2010/09/02(木) 14:17:30 ID:m8KXqxwntE
>>23
社会的人間を形成するオペレーションソフトを書き込めるベーシックな機能
(ソフトと言えるかどうかわかりませんが)をたとえに言っているのですよ。
獣に育てられるからには、獣のからその生活ビジョンのひな形を受け継ぐのであって
人間社会(社会←ここが大事)から受け継いだのではないということです。
社会的動物としての感受性は、育ての母や兄弟よりずっと発達していたようです。
彼女がどうして善性をもってないといえるのか、ぼくにはわかりませんが。

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026 2010/09/03(金) 06:56:44 ID:Nsud2F274A
>>25

>獣に育てられるからには、獣のからその生活ビジョンのひな形を受け継ぐのであって
>人間社会(社会←ここが大事)から受け継いだのではないということです。

「受け継ぐ」と聞いて思いつくのは遺伝的という事と経験的という事の
二つの「受け継ぐ」の方法です
もし仮に遺伝的ということであるならば先天的ということになりますし
経験的だというなら後天的になるわけですが
オオカミ少女の場合は「産みの親は人間」で「育ての親はオオカミ」と
いうことになりそれゆえ遺伝という事は考えにくいと私は考えます
であるならば「受け継ぐ」手段は経験的に行われたのではないのかとね


>彼女がどうして善性をもってないといえるのか、ぼくにはわかりませんが。

オオカミすなわち動物には「善・悪」のような感情は備わってないと私は
考えています
野生というのは人間の考えているよな道徳観では決して生き残れない弱肉強食の
世界のことですよね
仮に野生の生物として少女が振舞っていたのであるならば人間的な道徳観が備わるわけも
ありませんし、自然の中では道徳観のようなものは邪魔ですらあったのではないでしょううか

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027 2010/09/03(金) 10:29:56 ID:NGOZXJ.cGk
動機が不純なのは

  悪魔の実を食べちゃった・・・人類のみ・・・・
  

  みたいな発想犯罪が増えてるのかな?
http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1283394588...

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028 2010/09/03(金) 14:36:48 ID:Za7IrjHItI
>二つの「受け継ぐ」の方法
くりかえしますが、人間はなぜ人間として心を育てていけるのか?
世界と自分をそして他者と自分を、どうして区別できるようになるのか?
先にお話しした脳にプレインストールされた、あらゆる人間に共通する機能は
本能が遺伝とは異なるように「いわゆる遺伝」とは全く違うものです。
そこを前提にしてくださらなければ、話が進みません。
>動物には「善・悪」のような感情は備わってない
わたしは少女の話をしているのであって、彼女の育ての母のことではありません。
これはごく幼い時期に形成された精神の基礎構造は、
成長してから容易に変更できないのだ、という論理と、
いわゆる精神育成期の環境が影響する発達傷害の可能性と、二つが上げられていますね。
いずれにしても、彼女は人間として育ちましたが、
人生のひな形はオオカミから受け取ったのです。

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029 2010/09/03(金) 14:52:17 ID:mlPZauPTh.
努力は認めるが長文は説得力に欠ける

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030 2010/09/04(土) 08:24:03 ID:.Gd6w.54Bc
>>28

>脳にプレインストールされた、あらゆる人間に共通する機能は
>本能が遺伝とは異なるように「いわゆる遺伝」とは全く違うものです。


本能(wiki) 定義

メリアム=ウェブスター辞書では本能を次のように定義している。
「判断を伴わず、環境の刺激によって引き起こされる個体の複雑な反応で、
遺伝的で変更がきかない」。

ヒトの本能

人間に本能があるかどうかはながらく議論の対象であった。
しかし前述の通り人間に本能があるかどうかは「本能」の定義次第である。
一般的に人間に本能行動はほとんど無いかわずかであると見なされている。

また社会学、哲学、心理学の一部では本能を「ある種の全ての個体に見られる
複雑な行動パターンで、生まれつき持っており、変更がきかない」と定義する。

一方で認知科学、人間生物学(特に社会生物学や人間行動生態学、行動遺伝学)などの
分野では人間に本能を認める。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%B...

※あなたは本能と遺伝が異なると書かれているのですが「wiki」などでは
 本能は遺伝的と定義されていたりしています

 
>ごく幼い時期に形成された精神の基礎構造は、成長してから容易に変更できない

「ごく幼い時期に形成された精神の基礎構造」とは「ごく幼い時期」に後天的(経験)
により獲得された「精神の基礎構造」と考えてもよろしいのでしょうか?


>いずれにしても、彼女は人間として育ちましたが、人生のひな形はオオカミから受け取ったのです。

「受け取った」というのは遺伝として受け取ったのか?、それとも環境(経験)として「受け取る」のか?、
と考えることができますよね
どのような経路を通して彼女(オオカミ少女)は「人生のひな形」を受け取ることができたのか?
遺伝(先天的)なのか?、それとも、環境(後天的)なのか?
ここのところが私の最大の関心事です

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031 2010/09/04(土) 09:15:53 ID:XAQWYFismE
あららもっと長文になっちゃった

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032 2010/09/04(土) 15:53:41 ID:X6wYzdTbZ2
ああ、「本能」は本来生物学用語でした。そのとおりです。すみません。
本能という言葉は便利で、フロイトでいう「エス」とごっちゃにしてしまいました。
人間にとって本能は、分ち難く無意識の中にあるので、動物の本能とは一緒にできないのです。
>「ごく幼い時期」に後天的(経験) により獲得された「精神の基礎構造」と考えてもよろしいのでしょうか?
そうだと思います。自他を分割し、経験を運用に組織化できるようにするOSではないでしょうか?
これをオオカミから受け継いだか、人として独自に構築したか、そうならどのように?
>どのような経路を通して彼女(オオカミ少女)は「人生のひな形」を受け取ることができたのか?
それこそ大問題ですよね。ただ言えることは、精神の黎明期に「ひな形」のレセプターは発生し、
育ての母のはいる。しかしそこで起きた事件はわかりません。
それでも、経験はオオカミとして生きるために運用され、牙も、逞しい肉体も持たず、
彼女は知見を振り絞ってオオカミとしての人生を切り開いたのです。
彼女の人生は「オオカミとして生きた」ので、オオカミになったわけではありません。
ぼくが受けた講座の先生(ユングの研究者)は、築き上げられたこころという十万年神殿は、
そう容易に退化するもんではないと。発達障害の可能性には言及しましたが。
ん?「善性」どっかにいっちゃったw

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033 2010/09/05(日) 10:08:53 ID:LLp.SZeFUM
>>32

>人間にとって本能は、分ち難く無意識の中にあるので、動物の本能とは一緒にできないのです。

無意識(wiki)
無意識は、「意識がない状態」と「心のなかの意識でない或る領域」の二つの主要な意味がある。
「意識がない」とは、強い意味だと、大脳の働きがほとんどない状態を意味する。
しかし大脳の働きは、人間が生きている限り、完全に停止するということはなく、
「ほとんどない」とはどこまでないことなのか、客観的な基準が曖昧である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F%E8%AD%...

※あなたの示された「無意識」という言葉の定義は客観的な基準が曖昧であると
 (wiki)には書かれていますが
  
>どのような経路を通して彼女(オオカミ少女)は「人生のひな形」を受け取ることができたのか?
>精神の黎明期に「ひな形」のレセプターは発生し、育ての母のはいる。
>それでも、経験はオオカミとして生きるために運用され、牙も、逞しい肉体も持たず、
>彼女は知見を振り絞ってオオカミとしての人生を切り開いたのです。
>彼女の人生は「オオカミとして生きた」ので、オオカミになったわけではありません。

彼女は体内のレセプター(受容器細胞)を経験的外的刺激により自らの力によって
オオカミとして生きてゆく道を切り開いて行ったということなのか
であるならレセプターが内面より彼女をコントロールしていたと考えもおかしくは
ない気もするのだが

>ぼくが受けた講座の先生(ユングの研究者)は、築き上げられたこころという
>十万年神殿は、そう容易に退化するもんではないと。

ユングを学んできたあなたにこのような事をいうのはどうかとは思っていたのだけれど
ユングって科学者なの?  古典心理学って科学なの?
なぜかフロイトやユングなどの心理学にはあまりいい噂は聞かないような気がするな
フロイトやユングは似非科学であるなんてね
そのような点についてもあなたの感想をお聞かせ願えればと思っております
http://0dt.org/000183.htm...
http://www.genpaku.org/skepticj/jung.htm...
 

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034 2010/09/06(月) 15:50:33 ID:eGwA1TIpKA
先人の切り開いた風景の地平線上に思いをはせ、それぞれの有限な才能と智推を交流させる。
これが「世界に現れる不思議」について語りあう道楽の基本、あるいは理想。
どこかで見聞した言葉ですが、どうやらそのようには進んでいかなくなってきましたね。
人間の善性や徳性、それを利害や苦楽の沼に沈めてしまわないための栄光や名誉。
残念ながらこうした哲学的命題は、あなたのおっしゃる「科学」では捕らえることができません。

こころの探求者は未だ深い霧の中に沈んだ森の中を手探りで進んでいるのですよ。
それゆえ、学者タレントたちがマスコミなどで、戯画化された心理解釈を垂れ流して平然。
なんてことも自由なのです。カントのいう「傾向」の餌食にされているということも事実です。
「世界に現れる不思議」とは素粒子の探求や、宇宙開発者の前に立ちはだかる
未知と同じもので、概念の積み重ねの中に答えを見つけることはできません。
フロイトは個人の心の発達の仕組みを、ユングはこころの発生に内在する社会的装置を予言した
偉大な出発点にかわりはありません。そしてカントは社会的機能として「善」を提起しました。
この理論は「決定論的科学」からは理論でさえなく、排除されて当然でしょう。

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035 2010/09/07(火) 13:40:25 ID:M0mZF.tm3s
>>34

>残念ながらこうした哲学的命題は、あなたのおっしゃる「科学」では捕らえることができません。

お言葉を返すようで申し訳ありませんが、哲学的命題に科学者と思わしき人物の
論理を持ち込んでこられたのは、あなたの側なのではありませんか
「あなたのおっしゃる「科学」では捕らえることができません」とありますが
そもそも私の側からはフロイトやユングのような人物の理論を使ってこの哲学的命題を
解き明かそうとはしていなかったはずですよ
哲学的命題を少なくとも日本においては哲学者としてではなく科学者として扱われている
人物の理論を哲学的命題の解決手段に使おうとしたのはあなたの側であって私の側ではない
のではなかったのではないかな


>フロイトは個人の心の発達の仕組みを、ユングはこころの発生に内在する社会的装置を予言した
>偉大な出発点にかわりはありません。そしてカントは社会的機能として「善」を提起しました。
>この理論は「決定論的科学」からは理論でさえなく、排除されて当然でしょう。


カントはともかくとしてフロイトやユングの理論をこの哲学的命題にもちこんだのは
私ではなくあなただったわけですが
ですから私はあなたに対してフロイトやユングは科学者なのですかとお尋ねしたのです
この哲学的命題の答えを私の側から科学的な土俵にあげた記憶はまったくないですね
まぁ私としてはあまり揉め事のようなことも好きではありませんからあなたとの
文章交換もこの辺までにしておこうと思います 
それと私はあなたには感謝をしております
私のような頭の悪い人間に親切に付き合っていただいたことはとても感謝しきれない
気持ちでいっぱいです
いろいろとご親切にありがとうございました
あなた様の未来に幸運が訪れる事を心より願ってやみません 
本当にありがとうございました それでは失礼いたします

返信する

036 2010/09/08(水) 09:06:26 ID:hq.kpK95Qw
[YouTubeで再生]

善悪の入れ替わり    先にいる者が後になり、後にいる者が先になる
http://sunmoonearth-70.spaces.live.com/Blog/cns!1pzxizBFutjCUWXdCnniS...

http://info.2ch.net/guide/map.html#to-scienc...  学問・理系 破壊されちゃったのかな?


耐性菌 すでに国内で拡大か
http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1283903162...
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100908-OYT1T00...

返信する

037 2010/09/10(金) 08:49:56 ID:Dsitn2Nogs
[YouTubeで再生]
何が 善で 何が 悪

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038 2010/09/10(金) 18:15:47 ID:idZs5fXDSc
小善に甘んじて、大悪を見逃すのは、悪に通ずる。

小悪であっても、大善をする人は、善につながる。

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039 2010/09/10(金) 20:00:04 ID:D/wOIEuDwc
たとえば、「善い」の本質とは何か。ある人は名誉こそ「善い」といい、ある人間は富こそ
といい、またある人間は友情こそという。これらはそれぞれ各人の経験から出てきた実感だ
が、決して一致することのないまま、個別の信念としてしばしば相容れない形で対立する。
しかし、この個別の「善い」を超えた「善い」の本質というものがなければ、この世界で、
人間どうしが互いに「善し悪し」を考えあい、そのことで心をつなげあおうとすることの根
拠はなくなる。
プラトンは、およそものごとの「本質」は、個々の経験を超えて“普遍的”なものとして存
在するはずだ、と考えた。あるものが「正しい」かあるいは「善い」かという本質的な判断
は、各人の個別の信念からは決して導けない。それは個別の経験を超えた何ものかに根拠を
もち、しかもそれは、もし適切な仕方で思考するならば誰もが“到達”できる、そういうも
のであるはずだ、と。
人はものごとの「本質」の判断をこの世の自分の経験から得るのではなく、いわば天上界の
イデアの想起によって得る。「想起説」が表現しているのは、プラトンのそのような考え方
なのである。
ここで注意すべきは、彼のイデア論は、さしあたりこのような直観の思想的表現として現れ
るのであって、その論理的証明ではないということだ。想起説からイデア論にいたるプラト
ンの思考の核を、わたしは絶対真理説ではなくて普遍性の根拠についての説と呼びたいが、
その内実について、次の章でさらに詳しく考えることにする。

返信する

040 2010/09/10(金) 23:29:53 ID:QFgv10n8i2
イデアすなわち概念だというのもおかしいし、ロゴスすなわち理性だというのもおかしい。

イデアに値するものは概念ではないし、理性はロゴス(言語情報)と同等のものではない。

ギリシャ人がイデアという言葉で指し示さんとしたものは、概念と化すことを拒むものだし、
ロゴスという言葉で指し示さんとしたものは、言語を絶しすらするものでこそある。

同一視してはならないもの同士を同一視する、根本的な過ちをその原初から犯している。

返信する

041 2010/09/12(日) 07:03:37 ID:B/KXTT/7mQ
善悪の基準は文化が決定する。
時代や場所によって大きく異なる。

返信する

042 2010/09/26(日) 19:47:44 ID:dqR.MeLCRA
自己の利益を動機とした行為に道徳的価値はない

たぶんカント

返信する

043 2010/09/27(月) 14:06:37 ID:7yBM0D.a82
白熱教室ですね。ぼくも見ましたよ。

返信する

044 2010/09/27(月) 16:42:23 ID:3IRF7nK0mo
さてはオマエ「悪」だな!
そうだろ!

返信する

045 2010/09/27(月) 19:41:04 ID:.FVFbP56Q2:DoCoMo
自他の利得の均衡を慮ることで、自らを含む万人にとっての最善を尽くす。仁義道徳である。

社会から一方的に利益を吸い取っているだけのヤクザが、
「仁義」を語ることのいかにおかしいかが分かる。

返信する

046 2010/09/28(火) 19:18:32 ID:IxJJXGSKcw
自分から一方的に他者の利益を奪い取ることも仁義ではないが、
他者への奉仕に溺れるあまり、自己を見失うこともまた仁義には当たらない。

己れを捨ててでも他者への熱情的な奉仕に及んでいるとき、その人間は必ず、
万人のうちの一人である自己への愛も捨てているから、自明にその愛情は「偏愛」となっている。
自愛を捨て去り、自暴自棄状態となりつつ他者への奉仕を欲する商売人や婦女子などは、
自他の利益を同時に慮る仁愛を持てていないが故に、仁義に即していない点ではヤクザとも共通している。

ヤクザと商売人と婦女子、この三つが仁義道徳から最も程遠い部類の人種であり、にもかかわらず
ヤクザが「仁義」を掲げたりするのは、一つには道家における「大道廃れて仁義あり(老子)」という
仁義道徳への皮肉に即している所があり、もう一つは、文明開化の四民平等によって武家身分が消滅したために、
血みどろの殺傷行為の危険性に日常的に晒されている人間が自分たちヤクザしかいなくなったため、武家が貴んでいた
「仁義」という言葉に少なからず帯びている血なまぐささを、ヤクザが拝借して使っているというのがある。

もちろん、伝統的な解釈に即せば、ヤクザが仁義を騙るなど片腹痛いことで、武士はヤクザなどと違って
天下万民を公正に統治支配する、正式な為政者の身分であり、だからこそ自分たちに反抗する輩のうちで
どうしようもない奴らを切り捨て御免とする血なまぐささをも嗜んでいたのだから、不当利得の死守のために
血を流す任侠などとは決して同列に扱ってはならない。また、「史記」遊侠列伝においても、今のヤクザや
マフィアの身分にあたる遊侠の徒であった郭解が、仁義道徳を盾にその行いの悪さを糾弾した儒生を殺して、
その舌を引っこ抜くなどの暴挙にも及んでいる。仁義道徳はヤクザと親しいどころか、ヤクザともっとも
相容れないものとして受け止められてきた歴史のほうが遥かに長いのであり、その仁義とヤクザの相反性
こそを、老子も「大道廃れて仁義あり」という言で皮肉っている。漢学なんかほとんど学んでいないくせに、
ごく一部の滑稽じみた知識にかけてだけはやたらと精通している、現代社会や現代人。

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047 2010/09/29(水) 13:34:08 ID:Xw58Z1D/KU
なんか、社会的感受性とか開かれた道義心とかぜっんぜん間じれれない文章ですね
自己合理化のために振り回すだけじゃ、もったいないんじゃないですか?
それほどの知識…。

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048 2010/09/29(水) 13:47:37 ID:itnuVin2m6
おまえらが雪中断臂ぐらいの誠意でも見せないことには、壁観を続けるだろうな。
もちろんそんな苦行をこちらから求めるわけにもいかないが。

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049 2010/09/29(水) 20:22:57 ID:YGL/7c7OEk
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm232522...
5分でわかる「男性差別」

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050 2010/09/29(水) 23:54:50 ID:TtDPwz33xk
自分にとって好都合なものを「善」とし不都合なものを「悪」とする。
その個人個人の善悪の基準の集団内での最大公約数がその社会での善悪の基準となるのでは?

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051 2010/09/30(木) 00:28:59 ID:oNMB8Txzhk:DoCoMo
達磨「善悪は形に寄り添う影のようなもの」

気にしないでいようと思えばいられるが、それでいて常に付き添い続けている。

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052 2010/10/05(火) 04:38:50 ID:Wf.Yfzx1eU
それが善だと決めたとき悪が生まれる。

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053 2010/10/19(火) 02:08:16 ID:lD7JZpQOCQ
思考の中でしか善と悪は存在しない
善と悪を生成・区別・概念化しているのは思考だ

無が善であり
思考が悪である

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054 2010/10/19(火) 04:10:53 ID:j1Z.P22qFw

 知恵のみ…の浅はかな心の貧しさが 最悪で

 知恵の実食べても…最も大切な互いの愛をゆたかに出来てれば最善かな。

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055 2010/10/19(火) 04:48:49 ID:j1Z.P22qFw
 やっぱり,人類って…ちょっと卑怯かも知れないよね。

 狡賢い…知恵の実…食べた能力者達・・・ 善悪の実か…

http://bbs68.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/news/1287407157...

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056 2010/11/12(金) 03:43:00 ID:LsB1yCmBIw
まわりと同じ事をする→善
違うことをする→悪

周りと違うことをして優越感に浸るタイプも
大規模な思想グループに入っている場合があるから
これもまわりと同じ事をするってのに含まれると思う

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057 2010/12/26(日) 16:59:49 ID:GYqrrtk3Sk
真理だ。

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058 2010/12/26(日) 20:48:28 ID:/CaT3gr4IY
ただの全体主義じゃねえか。

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059 2010/12/26(日) 20:51:55 ID:KDKW.nwPhk
ポエマーは悪。

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060 2010/12/27(月) 05:25:55 ID:qixKhE0GOM

自分の為に他者を害することが悪
余分なことの為に他者を害することも悪

他者の為に自分を捧げることが善
必要なことの為に自分を傷つけて恐れないのが勇気

ただし、他者はただ一人は無い。
自分対それ以外全部の関係の中に善悪は生まれる。

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061 2011/01/01(土) 22:41:50 ID:IRvXcAHCVI
世の中の現実は、自分の潜在意識が作り出している
自分が問題だと思えばそれが問題になる
自分の意識の外側で起きていることは善でも悪でもない
世の中に本質など無く、あるのは人の価値観

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062 2011/01/01(土) 23:21:55 ID:8xInhyKO5I
好き、嫌いで善悪判断する人間もいる
それを嫌う人間もいる
どうでもいいよ、という人間にもそれなりの価値観はある

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063 2011/01/02(日) 16:08:20 ID:0zE6EyNHPs:au
誰しも己は絶対的であり社会は相対的である
絶対的真理と相対的真理のちがい
たとえば神の語る真理も神の視点での真理に過ぎなく、何らかの対象に語る際には相対的真理になる

それはせいぜい知恵者ということ

究極に賢い

しかし絶対ではない

あらゆる物事に相対的な解を出せるが絶対ではない

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064 2011/05/10(火) 21:13:03 ID:wWqYRyS/zw
日本社会を特徴づける上下関係の秩序に注目し、
その秩序の中で「各人にふさわしい位置を占めようとする」人々の行動や考え方について、
「恩」「義理」といった日本人独特の表現を手がかりに分析を進めている。
とりわけ日本の文化を、内面に善悪の絶対の基準を持つ西洋の「罪の文化」とは対照的な、
内面に確固たる基準を欠き、他者からの評価を基準として行動が律されている「恥の文化」
として大胆に類型化した点は、戦後の日本人に大きな衝撃を与えた。

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065 2011/05/10(火) 22:05:21 ID:SFbn6ivYu.
とりあえず「善=肯定」「悪=否定」ではない。

肯定すべきものを肯定し、否定すべきものを否定するのが善。
肯定すべきものを否定し、否定すべきものを肯定するのが悪。

一概な全肯定の象徴が「天使」であり、全否定の象徴が「悪魔」であるというのなら、
決して、天使が善の具現になるわけでもないし、悪魔が悪の具現になるわけでもない。

中正を欠いた、肯定否定両極端への振れきりを体現している有り様が、
善悪の分別を濁しかねないが故に、悪質であるということはいえる。

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066 2011/05/13(金) 17:09:15 ID:5DNkHmhGeY
善悪は人間の基準
その社会にとって全体にとってどうかというところ
しかし絶対的な判断などなく社会や全体を優先するとも限らない
しかしそれらの記憶から判断される
所詮は動物の一種だろうというところ

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067 2011/05/13(金) 18:28:22 ID:qSxh2..u8E
世の中が総出を挙げて善悪の分別をわきまえ、
勧善懲悪の価値をもよく量り知るのが善良な時代。

世の中が総出を挙げて善悪の分別をうやむやにし、
勧善懲悪よりも悪逆非道や善悪みそくそを推し進めるのが劣悪な時代。

両方とも実在するのは確かだが、両者が厳然たる相違を持つのも確か。
>>66みたいな物言いも、劣悪な時代には横行しようとも、
善良な時代には思い付かれることからしてあり得ないから。

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