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聖書 Part4


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266 2010/08/19(木) 11:51:37 ID:3FSkFNVVro
娼婦の私生児として産まれたイエスが、自ら望んで刑死に及んだことが、たとえば
「遊びの買春」でマリアにイエスを身ごもらせた、どこの誰とも知れない父親への親孝行になったのかといえば、そんなはずもない。
我が子を認知する責任も取らずに、娼婦を身ごもらせてキ○○イの子を産み育てさせた罪は、あくまで父親自身にあるのであり、
ろくな教育も受けずに自己流のカルト教義を募らせた子供のほうが、刑死に及んだからといって、父親の罪が解消されるわけもない。
冤罪はどこまでも冤罪であり、犯罪者本人が罪を償わないことには罪は解消されず、かえって罪が積重されるだけに過ぎない。

四書五経を含む十三経中の「孝経」にも、親が過ちを犯した場合には、子としての分を越えない範囲でよく諌め、
それでも聞き入れられないのなら泣き落とせとまで書いている。仮に子が親の罪をかぶって罰せられたからといって、
親の罪が消えるわけでもなく、子に罪をなすりつけた「子愛の欠如」が加算されて、余計に親の不徳を増長させるのみ。
親の罪を子が成り代わってかぶる冤罪などが、親孝行などにならないのはもちろんのこと、かえって親不孝にすらなる。

自分が親の代わりになれるなどという思い上がりにも基づいており、親子の序列を覆す結果をも招く。
誰が父親とも知れなかった私生児であるイエスに、父親の真の偉大さを計り知る余地も、親の過ちをを諌める余地もなかったのも確かだが、
だからといって自らの刑死によって、父親の過ちが帳消しになるなどという蒙昧を信じ込んで、触れ回っていいわけもなかった。
自己流のカルト教義を触れ回って世を破滅に導くぐらいなら、まだ仏教あたりに帰依して坊主にでもなってればよかった。

「道に違いて以て百姓の誉れを干むる罔れ」
「道に反することをしてまで、衆生の人気を得ようとするな」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・虞書・大禹謨より)

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