「善悪の衝突の過程で、一時は世界中が悪一色に染まることもある」とは、ペルシャのザラスシュトラが予言していたことだが、
そのザラスシュトラが興した拝火教よりも、さらに昔に成立した周易(現「易経」。周の文王が3100年前に定型化した)においても、
小人の道ばかりが長じて、君子の道が閉ざされるような状態がもたらされ得ることまでもが看破されている。確かに周の文王なども、
殷の紂王にいちゃもんを付けられて長期間幽閉されるなどの不遇に遭っていた。世の中が善や悪の両極へと振れきることは、
太古の昔からの人類の歴史の常である。そして、そうであることが極東では周易の頃に、オリエントでは拝火教の頃に確認された。
善悪二元論的な世界把握が成立した最初期であり、そこから順に追っていけば、
善悪二元論(周易、拝火教) → 善一元論(儒学、仏教) → 悪一元論(キリスト教)
という順番に、人類の善悪への把握は成熟して来た。儒学は善悪二元論的陰陽論である周易も「易経」として聖典にしているが、
孔子を実質的開祖とする典型的な儒学においては、性善論の孟子を正統とし、性悪論の荀子を異端とするなどして
「勧善懲悪」の善一元論にまで推し進められており、「断悪修善」を旨とする善一元論宗教である仏教にも近似している。
一方で、悪一元論のキリスト教は、拝火教聖典のアヴェスターをユダヤ人が剽窃した旧約聖書をベースに、
イエスというペテン師を祭り上げた、「火に油を注ぐ」形式ででっち上げられたカルト宗教であるため、
それが直接アヴェスターのような、本物の善悪二元論からもたらされたわけではない。本物の善悪二元論の前では、
悪一元論はその不当さが明らかになってしまうので、旧約信仰=ユダヤ教という媒介物があってのみ成立し得た。
故にキリスト教徒などは、自分たちが悪一元論者であり、自分たちの行ないが一切劣悪であることを全く自覚していない。
成立からかなり時間が経ち、善一元論が定着しきってしまっている今の儒学や仏教だって、自分たちが善一元論を嗜んでいる
という自覚は薄い場合が多く、周易や拝火教といった、確かな善悪二元論から儒学や仏教、キリスト教などといった各学問宗教が
派生してきていることをもわきまえられている現代人は少ない。所詮はそれらもまた、善悪二元論の産物であるにもかかわらず。
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