SARO&Desperado隔離スレ
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で、そのつづき・・・と。
それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。
イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。
そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。
ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。
その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。
だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。
(つづく)
それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。
イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。
そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。
ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。
その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。
だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
(つづく)
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
(つづく)
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私のブログにようこそ!!
聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。
B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。
英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。
『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。
と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。
まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。
聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。
B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。
英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。
『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。
と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。
まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。
彼が長崎に来たのは1930年代でしょうか。その頃、日本には孤児院という施設がほとんど無かった
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。
しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。
しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。
私のブログにようこそ!!
そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。
・・・イエスの続きです。
月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。
実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。
その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。
聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。
ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。
そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。
・・・イエスの続きです。
月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。
実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。
その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。
聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。
ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。
イエスが悪魔の誘惑を受けている時、彼は洗礼者ヨハネが
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。
この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。
イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。
その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。
イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。
(つづく)
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。
この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。
イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。
その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。
イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。
(つづく)
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そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。
そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。
さてイエスがナザレに帰ってから三日後、ガリラヤ地方のカナという町
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
(つづく)
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。
彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。
『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。
そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。
こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。
イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。
もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。
(つづく)
そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。
彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。
『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。
そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。
こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。
イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。
もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスの言行からわかりやすい個所を書き出しましょうか。
『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる』。
『憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の国を見る』。
『今飢えている人は幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人は幸いである、あなたがたは笑うようになる』。
これらの言葉は、神の前では絶望という状態が無いことを教えます。私たちは人生に絶望したと言っ
ても、まだどこかに希望の火はちょろちょろとでも燃えているはずです。愛の神がそれを、お見過ご
しになるわけはありません。私たちは神の前で謙虚にならないといけないのです。謙虚にもう一度、
自分を見直しましょう。そうして希望を見つけるのです。
『あなたがたは人殺しはいけないと教えられているだろうが、私は他人に腹を立てるのもいけないと
言っておきます。他人に馬鹿と言ってもいけないし、愚か者と言ってもいけません』。
『目には目を、歯には歯を、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。誰かが右
の頬を打ったら、左の頬も向けなさい。許しなさい、そうすればあなたがたも許されます。与えなさい、
そうすればあなたがたも与えられます』。
『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。
あなたが自分を大切に思うように、他人も同様に自分が大切なのです。これは世界中ありとあらゆる人
種にあてはまる真理です。相手を尊重する気持ち、敬う気持ちがあれば、争い事など起きるはずもあり
ません。しかし21世紀の今日でも、世界中に紛争が絶えません。これがどれほど父なる神を悲しませて
いることか。人類は全て父なる神がお造りになったのですから。
(つづく)
イエスの言行からわかりやすい個所を書き出しましょうか。
『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる』。
『憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の国を見る』。
『今飢えている人は幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人は幸いである、あなたがたは笑うようになる』。
これらの言葉は、神の前では絶望という状態が無いことを教えます。私たちは人生に絶望したと言っ
ても、まだどこかに希望の火はちょろちょろとでも燃えているはずです。愛の神がそれを、お見過ご
しになるわけはありません。私たちは神の前で謙虚にならないといけないのです。謙虚にもう一度、
自分を見直しましょう。そうして希望を見つけるのです。
『あなたがたは人殺しはいけないと教えられているだろうが、私は他人に腹を立てるのもいけないと
言っておきます。他人に馬鹿と言ってもいけないし、愚か者と言ってもいけません』。
『目には目を、歯には歯を、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。誰かが右
の頬を打ったら、左の頬も向けなさい。許しなさい、そうすればあなたがたも許されます。与えなさい、
そうすればあなたがたも与えられます』。
『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。
あなたが自分を大切に思うように、他人も同様に自分が大切なのです。これは世界中ありとあらゆる人
種にあてはまる真理です。相手を尊重する気持ち、敬う気持ちがあれば、争い事など起きるはずもあり
ません。しかし21世紀の今日でも、世界中に紛争が絶えません。これがどれほど父なる神を悲しませて
いることか。人類は全て父なる神がお造りになったのですから。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
『地上に富を積むのは止めなさい。地上では虫が喰ったり泥棒に
取られたりします。だから富は天に積みなさい。そこには虫や泥
棒はいません。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのです』。
『誰も二人の主人に仕えることはできません。神と富の両方に仕えることはできないのです』。
『人を裁いてはいけません。そうするとあなたも裁かれるからです。神聖な物を犬に与えても、豚に
真珠を投げつけても無駄です。彼らはそれを足で踏みにじり、あなたに噛みつくでしょう』。
豚に真珠というのは完全に日本語化してしまっていて、猫に小判と同様に使っています。ここで、な
ぜ犬と豚かというと、ユダヤ教の律法では犬と豚は穢れた不浄な物なのです。犬とか豚のような穢れ
た人間がいるとすれば、それは他人の忠告を無視するような傲慢不遜な人間です。そういった人は、
例え誰かに裁かれたとしても無視を決め込むでしょう。だから豚に真珠なのです。私たちは傲慢不遜
に陥らぬよう、謙虚な心を忘れないようにしなければなりません。『訓戒を無視する者は自分の命を
ないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る』のです。
『求めよさらば与えられん。探しなさい、そうすれば見つかります。門を叩きなさい、そうすれば開
かれます。例えば真夜中に友達の家に行き、パンを三つ貸してください。不意の客があって出す物が
無いのですと言って戸を叩いたとしましょう。するとその家の人はこう答えるでしょう。もう何時だ
と思ってるのですか。子供も寝かせたところだし、面倒をかけないでください。でもしつこく叩けば
起きてきて戸を開けてくれるでしょう。あなたがたは、自分が悪者だとしても、子供にだけは良い物
を与えるでしょう。そのように、天の父は求める者に聖霊を与えてくださいます』。
神様の思し召しを願ってもそう簡単にことが実現するわけがありません。実生活でも何かを求めて得
られないとすぐあきらめてしまいがちです。しかし神は違います。神は私たち子供を愛してくださる
良い父親ですから、ひたすら信仰すれば、物質的な願いはかなわないかも知れませんが、心に平安を
与えてくださいます。
(つづく)
『地上に富を積むのは止めなさい。地上では虫が喰ったり泥棒に
取られたりします。だから富は天に積みなさい。そこには虫や泥
棒はいません。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのです』。
『誰も二人の主人に仕えることはできません。神と富の両方に仕えることはできないのです』。
『人を裁いてはいけません。そうするとあなたも裁かれるからです。神聖な物を犬に与えても、豚に
真珠を投げつけても無駄です。彼らはそれを足で踏みにじり、あなたに噛みつくでしょう』。
豚に真珠というのは完全に日本語化してしまっていて、猫に小判と同様に使っています。ここで、な
ぜ犬と豚かというと、ユダヤ教の律法では犬と豚は穢れた不浄な物なのです。犬とか豚のような穢れ
た人間がいるとすれば、それは他人の忠告を無視するような傲慢不遜な人間です。そういった人は、
例え誰かに裁かれたとしても無視を決め込むでしょう。だから豚に真珠なのです。私たちは傲慢不遜
に陥らぬよう、謙虚な心を忘れないようにしなければなりません。『訓戒を無視する者は自分の命を
ないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る』のです。
『求めよさらば与えられん。探しなさい、そうすれば見つかります。門を叩きなさい、そうすれば開
かれます。例えば真夜中に友達の家に行き、パンを三つ貸してください。不意の客があって出す物が
無いのですと言って戸を叩いたとしましょう。するとその家の人はこう答えるでしょう。もう何時だ
と思ってるのですか。子供も寝かせたところだし、面倒をかけないでください。でもしつこく叩けば
起きてきて戸を開けてくれるでしょう。あなたがたは、自分が悪者だとしても、子供にだけは良い物
を与えるでしょう。そのように、天の父は求める者に聖霊を与えてくださいます』。
神様の思し召しを願ってもそう簡単にことが実現するわけがありません。実生活でも何かを求めて得
られないとすぐあきらめてしまいがちです。しかし神は違います。神は私たち子供を愛してくださる
良い父親ですから、ひたすら信仰すれば、物質的な願いはかなわないかも知れませんが、心に平安を
与えてくださいます。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
『他人に見てもらおうとして人前で善行をするのは止めなさい。
あなたたちが施しやボランティアをする場合、人目につかない
ようにしなさい。偽善者たちは人からほめられようと、会堂や
街角でおおっぴらにします』。
『盲人が盲人の道案内をすることはできません。そうすれば二人
とも穴に落ちてしまいます。師よりまさる弟子はいません。でも
誰でも十分に修行を積めば、そんな師になることができます』。
私たちは知らず知らずに同類とつるみがちです。これは烏合の衆になりかねません。あるいは同病相
憐れむという言葉を思い出すかも知れません。ここでまず謙虚に自分を見つめ直す作業が必要です。
そして自分を、より高みに引き上げてくれる良い師(それはもしかするとあなたのそばにいる友達か
も知れません)を探すべきなのです。私たちは弱い人間ですから、ともすれば自分よりレベルの低い
友人、知人といるほうが楽でしょう。そういった連中と会社の悪口を言いながら一杯やるなどして、
日頃のうっぷんを晴らすという生活は楽です。しかし私たちはそのレベルに甘んじていてはだめなの
です。私たちは信仰という手段をとおして自己を見つめ、より良き明日を手に入れる術を知っています。
『狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、道も広々しているので入る者も多いのです。しか
し命に通じる門は狭く、その道も狭いので人々はなかなかその道を探すことができません』。
私たちは、ともすれば安楽な方に流れがちです。それは人間ですから、誰でも楽がいいに決まってい
ます。でも広々した道を漫然と走っていたら、ネズミ取りにかかる可能性だってあります。漫然と無
為な日々を送るという一生もいいでしょうが、死を迎える時に後悔しないよう、日々の営みを神に感
謝し、充実した日々を送った方がより良いんじゃないでしょうか。でも充実した日々を送ると言って
も、これは言うは易く行うは難しです。でもその難しい『狭き門』を探すのも人生です。
『他人に見てもらおうとして人前で善行をするのは止めなさい。
あなたたちが施しやボランティアをする場合、人目につかない
ようにしなさい。偽善者たちは人からほめられようと、会堂や
街角でおおっぴらにします』。
『盲人が盲人の道案内をすることはできません。そうすれば二人
とも穴に落ちてしまいます。師よりまさる弟子はいません。でも
誰でも十分に修行を積めば、そんな師になることができます』。
私たちは知らず知らずに同類とつるみがちです。これは烏合の衆になりかねません。あるいは同病相
憐れむという言葉を思い出すかも知れません。ここでまず謙虚に自分を見つめ直す作業が必要です。
そして自分を、より高みに引き上げてくれる良い師(それはもしかするとあなたのそばにいる友達か
も知れません)を探すべきなのです。私たちは弱い人間ですから、ともすれば自分よりレベルの低い
友人、知人といるほうが楽でしょう。そういった連中と会社の悪口を言いながら一杯やるなどして、
日頃のうっぷんを晴らすという生活は楽です。しかし私たちはそのレベルに甘んじていてはだめなの
です。私たちは信仰という手段をとおして自己を見つめ、より良き明日を手に入れる術を知っています。
『狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、道も広々しているので入る者も多いのです。しか
し命に通じる門は狭く、その道も狭いので人々はなかなかその道を探すことができません』。
私たちは、ともすれば安楽な方に流れがちです。それは人間ですから、誰でも楽がいいに決まってい
ます。でも広々した道を漫然と走っていたら、ネズミ取りにかかる可能性だってあります。漫然と無
為な日々を送るという一生もいいでしょうが、死を迎える時に後悔しないよう、日々の営みを神に感
謝し、充実した日々を送った方がより良いんじゃないでしょうか。でも充実した日々を送ると言って
も、これは言うは易く行うは難しです。でもその難しい『狭き門』を探すのも人生です。
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春だったのでしょうか。ガリラヤ地方はのどかで、
麦畑の上ではヒバリが鳴き、道端には名も無い花
が咲き乱れていたのでしょう。その中心には静かに
水をたたえたガリラヤ湖があります。
『何を食べようかなどと思い悩むのは無駄です』とイエスは弟子たちに話し始めます。
『あの空を飛ぶ鳥をご覧なさい。あの鳥たちは働きもしないが、天の父はあの鳥たちを養ってくださ
る。この野に咲く花を見なさい。花は働きもしないが、あの栄華を極めたソロモン王でさえ、この花
のように美しく着飾ってはいませんでした。だから何を着ようかと思い悩むのも無駄です。明日は炉
に投げ込まれるような雑草でさえ、神はこんなに綺麗に装ってくださるのですから。あなたがたの父
は、何があなたがたに必要か良く知っています。だから、ひたすら神の国を求めなさい。そうすれば、
あなたがたが欲する物は、おのずとついてきます。明日のことまで思い煩う必要はありません。明日
のことは明日が思い煩います』。
これは明日は明日の風が吹く…と理解してはいけません。今日を充実して生きれば、きっと素晴らし
い明日が来るということです。
春だったのでしょうか。ガリラヤ地方はのどかで、
麦畑の上ではヒバリが鳴き、道端には名も無い花
が咲き乱れていたのでしょう。その中心には静かに
水をたたえたガリラヤ湖があります。
『何を食べようかなどと思い悩むのは無駄です』とイエスは弟子たちに話し始めます。
『あの空を飛ぶ鳥をご覧なさい。あの鳥たちは働きもしないが、天の父はあの鳥たちを養ってくださ
る。この野に咲く花を見なさい。花は働きもしないが、あの栄華を極めたソロモン王でさえ、この花
のように美しく着飾ってはいませんでした。だから何を着ようかと思い悩むのも無駄です。明日は炉
に投げ込まれるような雑草でさえ、神はこんなに綺麗に装ってくださるのですから。あなたがたの父
は、何があなたがたに必要か良く知っています。だから、ひたすら神の国を求めなさい。そうすれば、
あなたがたが欲する物は、おのずとついてきます。明日のことまで思い煩う必要はありません。明日
のことは明日が思い煩います』。
これは明日は明日の風が吹く…と理解してはいけません。今日を充実して生きれば、きっと素晴らし
い明日が来るということです。
この地図を見てください。カペナウムと表記されている村が
カファルナウムです。ガリラヤ湖のほとりにティベリアという
町がありますが、ここは時のイスラエルの王ヘロデが作った
ローマ風の町です。イスラエルは名目上ながらも自治が認め
られていましたから、名目上の王がいたのです。この町は彼が
別荘を構えるために作ったような町です。
イエスはマタイ・マルコ・ルカ福音書によるとガリラヤ地方の町しか伝道していないように書かれ
ていますが、ティベリアには寄った形跡がありません。
ヨハネの福音書だけが、この間、何かの祭りがある度、イエスが何度かガリラヤとイスラエルの間を
往復したことを語っています。
地図でガリラヤとユダヤと書かれている地方がユダヤ人の住む地区です。その間にあるサマリア
という地方は、なぜか聖書では悪人扱いされています。ユダヤ人から毛嫌いされています。もしか
してサマリア人とはユダヤ人と考え方も違う、イエスの死後にできるイスラム教徒になるべき人たち
だったのでしょうか。
ガリラヤ地方の人々というのは、ユダヤ地方より一段と民族意識が高い人たちなのです。イエスの
生前、および死後にローマ帝国に対する反乱が起きました。そういったことを念頭に置いていれば、
ローマに頭を下げている与党のファリサイ派やサドカイ派が、いかにガリラヤおよびイエスを警戒
していたかが理解できます。
また聖書というのも、イエス死後の反乱が鎮圧された直後に書かれています。特にマタイ・マルコ・
ルカ福音書は反乱鎮圧直後、西暦60〜70年代に、イエスの言行録やイエスを見たと言う人の証言、
ガリラヤ地方に残るイエス伝説を元に、イエスを直接見聞したことの無い作家が書きました。
ただしマルコの福音書の作者だけは、イエスに一緒に付き従った民衆の一人だろうという説も
あります。いずれにしろ、ガリラヤ反乱騒動の直後ですからローマ人への配慮があったことで
しょう。肝心な所がぼかされている形跡があります。
ヨハネ福音書はさらに後の西暦95〜100年に書かれましたから、ややユダヤ人の本音が語られている
部分もあります。それもオブラートで包んでありますが。
(つづく)
カファルナウムです。ガリラヤ湖のほとりにティベリアという
町がありますが、ここは時のイスラエルの王ヘロデが作った
ローマ風の町です。イスラエルは名目上ながらも自治が認め
られていましたから、名目上の王がいたのです。この町は彼が
別荘を構えるために作ったような町です。
イエスはマタイ・マルコ・ルカ福音書によるとガリラヤ地方の町しか伝道していないように書かれ
ていますが、ティベリアには寄った形跡がありません。
ヨハネの福音書だけが、この間、何かの祭りがある度、イエスが何度かガリラヤとイスラエルの間を
往復したことを語っています。
地図でガリラヤとユダヤと書かれている地方がユダヤ人の住む地区です。その間にあるサマリア
という地方は、なぜか聖書では悪人扱いされています。ユダヤ人から毛嫌いされています。もしか
してサマリア人とはユダヤ人と考え方も違う、イエスの死後にできるイスラム教徒になるべき人たち
だったのでしょうか。
ガリラヤ地方の人々というのは、ユダヤ地方より一段と民族意識が高い人たちなのです。イエスの
生前、および死後にローマ帝国に対する反乱が起きました。そういったことを念頭に置いていれば、
ローマに頭を下げている与党のファリサイ派やサドカイ派が、いかにガリラヤおよびイエスを警戒
していたかが理解できます。
また聖書というのも、イエス死後の反乱が鎮圧された直後に書かれています。特にマタイ・マルコ・
ルカ福音書は反乱鎮圧直後、西暦60〜70年代に、イエスの言行録やイエスを見たと言う人の証言、
ガリラヤ地方に残るイエス伝説を元に、イエスを直接見聞したことの無い作家が書きました。
ただしマルコの福音書の作者だけは、イエスに一緒に付き従った民衆の一人だろうという説も
あります。いずれにしろ、ガリラヤ反乱騒動の直後ですからローマ人への配慮があったことで
しょう。肝心な所がぼかされている形跡があります。
ヨハネ福音書はさらに後の西暦95〜100年に書かれましたから、ややユダヤ人の本音が語られている
部分もあります。それもオブラートで包んでありますが。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。久しぶりにナザレに帰ったイエスは
安息日(土曜日)に会堂に行きました。彼は聖書朗読を託され
イザヤ書の巻物が渡されました。そこに次の言葉を見たのです。
主の霊が私におられる。
貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。
イエスは巻物を巻いて席に座りました。『この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にした時、実現し
た』とイエスは言います。その時、会堂はどよめきました。ある者は『大工のこせがれがあんなに
権威あるように話すとは』と驚き、『あんな偉そうにしているが、私はあの者の母親や従兄弟を知っ
ているぞ』と言います。これらはスパイたちが民衆を扇動するために言ったのかも知れません。でも
イエスの真意は、この聖書の言葉に神の愛が、自由な神の愛があることを教えたかったのです。
またイエスは妙な言葉を言い出すのです『カファルナウムで私がいろいろ行ったのだから、私の故
郷であるこの地でも何かしてくれと、あなたがたは言うだろう。しかし預言者という者は故郷では
歓迎されないものだ。エリアは…イスラエルに重い皮膚病を患っている人が多くいたが…誰も清く
されなかった』。この言葉を聞いた民衆は怒ってイエスを崖から突き落とそうとしますが、彼はスル
リと人々の怒りをかわし、ナザレから立ち去ったのです。
聖書の中にはイエスの奇跡物語が数多く出て来ますが、聖書作家が聖書に忍ばせた何げないこの文章
が、実際の人間イエスを表現しているのではないでしょうか。愛の神を説くだけで、奇跡も起こせな
いイエス。貧しい人々の期待に応えられず、じっと彼らの手を握り締めることしかできないイエス。
民衆は彼に民族独立のリーダーを期待しますが、彼の真意はあくまでも『神の愛』の証明なのです。
こんなこともありました。久しぶりにナザレに帰ったイエスは
安息日(土曜日)に会堂に行きました。彼は聖書朗読を託され
イザヤ書の巻物が渡されました。そこに次の言葉を見たのです。
主の霊が私におられる。
貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。
イエスは巻物を巻いて席に座りました。『この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にした時、実現し
た』とイエスは言います。その時、会堂はどよめきました。ある者は『大工のこせがれがあんなに
権威あるように話すとは』と驚き、『あんな偉そうにしているが、私はあの者の母親や従兄弟を知っ
ているぞ』と言います。これらはスパイたちが民衆を扇動するために言ったのかも知れません。でも
イエスの真意は、この聖書の言葉に神の愛が、自由な神の愛があることを教えたかったのです。
またイエスは妙な言葉を言い出すのです『カファルナウムで私がいろいろ行ったのだから、私の故
郷であるこの地でも何かしてくれと、あなたがたは言うだろう。しかし預言者という者は故郷では
歓迎されないものだ。エリアは…イスラエルに重い皮膚病を患っている人が多くいたが…誰も清く
されなかった』。この言葉を聞いた民衆は怒ってイエスを崖から突き落とそうとしますが、彼はスル
リと人々の怒りをかわし、ナザレから立ち去ったのです。
聖書の中にはイエスの奇跡物語が数多く出て来ますが、聖書作家が聖書に忍ばせた何げないこの文章
が、実際の人間イエスを表現しているのではないでしょうか。愛の神を説くだけで、奇跡も起こせな
いイエス。貧しい人々の期待に応えられず、じっと彼らの手を握り締めることしかできないイエス。
民衆は彼に民族独立のリーダーを期待しますが、彼の真意はあくまでも『神の愛』の証明なのです。
私たちは、友達や恋人、家族に対して甘えているのかも知れません。身近であればあるほど、気安く
ものが言えるでしょう。でもあなたのその一言が、もしかして相手を傷つけているかも知れません。
一日の終わりに今日の出来事を思い返し、何か悪い言動でも思い当たれば、電話なりメールなりで
一言『さっきは俺、変な事を言ったみたいだけど、そんなつもりで言ったんじゃないんだ』と言いま
しょう。この一言が相手を癒し、あなたもまた後悔が残らず癒されるのです。
(つづく)
ものが言えるでしょう。でもあなたのその一言が、もしかして相手を傷つけているかも知れません。
一日の終わりに今日の出来事を思い返し、何か悪い言動でも思い当たれば、電話なりメールなりで
一言『さっきは俺、変な事を言ったみたいだけど、そんなつもりで言ったんじゃないんだ』と言いま
しょう。この一言が相手を癒し、あなたもまた後悔が残らず癒されるのです。
(つづく)
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こんなこともありました。イエスがある人の家で説教している時
— そこにはガリラヤの村を始め、ユダヤの村やエルサレムから
来たファリサイ派や律法学者がいたのですが — 大勢の病人が
やって来てイエスに癒されていました。
そこに中風で動けない男をベッドに寝かせたまま運んできた人々が
いたのですが、あまり大勢の人が家の中に居たので入れないのです。
そこで思い余って、屋根に上り、瓦をはがして屋根から病人をイエスの前に吊り降ろしました。イエ
スはそれらの人々の信仰を見て、この病人に『あなたの罪は赦された』と言ったのです。
ところがファリサイ派や律法学者の連中はイエスに難癖をつけるのです。『これは神を冒涜する行為
だ。神のほかに、誰が罪を赦すことができようか』。イエスは言い返します。『あなたの罪は赦され
た、と言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらが簡単か』(もちろん、あなたの罪は赦されたと言
う方が簡単ですよね、言うだけなら誰にでもできますから)。
そしてイエスは病人に『起きて歩け』と言いました。すると病人は即座に立ち上がり、ベッドを担い
で神を賛美しながら帰って行きました。イエスはファリサイ派や律法学者の更に上を実行して、彼ら
の鼻を明かしたというわけです。
これは奇跡物語そのものより、本人の信仰ではなく、病人を運んできた人々の瓦をはがしてまでもイ
エスの癒しに与ろうとする信仰の深さも大事だということを私たちに教えます。信仰を持つものは、
例え赤の他人といえど、また他宗教の者に対しても、平安を祈る気持ちを持たなければいけないので
しょう。自分の愛する者を、神のみ手に委ねことが必要なのです。
(つづく)
こんなこともありました。イエスがある人の家で説教している時
— そこにはガリラヤの村を始め、ユダヤの村やエルサレムから
来たファリサイ派や律法学者がいたのですが — 大勢の病人が
やって来てイエスに癒されていました。
そこに中風で動けない男をベッドに寝かせたまま運んできた人々が
いたのですが、あまり大勢の人が家の中に居たので入れないのです。
そこで思い余って、屋根に上り、瓦をはがして屋根から病人をイエスの前に吊り降ろしました。イエ
スはそれらの人々の信仰を見て、この病人に『あなたの罪は赦された』と言ったのです。
ところがファリサイ派や律法学者の連中はイエスに難癖をつけるのです。『これは神を冒涜する行為
だ。神のほかに、誰が罪を赦すことができようか』。イエスは言い返します。『あなたの罪は赦され
た、と言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらが簡単か』(もちろん、あなたの罪は赦されたと言
う方が簡単ですよね、言うだけなら誰にでもできますから)。
そしてイエスは病人に『起きて歩け』と言いました。すると病人は即座に立ち上がり、ベッドを担い
で神を賛美しながら帰って行きました。イエスはファリサイ派や律法学者の更に上を実行して、彼ら
の鼻を明かしたというわけです。
これは奇跡物語そのものより、本人の信仰ではなく、病人を運んできた人々の瓦をはがしてまでもイ
エスの癒しに与ろうとする信仰の深さも大事だということを私たちに教えます。信仰を持つものは、
例え赤の他人といえど、また他宗教の者に対しても、平安を祈る気持ちを持たなければいけないので
しょう。自分の愛する者を、神のみ手に委ねことが必要なのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。イエスたちが歩いているとマタイと
いう徴税人が収税所に座っていました。イエスが『私に従いな
さい』と言うと、マタイは(あのペトロやアンデレと同じよう
に)何もかも投げ捨ててイエスに従いました。
前に言ったかも知れませんが、徴税人というのは、侵略者ローマ
帝国のためにという名目で、人々から金を徴収するから卑しいの
です。その何割かをふところに入れて生活しているのですから、世間の嫌われ者です。
マタイは喜んで、自分の家にイエスとその弟子たちを招待して大宴会を開いてくれました。しかし
ファリサイ派や律法学者の連中は、また難癖をつけるのです。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪
人と一緒に飲んだり食べたりするのか』と。
イエスは答えます。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは正しい
人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』。
人を裁くな、そうすればあなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな、そうすればあなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい、そうすればあなたがたも赦される。
(つづく)
こんなこともありました。イエスたちが歩いているとマタイと
いう徴税人が収税所に座っていました。イエスが『私に従いな
さい』と言うと、マタイは(あのペトロやアンデレと同じよう
に)何もかも投げ捨ててイエスに従いました。
前に言ったかも知れませんが、徴税人というのは、侵略者ローマ
帝国のためにという名目で、人々から金を徴収するから卑しいの
です。その何割かをふところに入れて生活しているのですから、世間の嫌われ者です。
マタイは喜んで、自分の家にイエスとその弟子たちを招待して大宴会を開いてくれました。しかし
ファリサイ派や律法学者の連中は、また難癖をつけるのです。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪
人と一緒に飲んだり食べたりするのか』と。
イエスは答えます。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは正しい
人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』。
人を裁くな、そうすればあなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな、そうすればあなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい、そうすればあなたがたも赦される。
(つづく)
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私は>>119で嘘を書いてしまいました。イエスはご自身では
洗礼を授けてはいません。これは弟子(おそらく洗礼者ヨハ
ネの所から付き従った者)たちがやっていたことだと、ヨハ
ネ福音書4章は述べています。イエスはユダヤ地方にも伝道に
行ったのですが、イエスが洗礼者ヨハネより大勢の人々を弟子
にしているという噂がファリサイ派の耳にも入ったのを知ると、
身の危険を感じてガリラヤへ引き返しました。この時、通常の
ユダヤ人ならヨルダン川沿いを歩くのですが、追っ手を恐れた
ためか、あえてユダヤ人の嫌うサマリア地方を行く道を選んだのです。
サマリア地方のシカルという町で、イエスは井戸のそばで疲れて休んでいました。時は正午ごろで
暑かったでしょう。そこにサマリア人の女が水を汲みに来たのです。イエスは女に『水を飲ませて
ください』と言いました。弟子たちは皆、町に食料を買いに行っていて、イエスと女の二人だけが
いました。
女は『ユダヤ人のあなたが、(ユダヤ人の嫌う)サマリア人の私に水が欲しいと頼むのですか』と
最初は相手にしないのですが、だんだん打ち解けて行きます。そして女は言います。『主よ、あな
たは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はあの山(ゲリジム山)を礼拝しましたが、ユダヤ
人はエルサレムを礼拝します。どちらが本当でしょうか』。
イエスは言います。『あなたがたは、あの山でもエルサレムでもない地で、父を礼拝する時が来る。
霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。それは今だ』。
女は驚いて言いました。『私はキリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています』。
イエスは言います。『それは私だ』。
私は>>119で嘘を書いてしまいました。イエスはご自身では
洗礼を授けてはいません。これは弟子(おそらく洗礼者ヨハ
ネの所から付き従った者)たちがやっていたことだと、ヨハ
ネ福音書4章は述べています。イエスはユダヤ地方にも伝道に
行ったのですが、イエスが洗礼者ヨハネより大勢の人々を弟子
にしているという噂がファリサイ派の耳にも入ったのを知ると、
身の危険を感じてガリラヤへ引き返しました。この時、通常の
ユダヤ人ならヨルダン川沿いを歩くのですが、追っ手を恐れた
ためか、あえてユダヤ人の嫌うサマリア地方を行く道を選んだのです。
サマリア地方のシカルという町で、イエスは井戸のそばで疲れて休んでいました。時は正午ごろで
暑かったでしょう。そこにサマリア人の女が水を汲みに来たのです。イエスは女に『水を飲ませて
ください』と言いました。弟子たちは皆、町に食料を買いに行っていて、イエスと女の二人だけが
いました。
女は『ユダヤ人のあなたが、(ユダヤ人の嫌う)サマリア人の私に水が欲しいと頼むのですか』と
最初は相手にしないのですが、だんだん打ち解けて行きます。そして女は言います。『主よ、あな
たは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はあの山(ゲリジム山)を礼拝しましたが、ユダヤ
人はエルサレムを礼拝します。どちらが本当でしょうか』。
イエスは言います。『あなたがたは、あの山でもエルサレムでもない地で、父を礼拝する時が来る。
霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。それは今だ』。
女は驚いて言いました。『私はキリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています』。
イエスは言います。『それは私だ』。
イエスが自分をメシアだと告白したのは、聖書の
全ページを見渡してもほとんどありません。ここ
とフィリポ・カイサリヤ地方でペトロが『あなたは
メシア』と言ったことにイエスが満足したという個
所くらいでしょうか。
ペトロの場合はイスラエル解放者としてのメシアと勘違いしていたようですから、そういった
意味ではこの箇所が唯一だと言えるでしょう。
イエスはメシアかと尋ねられると、たいてい無言で無視するか激しく否定します。それが、こ
のユダヤ人の嫌うサマリア人の女には打ち明けたという所に、何か不思議さを感じます。
あとこの板に関して苦言を呈したいのは、聖書の聖句をもてあそんでいるスレがあることですね。
聖書は先達が書いた偉大な物語なのですから、その聖句がどんな状況で発せられたかわからなければ
意味がありません。意味不明な小説なんて読みたくないでしょう?
カトリック信徒としては聖書への冒涜が残念でなりません。
(つづく)
全ページを見渡してもほとんどありません。ここ
とフィリポ・カイサリヤ地方でペトロが『あなたは
メシア』と言ったことにイエスが満足したという個
所くらいでしょうか。
ペトロの場合はイスラエル解放者としてのメシアと勘違いしていたようですから、そういった
意味ではこの箇所が唯一だと言えるでしょう。
イエスはメシアかと尋ねられると、たいてい無言で無視するか激しく否定します。それが、こ
のユダヤ人の嫌うサマリア人の女には打ち明けたという所に、何か不思議さを感じます。
あとこの板に関して苦言を呈したいのは、聖書の聖句をもてあそんでいるスレがあることですね。
聖書は先達が書いた偉大な物語なのですから、その聖句がどんな状況で発せられたかわからなければ
意味がありません。意味不明な小説なんて読みたくないでしょう?
カトリック信徒としては聖書への冒涜が残念でなりません。
(つづく)
閑話休題。
私はカトリック司祭(たぶん大多数)が、閣僚の靖国神社
参拝と憲法九条改正に反対するのを悲しく思います。
彼らは言います。
『靖国神社は宗教法人としての法人格を有し、中身もれっきと
した宗教団体であるならば、誰を祀ろうと、それは信教の自由
だから、文句をつけるべきものでは無い』…と一定の理解は示しますが、そこから飛躍して、
『ではなぜ国内外の心ある方は、閣僚や政治家の靖国参拝に異議を唱えるのでしょう。
それはその参拝という純粋であるべき行動に、何か純粋でない下心を読み取るからではないで
しょうか』・・・と。
その下心とは憲法九条の改正です。私たちカトリック信徒は、
『この下心を見破り、戦争のできない国こそ普通の健全な国なのだということを、納得いくように
説明できる発想と理論を構築しなければならない』・・・と。
広島に落とされた原子爆弾を遠くから撮影したという写真家の言葉を引用して『悔しいけれど、
あのきのこ雲はとてもきれいでした』と、戦争という行為が美化される危険性があると煽り、あ
たかも現在の与党がすぐにでもどこかの国と戦争を始めるように脅します。
『哀悼の意を表すことがなぜ悪いという、とても普遍的(カトリック)正論の陰に、全く普遍的
ではない自分の国だけという排除の論理を潜ませ、よってもって政治道徳を踏みにじっている』。
この論法は一見とても正しい信仰者のあるべき姿のように見えますが、『心ある方は、閣僚や政
治家の靖国参拝に異議を唱える』という個所から、我々信徒を誤った考え方に導こうとする悪意の
誘導が感じられます。心ある方は閣僚や政治家の靖国参拝に賛成し、むしろ称賛すると思います。
私はカトリック司祭(たぶん大多数)が、閣僚の靖国神社
参拝と憲法九条改正に反対するのを悲しく思います。
彼らは言います。
『靖国神社は宗教法人としての法人格を有し、中身もれっきと
した宗教団体であるならば、誰を祀ろうと、それは信教の自由
だから、文句をつけるべきものでは無い』…と一定の理解は示しますが、そこから飛躍して、
『ではなぜ国内外の心ある方は、閣僚や政治家の靖国参拝に異議を唱えるのでしょう。
それはその参拝という純粋であるべき行動に、何か純粋でない下心を読み取るからではないで
しょうか』・・・と。
その下心とは憲法九条の改正です。私たちカトリック信徒は、
『この下心を見破り、戦争のできない国こそ普通の健全な国なのだということを、納得いくように
説明できる発想と理論を構築しなければならない』・・・と。
広島に落とされた原子爆弾を遠くから撮影したという写真家の言葉を引用して『悔しいけれど、
あのきのこ雲はとてもきれいでした』と、戦争という行為が美化される危険性があると煽り、あ
たかも現在の与党がすぐにでもどこかの国と戦争を始めるように脅します。
『哀悼の意を表すことがなぜ悪いという、とても普遍的(カトリック)正論の陰に、全く普遍的
ではない自分の国だけという排除の論理を潜ませ、よってもって政治道徳を踏みにじっている』。
この論法は一見とても正しい信仰者のあるべき姿のように見えますが、『心ある方は、閣僚や政
治家の靖国参拝に異議を唱える』という個所から、我々信徒を誤った考え方に導こうとする悪意の
誘導が感じられます。心ある方は閣僚や政治家の靖国参拝に賛成し、むしろ称賛すると思います。
聖書の中に次のような話があります。
自分を正しい者だとうぬぼれて、他人を下に見るような者をいましめて
イエスは言います。『ファリサイ派の人と徴税人の人が、二人、祈るため
に神殿に上った。
ファリサイ派の人の人は心の中でこう祈った・・・神様、私は他の人のように、
他人の物を奪い取る者、不正な者、姦通を犯すような者でもなく、またこの
徴税人のような者でないことを感謝します。
ところが徴税人は祭壇から離れて立ち、伏し目がちに、胸を打ちながら言った…神よ、罪人の私を
憐れんでください。
言っておくが、義とされて帰ったのはこの徴税人であって、あのファリサイ派の人では無い。誰でも
高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高くされる』。
カトリックでは司祭が『全能の神と・・・』と言ったら続けて『兄弟の皆さんに告白します。私は思い、
言葉、行い、怠りによって、たびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟
の皆さん。罪深い私のために神に祈ってください』と祈ります。本来のラテン語の祈りでは、この間
に三度胸を叩いて『罪をくやみます』と言うことになっているそうです。これもこの逸話が元になっ
ているのでしょう。いずれにしろ、私には日本の司祭がこのファリサイ派の人のように思われます。
(つづく)
自分を正しい者だとうぬぼれて、他人を下に見るような者をいましめて
イエスは言います。『ファリサイ派の人と徴税人の人が、二人、祈るため
に神殿に上った。
ファリサイ派の人の人は心の中でこう祈った・・・神様、私は他の人のように、
他人の物を奪い取る者、不正な者、姦通を犯すような者でもなく、またこの
徴税人のような者でないことを感謝します。
ところが徴税人は祭壇から離れて立ち、伏し目がちに、胸を打ちながら言った…神よ、罪人の私を
憐れんでください。
言っておくが、義とされて帰ったのはこの徴税人であって、あのファリサイ派の人では無い。誰でも
高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高くされる』。
カトリックでは司祭が『全能の神と・・・』と言ったら続けて『兄弟の皆さんに告白します。私は思い、
言葉、行い、怠りによって、たびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟
の皆さん。罪深い私のために神に祈ってください』と祈ります。本来のラテン語の祈りでは、この間
に三度胸を叩いて『罪をくやみます』と言うことになっているそうです。これもこの逸話が元になっ
ているのでしょう。いずれにしろ、私には日本の司祭がこのファリサイ派の人のように思われます。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。あるファリサイ派の人の招待で、
イエスとその弟子たちがその人の食卓についていると、一人
の女が使用人たちの制止を振り切って入って来たのです。そ
の女は、石膏の壺に入った香油をイエスの足に塗ったのです。
彼女の目から涙があふれ、イエスの足を濡らしました。そして
自分の髪の毛でそっとイエスの足の涙をぬぐいました。
この女は罪深い女 — 売春婦 — なのです。ファリサイ派の人は思いました。『この人がまこと
の預言者なら、自分に触れている人が罪深い女だとわかるはずだ』。
しかしイエスは彼女の涙で全てを知りました。イエスは言います。『あなたの罪は赦された』。『こ
の人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛
することも少ない』。
イエスは優しいのです。突然入って来た女、その思いつめた目、そして彼の足を濡らした涙で、イエ
スはその女のかかえている悲しみをすべて知ったのです。女も好んで娼婦をしているわけではないで
しょう。彼女にはその仕事を選ばざるをえなかった多くの苦しみがあったわけです。
多く愛する者は多く赦される・・・愛の神を説くイエス。
でもローマ帝国を後ろ盾にしたファリサイ派などの人たちとの戦いは続きます。
(つづく)
こんなこともありました。あるファリサイ派の人の招待で、
イエスとその弟子たちがその人の食卓についていると、一人
の女が使用人たちの制止を振り切って入って来たのです。そ
の女は、石膏の壺に入った香油をイエスの足に塗ったのです。
彼女の目から涙があふれ、イエスの足を濡らしました。そして
自分の髪の毛でそっとイエスの足の涙をぬぐいました。
この女は罪深い女 — 売春婦 — なのです。ファリサイ派の人は思いました。『この人がまこと
の預言者なら、自分に触れている人が罪深い女だとわかるはずだ』。
しかしイエスは彼女の涙で全てを知りました。イエスは言います。『あなたの罪は赦された』。『こ
の人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛
することも少ない』。
イエスは優しいのです。突然入って来た女、その思いつめた目、そして彼の足を濡らした涙で、イエ
スはその女のかかえている悲しみをすべて知ったのです。女も好んで娼婦をしているわけではないで
しょう。彼女にはその仕事を選ばざるをえなかった多くの苦しみがあったわけです。
多く愛する者は多く赦される・・・愛の神を説くイエス。
でもローマ帝国を後ろ盾にしたファリサイ派などの人たちとの戦いは続きます。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。十二年も出血の止まらない難病を
抱えた女性がいました。彼女は全財産を医者に使ったのに治ら
なかったのです。そこにイエスと弟子たちが通りかかりました。
大勢の群衆がイエスを見ようと押しかけています。
するとこの女は、何とか自分の病から治りたい一心でイエスの服に
触れたのです。イエスは女の悲しみを一瞬に理解しました。彼は言
います。『私の服に触れた者がいる』。
ペトロが答えました。『先生、こんなにたくさんの人が居るのですから気のせいですよ』。
『いや、確かに触れた者がいる』。イエスが振り返ると、震えている女がそこにいました。彼は言い
ます。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』。
イエスは優しいのです。震える女の目、怯えた女の目を見てイエスは女の苦しみが全てわかりました。
実際のイエスはひざまずいている女に向き直り、じっと手を握ってあげたのでしょう。『そのひたむ
きさが、あなたを癒すのですよ』と優しく語りかけたのでしょう。
(つづく)
こんなこともありました。十二年も出血の止まらない難病を
抱えた女性がいました。彼女は全財産を医者に使ったのに治ら
なかったのです。そこにイエスと弟子たちが通りかかりました。
大勢の群衆がイエスを見ようと押しかけています。
するとこの女は、何とか自分の病から治りたい一心でイエスの服に
触れたのです。イエスは女の悲しみを一瞬に理解しました。彼は言
います。『私の服に触れた者がいる』。
ペトロが答えました。『先生、こんなにたくさんの人が居るのですから気のせいですよ』。
『いや、確かに触れた者がいる』。イエスが振り返ると、震えている女がそこにいました。彼は言い
ます。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』。
イエスは優しいのです。震える女の目、怯えた女の目を見てイエスは女の苦しみが全てわかりました。
実際のイエスはひざまずいている女に向き直り、じっと手を握ってあげたのでしょう。『そのひたむ
きさが、あなたを癒すのですよ』と優しく語りかけたのでしょう。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。ある安息日(土曜日)にイエスの一行が麦畑
を通りかかった時、弟子たちが麦の穂を摘み、指先でもんで食べだした
のです。これはファリサイ派などイエスを快く思っていない連中にとって
は良い口実です。彼らは律法の禁止事項『安息日に仕事をしてはならない』
を破っているのですから。
どれほど安息日がユダヤ人にとって重要か。これは21世紀の今でも、イスラエルでは安息日が守られ
ていることからもわかります。この日になると、高層ビルのエレベーターでも各階停止の自動運行に
なるのです(エレベーターのボタンを押すのが仕事として禁止されているからです)。ホテルでは食
事が出されず、列車も満足に運行されず、飛行機だって飛ばないことがあるのです。車の運転ももち
ろんだめですし、ボタンを押すのが禁止ですから、この日はテレビも見ることができません。
さすがに現在ではこれを守らない人たちも出てきているようですが、ほんの数十年前までは国際線の
ジェット機でさえ飛ばなかったのです。車を運転すると石を投げられたのです。律法を破ると石打の
死刑になるからです。ですからファリサイ派の人がすぐにイエスに論争を挑みます。
『見よ、あなたの弟子たちは安息日に禁止されていることをしている』。
イエスは言います。『安息日は人のために定められた。人が安息日にあるのではない』。
こんなこともありました。ある安息日(土曜日)にイエスの一行が麦畑
を通りかかった時、弟子たちが麦の穂を摘み、指先でもんで食べだした
のです。これはファリサイ派などイエスを快く思っていない連中にとって
は良い口実です。彼らは律法の禁止事項『安息日に仕事をしてはならない』
を破っているのですから。
どれほど安息日がユダヤ人にとって重要か。これは21世紀の今でも、イスラエルでは安息日が守られ
ていることからもわかります。この日になると、高層ビルのエレベーターでも各階停止の自動運行に
なるのです(エレベーターのボタンを押すのが仕事として禁止されているからです)。ホテルでは食
事が出されず、列車も満足に運行されず、飛行機だって飛ばないことがあるのです。車の運転ももち
ろんだめですし、ボタンを押すのが禁止ですから、この日はテレビも見ることができません。
さすがに現在ではこれを守らない人たちも出てきているようですが、ほんの数十年前までは国際線の
ジェット機でさえ飛ばなかったのです。車を運転すると石を投げられたのです。律法を破ると石打の
死刑になるからです。ですからファリサイ派の人がすぐにイエスに論争を挑みます。
『見よ、あなたの弟子たちは安息日に禁止されていることをしている』。
イエスは言います。『安息日は人のために定められた。人が安息日にあるのではない』。
私たちはよく、キリスト者は自由だと教えられますが、律法を踏まえた上での自由だということを忘
れてはいけません。例えば、自殺とか堕胎とか戦争とか、カトリックで禁止されていることは今でも
多くあります。一定のモラルをわきまえた上での自由です。
戦争といえば第二次大戦中、日本のカトリックの教会では戦勝祈願がなされていたということです。
ドイツのカトリック教会が反ナチスを唱えて多くの神父が収容所送りになっているにもかかわらずで
す。あきらかに日本のカトリック教会はモラルに反していたでしょう。そんな教会の司祭が(全員か
どうかはわかりませんが)今、憲法九条改正反対を叫ぶのですから、朝日新聞と似ていませんか?
(つづく)
れてはいけません。例えば、自殺とか堕胎とか戦争とか、カトリックで禁止されていることは今でも
多くあります。一定のモラルをわきまえた上での自由です。
戦争といえば第二次大戦中、日本のカトリックの教会では戦勝祈願がなされていたということです。
ドイツのカトリック教会が反ナチスを唱えて多くの神父が収容所送りになっているにもかかわらずで
す。あきらかに日本のカトリック教会はモラルに反していたでしょう。そんな教会の司祭が(全員か
どうかはわかりませんが)今、憲法九条改正反対を叫ぶのですから、朝日新聞と似ていませんか?
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは弟子たちの中から、これはと思う人を十二人、選びました。
これが最後の晩餐を共にした十二使徒です。この中には、あのガリラ
ヤ湖で漁師をしていたペトロも含まれます。ペトロは元々シモンとい
う名でしたが、この時イエスにペトロという名をいただきました。十
二使徒の中には、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれて
います。
そしてイエスは十二使徒を各地へ宣教に遣わすことにしました。その決まりはこうです(マルコ6-7)。
(1)二人づつ組になること。
(2)杖一本以外はパンも金も何も持ってはいけない。ただし履物は履いても良い。
(3)下着は1枚だけしか持ってはいけない。
(4)異邦人の所に行ってはならず、サマリア人の所に行ってもいけない(マタイ9-5)。
(5)『天の国は近づいた』と述べ伝えること。
(6)家に入ったら『主の平和』と挨拶する。もし受け入れられなければ足の埃を払って出てくる。
なぜサマリア人が駄目か謎です。イエス自身はサマリア人に好意を持っている様子があります>>132。
この宣教活動が成功したかどうかは聖書に記載がありません。たぶんうまく行かなかったのでしょう。
というのも、弟子たちは皆、イエスの説く愛の神がわからず、イエスをローマから解放してくれるメシ
アだと思っていたでしょうから。はたせるかな、この年の過越祭には、そんなメシアを待望する人たち
が、エルサレムの神殿では無くイエスの元に集まってしまったのです。
私たちはミサの間で、司祭が『互いに平和の挨拶をかわしましょう』と言われたら、合掌して周囲の人
たちに『主の平和』と言いながら挨拶します。親しい者の間のミサの場合は、横一列の者たちが(まる
で幼稚園児がお遊戯をするように)手をつないだりします。周りの人とハグをする国もあるそうです。
いずれの日にか、全人類が敵味方なく『主の平和』と挨拶できる日が来るのでしょうか。
(つづく)
イエスは弟子たちの中から、これはと思う人を十二人、選びました。
これが最後の晩餐を共にした十二使徒です。この中には、あのガリラ
ヤ湖で漁師をしていたペトロも含まれます。ペトロは元々シモンとい
う名でしたが、この時イエスにペトロという名をいただきました。十
二使徒の中には、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれて
います。
そしてイエスは十二使徒を各地へ宣教に遣わすことにしました。その決まりはこうです(マルコ6-7)。
(1)二人づつ組になること。
(2)杖一本以外はパンも金も何も持ってはいけない。ただし履物は履いても良い。
(3)下着は1枚だけしか持ってはいけない。
(4)異邦人の所に行ってはならず、サマリア人の所に行ってもいけない(マタイ9-5)。
(5)『天の国は近づいた』と述べ伝えること。
(6)家に入ったら『主の平和』と挨拶する。もし受け入れられなければ足の埃を払って出てくる。
なぜサマリア人が駄目か謎です。イエス自身はサマリア人に好意を持っている様子があります>>132。
この宣教活動が成功したかどうかは聖書に記載がありません。たぶんうまく行かなかったのでしょう。
というのも、弟子たちは皆、イエスの説く愛の神がわからず、イエスをローマから解放してくれるメシ
アだと思っていたでしょうから。はたせるかな、この年の過越祭には、そんなメシアを待望する人たち
が、エルサレムの神殿では無くイエスの元に集まってしまったのです。
私たちはミサの間で、司祭が『互いに平和の挨拶をかわしましょう』と言われたら、合掌して周囲の人
たちに『主の平和』と言いながら挨拶します。親しい者の間のミサの場合は、横一列の者たちが(まる
で幼稚園児がお遊戯をするように)手をつないだりします。周りの人とハグをする国もあるそうです。
いずれの日にか、全人類が敵味方なく『主の平和』と挨拶できる日が来るのでしょうか。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。律法学者がイエスに永遠の生命のために何を
すべきかを問いかけた時、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した
のです。律法学者が答えた内容は『神への愛と隣人への愛』ですが、イエス
は『正しい、その通りにしなさい、そうすれば生きる』と答えました。これ
について律法学者が『では隣人とは誰か』と重ねて尋ねました。というのは、
律法学者は律法に『隣人を愛し敵を憎め』と書いてあるのを知っているので
イエスを試そうとしたのです。有名な善きサマリア人の話です。
イエスは言います。『ある人がエルサレムからエリコ(>>126の地図でジェリコとなっている地)に向か
う道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていました。ユダヤ教の祭司が
通りかかったが、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にレビという神殿に仕事をする人が通り
かかったが、同じように道の向こう側を通って行ってしまいました。しかしあるサマリア人は(サマリア
人は>>126で書いたようにユダヤ人を毛嫌いしています)、この半死半生の人を助け、傷口の治療をした
ばかりでなく自分の馬にこの人を乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した立ち
去りました。もし足りなかったら帰りに立ち寄って払いますと言って』。
そして律法学者に対してイエスは言います。『この中で誰が怪我人の隣人でしょうか』。
律法学者は『助けた人(彼らが軽蔑しているサマリア人)です』と答えざるをえません。するとイエスは
『行って同じようにしなさい』と言いました。
慈しみと憐みを必要とする者には、それが誰であれ、人種の壁を越えて助けるように、愛をそそぐように
とイエスは教えるのです。
(つづく)
こんなこともありました。律法学者がイエスに永遠の生命のために何を
すべきかを問いかけた時、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した
のです。律法学者が答えた内容は『神への愛と隣人への愛』ですが、イエス
は『正しい、その通りにしなさい、そうすれば生きる』と答えました。これ
について律法学者が『では隣人とは誰か』と重ねて尋ねました。というのは、
律法学者は律法に『隣人を愛し敵を憎め』と書いてあるのを知っているので
イエスを試そうとしたのです。有名な善きサマリア人の話です。
イエスは言います。『ある人がエルサレムからエリコ(>>126の地図でジェリコとなっている地)に向か
う道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていました。ユダヤ教の祭司が
通りかかったが、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にレビという神殿に仕事をする人が通り
かかったが、同じように道の向こう側を通って行ってしまいました。しかしあるサマリア人は(サマリア
人は>>126で書いたようにユダヤ人を毛嫌いしています)、この半死半生の人を助け、傷口の治療をした
ばかりでなく自分の馬にこの人を乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した立ち
去りました。もし足りなかったら帰りに立ち寄って払いますと言って』。
そして律法学者に対してイエスは言います。『この中で誰が怪我人の隣人でしょうか』。
律法学者は『助けた人(彼らが軽蔑しているサマリア人)です』と答えざるをえません。するとイエスは
『行って同じようにしなさい』と言いました。
慈しみと憐みを必要とする者には、それが誰であれ、人種の壁を越えて助けるように、愛をそそぐように
とイエスは教えるのです。
(つづく)
今日は日曜だから働きません!!
ついに、イエスの噂はヘロデ王まで届きました。イスラエルは名目上
ながらローマ帝国から自治が認められていました。そしてガリラヤには
分国王のヘロデ・アンティパス王がいました。王というより領主という
立場でしょうか。
ヘロデ王は焦りました。『イエスは私が首をはねた、あのヨハネが生き返ったのだ』。
そうです。あの洗礼者ヨハネは、ヘロデの罪を糾弾して獄に繋がれたのです。罪と言うのは、ヘロデ
が、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことです。これはオスカー・ワイルドの戯曲や古
今の絵画の題材になったサロメの伝説です。
『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヨハネはヘロデ王を非難しました。
しかしこれは、ローマ帝国の傀儡である彼らに良い口実を与えたのです。彼らにとって危険な存在だっ
たヨハネはすぐに逮捕され獄に繋がれました。
ヘロディアはヨハネを殺すようヘロデ王に頼みましたが、ヘロデ王はこれを拒否しました。それは、
ヘロデ王がヨハネの教えを聞いて、これはもしかしたら正しい聖なる人なのではないか、と迷ったた
めです。彼の教えを聞いたヘロデ王は、彼を恐れ、保護し、その教えに当惑しながらも、なお喜んで
耳を傾けたのです。
しかし絶好のチャンスが訪れました。ヘロデ王の誕生パーティーが開かれることになり、高級官僚や
ガリラヤの有力者など、大勢が招待されました。そこにヘロディアの娘サロメが登場して踊ったので
す。そのあまりにエロい踊りにヘロデ王も賓客も大喜びしました。
(つづく)
ついに、イエスの噂はヘロデ王まで届きました。イスラエルは名目上
ながらローマ帝国から自治が認められていました。そしてガリラヤには
分国王のヘロデ・アンティパス王がいました。王というより領主という
立場でしょうか。
ヘロデ王は焦りました。『イエスは私が首をはねた、あのヨハネが生き返ったのだ』。
そうです。あの洗礼者ヨハネは、ヘロデの罪を糾弾して獄に繋がれたのです。罪と言うのは、ヘロデ
が、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことです。これはオスカー・ワイルドの戯曲や古
今の絵画の題材になったサロメの伝説です。
『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヨハネはヘロデ王を非難しました。
しかしこれは、ローマ帝国の傀儡である彼らに良い口実を与えたのです。彼らにとって危険な存在だっ
たヨハネはすぐに逮捕され獄に繋がれました。
ヘロディアはヨハネを殺すようヘロデ王に頼みましたが、ヘロデ王はこれを拒否しました。それは、
ヘロデ王がヨハネの教えを聞いて、これはもしかしたら正しい聖なる人なのではないか、と迷ったた
めです。彼の教えを聞いたヘロデ王は、彼を恐れ、保護し、その教えに当惑しながらも、なお喜んで
耳を傾けたのです。
しかし絶好のチャンスが訪れました。ヘロデ王の誕生パーティーが開かれることになり、高級官僚や
ガリラヤの有力者など、大勢が招待されました。そこにヘロディアの娘サロメが登場して踊ったので
す。そのあまりにエロい踊りにヘロデ王も賓客も大喜びしました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
そこでヘロデ王はサロメに言いました。『欲しい物があれば何でも
言いなさい。おまえにあげよう。もし望むならこの国の半分をやっ
ても良いぞ』。
それを聞いたサロメは母ヘロディアのところへ歩み寄り『お母様、
何をお願いしましょうか』と言うと母親は『洗礼者ヨハネの首を』と。
さっそくサロメは王のところに戻り『今すぐにヨハネの首を盆に載せていただきとうございます』と
言いました。ヘロデ王は言葉に窮しましたが、国の半分をやろうとまで誓った手前、また賓客たちの
手前、サロメの願いを退けることはできませんでした。
すぐに衛兵がヨハネの牢獄へ差し向けられ、ヨハネは直ちに首を切られ、その首は盆に載せられサロ
メへの褒美として渡されました。伝説などではその首を持ったサロメが前以上にエロっぽく踊るので
すが、いずれにしろこうして洗礼者ヨハネは世を去りました。
(つづく)
そこでヘロデ王はサロメに言いました。『欲しい物があれば何でも
言いなさい。おまえにあげよう。もし望むならこの国の半分をやっ
ても良いぞ』。
それを聞いたサロメは母ヘロディアのところへ歩み寄り『お母様、
何をお願いしましょうか』と言うと母親は『洗礼者ヨハネの首を』と。
さっそくサロメは王のところに戻り『今すぐにヨハネの首を盆に載せていただきとうございます』と
言いました。ヘロデ王は言葉に窮しましたが、国の半分をやろうとまで誓った手前、また賓客たちの
手前、サロメの願いを退けることはできませんでした。
すぐに衛兵がヨハネの牢獄へ差し向けられ、ヨハネは直ちに首を切られ、その首は盆に載せられサロ
メへの褒美として渡されました。伝説などではその首を持ったサロメが前以上にエロっぽく踊るので
すが、いずれにしろこうして洗礼者ヨハネは世を去りました。
(つづく)
神秘としての苦しみとは?
閑話休題、この板の『イエス・キリスト』スレで聖書の聖句が弄ばれているのが残念です。
例えば次の聖パウロの聖句を考えてみましょう。
そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを(ローマの信徒への手紙5-3)。
表面的に俯瞰すると、まずこの手紙の筆者は苦難を味わっています。苦難とは苦しみの状態です。
以前、『一足す一はいくつ?』とか『ピタゴラスの定理などを使って解決できる』質問は『問題』と
いうカテゴリーに属すと言いました。例えば投薬や手術で治る見込みのある病人なども医者にとっては
単なる『問題』です。
しかし『私は何者か?』という質問は『神秘』というカテゴリーに属すと言いました。『苦しみ』も
神秘に属します。神秘に属すものは、例えば、愛、自由、自然、存在(私はなぜ猫じゃない
のか?)、誕生(なぜ猫で無く人間に生まれてきたのか?)、生きる(私は何者か)、死、信仰、等。
神秘の次元のものを、問題の次元のように客体化しようという試みは無意味です。哲学者ならぬ
我々凡人には、逆立ちしても不可能でしょう。
まずこういった神秘に対峙する時、自分の限界を認めることが大切なのです。どうしようもない
苦しみに遭った時、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、新た
な段階へと踏み出せる・・・と聖パウロは言っているのです。
閑話休題、この板の『イエス・キリスト』スレで聖書の聖句が弄ばれているのが残念です。
例えば次の聖パウロの聖句を考えてみましょう。
そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを(ローマの信徒への手紙5-3)。
表面的に俯瞰すると、まずこの手紙の筆者は苦難を味わっています。苦難とは苦しみの状態です。
以前、『一足す一はいくつ?』とか『ピタゴラスの定理などを使って解決できる』質問は『問題』と
いうカテゴリーに属すと言いました。例えば投薬や手術で治る見込みのある病人なども医者にとっては
単なる『問題』です。
しかし『私は何者か?』という質問は『神秘』というカテゴリーに属すと言いました。『苦しみ』も
神秘に属します。神秘に属すものは、例えば、愛、自由、自然、存在(私はなぜ猫じゃない
のか?)、誕生(なぜ猫で無く人間に生まれてきたのか?)、生きる(私は何者か)、死、信仰、等。
神秘の次元のものを、問題の次元のように客体化しようという試みは無意味です。哲学者ならぬ
我々凡人には、逆立ちしても不可能でしょう。
まずこういった神秘に対峙する時、自分の限界を認めることが大切なのです。どうしようもない
苦しみに遭った時、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、新た
な段階へと踏み出せる・・・と聖パウロは言っているのです。
ルサンチマンの捉え方
苦しみという神秘の場合、往々にして周囲の人や物(たとえば不治の病)に対して敵意や恨みを持ち
ます。敵意や恨み、すなわち『ルサンチマン』は、スケープゴート(いけにえの子羊)を要求します。
例えば『誰も俺のことを分かってくれない』とか『藪医者だから病気が治らない』とか。
苦しみをルサンチマンとしてではなく、苦しみをあくまで神秘として、あるがままに受け入れる
という謙虚な姿勢が必要だということを、この文章から得なければならないのです。このように読
めば、聖書が単なる線香臭い書物では無く、現代にも十分通用する示唆に富む書物であることが
おわかりいただけるのではないでしょうか。
もちろん、私たちはこの苦難が初期の教会の産みの苦しみだという事を知っています。聖パウロは
ユダヤ教の専門家でありながらユダヤ教を乗り越え、さらにイエスまでも乗り越えたのですから
苦難もあったでしょう。それをルサンチマンとしてではなく、キリスト教の希望へと昇華している
点に彼の偉大さが見えます。今日のキリスト教は、イエスの教えを直接聞いた愛弟子によるのでは
なく、聖パウロのような当時のインテリが創り出したといっても過言ではありません。
苦しみという神秘の場合、往々にして周囲の人や物(たとえば不治の病)に対して敵意や恨みを持ち
ます。敵意や恨み、すなわち『ルサンチマン』は、スケープゴート(いけにえの子羊)を要求します。
例えば『誰も俺のことを分かってくれない』とか『藪医者だから病気が治らない』とか。
苦しみをルサンチマンとしてではなく、苦しみをあくまで神秘として、あるがままに受け入れる
という謙虚な姿勢が必要だということを、この文章から得なければならないのです。このように読
めば、聖書が単なる線香臭い書物では無く、現代にも十分通用する示唆に富む書物であることが
おわかりいただけるのではないでしょうか。
もちろん、私たちはこの苦難が初期の教会の産みの苦しみだという事を知っています。聖パウロは
ユダヤ教の専門家でありながらユダヤ教を乗り越え、さらにイエスまでも乗り越えたのですから
苦難もあったでしょう。それをルサンチマンとしてではなく、キリスト教の希望へと昇華している
点に彼の偉大さが見えます。今日のキリスト教は、イエスの教えを直接聞いた愛弟子によるのでは
なく、聖パウロのような当時のインテリが創り出したといっても過言ではありません。
なんの脈絡も説明もなく、聖書のある個所だけを『意図的に』抜き出して提示する行為は
キリスト教の聖典である聖書を冒涜する行為だと言わざるを得ません。例えば、
神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行なわせてくださるのです。 フィリピ2:13
この文章にどんな意味を見出せばよいのでしょうか…?
こういうキリスト教を冒涜する行為は糾弾されなければなりません。
キリスト教の聖典である聖書を冒涜する行為だと言わざるを得ません。例えば、
神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、
事を行なわせてくださるのです。 フィリピ2:13
この文章にどんな意味を見出せばよいのでしょうか…?
こういうキリスト教を冒涜する行為は糾弾されなければなりません。
私のブログにようこそ、先を急がないとダメですね!!
イエスが伝道を始めて半年が過ぎたでしょうか。多くても1年は
たっていません。その年の過越祭が近づいて来たのです。それは
年によって違うのですが、たいてい4月に行われます。これは昔々、
エジプトに捕えられていたユダヤ人たちが、モーセの導きによっ
てエジプトを脱出したという出来事を記念として行われるもので、
ユダヤ人の愛国心が最高に高まる祭りです。
過越祭には子羊がいけにえに供されます。一家の家長が子羊を連れて会堂に行き、中庭で動脈を切りま
す。あふれ出た血は祭司が集め祭壇にそそぎます。また家の戸口にも付けます。たいてい祭壇には白い
テーブルクロスと二本の蝋燭がつきものですが、この日ばかりは白いテーブルクロスが真っ赤に染まっ
たことでしょう。
『神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおしてお捧げするいけにえ
をお受けください』と私たちカトリックはミサでお祈りしますが、血の臭いの立ち込める聖堂で、いけ
にえの子羊があげる断末魔の悲鳴が絶え間なく響く聖堂で、彼らもこのような祈りをしたのでしょうか。
この子羊は過越祭のご馳走となるのです。またパン種の入っていない、発酵していないパンを食べます。
そのためパンが誤って発酵しないように、発酵した食品を一掃する大掃除が何日も前から行われます。
今日、私たちカトリックでは、ミサの中でこのパンをご聖体としていただきます。それは(名古屋の方
ならご存知なのですが)坂角のえびせんべいの味無し版と言ったらよいでしょうか。
(つづく)
イエスが伝道を始めて半年が過ぎたでしょうか。多くても1年は
たっていません。その年の過越祭が近づいて来たのです。それは
年によって違うのですが、たいてい4月に行われます。これは昔々、
エジプトに捕えられていたユダヤ人たちが、モーセの導きによっ
てエジプトを脱出したという出来事を記念として行われるもので、
ユダヤ人の愛国心が最高に高まる祭りです。
過越祭には子羊がいけにえに供されます。一家の家長が子羊を連れて会堂に行き、中庭で動脈を切りま
す。あふれ出た血は祭司が集め祭壇にそそぎます。また家の戸口にも付けます。たいてい祭壇には白い
テーブルクロスと二本の蝋燭がつきものですが、この日ばかりは白いテーブルクロスが真っ赤に染まっ
たことでしょう。
『神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおしてお捧げするいけにえ
をお受けください』と私たちカトリックはミサでお祈りしますが、血の臭いの立ち込める聖堂で、いけ
にえの子羊があげる断末魔の悲鳴が絶え間なく響く聖堂で、彼らもこのような祈りをしたのでしょうか。
この子羊は過越祭のご馳走となるのです。またパン種の入っていない、発酵していないパンを食べます。
そのためパンが誤って発酵しないように、発酵した食品を一掃する大掃除が何日も前から行われます。
今日、私たちカトリックでは、ミサの中でこのパンをご聖体としていただきます。それは(名古屋の方
ならご存知なのですが)坂角のえびせんべいの味無し版と言ったらよいでしょうか。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
熱心なユダヤ人たちはエルサレムに巡礼するのですが、この年ばかりは
大勢の愛国心に燃えたユダヤ人たちが、イスラエル各地からイエスの元
に集まって来ました。十二使徒の誤った教えからでしょうか。彼らは皆、
イエスをメシア=ローマ帝国からの解放者と思っていたのです。聖書は
そんな人々が五千人に及んだといいます。
そんな愛国心に燃えた大勢の群衆を引き連れてイエスは山に登りました。そしていつものごとく説教を
したのです。これが聖書の最初のクライマックス、山上の説教です。
『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。
そして五千人をパンと魚でもてなしました。しかし愛国心に燃えた彼らがそんな説教で納得するはずは
ありません。イエスは人々が自分を王(メシア)に担ぎ上げようとしているのを知ると、ひとりで山に
逃げました(ヨハネ6-15)。
翌日も群衆はイエスを探します。そしてイエスと群衆の白熱した様子をヨハネ福音書だけが書いていま
す。
(つづく)
熱心なユダヤ人たちはエルサレムに巡礼するのですが、この年ばかりは
大勢の愛国心に燃えたユダヤ人たちが、イスラエル各地からイエスの元
に集まって来ました。十二使徒の誤った教えからでしょうか。彼らは皆、
イエスをメシア=ローマ帝国からの解放者と思っていたのです。聖書は
そんな人々が五千人に及んだといいます。
そんな愛国心に燃えた大勢の群衆を引き連れてイエスは山に登りました。そしていつものごとく説教を
したのです。これが聖書の最初のクライマックス、山上の説教です。
『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。
そして五千人をパンと魚でもてなしました。しかし愛国心に燃えた彼らがそんな説教で納得するはずは
ありません。イエスは人々が自分を王(メシア)に担ぎ上げようとしているのを知ると、ひとりで山に
逃げました(ヨハネ6-15)。
翌日も群衆はイエスを探します。そしてイエスと群衆の白熱した様子をヨハネ福音書だけが書いていま
す。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは言います(ヨハネ6-26)。『あなたがたが私を探した
のは、「しるし」を見たからではなく、パンを食べて満腹した
からだ。朽ちる食べ物のためではなく、永遠に生きる食べ物の
ために働きなさい。このために父なる神が私をお遣わしになっ
たのだ。霊的に生きなさい。神の業(わざ)を行いなさい』。
群衆たちは言います。『神の業とは何ですか』。
イエスは答えます。『神がお遣わしになった者を信じること…それが神の業だ』。
群衆は食い下がります。『では私たちが信じられるよう、あなたの言う「しるし」を見せてください。
私たちユダヤ人の祖先たちが砂漠でさまよっている時、モーセは天からのパンを彼らに与えました。あ
なたも私たちにパンを出してください。モーセのように永遠にパンを出してください』。
イエスは答えます。『私が命のパンなのです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じ
る者は決して渇きません。私が天から降って来たのは私利私欲を行うためではなく、私をお遣わしになっ
た神のみ心を行うためです。(私はあなたの腹を満たすために来たのではなく、心を満たすために来た
のです)』。
すると群衆に動揺が走りました。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷
い事を言い出すとは』。
イエスは言います。『信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先は荒れ野でモーセからいただいた
パンを食べましたが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食
べる者は永遠に死にません。私が与えるパンというのは、世を生かすための私自身の肉です』。
イエスは言います(ヨハネ6-26)。『あなたがたが私を探した
のは、「しるし」を見たからではなく、パンを食べて満腹した
からだ。朽ちる食べ物のためではなく、永遠に生きる食べ物の
ために働きなさい。このために父なる神が私をお遣わしになっ
たのだ。霊的に生きなさい。神の業(わざ)を行いなさい』。
群衆たちは言います。『神の業とは何ですか』。
イエスは答えます。『神がお遣わしになった者を信じること…それが神の業だ』。
群衆は食い下がります。『では私たちが信じられるよう、あなたの言う「しるし」を見せてください。
私たちユダヤ人の祖先たちが砂漠でさまよっている時、モーセは天からのパンを彼らに与えました。あ
なたも私たちにパンを出してください。モーセのように永遠にパンを出してください』。
イエスは答えます。『私が命のパンなのです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じ
る者は決して渇きません。私が天から降って来たのは私利私欲を行うためではなく、私をお遣わしになっ
た神のみ心を行うためです。(私はあなたの腹を満たすために来たのではなく、心を満たすために来た
のです)』。
すると群衆に動揺が走りました。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷
い事を言い出すとは』。
イエスは言います。『信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先は荒れ野でモーセからいただいた
パンを食べましたが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食
べる者は永遠に死にません。私が与えるパンというのは、世を生かすための私自身の肉です』。
群衆はさらに動揺します。『自分の肉を食べろとは、
そんなことができるだろうか』。
イエスはなおも言います。『私の肉を食べ、血を飲ま
なければ、あなたがたは霊的に生きることはできません。
私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を得るのです。
繰り返し言いますが、私は天から降ったパンなのです。
私たちの祖先たちが食べたけど皆、死んでしまった、そんなパンとは違います。私というパンを食
べる者は永遠に生きるのです』。
これはイエスがいつもカファルナウムの会堂で説いている話ですが、これを聞いた大勢の人々や弟子たち
は、(ああこれは私たちの期待するメシアでは無いなと)あきれて去って行きました(ヨハネ6-66)。
(つづく)
そんなことができるだろうか』。
イエスはなおも言います。『私の肉を食べ、血を飲ま
なければ、あなたがたは霊的に生きることはできません。
私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を得るのです。
繰り返し言いますが、私は天から降ったパンなのです。
私たちの祖先たちが食べたけど皆、死んでしまった、そんなパンとは違います。私というパンを食
べる者は永遠に生きるのです』。
これはイエスがいつもカファルナウムの会堂で説いている話ですが、これを聞いた大勢の人々や弟子たち
は、(ああこれは私たちの期待するメシアでは無いなと)あきれて去って行きました(ヨハネ6-66)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。
山上に集まった人々だけでなく、それまで弟子として従っていた多くの者たちも去って行きました。彼ら
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
(つづく)
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。
ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。
最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。
もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。
今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。
『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。
イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。
ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。
ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。
最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。
もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。
今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。
『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。
イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。
『それでは、あなたがたは私を何者だと言うか』。
ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。
しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。
だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。
そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。
(つづく)
ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。
しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。
だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。
そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。
いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。
しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。
これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。
ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。
こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。
(つづく)
それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。
いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。
しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。
これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。
ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。
こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。
しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。
仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。
ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。
それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。
この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。
イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。
(つづく)
エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。
しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。
仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。
ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。
それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。
この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。
イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。
(つづく)
今日8月29日は洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。その様は>>144のとおりです。
洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。
私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。
仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。
まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。
洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。
私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。
仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。
まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。
削除
私のブログにようこそ!!
次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。
神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。
『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。
彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。
『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。
女は言いました。『主よ、誰もいません』。
イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。
こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。
イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。
(つづく)
次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。
神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。
『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。
彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。
『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。
女は言いました。『主よ、誰もいません』。
イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。
こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。
イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。
『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。
私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。
私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。
私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。
私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。
誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。
生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。
(つづく)
イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。
『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。
私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。
私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。
私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。
私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。
誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。
生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。
『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。
『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。
『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。
これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。
平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。
(つづく)
イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。
『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。
『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。
『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。
これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。
平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。
するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。
そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。
『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。
(つづく)
こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。
するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。
そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。
『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。
(つづく)
隔離されたら、これだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ
私のブログにようこそ!!
さて、いよいよクライマックスの始まりです。
イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。
しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。
この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。
過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。
さて、いよいよクライマックスの始まりです。
イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。
しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。
この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。
過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。
この時、イエスが弟子たちを連れて、『ヨルダン川の向こう側、
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。
イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。
『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。
『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。
(つづく)
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。
イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。
『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。
『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。
その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。
他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。
そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。
群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。
まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。
その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。
他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。
そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。
群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。
また以前と同じように律法学者やファリサイ派の人々が、
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。
また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。
カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。
これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。
しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。
(つづく)
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。
また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。
カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。
これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。
しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
(つづく)
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
(つづく)
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
ベタニアに一泊した次の日(月曜日)、イエスは不思議な言動を
します。弟子の二人に命じて、言いました(マルコ11-1)。
『向こうの村に行きなさい。その村にはまだ誰も乗ったことの無い
子ロバがいます。それを連れて来なさい』。
弟子たちがその村に行くと、確かに表通りに子ロバがつないであり
ます。これだと思い、綱をほどいていると、人々が見とがめました。
『その子ロバをほどいてどうするのか』。弟子はイエスに教えられたとおり答えます。
『主がお入り用なのです、すぐお返しします』。見とがめた人も悟りました。ユダヤ人はたいてい敬虔なユダ
ヤ教徒ですから、メシアがロバに乗って来るというゼカリヤ書を知っていたはずです。すぐ了承しました。
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝
利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカリヤ書9‐9)。
弟子たちが子ろばを連れて来て、その上に自分の衣服をかけると、イエスはそれに乗りました。イエスに付い
て来た大群衆も自分の服を脱いでイエスの歩む道に敷きます。イエスを取り巻く大群衆は叫びます。
『聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高き所にホザンナ。
誉むべきかな、主の名によりて来たる者、天のいと高き所にホザンナ』。
ベタニアに一泊した次の日(月曜日)、イエスは不思議な言動を
します。弟子の二人に命じて、言いました(マルコ11-1)。
『向こうの村に行きなさい。その村にはまだ誰も乗ったことの無い
子ロバがいます。それを連れて来なさい』。
弟子たちがその村に行くと、確かに表通りに子ロバがつないであり
ます。これだと思い、綱をほどいていると、人々が見とがめました。
『その子ロバをほどいてどうするのか』。弟子はイエスに教えられたとおり答えます。
『主がお入り用なのです、すぐお返しします』。見とがめた人も悟りました。ユダヤ人はたいてい敬虔なユダ
ヤ教徒ですから、メシアがロバに乗って来るというゼカリヤ書を知っていたはずです。すぐ了承しました。
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝
利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカリヤ書9‐9)。
弟子たちが子ろばを連れて来て、その上に自分の衣服をかけると、イエスはそれに乗りました。イエスに付い
て来た大群衆も自分の服を脱いでイエスの歩む道に敷きます。イエスを取り巻く大群衆は叫びます。
『聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高き所にホザンナ。
誉むべきかな、主の名によりて来たる者、天のいと高き所にホザンナ』。
ベタニアからエルサレムへ至る道は、オリーブ畑という地を
通ります。そこにはオリーブ山という、山というよりむしろ
丘があります。このオリーブ山はイエスらがたびたび野宿して
いる、彼らに馴染みの場所です>>160。オリーブ山の麓には搾
油所(ゲッセマネ)があります。
オリーブ山を過ぎるとすぐにエルサレムが現れます。こうして
イエスはエルサレムに入城しました。エルサレムという聖都は周囲を城壁で囲まれているのです。
だから文字通りの入城です。エルサレムには、ナザレのイエスというメシアが来るという話を知ら
ない者たちもいました。
『いったいこれは、どういうお方だ』。大群衆は答えます。『この方はガリラヤのナザレから来た
預言者だ』。予言者はユダヤから出るものと決まっているのに、よりによって辺鄙なガリラヤとは…
と人々は思ったでしょう(マタイ21-10)。
イエスはこの日、神殿の境内に入って辺りの様子を見まわった後、またベタニアに帰りました。そう
です文字通り威厳をもって辺りを睨みつけたのです。大祭司カイアファらに対する威嚇でしょうか。
この日、イエスと弟子たちはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました。
(つづく)
通ります。そこにはオリーブ山という、山というよりむしろ
丘があります。このオリーブ山はイエスらがたびたび野宿して
いる、彼らに馴染みの場所です>>160。オリーブ山の麓には搾
油所(ゲッセマネ)があります。
オリーブ山を過ぎるとすぐにエルサレムが現れます。こうして
イエスはエルサレムに入城しました。エルサレムという聖都は周囲を城壁で囲まれているのです。
だから文字通りの入城です。エルサレムには、ナザレのイエスというメシアが来るという話を知ら
ない者たちもいました。
『いったいこれは、どういうお方だ』。大群衆は答えます。『この方はガリラヤのナザレから来た
預言者だ』。予言者はユダヤから出るものと決まっているのに、よりによって辺鄙なガリラヤとは…
と人々は思ったでしょう(マタイ21-10)。
イエスはこの日、神殿の境内に入って辺りの様子を見まわった後、またベタニアに帰りました。そう
です文字通り威厳をもって辺りを睨みつけたのです。大祭司カイアファらに対する威嚇でしょうか。
この日、イエスと弟子たちはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました。
(つづく)
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さてベタニアに一泊した次の日(火曜日)、イエスと弟子たちはまた
エルサレムの神殿にやって来ました。そして乱暴狼藉を働くのです。
両替商人の台、鳩を売り買いしている商人の腰掛、あらゆる商人たちの
商売道具をひっくり返したのです(マルコ11-15)。
イエスは言います。『私の家は、すべての国の人の、祈りの家である。それをあなたたちは強盗の巣にしてし
まった』。あなたたちとは大祭司カイアファらです。大祭司らは商人から寺銭を取って稼いでいましたから、
これはあからさまな挑発です。
祭司長たちや律法学者はこの言動を見てイエスを如何に殺そうかと図りました。しかし大勢の群衆がイエスた
ち一行に群れていたので手出しできませんでした。
この日もイエスはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました(マタイ21-17)。
(つづく)
さてベタニアに一泊した次の日(火曜日)、イエスと弟子たちはまた
エルサレムの神殿にやって来ました。そして乱暴狼藉を働くのです。
両替商人の台、鳩を売り買いしている商人の腰掛、あらゆる商人たちの
商売道具をひっくり返したのです(マルコ11-15)。
イエスは言います。『私の家は、すべての国の人の、祈りの家である。それをあなたたちは強盗の巣にしてし
まった』。あなたたちとは大祭司カイアファらです。大祭司らは商人から寺銭を取って稼いでいましたから、
これはあからさまな挑発です。
祭司長たちや律法学者はこの言動を見てイエスを如何に殺そうかと図りました。しかし大勢の群衆がイエスた
ち一行に群れていたので手出しできませんでした。
この日もイエスはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました(マタイ21-17)。
(つづく)
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さて次の日(水曜日)、イエスと弟子たちはエルサレム
の神殿でファリサイ派や律法学者と論争をして過ごしま
した。体制側は何とかイエスの逮捕の証拠を得ようとす
るのです。
大群衆が取り囲んでいる中で彼らはイエスに論争を挑みます。『皇帝に税金を納めるのは、律法にかなってい
ますか。納めるべきですか。納めなくてもいい金ですか』(マタイ12-13)。
もしイエスが、税金を納めるべきだ…と言えば大群衆は失望するでしょう。納めなくても良い…と答えれば
ローマへの反逆罪で逮捕できます。イエスは答えます。
『その貨幣には誰の肖像が彫られているか』。ファリサイ派は答えます『皇帝です』。
するとイエスは『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返そう』と名言を残しました。
しかしイエスはこの日、大きな失言をしてしまいました。神殿を出て行くとき弟子が『先生、なんとすばらし
い石、なんとすばらしい神殿でしょう』と言ったのに対し、イエスは『この大きな神殿も、石も、崩壊する時
が来る』と言ったのです。これは完全な神殿侮辱罪です。イエスの周りにいた大群衆の中には、体制側のスパ
イもいましたから、彼らは大祭司の元に走ったでしょう。でもこれを聞いた大祭司たちは『群衆が暴動を起こ
すといけないので、過越祭が終わるまで逮捕は待とう』と思いました(マルコ14-1)。
この神殿は、実際、西暦70年にローマ軍の攻撃により炎上崩壊しました。福音書の作家はこれを知っていて書
いていることは明らかです。だからこのイエスの予言伝説は創作されたものと言えるでしょう。今現在、この
神殿跡は一部が残っていて、嘆きの壁としてエルサレムの名所になっています。
イエス一行はこの日は野宿したのでしょうか。
(つづく)
さて次の日(水曜日)、イエスと弟子たちはエルサレム
の神殿でファリサイ派や律法学者と論争をして過ごしま
した。体制側は何とかイエスの逮捕の証拠を得ようとす
るのです。
大群衆が取り囲んでいる中で彼らはイエスに論争を挑みます。『皇帝に税金を納めるのは、律法にかなってい
ますか。納めるべきですか。納めなくてもいい金ですか』(マタイ12-13)。
もしイエスが、税金を納めるべきだ…と言えば大群衆は失望するでしょう。納めなくても良い…と答えれば
ローマへの反逆罪で逮捕できます。イエスは答えます。
『その貨幣には誰の肖像が彫られているか』。ファリサイ派は答えます『皇帝です』。
するとイエスは『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返そう』と名言を残しました。
しかしイエスはこの日、大きな失言をしてしまいました。神殿を出て行くとき弟子が『先生、なんとすばらし
い石、なんとすばらしい神殿でしょう』と言ったのに対し、イエスは『この大きな神殿も、石も、崩壊する時
が来る』と言ったのです。これは完全な神殿侮辱罪です。イエスの周りにいた大群衆の中には、体制側のスパ
イもいましたから、彼らは大祭司の元に走ったでしょう。でもこれを聞いた大祭司たちは『群衆が暴動を起こ
すといけないので、過越祭が終わるまで逮捕は待とう』と思いました(マルコ14-1)。
この神殿は、実際、西暦70年にローマ軍の攻撃により炎上崩壊しました。福音書の作家はこれを知っていて書
いていることは明らかです。だからこのイエスの予言伝説は創作されたものと言えるでしょう。今現在、この
神殿跡は一部が残っていて、嘆きの壁としてエルサレムの名所になっています。
イエス一行はこの日は野宿したのでしょうか。
(つづく)
削除(by投稿者)
私のブログにようこそ!!
さて次の日(木曜日)、この日は除酵祭(じょこうさい)と
いって、発酵する食品を全て家庭から取り除く日です。過越
祭の期間中(それは一週間続きます)はパン種の入っていな
いパンを食べなければならないので、誤ってパンが発酵しな
いようにするためです。
また過越祭を明日に控え、いけにえの子羊を午後に殺すのです。大勢の人々が子羊をかかえて神殿に集まり、
神殿からは子羊の苦痛にうめく声と人々の祈りの声が響き渡り、ユダヤ人の愛国心を高揚させます。人々は
子羊の血を自分の家の戸にも塗りつけます。弟子たちは言います。『先生、過越祭の食事はどこに用意しま
しょうか』(マルコ14-12)。
ここでひとこと。ユダヤ教でもキリスト教でも一日の区切りは日没です。例えば12月24日の夜(クリスマス
イブ)は12月25日が始まる、まさに聖なる夜そのものなのです。だから前夜祭という日本語訳は間違いです。
カトリックでは日曜日(主日と呼びます)のミサを重視しますが、この主日のミサの第一回も土曜日の18時
から行われます。
そんなわけで、弟子たちが言った過越祭の食事というのは、日没後の金曜日を指しているわけです。時は西
暦30年。この年の過越祭は14日か15日だったそうです。過越祭の食事はユダヤ人にとって最も重要な宗教的
食事です。その感覚は、日本の正月、まさにおせち料理といえるでしょう。
ただし、決まった料理を決まった順に食べて行くのです。おせち料理みたいに適当に突っつくというわけに
は行きません。で、弟子たちの『先生、過越祭の食事はどこに用意しましょうか』の質問に対して、イエス
は、もうそれは用意されていると言います。弟子たちが行ってみると、(たぶん)豪邸の二階に大広間が準
備されていました。エルサレムの有力者がイエスたちに提供したのでしょうか。
さて次の日(木曜日)、この日は除酵祭(じょこうさい)と
いって、発酵する食品を全て家庭から取り除く日です。過越
祭の期間中(それは一週間続きます)はパン種の入っていな
いパンを食べなければならないので、誤ってパンが発酵しな
いようにするためです。
また過越祭を明日に控え、いけにえの子羊を午後に殺すのです。大勢の人々が子羊をかかえて神殿に集まり、
神殿からは子羊の苦痛にうめく声と人々の祈りの声が響き渡り、ユダヤ人の愛国心を高揚させます。人々は
子羊の血を自分の家の戸にも塗りつけます。弟子たちは言います。『先生、過越祭の食事はどこに用意しま
しょうか』(マルコ14-12)。
ここでひとこと。ユダヤ教でもキリスト教でも一日の区切りは日没です。例えば12月24日の夜(クリスマス
イブ)は12月25日が始まる、まさに聖なる夜そのものなのです。だから前夜祭という日本語訳は間違いです。
カトリックでは日曜日(主日と呼びます)のミサを重視しますが、この主日のミサの第一回も土曜日の18時
から行われます。
そんなわけで、弟子たちが言った過越祭の食事というのは、日没後の金曜日を指しているわけです。時は西
暦30年。この年の過越祭は14日か15日だったそうです。過越祭の食事はユダヤ人にとって最も重要な宗教的
食事です。その感覚は、日本の正月、まさにおせち料理といえるでしょう。
ただし、決まった料理を決まった順に食べて行くのです。おせち料理みたいに適当に突っつくというわけに
は行きません。で、弟子たちの『先生、過越祭の食事はどこに用意しましょうか』の質問に対して、イエス
は、もうそれは用意されていると言います。弟子たちが行ってみると、(たぶん)豪邸の二階に大広間が準
備されていました。エルサレムの有力者がイエスたちに提供したのでしょうか。
そして日が暮れ、最後の晩餐がとうとう始まりました。
時間は午後7時くらいでしょうか。私たちはレオナルド
ダビンチの最後の晩餐の絵からのイメージか、イエスと
十二使徒が静かな空間で粛々と食事をしたかのように錯
覚してしまいますが、実際はそんなはずがありません。
十二使徒の他に大勢の弟子がいますし、十二使徒にも弟子がついています(マルコの福音書を書いたマルコは
ペトロの弟子です)。聖なる食事ですから彼らが除外されるはずはありません。またイエスを『メシアだ』、
『ホザンナ!!』と叫んで取り巻いていた群衆も忘れてはいけません。たぶん彼らの中から有力者が代表とし
て何人も出席していたでしょう。家の周りは『我等のメシア』『ダビデの子』と叫ぶ群衆が取り巻く、そんな
喧騒の中での食事です。彼らは食事中にイエスが何を宣言するか固唾を飲んで見守ったことでしょう。
がしかし、イエスは意外な事を言い出します。『十二使徒の中に私を裏切る者がいるだろう』。十二使徒は動
揺します。『まさか私のことでは』。『いや、もうその者は決まっている。私を裏切るその者は不幸だ』。
もちろん、私たちはイスカリオテのユダが裏切り者だと知っています。果たして本当でしょうか・・・
(つづく)
時間は午後7時くらいでしょうか。私たちはレオナルド
ダビンチの最後の晩餐の絵からのイメージか、イエスと
十二使徒が静かな空間で粛々と食事をしたかのように錯
覚してしまいますが、実際はそんなはずがありません。
十二使徒の他に大勢の弟子がいますし、十二使徒にも弟子がついています(マルコの福音書を書いたマルコは
ペトロの弟子です)。聖なる食事ですから彼らが除外されるはずはありません。またイエスを『メシアだ』、
『ホザンナ!!』と叫んで取り巻いていた群衆も忘れてはいけません。たぶん彼らの中から有力者が代表とし
て何人も出席していたでしょう。家の周りは『我等のメシア』『ダビデの子』と叫ぶ群衆が取り巻く、そんな
喧騒の中での食事です。彼らは食事中にイエスが何を宣言するか固唾を飲んで見守ったことでしょう。
がしかし、イエスは意外な事を言い出します。『十二使徒の中に私を裏切る者がいるだろう』。十二使徒は動
揺します。『まさか私のことでは』。『いや、もうその者は決まっている。私を裏切るその者は不幸だ』。
もちろん、私たちはイスカリオテのユダが裏切り者だと知っています。果たして本当でしょうか・・・
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
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この時、イスカリオテのユダが突然、席を蹴ったのです。
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
ちょうどその時刻、『バラバを釈放しろ』と叫ぶ群衆に
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
200まであとちょっとだ頑張れ
私のブログにようこそ!!
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
あと10ちょいでsaroがでてきたらおもしろいのにな
SAROは明和から消えたね
寂しい限りだわ
寂しい限りだわ
削除
今日9月3日は聖グレゴリオ(グレゴリウスとも)一世の記念日です。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
しかしイエスは黙秘権を使い何も話そうとしません。イエスはヘロデ王
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
ピラトはもう一度イエスを尋問します。『お前はやはり王なのか』(ヨハネ18-37)。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
祭司長たちの答えはこうです。『もし、この男を釈放するなら、
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
イエスの他にも政治犯が二人、十字架を背負わされて歩きます(ルカ23-32)。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか、
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
そして週の初めの日、すなわち日曜日の早朝、日が出るとすぐ
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
日曜日にイエスが復活されたことにより、今や全世界で日曜日がお休みの
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
ユダを欠いた十一使徒も、この日曜日にエルサレムを脱出できな
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
乙!
引っ越さずもう終わりにしとけw
引っ越さずもう終わりにしとけw
まだ続きが書けるのね。まだこの時点でイエスはキリストにはなっていません。
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
削除
ルドルフ・カール・ブルトマンという二十世紀を代表するドイツの新約
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
ところでルカによるとイエスの最後の言葉はこうです。『父よ、私の霊をみ手にゆだねます』。
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
今日9月10日は、日本205殉教者の記念日です。彼らは安土桃山時代から
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
マリアは途方にくれました。『貯金もあまりないと言うのに、私は
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
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