で、そのつづき・・・と。
それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。
イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。
そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。
ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。
その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。
だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。
(つづく)
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