祭司長たちの答えはこうです。『もし、この男を釈放するなら、
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
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