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聖書 Part4


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478 2010/09/08(水) 17:37:21 ID:0or4dWP6Po
ここで一つ、「聖書」という言葉の語源を明確にしておこう。

(原文)「開元十八年、侍中裴光庭、兼吏部尚書、始作循資格。
而賢愚一概、必與格合、乃得銓授、限年躡級、不得踰越。於是久淹不收者皆便之、謂之聖書」
(読み下し)「開元十八年、侍中の裴光庭、吏部尚書を兼ぬ、資格に循いて始作す。
賢愚を一概にし、必ず格と與に合わしめ、乃ち銓授を得、年に限り級を躡わしめ、
踰越を得ず。是れに於て久淹し收めざる者は皆な之れを便り、之れを聖書と謂う」
(訳文)「開元十八年、宮廷の侍中で吏部尚書(文官の叙勲を司る記録部の長官)を兼ねる裴光庭が、資格に則って叙勲の
仕事を始めた。賢明であった者も愚昧であった者もみなおしなべて取り上げ、それぞれの格の上下に合わせて叙勲を選び授け、
年功に限って等級にも従わしめ、決して本分を超えさせるようなことがなかった。そのためこの功績を久しく称え続けて
お蔵入りもさせぬようにする人々が相次ぎ、彼らは皆その公正な評価尺度に頼り、本人が記録した書類を『聖書』と呼んだ」
(中国正史「新唐書」巻四十五・志第三十五・選舉下より)

この部分の代表的な訓点には和刻本正史版と大漢和辞典版があるが、上は両者の折衷での読み下しになっている。
中国宋代の大文筆家欧陽脩によって撰述され、嘉祐六年(西暦1060年)に正立した中国正史「新唐書」の一節で、
開元十八年(西暦730年)に、侍中兼吏部尚書の裴光庭による叙勲関係の記録書類が秀逸であったために「聖書」と呼ばれている。
これが「聖書」という言葉の起源で、新旧約聖書が漢訳で初めて「神天聖書」と名づけられた1823年よりも763年も古い。
ここから「聖人が書いた書物」という意味での「聖書」という言葉が成立したために、国語辞典などでも両者の意味が
併記される場合は、「キリスト教の聖典」という意味よりも先に「聖人が書いた書物」という意味の説明がほぼ必ず載せられている。

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