人間という生き物は醜い(特に外見) 東洋的審美眼の真骨頂
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近ごろ、各地の博物館や刀剣店などを巡って各種の名刀を目にしてるんだが、
人の命を奪う道具である刀がかくも美しいのはなぜかという疑問を
考え抜くに至って勘付いたのが、「人間が醜い生き物だから」ということだ。
心ではない。心は美しい場合も醜い場合もあるが、外見のほうは一貫して醜い。
一般に、美男とか美女とか言われてる人間がいるのは、ただ単に性的魅力が強いから
なだけであって、普遍的な審美眼に基づくならそれらも単なる薄毛のサルに過ぎない。
にもかかわらず、性的魅力と普遍的な美しさを倒錯して心焦がした時に初めて、
人は心までもが醜くなる。愛欲を持つこと自体は人の常だが、それが
審美眼を損ねるような事態にまで陥ることこそが致命的に問題となるのであり、
それこそを防ぎ止めるために昔の日本人も刀という、人の命を断ち切る道具の
美術工芸的な洗練に執拗に取り組んでいたのではないかと思われるのである。
人の命を奪う道具である刀がかくも美しいのはなぜかという疑問を
考え抜くに至って勘付いたのが、「人間が醜い生き物だから」ということだ。
心ではない。心は美しい場合も醜い場合もあるが、外見のほうは一貫して醜い。
一般に、美男とか美女とか言われてる人間がいるのは、ただ単に性的魅力が強いから
なだけであって、普遍的な審美眼に基づくならそれらも単なる薄毛のサルに過ぎない。
にもかかわらず、性的魅力と普遍的な美しさを倒錯して心焦がした時に初めて、
人は心までもが醜くなる。愛欲を持つこと自体は人の常だが、それが
審美眼を損ねるような事態にまで陥ることこそが致命的に問題となるのであり、
それこそを防ぎ止めるために昔の日本人も刀という、人の命を断ち切る道具の
美術工芸的な洗練に執拗に取り組んでいたのではないかと思われるのである。
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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q30868508...
日刀保の鑑定書付きの、真物らしき井上真改。
(鬼平が凶悪な強盗強姦殺人犯を斬首に処したことで有名な刀)
古研ぎで肌荒れが強いが、それでも地鉄と刃鉄の黒白がクッキリと分かれているし、
上の尻懸ほどではないにしろ映りも出ている。江戸後期の新々刀には、
全体を焼き入れ過ぎて地鉄まで白っぽくなっているものが多く、そういう刀は
曲がりづらい代わりに折れやすい傾向があるが、これはそのような心配もない。
鎬地の幅が広くて鎬が高いものが多いのが江戸時代の刀の特徴だが、
これを含めて井上真改は特にその傾向が強い。そのため、
刀身の強度が高くて相手の刀を鎬で受けることにも長ける一方で、切れ味はやや落ちる。
同じ江戸時代の刀工である虎徹や忠吉が切れ味でも最上大業物に認定されている一方、
井上真改が4ランク中最低の業物に指定されているのもこれが原因と思われる。
日刀保の鑑定書付きの、真物らしき井上真改。
(鬼平が凶悪な強盗強姦殺人犯を斬首に処したことで有名な刀)
古研ぎで肌荒れが強いが、それでも地鉄と刃鉄の黒白がクッキリと分かれているし、
上の尻懸ほどではないにしろ映りも出ている。江戸後期の新々刀には、
全体を焼き入れ過ぎて地鉄まで白っぽくなっているものが多く、そういう刀は
曲がりづらい代わりに折れやすい傾向があるが、これはそのような心配もない。
鎬地の幅が広くて鎬が高いものが多いのが江戸時代の刀の特徴だが、
これを含めて井上真改は特にその傾向が強い。そのため、
刀身の強度が高くて相手の刀を鎬で受けることにも長ける一方で、切れ味はやや落ちる。
同じ江戸時代の刀工である虎徹や忠吉が切れ味でも最上大業物に認定されている一方、
井上真改が4ランク中最低の業物に指定されているのもこれが原因と思われる。
ただ、こういう刀は斬撃時の圧力が高くて三つ胴や四つ胴のような記録を出しにくい代わりに、
刃筋が勝手に通るので力任せに振ってもある程度は切れるという特徴も持ち合わせている。
正宗や郷義弘を真似た高温焼き入れで、刃鉄の硬さも最高度まで高めている。
(鍛え割れの出やすい焼き入れ方法だが、そのような瑕疵も見られない)
その上で切りやすく、折れにくく、鎬で敵の刀を受けることにも長けているということは、
激戦での実用に大変向いた作り込みになっているということである。
(品質ははるかに劣るが、軍刀も形だけはこれを真似ている場合が多い)
刀がサブウェポンかつ首刈り道具だった戦国時代までではなく、
メインウェポンとなった江戸時代だからこその、刀でのより本格的な戦闘を想定した作り込み。
刀は、何も切れ味ばかりが機能性ではないことをよく体現しているといえる。
そしてそこにはまた、切れ味を重視した刀とは別個の美しさがある。
表面上だけではなく、内実から滲み出る美しさに心酔すれば、もう後には戻れない。
刃筋が勝手に通るので力任せに振ってもある程度は切れるという特徴も持ち合わせている。
正宗や郷義弘を真似た高温焼き入れで、刃鉄の硬さも最高度まで高めている。
(鍛え割れの出やすい焼き入れ方法だが、そのような瑕疵も見られない)
その上で切りやすく、折れにくく、鎬で敵の刀を受けることにも長けているということは、
激戦での実用に大変向いた作り込みになっているということである。
(品質ははるかに劣るが、軍刀も形だけはこれを真似ている場合が多い)
刀がサブウェポンかつ首刈り道具だった戦国時代までではなく、
メインウェポンとなった江戸時代だからこその、刀でのより本格的な戦闘を想定した作り込み。
刀は、何も切れ味ばかりが機能性ではないことをよく体現しているといえる。
そしてそこにはまた、切れ味を重視した刀とは別個の美しさがある。
表面上だけではなく、内実から滲み出る美しさに心酔すれば、もう後には戻れない。
新々刀にしたって、新撰組が多用していたような刺突攻撃でブレや曲がりが
生じないようにするために全体の焼き入れを強めにしていたのだから、全くの無意味ではない。
鎌倉時代から幕末までの武家時代において、刀剣は確かに「用の美」を極めた。
馬上からの切りつけを第一に想定した鎌倉期の太刀から、
外の物(アウトレンジ武器)の戦法と共に次々と移り変わっていった室町期以降の古刀に、
諸手刀法の変遷に基づいて徐々に形を変えていった江戸期の新刀や新々刀と、
それぞれがそれぞれの時代に即した最上級の機能美を湛えている。
故に「古刀こそは最高」「刀の序列はあくまで古刀>新刀>新々刀」などという、
おおむねの刀剣愛好家が同意する主張もさほどあてにはならない。
生じないようにするために全体の焼き入れを強めにしていたのだから、全くの無意味ではない。
鎌倉時代から幕末までの武家時代において、刀剣は確かに「用の美」を極めた。
馬上からの切りつけを第一に想定した鎌倉期の太刀から、
外の物(アウトレンジ武器)の戦法と共に次々と移り変わっていった室町期以降の古刀に、
諸手刀法の変遷に基づいて徐々に形を変えていった江戸期の新刀や新々刀と、
それぞれがそれぞれの時代に即した最上級の機能美を湛えている。
故に「古刀こそは最高」「刀の序列はあくまで古刀>新刀>新々刀」などという、
おおむねの刀剣愛好家が同意する主張もさほどあてにはならない。
ただ、武家時代が終わって廃刀が強いられた明治以降となると、話は変わる。
近代までは、軍刀が機甲戦闘に見合わない無用の長物の飾り物として疎まれながら
なんとか残存したが、当然そこに武用のための刀の進化などがありはしない。
(強いて言えば取り回しがいいように六尺強までの短寸が好まれた程度)
現代以降はさらに刀の実用の場がなくなり、ヤクザの抗争でなければ武道練習目的のみとなった。
その武道練習も居合用の細身か試斬用の幅広ばかりが好まれて、いずれも実戦の用には耐えない。
耐えないだけでなく実際、見た目にも美しいものではない。できる限り実戦に近い稽古を
目的とした剣道がGHQの強制で形骸化されたために、刀剣が用の美に即する希望も全く絶えた。
今でも、美麗な刀剣の作成を心がけている刀鍛冶はいるが、そういう流派ほど昔の名刀の
忠実な再現ばかりを志している始末。それも技術の保存のためにやっておくに越したことはない
ことではあるが、武家時代の有機的な刀剣の進化醸成と比べればいささかと言わず心もとない。
刀剣美はもはや、過去の遺物であろうか。
だったらそれに変わるほどの機能美があってもらいたいものだが、
残念ながら一つも見つからない。ということは、時代も劣化しているということであり、
民主主義なぞで世の中がより良くなったなどという考えも虚妄に過ぎないわけである。
近代までは、軍刀が機甲戦闘に見合わない無用の長物の飾り物として疎まれながら
なんとか残存したが、当然そこに武用のための刀の進化などがありはしない。
(強いて言えば取り回しがいいように六尺強までの短寸が好まれた程度)
現代以降はさらに刀の実用の場がなくなり、ヤクザの抗争でなければ武道練習目的のみとなった。
その武道練習も居合用の細身か試斬用の幅広ばかりが好まれて、いずれも実戦の用には耐えない。
耐えないだけでなく実際、見た目にも美しいものではない。できる限り実戦に近い稽古を
目的とした剣道がGHQの強制で形骸化されたために、刀剣が用の美に即する希望も全く絶えた。
今でも、美麗な刀剣の作成を心がけている刀鍛冶はいるが、そういう流派ほど昔の名刀の
忠実な再現ばかりを志している始末。それも技術の保存のためにやっておくに越したことはない
ことではあるが、武家時代の有機的な刀剣の進化醸成と比べればいささかと言わず心もとない。
刀剣美はもはや、過去の遺物であろうか。
だったらそれに変わるほどの機能美があってもらいたいものだが、
残念ながら一つも見つからない。ということは、時代も劣化しているということであり、
民主主義なぞで世の中がより良くなったなどという考えも虚妄に過ぎないわけである。
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実用刀の雄として名高い肥後同田貫も、やはり鎬地が広くて刃筋を通しやすい造りになっている。
美術的価値が低いとは言われているが、諸手刀法での戦闘を念頭に置いた上であれば、
井上真改などと同じくまた格別の美しさを帯びたものであるように見受けられる。
兼元や兼定に代表される美濃伝の刀にも似た傾向があり、まさに「武骨の美」とでも言うべき。
殊更にうわべの美しさばかりが愛でられる現代においては格下の扱いを受けやすい部類だが、
本来、刀はそういった着実さと共に美しさまでもが昇華されて行くべきなのである。
美しさで最高峰の扱いを受けている備前刀なども、太刀としての実用性を極めようとしたが故の結実なのだし。
実用刀の雄として名高い肥後同田貫も、やはり鎬地が広くて刃筋を通しやすい造りになっている。
美術的価値が低いとは言われているが、諸手刀法での戦闘を念頭に置いた上であれば、
井上真改などと同じくまた格別の美しさを帯びたものであるように見受けられる。
兼元や兼定に代表される美濃伝の刀にも似た傾向があり、まさに「武骨の美」とでも言うべき。
殊更にうわべの美しさばかりが愛でられる現代においては格下の扱いを受けやすい部類だが、
本来、刀はそういった着実さと共に美しさまでもが昇華されて行くべきなのである。
美しさで最高峰の扱いを受けている備前刀なども、太刀としての実用性を極めようとしたが故の結実なのだし。
いや、あんたの顔が一番醜いよ。
試しに、一番うまく撮れた写真でいいから、ここに自撮りをアップしてみて、みんなの反応を見てみるといい。
それまでの人生が表れた薄気味悪い顔をしているのか、昼間からヤフオクで骨董品を探してそうなジジイの顔つきをしているのかどうか、掲示板を見てる人はそれだけを楽しみにしていると言っても過言ではない。
図書館などで色々調べてて知ったが、井上真改が作刀で好んだ体配は主に
正宗の弟子の郷義弘を参考にしているという。その郷義弘もやはり鎬が高くて、
なおかつ肉置きの少ない刀を好んで作ったという。つまり刃部の断面が
ハマグリ状ではなく三角▽状により近い。側面の画像だけでは分かりづらいが、
これが同様形状の刀の刃筋が通りやすい理由になっているようである。
(つまり鎬が高くてハマグリ刃の度合いも強いようなら刃筋が通りにくくなる)
郷義弘の刀も一度見せてもらって手に取ったこともあるが、かなり異様な刀だ。
乱れ刃と皆焼の中間的な刃紋で、部分的に刃鉄の焼入れが鎬にまで達していた。
さすがに井上真改もそんな所までは真似してないが、南北朝時代の珍奇な作刀の
流行に好んで乗っていた部分もあるように見受けられる、夭折の天才刀工の作。
こういうものを好む人間がいるのもわかるが、決して万人向けではない。
ド派手趣味の秀吉が好んだというのもむべなるかな。
そういう分かりやすい特徴のある名物の影に隠れて、大和伝の尻懸のような
質実剛健で無駄を極力省いた佳作刀が打ち棄てられていくようなことがあるとすれば、
それは避けねばならない。常道あってこその逸脱なのだから。
正宗の弟子の郷義弘を参考にしているという。その郷義弘もやはり鎬が高くて、
なおかつ肉置きの少ない刀を好んで作ったという。つまり刃部の断面が
ハマグリ状ではなく三角▽状により近い。側面の画像だけでは分かりづらいが、
これが同様形状の刀の刃筋が通りやすい理由になっているようである。
(つまり鎬が高くてハマグリ刃の度合いも強いようなら刃筋が通りにくくなる)
郷義弘の刀も一度見せてもらって手に取ったこともあるが、かなり異様な刀だ。
乱れ刃と皆焼の中間的な刃紋で、部分的に刃鉄の焼入れが鎬にまで達していた。
さすがに井上真改もそんな所までは真似してないが、南北朝時代の珍奇な作刀の
流行に好んで乗っていた部分もあるように見受けられる、夭折の天才刀工の作。
こういうものを好む人間がいるのもわかるが、決して万人向けではない。
ド派手趣味の秀吉が好んだというのもむべなるかな。
そういう分かりやすい特徴のある名物の影に隠れて、大和伝の尻懸のような
質実剛健で無駄を極力省いた佳作刀が打ち棄てられていくようなことがあるとすれば、
それは避けねばならない。常道あってこその逸脱なのだから。
今またちょっと調べてきたけど、郷義弘は大和千手院で学んだ鍛治で、
正宗とは無関係だと主張している人間もいるんだな。
真偽のほどは定かではないが、見る人が見れば大和伝系とも取れるぐらい、
作りに実直な側面があった上での奇抜さだから至宝扱いなのだろう。
鎬が高い刀も大和伝に多い一方、相州伝や備前伝は低いものが多いから、
総じて前者に作りの似る郷を大和伝系と見る主張も無根拠ではないとわかる。
しかし、皆焼じみた焼き幅の広さの刀なども好んで作っていることから、
その手の作風の多い相州伝に私淑していた可能性も考えられなくはない。
ーー話が単なる刀剣論ばかりに偏りすぎているから、
刀剣美の思想哲学的な価値というスレの本旨に話を戻すなら、
やはり大和伝のような実直な作刀の心がけの下地があって初めて、
郷義弘のような大名物の昇華もあったわけだから、刀が本物である以上は、
用の美の追及から完全に逸脱することなどはできないということである。
正宗とは無関係だと主張している人間もいるんだな。
真偽のほどは定かではないが、見る人が見れば大和伝系とも取れるぐらい、
作りに実直な側面があった上での奇抜さだから至宝扱いなのだろう。
鎬が高い刀も大和伝に多い一方、相州伝や備前伝は低いものが多いから、
総じて前者に作りの似る郷を大和伝系と見る主張も無根拠ではないとわかる。
しかし、皆焼じみた焼き幅の広さの刀なども好んで作っていることから、
その手の作風の多い相州伝に私淑していた可能性も考えられなくはない。
ーー話が単なる刀剣論ばかりに偏りすぎているから、
刀剣美の思想哲学的な価値というスレの本旨に話を戻すなら、
やはり大和伝のような実直な作刀の心がけの下地があって初めて、
郷義弘のような大名物の昇華もあったわけだから、刀が本物である以上は、
用の美の追及から完全に逸脱することなどはできないということである。
男の見た目なんて業績に付いてくるだけのものなんだから、さほど気にする必要もない。
ただ業績に傷を付けるほどもの醜態を避けるようにすればいいだけとは、
俺も昔からずっと思ってるから、先に顔をひけらかすようなことも避けてるが。
今は多少、考えを修正しててな。
やっぱり「男は顔じゃない」とは思うが、何もかもにかけて「男は見た目じゃない」とも思わない。
その業績に見合った刀剣や甲冑などの装束を以って、我が見た目にも代える。
それにより巧言令色に長ける女子小人の無闇な祭り上げにも牽制をかける。
どうせ我が身もいつかは命尽きて骨となり、灰に帰するものなのだから、
もう少し諸行無常のはかなさに耐える物品を永劫に至るまでのわが形代ともしようぞ。
それを可能とするのも、それなりの業績を己が素養によって挙げられる益荒男だけなのだし。
ただ業績に傷を付けるほどもの醜態を避けるようにすればいいだけとは、
俺も昔からずっと思ってるから、先に顔をひけらかすようなことも避けてるが。
今は多少、考えを修正しててな。
やっぱり「男は顔じゃない」とは思うが、何もかもにかけて「男は見た目じゃない」とも思わない。
その業績に見合った刀剣や甲冑などの装束を以って、我が見た目にも代える。
それにより巧言令色に長ける女子小人の無闇な祭り上げにも牽制をかける。
どうせ我が身もいつかは命尽きて骨となり、灰に帰するものなのだから、
もう少し諸行無常のはかなさに耐える物品を永劫に至るまでのわが形代ともしようぞ。
それを可能とするのも、それなりの業績を己が素養によって挙げられる益荒男だけなのだし。
人は、忘れられる生き物である
http://bbs56.meiwasuisan.com/discussion/1566949904...
誰が立てたか知らんが、ちょうどいいタイミングでうまい提起をしてくれている。
昔から「人は二度死ぬ」といい、一つは命そのものの死、もう一つが人々の記憶からの死。
無名の一般人はもちろんのこと、芸能人やスポーツ選手のような有名人ですら、
箱庭の内側での持て囃し止まりな名声では、じきに人々の記憶から消えて行ってしまう。
美名であれ悪名であれ、後世まで末永くその名や業績が語り伝えられて行く可能性が
最も高いのが政治家、その次が軍人や役人。さらにその次が芸術家や学者あたり。
特に政治や軍事は、優秀な大人の男が最大級の力量を発揮してようやく歴史的な功績に
なるかならないかといった難業なので、自然と歴史上にもそういう人種ばかりが伝えられてる。
刀匠も相当な体力を要する仕事だから、自然と男性名を冠した作品だけが遺されてる。
だから歴史的な功績者との相性がいいと断定するのはちと短絡的だが、我が命の死後に
至るまで名声と共に伝えられ続ける形代となるのに、刀ほど絶好なものも他になく、
故にそれに値するほどの偉人だけが「我が見た目」とする資格をも持つわけである。
全国に名を知られている有名人や政治家を含めて、そんな人間が今の日本には皆無なものだから、
刀の美しさに自己投影してまで刀を楽しむことのできる人間もまずいない状態なわけだが。
http://bbs56.meiwasuisan.com/discussion/1566949904...
誰が立てたか知らんが、ちょうどいいタイミングでうまい提起をしてくれている。
昔から「人は二度死ぬ」といい、一つは命そのものの死、もう一つが人々の記憶からの死。
無名の一般人はもちろんのこと、芸能人やスポーツ選手のような有名人ですら、
箱庭の内側での持て囃し止まりな名声では、じきに人々の記憶から消えて行ってしまう。
美名であれ悪名であれ、後世まで末永くその名や業績が語り伝えられて行く可能性が
最も高いのが政治家、その次が軍人や役人。さらにその次が芸術家や学者あたり。
特に政治や軍事は、優秀な大人の男が最大級の力量を発揮してようやく歴史的な功績に
なるかならないかといった難業なので、自然と歴史上にもそういう人種ばかりが伝えられてる。
刀匠も相当な体力を要する仕事だから、自然と男性名を冠した作品だけが遺されてる。
だから歴史的な功績者との相性がいいと断定するのはちと短絡的だが、我が命の死後に
至るまで名声と共に伝えられ続ける形代となるのに、刀ほど絶好なものも他になく、
故にそれに値するほどの偉人だけが「我が見た目」とする資格をも持つわけである。
全国に名を知られている有名人や政治家を含めて、そんな人間が今の日本には皆無なものだから、
刀の美しさに自己投影してまで刀を楽しむことのできる人間もまずいない状態なわけだが。
尻懸のような古刀期の太刀にしろ、井上真改のような新刀期の打刀にしろ、
ある種の実戦性の高さを追求して用の美をも極めた名刀には違いないのだが、
実はあえて実戦性をないがしろにした名刀というものもまた存在する。
南北朝から室町期にかけて地味に流行していた、1尺〜1尺5寸程度の平造りの小刀。
鎬がないので敵からの斬撃を受け流し辛く、刃こぼれもしやすい。
長さが半端に長いので超接近戦や暗殺のような短刀の用途にも向かない。
にもかかわらずなぜ流行っていたかというと、最上級の斬れ味と絶妙な長さの両立が、
すでに戦死した敵将の斬首や、自分自身が追い詰められた時の自刃用に大変向いていたからである。
これが江戸期以降に規格が厳格化された「脇差」のはしりであるが、
屋内戦闘を想定した鎬造りである場合が多い新刀の脇差と比べても、よりサブウェポン
であることに特化しており、実戦にかけては使って使えないこともない程度の機能しかない。
しかし、これはこれである種の妙味があるし、新刀の脇差以上に無駄を省いた用の美を湛えてもいる。
実戦ではなく、斬首と自刃にこそ用途が特化された、今際の際を象徴する鬼の刑具。
ある種の実戦性の高さを追求して用の美をも極めた名刀には違いないのだが、
実はあえて実戦性をないがしろにした名刀というものもまた存在する。
南北朝から室町期にかけて地味に流行していた、1尺〜1尺5寸程度の平造りの小刀。
鎬がないので敵からの斬撃を受け流し辛く、刃こぼれもしやすい。
長さが半端に長いので超接近戦や暗殺のような短刀の用途にも向かない。
にもかかわらずなぜ流行っていたかというと、最上級の斬れ味と絶妙な長さの両立が、
すでに戦死した敵将の斬首や、自分自身が追い詰められた時の自刃用に大変向いていたからである。
これが江戸期以降に規格が厳格化された「脇差」のはしりであるが、
屋内戦闘を想定した鎬造りである場合が多い新刀の脇差と比べても、よりサブウェポン
であることに特化しており、実戦にかけては使って使えないこともない程度の機能しかない。
しかし、これはこれである種の妙味があるし、新刀の脇差以上に無駄を省いた用の美を湛えてもいる。
実戦ではなく、斬首と自刃にこそ用途が特化された、今際の際を象徴する鬼の刑具。
かの有名な妖刀村正にも実はこの平造り脇差の名品が多く(画像も伝村正)、
>117の正利も村正と同じ千子派の系統である。
こういう機能上から斬れ味に優れた刀を専門的に作っていたのだから、業物が多いのも自然なことだが、
そのぶん実戦性に欠けている面もあるので、反徳川の連中が好んで村正ばかりを求めた結果、
かえって戦闘力を目減りさせるようなことがあったとしても自己責任だといえよう。
村正が徳川に害を為したとされる伝説もみな、奇襲や事故や切腹ばかりで、
正々堂々の戦における敗北などは一つも見当たらない。にもかかわらず、
反幕の意図で村正を好むような連中はみなその魂胆の卑しさが透けて見えてるし、
その卑しさゆえに本当の強さを身につけられることもないのである。
>117の正利も村正と同じ千子派の系統である。
こういう機能上から斬れ味に優れた刀を専門的に作っていたのだから、業物が多いのも自然なことだが、
そのぶん実戦性に欠けている面もあるので、反徳川の連中が好んで村正ばかりを求めた結果、
かえって戦闘力を目減りさせるようなことがあったとしても自己責任だといえよう。
村正が徳川に害を為したとされる伝説もみな、奇襲や事故や切腹ばかりで、
正々堂々の戦における敗北などは一つも見当たらない。にもかかわらず、
反幕の意図で村正を好むような連中はみなその魂胆の卑しさが透けて見えてるし、
その卑しさゆえに本当の強さを身につけられることもないのである。
平造り脇差の鍛刀によっても斬れ味を蓄積していた千子村正の刀を、
徳川家康自身も好み、本人自身は最期まで禁忌扱いに反対していたという。
遺体の斬首や速やかな自刃といった、本来の用途を念頭に置くのであれば、
村正が名刀中の名刀であるのにも違いはなく、家康公もまたそれに反対はすまい。
最上の斬れ味を持つ村正による切腹によって、嫡子信康も速やかに世を去れたと
いうのなら、道具としての刀自体には功こそあれど罪はなかったといえる。
結局、平時の社会においては、斬首や切腹自体が極力避けられてしかるべき
ことなのだから、その用途に特化された村正が忌み避けられたことにも、
多少は江戸期における平和維持の効果があったかもしれない。そして
明治以降に村正が好まれたことが、無駄な戦乱を呼び込む要因になったとも。
徳川家康自身も好み、本人自身は最期まで禁忌扱いに反対していたという。
遺体の斬首や速やかな自刃といった、本来の用途を念頭に置くのであれば、
村正が名刀中の名刀であるのにも違いはなく、家康公もまたそれに反対はすまい。
最上の斬れ味を持つ村正による切腹によって、嫡子信康も速やかに世を去れたと
いうのなら、道具としての刀自体には功こそあれど罪はなかったといえる。
結局、平時の社会においては、斬首や切腹自体が極力避けられてしかるべき
ことなのだから、その用途に特化された村正が忌み避けられたことにも、
多少は江戸期における平和維持の効果があったかもしれない。そして
明治以降に村正が好まれたことが、無駄な戦乱を呼び込む要因になったとも。
また調べてきたが、村正の長尺な刀の作風として、
総合的な作りは平均的ないし若干細身であった上で、なおかつ平肉が枯れるという。
つまり上で述べたような刃の断面がハマグリよりも三角に近い刀であり、
なおかつ重ねも薄くて鎬も低いのだから、平造りの脇差がよく切れるのと
全く同じ原理で切れ味に優れることが約束づけられているといえる。
俺が手にとってみたことのある鑑定書付きの村正(大磨上の小太刀)も、確かにそのような
体配だったと記憶しているが、数多の新々刀などと同じく地鉄が全体的に白っぽかった。
肌が詰んでなくて有機的な模様をしていたのでやっぱり古刀だろうなというのは分かったが、
相州伝の名刀に見られるような、硬軟のメリハリの利いた鋼の折重ねによる荒沸なども見られない。
要するに、細身で平肉も枯らして最上級の斬れ味を追求してはいるものの、
刀身の靭性をそこまで高めているわけではないから、正宗のような
より上位の品質の刀と打ち合わせた場合には、折れたりする危険があるということ。
生半可の刀と比べれば強かろうとも、最高の実戦能力を帯びた刀とまではいえない。
とにかく斬れ味に優れるので具足を着込まない平時のゲリラ戦で、特に相手が名刀持ちでもない
と知れた場合には最高の戦果を発揮するだろう。もはやイジメとも取れなくないが。
総合的な作りは平均的ないし若干細身であった上で、なおかつ平肉が枯れるという。
つまり上で述べたような刃の断面がハマグリよりも三角に近い刀であり、
なおかつ重ねも薄くて鎬も低いのだから、平造りの脇差がよく切れるのと
全く同じ原理で切れ味に優れることが約束づけられているといえる。
俺が手にとってみたことのある鑑定書付きの村正(大磨上の小太刀)も、確かにそのような
体配だったと記憶しているが、数多の新々刀などと同じく地鉄が全体的に白っぽかった。
肌が詰んでなくて有機的な模様をしていたのでやっぱり古刀だろうなというのは分かったが、
相州伝の名刀に見られるような、硬軟のメリハリの利いた鋼の折重ねによる荒沸なども見られない。
要するに、細身で平肉も枯らして最上級の斬れ味を追求してはいるものの、
刀身の靭性をそこまで高めているわけではないから、正宗のような
より上位の品質の刀と打ち合わせた場合には、折れたりする危険があるということ。
生半可の刀と比べれば強かろうとも、最高の実戦能力を帯びた刀とまではいえない。
とにかく斬れ味に優れるので具足を着込まない平時のゲリラ戦で、特に相手が名刀持ちでもない
と知れた場合には最高の戦果を発揮するだろう。もはやイジメとも取れなくないが。
村正の斬れ味が優れているのは、要するに剃刀や包丁やカッターに準ずるような、
並みの日本刀よりも薄刃な作り込みによって鋭利さを稼いでいるからである。
見る者をたぶらかす妖刀扱いされているのも、その見かけからの鋭利さのため。
日本刀は上掲3つのような専門用途のある刃物と比べればはるかに重ねが厚く、
同様の形状の刀を軟鉄などで作ってもろくな切れ味が稼げない作りになっているから、
素人目には切れ味の想像がつき難い。そのため武の素人である犯罪者が日本刀を
凶器として用いることもほとんどないが、村正ならばそうなるとも限らない。
村正を手にして妖艶さを感じるということは、それだけ自らに武の心得がないということ。
素人が適当に振っても人を殺せそうな鋭利さを見るからに帯びているものだから、
素人こそはあてられてしまう。そんな人間はなるべく村正を目にも触れるべきではない。
並みの日本刀よりも薄刃な作り込みによって鋭利さを稼いでいるからである。
見る者をたぶらかす妖刀扱いされているのも、その見かけからの鋭利さのため。
日本刀は上掲3つのような専門用途のある刃物と比べればはるかに重ねが厚く、
同様の形状の刀を軟鉄などで作ってもろくな切れ味が稼げない作りになっているから、
素人目には切れ味の想像がつき難い。そのため武の素人である犯罪者が日本刀を
凶器として用いることもほとんどないが、村正ならばそうなるとも限らない。
村正を手にして妖艶さを感じるということは、それだけ自らに武の心得がないということ。
素人が適当に振っても人を殺せそうな鋭利さを見るからに帯びているものだから、
素人こそはあてられてしまう。そんな人間はなるべく村正を目にも触れるべきではない。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f36899963...
江戸期の代表的な脇差といえばこんな風。
屋内戦闘ではメインウェポンとしての役割も果たせるように尋常な鎬造りとし、
先幅や先重も並みの太刀以上に太めに採ることでハンマー効果を稼いでいる。
銀座で見せてもらった助直や照包の脇差もこれに似た体配をしていた。
二本差しを法的に厳格化させた時代ならではの造り込みだが、正直、
個人的にはあまり好きではない。というのも、ここまでなんでも機能性を
詰め込むのなら、いっそのこと柳生厳包愛用の風鎮切光代のような
片切刃造りにでもしてしまったほうが、より能力が極まるものだから。
見た目がいかにも、栄養不足で縦に伸びてない当時の日本人ぽくもある。
これを含め、名工の作品の刃紋や肌の味わい自体は申し分ないのだが、
現代社会で脇差が特筆して不人気と化してしまっている原因だともいえる。
この世に帯刀身分というものがあるとすれば、脇差は確かに重要な意味を
持ってくるが、江戸期には江戸期の、戦国期には戦国期の独特な脇差文化が
あったからには、これからの時代における最適な脇差というものもまた
模索されて然るべきだろう。むしろ脇差のほうがメインになるような。
江戸期の代表的な脇差といえばこんな風。
屋内戦闘ではメインウェポンとしての役割も果たせるように尋常な鎬造りとし、
先幅や先重も並みの太刀以上に太めに採ることでハンマー効果を稼いでいる。
銀座で見せてもらった助直や照包の脇差もこれに似た体配をしていた。
二本差しを法的に厳格化させた時代ならではの造り込みだが、正直、
個人的にはあまり好きではない。というのも、ここまでなんでも機能性を
詰め込むのなら、いっそのこと柳生厳包愛用の風鎮切光代のような
片切刃造りにでもしてしまったほうが、より能力が極まるものだから。
見た目がいかにも、栄養不足で縦に伸びてない当時の日本人ぽくもある。
これを含め、名工の作品の刃紋や肌の味わい自体は申し分ないのだが、
現代社会で脇差が特筆して不人気と化してしまっている原因だともいえる。
この世に帯刀身分というものがあるとすれば、脇差は確かに重要な意味を
持ってくるが、江戸期には江戸期の、戦国期には戦国期の独特な脇差文化が
あったからには、これからの時代における最適な脇差というものもまた
模索されて然るべきだろう。むしろ脇差のほうがメインになるような。
片切刃造りの刀ってのは基本、みんな注文打ちで、
はじめの所有者の手癖や剣術流派に合わせて作られてるから、
中古で手に入れるのが最も向かない。これが>123画のような
両鎬造りの脇差ほど普及しなかった理由だと思われる。
相手の斬撃を受け流せるように、差表か差裏のどちらかを鎬造りとし、
斬れ味を稼ぐためにもう一方を切刃造りないし平造りにする。
中には表裏が切刃と平造りになっているものなどもあり、
さらに長さや反りも様々で、とても自分にピッタリのものなど見つからない。
この柳生厳包の愛刀も、俺にも合うなどとはとても断定できないが、
ヤフオクなどでたまに見る片切刃造りの刀と比べれば、
段違いに戦闘能力が高いだろうとは見込まれる。
その機能の高さを活かすためには、新陰流の「竜の口」と呼ばれる手の内で
我が身と刀を一体化させねばならず、それが不十分なら自らの体を傷める
ことともなってしまう。玄人中の達人のみが扱う資格のある刀だといえる。
はじめの所有者の手癖や剣術流派に合わせて作られてるから、
中古で手に入れるのが最も向かない。これが>123画のような
両鎬造りの脇差ほど普及しなかった理由だと思われる。
相手の斬撃を受け流せるように、差表か差裏のどちらかを鎬造りとし、
斬れ味を稼ぐためにもう一方を切刃造りないし平造りにする。
中には表裏が切刃と平造りになっているものなどもあり、
さらに長さや反りも様々で、とても自分にピッタリのものなど見つからない。
この柳生厳包の愛刀も、俺にも合うなどとはとても断定できないが、
ヤフオクなどでたまに見る片切刃造りの刀と比べれば、
段違いに戦闘能力が高いだろうとは見込まれる。
その機能の高さを活かすためには、新陰流の「竜の口」と呼ばれる手の内で
我が身と刀を一体化させねばならず、それが不十分なら自らの体を傷める
ことともなってしまう。玄人中の達人のみが扱う資格のある刀だといえる。
今は、刀の実戦機能に焦点を当てて話をしているから、
刀の刃紋の美しさばかりが取り沙汰される一般的な刀剣鑑賞の論議と比べると、
だいぶ刀全体の外形的な体配の話に重点が偏っているといえる。
つまり、刀の大まかな形と刃紋を作り出す刀工だけでなく、
細部に至るまでの完成形を仕上げる研師の仕事にも注目しているといえる。
研師は当然、刀工の「こんな刀を作りたい」という思いを汲んで、
それに沿った刀の正体を引き出す女房役となることを本分としているわけだが、
場合によっては刀の所持者の注文を優先することもあるだろうし、
自分自身のポリシーを優先させることだって部分的にはあるだろう。
しかし、現代の研師が最上研ぎにおける最優先課題としているだろう
「刀の波紋を最も美しく見せる」という使命は、必ずしも武用目的とは両立しない。
斬れ味を上げるためにわざと美観を損ねるほどの寝刃合わせ(鋸刃仕上げ)を行う場合だけでなく、
より一層の斬れ味や耐久性のためにあえて平肉の多さを加減するといった行為もまた、
ただ刃紋の美しさを追求することとは相容れない場合がある。
刀の刃紋の美しさばかりが取り沙汰される一般的な刀剣鑑賞の論議と比べると、
だいぶ刀全体の外形的な体配の話に重点が偏っているといえる。
つまり、刀の大まかな形と刃紋を作り出す刀工だけでなく、
細部に至るまでの完成形を仕上げる研師の仕事にも注目しているといえる。
研師は当然、刀工の「こんな刀を作りたい」という思いを汲んで、
それに沿った刀の正体を引き出す女房役となることを本分としているわけだが、
場合によっては刀の所持者の注文を優先することもあるだろうし、
自分自身のポリシーを優先させることだって部分的にはあるだろう。
しかし、現代の研師が最上研ぎにおける最優先課題としているだろう
「刀の波紋を最も美しく見せる」という使命は、必ずしも武用目的とは両立しない。
斬れ味を上げるためにわざと美観を損ねるほどの寝刃合わせ(鋸刃仕上げ)を行う場合だけでなく、
より一層の斬れ味や耐久性のためにあえて平肉の多さを加減するといった行為もまた、
ただ刃紋の美しさを追求することとは相容れない場合がある。
今の研師は大体が、観賞用と武用の研ぎを完全に分けて請け負っているようだが、
そうせざるを得ないのも、用の美を追求する本分から若干以上に外れてしまっているからである。
名品の天正拵や、この山鳥毛一文字の拵などに見られる柄の形状(立鼓)も、
今の柄巻師がいくら真似してもどうにも再現しきれない凄みを帯びていると言われる。
刀が正真の仕事道具だった武家時代ならではの、実用に駆られた作り込みの妙技を、
その目的性に沿って再現して行く機縁に恵まれないものだから、魂のこもった復元ができない。
研ぎについても似たようなことが言える。
昔の名刀も、ただ刃紋の美しさを引き出そうとしたのではなく、その時代々々の用途に沿った
平肉の加減だとか鎬の高低だとかいった研ぎ上げ上の工夫がなされているからこそ、
現代刀がどうしても再現できない体配からの美しさを帯びていたりもする。
そしてそこにこそ、美しさばかりを追求して引き出されたというわけでもないが故に、
より一層美しい刃紋までもが見られる。名刀の手入れを請け負った研師などはぜひ、
そのあたりの心がけを、初めて仕上げを請け負った古の研師から学んでもらいたいものだ。
そうせざるを得ないのも、用の美を追求する本分から若干以上に外れてしまっているからである。
名品の天正拵や、この山鳥毛一文字の拵などに見られる柄の形状(立鼓)も、
今の柄巻師がいくら真似してもどうにも再現しきれない凄みを帯びていると言われる。
刀が正真の仕事道具だった武家時代ならではの、実用に駆られた作り込みの妙技を、
その目的性に沿って再現して行く機縁に恵まれないものだから、魂のこもった復元ができない。
研ぎについても似たようなことが言える。
昔の名刀も、ただ刃紋の美しさを引き出そうとしたのではなく、その時代々々の用途に沿った
平肉の加減だとか鎬の高低だとかいった研ぎ上げ上の工夫がなされているからこそ、
現代刀がどうしても再現できない体配からの美しさを帯びていたりもする。
そしてそこにこそ、美しさばかりを追求して引き出されたというわけでもないが故に、
より一層美しい刃紋までもが見られる。名刀の手入れを請け負った研師などはぜひ、
そのあたりの心がけを、初めて仕上げを請け負った古の研師から学んでもらいたいものだ。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u29855191...
日本刀には一定数、刀だけでなく「剣」も存在する。
戦闘用ではなく、寺社の法具として主に作成されたもの。
日本式の槍よりもその来歴が古く、槍(特に両鎬槍)の起源にもなったものと思われる。
これが結構、ヤフオクなどでも多く出回っている。
それだけ廃仏毀釈や近年の経営難で廃業してる寺が多いということ。
剣を宝具として用いたりするのは密教系の戒律が厳格な寺が主だが、
そんな寺ほど衰退し、商売にも手を出してるような生臭坊主ほど生き延びる。
戦国時代などともまた別の、文化腐敗としての乱世を象徴する出来事だといえる。
日本刀には一定数、刀だけでなく「剣」も存在する。
戦闘用ではなく、寺社の法具として主に作成されたもの。
日本式の槍よりもその来歴が古く、槍(特に両鎬槍)の起源にもなったものと思われる。
これが結構、ヤフオクなどでも多く出回っている。
それだけ廃仏毀釈や近年の経営難で廃業してる寺が多いということ。
剣を宝具として用いたりするのは密教系の戒律が厳格な寺が主だが、
そんな寺ほど衰退し、商売にも手を出してるような生臭坊主ほど生き延びる。
戦国時代などともまた別の、文化腐敗としての乱世を象徴する出来事だといえる。
寺から流出したらしい剣だけでなく、神社から流出したらしい奉納刀もたまに見る。
こちらも副業をしないとやっていけないほど食い詰めている所が多いとは聞いてるが。
実戦で功を挙げてから奉納されたものではなく、始めから奉納を目的として打ち鍛えられた
刀ともなると、非常な長寸だったり反りが高かったりして実用性が低いものも多い。
法具用の剣と同じく、実用されないことを目的として作られているわけで、
何もかもを使い捨てて止まない大量消費社会に出回るのが極めて危うい。
日本の寺社は信仰の場であると同時に、文化財保護の牙城としても大きな役割を担ってきた。
成金はおろか、並みの名家が代々伝えて行く家宝以上に厳重な保存下に置かれてきた宝物の数々。
平安時代の刀剣を秘蔵しているような所もザラにあり、比較的時代が浅くて希少価値の低いような
ものから手放すようにも心がけているとは思われるが、できればそれもなくて済んで欲しいものだ。
現代の刀剣商や愛好家には所有はおろか、目にする資格もないような輩も多いのだし。
こちらも副業をしないとやっていけないほど食い詰めている所が多いとは聞いてるが。
実戦で功を挙げてから奉納されたものではなく、始めから奉納を目的として打ち鍛えられた
刀ともなると、非常な長寸だったり反りが高かったりして実用性が低いものも多い。
法具用の剣と同じく、実用されないことを目的として作られているわけで、
何もかもを使い捨てて止まない大量消費社会に出回るのが極めて危うい。
日本の寺社は信仰の場であると同時に、文化財保護の牙城としても大きな役割を担ってきた。
成金はおろか、並みの名家が代々伝えて行く家宝以上に厳重な保存下に置かれてきた宝物の数々。
平安時代の刀剣を秘蔵しているような所もザラにあり、比較的時代が浅くて希少価値の低いような
ものから手放すようにも心がけているとは思われるが、できればそれもなくて済んで欲しいものだ。
現代の刀剣商や愛好家には所有はおろか、目にする資格もないような輩も多いのだし。
どう見ても贋物の井上真改
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d38451745...
>>103の真物と比べて明らかに刃紋や肌の鍛えの凄みに欠けるし、
鍛えが悪いせいで錆による朽ち込みまでもが入ってしまっている。
朽ち込みが入ってしまっている部分はいずれも刃鉄。
地鉄も手入れの行き届かない鍛え割れ部分等から朽ち込む場合があるが、
刃鉄のほうが炭素含有量が多いぶん、鍛錬不足で不純物の酸素が
残ったままの場合にはより朽ち込みやすいようである。
鍛えのいい刀も白錆は浮くが赤錆はほとんど出ないし、出ても根を張らない。
「どうせ研ぎに出すから」といって赤錆だらけの刀(通称赤鰯)を安く買っても
銭失いになりかねないし、鍛えが悪いせいで試し切りでもよく切れなかったりする。
不純物の少なさによる錆びにくさ故の保存性のよさ、刃鉄の硬さ故の切れ味のよさ、
そして鍛え込みの手堅さ故の見映えのよさ、あらゆる面で名刀のほうが凡刀を上回る。
故に実戦での名刀の実用を憚って、クズ刀ばかりに命を託したりするわけにもいかない。
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>>103の真物と比べて明らかに刃紋や肌の鍛えの凄みに欠けるし、
鍛えが悪いせいで錆による朽ち込みまでもが入ってしまっている。
朽ち込みが入ってしまっている部分はいずれも刃鉄。
地鉄も手入れの行き届かない鍛え割れ部分等から朽ち込む場合があるが、
刃鉄のほうが炭素含有量が多いぶん、鍛錬不足で不純物の酸素が
残ったままの場合にはより朽ち込みやすいようである。
鍛えのいい刀も白錆は浮くが赤錆はほとんど出ないし、出ても根を張らない。
「どうせ研ぎに出すから」といって赤錆だらけの刀(通称赤鰯)を安く買っても
銭失いになりかねないし、鍛えが悪いせいで試し切りでもよく切れなかったりする。
不純物の少なさによる錆びにくさ故の保存性のよさ、刃鉄の硬さ故の切れ味のよさ、
そして鍛え込みの手堅さ故の見映えのよさ、あらゆる面で名刀のほうが凡刀を上回る。
故に実戦での名刀の実用を憚って、クズ刀ばかりに命を託したりするわけにもいかない。
朽ち込みの位置や刃こぼれの痕からして、実戦に使ったのだろうなと。
刃こぼれしてしまったものだから血痕も残したまま放置で、今に至る。
おそらく元の所有者は、贋物なのを知っててわざと用いてる。
坂本龍馬を誅殺した贋物の越後守包貞なども同様の扱いをされているし、
江戸時代まではそういう慣習があったらしいが、だからこそあえて
傷や錆にまみれてもいい贋物の刀を使いもしてたようである。
贋物の虎徹で池田屋に乗り込んだ近藤勇の事績なども見るに、
自己防衛ではなく進撃用途となると、刀が傷む確率もより高まるから、
贋物などの価値の低い刀が優先的に用いられたようである。
してみれば、当時から国宝級の名刀だった江雪左文字を、
徳川頼宣が大坂の陣の際の差料に用いていたのなどは、あくまで豊臣方の
殲滅ではなく自主的な降伏を望んでいた意思の現れだとも見て取れる。
個人の剣術を蔑んだ項羽が覇権に溺れていた太古の頃から
王道には名刀、覇道には駄刀。その因果も必ず自分自身に返ってくる。
刃こぼれしてしまったものだから血痕も残したまま放置で、今に至る。
おそらく元の所有者は、贋物なのを知っててわざと用いてる。
坂本龍馬を誅殺した贋物の越後守包貞なども同様の扱いをされているし、
江戸時代まではそういう慣習があったらしいが、だからこそあえて
傷や錆にまみれてもいい贋物の刀を使いもしてたようである。
贋物の虎徹で池田屋に乗り込んだ近藤勇の事績なども見るに、
自己防衛ではなく進撃用途となると、刀が傷む確率もより高まるから、
贋物などの価値の低い刀が優先的に用いられたようである。
してみれば、当時から国宝級の名刀だった江雪左文字を、
徳川頼宣が大坂の陣の際の差料に用いていたのなどは、あくまで豊臣方の
殲滅ではなく自主的な降伏を望んでいた意思の現れだとも見て取れる。
個人の剣術を蔑んだ項羽が覇権に溺れていた太古の頃から
王道には名刀、覇道には駄刀。その因果も必ず自分自身に返ってくる。
自分自身が命を捨てて戦うつもりでいる急先鋒の下士ともなると、
あえて名刀の佩用を避けることが多かったようではある。
土方歳三の愛刀として有名な和泉守兼定も、骨董的価値のより高い古刀の兼定ではなく、
末代の新々刀(当時の現代刀)の兼定であり、今でもそう高い評価なわけではない。
実ははるかに価値の高い初代康継の刀なども松平容保公から下賜されていたのだが、
酷使をはばかって戊辰戦争の前に友人に譲渡してしまっていたのである。
この葵御紋康継も、柄糸が擦り切れていてそれなりに実用した痕跡はあるのだが、
刃こぼれ一つなく、激戦で用いることはあえて避けられたようである。
(有名な和泉守兼定は刃こぼれだらけだったのを研ぎ直したものである)
本当は、この康継を常時佩用できるような身分となって故郷に錦を飾りたかったが、
そうとも行かず、石田三成のように最後まで名刀に固執して正宗を傷物にして
しまうような真似はすまいと、遂には手放して末代兼定と共に散っていった。
命を惜しまずとも、生きて栄華に与れる可能性もまた戦死の幾分か前までは
期待していたという新撰組隊士の意外な側面。明治以降の日本兵たちが
ろくに見習うことも許されなかった側面でもある。
あえて名刀の佩用を避けることが多かったようではある。
土方歳三の愛刀として有名な和泉守兼定も、骨董的価値のより高い古刀の兼定ではなく、
末代の新々刀(当時の現代刀)の兼定であり、今でもそう高い評価なわけではない。
実ははるかに価値の高い初代康継の刀なども松平容保公から下賜されていたのだが、
酷使をはばかって戊辰戦争の前に友人に譲渡してしまっていたのである。
この葵御紋康継も、柄糸が擦り切れていてそれなりに実用した痕跡はあるのだが、
刃こぼれ一つなく、激戦で用いることはあえて避けられたようである。
(有名な和泉守兼定は刃こぼれだらけだったのを研ぎ直したものである)
本当は、この康継を常時佩用できるような身分となって故郷に錦を飾りたかったが、
そうとも行かず、石田三成のように最後まで名刀に固執して正宗を傷物にして
しまうような真似はすまいと、遂には手放して末代兼定と共に散っていった。
命を惜しまずとも、生きて栄華に与れる可能性もまた戦死の幾分か前までは
期待していたという新撰組隊士の意外な側面。明治以降の日本兵たちが
ろくに見習うことも許されなかった側面でもある。
この遺刀の兼定よりも、>>131の康継のほうが拵の作りもだいぶ良い。
殿様どころか上士でもない身分上、金銀螺鈿や龍虎の装飾は避けてるが、
今の銀座の刀屋でもなかなか見ないぐらい上等な金物で誂えられている。
半太刀拵なのも、容保公らへの謁見や登城用途があったからだと思われる。
それを戊辰戦争の前に手放したということは、もう出世を諦めていたということ。
自らの戦闘責任が上司に転嫁されることを避ける目的も兼ねて。
兼定は帯に差すための栗型が付いてるが、康継は軍刀のように佩環が一つだけ付いている。
土方は後期には洋装で銃器も携帯していたというし、決して旧態依然とした武家文化
ばかりに固執していたわけではない。軍刀やサーベルよりも遥かに上質でセンスのいい
拵をまとった康継を佩く土方らが次代の為政者として日本に君臨していたとすれば、
それがどれほどマシな影響を近代以降の日本に与えていたことだろうか。
殿様どころか上士でもない身分上、金銀螺鈿や龍虎の装飾は避けてるが、
今の銀座の刀屋でもなかなか見ないぐらい上等な金物で誂えられている。
半太刀拵なのも、容保公らへの謁見や登城用途があったからだと思われる。
それを戊辰戦争の前に手放したということは、もう出世を諦めていたということ。
自らの戦闘責任が上司に転嫁されることを避ける目的も兼ねて。
兼定は帯に差すための栗型が付いてるが、康継は軍刀のように佩環が一つだけ付いている。
土方は後期には洋装で銃器も携帯していたというし、決して旧態依然とした武家文化
ばかりに固執していたわけではない。軍刀やサーベルよりも遥かに上質でセンスのいい
拵をまとった康継を佩く土方らが次代の為政者として日本に君臨していたとすれば、
それがどれほどマシな影響を近代以降の日本に与えていたことだろうか。
越前康継こそは、虎徹や真改や助広忠吉以上の「新刀の旗手」であり、
将軍家御用鍛治として徳川時代の刀の最も規範的なあり方を打ち出している。
その最大の特徴が、戦国の世が終わって用済みになった銃砲などを溶かした鉄を
再利用して刀を鍛えている点。これに倣って他の刀工たちも廃棄された屑鉄などを
刀の素材に用い始めた(もちろん名刀のためにはそれなりの鉄を選別するなどしながら)。
これが幕末に水心子正秀らによって批判され、以降はまた玉鋼からの鍛刀が
心がけられるようになり、今やその条件を満たさなければ日本刀として認められず、
作刀が法的にも許可されないまでになってしまっている。
つまり、江戸時代の刀も現代の尺度では日本刀と認められないものが多いわけだが、
再利用鉄からの鍛刀が認められたことで江戸時代の刀の品質も安定したし、
そのおかげで刃紋の描き込みの工夫なども相当に進化した。鋳鉄技術と共に
鋳銅技術なども発達して、極めて芸術性に富む刀装具や金工芸が生み出されるようになった。
古刀の復刻ばかりを目指している現代よりも遥かに先進的な作刀姿勢だし、
そもそも古刀時代にも鍛刀以外の冶金技術が未熟であるが故の工夫がいろいろと
行われていたはずなのだから、現代の刀工の作刀姿勢のほうが異常というべきである。
将軍家御用鍛治として徳川時代の刀の最も規範的なあり方を打ち出している。
その最大の特徴が、戦国の世が終わって用済みになった銃砲などを溶かした鉄を
再利用して刀を鍛えている点。これに倣って他の刀工たちも廃棄された屑鉄などを
刀の素材に用い始めた(もちろん名刀のためにはそれなりの鉄を選別するなどしながら)。
これが幕末に水心子正秀らによって批判され、以降はまた玉鋼からの鍛刀が
心がけられるようになり、今やその条件を満たさなければ日本刀として認められず、
作刀が法的にも許可されないまでになってしまっている。
つまり、江戸時代の刀も現代の尺度では日本刀と認められないものが多いわけだが、
再利用鉄からの鍛刀が認められたことで江戸時代の刀の品質も安定したし、
そのおかげで刃紋の描き込みの工夫なども相当に進化した。鋳鉄技術と共に
鋳銅技術なども発達して、極めて芸術性に富む刀装具や金工芸が生み出されるようになった。
古刀の復刻ばかりを目指している現代よりも遥かに先進的な作刀姿勢だし、
そもそも古刀時代にも鍛刀以外の冶金技術が未熟であるが故の工夫がいろいろと
行われていたはずなのだから、現代の刀工の作刀姿勢のほうが異常というべきである。
水心子正秀に発する幕末期の新々刀の興隆は、その経緯上、
玉鋼からの作刀を特徴としているわけだが、すでに絶えるとまで行かずとも
衰退していた作刀法を無理に復刻したせいか、全体的に鍛えが入りすぎて
地鉄までもが白っぽく、曲がらないが折れやすいという弱点を帯びている。
実際に、正秀の弟子の大慶直胤の刀が試し切りで折れた等の逸話も残されている。
現代刀もこの頃からの作刀法に倣っているものだから、同様の危険がある。
古刀時代の製鉄法と、新刀時代の鍛刀法を掛け合わせるという無理が
刀の進化はおろか、江戸時代並みの作刀品質の達成すらをも阻んでいる。
満鉄刀などの一部の軍刀のほうがまだ機能が高いとされているのも故あってのこと。
(これも玉鋼から鍛えられていないので日刀保の品質鑑定には合格しないが)
いっそのことチタンやカーボンナノチューブの配合でも試してみたほうが、
まだ昔の名刀の品質に近づける可能性が高い。そのためには法改正から必要となるが。
玉鋼からの作刀を特徴としているわけだが、すでに絶えるとまで行かずとも
衰退していた作刀法を無理に復刻したせいか、全体的に鍛えが入りすぎて
地鉄までもが白っぽく、曲がらないが折れやすいという弱点を帯びている。
実際に、正秀の弟子の大慶直胤の刀が試し切りで折れた等の逸話も残されている。
現代刀もこの頃からの作刀法に倣っているものだから、同様の危険がある。
古刀時代の製鉄法と、新刀時代の鍛刀法を掛け合わせるという無理が
刀の進化はおろか、江戸時代並みの作刀品質の達成すらをも阻んでいる。
満鉄刀などの一部の軍刀のほうがまだ機能が高いとされているのも故あってのこと。
(これも玉鋼から鍛えられていないので日刀保の品質鑑定には合格しないが)
いっそのことチタンやカーボンナノチューブの配合でも試してみたほうが、
まだ昔の名刀の品質に近づける可能性が高い。そのためには法改正から必要となるが。
[YouTubeで再生]
古刀期の製鉄法+江戸時代の鍛刀法ではどうしても刀が硬く脆くなり過ぎるものだから、
焼き入れの後にまた焼き戻すことで刀身の粘りを稼いでいる。(45:08〜)
もちろん極力そうならないように心がけてはいるだろうが、
焼き戻したぶんだけ切れ味は落ちる。何かこんなイタチごっこ状態ではない、
一回の焼き入れだけで最高の斬れ味と粘り強さが完成する鍛刀法があったはずである。
粗悪刀の量産地と化してしまう以前の大和や、洪水で壊滅する以前の備前、
正宗の鍛刀法が辛うじて正伝されていた頃の相州、・・・何かがあったはずだ。
現代どころか、江戸時代の刀工すらもが想像もつかなかったような何らかの手法が。
それが再発見できないうちは、玉鋼からの作刀も一旦取りやめたほうが吉だろう。
満鉄刀のような工業鋼からの鍛造でも、品質が良ければ可としたほうが。
古刀期の製鉄法+江戸時代の鍛刀法ではどうしても刀が硬く脆くなり過ぎるものだから、
焼き入れの後にまた焼き戻すことで刀身の粘りを稼いでいる。(45:08〜)
もちろん極力そうならないように心がけてはいるだろうが、
焼き戻したぶんだけ切れ味は落ちる。何かこんなイタチごっこ状態ではない、
一回の焼き入れだけで最高の斬れ味と粘り強さが完成する鍛刀法があったはずである。
粗悪刀の量産地と化してしまう以前の大和や、洪水で壊滅する以前の備前、
正宗の鍛刀法が辛うじて正伝されていた頃の相州、・・・何かがあったはずだ。
現代どころか、江戸時代の刀工すらもが想像もつかなかったような何らかの手法が。
それが再発見できないうちは、玉鋼からの作刀も一旦取りやめたほうが吉だろう。
満鉄刀のような工業鋼からの鍛造でも、品質が良ければ可としたほうが。
江戸時代から明治に移行するに際して、文明開化の直接的な元手になったのも、
日本刀の鍛造技術よりは、製鉄技術のほうである。
鍛刀はあくまで「工芸」の領域であり、「工業」とは規模が違い過ぎる。
製鉄は古来より重工業なみの規模で行われて来たものだから、
近代化文明の構築のためにもたやすく技術が流用された。
日本製の工業製品が「高品質」と言われ始めたのも、高度経済成長期以降のことであり、
それまではアメリカ製にも劣る粗悪品扱いがザラだったのも、
日本刀の工芸技術までもが近代工業に流用されていたわけではないから。
刀工が過去の遺物扱いされ始めて、手先が最上級に器用な人間までもが工業開発に
「職人」として動員され始めたことで、MADE IN JAPANもハイブランド化したが、
日本刀ほど普遍性のある製品を作っているわけでもないために、職人たちも
冷遇されて段々と数を減らしたり、海外に引き抜かれたりしていってる始末。
今すべきなのは、日本刀でもその他の伝統工芸でもなんでもいいから、
工業と工芸の分裂の修復。それによる名工たちの権威の復興。
刀に関して言えば、満鉄刀のような時代に見合った名刀の精鍛の心がけが
それに当たることになるだろう。もちろんたたら製鉄から始める
古刀風の鍛刀もそれはそれで心がけられ続けて行けばいいのだが。
日本刀の鍛造技術よりは、製鉄技術のほうである。
鍛刀はあくまで「工芸」の領域であり、「工業」とは規模が違い過ぎる。
製鉄は古来より重工業なみの規模で行われて来たものだから、
近代化文明の構築のためにもたやすく技術が流用された。
日本製の工業製品が「高品質」と言われ始めたのも、高度経済成長期以降のことであり、
それまではアメリカ製にも劣る粗悪品扱いがザラだったのも、
日本刀の工芸技術までもが近代工業に流用されていたわけではないから。
刀工が過去の遺物扱いされ始めて、手先が最上級に器用な人間までもが工業開発に
「職人」として動員され始めたことで、MADE IN JAPANもハイブランド化したが、
日本刀ほど普遍性のある製品を作っているわけでもないために、職人たちも
冷遇されて段々と数を減らしたり、海外に引き抜かれたりしていってる始末。
今すべきなのは、日本刀でもその他の伝統工芸でもなんでもいいから、
工業と工芸の分裂の修復。それによる名工たちの権威の復興。
刀に関して言えば、満鉄刀のような時代に見合った名刀の精鍛の心がけが
それに当たることになるだろう。もちろんたたら製鉄から始める
古刀風の鍛刀もそれはそれで心がけられ続けて行けばいいのだが。
日本刀を過去の遺物ではなく、進化し続ける武器として見るなら、
新刀の鍛刀法と古刀の製鉄法を掛け合わせるなんていう、
木に竹を継ぐような製法をしている現代刀などよりも、
満鉄刀のほうがよっぽど「正統の日本刀」に位置するものである。
もちろん、これで日本刀の進化が極まっているなんていうことはない。
現代の製鉄技術とそれに見合った鍛刀を試みるのなら必ずや、
さらに上の刀が作り得るはずである。
工作機械用などに作られた刃物鋼は大体がもろ過ぎるし、
車体用などのスプリング鋼はやわ過ぎる。ステンレス鋼に代表される合金鋼は
硬度が稼ぎにくい上に硬め過ぎると割れやすくなるなど、
個々の現代鋼に焦点を当ててみれば結局、用途が違いすぎて即座に
作刀に回せるようなものは見つからないが、製鋼業者が真摯に
日本刀の進化に取り組むのであれば、少なくとも満鉄刀超えぐらいは容易だろう。
そんな心がけを持てる人間がほとんどいない、
特に文弱高学歴がほとんどな経営陣に皆無なのはわかってる。
なんとか国営化とまではいかない動態保存の範囲内でできればいいね。^^
新刀の鍛刀法と古刀の製鉄法を掛け合わせるなんていう、
木に竹を継ぐような製法をしている現代刀などよりも、
満鉄刀のほうがよっぽど「正統の日本刀」に位置するものである。
もちろん、これで日本刀の進化が極まっているなんていうことはない。
現代の製鉄技術とそれに見合った鍛刀を試みるのなら必ずや、
さらに上の刀が作り得るはずである。
工作機械用などに作られた刃物鋼は大体がもろ過ぎるし、
車体用などのスプリング鋼はやわ過ぎる。ステンレス鋼に代表される合金鋼は
硬度が稼ぎにくい上に硬め過ぎると割れやすくなるなど、
個々の現代鋼に焦点を当ててみれば結局、用途が違いすぎて即座に
作刀に回せるようなものは見つからないが、製鋼業者が真摯に
日本刀の進化に取り組むのであれば、少なくとも満鉄刀超えぐらいは容易だろう。
そんな心がけを持てる人間がほとんどいない、
特に文弱高学歴がほとんどな経営陣に皆無なのはわかってる。
なんとか国営化とまではいかない動態保存の範囲内でできればいいね。^^
贋物らしき虎徹
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c75582135...
茎尻が虎徹特有の入山形と刃上栗尻の中間的な形状になってない、
銘が間伸びしていていかにも図像を模写した風であるなど、
それなりに贋物らしい特徴はあるが、>>129の井上真改の贋物と比べると
よっぽどうまく作ってあるし、刃紋からもそこそこの名刀であると知れる。
新撰組が池田屋を襲撃した際に、ほとんどの隊士たちの刀が刃こぼれや折損に
見舞われた一方で、局長近藤の虎徹銘の刀だけは傷一つなかったという。
それも贋物だとしても良くできた、このような刀ではなかったか。
一説には、源清麿の作だったとも言われる。
清麿の刀は新々刀としては例外的なほどに地鉄が黒くて靭性が高い。
一見すると新々刀というよりは、非常に保存状態のいい新刀のようにも見える。
これもそれに似た特徴があるから、虎徹ではないにしても清麿やその系統の
刀工の作品かもしれない。日刀保は偽銘刀を問答無用で不合格にするので、
鑑定は一度不合格で偽銘を確認の後に偽銘を消して再提出の手間がかかるが。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c75582135...
茎尻が虎徹特有の入山形と刃上栗尻の中間的な形状になってない、
銘が間伸びしていていかにも図像を模写した風であるなど、
それなりに贋物らしい特徴はあるが、>>129の井上真改の贋物と比べると
よっぽどうまく作ってあるし、刃紋からもそこそこの名刀であると知れる。
新撰組が池田屋を襲撃した際に、ほとんどの隊士たちの刀が刃こぼれや折損に
見舞われた一方で、局長近藤の虎徹銘の刀だけは傷一つなかったという。
それも贋物だとしても良くできた、このような刀ではなかったか。
一説には、源清麿の作だったとも言われる。
清麿の刀は新々刀としては例外的なほどに地鉄が黒くて靭性が高い。
一見すると新々刀というよりは、非常に保存状態のいい新刀のようにも見える。
これもそれに似た特徴があるから、虎徹ではないにしても清麿やその系統の
刀工の作品かもしれない。日刀保は偽銘刀を問答無用で不合格にするので、
鑑定は一度不合格で偽銘を確認の後に偽銘を消して再提出の手間がかかるが。
今の刀剣愛好家は大体、偽銘を蛇蝎のように忌み嫌うし、日刀保も
それに準じて偽銘刀を「偽銘なれども◯◯」という鑑定対象にすらしない。
しかし、江戸時代には偽銘も屑鉄からの鍛刀などと同じく、
一種の文化習俗として定着していたようであり、
乱戦や武道練習に気兼ねなく使える消耗品として重宝されていたようである。
刀剣が過去の遺物扱いではなく、人間社会に息づいているのであれば
そのような刀の用途も当然あり得るのであり、それでこそ剣豪なども生じ得る。
木刀や竹刀はおろか、合金製の模造刀とも根本的に異なる真剣の振り心地。
ちょっと体験してみる程度では、腕が未知の筋肉痛に見舞われるばかりで要領を
掴むこともできず、それなりに回数を重ねることでやっとその意義を帯びてくる。
そこまで行き着くためには名刀ではなく、数打ちの刀でも我慢すべきだし、
拵も傷んでいい程度の低級品で済ますべき。美術刀剣の愛好という観点からは
モノの数にも入らないようなクズ刀でも、そういった用途には絶好となる。
すでに達人の域に達していただろう新撰組の局長でも、まだ偽銘刀を用いてた。
相手が名刀のサビにする価値もないような鼠賊だったということもあろうが、
名刀を佩くに値する大丈夫となる道は長く険しいものであるともわきまえるべき。
それに準じて偽銘刀を「偽銘なれども◯◯」という鑑定対象にすらしない。
しかし、江戸時代には偽銘も屑鉄からの鍛刀などと同じく、
一種の文化習俗として定着していたようであり、
乱戦や武道練習に気兼ねなく使える消耗品として重宝されていたようである。
刀剣が過去の遺物扱いではなく、人間社会に息づいているのであれば
そのような刀の用途も当然あり得るのであり、それでこそ剣豪なども生じ得る。
木刀や竹刀はおろか、合金製の模造刀とも根本的に異なる真剣の振り心地。
ちょっと体験してみる程度では、腕が未知の筋肉痛に見舞われるばかりで要領を
掴むこともできず、それなりに回数を重ねることでやっとその意義を帯びてくる。
そこまで行き着くためには名刀ではなく、数打ちの刀でも我慢すべきだし、
拵も傷んでいい程度の低級品で済ますべき。美術刀剣の愛好という観点からは
モノの数にも入らないようなクズ刀でも、そういった用途には絶好となる。
すでに達人の域に達していただろう新撰組の局長でも、まだ偽銘刀を用いてた。
相手が名刀のサビにする価値もないような鼠賊だったということもあろうが、
名刀を佩くに値する大丈夫となる道は長く険しいものであるともわきまえるべき。
「近藤勇は自らの愛刀を本物の虎徹だと信じ込んでいた」
とも言われているが、これには同意しない。
副長の土方に「店なんかに本物の虎徹が置いてあるわけがないだろう」
とたしなめながらもあえて購入したというあたり、いかにも確信犯めいてる。
その後も事あるごとに贋物だと揶揄されながら、「いやこれは本物だ」と
洒落で言い張るようなことがあったのではないかとは思われる。
「虎徹銘が様になるほど良くできた偽銘刀」だったらしいのは>>138にも書いた通り。
松平公から真物の葵御紋康継を戴くほどの名声を博しながらも、
実戦ではあえて贋物の虎徹や末代の兼定を用いていたあたりに、
百姓上がりの傭兵集団の頭領や副頭領としての遠慮がうかがえるがーー
実は清麿だった可能性のある偽虎徹、末代といえども和泉守兼定、
それはそれで最高峰に準ずる程度の価値は帯びているあたりにも矜持を感じる。
決して単なる捨て駒扱いばかりに殉じる気もなかったという。
とも言われているが、これには同意しない。
副長の土方に「店なんかに本物の虎徹が置いてあるわけがないだろう」
とたしなめながらもあえて購入したというあたり、いかにも確信犯めいてる。
その後も事あるごとに贋物だと揶揄されながら、「いやこれは本物だ」と
洒落で言い張るようなことがあったのではないかとは思われる。
「虎徹銘が様になるほど良くできた偽銘刀」だったらしいのは>>138にも書いた通り。
松平公から真物の葵御紋康継を戴くほどの名声を博しながらも、
実戦ではあえて贋物の虎徹や末代の兼定を用いていたあたりに、
百姓上がりの傭兵集団の頭領や副頭領としての遠慮がうかがえるがーー
実は清麿だった可能性のある偽虎徹、末代といえども和泉守兼定、
それはそれで最高峰に準ずる程度の価値は帯びているあたりにも矜持を感じる。
決して単なる捨て駒扱いばかりに殉じる気もなかったという。
近藤勇も真剣での殺し合いにはめっぽう強かったのに、竹刀剣道はそれほどでもなかったというし、
土方歳三も天然理心流の正伝からはかけ離れた刀の握り方をしていたことが、
愛刀の柄糸の擦り切れ方からうかがえるという。
それだけ真剣と木刀や竹刀とでは、扱いの勝手がかけ離れているということ。
竹刀を考案した新陰流も当初は、その点を理解して当てっこ剣道に耽溺することを戒めていたというし、
今の剣道の直接的な源流に当たる撃剣も、松平定信が武士たちの肺活量の鍛錬のために奨励し始めた
ものだという。それだけでは真剣での戦闘に応用できないのは始めから知られていたことであり、
当てっこ剣道で勝っただけで偉ぶるような身の程知らずも昔はいなかったのである。
では、真剣を用いた鍛錬も志すとして、それが束売りのクズ刀での稽古ばかりに終始するようでは、
どうしてもモチベーションに欠ける。いざという時にはそれなりの刀を持って戦いに臨むという
想定や用意があって初めて、実際に人を斬り殺す訳にもいかない真剣での稽古にも身が入り始める。
名刀で真剣勝負をするようなことは、昔の武士といえども人生に一度や二度あるかないかといった
程度だったが、それでもそのわずかな機会のために、竹刀から木刀、刃引き(模造刀)から真剣へといった
迫真の強度を変えた全ての剣術稽古を欠かさないことこそが、真の剣道であり、武道であり、武士道であった。
机上の空論にも鉄砲玉状態の殺し合いにも振り切れない、中庸の武こそは日本の武道だったのである。
土方歳三も天然理心流の正伝からはかけ離れた刀の握り方をしていたことが、
愛刀の柄糸の擦り切れ方からうかがえるという。
それだけ真剣と木刀や竹刀とでは、扱いの勝手がかけ離れているということ。
竹刀を考案した新陰流も当初は、その点を理解して当てっこ剣道に耽溺することを戒めていたというし、
今の剣道の直接的な源流に当たる撃剣も、松平定信が武士たちの肺活量の鍛錬のために奨励し始めた
ものだという。それだけでは真剣での戦闘に応用できないのは始めから知られていたことであり、
当てっこ剣道で勝っただけで偉ぶるような身の程知らずも昔はいなかったのである。
では、真剣を用いた鍛錬も志すとして、それが束売りのクズ刀での稽古ばかりに終始するようでは、
どうしてもモチベーションに欠ける。いざという時にはそれなりの刀を持って戦いに臨むという
想定や用意があって初めて、実際に人を斬り殺す訳にもいかない真剣での稽古にも身が入り始める。
名刀で真剣勝負をするようなことは、昔の武士といえども人生に一度や二度あるかないかといった
程度だったが、それでもそのわずかな機会のために、竹刀から木刀、刃引き(模造刀)から真剣へといった
迫真の強度を変えた全ての剣術稽古を欠かさないことこそが、真の剣道であり、武道であり、武士道であった。
机上の空論にも鉄砲玉状態の殺し合いにも振り切れない、中庸の武こそは日本の武道だったのである。
虎徹と正宗は、あまりにも後代の人間が模倣の対象にし過ぎたせいで、
画像で見ただけではありきたりな姿のように思えていまいちパッとしない。
もちろん現物を見れば名刀中の名刀であることが一目瞭然なのだが、
博物館や超高級店のような特殊な場所でしかまず目にできないので、
これまた平常心でその素晴らしさを感じ取るのが難しい。
古刀で正宗以上、新刀で虎徹以上の刀はない扱いであるからには、
その期待を持って見ようとしたにもかかわらず、自らの眼力不足や勉強不足のせいで
いまいちそこまでの凄さを見出せないということもあろうから、
そういう場合にはもっと自分のほうが経験を重ねておくべきだろう。
日本刀の最高峰であるからには、それを実用するようなことも極めて憚られる。
実際に正宗を用いて傷物にした石田三成は敗死し、正宗を佩用するも主力武器は
槍として実用しなかった本田忠勝のほうが最強最勝の武将となったからには、
使わないで済むようなシチュエーションを守ることが勝利の決め手になるとも言える。
「最高の刀はその美しさで実用する思いを萎えさせる」とも言われるが、
ここまで行くと名刀の形骸化を助長しかねないために、これまた同意はできない。
実戦をも想定し、あくまで勝利を企図する上で、結果的に実用しないことが勝機に繋がる、
それが名刀中の名刀であるには違いなく、故により強力な重火器が溢れかえっている
現代においても、名刀の存在価値が危ぶまれるようなことはないのである。
画像で見ただけではありきたりな姿のように思えていまいちパッとしない。
もちろん現物を見れば名刀中の名刀であることが一目瞭然なのだが、
博物館や超高級店のような特殊な場所でしかまず目にできないので、
これまた平常心でその素晴らしさを感じ取るのが難しい。
古刀で正宗以上、新刀で虎徹以上の刀はない扱いであるからには、
その期待を持って見ようとしたにもかかわらず、自らの眼力不足や勉強不足のせいで
いまいちそこまでの凄さを見出せないということもあろうから、
そういう場合にはもっと自分のほうが経験を重ねておくべきだろう。
日本刀の最高峰であるからには、それを実用するようなことも極めて憚られる。
実際に正宗を用いて傷物にした石田三成は敗死し、正宗を佩用するも主力武器は
槍として実用しなかった本田忠勝のほうが最強最勝の武将となったからには、
使わないで済むようなシチュエーションを守ることが勝利の決め手になるとも言える。
「最高の刀はその美しさで実用する思いを萎えさせる」とも言われるが、
ここまで行くと名刀の形骸化を助長しかねないために、これまた同意はできない。
実戦をも想定し、あくまで勝利を企図する上で、結果的に実用しないことが勝機に繋がる、
それが名刀中の名刀であるには違いなく、故により強力な重火器が溢れかえっている
現代においても、名刀の存在価値が危ぶまれるようなことはないのである。
備前刀には、正宗や虎徹以上に見るからに優美な作品が多いが、
これは鎌倉以前の太刀様式の典型的な作風になっているからで、
反りの高さや鎬の低さ、切っ先の細さなどが諸手刀法にはあまり向かない。
元寇の戦いで敵の革鎧を突き通せなかったり帽子が欠けたりした経験から、
日本刀のより一層の強化を図ったのが相州正宗であり、
幾分かの面において正宗は確かに備前刀の進化系ともなっている。
その分、正宗以降の刀はその見た目からして剛毅さを増した。
それもまた一種の美しさであるとは言えるが、女性的な優美さでは幾分か劣る。
(備前刀でも室町以降の祐定などはこの方向に作風が寄っているが)
刀に性別はないのだから、美しさが男性的なのも女性的なのも等しく美しさには違いない。
ただ、人間の男が肉体的な美しさを追求することが悪趣味に転じやすいのと比べると、
刀が男性的に美しいことには何らの嫌味ったらしさもなく、それこそが己が肉体以上に、
偉大な男にとっての身代とすべき美しさであるようにも見受けられる。
刀で革鎧を突き通すということも、男の膂力でなければ務まらぬ話。
それが女ではなく男の強さを象徴するものとなるのは筋肉などとも変わらない。
これは鎌倉以前の太刀様式の典型的な作風になっているからで、
反りの高さや鎬の低さ、切っ先の細さなどが諸手刀法にはあまり向かない。
元寇の戦いで敵の革鎧を突き通せなかったり帽子が欠けたりした経験から、
日本刀のより一層の強化を図ったのが相州正宗であり、
幾分かの面において正宗は確かに備前刀の進化系ともなっている。
その分、正宗以降の刀はその見た目からして剛毅さを増した。
それもまた一種の美しさであるとは言えるが、女性的な優美さでは幾分か劣る。
(備前刀でも室町以降の祐定などはこの方向に作風が寄っているが)
刀に性別はないのだから、美しさが男性的なのも女性的なのも等しく美しさには違いない。
ただ、人間の男が肉体的な美しさを追求することが悪趣味に転じやすいのと比べると、
刀が男性的に美しいことには何らの嫌味ったらしさもなく、それこそが己が肉体以上に、
偉大な男にとっての身代とすべき美しさであるようにも見受けられる。
刀で革鎧を突き通すということも、男の膂力でなければ務まらぬ話。
それが女ではなく男の強さを象徴するものとなるのは筋肉などとも変わらない。
鎌倉期までの太刀様式の備前刀や、ド派手な刃紋の大坂新刀のほうが、
正宗や虎徹よりも見た目の美しさの分かりやすさではよっぽどまさる。
ただ、それが機能美としてもより優位というわけではなく、また全く機能美ではない
というわけでもない、一般的な刀の用途からすれば「特殊な機能美」に当たるものである。
湾刀や大乱れ刃を玄人ぶって好まない人間もいるが、そのうちの何人が、
反りや刃紋の尋常な名刀の価値を本当の意味で計り知っているであろうか?
武家時代までの人間がそのような刀の価値を知るのは、刀が実用されていた世相故に
容易だったろうが、現代ともなると形骸化した技法の居合抜刀稽古がせいぜい関の山。
それでも見た目に美々しすぎる刀を忌み避けたりするのは、ただの見栄ではないか。
革鎧をも突き通し、三つ胴四つ胴をものともしない切れ味を稼ぐ、
そのための作り込みからの機能美に通暁している人間などは、実はそう多くあるまい。
正宗や虎徹も名ばかりの独り歩き状態で、本当にその美しさに惚れている人間などはもう。
正宗や虎徹よりも見た目の美しさの分かりやすさではよっぽどまさる。
ただ、それが機能美としてもより優位というわけではなく、また全く機能美ではない
というわけでもない、一般的な刀の用途からすれば「特殊な機能美」に当たるものである。
湾刀や大乱れ刃を玄人ぶって好まない人間もいるが、そのうちの何人が、
反りや刃紋の尋常な名刀の価値を本当の意味で計り知っているであろうか?
武家時代までの人間がそのような刀の価値を知るのは、刀が実用されていた世相故に
容易だったろうが、現代ともなると形骸化した技法の居合抜刀稽古がせいぜい関の山。
それでも見た目に美々しすぎる刀を忌み避けたりするのは、ただの見栄ではないか。
革鎧をも突き通し、三つ胴四つ胴をものともしない切れ味を稼ぐ、
そのための作り込みからの機能美に通暁している人間などは、実はそう多くあるまい。
正宗や虎徹も名ばかりの独り歩き状態で、本当にその美しさに惚れている人間などはもう。
たたら製鉄における風送りが機械化されていて、完全な人力だった頃とは加減が異なるとか、
機械ハンマーによる鍛刀はやたらと地鉄が硬くなり過ぎるとか、機械化の弊害も多い。
伝統的製法と先進的製法を切り分けているのならともかく、
表向きは伝統を守るという体裁でいながら、要所要所でローコスト化目的の機械化を挟む。
まさに「最低限伝承されていってるだけマシ」という状態。
明治から戦前にかけても、過度の機械化が試みられて伝統技法が蔑ろにされ、
刃紋の美術性に欠けすぎる刀ばかりが打たれたという(>>137の満鉄刀もその内だろう)。
これはこれで問題だから、伝統と進化の両道を庇護して行く途こそがあって然るべき。
古刀はすでに研ぎ細っているものがほとんどなのだから、いくら名刀といえども
今の体配をそのまま参考にするような真似は避けるべきというのも聞いてみれば当然のこと。
古の偉大な技工の再現のためにこそ、新たな工夫が加味されて行く必要もまたある。
機械ハンマーによる鍛刀はやたらと地鉄が硬くなり過ぎるとか、機械化の弊害も多い。
伝統的製法と先進的製法を切り分けているのならともかく、
表向きは伝統を守るという体裁でいながら、要所要所でローコスト化目的の機械化を挟む。
まさに「最低限伝承されていってるだけマシ」という状態。
明治から戦前にかけても、過度の機械化が試みられて伝統技法が蔑ろにされ、
刃紋の美術性に欠けすぎる刀ばかりが打たれたという(>>137の満鉄刀もその内だろう)。
これはこれで問題だから、伝統と進化の両道を庇護して行く途こそがあって然るべき。
古刀はすでに研ぎ細っているものがほとんどなのだから、いくら名刀といえども
今の体配をそのまま参考にするような真似は避けるべきというのも聞いてみれば当然のこと。
古の偉大な技工の再現のためにこそ、新たな工夫が加味されて行く必要もまたある。
賞賛としても中傷としても根拠がなさ過ぎて、意味が認められないな。
研師のインタビューも読んだが、研ぎの技術は明らかに今のほうが進歩しているという。
ロウソクの灯りを頼りにしていた昔と比べて、電気照明に頼れるのが大変な助けになり、
研ぎ跡一つない美麗な仕上げや、偽の刃紋を作ることまでもが今の技術なら容易だという。
拵の塗りなども昔のほうがムラがあるものが多い一方、今のほうが高水準の工作精度が要求されている。
実は昔の日本のほうが、力を入れる分野とその必要のない分野のメリハリが効いていて、
決して誰しもが最高の仕事を要求される「(一億)総活躍社会」などではなかったのである。
これは、何事にかけてもランク分けが重んじられていた封建社会ならではの現象でもある。
刀工にしろ研師にしろ鞘師にしろ、将軍大名御用達ともなれば最高の品質を要求される一方、
下士や平民が相手ならそこまで行かずとも良いという、緩急の許容が普及していたが故の所産。
激安チェーンの外食屋でも最高のサービスが要求されるなんてのは、海外はおろか、昔の日本にも
なかったことであり、八公二民の苛政を敷いていたような暴君に支配されている時代故の奇事である。
ロウソクの灯りを頼りにしていた昔と比べて、電気照明に頼れるのが大変な助けになり、
研ぎ跡一つない美麗な仕上げや、偽の刃紋を作ることまでもが今の技術なら容易だという。
拵の塗りなども昔のほうがムラがあるものが多い一方、今のほうが高水準の工作精度が要求されている。
実は昔の日本のほうが、力を入れる分野とその必要のない分野のメリハリが効いていて、
決して誰しもが最高の仕事を要求される「(一億)総活躍社会」などではなかったのである。
これは、何事にかけてもランク分けが重んじられていた封建社会ならではの現象でもある。
刀工にしろ研師にしろ鞘師にしろ、将軍大名御用達ともなれば最高の品質を要求される一方、
下士や平民が相手ならそこまで行かずとも良いという、緩急の許容が普及していたが故の所産。
激安チェーンの外食屋でも最高のサービスが要求されるなんてのは、海外はおろか、昔の日本にも
なかったことであり、八公二民の苛政を敷いていたような暴君に支配されている時代故の奇事である。
元々、日本製といえば粗悪品の代名詞だったのが、
バブル期以降に高品質の代名詞に成り代わったのも、
工匠間の封建体質がその時点で瓦解したからのようである。
大量生産大量消費の、ボールペン一つに至るまで高品質の限りを尽くす。
それにより確かに日本製も人気を博したが、古来の日本の伝統工芸とは
根本的に異質なものだし、そのせいでの弊害も多く来している。
粗製乱造にかけては中国がそのシェアを奪い、
わざわざ今でも日本で作られる製品が一部に限定され出したのは、
日本の産業の先祖返りという点からもむしろ好ましいことである。
駄目なのは、それが日本刀の刀身級に突き抜けて高級な製品まで対象としてはいないこと。
ひどい所では、100円ショップの商品が多数日本製化しているなんてのもある。
精魂込めて作り上げるに値するものとそうでないものの分別を損ねてしまった禍根を
修復するためには、製造業の個別的な努力だけではない済まない所も当然あるだろう。
勤労姿勢の緩急の許容によって、平民の疲弊による少子化が解消されると共に、
力を入れるべき製造業のより一層の高級化も図られる。一粒で二度も三度もおいしい
案ではあるが、政治から換えて行かないことには務まらないことでもあるに違いない。
バブル期以降に高品質の代名詞に成り代わったのも、
工匠間の封建体質がその時点で瓦解したからのようである。
大量生産大量消費の、ボールペン一つに至るまで高品質の限りを尽くす。
それにより確かに日本製も人気を博したが、古来の日本の伝統工芸とは
根本的に異質なものだし、そのせいでの弊害も多く来している。
粗製乱造にかけては中国がそのシェアを奪い、
わざわざ今でも日本で作られる製品が一部に限定され出したのは、
日本の産業の先祖返りという点からもむしろ好ましいことである。
駄目なのは、それが日本刀の刀身級に突き抜けて高級な製品まで対象としてはいないこと。
ひどい所では、100円ショップの商品が多数日本製化しているなんてのもある。
精魂込めて作り上げるに値するものとそうでないものの分別を損ねてしまった禍根を
修復するためには、製造業の個別的な努力だけではない済まない所も当然あるだろう。
勤労姿勢の緩急の許容によって、平民の疲弊による少子化が解消されると共に、
力を入れるべき製造業のより一層の高級化も図られる。一粒で二度も三度もおいしい
案ではあるが、政治から換えて行かないことには務まらないことでもあるに違いない。
http://ginza.choshuya.co.jp/sale/stand/index_stand.ht...
うちに、これとほぼ同等の紫檀製の太刀掛があるんだが、
時代劇ブームのあった1970年代後半に量産されたものらしく、
当時の新聞にくるまれて専用の段ボール箱に入れられてた。
接合部とかもそれなりにしっかり作られているんだが、塗りは結構ムラがある。
当時はまだ紫檀もそんなに稀少ではなかったらしく、雑な所は雑に作られてる。
金銀螺鈿の施された大名道具の太刀掛なんかより現代建築にも合うし、
結構気に入っている。塗りムラも一種の景色ぐらいに思えばどうということもない。
日本の工業製品が軒並み高品質化する直前ごろに作られた、
最後の昔風な制作体制の伝統工芸。太刀掛ならこれぐらいでも構わない。
製作の無事を神社や神棚に祈願するほどの物品はまた別にあったのだから。
うちに、これとほぼ同等の紫檀製の太刀掛があるんだが、
時代劇ブームのあった1970年代後半に量産されたものらしく、
当時の新聞にくるまれて専用の段ボール箱に入れられてた。
接合部とかもそれなりにしっかり作られているんだが、塗りは結構ムラがある。
当時はまだ紫檀もそんなに稀少ではなかったらしく、雑な所は雑に作られてる。
金銀螺鈿の施された大名道具の太刀掛なんかより現代建築にも合うし、
結構気に入っている。塗りムラも一種の景色ぐらいに思えばどうということもない。
日本の工業製品が軒並み高品質化する直前ごろに作られた、
最後の昔風な制作体制の伝統工芸。太刀掛ならこれぐらいでも構わない。
製作の無事を神社や神棚に祈願するほどの物品はまた別にあったのだから。
数年前にスレまで立てて話したことだが、
アベノミクスが始まった頃に、国内生産の再振興が試みられて、
高級な鍋などの家財道具が大量に量販店に並んでいるのを見たんだ。
そのうちの南部鉄製の最高級品がいつまでも売れないままで残り、
最後は半額の半額の半額、驚異の87.5%引きで投げ売りされてるのを見たもんだ。
努力の方向を見誤っている。
金と技術をかける対象のランクが低い所で頭打ちにされているせいで、
必要もないようなものを高級化するような空回りが生産者側でも起きるし、
消費者もまたそんなものには食指が動かないせいで消費を滞らせる。
機能性が高いだけでなく、それが機能美にまで昇華されている上、
機能美を誇るに値するだけの用途を帯びた器物でもあるもの、
それを工匠に追い求めさせるのでなければ、経済的な効果すらもが見込まれないのだ。
アベノミクスが始まった頃に、国内生産の再振興が試みられて、
高級な鍋などの家財道具が大量に量販店に並んでいるのを見たんだ。
そのうちの南部鉄製の最高級品がいつまでも売れないままで残り、
最後は半額の半額の半額、驚異の87.5%引きで投げ売りされてるのを見たもんだ。
努力の方向を見誤っている。
金と技術をかける対象のランクが低い所で頭打ちにされているせいで、
必要もないようなものを高級化するような空回りが生産者側でも起きるし、
消費者もまたそんなものには食指が動かないせいで消費を滞らせる。
機能性が高いだけでなく、それが機能美にまで昇華されている上、
機能美を誇るに値するだけの用途を帯びた器物でもあるもの、
それを工匠に追い求めさせるのでなければ、経済的な効果すらもが見込まれないのだ。
日本人は、だいたいアメコミが好きではないし、俺もその一人ではある。
世界中で興収一位を獲得した映画のアヴェンジャーズが日本でだけコナンに負けるなど、
その忌み嫌われっぷりは筋金入りであると同時に、アレルギーレベルにも達している。
その内実を知る者として言わせて貰えば、
過度に肉体の力強さばかりを強調しているのが悪趣味だし、
その肉体で武器や兵器の強さをも凌駕しているのが子供騙しだし、
なおかつそれが日本のバトル漫画みたいに開き直ってふざけてるわけではなく、
本当に格好いいものとして売り出そうとしているのが薄ら寒いしで、コテンパンである。
おっさんの肉体美なんざよりも日本刀のほうがはるかに美しい上に、実際にもより強い。
フィクションならノンフィクション以上の面白さを目指してもらいのにあらゆる面で
現実に敵っていないのだから、刀の美しさを知っている日本人には受け入れられない。
世界中で興収一位を獲得した映画のアヴェンジャーズが日本でだけコナンに負けるなど、
その忌み嫌われっぷりは筋金入りであると同時に、アレルギーレベルにも達している。
その内実を知る者として言わせて貰えば、
過度に肉体の力強さばかりを強調しているのが悪趣味だし、
その肉体で武器や兵器の強さをも凌駕しているのが子供騙しだし、
なおかつそれが日本のバトル漫画みたいに開き直ってふざけてるわけではなく、
本当に格好いいものとして売り出そうとしているのが薄ら寒いしで、コテンパンである。
おっさんの肉体美なんざよりも日本刀のほうがはるかに美しい上に、実際にもより強い。
フィクションならノンフィクション以上の面白さを目指してもらいのにあらゆる面で
現実に敵っていないのだから、刀の美しさを知っている日本人には受け入れられない。
ただ、日本人の目から見ても、こういうおっさんは格好いい。
写真が残っている内なら、>>31のおっさんとか合気道開祖の植芝盛平氏とか、
存命のうちなら黒田鉄山氏とかも日本人の納得する格好よさを帯びている。
全く肉体的に貧相なわけではなく、武蔵や植芝氏にも怪力の伝説がある。ただ、
それがゴリラレベルの体育会系に止まらず、高尚な思想哲学や芸術性とも並存している。
そして、なんといっても刀の扱いに究極の精神性を見出し、己が栄達の元手ともしている。
心技体の三位一体に文武両道、剣心一如の完璧超人に極めて近い存在であるが故に格好もいい。
狂人ニーチェの超人思想を参考にしていて、最初期のスーパーマンから諸々の欠陥を
抱えた人間として描かれているアメコミヒーローなどよりも「完全無欠」の度合いが高い。
その上さらに、この世に実在していた(いる)!
どうしておっさんの肉体美や美顔程度でこの差を埋められようか。
写真が残っている内なら、>>31のおっさんとか合気道開祖の植芝盛平氏とか、
存命のうちなら黒田鉄山氏とかも日本人の納得する格好よさを帯びている。
全く肉体的に貧相なわけではなく、武蔵や植芝氏にも怪力の伝説がある。ただ、
それがゴリラレベルの体育会系に止まらず、高尚な思想哲学や芸術性とも並存している。
そして、なんといっても刀の扱いに究極の精神性を見出し、己が栄達の元手ともしている。
心技体の三位一体に文武両道、剣心一如の完璧超人に極めて近い存在であるが故に格好もいい。
狂人ニーチェの超人思想を参考にしていて、最初期のスーパーマンから諸々の欠陥を
抱えた人間として描かれているアメコミヒーローなどよりも「完全無欠」の度合いが高い。
その上さらに、この世に実在していた(いる)!
どうしておっさんの肉体美や美顔程度でこの差を埋められようか。
そもそも思想哲学的な意義がなさ過ぎて板違いな論題だな。
討論/議論板でやれ。
討論/議論板でやれ。
外見が、深遠な哲学性の表出であるということは実際、西洋にはないのだろう。
美しいということも、情念に訴えかけることを主目的としているのだから、
冷厳を極めるべき純粋哲学からは最も遠いものとすら思われている。
情動の止滅の先にあるもの、それこそが美しいということ。
仏教美術や能の演舞もまさにそれを表現しようとしているし、
刀剣もまた人の死を司る器物であるからには、その種の美しさに該当する。
西洋美術も、哲学的なサインを盛り込むようなことはあるようだが、
そのサイン自体が美しいのではなく、ただ単にオマケを付けているだけ。
それとは違い、美しさがそのまま哲学性の表徴であるということ。
見る側もまた、心を山中の湖面のように静止させてようやく理解できるものであり、
情動にこそ訴えかけて行く部類の美しさと比べれば、遥かに難解でもある。
しかし、そういう美しさもまた頑として実在しているのだから、
理解できないからといって否定するぐらいなら、ただ敬遠しておけばいい。
美しいということも、情念に訴えかけることを主目的としているのだから、
冷厳を極めるべき純粋哲学からは最も遠いものとすら思われている。
情動の止滅の先にあるもの、それこそが美しいということ。
仏教美術や能の演舞もまさにそれを表現しようとしているし、
刀剣もまた人の死を司る器物であるからには、その種の美しさに該当する。
西洋美術も、哲学的なサインを盛り込むようなことはあるようだが、
そのサイン自体が美しいのではなく、ただ単にオマケを付けているだけ。
それとは違い、美しさがそのまま哲学性の表徴であるということ。
見る側もまた、心を山中の湖面のように静止させてようやく理解できるものであり、
情動にこそ訴えかけて行く部類の美しさと比べれば、遥かに難解でもある。
しかし、そういう美しさもまた頑として実在しているのだから、
理解できないからといって否定するぐらいなら、ただ敬遠しておけばいい。
能楽「卒都婆小町」
https://youtu.be/Us434W_cWF...
かつては天下一の絶世の美女として名を馳せた小野小町が、
100歳の老婆となってもはや世に打ち捨てられ、朽木の如く野に伏せる。
たまたま休むために座った朽木が卒都婆であったことを僧たちに咎められるも、
「我れのような極楽の外に居る者に罰当たりもへったくれもないわ」と言い負かす。
そこから狂乱を始めて、かつての男の中でも最も心残りのある深草少将の亡霊が
取り憑いたかのような振る舞いを始めるその姿は、今風にいえば老年性の情緒失禁からの
統合失調症の発症ともとれなくはないわけだが、そのような人間の有様の中でも最も
惨めで醜悪な様態を題材として取り上げるのみならず、最上級の芸術表現にまで昇華
させているのは、そこに諸行無常の仏法を重んじようとする信心があったからでもある。
日本で伝統的に芸能が賤業として卑しまれて来たのも、このような高度な哲学性や
道徳性を宿した本格の伝統芸能が既存していたからであって、決して芸能の全てを
否定していたからではない。耳目の欲望を手軽に満たすような安易さを控えるどころか、
情欲の発露の真逆の領域にこそ高度な美意識を見出そうとしているのだから、これこそは
西洋の古典演劇やクラシックや絵画などとも別次元の高尚さを帯びた芸術であるといえる。
https://youtu.be/Us434W_cWF...
かつては天下一の絶世の美女として名を馳せた小野小町が、
100歳の老婆となってもはや世に打ち捨てられ、朽木の如く野に伏せる。
たまたま休むために座った朽木が卒都婆であったことを僧たちに咎められるも、
「我れのような極楽の外に居る者に罰当たりもへったくれもないわ」と言い負かす。
そこから狂乱を始めて、かつての男の中でも最も心残りのある深草少将の亡霊が
取り憑いたかのような振る舞いを始めるその姿は、今風にいえば老年性の情緒失禁からの
統合失調症の発症ともとれなくはないわけだが、そのような人間の有様の中でも最も
惨めで醜悪な様態を題材として取り上げるのみならず、最上級の芸術表現にまで昇華
させているのは、そこに諸行無常の仏法を重んじようとする信心があったからでもある。
日本で伝統的に芸能が賤業として卑しまれて来たのも、このような高度な哲学性や
道徳性を宿した本格の伝統芸能が既存していたからであって、決して芸能の全てを
否定していたからではない。耳目の欲望を手軽に満たすような安易さを控えるどころか、
情欲の発露の真逆の領域にこそ高度な美意識を見出そうとしているのだから、これこそは
西洋の古典演劇やクラシックや絵画などとも別次元の高尚さを帯びた芸術であるといえる。
老女のヒステリーとか、人殺しの道具とか、
ただでさえ忌み嫌われて遠ざけられることの多い事物を、
精魂を込めた芸術表現の対象にしてしまう逆転の発想。
しかも酔狂や偏屈ではなく、大真面目の取り組みとして。
その屋台骨となっているのはやはり、大乗仏教の方便荘厳の思想であったり、
あるいは老荘の思想であったり。
「兵は不祥の器、君子の器に非ず。已むを得ずして之れを用ふるときは、
恬淡を以て上となす。勝つも美とせず。而るに之れを美とする者は、是れ人を殺す
ことを楽しむなり。夫れ人を殺すことを楽しむ者は、以て志しを天下に得べからず」
という老子の哲学を忠実に実践するために、刀剣そのものの美しさを高めて、
極力その使用を躊躇わせようする思いが日本刀の発明者たちにもきっとあったわけで、
さもなくば1000年以上もの間刀一つの美しさばかりにこだわることもなかったはずである。
高度な思想哲学の体現であると同時に、高度な思想哲学による裏付けがあるのでなければ
瓦解してしまう自明さを帯びた美しさでもある。そのため格式張っていてとっつき難いのが
遠ざけられる原因にもなりやすいが、要は美しさこそが保たれていればそこで守られるべき
格式も守られているわけで、その範疇で取り組める表現もまた無限大であるに違いないのだ。
ただでさえ忌み嫌われて遠ざけられることの多い事物を、
精魂を込めた芸術表現の対象にしてしまう逆転の発想。
しかも酔狂や偏屈ではなく、大真面目の取り組みとして。
その屋台骨となっているのはやはり、大乗仏教の方便荘厳の思想であったり、
あるいは老荘の思想であったり。
「兵は不祥の器、君子の器に非ず。已むを得ずして之れを用ふるときは、
恬淡を以て上となす。勝つも美とせず。而るに之れを美とする者は、是れ人を殺す
ことを楽しむなり。夫れ人を殺すことを楽しむ者は、以て志しを天下に得べからず」
という老子の哲学を忠実に実践するために、刀剣そのものの美しさを高めて、
極力その使用を躊躇わせようする思いが日本刀の発明者たちにもきっとあったわけで、
さもなくば1000年以上もの間刀一つの美しさばかりにこだわることもなかったはずである。
高度な思想哲学の体現であると同時に、高度な思想哲学による裏付けがあるのでなければ
瓦解してしまう自明さを帯びた美しさでもある。そのため格式張っていてとっつき難いのが
遠ざけられる原因にもなりやすいが、要は美しさこそが保たれていればそこで守られるべき
格式も守られているわけで、その範疇で取り組める表現もまた無限大であるに違いないのだ。
いやいや、日本刀は
人を殺す道具ではなくて、
自分やら自分の仲間を守る為の
携行しやすい護身具だよ。
日本刀の殺傷力はそんなに高くなかったそうだなら、そもそもの出発点が違う。
昨今の日本刀ブームに乗っかって、あれやこれやと日本刀をワッショイしたいんだろうけど、過ぎ去った時代にロマンを求め過ぎれば、歴史修正主義になる。
一番大事なのは護身具自体ではなく、それを使って守りたいと思える人なのだから、道具自体に執着するのは主客転倒ってもんよ。
◆日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない! 殺傷率は「投石」以下
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/4921...
護身にも使えるし、近接戦での攻撃にも使える。
騎馬戦で長寸の太刀による馬上からの斬り付けが無類の強さを誇ったこともある。
ただ、日本刀が永年を通じて必ずといっていいほど帯びていたのは、
「打首の道具」としての機能であり、敵将の首を刈って戦を終わらせる(戈を止める)
節目で用いられる武具であるが故に、あらゆる武の象徴になると同時に、
>159の戦を好むべからずという老子の言にも適った道具となっている。
(太刀が長大化し過ぎた室町初期には>>117のような脇差の原型も作られた)
「守る」ということに関していえば、ただの保身ではなく、士分の名誉を守ることを
最優先で用いられた。大刀は無礼討ちのため、小刀は己が切腹のため。
実際に江戸時代にそういう目的で用いられた事例がそんなに多くはないとしても、
武家に接する民百姓と、本人自身の礼節を戒める抑止力として機能し続けていた。
(武家の女なら自害用の短刀を携帯し続けることも)
今こうして述べたことも、決して日本刀の用途の全てではあるまい。
あまりにも使い道が多岐にわたるが故に、実用主義では割り切れぬ価値をも帯びている。
見た目の美しさもまた、そのような不可思議な用の美こそを体現しているものなのだから、
その美しさを軽んずるのは、美しさに溺れるのとも同じような一つ覚えの罪となる。
騎馬戦で長寸の太刀による馬上からの斬り付けが無類の強さを誇ったこともある。
ただ、日本刀が永年を通じて必ずといっていいほど帯びていたのは、
「打首の道具」としての機能であり、敵将の首を刈って戦を終わらせる(戈を止める)
節目で用いられる武具であるが故に、あらゆる武の象徴になると同時に、
>159の戦を好むべからずという老子の言にも適った道具となっている。
(太刀が長大化し過ぎた室町初期には>>117のような脇差の原型も作られた)
「守る」ということに関していえば、ただの保身ではなく、士分の名誉を守ることを
最優先で用いられた。大刀は無礼討ちのため、小刀は己が切腹のため。
実際に江戸時代にそういう目的で用いられた事例がそんなに多くはないとしても、
武家に接する民百姓と、本人自身の礼節を戒める抑止力として機能し続けていた。
(武家の女なら自害用の短刀を携帯し続けることも)
今こうして述べたことも、決して日本刀の用途の全てではあるまい。
あまりにも使い道が多岐にわたるが故に、実用主義では割り切れぬ価値をも帯びている。
見た目の美しさもまた、そのような不可思議な用の美こそを体現しているものなのだから、
その美しさを軽んずるのは、美しさに溺れるのとも同じような一つ覚えの罪となる。
小野小町のような絶世の美女といえども、老後に身寄りがなければ
鼻つまみ者の卑しい老婆となり、狂乱と共に野に身をやつすしかなくなるという、
この世の実相こそを教訓的に描いた伎楽が、哲学的価値までもがあるものとして
貴ばれていたから、昔の女たちは早め早めの嫁ぎをあえて目指した。
(DQNが痴情にかられて早婚早産したりするのとは全くの別物)
https://vanillafudge.jp/discussion/2016/0428_1...
そんな情操教育のない時代に生きて、子供を産めなくなる年頃まで独身で
居てしまった女がどんなに身の程を嘆いても、返ってくるのは傷を舐め合うような
同情の言葉ばかりで、多少の慰めにはなろうとも、解決の手段などには決してならない。
あらかじめ、そんな哀れな女をなるべくこの世に生じさせないようにするために、
卒都婆小町のごとき能楽もあえてその演舞が振興されて来たに違いない。
心象的な同情を取り付けるものと、実際の成果を挙げるものが食い違う実例。
鼻つまみ者の卑しい老婆となり、狂乱と共に野に身をやつすしかなくなるという、
この世の実相こそを教訓的に描いた伎楽が、哲学的価値までもがあるものとして
貴ばれていたから、昔の女たちは早め早めの嫁ぎをあえて目指した。
(DQNが痴情にかられて早婚早産したりするのとは全くの別物)
https://vanillafudge.jp/discussion/2016/0428_1...
そんな情操教育のない時代に生きて、子供を産めなくなる年頃まで独身で
居てしまった女がどんなに身の程を嘆いても、返ってくるのは傷を舐め合うような
同情の言葉ばかりで、多少の慰めにはなろうとも、解決の手段などには決してならない。
あらかじめ、そんな哀れな女をなるべくこの世に生じさせないようにするために、
卒都婆小町のごとき能楽もあえてその演舞が振興されて来たに違いない。
心象的な同情を取り付けるものと、実際の成果を挙げるものが食い違う実例。
護身目的に特化された刀の扱い方を修練するのが「居合」であり、
まだ抜いてない状態や座った状態、刀を差してない状態からの抜き付けや抜き打ちまでやる。
これはこれで大変高度な技法であり、鞘をレール代わりにするため抜いた状態よりも
速い切り付けが可能になるともされているが、決して常道の剣術ではない。
古流の日本武術では、必ず剣術と居合は区別されていて、
刀を抜いて構えた状態からの攻撃やカウンターを「剣術」とか「勢法」とかいう。
抜き身の剣術こそがやはり武芸の王道中の王道であり、秘伝を継承する古流もより多い。
有名なところでは、柳生新陰流にも剣術の項目が数多ある一方、居合術の項目はない。
槍術も棒術も薙刀術も柔術(無刀取り)もやってるが、居合術は正伝されてない。
居合術が新陰流よりも流行が遅い上、無刀取りがある程度護身の代役を果たすから。
居合があくまで江戸時代以降の武芸として広まったことこそは、
刀が決して護身だけを目的として愛用されていた武具ではない証拠にもなっている。
真剣を扱う技法といえば居合ばかりやっている今の剣道家の感覚からすれば、
刀なんてものは護身にしか使えないものと思い込まれることもあるかも知れないが。
まだ抜いてない状態や座った状態、刀を差してない状態からの抜き付けや抜き打ちまでやる。
これはこれで大変高度な技法であり、鞘をレール代わりにするため抜いた状態よりも
速い切り付けが可能になるともされているが、決して常道の剣術ではない。
古流の日本武術では、必ず剣術と居合は区別されていて、
刀を抜いて構えた状態からの攻撃やカウンターを「剣術」とか「勢法」とかいう。
抜き身の剣術こそがやはり武芸の王道中の王道であり、秘伝を継承する古流もより多い。
有名なところでは、柳生新陰流にも剣術の項目が数多ある一方、居合術の項目はない。
槍術も棒術も薙刀術も柔術(無刀取り)もやってるが、居合術は正伝されてない。
居合術が新陰流よりも流行が遅い上、無刀取りがある程度護身の代役を果たすから。
居合があくまで江戸時代以降の武芸として広まったことこそは、
刀が決して護身だけを目的として愛用されていた武具ではない証拠にもなっている。
真剣を扱う技法といえば居合ばかりやっている今の剣道家の感覚からすれば、
刀なんてものは護身にしか使えないものと思い込まれることもあるかも知れないが。
[YouTubeで再生]
刀が居合のような先手必勝のための剣技ばかりに用いられるのなら、本造りの
日本刀に必ずある鎬(相手の斬撃を受け流すための刀身側面の盛り上がり)もいらない。
>>1画や>>117-118画のような平造りの刀のほうが切れ味もより稼げて好都合になる。
でも大半の日本刀は鎬造りだし、特に2尺以上の大刀で平造りなんてのはほとんどない。
居合術の始祖の一人である田宮重正も普通に鎬造りの刀を肥前忠吉に特注しているし、
刀を扱う以上は鎬を削り合うような激戦をも想定するのが当然の嗜みとなっている。
日本刀の強度を見くびる者が、刀を刀で受けるのは不可能に等しいなどという妄言を
垂れ流していることもあるが、実際はこの動画の通り。刀が傷付くことを甘受し、
なおかつ鎬で受けることをよく修練さえしておけばまったく可能なことである。
もちろん薙刀や槍を受け流すこともあるし、深い矢傷が鎬付近にある古刀などもある。
最上の切れ味と、鎬造りによる防御力の確保で攻防一体を体現している日本刀の体配は、
不意を襲われるようなシチュエーションではなく、彼我がすでに武器を構えて激戦に
臨むシチュエーションでこそ最大級の能力を発揮するようになっている。
武の素人同然な現代の剣道家ならともかく、実際の殺し合いにも興じていた
かつての武士までもがどうして、刀を護身にしか使えない等ということがあったろうか?
武家時代700年がずっと、宝の持ち腐れの時代だったというのか?
刀が居合のような先手必勝のための剣技ばかりに用いられるのなら、本造りの
日本刀に必ずある鎬(相手の斬撃を受け流すための刀身側面の盛り上がり)もいらない。
>>1画や>>117-118画のような平造りの刀のほうが切れ味もより稼げて好都合になる。
でも大半の日本刀は鎬造りだし、特に2尺以上の大刀で平造りなんてのはほとんどない。
居合術の始祖の一人である田宮重正も普通に鎬造りの刀を肥前忠吉に特注しているし、
刀を扱う以上は鎬を削り合うような激戦をも想定するのが当然の嗜みとなっている。
日本刀の強度を見くびる者が、刀を刀で受けるのは不可能に等しいなどという妄言を
垂れ流していることもあるが、実際はこの動画の通り。刀が傷付くことを甘受し、
なおかつ鎬で受けることをよく修練さえしておけばまったく可能なことである。
もちろん薙刀や槍を受け流すこともあるし、深い矢傷が鎬付近にある古刀などもある。
最上の切れ味と、鎬造りによる防御力の確保で攻防一体を体現している日本刀の体配は、
不意を襲われるようなシチュエーションではなく、彼我がすでに武器を構えて激戦に
臨むシチュエーションでこそ最大級の能力を発揮するようになっている。
武の素人同然な現代の剣道家ならともかく、実際の殺し合いにも興じていた
かつての武士までもがどうして、刀を護身にしか使えない等ということがあったろうか?
武家時代700年がずっと、宝の持ち腐れの時代だったというのか?
>>160やその提示先ページの筆者などが陥っている心理現象に、
「故人バイアス」とでも呼ぶべき現象がある。
故人というのは、すでに死んでいるから故人である。
その当たり前な大前提を見失って、存命だった頃の事績をなにもかも御伽噺か
何かのように感じて、本気の参考対象にすることを一切合切破棄してしまう。
昔の武将や武士の事績にも伝説的なものが多く、
中には妖怪を斬っただとかの到底信じられないものもあるが、
重い真剣での二刀流や、6?を超える大槍を自由自在に使いこなしたとかの、
必ずしも不可能とまでは言えないような伝説もあるのに、
遠い昔の故人の話だからとて、その全てを空想か何かのように片付ける。
「舜も人、我れも人なり」という孟子の諭しの言葉などを鑑みるに、
故人バイアスに相当するような現象は太古の昔からあったようで、
小人はこのせいで先人たちの知恵を軽んじ、同じ過ちを何度でも繰り返す。
そういう者たち自身だけが、古の偉人たちなどには到底及ばない凡愚で
あり続けるのであり、現代人といえども伝説的な功を成せる可能性はいくらでもある。
心の底から本気で、先人たちの知恵や事績に真摯に学ぼうとするのならば。
「故人バイアス」とでも呼ぶべき現象がある。
故人というのは、すでに死んでいるから故人である。
その当たり前な大前提を見失って、存命だった頃の事績をなにもかも御伽噺か
何かのように感じて、本気の参考対象にすることを一切合切破棄してしまう。
昔の武将や武士の事績にも伝説的なものが多く、
中には妖怪を斬っただとかの到底信じられないものもあるが、
重い真剣での二刀流や、6?を超える大槍を自由自在に使いこなしたとかの、
必ずしも不可能とまでは言えないような伝説もあるのに、
遠い昔の故人の話だからとて、その全てを空想か何かのように片付ける。
「舜も人、我れも人なり」という孟子の諭しの言葉などを鑑みるに、
故人バイアスに相当するような現象は太古の昔からあったようで、
小人はこのせいで先人たちの知恵を軽んじ、同じ過ちを何度でも繰り返す。
そういう者たち自身だけが、古の偉人たちなどには到底及ばない凡愚で
あり続けるのであり、現代人といえども伝説的な功を成せる可能性はいくらでもある。
心の底から本気で、先人たちの知恵や事績に真摯に学ぼうとするのならば。
[YouTubeで再生]
古流の居合術には敵からの攻撃を刀で受ける技法もあるが、現代の居合道の制定形には一つもない。
剣道形には一応あるが、極端に近い間合いに踏み込んでからの受け流しであるため実用性がない。
剣道形は1912年、居合道形は1958年に初めて制定されたものであり、
古流ではない上に、古流の形に倣ったものですらない。
特定の流派への贔屓になることを避けるため、あえてどこの流派にも似ない形にしたものだから、
実戦性などはないに等しいと、制定に携わった剣術家たち自身が証言している。
現代の剣道形や居合道形に似ないどころか、逆に近いようなことをやるのが古流の主流。
一撃必殺だけが取り柄のタイ捨流などを除いて、鎬による受け流しからのカウンターのほうが主体。
新陰流の合し打ちや一刀流の切落などの奥義もそうだし、剣の理合を応用した大東流や合気道の
組み伏せ術もそうである。柔術なら相手の捕縛に移れるが、剣なら相手への殺傷攻撃となる。
攻防一体の武器としてこそ最強なのが日本刀であり、現代の剣道や居合道ではそこが疎かに
されているものだから真価を汲み取れず、実用性に関しては妄想ぐらいしかできなかったりする。
古流をちょっと教わっただけでもすぐ分かることを分かろうとしないのも、一種の故人バイアスだろう。
古流の居合術には敵からの攻撃を刀で受ける技法もあるが、現代の居合道の制定形には一つもない。
剣道形には一応あるが、極端に近い間合いに踏み込んでからの受け流しであるため実用性がない。
剣道形は1912年、居合道形は1958年に初めて制定されたものであり、
古流ではない上に、古流の形に倣ったものですらない。
特定の流派への贔屓になることを避けるため、あえてどこの流派にも似ない形にしたものだから、
実戦性などはないに等しいと、制定に携わった剣術家たち自身が証言している。
現代の剣道形や居合道形に似ないどころか、逆に近いようなことをやるのが古流の主流。
一撃必殺だけが取り柄のタイ捨流などを除いて、鎬による受け流しからのカウンターのほうが主体。
新陰流の合し打ちや一刀流の切落などの奥義もそうだし、剣の理合を応用した大東流や合気道の
組み伏せ術もそうである。柔術なら相手の捕縛に移れるが、剣なら相手への殺傷攻撃となる。
攻防一体の武器としてこそ最強なのが日本刀であり、現代の剣道や居合道ではそこが疎かに
されているものだから真価を汲み取れず、実用性に関しては妄想ぐらいしかできなかったりする。
古流をちょっと教わっただけでもすぐ分かることを分かろうとしないのも、一種の故人バイアスだろう。
刀の防御力の検証については、
>>165の動画のように実際に打ち合わせてみるのが難しいようなら、
体験程度にでも刀を研いでみるとよくわかる。
俺も錆びだらけのクズ刀を研がせてもらったことがあるが、思いのほか研げない。
美術研ぎの綺麗な刀を見ると、まるでガラス細工か何かのようで、いかにも
傷つきやすいような印象を受けかねないが、そんな想像よりもはるかに硬い。
刃鉄だけでなく地鉄もかなり硬く、錆びを落としきるのにもかなりの力を要する。
だから研師もほぼ全員が男性だし、年季者ともなると力の込めすぎで背中が丸まってたりもする。
それほどにも硬いから、他の刃物での斬撃を受け流したりすることも可能である。
受け方が悪いと大きな傷が入るが、うまければほとんど傷もいかない。
日本刀が日本刀たる特徴は、切れ味以上にこの防御力の高さにあるとすらいえる。
それほどにも体配の隅々にわたるまで精魂を込めて作られているものだからこそ、
刃紋の美しさを追求するような機縁までもが生じたのでもある。
>>165の動画のように実際に打ち合わせてみるのが難しいようなら、
体験程度にでも刀を研いでみるとよくわかる。
俺も錆びだらけのクズ刀を研がせてもらったことがあるが、思いのほか研げない。
美術研ぎの綺麗な刀を見ると、まるでガラス細工か何かのようで、いかにも
傷つきやすいような印象を受けかねないが、そんな想像よりもはるかに硬い。
刃鉄だけでなく地鉄もかなり硬く、錆びを落としきるのにもかなりの力を要する。
だから研師もほぼ全員が男性だし、年季者ともなると力の込めすぎで背中が丸まってたりもする。
それほどにも硬いから、他の刃物での斬撃を受け流したりすることも可能である。
受け方が悪いと大きな傷が入るが、うまければほとんど傷もいかない。
日本刀が日本刀たる特徴は、切れ味以上にこの防御力の高さにあるとすらいえる。
それほどにも体配の隅々にわたるまで精魂を込めて作られているものだからこそ、
刃紋の美しさを追求するような機縁までもが生じたのでもある。
>>163
故人バイアスで、過去の偉人たちの事績をみんな御伽噺扱いで切り捨て、
自分自身が真摯な生き方の参考にするようなことも見限ってしまう。
だからこそおまえみたいな劣等感と嫉妬心の塊にもなってしまう。
特に、今の日本人は戦後70年以上ろくな偉人に恵まれていない特殊事情のせいで、
故人の事績から目を背けたのでは決してろくな人間になれることがない。
船坂弘氏や小野田寛郎氏のようにも、なれる素質があった所でなれない。
東大出ようが、自衛隊の精鋭になろうが、有名アスリートになろうが、
その天井は犬小屋のように低く、身をかがめたままでしかいることができないから。
ただ何者をも恐れることなく悠然と持論を述べているだけの俺にすら
嫉妬心を抱いてしまうほどのイジケ加減も、確かにそれこそが原因だ。
歴史的に見ても世界的に見ても、明らかにそちらのほうが異常な精神状態である。
故人バイアスで、過去の偉人たちの事績をみんな御伽噺扱いで切り捨て、
自分自身が真摯な生き方の参考にするようなことも見限ってしまう。
だからこそおまえみたいな劣等感と嫉妬心の塊にもなってしまう。
特に、今の日本人は戦後70年以上ろくな偉人に恵まれていない特殊事情のせいで、
故人の事績から目を背けたのでは決してろくな人間になれることがない。
船坂弘氏や小野田寛郎氏のようにも、なれる素質があった所でなれない。
東大出ようが、自衛隊の精鋭になろうが、有名アスリートになろうが、
その天井は犬小屋のように低く、身をかがめたままでしかいることができないから。
ただ何者をも恐れることなく悠然と持論を述べているだけの俺にすら
嫉妬心を抱いてしまうほどのイジケ加減も、確かにそれこそが原因だ。
歴史的に見ても世界的に見ても、明らかにそちらのほうが異常な精神状態である。
この文脈だと飼い主がアメリカ、犬小屋が今の日本で、
犬が日本人だと分かりそうなもんだがなあ。
今の日本の企業経営者の労働者への目に余るような横暴も、
仁義に篤い戦前世代が軒並み死に絶えたことによる故人バイアスを原因としている。
だいたい、日本ほど下々の労働者への手厚い保護を昔から心がけて来た国は他にない。
日本で初めて奴隷使役や人身売買が禁止されたのは今から776年前の寛元元年(1243年)、
アメリカの奴隷解放宣言より619年も前のことである。この人権尊重意識の高さから、
全世界共通の奴隷装束である耳ピアスが日本では廃れ、隣の中国ですら通用的だった
女や僧侶の耳環装束までもがなくなった。すでに奴隷制が廃止されて久しい室町後期の
日本に奴隷売買を持ち込んだ咎で、秀吉や家康もキリシタンを禁教にして排除したし、
その後も江戸時代の間中、人身売買が永続的に規制され続けていたからこそ、裏で
口利き(今の人材派遣に相当)をやっていた越後屋のような商人が、お代官さまに賄賂を
渡してお目こぼしを頂くことが許されざるべき犯罪行為と見なされていたのでもある。
今やそのような、武家時代には常識的だった人権意識も絶えて、牛馬のごとき
扱いを被っては貧窮や過労死にあえぐ労働者が一定数に上るようになってしまった。
これも刀の美しさを解し尊べるほどの美意識を持つ武士や、その魂の継承者が絶えたため。
人間の顔面か裸体の性的魅力ぐらいにしか目がいかない下衆ばかりとなってしまったためだ。
犬が日本人だと分かりそうなもんだがなあ。
今の日本の企業経営者の労働者への目に余るような横暴も、
仁義に篤い戦前世代が軒並み死に絶えたことによる故人バイアスを原因としている。
だいたい、日本ほど下々の労働者への手厚い保護を昔から心がけて来た国は他にない。
日本で初めて奴隷使役や人身売買が禁止されたのは今から776年前の寛元元年(1243年)、
アメリカの奴隷解放宣言より619年も前のことである。この人権尊重意識の高さから、
全世界共通の奴隷装束である耳ピアスが日本では廃れ、隣の中国ですら通用的だった
女や僧侶の耳環装束までもがなくなった。すでに奴隷制が廃止されて久しい室町後期の
日本に奴隷売買を持ち込んだ咎で、秀吉や家康もキリシタンを禁教にして排除したし、
その後も江戸時代の間中、人身売買が永続的に規制され続けていたからこそ、裏で
口利き(今の人材派遣に相当)をやっていた越後屋のような商人が、お代官さまに賄賂を
渡してお目こぼしを頂くことが許されざるべき犯罪行為と見なされていたのでもある。
今やそのような、武家時代には常識的だった人権意識も絶えて、牛馬のごとき
扱いを被っては貧窮や過労死にあえぐ労働者が一定数に上るようになってしまった。
これも刀の美しさを解し尊べるほどの美意識を持つ武士や、その魂の継承者が絶えたため。
人間の顔面か裸体の性的魅力ぐらいにしか目がいかない下衆ばかりとなってしまったためだ。
「おしん」のような貧農の人身売買が常套化してしまったのも、実は明治以降のこと。
東京への一極集中化によって地方の農村がジリ貧となり、なおかつ庄屋の横暴に
歯止めをかける役割を果たしていた武士がいなくなって寄生地主の権限が増大し、
小作農が江戸時代をもはるかに上回るような貧窮に苛まれ始めたことによる。
(おしんの舞台になった山形も元来は幕府直轄で富裕に恵まれていた土地である)
全ての武家が帯刀を廃し、髻を切ってザンギリ頭となった時点ですでに、
最上級の美意識に基づく人間社会の統治にも綻びが生じ始めていた。
それでもまだ武家時代を知る者や、彼らやその文化を尊重できる意識があったのが
「昔取った杵柄」として多少は存続していたのが、ほぼ完全に絶えて今に至る。
すでに当時を知る者も、当時を知る者を知る者すらも死ぬかボケ果てている昨今、
確かに当時のままで現存しているといえるのは刀そのものであったり、古武術や
伝統芸能の形であったり。ただそれらを重んずるだけでなく、それらを血肉と共に実用
していた人々が確かにいたという実感を持てることが、より心がけられるべきだといえる。
東京への一極集中化によって地方の農村がジリ貧となり、なおかつ庄屋の横暴に
歯止めをかける役割を果たしていた武士がいなくなって寄生地主の権限が増大し、
小作農が江戸時代をもはるかに上回るような貧窮に苛まれ始めたことによる。
(おしんの舞台になった山形も元来は幕府直轄で富裕に恵まれていた土地である)
全ての武家が帯刀を廃し、髻を切ってザンギリ頭となった時点ですでに、
最上級の美意識に基づく人間社会の統治にも綻びが生じ始めていた。
それでもまだ武家時代を知る者や、彼らやその文化を尊重できる意識があったのが
「昔取った杵柄」として多少は存続していたのが、ほぼ完全に絶えて今に至る。
すでに当時を知る者も、当時を知る者を知る者すらも死ぬかボケ果てている昨今、
確かに当時のままで現存しているといえるのは刀そのものであったり、古武術や
伝統芸能の形であったり。ただそれらを重んずるだけでなく、それらを血肉と共に実用
していた人々が確かにいたという実感を持てることが、より心がけられるべきだといえる。
元北条家重宝「鬼丸国綱」
特に恒時の弟、時頼の愛刀だったことで有名。
元来、武士という身分自体が奴隷並みかそれ以上に命を捨ててかかることを
頻繁に強いられるものであることから、奴隷への慈しみも湧いたのだろう。
世界的には、軍隊の兵士というのも奴隷身分が配属されることが昔は多かった。
特にその奴隷兵を、督戦隊が背後から射かけることで進軍を強要するという、
非道極まる戦法によって領土を拡大していったのが、かのモンゴル帝国なのだが、
戦はあくまで武士の領分だからとて、老兵まで借り出して防衛に臨んだ鎌倉武士たちの、
最高峰の利刀による斬り付け攻撃にあえなく敗れ、大陸への撤退を余儀なくされた。
まさに、元寇における蒙古の撃退こそは、奴隷廃止の奴隷酷使に対する勝利でもあった。
現代でも日本刀の最高峰と称される正宗ほかの鎌倉後期の刀と、それを自由自在に
扱えるだけの戦闘スキルを武家としての責任感によって温めて来た鎌倉武士が、
今の日本のブラック経営にも似るような人材使い捨ての暴虐を叩き潰した事績。
その美意識こそは確かに、畜生道同然の品性の下劣さよりも強いものである。
強いものであり、なおかつより普遍的な美しさをも帯びている。
知り得た者から不退転となるのが当然な領域となっている。
特に恒時の弟、時頼の愛刀だったことで有名。
元来、武士という身分自体が奴隷並みかそれ以上に命を捨ててかかることを
頻繁に強いられるものであることから、奴隷への慈しみも湧いたのだろう。
世界的には、軍隊の兵士というのも奴隷身分が配属されることが昔は多かった。
特にその奴隷兵を、督戦隊が背後から射かけることで進軍を強要するという、
非道極まる戦法によって領土を拡大していったのが、かのモンゴル帝国なのだが、
戦はあくまで武士の領分だからとて、老兵まで借り出して防衛に臨んだ鎌倉武士たちの、
最高峰の利刀による斬り付け攻撃にあえなく敗れ、大陸への撤退を余儀なくされた。
まさに、元寇における蒙古の撃退こそは、奴隷廃止の奴隷酷使に対する勝利でもあった。
現代でも日本刀の最高峰と称される正宗ほかの鎌倉後期の刀と、それを自由自在に
扱えるだけの戦闘スキルを武家としての責任感によって温めて来た鎌倉武士が、
今の日本のブラック経営にも似るような人材使い捨ての暴虐を叩き潰した事績。
その美意識こそは確かに、畜生道同然の品性の下劣さよりも強いものである。
強いものであり、なおかつより普遍的な美しさをも帯びている。
知り得た者から不退転となるのが当然な領域となっている。
大日本帝国も、鎌倉武士の元寇撃退を先祖たちの英雄譚としてよく持て囃していたが、
そんな自分たちがやっていたことはといえば、完全に蒙古軍寄りの所業ばかりである。
鎌倉武士の専守防衛的な姿勢からは程遠い、止めどなき領土拡大路線。
貧農あたりから奴隷の徴発同然に兵士を駆り出してきては使い潰す人材軽視。
鎌倉時代の刀の足の裏にも及ばないような、粗悪なスプリング鋼製の軍刀を持たせてのバンザイ突撃。
現行犯の逃亡兵の即時射殺なんかも当然のこととして行われていた。
大和魂がアメリカに敗れたのではなく、蒙古魂が破れたのも同然のこと。
あんなものを日本人の伝統的な美意識の亜流とでも思い込むことすら、勘違いの極みとなってしまう。
そんな自分たちがやっていたことはといえば、完全に蒙古軍寄りの所業ばかりである。
鎌倉武士の専守防衛的な姿勢からは程遠い、止めどなき領土拡大路線。
貧農あたりから奴隷の徴発同然に兵士を駆り出してきては使い潰す人材軽視。
鎌倉時代の刀の足の裏にも及ばないような、粗悪なスプリング鋼製の軍刀を持たせてのバンザイ突撃。
現行犯の逃亡兵の即時射殺なんかも当然のこととして行われていた。
大和魂がアメリカに敗れたのではなく、蒙古魂が破れたのも同然のこと。
あんなものを日本人の伝統的な美意識の亜流とでも思い込むことすら、勘違いの極みとなってしまう。
本物の武士道、本物の大和魂は、鬼丸国綱や正宗のような
美術的価値でも最高峰にあたるような名刀に象徴されるものである一方、
大日本帝国や旧日本軍の実質蒙古も同然なブラック経営魂は、
ろくに刃紋もないようなスプリング軍刀が象徴であっても十分な程度のものでしかない。
だから、両者の区別を徹底するためにも、刀の美しさを軽んずるようなことがあってはならない。
本物の美意識は本物の美しさを求め、贋物の美意識は贋物の美しさに終始するものなのだから、
表向きの見た目だけの美しさを愛でるようなことは忌み避けられるべきだとしても、それを
根本的な本質からの美しさにまで派生させるような真似を決してすべきではないのだ。
美術的価値でも最高峰にあたるような名刀に象徴されるものである一方、
大日本帝国や旧日本軍の実質蒙古も同然なブラック経営魂は、
ろくに刃紋もないようなスプリング軍刀が象徴であっても十分な程度のものでしかない。
だから、両者の区別を徹底するためにも、刀の美しさを軽んずるようなことがあってはならない。
本物の美意識は本物の美しさを求め、贋物の美意識は贋物の美しさに終始するものなのだから、
表向きの見た目だけの美しさを愛でるようなことは忌み避けられるべきだとしても、それを
根本的な本質からの美しさにまで派生させるような真似を決してすべきではないのだ。
真面目に付き合うほどの相手か?
なぜ欧米人は、芸者(娼婦)だの忍者(盗聴者)だのという、
卑賤な上に一般的でもなんでもないようなものばかりを
昔から日本文化の代表として持て囃し続けているのか?
自分たち自身が、日本に逗留するとなればそんな人種ばかりを
好き好んで寄せ付けるような不真面目さの持ち主ばかりだから。
高貴な身分や清浄な心の持ち主ほど遠ざかるし、遠ざける。
類は友を呼び、敵に警戒心を抱かせて。
真面目に日本文化を学ぼうとするような欧米人もいるにはいるが、
あくまで少数派だから、本国では日本といえばゲイシャにニンジャ。
いくら表向きの修辞で真面目ぶろうとも、頭隠して尻隠さず。
そういう人種が残念ながら、近ごろは日本でも多いことよ。
卑賤な上に一般的でもなんでもないようなものばかりを
昔から日本文化の代表として持て囃し続けているのか?
自分たち自身が、日本に逗留するとなればそんな人種ばかりを
好き好んで寄せ付けるような不真面目さの持ち主ばかりだから。
高貴な身分や清浄な心の持ち主ほど遠ざかるし、遠ざける。
類は友を呼び、敵に警戒心を抱かせて。
真面目に日本文化を学ぼうとするような欧米人もいるにはいるが、
あくまで少数派だから、本国では日本といえばゲイシャにニンジャ。
いくら表向きの修辞で真面目ぶろうとも、頭隠して尻隠さず。
そういう人種が残念ながら、近ごろは日本でも多いことよ。
いま真面目かどうかじゃなくて、根本的に真面目な人間かどうかだ。
別に不真面目なら不真面目でもえいんや。
ただ、高尚な学問や、刀や能の美しさなどについて語り合う相手にはならないだけでな。
漫画か近ごろの音楽あたりならいいとして。
別に不真面目なら不真面目でもえいんや。
ただ、高尚な学問や、刀や能の美しさなどについて語り合う相手にはならないだけでな。
漫画か近ごろの音楽あたりならいいとして。
友人や先輩後輩ぐらいは居たこともあるが、
端的にいってつまらんのよなあ。
ふざけたこと話してはしゃぎ合ってもつまらんし、
真面目な話をしようとして茶化されてもつまらん。
特別DQNな相手だったわけでもないけど、
俺がしたいほど真面目な話や計画に付き合える人間は一人もおらんかった。
そういう経験があるから今でもSNS一つやらず、
こうしてただ一人、誰が聞いていようがいまいが構わん体裁で
タラタラと自論を垂れ流し続けておるわな。
つまらん奴だと思われても、お互い様なんだから別に構わん。
今さら孤独感を抱かされるほど世の中に期待してもいないし。
端的にいってつまらんのよなあ。
ふざけたこと話してはしゃぎ合ってもつまらんし、
真面目な話をしようとして茶化されてもつまらん。
特別DQNな相手だったわけでもないけど、
俺がしたいほど真面目な話や計画に付き合える人間は一人もおらんかった。
そういう経験があるから今でもSNS一つやらず、
こうしてただ一人、誰が聞いていようがいまいが構わん体裁で
タラタラと自論を垂れ流し続けておるわな。
つまらん奴だと思われても、お互い様なんだから別に構わん。
今さら孤独感を抱かされるほど世の中に期待してもいないし。
この世には、面白おかしく勉強ができる人間もいれば、嫌々しかできない人間もいる。
大半の人間は後者であり、一生懸命勉強していい大学を出たような人間といえども、
あくまで進学を社会的地位を得るための手段としていただけだから、
社会に出てからは本格的な勉強なんか一切しなくなるような連中が大半である。
実際俺も、勉強のための勉強を好んでいるような自分の性向のほうが、LGBT以上に
仲間を見つけ難い変態の部類なのだろうと自覚しているから、誰に押し付けようともしない。
勉強に次ぐ勉強、修行に次ぐ修行の果てに超人的な能力が獲得されたり、
難病を克服できたりといった見返りもあってこそ臨んでいることだが、それもまた常人の
想像を絶するような困難の果てにのみ得られるものだから、人を釣るエサなどにはできない。
そのため一生孤独でいるか、距離感を保った上での人付き合い程度はするか、
億が一程度には自分と志しを同じゅうする者と出会えるか、
どうなるにしても、そればかりを気にしていても埒のあかないことである。
大半の人間は後者であり、一生懸命勉強していい大学を出たような人間といえども、
あくまで進学を社会的地位を得るための手段としていただけだから、
社会に出てからは本格的な勉強なんか一切しなくなるような連中が大半である。
実際俺も、勉強のための勉強を好んでいるような自分の性向のほうが、LGBT以上に
仲間を見つけ難い変態の部類なのだろうと自覚しているから、誰に押し付けようともしない。
勉強に次ぐ勉強、修行に次ぐ修行の果てに超人的な能力が獲得されたり、
難病を克服できたりといった見返りもあってこそ臨んでいることだが、それもまた常人の
想像を絶するような困難の果てにのみ得られるものだから、人を釣るエサなどにはできない。
そのため一生孤独でいるか、距離感を保った上での人付き合い程度はするか、
億が一程度には自分と志しを同じゅうする者と出会えるか、
どうなるにしても、そればかりを気にしていても埒のあかないことである。
四書五経なんか読んでも何がいいのかさっぱりわかりゃあせん、
刀の刃紋や能の演舞も見てて何が面白いのかわからん。
そんな、真面目を楽しめず不真面目を楽しむ人間のほうが圧倒的大多数だし、
武家時代の日本といえども百姓間などでは過半数ではなかったろうか。
ただ、高尚なものを楽しめる真面目な人間のほうが、
不真面目なものは楽しめないのかといえば、そういうわけではない。
近年の漫画や音楽や映画などもそれなりに楽しめるし、
むしろより上位互換の普遍的な楽しみを知っている分だけ、
俗文化を楽しむことにも余裕が生まれる。
たとえば音楽なら、クラシックやジャズはいいけどロックはダメだとか、
メタルはいいけどパンクはダメだとか、洋楽はいいけど邦楽はダメだとか
いったような中二病じみたこだわりを捨てて、音楽全般を楽しめる。
近頃の日本人は、大人になるとこだわりを持って音楽を聴くことに疲れて、
音楽趣味を一切合切捨ててしまうなんていう人間も多いが、
より高尚な伎楽文化なども知ればこそ、そのような極端に走ってしまうことがない。
モーツァルトもコルトレーンもビートルズも米津玄師も、
大衆ウケが第一な俗文化であることには変わりないのだから、
無駄な分け隔て意識などを持つ必要はない。その余裕こそは、
本当に高尚な文化の楽しみも知る者だけが抱けるものである。
刀の刃紋や能の演舞も見てて何が面白いのかわからん。
そんな、真面目を楽しめず不真面目を楽しむ人間のほうが圧倒的大多数だし、
武家時代の日本といえども百姓間などでは過半数ではなかったろうか。
ただ、高尚なものを楽しめる真面目な人間のほうが、
不真面目なものは楽しめないのかといえば、そういうわけではない。
近年の漫画や音楽や映画などもそれなりに楽しめるし、
むしろより上位互換の普遍的な楽しみを知っている分だけ、
俗文化を楽しむことにも余裕が生まれる。
たとえば音楽なら、クラシックやジャズはいいけどロックはダメだとか、
メタルはいいけどパンクはダメだとか、洋楽はいいけど邦楽はダメだとか
いったような中二病じみたこだわりを捨てて、音楽全般を楽しめる。
近頃の日本人は、大人になるとこだわりを持って音楽を聴くことに疲れて、
音楽趣味を一切合切捨ててしまうなんていう人間も多いが、
より高尚な伎楽文化なども知ればこそ、そのような極端に走ってしまうことがない。
モーツァルトもコルトレーンもビートルズも米津玄師も、
大衆ウケが第一な俗文化であることには変わりないのだから、
無駄な分け隔て意識などを持つ必要はない。その余裕こそは、
本当に高尚な文化の楽しみも知る者だけが抱けるものである。
人は自分を写す鏡か…お前も良い事言う時もあるな
だったら、日々を慌ただしく仕事に追われていて趣味も持てないような社会人のほうが、
高尚な趣味のある無職者よりも不真面目な人種であるということになるから、
そんな連中のほうが無職を不真面目な人種として蔑む資格もないといえる。
自分が無職者になってしまうことへの恐怖から、すでに機械による自動化や在宅勤務化が可能で
あるような仕事も、あえて自分が通勤で続けてやろうとしたりするのも、不真面目さゆえの所業である。
家族を養うような最低限の責務のためというのなら、なぜ今の日本人は
江戸時代の倍以上の労働時間でいて、なおかつ江戸時代ほどにも人口動態面から
世の中を健全に営むことができていないのか。身に余るような富裕さのための債務に追われて、
ろくに趣味も持てないほどの忙殺に見舞われていることの方がむしろ主体であるからだろう。
高尚な趣味のある無職者よりも不真面目な人種であるということになるから、
そんな連中のほうが無職を不真面目な人種として蔑む資格もないといえる。
自分が無職者になってしまうことへの恐怖から、すでに機械による自動化や在宅勤務化が可能で
あるような仕事も、あえて自分が通勤で続けてやろうとしたりするのも、不真面目さゆえの所業である。
家族を養うような最低限の責務のためというのなら、なぜ今の日本人は
江戸時代の倍以上の労働時間でいて、なおかつ江戸時代ほどにも人口動態面から
世の中を健全に営むことができていないのか。身に余るような富裕さのための債務に追われて、
ろくに趣味も持てないほどの忙殺に見舞われていることの方がむしろ主体であるからだろう。
なおかつ、儒学や刀や能の勉強がなぜ「高尚な趣味」であり得るのかといえば、
そこで培われた知識こそが善政などの優れた仕事の糧になるからである。
せいぜい自分一人か自分の家族を養うためでしかなく、なおかつそのためには
世の中での我田引水による危害すら厭わない仕事もこの世には数多くあるが、
そんな仕事よりも、世の中にとって有益な仕事をすべきなのはもちろんのこと、
有益な仕事をするための勉強をしているほうがまだはるかにマシである。
「今の日本は故人バイアスのせいで不埒な振る舞いをする人間が増えた」
ともここや他スレで述べていたが、故人バイアスなんていう小市民らしい心象に
陥ってしまって脱却することができないのも、いにしえの叡智を尊ぶ真面目な勉強を
ろくにして来ていないからである。そんな人間は一切働くなというのも無理があるが、
少なくとも人の上に立ったり、世の中を大きく動かすような仕事をすべきではないといえる。
そこで培われた知識こそが善政などの優れた仕事の糧になるからである。
せいぜい自分一人か自分の家族を養うためでしかなく、なおかつそのためには
世の中での我田引水による危害すら厭わない仕事もこの世には数多くあるが、
そんな仕事よりも、世の中にとって有益な仕事をすべきなのはもちろんのこと、
有益な仕事をするための勉強をしているほうがまだはるかにマシである。
「今の日本は故人バイアスのせいで不埒な振る舞いをする人間が増えた」
ともここや他スレで述べていたが、故人バイアスなんていう小市民らしい心象に
陥ってしまって脱却することができないのも、いにしえの叡智を尊ぶ真面目な勉強を
ろくにして来ていないからである。そんな人間は一切働くなというのも無理があるが、
少なくとも人の上に立ったり、世の中を大きく動かすような仕事をすべきではないといえる。
まーた、話を逸らしたよ。
生産性のない人間は、宗教やら芸術やら文化に自己の拠り所を求める。で、笠地蔵はものの見事に役満。
世の中に不満があるのは分かるけども、ニートの身分で偉そうにするのはよくない。
「難病治した / ◯◯がうまい(自称)」なんてのは、せいぜい「高校の部活で、県大会ベスト16でした」程度の自己アピールにしかならんのだから、今の労働のあり方がおかしいと感じるのなら、自給自足なり自分が潔しと思う働き方をすりゃいいんだよ。
どう言い訳したって、乞食と無職の方が安逸だ。
生産性のない人間は、宗教やら芸術やら文化に自己の拠り所を求める。で、笠地蔵はものの見事に役満。
世の中に不満があるのは分かるけども、ニートの身分で偉そうにするのはよくない。
「難病治した / ◯◯がうまい(自称)」なんてのは、せいぜい「高校の部活で、県大会ベスト16でした」程度の自己アピールにしかならんのだから、今の労働のあり方がおかしいと感じるのなら、自給自足なり自分が潔しと思う働き方をすりゃいいんだよ。
どう言い訳したって、乞食と無職の方が安逸だ。
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