自分自身が命を捨てて戦うつもりでいる急先鋒の下士ともなると、
あえて名刀の佩用を避けることが多かったようではある。
土方歳三の愛刀として有名な和泉守兼定も、骨董的価値のより高い古刀の兼定ではなく、
末代の新々刀(当時の現代刀)の兼定であり、今でもそう高い評価なわけではない。
実ははるかに価値の高い初代康継の刀なども松平容保公から下賜されていたのだが、
酷使をはばかって戊辰戦争の前に友人に譲渡してしまっていたのである。
この葵御紋康継も、柄糸が擦り切れていてそれなりに実用した痕跡はあるのだが、
刃こぼれ一つなく、激戦で用いることはあえて避けられたようである。
(有名な和泉守兼定は刃こぼれだらけだったのを研ぎ直したものである)
本当は、この康継を常時佩用できるような身分となって故郷に錦を飾りたかったが、
そうとも行かず、石田三成のように最後まで名刀に固執して正宗を傷物にして
しまうような真似はすまいと、遂には手放して末代兼定と共に散っていった。
命を惜しまずとも、生きて栄華に与れる可能性もまた戦死の幾分か前までは
期待していたという新撰組隊士の意外な側面。明治以降の日本兵たちが
ろくに見習うことも許されなかった側面でもある。
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