SARO&Desperado隔離スレ
▼ページ最下部
※省略されてます すべて表示...
私のブログにようこそ!!
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。
山上に集まった人々だけでなく、それまで弟子として従っていた多くの者たちも去って行きました。彼ら
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
(つづく)
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。
ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。
最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。
もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。
今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。
『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。
イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。
ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。
ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。
最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。
もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。
今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。
『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。
イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。
『それでは、あなたがたは私を何者だと言うか』。
ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。
しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。
だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。
そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。
(つづく)
ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。
しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。
だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。
そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。
いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。
しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。
これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。
ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。
こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。
(つづく)
それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。
いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。
しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。
これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。
ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。
こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。
しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。
仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。
ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。
それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。
この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。
イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。
(つづく)
エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。
しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。
仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。
ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。
それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。
この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。
イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。
(つづく)
今日8月29日は洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。その様は>>144のとおりです。
洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。
私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。
仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。
まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。
洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。
私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。
仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。
まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。
削除
私のブログにようこそ!!
次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。
神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。
『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。
彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。
『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。
女は言いました。『主よ、誰もいません』。
イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。
こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。
イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。
(つづく)
次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。
神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。
『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。
彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。
『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。
そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。
『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。
女は言いました。『主よ、誰もいません』。
イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。
こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。
イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。
『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。
私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。
私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。
私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。
私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。
誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。
生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。
(つづく)
イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。
『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。
私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。
私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。
私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。
私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。
誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。
生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。
『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。
『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。
『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。
これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。
平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。
(つづく)
イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。
『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。
『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。
『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。
これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。
平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。
するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。
そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。
『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。
(つづく)
こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。
するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。
そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。
『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。
(つづく)
隔離されたら、これだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ
私のブログにようこそ!!
さて、いよいよクライマックスの始まりです。
イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。
しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。
この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。
過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。
さて、いよいよクライマックスの始まりです。
イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。
しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。
この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。
過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。
この時、イエスが弟子たちを連れて、『ヨルダン川の向こう側、
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。
イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。
『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。
『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。
(つづく)
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。
イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。
『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。
『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。
その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。
他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。
そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。
群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。
まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。
その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。
他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。
そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。
群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。
また以前と同じように律法学者やファリサイ派の人々が、
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。
また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。
カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。
これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。
しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。
(つづく)
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。
また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。
カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。
これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。
しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
(つづく)
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
(つづく)
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
ベタニアに一泊した次の日(月曜日)、イエスは不思議な言動を
します。弟子の二人に命じて、言いました(マルコ11-1)。
『向こうの村に行きなさい。その村にはまだ誰も乗ったことの無い
子ロバがいます。それを連れて来なさい』。
弟子たちがその村に行くと、確かに表通りに子ロバがつないであり
ます。これだと思い、綱をほどいていると、人々が見とがめました。
『その子ロバをほどいてどうするのか』。弟子はイエスに教えられたとおり答えます。
『主がお入り用なのです、すぐお返しします』。見とがめた人も悟りました。ユダヤ人はたいてい敬虔なユダ
ヤ教徒ですから、メシアがロバに乗って来るというゼカリヤ書を知っていたはずです。すぐ了承しました。
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝
利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカリヤ書9‐9)。
弟子たちが子ろばを連れて来て、その上に自分の衣服をかけると、イエスはそれに乗りました。イエスに付い
て来た大群衆も自分の服を脱いでイエスの歩む道に敷きます。イエスを取り巻く大群衆は叫びます。
『聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高き所にホザンナ。
誉むべきかな、主の名によりて来たる者、天のいと高き所にホザンナ』。
ベタニアに一泊した次の日(月曜日)、イエスは不思議な言動を
します。弟子の二人に命じて、言いました(マルコ11-1)。
『向こうの村に行きなさい。その村にはまだ誰も乗ったことの無い
子ロバがいます。それを連れて来なさい』。
弟子たちがその村に行くと、確かに表通りに子ロバがつないであり
ます。これだと思い、綱をほどいていると、人々が見とがめました。
『その子ロバをほどいてどうするのか』。弟子はイエスに教えられたとおり答えます。
『主がお入り用なのです、すぐお返しします』。見とがめた人も悟りました。ユダヤ人はたいてい敬虔なユダ
ヤ教徒ですから、メシアがロバに乗って来るというゼカリヤ書を知っていたはずです。すぐ了承しました。
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝
利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って(ゼカリヤ書9‐9)。
弟子たちが子ろばを連れて来て、その上に自分の衣服をかけると、イエスはそれに乗りました。イエスに付い
て来た大群衆も自分の服を脱いでイエスの歩む道に敷きます。イエスを取り巻く大群衆は叫びます。
『聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高き所にホザンナ。
誉むべきかな、主の名によりて来たる者、天のいと高き所にホザンナ』。
ベタニアからエルサレムへ至る道は、オリーブ畑という地を
通ります。そこにはオリーブ山という、山というよりむしろ
丘があります。このオリーブ山はイエスらがたびたび野宿して
いる、彼らに馴染みの場所です>>160。オリーブ山の麓には搾
油所(ゲッセマネ)があります。
オリーブ山を過ぎるとすぐにエルサレムが現れます。こうして
イエスはエルサレムに入城しました。エルサレムという聖都は周囲を城壁で囲まれているのです。
だから文字通りの入城です。エルサレムには、ナザレのイエスというメシアが来るという話を知ら
ない者たちもいました。
『いったいこれは、どういうお方だ』。大群衆は答えます。『この方はガリラヤのナザレから来た
預言者だ』。予言者はユダヤから出るものと決まっているのに、よりによって辺鄙なガリラヤとは…
と人々は思ったでしょう(マタイ21-10)。
イエスはこの日、神殿の境内に入って辺りの様子を見まわった後、またベタニアに帰りました。そう
です文字通り威厳をもって辺りを睨みつけたのです。大祭司カイアファらに対する威嚇でしょうか。
この日、イエスと弟子たちはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました。
(つづく)
通ります。そこにはオリーブ山という、山というよりむしろ
丘があります。このオリーブ山はイエスらがたびたび野宿して
いる、彼らに馴染みの場所です>>160。オリーブ山の麓には搾
油所(ゲッセマネ)があります。
オリーブ山を過ぎるとすぐにエルサレムが現れます。こうして
イエスはエルサレムに入城しました。エルサレムという聖都は周囲を城壁で囲まれているのです。
だから文字通りの入城です。エルサレムには、ナザレのイエスというメシアが来るという話を知ら
ない者たちもいました。
『いったいこれは、どういうお方だ』。大群衆は答えます。『この方はガリラヤのナザレから来た
預言者だ』。予言者はユダヤから出るものと決まっているのに、よりによって辺鄙なガリラヤとは…
と人々は思ったでしょう(マタイ21-10)。
イエスはこの日、神殿の境内に入って辺りの様子を見まわった後、またベタニアに帰りました。そう
です文字通り威厳をもって辺りを睨みつけたのです。大祭司カイアファらに対する威嚇でしょうか。
この日、イエスと弟子たちはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さてベタニアに一泊した次の日(火曜日)、イエスと弟子たちはまた
エルサレムの神殿にやって来ました。そして乱暴狼藉を働くのです。
両替商人の台、鳩を売り買いしている商人の腰掛、あらゆる商人たちの
商売道具をひっくり返したのです(マルコ11-15)。
イエスは言います。『私の家は、すべての国の人の、祈りの家である。それをあなたたちは強盗の巣にしてし
まった』。あなたたちとは大祭司カイアファらです。大祭司らは商人から寺銭を取って稼いでいましたから、
これはあからさまな挑発です。
祭司長たちや律法学者はこの言動を見てイエスを如何に殺そうかと図りました。しかし大勢の群衆がイエスた
ち一行に群れていたので手出しできませんでした。
この日もイエスはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました(マタイ21-17)。
(つづく)
さてベタニアに一泊した次の日(火曜日)、イエスと弟子たちはまた
エルサレムの神殿にやって来ました。そして乱暴狼藉を働くのです。
両替商人の台、鳩を売り買いしている商人の腰掛、あらゆる商人たちの
商売道具をひっくり返したのです(マルコ11-15)。
イエスは言います。『私の家は、すべての国の人の、祈りの家である。それをあなたたちは強盗の巣にしてし
まった』。あなたたちとは大祭司カイアファらです。大祭司らは商人から寺銭を取って稼いでいましたから、
これはあからさまな挑発です。
祭司長たちや律法学者はこの言動を見てイエスを如何に殺そうかと図りました。しかし大勢の群衆がイエスた
ち一行に群れていたので手出しできませんでした。
この日もイエスはベタニアのマルタとマリアの家に一泊しました(マタイ21-17)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて次の日(水曜日)、イエスと弟子たちはエルサレム
の神殿でファリサイ派や律法学者と論争をして過ごしま
した。体制側は何とかイエスの逮捕の証拠を得ようとす
るのです。
大群衆が取り囲んでいる中で彼らはイエスに論争を挑みます。『皇帝に税金を納めるのは、律法にかなってい
ますか。納めるべきですか。納めなくてもいい金ですか』(マタイ12-13)。
もしイエスが、税金を納めるべきだ…と言えば大群衆は失望するでしょう。納めなくても良い…と答えれば
ローマへの反逆罪で逮捕できます。イエスは答えます。
『その貨幣には誰の肖像が彫られているか』。ファリサイ派は答えます『皇帝です』。
するとイエスは『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返そう』と名言を残しました。
しかしイエスはこの日、大きな失言をしてしまいました。神殿を出て行くとき弟子が『先生、なんとすばらし
い石、なんとすばらしい神殿でしょう』と言ったのに対し、イエスは『この大きな神殿も、石も、崩壊する時
が来る』と言ったのです。これは完全な神殿侮辱罪です。イエスの周りにいた大群衆の中には、体制側のスパ
イもいましたから、彼らは大祭司の元に走ったでしょう。でもこれを聞いた大祭司たちは『群衆が暴動を起こ
すといけないので、過越祭が終わるまで逮捕は待とう』と思いました(マルコ14-1)。
この神殿は、実際、西暦70年にローマ軍の攻撃により炎上崩壊しました。福音書の作家はこれを知っていて書
いていることは明らかです。だからこのイエスの予言伝説は創作されたものと言えるでしょう。今現在、この
神殿跡は一部が残っていて、嘆きの壁としてエルサレムの名所になっています。
イエス一行はこの日は野宿したのでしょうか。
(つづく)
さて次の日(水曜日)、イエスと弟子たちはエルサレム
の神殿でファリサイ派や律法学者と論争をして過ごしま
した。体制側は何とかイエスの逮捕の証拠を得ようとす
るのです。
大群衆が取り囲んでいる中で彼らはイエスに論争を挑みます。『皇帝に税金を納めるのは、律法にかなってい
ますか。納めるべきですか。納めなくてもいい金ですか』(マタイ12-13)。
もしイエスが、税金を納めるべきだ…と言えば大群衆は失望するでしょう。納めなくても良い…と答えれば
ローマへの反逆罪で逮捕できます。イエスは答えます。
『その貨幣には誰の肖像が彫られているか』。ファリサイ派は答えます『皇帝です』。
するとイエスは『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返そう』と名言を残しました。
しかしイエスはこの日、大きな失言をしてしまいました。神殿を出て行くとき弟子が『先生、なんとすばらし
い石、なんとすばらしい神殿でしょう』と言ったのに対し、イエスは『この大きな神殿も、石も、崩壊する時
が来る』と言ったのです。これは完全な神殿侮辱罪です。イエスの周りにいた大群衆の中には、体制側のスパ
イもいましたから、彼らは大祭司の元に走ったでしょう。でもこれを聞いた大祭司たちは『群衆が暴動を起こ
すといけないので、過越祭が終わるまで逮捕は待とう』と思いました(マルコ14-1)。
この神殿は、実際、西暦70年にローマ軍の攻撃により炎上崩壊しました。福音書の作家はこれを知っていて書
いていることは明らかです。だからこのイエスの予言伝説は創作されたものと言えるでしょう。今現在、この
神殿跡は一部が残っていて、嘆きの壁としてエルサレムの名所になっています。
イエス一行はこの日は野宿したのでしょうか。
(つづく)
削除(by投稿者)
私のブログにようこそ!!
さて次の日(木曜日)、この日は除酵祭(じょこうさい)と
いって、発酵する食品を全て家庭から取り除く日です。過越
祭の期間中(それは一週間続きます)はパン種の入っていな
いパンを食べなければならないので、誤ってパンが発酵しな
いようにするためです。
また過越祭を明日に控え、いけにえの子羊を午後に殺すのです。大勢の人々が子羊をかかえて神殿に集まり、
神殿からは子羊の苦痛にうめく声と人々の祈りの声が響き渡り、ユダヤ人の愛国心を高揚させます。人々は
子羊の血を自分の家の戸にも塗りつけます。弟子たちは言います。『先生、過越祭の食事はどこに用意しま
しょうか』(マルコ14-12)。
ここでひとこと。ユダヤ教でもキリスト教でも一日の区切りは日没です。例えば12月24日の夜(クリスマス
イブ)は12月25日が始まる、まさに聖なる夜そのものなのです。だから前夜祭という日本語訳は間違いです。
カトリックでは日曜日(主日と呼びます)のミサを重視しますが、この主日のミサの第一回も土曜日の18時
から行われます。
そんなわけで、弟子たちが言った過越祭の食事というのは、日没後の金曜日を指しているわけです。時は西
暦30年。この年の過越祭は14日か15日だったそうです。過越祭の食事はユダヤ人にとって最も重要な宗教的
食事です。その感覚は、日本の正月、まさにおせち料理といえるでしょう。
ただし、決まった料理を決まった順に食べて行くのです。おせち料理みたいに適当に突っつくというわけに
は行きません。で、弟子たちの『先生、過越祭の食事はどこに用意しましょうか』の質問に対して、イエス
は、もうそれは用意されていると言います。弟子たちが行ってみると、(たぶん)豪邸の二階に大広間が準
備されていました。エルサレムの有力者がイエスたちに提供したのでしょうか。
さて次の日(木曜日)、この日は除酵祭(じょこうさい)と
いって、発酵する食品を全て家庭から取り除く日です。過越
祭の期間中(それは一週間続きます)はパン種の入っていな
いパンを食べなければならないので、誤ってパンが発酵しな
いようにするためです。
また過越祭を明日に控え、いけにえの子羊を午後に殺すのです。大勢の人々が子羊をかかえて神殿に集まり、
神殿からは子羊の苦痛にうめく声と人々の祈りの声が響き渡り、ユダヤ人の愛国心を高揚させます。人々は
子羊の血を自分の家の戸にも塗りつけます。弟子たちは言います。『先生、過越祭の食事はどこに用意しま
しょうか』(マルコ14-12)。
ここでひとこと。ユダヤ教でもキリスト教でも一日の区切りは日没です。例えば12月24日の夜(クリスマス
イブ)は12月25日が始まる、まさに聖なる夜そのものなのです。だから前夜祭という日本語訳は間違いです。
カトリックでは日曜日(主日と呼びます)のミサを重視しますが、この主日のミサの第一回も土曜日の18時
から行われます。
そんなわけで、弟子たちが言った過越祭の食事というのは、日没後の金曜日を指しているわけです。時は西
暦30年。この年の過越祭は14日か15日だったそうです。過越祭の食事はユダヤ人にとって最も重要な宗教的
食事です。その感覚は、日本の正月、まさにおせち料理といえるでしょう。
ただし、決まった料理を決まった順に食べて行くのです。おせち料理みたいに適当に突っつくというわけに
は行きません。で、弟子たちの『先生、過越祭の食事はどこに用意しましょうか』の質問に対して、イエス
は、もうそれは用意されていると言います。弟子たちが行ってみると、(たぶん)豪邸の二階に大広間が準
備されていました。エルサレムの有力者がイエスたちに提供したのでしょうか。
そして日が暮れ、最後の晩餐がとうとう始まりました。
時間は午後7時くらいでしょうか。私たちはレオナルド
ダビンチの最後の晩餐の絵からのイメージか、イエスと
十二使徒が静かな空間で粛々と食事をしたかのように錯
覚してしまいますが、実際はそんなはずがありません。
十二使徒の他に大勢の弟子がいますし、十二使徒にも弟子がついています(マルコの福音書を書いたマルコは
ペトロの弟子です)。聖なる食事ですから彼らが除外されるはずはありません。またイエスを『メシアだ』、
『ホザンナ!!』と叫んで取り巻いていた群衆も忘れてはいけません。たぶん彼らの中から有力者が代表とし
て何人も出席していたでしょう。家の周りは『我等のメシア』『ダビデの子』と叫ぶ群衆が取り巻く、そんな
喧騒の中での食事です。彼らは食事中にイエスが何を宣言するか固唾を飲んで見守ったことでしょう。
がしかし、イエスは意外な事を言い出します。『十二使徒の中に私を裏切る者がいるだろう』。十二使徒は動
揺します。『まさか私のことでは』。『いや、もうその者は決まっている。私を裏切るその者は不幸だ』。
もちろん、私たちはイスカリオテのユダが裏切り者だと知っています。果たして本当でしょうか・・・
(つづく)
時間は午後7時くらいでしょうか。私たちはレオナルド
ダビンチの最後の晩餐の絵からのイメージか、イエスと
十二使徒が静かな空間で粛々と食事をしたかのように錯
覚してしまいますが、実際はそんなはずがありません。
十二使徒の他に大勢の弟子がいますし、十二使徒にも弟子がついています(マルコの福音書を書いたマルコは
ペトロの弟子です)。聖なる食事ですから彼らが除外されるはずはありません。またイエスを『メシアだ』、
『ホザンナ!!』と叫んで取り巻いていた群衆も忘れてはいけません。たぶん彼らの中から有力者が代表とし
て何人も出席していたでしょう。家の周りは『我等のメシア』『ダビデの子』と叫ぶ群衆が取り巻く、そんな
喧騒の中での食事です。彼らは食事中にイエスが何を宣言するか固唾を飲んで見守ったことでしょう。
がしかし、イエスは意外な事を言い出します。『十二使徒の中に私を裏切る者がいるだろう』。十二使徒は動
揺します。『まさか私のことでは』。『いや、もうその者は決まっている。私を裏切るその者は不幸だ』。
もちろん、私たちはイスカリオテのユダが裏切り者だと知っています。果たして本当でしょうか・・・
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
削除(by投稿者)
この時、イスカリオテのユダが突然、席を蹴ったのです。
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
ちょうどその時刻、『バラバを釈放しろ』と叫ぶ群衆に
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
200まであとちょっとだ頑張れ
私のブログにようこそ!!
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
あと10ちょいでsaroがでてきたらおもしろいのにな
SAROは明和から消えたね
寂しい限りだわ
寂しい限りだわ
削除
今日9月3日は聖グレゴリオ(グレゴリウスとも)一世の記念日です。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
しかしイエスは黙秘権を使い何も話そうとしません。イエスはヘロデ王
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
ピラトはもう一度イエスを尋問します。『お前はやはり王なのか』(ヨハネ18-37)。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
祭司長たちの答えはこうです。『もし、この男を釈放するなら、
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
イエスの他にも政治犯が二人、十字架を背負わされて歩きます(ルカ23-32)。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか、
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
そして週の初めの日、すなわち日曜日の早朝、日が出るとすぐ
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
日曜日にイエスが復活されたことにより、今や全世界で日曜日がお休みの
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
ユダを欠いた十一使徒も、この日曜日にエルサレムを脱出できな
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
乙!
引っ越さずもう終わりにしとけw
引っ越さずもう終わりにしとけw
まだ続きが書けるのね。まだこの時点でイエスはキリストにはなっていません。
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
削除
ルドルフ・カール・ブルトマンという二十世紀を代表するドイツの新約
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
ところでルカによるとイエスの最後の言葉はこうです。『父よ、私の霊をみ手にゆだねます』。
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
今日9月10日は、日本205殉教者の記念日です。彼らは安土桃山時代から
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
マリアは途方にくれました。『貯金もあまりないと言うのに、私は
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
はたせるかな、その年の秋の頃から、イエスはそわそわし出したのです。
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
こんな、誰も読んでいないような場末の掲示板の
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
>>212
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
今日9月13日は、カトリックでは聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士の
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
しかしヤコブらには、そんな従兄弟のイエスが『気が変になっている』
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
ふたりともきえちゃったな
消えてないよ。名無しに戻った。
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
カトリックの場合、断食と言っても少しは食べていいんだ。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
人は全て神の息子、娘なので、全人類はいわば「兄弟」なのだ。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
引き続き、4月のカトリック暦一覧・・・
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
わたしを知らないのは、本質的なことを知らないのである。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
[YouTubeで再生]
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
[YouTubeで再生]
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
ペスカドール・デ・オンブレスは初代ローマ法王になったぺトロ目線の曲なんだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
聖書の中で一番古いマルコの福音書を書いたマルコも、金持ちのぼんぼんだったらしい。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
▲ページ最上部
ログサイズ:356 KB 有効レス数:228 削除レス数:0
不適切な書き込みやモラルに反する投稿を見つけた時は、書き込み右の マークをクリックしてサイト運営者までご連絡をお願いします。確認しだい削除いたします。
思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
スレッドタイトル:SARO&Desperado隔離スレ