
意外にも、刀への審美眼を曇らせる最大級の障壁になりがちなのが、 
 攻撃性の過剰さである。   
 日本国内では最強度の蛮人の集いであり、刀がへし折れるほどの打ち据えばかりを 
 特訓する示現流を修めていた薩摩人なども、昔から良い刀を愛好する習慣などはなく、 
 明治期には廃刀と城郭破却の率先者となった。その薩摩人こそをリーダー格として編成された 
 日本軍も、粗悪な軍刀を帯びて敵に突撃する好戦主義によってある程度は勝ち、遂には敗亡した。   
 刀もまた攻撃のための武器には違いないが、護身用も兼ねるのを本分としているし、 
 戦地では大昔から槍薙刀や弓矢に次ぐ扱いをされていた近接戦闘用具である。そのため 
 ある程度以上に攻撃性の強い(我が身を滅ぼすことも厭わないほどの)人間にまであまり 
 好まれることはなく、銃砲ミサイル核爆弾その他、より強力な武器や兵器の陰に隠れることとなる。   
 そして、刀の美しさというもの自体が極めて繊細な美しさであり、攻撃意欲に身を焦がしてばかりの 
 粗忽者には理解できないものであるために、必要に駆られた所で「適当なものでいい」となる。   
 今でもヤフオクあたりに出品されているような大量のクズ刀が、そのようなヤクザ者の 
 放棄品だったりするのが多いわけで、刀の現存数自体はかなり多いものの、 
 実は本当に美しい刀を好んでいた人間など昔からそんなにいなかったことが分かる。 
 (刀を美術品として保護し始めたのは戦後のことで、元は実用品でもあったのだし)
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