人間という生き物は醜い(特に外見) 東洋的審美眼の真骨頂


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001 2019/05/20(月) 10:37:28 ID:jdOeueAT3E
近ごろ、各地の博物館や刀剣店などを巡って各種の名刀を目にしてるんだが、
人の命を奪う道具である刀がかくも美しいのはなぜかという疑問を
考え抜くに至って勘付いたのが、「人間が醜い生き物だから」ということだ。

心ではない。心は美しい場合も醜い場合もあるが、外見のほうは一貫して醜い。

一般に、美男とか美女とか言われてる人間がいるのは、ただ単に性的魅力が強いから
なだけであって、普遍的な審美眼に基づくならそれらも単なる薄毛のサルに過ぎない。

にもかかわらず、性的魅力と普遍的な美しさを倒錯して心焦がした時に初めて、
人は心までもが醜くなる。愛欲を持つこと自体は人の常だが、それが
審美眼を損ねるような事態にまで陥ることこそが致命的に問題となるのであり、
それこそを防ぎ止めるために昔の日本人も刀という、人の命を断ち切る道具の
美術工芸的な洗練に執拗に取り組んでいたのではないかと思われるのである。

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002 2019/05/20(月) 11:01:15 ID:R69uG/555c
はぁ…………

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003 2019/05/20(月) 11:23:21 ID:jdOeueAT3E
日本刀の中でも、特に名刀とまで呼ばれているものの美しさを見るにつけ思うのが、
「これを美しさとするのなら、人の見た目の美しさなどものの数にも入らないな」ということだ。

別に、それで異性への愛欲が断たれたりするわけではないが、
ただ、特別に美男美女扱いされているような人間(特に白人)の見た目などを
普遍的な美しさだなどと勘違いして、畏怖するような思いだけは完全に絶える。

顔立ちにしろ身体つきにしろ、日本人は昔からあまり美しいとまではいえないような人間が多いが、
それもこのような、人の美しさなどに囚われない諦観が根付いていたからなのだろうな、と。

美男美女なんてただの色男色女に過ぎないという見立ては、今ではすり減って久しいものだが、
色ボケに世の中が振り回されるような羽目に陥ることがないようにするためにも、
今一度先人たちの遺産に目を向けるべきだと言えるだろう。

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004 2019/05/20(月) 11:48:06 ID:4Is1ch4jbY
自分の見た目が醜いからって刀を引き合いに出して思考転換するのか。
その考えこそが最も醜いわ。
弱者と言うのはとことん弱者なのね。

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005 2019/05/20(月) 11:51:26 ID:jdOeueAT3E
刀の美しさによって審美眼を育んだからといって、
別に刀以外の何もかもが醜く見えてくるわけではない。

花鳥風月、山川草木のような自然の美しさはやはり普遍的なものだし、
そこにぶつかることなく調和できている人の営みもまた、醜いとまでは言えない。

体の線が出ない着物や大きな笠といった純和風の装束なども、
人体の醜さをうまく隠してそのような美しさに溶け込む配慮があるのだと知れる。

してみれば、そこからの逆算によって、実は美しいわけではないと
バレてしまうものが、美男美女の他にも複数出てくる。

物量投入によって見るものを威圧する大都市のインフラなども、デザイニングに
よっては美しさまでもが謳われるが、決して普遍的な美しさには当たらない。

諸々の工業製品も、全てがワンオフである日本刀と比べれば作りのアラが目立つ。

ことさらに体のラインを強調して性的な魅力をアピールする洋装の美しさなども、
人体の美しさ自体が虚構に過ぎないことに連動してハリボテ扱いとなる。

決して現代人の多くがたやすく賛同できるような美意識ではないだろうが、
少なくとも昔の日本人にとってはごく常識的な感覚だったようである。

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006 2019/05/20(月) 12:13:02 ID:jdOeueAT3E
上記のような日本的、東洋的審美眼が別に性欲を減退させるものでないのは、
江戸期の日本における性風俗文化の隆盛などからも知れたことである。

性欲を完全に断ち切るというのなら、万事万物の見た目の美醜に囚われない
「色即是空」の境地にまで至ることが必要なわけだが、それと比べれば、
審美眼の巧拙を論じている今の話は、だいぶ程度が低いものにあたる。

高尚な審美眼もあれば、低俗な審美眼もあり、美女の色気にたぶらかされる
程度の段階の人間には、美々しく飾り立てた遊女があてがわれもしていた。

ただ、それは程度の低い領域の美醜なのだから、哲学的、宗教的な領域とは
全く別物の俗物としての身の程がわきまえられていた。そうですらあれば
美女を愛でたりするのも全く問題はないのであり、むしろ神聖不可侵なもの
として敬遠したりすることがなくなる分、より営みが旺盛ともなり得るのである。

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007 2019/05/20(月) 12:51:32 ID:jdOeueAT3E
本当は、直刃(刃紋がまっすぐ)の刀の美しさも例示したいんだが、
直刃の美しさを画像で示すのはほぼ不可能に等しいので、
已む無く乱れ刃や彫刻の美しさの例示を優先している。

俺もまだまだ勉強中だが、最上級に良い刀と悪い刀の見分けぐらいはだいぶ付いて来た。
良い刀は刃金と地金の焼き分けが上手くて、刃金は白く地金は青黒い。
悪い刀は全体的に白く、焼き入れすぎのせいで実戦では折れかねない。
つまり良い刀は実際に丈夫である一方、悪い刀は弱い。

焼き入れがうまくて地金と刃金のメリハリが立っているから、刃紋の美しさも映える。
美しい刀はそれ即ち強い刀であり、あらゆる美しさの中でも機能美の極致にあるといえる。

東洋的美意識は機能美とこそ不可分なものであり、一般人には落書きかゴミにしか
見えないような現代アートに大金をつぎ込む西洋的美意識などとは根本的に相反している。

刀もいいいものは数百万円〜数千万円、
中には億を超えるものもあるが(画像の山鳥毛一文字など)、
原価だけでも数十万円はかかっているし、それを名刀に仕上げる工匠の手間賃を考えれば
決してふっかけているなどということはない。浮き足立たないまともな経済感覚を育んで、
金満への無闇な幻想を抱かないことにも、刀の勉強は一役買うことができる。

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008 2019/05/20(月) 13:18:56 ID:SvE9hNLl.k
 久しぶりにというか明和で初めて興味ある意見を見たような見なかったようワニな
それほどまでに美しい刀創り出す精神性は
善悪別にしても相当高い位置に志をおいておらねば創れないワニね
美しさというものは形”ではないと言う境地に辿りついたのワニね

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009 2019/05/20(月) 13:40:26 ID:jdOeueAT3E
人間の見た目の美しさの寿命なんて、どんなに頑張っても数十年がいいとこだが、
刀の美しさは数百年でも、千年以上でも持つ。
(画像は平安時代中期に作られた童子切安綱)

悪い刀ならサビが深く根を張って早々とダメになる場合もあるが、
良い刀は鉄の清浄度が高くて酸素含有量が低いから錆びにくい上に、錆が根を張らない。
故に研ぎ直しも最小限で済み、千年以上の後にも元の体配を保ち続ける。

もちろん、何万年何十万年とまでなればさすがに劣化を来たすだろうし、
最終的には地球ごと肥大化した太陽に飲み込まれて消え去るしかないのだから、
完全に永久的な美しさなどというものはなく、色即是空のみが真に永久普遍たる。

ただ、せいぜい数十年しか持たない人間の見た目の美しさなどと比べれば、
刀の美しさのほうが遥かに普遍的だし、自身が寿命百年やそこらの人間にとっては十分に半永久的である。
そういった安定度の高い美しさを、仮初めの美醜なぞの上に置いて考えられるようになるのは、
仏の悟りとまでは行かない範囲での、一種の大人びた達観となるには違いない。

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010 2019/05/20(月) 13:43:57 ID:J/eBwU0cp6
>>8
いや、最終的には形が全てを顕すので形が最も重要となる。
一周回って本質に到達するのよ。
形と言うのは情報の最終形。
どんなに御託を並べても形に表せないのであれば口だけって事。

んで>>1は刀には思い入れがあるのは分かるが、対比としての“俗物”の勉強が不足している。
一方の情報だけ肥大して、もう一方の情報が少ない状況で結論を出そうとするとこうな。
議論や主張にも美しさがあって、>>1は刀の美しさを説いてるのにその理屈が美しくない事に気づいていない。
美しいものを語るときその理屈は醜悪なものになる法則があるが、それを出来るだけ醜くならないように勉強して情報を集めるのだが、>>1はそれが十分ではないので醜悪な論理を並べ立てる恥さらしになる。
刀の美しさを語ってるが、それは別のものを投影してる事に自分で気づいていないから醜くなる。
ま、簡単に言うと
バカほど物事を複雑化しようとする典型が>>1です。

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011 2019/05/20(月) 14:11:40 ID:jdOeueAT3E
実際、刀の美しさをどんなに言葉で語っても、語るに落ちる。
それどころか、こうして画像で示しても十分に教えられたとは言えない。
博物館のガラスケース越しに遠目で見てもまだ十分だとは言い難く、
実際に手に取って、適切な照明の下で穴が開くように凝視してからやっと分かる所まである。

良い刀を見てから街に出ると、かつては地上に降りた満天の星空のように見えた
東京都心の街並みなども、途端につまらないものに思えてくる。
実際、刀の材料になっている玉鋼ほど上質な鋼材で作られた建物や車などどこにもなく、
工業品質としての観点から見てもガラクタの山にしか見えなくなるのだ。

人間についても同じことだ。
表参道か代官山あたりに群れ集っているような美男美女が性的に魅力的ではあろうとも、
それが神々の集いか何かのようにまで扱われているような風潮には興ざめする。
実のところ実物がそこまで大したものではないという自覚が本人たちにもあるからこそ、
今ではインスタグラムなどの画面上での美醜ばかりに囚われてもいるのだろうし。

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012 2019/05/20(月) 14:30:33 ID:J/eBwU0cp6
例えば>>9なんかは時間が可変することも知らない単なる勉強不足。
ある主体の1万年と
ある主体の1分は同じだったりする事を知らない。
知らない事自体が美しくない。
美しくない理論でいくら刀の美しさを語っても白けるだけだし、
そんな底の浅い理屈で刀を語ってる事がまさにインスタで美醜に囚われてる精神ロジックと何も変わらない事に気付いていない。
気づいていないからさらに醜い。

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013 2019/05/20(月) 14:50:02 ID:jdOeueAT3E
1分も1年も1万年も相対的な長さに過ぎないという達観は、
たとえば密教の降三世明王の秘法などによって得られる一種の仏の悟りであり、
頭で理解する程度のことはできても、会得までするのは極めて困難。

そこまで行かない、未熟で相対的な範囲における美醜の巧拙であり、
刀の美醜に囚われることも、インスタ映えの美醜に囚われることも方向性としては変わりない。
両者が違うのは、インスタ女が嫌うだろう実物のスッピンの毛穴の凝視に相当するような
肌地の凝視によってこそ、名刀のほうはより美しさが知れることぐらいかな。

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014 2019/05/20(月) 15:18:12 ID:jdOeueAT3E
>>8
普遍的な美しさが全く形を伴わないなんてことはないが、
世間一般が考えているような美しさと比べれば、かなり微妙不可思議なものだ。

上研ぎでピカピカに磨き上げられた刀が輝いていて美しいことぐらいは
誰にでもわかるが、ランクの低い刀でも研ぎたてならそれぐらいの
美しさはあるから、素人が騙される原因にもなりやすい。

刃紋もただ派手な乱れ刃やのたれ刃であればいいというものではなく、
よく見ると定規で描かれたような不自然なものだったりする場合もある。
直刃の良し悪しを見分けるのはもっと難しくて、俺もまだよく分からない所が多い。

要するに、難しい。立ち入れば立ち入るほど奥深さが見えてくる伏魔殿。
だからといって現代アートのような虚構なのではなく、
>>7に書いた通り、難解な美しさには難解な美しさなりの機能性が備わってもいる。

形はあれども、決して安易ではない。
まるで人の本性の美醜を見分けるのと同じように、刀の美醜を見分けるのも難しい。

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015 2019/05/20(月) 15:30:54 ID:J/eBwU0cp6
>>13
無知がさらに恥の上塗り。
相対性理論や量子物理学の初歩も知らんのに美しさだの何だの語るなよ。
時間が可変するものであるのは物理の領域。
何が密教だよ。
仏教を語らせても中途半端。
仏教でも法華経以前はシンプルなものをわざと難解にして導いた似非の教え。
そんなものに悟りなんかない事は原作者である釈尊自ら説いている。

何を語らせても中途半端で醜い奴だな。

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016 2019/05/20(月) 15:52:23 ID:jdOeueAT3E
頭の理解と心理的な体得を分けて考えるのは、ちょっと君には難しいかねえ。

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017 2019/05/20(月) 16:27:43 ID:/6scLd2/bo
良く喋るキちガイだな…
こいつ笠地蔵でしょ?なんで戻ってきたんだろ
過疎が進み荒らしだらけになった明和にとどめを刺しに来たのかな

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018 2019/05/20(月) 16:28:19 ID:J/eBwU0cp6
>>16
難しいのではなくてお前がバカだからそう考えるだけ。
バカほど物事を難解に考えたがる典型。
そのくせ相対性理論も量子物理学も仏教も勉強する気は無いのでさらにバカが加速する。

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019 2019/05/20(月) 17:11:00 ID:jdOeueAT3E
いや〜やっぱり分からんようじゃのう。

読み書きできたりできなかったりの昔のお百姓さんや、
11年前の俺にでも分かる程度のことが、分からんもんには分からん。

別に誰にも分からんのではない。
おまえが特筆して分からん側の人間なだけじゃ。

より分からん方向に突っ走る劣情が滾ってるようだから、今はもうやめとけ。

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020 2019/05/20(月) 17:32:18 ID:jdOeueAT3E
今の刀剣の愛好家たちが、誰も彼も卓越した審美眼を備えているわけではなく、
刀剣商の間でも「あそこは駄目だ」系の陰口がよく行き交ってるような
始末なので、下手にその道に入ったりするのは決してお勧めしない。

ろくな審美眼もないのに刀剣に入れ込んでいる人間の特徴として、
刀そのものの純粋な美しさを愛好する欲求と、
他の欲求が抱き合わせになってしまっているというのがある。

変態的な愛好家は性欲と倒錯しているようだし、
金満的な愛好家は粗雑な財欲と混同しているようである。
珍宝を好む系の好事家が単なる物珍しさで愛好している場合もある。

そういう連中が刀を見ながらニチャニチャしてる姿を見て、
俺も下手に刀を買ったりするのはやめておこうとして来てるが、
やはり美しいものは美しい。今までにここに書いてきたような特性を
承った上で、刀により審美眼を磨くことは、ものの良し悪しや人の心の
美醜を推し量る上で有用になるため、刀を買わない内からでもお勧めする。

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021 2019/05/20(月) 19:12:26 ID:jdOeueAT3E
意外にも、刀への審美眼を曇らせる最大級の障壁になりがちなのが、
攻撃性の過剰さである。

日本国内では最強度の蛮人の集いであり、刀がへし折れるほどの打ち据えばかりを
特訓する示現流を修めていた薩摩人なども、昔から良い刀を愛好する習慣などはなく、
明治期には廃刀と城郭破却の率先者となった。その薩摩人こそをリーダー格として編成された
日本軍も、粗悪な軍刀を帯びて敵に突撃する好戦主義によってある程度は勝ち、遂には敗亡した。

刀もまた攻撃のための武器には違いないが、護身用も兼ねるのを本分としているし、
戦地では大昔から槍薙刀や弓矢に次ぐ扱いをされていた近接戦闘用具である。そのため
ある程度以上に攻撃性の強い(我が身を滅ぼすことも厭わないほどの)人間にまであまり
好まれることはなく、銃砲ミサイル核爆弾その他、より強力な武器や兵器の陰に隠れることとなる。

そして、刀の美しさというもの自体が極めて繊細な美しさであり、攻撃意欲に身を焦がしてばかりの
粗忽者には理解できないものであるために、必要に駆られた所で「適当なものでいい」となる。

今でもヤフオクあたりに出品されているような大量のクズ刀が、そのようなヤクザ者の
放棄品だったりするのが多いわけで、刀の現存数自体はかなり多いものの、
実は本当に美しい刀を好んでいた人間など昔からそんなにいなかったことが分かる。
(刀を美術品として保護し始めたのは戦後のことで、元は実用品でもあったのだし)

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022 2019/05/20(月) 19:45:31 ID:jdOeueAT3E
俺自身、あまり「美しさ」というものに頓着して来たほうではない。
自分がそんなに美男ではないというのもあるが、
とにかく地を這ってでも生き延びて先祖に報いるという泥臭さこそを
本分にして来たものだから、美しさなど縁の遠いものだと思い込んで来た。

しかし、先祖代々伝わる殿中差しの小さ刀のほか、古今の名刀の美しさ
などにも触れて、案外美しいものなんて身近にあることに気づいた。

刀だけじゃない、刀の美しさと比較して美しいと思えるもの、
安易な外面ではなく、内面や内面からの美しさを持つものとなれば、
別にフランスやイタリアに行かずともそこら中に散見される。

合気道の開祖のように「万有愛護」とまでは行かずとも、
美しさ故に愛せるものは案外多い。武道や仏道の達者にまでなれなくとも、
そこから始められる庸徳の道もまたあるようである。

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