自己利得を位相上からの劣後対象にしたからといって、利得を完全に破棄するというのでもない。
利得を劣後しつつの徳行に邁進して行く自らや、その子孫を最低限保全して行くための利得程度は
貰い受けるものである。ただ、それこそ最低限の利得であり、自らにとって最終目的であるわけ
でもない、瑣末な利得である。自らに世のため人のための働きを為せるだけの素養すらないと
いうのであれば、まったく得られなかったとしても仕方ないと認められる程度の利得である。
ブラック企業の被雇用者などはその程度の利得すら得られていない場合がほとんどだから、
所帯を持って子孫を繋いで行くことすらもろくにできずにいる。そんな状態ではやはり自分自身
が徳行に邁進して行くこともまた覚束ないものなので、ただただ捨て身で働き詰めることと、
徳性を高めるための利得の劣後もまた、必ずしも相容れるものではないと言えるのである。
自己利得を位相上からの最優先事項とするのでないのなら、そういう状態でいる自らやその家族を
最低限養生して行くための利得もまたそれなりに得られるものである。それすら覚束ないという
のであれば、そもそも徳行自体が十分に果たせなくなってしまうわけだから、そこはただただ
清廉主義に即するばかりで済むものでもない。利得を最優先とせず、なおかつただただ捨て身で
ばかりでいるわけでもない、中庸を保ったあり方こそは、最大級に世のため人のためともなるのである。
「其の老いたるに及んでは血気既に衰う、之れを戒むること得に在り」
「人は老いれば血気が衰え(て、旺盛な心意気によって利得を劣後することも覚束なくな)る。
そのため、そうなってからも利得欲を十分に戒めて行くことが重要なこととなる。
(利得を最優先すること自体、血気の衰えた老人の有り様であるわけだが、それも
また十分に戒められて行かねばならぬことであると、大人孔子は説くのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・季氏第十六・七より)
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