俗世間の範囲内でしか知識を得たことも考え方を構築したこともない人間が、
一旦だけでも全ての知識や考え方を超俗的な観点から俯瞰して、その整理や修復に努めたならば、
その知識や考え方を処理することを任される側頭葉(CPU、メモリに相当)の負担も軽くなる。
わざわざ脳のCPUやメモリに相当する部分の性能を上げたりはせずに、ハードディスクに相当する
前頭葉に蓄えられた長期記憶を整理して、その記憶を処理する側頭葉の負担を元から減らしてしまうという、
デフラグツールなどのシステム最適化ツールに相当するような役割を、仏教が俗人に対しても担うことができる。
これと似たような精神医療の試みが、「ロボトミー手術」という精神外科手術によって為されたことがある。
これは前頭葉の脳細胞を物理的に破壊して、側頭葉による情報処理の負担を軽減するといったもので、
前頭葉の記憶情報を自力で整理する場合と比べてあまりにも乱暴で、失う所も数多い、下手な試みだといえる。
ロボトミー手術は、患者の精神的な苦痛をやわらげるないし解消することを目的に考案された。
「精神的苦痛」というのは、まさに側頭葉の考えが煮詰まりすぎているが故の悩乱のことなのであり、
仏門への帰依はそのような悩乱を解消する上に、ロボトミー手術の場合のような長期記憶の欠損も伴わない。
悩乱のあるところ、必ず妄言妄動が生ずるのであり、故に世相を荒廃させる乱行の元凶とすらなる。
広大な虚空の世界の荘厳に身を置く立場から、強制的に矮小化された俗界にまつわる知識やものの考え方などを
よく整理して、側頭葉の情報処理に無駄な負担をかけさせないようにすれば、自然と妄言妄動や暴行の
元凶となる悩乱もまた立ち消えになる。すると悩乱が招くような禍いもまた未然に防ぎとめられるのであり、
唯心主義に根ざした虚空の荘厳への心象の安住が、紛れもなく天下の平定、国家の鎮護にまでも結び付くのである。
返信する