KNHS、KNRS(行為能力否定主義、行為能力劣後主義)


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001 2010/08/31(火) 18:53:35 ID:KMizCd6yFY
「KNHS」・・・行為能力否定主義、もしくは行為能力否定主義者の略。
法的金銭的権利(行為能力)の行使こそは世を乱す元凶であるとして、自らも
できる限り社会的権利をかなぐり捨て、またそれらの権利と無縁であろうとすること。
乞食行に専念するインドの聖人や、世を避けることに専念する中国の隠者など。

「KNRS」・・・行為能力劣後主義、もしくは行為能力劣後主義者の略。
KNHSのように行為能力を完全否定するのではなく、世の繁栄のために
善用することも可能であるとした上で、その暴走による世の乱脈を制御するために、
行為能力を直接取り扱う法治主義や商業を劣後して、道徳主義や士人を優先する。
富貴と貧困の両極端に振れ切らない中道を説いた仏教、鬼神を敬してこれを遠ざく儒家など。

今の世では、とにかく粗大に行使できる者であればあるほど偉いとされている行為能力の価値を
完全否定したり、完全否定とまではいかずとも十分に劣後したりする方向性が東洋哲学にはあり、
それによって乱世を抑制してきた優秀な歴史がある。行為能力を完全否定するKNHSだけでなく、
完全には否定せずとも十分に劣後するKNRSまでもが仏教や儒家などとして樹立されたために、
単なる乞食や隠者の増えすぎによる世の衰退も未然に防止してきた。全肯定しても、
全否定しても弊害の生ずる行為能力への対処として、あらゆる選択肢を取り揃えている。

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002 2010/08/31(火) 19:02:17 ID:7SShVWGCy.
003 2010/08/31(火) 19:19:17 ID:KMizCd6yFY
このスレの主題はあくまでKNHSやKNRSとしていくが、上記の定義に基づいた場合、
とにかく働いとけばいいと思っていたり、社会的に成功すればそれでいいと思っているような
今の先進国の大多数をも占めているタイプの人間は、KNKS(行為能力肯定主義者)や
KNGS(行為能力原理主義者)であるといえる。KNKSはまだ、過労への忌避なども
持っていて、仕事を「仕方なくやるもの」のように考えている場合もあるが、KNGSともなれば、
仕事や社会的成功こそは人生の全てとなり、それらに価値を見出さず、興味も示さないKNHSやKNRSを
「ダメ人間」や「ニート」などといった言葉で貶めようともする。実際、先進国内において無職やニートで
あるような人間は、自分のあり方を「いけないもの」だと思い込んで、やっぱり働いたほうがいいという
内面的なKNKSである場合が多く、自分がKNKSであると共に、無職やニートでもあることの
乖離に悩んでいたりする。つまり、実践面がKNHSやKNRSに即していることと、当人が
KNHSやKNRSであることとは必ずしも連動しておらず、ガッポリ大金を稼ぎながら
「働くことなんかに大した価値はない」などとほざく、ホリエモンのような人間もいる。

この俺はといえば、自分自身ではKNRSを自認しているものの、実践面ではKNHSですらある。
働いたり社会的に成功したりすることにも場合によっては価値があるが、今のような行動即犯罪の世の中に
おいては、まずそのような価値はない。そのため論調はKNRSでありながら、実践面では自他に対して
KNHSを推奨する、多少の名実の乖離がある。ただ、自分自身の実感も踏まえて言わせてもらえば、
KNHSとKNRSの乖離はそれほど心的負担にはならず、行為能力に対して少なからず肯定的である
KNKSやKNGSと、少なからず否定的であるKNHSやKNRSとに名実が分かれた場合にこそ、
セルフイメージと事実上の姿との落差による苦悩が生まれてしまうようである。

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004 2010/08/31(火) 20:12:56 ID:KMizCd6yFY
KNHSの聖典:
「老子」「荘子」「列子」などの各種道蔵(道家教典)。小乗仏典。ジャイナ教典など。

KNRSの聖典:
ヴェーダ。ウパニシャッド。大乗仏典。四書五経の一部など。

道家の教義がKNHSに即していることは読むに明らか。インドの乞食行者である制度外沙門が
釈迦やマハーヴィーラの口を借りた小乗仏典やジャイナ教典も、KNHSの聖典として模範的。
一方で、ヴェーダやウパニシャッドは、カースト制のインド社会における祭司階級としての身分を固めている
バラモンが編み出したものであるため、KNHSであるとまではいえない。しかし、バラモンもまた
出家志向を大いに肯定する側面があり(「マヌ法典」などを参照)、KNRS程度であるとはいえる。
体裁上では俗世での積極的な活動を推奨する「論語」などの四書五経にも、隠者や鬼神を敬いつつも
自分たちは俗世での活動を嗜むKNRS的な側面が多々見受けられる。畢竟、東洋哲学宗教は、
少なからずKNHSやKNRS的な側面を付帯している点において、ほぼ共通している。
(例外として、「韓非子」などの中国法家思想や、二宮尊徳の報徳思想などが挙げられる)

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005 2010/09/01(水) 08:40:41 ID:9W6EjIOL4U
あんたには、「何か」が足りないなぁ。
何だろう?

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006 2010/09/01(水) 10:26:45 ID:r1RfxM9T2U
そりゃあもちろん、「語りすぎている」ことだ。
おまえらみたい賤人を相手にするために、わざと横柄で驕慢にも振舞いつつ、語っている。
そうであることがすでに自らの貫目を引き落とす行為であり、
「偉人であっても態度の恭しさが伴わないのなら、見る姿もない」
という孔子の提示する法則にも即して、確かに威厳のない愚人然とした姿となっている。

封建社会において、将軍や大名のような上位者が匹夫との会話すら避けるのも、
匹夫の愚かさが自分にまで移って威厳を損なうことを恥じるため。
そのことを「差別だ」などとして怨んだところで、貴人を貶めるような言動の卑しさを
自分たち自身が帯びているのだから、貴人がおまえらと同レベルにまで降りてきてくれた
結果としての、俺の愚かしい言動を嫌がったりするのとは矛盾している。

貴人には貴人らしくあって欲しいというのなら、自分たちから隔絶されたところに
貴人がいらっしゃり、自分たちが手も出せなくなるような封建状態を認めなければならない。

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007 2010/09/01(水) 12:24:45 ID:r1RfxM9T2U
>>4では説明を抜かしてしまったが、大乗仏教やその経典である大乗仏典は、実はKNHSではなくKNRSの聖典。
王族階級(クシャトリヤ)から出家して制度外沙門となった、釈迦が説いた論説により近いとされている小乗仏典は
KNHS的な側面が強く、その実践者である上座部仏教徒も俗世から完全に隔絶したKNHS的な生活に安んずる。
しかし、大乗仏教は、龍樹菩薩のような祭司階級(バラモン)から出家して沙門となった仏教徒などが主に作り上げた
教説であるため、元よりKNRS性が色濃いバラモン教義の影響を大きく受けており、KNHS性は比較的低い。
小乗仏典が素朴な口述に終始しているのに対し、大乗仏典は衆生を魅惑する荘厳や方便で彩られているところなどが
特にKNRS的な側面であり、このような彩りはヴェーダやウパニシャッドにもある一方で、小乗仏典だけにはない。
別段小乗仏典のほうが成立が早いから大乗仏典よりも素朴なのではなく、沙門としてのKNHSに特化しているからこそ
小乗仏教は素朴で飾り気がない。飾り気がない大乗仏教としては禅などがあるが、その禅仏教ですらやはり、小乗仏典の
「法句経」における「諸悪莫作修善奉行」という教義を「3歳の子供にも分かるが、80歳の老人にもできない」と揶揄し
(「正法眼蔵」などを参照)、俗世における積極的な活動の意義を説いたりもする。結局、KNHS的な小乗仏教と、
KNRS的な大乗仏教とのいずれが、仏祖たる釈迦の意向に即しているのかといえば、理論面で即しているのは大乗仏教、
実践面で即しているのは小乗仏教であるといえる。富貴と貧困の両極端に振れきることを咎める釈尊の中道志向は
明らかにKNRS的だが、釈尊自身は身を切るような苦行にも没入した中でこそ、中道第一義諦という真理を大悟した。
大乗仏教でも密教などは、釈尊が成道するに至った苦行の過程までをも再現に努めたりはするが、やはり「秘密」とし、
表向きはあくまでKNRSであることを最上とする。土木事業などにも奔走した、弘法大師の事跡からも分かるとおり。

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008 2010/09/01(水) 17:04:37 ID:r1RfxM9T2U
KNHSとKNRSの決定的な違いの一つが、「妻子持ちに否定的か否か」という点。

女子供には基本、乞食や隠者となってまでKNHSの実践に努める能力はなく、
結婚して妻子も養うというのなら、そうする男性自身もある程度は行為能力を用いる必要が出てくる。
そのため、乞食行者となる男性の沙門などは妻子を持つことも拒絶し、独身のままで一生苦行に専念するし、
そこまでいかない中国の隠者などもまた、王侯からの贈与や招聘を断って妻子を落胆させたりする(「列子」などを参照)。
否が応にも行為能力を用いざるを得ない、妻子持ちというカルマに対して、専ら否定的であるのがKNHS。

一方、KNRSの場合は、自分が妻子持ちとなることを否定しないのはもちろんのこと、
君臣父子夫婦の三綱を構築するための重要事として、時にKNKSやKNGS以上にも丁重な尊重の対象とする。
もちろんそのために、自らが法的経済的権利を行使することも認めるわけだが、一方でやはり、
行為能力への劣後も欠かさず、法律家や商売人への徹底した差別と共に社会生活を営んでいこうとする。

昔の日本の武家などは強度のKNRSであり、ごちゃごちゃとした成文法制や商業権力への劣後と引き換えに、
切腹のような峻厳な自己規律や、奢侈を控える清貧もわきまえていた。それでいて当然、妻子持ちでもあり、
武家の妻や子供であるものもまた、わざわざ「KNRS」などというおかしな横文字によらずとも、
自分たちがKNRSを旨とする武家であることをわきまえて、謹厳実直な振舞いでいることに努めていた。

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009 2010/09/01(水) 17:57:23 ID:r1RfxM9T2U
釈尊がまだ、出家前の釈迦族の王子であった頃、国一番の美女とされる耶輸陀羅姫と結婚し、
息子の羅睺羅をもうけたそうだが、その妻子との縁も絶って釈尊は出家し、6年の苦行の後に
菩提樹の下で悟りを開いた。しかし、この時釈尊は一旦苦行や難行を中止し、近くの村の娘から
乳粥をもらって食すなどの、苦行者にあるまじき行為にも及んだため、修行仲間からも見放されていた。
一方で釈尊は、富貴と苦行の両極端に悟りを得る道はなく、両者の中道を行くことが悟りに至る道であると
悟ったために、このことを布教して多くの信者を得(かつての修行仲間もまた釈尊の下に帰ってきて帰依した)、
かつて出家のために縁を切った妻子の耶輸陀羅や羅睺羅までをも仏弟子として取り入れるに至った。

一度は縁を切った妻子すらをも教団の中に取り入れたあたり、成道後の釈尊は、もはや女子供が実践不能な
レベルの苦行などを弟子達に要求したりはせず、富みすぎず貧しすぎない中正な生活を送らせていたことが分かり、
仏教がいま日本で考えられているような、ただひたすら苦行に挑むストイック主義的なイメージとは、相当に
違った様相をその当初から帯びていたことが分かる。仏教の本義は根本からKNRSであり、KNHSではない。

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010 2010/09/01(水) 19:26:52 ID:r1RfxM9T2U
ここでの主題ではないが、旧約聖書などはKNGS(行為能力原理主義)の聖典であるし、
新約聖書もKNKS(行為能力肯定主義)を世の隅々にまで行き渡らせるドグマを擁した聖典である。

KNGSやKNKSのドグマを金科玉条に掲げてきた西洋において、KNHSやKNRSが尊重されたことは
未だかつてない。かろうじて、古代ギリシャのヘラクレイトスの教説などに、多少のKNHS的な論調が
垣間見られるが、やはり全く実践の対象としては認められず、老荘に始まる中国の道家のような勢力とはなり得なかった。

そして何といっても、西洋にはKNRSに関する教説やその実践が絶無である。

別段自分が乞食や隠者にまでなるわけではないが、妻子も養いつつの積極的な社会活動を行なう中に、
法的経済的権力たる行為能力への劣後を心得る均衡の取れた姿勢が、西洋には未だかつて一度も取り入れられたことがない。
しかしその、西洋において完全なる絶無であるKNRSこそは、東洋において仏教や儒家などのかたちで、
王道中の王道の宗教哲学として高らかに称えられてきた。

KNGS的な側面を持つ「韓非子」などの法家を撃退し、KNHS的な教説を持つ道家は完全なる隠遁へと追い込んで、
中国でも儒家こそは国教扱いの最優等教学となった。KNHSである老荘などの道家が、ヘラクレイトスの言説などで
多少は身に覚えのある西洋人などにも好まれるのに対し、KNRSである儒家は全くの未知の存在であるために、
未だ忌避の対象となり続けている。仏教もまた、KNHS的な側面の色濃い小乗仏教のほうが西洋などで人気がある一方、
大乗仏教のKNRSらしい教義などには、不可解なものゆえの拒絶意識が持たれている。他力本願の浄土教などが、
仏教であるにもかかわらず肉食妻帯を許す本意などは到底理解できず、ただ「分からないもの」として保留され続けている。

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011 2010/09/01(水) 22:42:01 ID:r1RfxM9T2U
KNGSやKNKSばかりを専らの本分とし、KNHSはちょっとした趣向の対象としかせず、
KNRSに至っては完全なる無視や拒絶の対象とする、西洋文化を主体とした現代社会。
その現代社会が、KNHSやKNRSを徹底して忌避や拒絶の対象とするのは、
そこに意味がないからではなく、あまりにも重大な意味が備わり過ぎているからでもある。

特に、現代においては完全なる無視や拒絶の対象とされている、儒学や大乗仏教を始めとするKNRSは、
行為能力の祭り上げすぎによって今にも破滅に陥ろうとしている、現代社会をただ救えるだけでなく、
KNHSばかりを急激に適用した結果、文明の急激な衰退を招いてしまうような副作用も防げる。

儒者も仏者も、ただ四書五経や仏典ばかりを学ぶだけでなく、当世における代表的な学問宗教をも概ね
吸収した上で、さらにその上に儒家教義や仏教教義を上乗せすることによって、悪い学問宗教を排して
善い学問宗教を推し進めていく雑食的な側面を持っているのであり、俗世との関係を完全に断ち切って
乞食や隠遁に専念するKNHSとはそこが異なっている。

ただ、上記のような形でKNRSたる儒学や大乗仏教を現代社会に適用するのならば、他のいかなる学問宗教にも
増して儒学や仏教を貴ばねばならず、それに連動して、善悪もみそくそに一緒くたとなっている既存の学問宗教への
厳重な劣後を講じなければならない。それがイヤだから、今の社会はKNRSとしての儒学や大乗仏教の効用を
完全無視し、完全に拒絶して、なかったものにしようとしている。まさに儒学や大乗仏教のKNRSとしての効用こそは、
現代社会の破滅を食い止める副作用なしの特効薬であるというのに、未だに服用する踏ん切りが付かないでいる。

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012 2010/09/02(木) 10:51:05 ID:k/ZAVRa1e6
>>8でも書いたとおり、KNHSとは違って、KNRSは妻子持ちにも肯定的であり、当然そのためにも
世の中で積極的な活動を行なっていくことを認める。認めるどころか、KNRSの勤労志向こそは、
「働かずに済むのなら働かずにいたい(でも働かなければならない)」ですらあるKNKS以上にも
積極的なものであり、お勤めの重要さ如何によっては身命すら挺する点ではKNGS以上でもある。

その、勤労意識旺盛なKNRSが今の社会で全く活躍する余地がないのは、KNRSが活躍する場を
KNGSやKNKSが奪い去っているからでもある。たとえば、今の社会においてKNRSが急に
法律家や商売人への十分な差別を嗜みつつの社会活動の場を得ようとすれば、即座に法律家や商売人の
抵抗を受けて、実定法による締め付けや、食料資源からの資源贈与のブロックで、排除の対象とされる。

完全なる否定の対象になるわけではなくとも、ただ差別の対象になって卑しまれることだけでも、
今の社会で天狗状態な法律家や商売人にとっては耐え難いことであり、自分たちの暴走を食い止めてくれる
ありがたい存在であるにもかかわらず、わが身ばかりの可愛さから、KNRSに活躍の場を与えようとしない。

もちろん上記のような問題を解決することも可能で、一定以上の徳性の持ち主であるKNRSに対しては、
銃刀法で禁止されている帯刀なども許す超法規的措置を取り、石高制を復活して食料資源の私有を厳禁し、
その全てをKNRSの下での公有物とするなどすれば、法律家や商売人からの圧力で、KNRSが社会的な
活躍の場を奪われたりすることはない。実際にはさらに、KNRSのほうが実定法などによらない臨機応変な
政治行為や刑事行為に臨むことや、食料資源以外の重要な物質資源や工業産品のKNRSによる公有化など
までが試みられてしかるべきであり、そこにこそ、法律家や商売人ではないKNRSならではの勤労の場が生まれる。
もちろん勤労するからには俸禄も得て、俸禄によって妻子を養いもする。私益ではなく純粋な公益のためにのみ
働くKNRSの家系はより貴ばれて、かつての武家のように子々孫々の継承すらもが行なわれていくこととなる。

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013 2010/09/02(木) 13:04:30 ID:k/ZAVRa1e6
KNRSが食料資源や必需工業資源、必需工業産品などの公有化に取り組む場合には、もちろん今の石油メジャーや
穀物メジャーのような、一部の人間だけでの身勝手な資源の占有とはならないように、公正な運用に務めていく。
そうなることを保証できるのは、とにもかくにもKNRSが「行為能力劣後主義」だからだ。

たとえ公有化のための正当運用であるとはいえ、資源や生産品の運用に携わることは、それ自体が行為能力の行使に当たる。
それは元来、KNRSやKNHSにとって卑しいことであり、自らが資源や物品を公有のためにでも保管することすら卑しいことだ。
だから「全ての財産は借り物であり、いつかはお返ししなければならないもの」という家康公の考え方などにも即して、
とかく財物の保有をそうである限りにおいて卑しみ、なるべく自分自身の金蔵などは空っぽであるようにする。
KNRSとは、存在性の根本からそういった価値観を持つ人間のことなのだから、原理的に資源や物品の
不当運用に溺れることができず、溺れた以上は切腹すら要求されることになる。

妻子を得ることなどもそれと同じであり、性愛や家族愛に溺れて公的意識を見失ったりすることは憚られる。
しかし、世の中で積極的な活動に臨む以上は、真っ当な所帯を持つことが必要となり、一生独身でいればいいKNHSの
ようではいかないために、君臣父子夫婦の三綱を成立させるための正当な便宜として、妻子を持つことにもなる。
再三言うとおり、妻子を持つことも少なからず行為能力の行使につながってしまうため、その部分に溺れきって
行為能力への劣後を怠ってしまうのではKNRS失格であり、妻子の側にすらそのような状況に陥らせないための心構えがいる。

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014 2010/09/02(木) 13:30:27 ID:TmNLsjTTpQ
クンニリングス

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015 2010/09/02(木) 18:09:26 ID:k/ZAVRa1e6
CUNNILINGUS

NとSしかかぶってないし、どちらかといえばKNGSのほうがかぶっている。

「NHK(日本放送局)」のような日本語の略称なのだから、西洋流の記号操作とも無縁。
東洋流の象徴主義もそれはそれで密教や修験道などがあるが、そんな高尚なもんでもない。
本当はアルファベット一文字すらも使わずに済むのが何より。

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016 2010/09/02(木) 19:58:36 ID:0KLmXsOnU6:SoftBank
コイツなんで引きこもってシコッてるの?
KNHS

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017 2010/09/02(木) 19:58:51 ID:k/ZAVRa1e6
現時点における地球上の石油の埋蔵量は、最短で40年以内に枯渇する程度だと言われている。
もちろん今の石油消費のペースでいけばの話で、自動車が電気化され、火力発電が核融合発電に完全に
置き換えられるなどすれば、消費ペースもぐっとおさまって、枯渇するまでの期限もずっと伸びるようになる。

実際のところ、電気自動車や核融合発電の実用化は、技術面ではとっくの昔に可能となっていて、
にもかかわらず実用化されないくすぶり状態を強要され続けている。それは、電気自動車や核融合発電が実用化すれば
自分たちの取り分がなくなる石油メジャーなどの圧力で、実用化が滞らされているからで、化石燃料に頼らない
進歩的技術がいま大量に温存されているのがこの日本でもあるからこそ、日本への風当たりも強まっている。

もちろん石油は、燃料として用いるだけでなく、プラスチックなどの物質資源としても用いられるため、
わざわざ石油が枯渇してから石油メジャーが自滅するとしても、迷惑この上ない。また、電気自動車や核融合の技術では、
大気中の酸素で燃料を直接燃やすことにより作動する、ジェットエンジンの完全な代替となる見込みはないため、
ジェットエンジンの燃料となるケロシンに用いられる程度の石油の温存もまた、ジェット機を存続していくというのなら
望みたいところ。早い話が、わざわざ石油が枯渇する時点まで石油メジャーに頑張られても、困るということだ。

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018 2010/09/02(木) 20:25:03 ID:k/ZAVRa1e6
道家や小乗仏教のようなKNHSなら、石油メジャーなどに対してもやりたい放題を尽くさせた挙句に、
プラスチック原料やジェットエンジン燃料の保全の余裕すら残すことなく自滅していくことを認めるだろうが、
KNRSの場合はそうではなく、石油メジャーが後を野山と化してしまう前に、そこそこの余裕を残した範囲内で
自首することを促す。それは、世の中が急激な資源枯渇によって即死したりするのではなく、いつかは死んでしまう
中にも、満足のいく繁栄や安泰に与ろうと望むからで、それは、石油メジャーのような資源の浪費にも振れきらず、
KNHSのような資源の枯渇の諦観にも振れきらない、中道中庸志向を重んずるからで、故にこそKNRSは、
KNKSやKNGSのように世界をあっという間な破滅にも陥らせないし、KNHSのようにそうなることを認めもしない。
極端にアリか、極端にナシかの両極には振れ切らず、そこそこな中にも安泰な繁栄を保っていく、KNRSにこそ、救われる滅びがある。

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019 2010/09/03(金) 14:01:42 ID:3PTYRzmz9Y:DoCoMo
50年後に、プラ屑一つが金塊並みの値段で取引きされたり、なんてことがないように。
(今でもカスタムメイドのプラモなどではたまにあるが)

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020 2010/09/03(金) 17:08:09 ID:mlPZauPTh.
IDで自演って分かるんだが
今働いていないのは確かなようだね
その場にいれば体感できるものが君にはない

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021 2010/09/03(金) 17:37:38 ID:9zhzDe3mh6
その、「その場にいれば体感できるもの」の価値を否定ないし劣後しているのだから、別にそれは落ち度ではない。

多くの人々の命をも左右する、法的経済的権利たる行為能力の行使には、当然のこととして多大なる感傷も伴う。
その、「権力の魔性」に囚われてある種の中毒状態となり、部屋の中にこもっている無職にすら「おかしい」と分かるような
凶行にまで手を染め始める。それを老子は完全な否定の対象とし、「戸を出でずして以て天下を知り、まどをうかがわずして
以て天道を見る。その出ずることいよいよ遠くして、その知ることいよいよ少なし(「老子」第四十七章)」と言った。
KNHSである老子と比べればまだ外向的なKNRSである儒家でも「君子は家を出でずして、教えを国に成す(「大学」九章)」
といい、ソワソワと出歩きまわって諸々の事物を見聞すること以上にも、自省に基づく事物への能動的な制御を重んずる。

莫大な分量の行為能力の行使によって建設された大建造物などを見れば、それだけでも普通の人間はすくむし、
さらに自分がその建設に携わったりするのであればなおのこと。しかし、そのような行為能力の濫用によって構築された事物の
体感的な威嚇に怖気づくことをKNHSやKNRSは恥とし、大した必要性もなく、ただ見るものを圧倒するためだけに
作り上げられた構造物などに対しては、徹底した差別をも努力する。莫大な行為能力を行使することの魔性に囚われた人間なども
「小人」として侮蔑し、自分がそのような人間にならないようにできる限り努める。それでこそ、「花は桜木、人は武士」
とまで言われた、かつての武士のような、立派な行為能力劣後主義者として称えられるようになることもできるから。

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022 2010/09/03(金) 19:18:04 ID:mlPZauPTh.
君に就職する行為能力があることを願うばかりだ

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023 2010/09/03(金) 19:20:59 ID:9zhzDe3mh6
就職はしないが、君が考えているような就職先の
社長や会長をひれ伏させる仕事を、新たに興すことはあるだろう。

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024 2010/09/03(金) 20:09:55 ID:3dNJoJv.ok
クンニリングス

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025 2010/09/03(金) 23:04:33 ID:wn0Qi6Iilk:SoftBank
>>1 は本当は自分が駄目な奴ってわかってるんです
でもそれを認めると精神が崩壊し自殺するしかない
だから明和で妄想を吐き出して自分をなんとか正当化しようとしている可哀相な奴なんです
皆イジメないでやって下さいw

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026 2010/09/03(金) 23:12:37 ID:9zhzDe3mh6
なにがなんでも、全ての人間は、
行為能力肯定者か行為能力原理主義者でなければ
気が済まない、かわいそうな人です。

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027 2010/09/04(土) 06:49:37 ID:Ntq8RGADnw
昔、2回くらいしか出席しなかった倫理学の試験の前日に、初めて教科書を開いたときの気持ちを思い出してしまった。
聞いたこともない言葉の羅列で、文章も難解で、全然、先に進めない・・・。
こんな文章を書く先生だとは、予想も出来なかった。
「インセスト」という言葉だけ今でも記憶に残っている。
とりあえず何か用いて書いて提出して、「可」を貰った。

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028 2010/09/04(土) 10:08:02 ID:hAAheoleoo:SoftBank
妄想と現実の区別がついてない…
良かったね日本では思想の自由が保障されていて

妄想で自分が王様でも自由だよ

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029 2010/09/04(土) 11:25:24 ID:XAQWYFismE
オレはこれから庭の草取りしなきゃならないが
誰も金くれねえし世の中乱してるとも思えない
何か問題あるか?

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030 2010/09/04(土) 11:55:33 ID:X2ZSynLMro
「行為能力」ってのは、法的経済的権利を行使する能力を指す法律用語。
ただ人間が体を動かしたり、無償労働をしたりするだけでは、行為能力の行使とはならない。

精神異常による行為能力の濫用甚だしく、「これはもうダメだ」と判断された人間に
禁治産処分が下されることを「行為能力制限」といい、そうなった禁治産者を「制限行為能力者」ともいう。

KNKSやKNGSにとっては、行為能力制限を科されることは、わが身の終わりにも等しいことだが、
KNHSにとってはめでたいことですらあり、KNRSにとっても別段落胆するほどのことでもない。
行為能力の行使なんてのは、人間にとっての全ての活動のうちでもごく限られたものに過ぎず、
しかもどちらかといえば劣悪な部類のもの、そんなものばかりに囚われて物事の実相の把握も
ままならなくなった精神異常者が、健全な精神を取り戻していくための道程が
行為能力制限であると捉えるなら、なぜそれを悲観する必要などがあろうか?

返信する

031 2010/09/04(土) 12:49:47 ID:XAQWYFismE
おいおい凡例が精神異常者じゃ
草取りしてるオレは一体どうすりゃいいんだよ
じゃあ水撒きにするよ

返信する

032 2010/09/04(土) 12:53:17 ID:hAAheoleoo:SoftBank
>>29
しかし雑草を抜くのは人間のエゴではないか?
せっかく生まれた命をむやみに摘んでよいのだろうか?
エコが叫ばれている時代,雑草だって酸素をだす
どこぞのニートみたいにエネルギーを使い二酸化炭素を吐き出し糞尿を垂れ流す人間より雑草の方が価値があるだろ
そもそも金が貰えないって 抜いた草を茹でて喰えばいいだろ

つまりなにがいいたいかっていうと蚊に刺されないように蚊取り線香持っていけ

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033 2010/09/04(土) 12:58:24 ID:X2ZSynLMro
刑罰としての刑務所への入獄も、非常に重大な行為能力制限の一種だ。

塀の外には一切出られず、檻の外にも許可なく出させてはもらえない、厳重な外出制限があり、
所持品も極めて制限され、食事も決まったものだけとなり、雑役も時給数十円止まりとなる。
トイレや着替えも看守から丸見えで、プライバシー保護も強制的に剥奪される。

人間が被る行為能力制限の中でも、最も重大なのが刑事処分であり、最悪生きる権利すらも奪われる。
ただ人間が生きるだけなら、原始人やホームレスのように法経済的権利を一切行使せずにいる
こともできなくはないわけだから、極刑級の刑罰はもちろん、行為能力制限以上ですらあるが、
その肝要のところは、当人の行為能力の濫用を戒める点にある。殺人や強盗のような明らかな犯罪も、
他者の行為能力の行使を阻んだり、行為能力を強奪する行為であるからして、世の中にとって有害無益であるから、
罰せられるのだし。(畢竟、法治主義社会における犯罪への刑罰は、それ以上の意味を伴っていない)

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034 2010/09/04(土) 15:59:52 ID:XAQWYFismE
>>32
それそれ其処なんだよ
なんかツボにはまるっていうか

>蚊に刺されないように蚊取り線香・・・
これこそ単なる言葉の羅列じゃない
同んなじ苦労をした者同士の証であり絆なんだよ

草は喰わねえべーだ

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035 2010/09/04(土) 20:31:16 ID:X2ZSynLMro
禁治産や入獄の共通体験までは、さすがに受け入れられないなw
それはあくまで、そうならざるを得ない人々に限ってのものだから。

しかし、インドの乞食行者などの本格派のKNHSは、禁治産や入獄以上もの
行為能力制限をわざわざ自らに課して、早死にすらしてしまいかねない
劣悪環境化に自分たちから身を置いている。それは確かに自殺的行為であり、
一概に生存本能の否定と結びつけることもできなくはないが、彼らの行いが
ただの自殺や自殺行為と違うのは、自分たちの自殺級の自主的行為能力制限が、
行為能力の濫用によってこそ乱脈化する世の中の平定に自分たちが寄与するという
確かな理念があるところで、実際、欧米人などが深刻な行為能力の濫用に明け暮れている
現代においても、インドに何千万何億人もの自主的制限行為能力者がいらっしゃることが、
破滅級の生の貪り一辺倒へと人類が化すことを食い止める、ありがたいバランサーとなってもいる。

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036 2010/09/04(土) 20:37:19 ID:tSM7xaR65A:SoftBank
インドのコジキて、ありゃ職業だぞ。
組合に入って、定期的に会議やってんの。
労働時間も縄張りも決められてる。

数億人はいないけどな(笑)

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037 2010/09/04(土) 21:08:38 ID:X2ZSynLMro
[YouTubeで再生]
その、インドの乞食行者が7000万人以上も集まって開催される「世界最大の祭り」、
ヒンズー教のクンブメーラも(スレ画>>1もそのクンブメーラの1カット)、
今年も盛大に催されたはずなのに、この日本ではほとんど取り上げられすらしない。

なぜかって、人は動いても、金はほとんど動いてないから。

乞食行者は、乞食なだけに、所持金なども一切持たず、人々の布施で生き延びている。
乞食同士で組合や会議をやったところで、話し合うのは「どこが乞食する穴場か」とか。
だから乞食行者が集まって祭りを開催したところで、収益の場としてあまりにもみみっち過ぎるので、
乞食全体の収益の何万倍何億倍もの資本を左右している資本主義先進国などからは、全くの無視の対象となる。

乞食のマンパワーの凄さに圧倒されて、日本などにまで乞食志願者が溢れ返りはじめれば、
今の日本の為政者にとってこそ都合が悪いから、なるべく近寄らせないようにもしている。
行為能力否定の如実な有り様を見せ付けられれば、仮初めの行為能力肯定などは灰燼に帰してしまうからな。

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038 2010/09/04(土) 22:23:08 ID:X2ZSynLMro
お釈迦様に言わせれば、ただ乞食行ばかりに没頭する沙門の姿も、それはそれでやりすぎなもので、
行為能力の濫用で莫大な資本を稼ぎまくる富豪とも同じように、忌避の対象とされる。

富貴と貧困の両極端はコインの裏表。そのコイン全体が中道や中庸の立場からすればいらない。

行為能力の全肯定に振れ切ることも、全否定に振れ切ることも、どちらも多大なる弊害を招くものであり、
行為能力の存在価値をある程度は認めつつも、道徳や真理と比べれば十分な劣後の対象とする、
中正を保った人としてのあり方が、東洋哲学史上の最偉人として一二を争う
釈尊と孔子の両人によって、至上無上のものとして認められている。

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039 2010/09/04(土) 23:33:26 ID:hAAheoleoo:SoftBank
そもそも人間が植物を支配しようとする考えがおこがましい
人間がどんなに地球を汚染し自ら首を締め滅んだとしても植物はその後 何食わぬ顔でまた繁殖し満ち溢れるだろう
そう考えると神はもはや人間に興味もなく人間を滅ぼす気も無くなっているのかも知れない

つまり草刈りをしていてよって来た蚊をツマミながら食せばもはや一石二鳥であろう
しかし最近蚊に刺されると血液サラサラ効果があると聞いたが本当なのだろうか?
なら俺の血栓ぎみの体はやはり明日の日曜日に草刈りをするべきだろう

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040 2010/09/05(日) 08:08:59 ID:tfxsa2w1F.
>>39
人類滅亡後はゴキブリの天下になるっていう説があったな

今日も暑いから朝飯の前に草取りやったよ

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041 2010/09/05(日) 14:36:40 ID:cdYpaC7S8g:SoftBank
今の地球でも昆虫の天下だけどね
頂点は人間だ は傲慢だよ

草伸びるの早いよね 一週間位で目に見えて増える

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042 2010/09/05(日) 17:04:25 ID:7543PCRX3w:SoftBank
≫37
経済規模が違うだけで、
彼等は労働者なんだよ。
規律を守って、商売上の仁義を守ってる。
これを侵すとコジキとしても認めて貰えず、追放される。
まあ、小規模自営業者だね。
インドは半年いたことあるが、彼等自身も自らを職業人だと思ってる。

現実。

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043 2010/09/05(日) 19:04:43 ID:InYIuE9hKc
1.バラモン(祭司階級)
2.クシャトリヤ(王族階級)
3.ヴァイシャ(平民階級)
4.シュードラ(奴隷階級)

カースト制の四姓制度において、商売人は上から三番目、下から二番目に当たる「ヴァイシャ」のうちに入れられる。
奴隷階級のシュードラほどに卑賤な扱いでもないが、バラモンやクシャトリヤと比べれば卑賤なうちに入れられる平民階級。
それはそれで、「マヌ法典」などのカースト的社会制度を取り決めた原典に基づいて一定の保護を受けるものであり、
相当に貶められた扱いではあるにしろ、シュードラだってそれは同じ。しかし、制度外沙門となった乞食行者たちには、
シュードラほどもの社会的保護もあてがわれず、俗人としてのあらゆる法的経済的権利を剥奪される。
そのため乞食行者は自分が出家する前に自らの葬儀を行い、自らの社会的死亡を高らかに宣言もする。

とはいえ本当に死ぬわけではなく、結局は乞食によって食っていくので、乞食であることが形式的な職業めいても来る。
乞食としての私有財産を一切認めない上座部仏教と、多少の私有は認める部派仏教との間で根本分裂が起こり、
上座部は小乗仏教、部派は大乗仏教として別々に発展してきたことも歴史的な事実。制度外出家者として乞食行に没する中にも、
本当に完全に行為能力を捨て去る本格派のKNHSもいれば、多少は行為能力を温存したままでいる、実質上のKNRSもいる。
乞食である中にも、KNRSであるぐらいのことは、KNKSやKNGSであることと比べればよっぽど好ましいことで、
自分自身が儒学や大乗仏教を支持するKNRSとして言わせてもらえば、乞食もそれぐらいでいるので十分だと思う。

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044 2010/09/06(月) 12:54:49 ID:A0eySiTstE
行為能力の全肯定か全否定かに振れ切るのなら、インドのサドゥの中でも本当にKNHS然としているのは一部だけだろうし、
仏教徒の中でもKNHSとまでいえるのは一部の上座部教徒だけで、日本の大乗仏教系の生臭坊主などははじかれることだろう。
(もちろん仏教の理論的本義はKNRSの中道志向であり、KNHSであることがより正しい根拠にはならないが)

しかし、そのような両極端の極論に溺れることがすでに有害なことであり、行為能力を完全否定しない中にもそれなりに劣後
することで、深刻な金融犯罪ぐらいは食い止めることもできて、現実の社会においては、その程度の存在でも十分マシな部類に入る。
観光客にがめつく布施をせびるサドゥや、本尊を商売道具扱いする蓮如みたいな糞坊主でも、金融強盗であるよりはよっぽど
マシであるに違いなく、それは無職やニートみたいな、未だ職業として成り立っていない範囲においてですら適用されること。

アリかナシかの極論を超えた中正な論議には、判定対象を選別する必要すらなく、天地万物すべてにその理解が行き渡る。

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045 2010/09/06(月) 19:10:51 ID:0PrCx6oAuU
商売人と職業人はぜんぜん違うだろ。何言ってんだ。
42が言ってるのは「乞食も労働者意識を持ってる」てことだろ。

形式的とか結果的という話じゃなくて、
インドの乞食はギルド化してる職能集団なの!
パッカの間じゃ常識。

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046 2010/09/06(月) 19:20:38 ID:a4XisJX3ow
クンニリングス

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047 2010/09/06(月) 20:02:33 ID:w.j3Q9p0Zs
「行為能力」って、民法で使われる法律用語ですよね。

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048 2010/09/07(火) 07:33:45 ID:xlxgvIgI9g
自分は禁治産処分を受けた制限行為能力者だから
おまえらも同じになれって言ってる気がする

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049 2010/09/07(火) 08:04:46 ID:l8wLplBOQY
このスレ黒いねw
いろんな意味でw

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050 2010/09/07(火) 14:49:23 ID:BQcCOUcjLI
俺も旺盛な職業意識や勤労意識を持って、無職をやっている。
精一杯、渾身を込めて、今の世に於いてもっとも有益無害な仕事である、無職を。
もちろん金を稼いではいない。金を稼ぐことしか仕事として認められないのは、商売人。
行為能力の左右にしか価値を見出せない、KNGSないしKNKS。
無職の中にも職業的価値があるなどという現実は、決して認められない。

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051 2010/09/08(水) 19:15:03 ID:5drvCXzfKg:DoCoMo
今の世の中で最も明るい、希望の光が差し込んでいるスレ。

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052 2010/10/14(木) 19:25:07 ID:4c4KX36bGw
「衣食足りて礼節を知る」という言葉は、司馬遷も「史記」でしょっちゅう引き合いに出している管子の言葉だが、
孟子などに言わせれば、衣食が足りたからといって必ずしも礼節がわきまえられるわけではなく、正統性に即した
相応の教育を受けることによってのみ、君臣父子夫婦兄弟朋友の達徳にも基づいた礼節がわきまえられるという。

確かにその通りで、今の日本人なども衣食は十分に満ち足りているが、礼節に関しちゃ全くのかっらきし。
商売人としてサービスに徹するためのへつらい笑いなどには長けているが、目上の者に対する相応の恭しい態度などは
根本からわきまえられていないために、即座に抱くこともできない。無礼による思い上がりに基づいて金を稼ぐことが
どこまでも許され続けた挙句に、何億人もの人々を死にも追いやる、いかなる暴君にも成しえなかったほどの暴挙に及んでいる。

礼節もわきまえられないような者が金を稼ぐことから一切禁止して、相応の恭敬に基づきつつ程よい所得に与ることが奨励
されることによって、世の中全体が殺し合い奪い合いを排した健全な状態へと復興してく。それでこそ世の中も繁栄するのだから、
礼節に基づかない所得には与らない行為能力劣後主義こそは、世の中を最大級の繁栄へと導く要ともなるのだといえる。

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053 2010/10/15(金) 12:36:25 ID:XaGkivMJyw
早く働きてえなあ。
行為能力劣後の啓発のために。

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054 2010/11/21(日) 21:59:36 ID:aohNBDFv06
行為能力劣後主義者は、自らにあえて無意味な苦行を課すようなことは一切しない。
ただ、世の中で安穏と暮らしている中に、差し迫って重要な問題が待ち受けている場合などに、
その解決や未然の防止のための、“必要最大限”の努力を行うのみ。

世の中全体が重権力犯罪者状態な世の中で、これ以上公益を損なう悪行に手を染めないために、
何もしないで善行の機会を待つのは必要最大限の努力である一方、悪行に手を染めている重権力犯罪者
たちへの示威のために、あえて断食などの苦行を試みるのは、必要最大限の努力をも逸脱してしまっている。

重権力犯罪者たちが軒並み自首して、大体の労働が善行に値するようになった世の中で、
積極的に働き始めるためには、それなりに体力を温存しておく必要もあるのに、
苦行などに邁進して体力を損なったんじゃ、後々働くための労働力すらも失われてしまう。

あくまで「善い仕事ができるなら働く」という前提があるから、行為能力劣後主義者は
断食のような自らの体力を損なうような苦行までもは試みず、重権力犯罪者たちが全員自首した後での
綺麗さっぱりとした世の中で熱心に働いていくために、今のような世の中では一切働くことも無く、
体力や、善行のための職能を温めておくことに特化する。

それで自らの望みが叶わず、伯夷や叔斉のように破滅の道をたどったとしても、
世の中に有害無益な迷惑ばかりをかけつつ生き延びる犯罪集団の一員なんかであるよりは、
明らかにマシな人生だったといえるので、犯罪集団の構成員などよりは、まだ満足な人生を終えられる。

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055 2010/11/28(日) 04:49:28 ID:ldkEdljWWQ
君の本を買う金はどこからでてくるのよ?w
ニートなのに
おこづかい?

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056 2010/11/28(日) 13:58:36 ID:W3SaLMrN0k
「学べば禄はその中にあり(衛霊公十五・三二)」
ともいうが、冗談抜きで、これらが明日の禄の糧でもある。

もちろん、他者に危害を加えてでも自分が裕福になる、
KNGSやKNKSに基づく犯罪労働のための素養ではなく、
天下万民の公益のために、私利私欲を控えてでも働く、
KNRSやKNHSに基づく道徳労働のための素養を身につけるための道具。

これらが全く役に立たず、強盗団の手先が書いた財テク書ばかりが
役立てられるような世の中であるなら、こっちよりも世の中のほうが
先に自滅するのも必定だから、何ら自分のことを心配する必要もない。

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057 2010/11/28(日) 17:35:37 ID:lLr05zK5oM
クンニリングス

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058 2010/11/28(日) 17:53:52 ID:ldkEdljWWQ
ハードカバーは読みにくい

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059 2010/11/28(日) 18:00:01 ID:ldkEdljWWQ
まぁいいたいことは分らんでもないよww
俺も株や投資なんかは大嫌いだしw
銀行口座さえないwwww
ところでその本の山凄いなぁ
全部読んだの?w
意図的かそうじゃないか分らんけど聖書が一番したに圧迫されてるよww

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060 2010/11/28(日) 19:28:09 ID:W3SaLMrN0k
画像中のものは9割がた読み通しているが、これは蔵書のほんの一部だ。
それでも入手困難だったり超高価だったりして、一応図書館で借りて読んだものも多い。
画像にあるものは年がら年中読みっぱなしのものがほとんどなので、借りるわけにもいかない。
さすがに軽装版のものはくたびれてきてるので、ハードカバーの頑強さにも助けられている。

ちなみに「上製本」と呼ばれるハードカバーの装丁は、イスラム圏で発明されたもの。
まさに、コーランを豪装するためにこそ、上製本が考案されてもいる。
日本には西洋経由で伝わってきたために「洋装本」とも言われているが、本当はイスラム圏が発祥。
カレーが洋食扱いされたりもしていても、本当はインド発祥なのと同じ。

元を取るだけ読み込むつもりなら、ハードカバーの上製本もお奨めできる。
再版制度の関係で、カバーと帯を取れば極端に貧相になる、日本の軽装本なんかに
愛着もわかないし。昔の本だと、軽装版でも結構、ちゃんとした作りのがあったんだがなあ。

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061 2010/11/29(月) 03:22:15 ID:.L5eB2AhSk
削除(by投稿者)

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062 2010/11/29(月) 10:34:07 ID:XUQ8ur12lM
画中のハードカバー版は、コーランと向こう側の論語を除いて、すべて古書だ。
どれも古書店やヤフオクなどで、底値で手に入れたものばかり。安いものだと数百円とか。

真ん中最下段の縮刷国訳漢文大成も、セットが分売不可で何十万もの高値で売られている場合があるが、
四書五経全文や老荘などの載っている第一巻だけが、廃校した私立高校の蔵書処分で格安で手に入った。
戦前の版で紙質も悪く、どこもかしこも蔵書印だらけだが、辞書代わりに用いる上では差し支えない。
元々付いていた図書カードには、一人の女子生徒の昭和末期の貸し出し印だけがあるだけで、後はしらった。
電話帳よりも太いこの本をわざわざ借りたあたり、よっぽど勉強熱心だったか、単なる冷やかしかのいずれかに違いない。


行為能力否定主義者はともかく、行為能力劣後主義者は、俗世での経済活動を全く拒絶したりはしない。
俗世での活動には罪が多く、どんなに清浄な活動に努めても、多少のみそが付くのは分かっている。
しかし、そのような清濁併せ呑む活動の中に、徳>罪である研鑽こそを積んでいき、罪>徳の犯罪労働によって
世の中をいま以上にも荒廃せんとする最悪の所業だけは避ける。徳>罪の活動だけを順当に積み重ねていけたなら、
多少の罪は犯しつつも、世の中における罪の分量をいま以上に軽減抑制することができるのも確か。

確かにそれは難しいことで、雇用者と契約して金を稼ぐような仕事だと、まず今は実現が不可能。
ただ、それは実際に実現が可能なことで、世の中が犯罪労働を金科玉条に掲げる、総員KNGS・KNKS状態から
すら脱却できたなら、本当に俗世での実現が可能だ。KNRSの勤労活動とて清濁併せ呑んだものになるには違いないが、
罪>徳を排して徳>罪に徹することによって、世の中の罪の分量を減らしこそすれ増やさないようにできるのだ。

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063 2010/11/29(月) 14:27:16 ID:XUQ8ur12lM
なにが徳>罪であり、なにが罪>徳であるのかを、なかなか一概に見極めるのは難しく、
一見悪そうでいながら辛うじて徳≧罪であったり、良さげでありながら甚だしく罪≫徳だったりもする。

ただ、ある程度の勉強や人生経験も重ねて、実践からの自己修養に努めていたならば、
徳>罪である状態における精神の普遍的な充足を知る。そのような精神的充足を孟子は「浩然の気」といい、
行いが徳>罪である限りにおいてはこの浩然の気が保たれる一方で、行いが罪>徳であってしまえば、たちまちの内に
浩然の気は損なわれて、恒常的な飢渇状態となり、七つの海を呑み干すほどもの渇望にあえぎ続けることとなる。

そのようなことにならないためには、ただ徳>罪でいることに尽きるのであり、そうですらあれば
徳2>罪1でも、徳0.01>罪0.009でも構わない。しかし、罪>徳である限りにおいては、罪10000>徳9998だろうが、
罪10000000>徳9999999だろうが、浩然の気が損なわれて渇き続ける。罪10000000>徳9999999の場合のほうが、
徳0.01>罪0.009の場合よりも、徳の絶対量でも遥かに優っているわけだが、その9999999の徳よりも
さらに大きな10000000の罪を抱えてしまっているために、9999999−10000000=−1となって、総合面では
0.01−0.009=0.001である徳0.01>罪0.009ほどにも、浩然の気を保つにたる条件を満たさない。

ごくごく小さな徳でもいいから、とにかく恒常的に徳>罪であるようにする。そのためには、大きな徳を積む以前に、
まずは大きな罪を犯さないことから。いくら後付けで大きな徳を積んだところで、到底埋め合わせきれないような
多大なる罪を先に犯してたんじゃ、プラスマイナスゼロ以下となって、罪を犯さずに小さな徳を積むほどもの
功徳にすらならない。徳0.01>罪0.009でも徳0.000001>罪0.0000009でも、罪10000000>徳9999999などよりはマシであり、
浩然の気を保つにたる条件も満たせるから、徳を積むことと、罪を犯さないこととの配分への注意こそが必要だ。

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064 2010/11/29(月) 23:39:22 ID:.L5eB2AhSk
削除(by投稿者)

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065 2010/11/30(火) 12:03:19 ID:tNhtuSFAK.
今の社会において、自分が徳>罪か罪>徳かを調べる上で手っ取り早い判断基準は、
「非生産的資本所得(総所得−自己生産物)が世界平均よりも上か下か」だ。

総所得−自己生産物が世界平均以下なら徳>罪。
総所得−自己生産物が世界平均以上なら罪>徳。

「総所得」は、もちろん稼いだ金全て。「自己生産物」は、自己が世のため人のために生産したもの。
さすがに何の役にも立たないガラクタや、営業スマイルまでもが「自己生産物」になるとはいえない。
もちろん、何も生み出さずに利殖だけを獲得する金融詐欺の手口なども生産物には当たらない。
ここで重要なのは、

総所得−自己生産物<0ならば徳>罪。
総所得−自己生産物>0ならば罪>徳。

ではない点。この条件だと、誰しもが産む以上にも奪おうとしている今のような乱世では、否応なく
誰しもが罪>徳であることになってしまう。奪う以上に産む量が多いかどうかを査定基準にできるのは、
奪い合い殺し合いがある程度収拾した泰平社会になってから。今のような乱世においてはひとまず、
非生産的資本所得が世界平均以下であるように努めるのが、徳>罪に向かうための最善姿勢となる。

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066 2010/12/01(水) 16:20:36 ID:r.AQne8x76
削除(by投稿者)

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067 2010/12/01(水) 16:23:26 ID:r.AQne8x76
削除(by投稿者)

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068 2010/12/01(水) 19:16:57 ID:QncO0D29zk
聖書に、好きも嫌いもあるかよ。

目の前に知恵足らずの白痴がいても、哀れとは思った所で、嫌いだとか憎いとかは思わない。
仮に相手が凶悪犯罪者でもあったとしても、チンパン以下にまで知能を引き落とすカルト教義なんかに
洗脳されたせいで罪も犯していたのなら、憎み嫌う以前に、まずその病理を拭い去らなければならない。
病理を拭い去り、適切な教育も施した上で、なおのこと反省すらせず、悪びれないでいたりしたなら、
その時にこそ救いようのない極悪人としての当人を憎むだろうが、まだそういう風には憎んではいけない。

「教えずして殺す、これを虐と謂う」
「適切な教育も施さずに誅殺する、これを虐待という」
(「論語」堯曰第二十・四より)

聖書という書物からして、文章表現からその内容に至るまで、稚拙の限りを尽くした「不具の書」であり、
人としての責任を問えるほどに、まともな作者たちによって書かれたものでもないことが確かなので、
それを好き好むのもおかしいし、逆に憎み嫌った挙句に、十字架にバッテン×をあしらった旗を国旗にする
アンチキリストなんかになるのもおかしい。聖書という書物、その信仰者や、潜在的洗脳罹患者などを
全く人としての品位を満たさない不具者と見なすことで、かえって対等な相手としての好悪などは持たない。

医者が患者を嫌ってたんじゃ、治療も覚束ない。未だ不具状態の疾病者であるからには、
何段階も上の所から見守ってあげるぐらいの度量でいなければならない。

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069 2010/12/02(木) 02:23:36 ID:mdaAcFIeqc
そんなこと書きなぐってる暇があるんなら
原始仏典のパーリ語の原典全集を買えよwww

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070 2010/12/03(金) 17:35:48 ID:8JsEp/Oons:SoftBank
こいつの書き込み、本当に中身がないんだよなあ。
中二病的というか

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071 2010/12/04(土) 09:24:33 ID:ZC.OB7zTRM:DoCoMo
おまえ自身が低脳すぎて人の言うことが理解できないから、さも人の言っていることにも中身がないように思われることと、
おまえ自身にもまともな長文読解力があり、相手の言うことを十分に理解した上で中身がないと判ずることとは違うんだぞ?

重度の知的障害者には、両者の違いも分からないんだろうが。

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072 2010/12/04(土) 18:59:45 ID:0JrzXV/ciQ
確かに中身はないな。

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073 2010/12/04(土) 20:29:00 ID:ZC.OB7zTRM:DoCoMo
ちゃんと仔細まで読み込んで、ちゃんとその内容を理解した上で、それでも中身がないように思えるのなら、
それは、俺の書き込みが「行為能力の積極化」を目的としたものではないからだ。

法律上の強権を行使しようというのでもなければ、大金をいいように動かそうだなんてことでもない。
ただ何もしない、法律的経済的要素をなるべく変動させず、かえって万人に法経済的要素の変動の禁止や抑制すらも促している。

だから、法経済的要素を変動させることこそは全てである現代の人間などにとっては、
俺の書き込みが、どこからどう見ても「中身」がないように思える。強権を行使する、大金を動かして回る、
そんなことはするな、させるな、やめさせろと、するだけ、させるだけ、やめさせないだけ有害無益なだけだと、
行為能力に関しての根本からの消極化を促しているのだから、行為能力の積極化こそは
全てである人間には、俺のいうことには丸っきり中身が伴っていないようにすら映ることとなる。

行為能力の変動ばかりが全てではない、それどころか人間にとっての末節の要素に過ぎず、
精神や道徳といったより根本的な要素の前では、厳重な否定や劣後をされてしかるべきだとしている。
いついかなる場合、どんな時においても、根本と比べれば末節は否定や劣後の対象とされてしかるべきだから、
精神や道徳とは相反する、金融や物質を司る行為能力をまずはひとしなみに否定して、
どうしても生活便宜上必要な場合に限って甘受し、それでもまだ余裕があるようならば、
人さまに迷惑をかけない限りにおいて余分な行為能力を行使することもある。

というような書き込みもやっぱり、行為能力こそは全てである人種などには中身がないように思える。
たとえそれが、地球人類の永劫なる福利厚生に貢献する、高潔偉大なる思想であったとしても。

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074 2010/12/07(火) 02:56:03 ID:5CrMKN2eng
>>中身
現状の自分を肯定する証明を長々と語ってらっしゃるそうだ。

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075 2010/12/29(水) 20:23:08 ID:IIvkTP2ebo:DoCoMo
現状の自分をありのままに肯定するのが楽しいかどうかだ。

楽しくなけりゃ、こんなに長々と語れはしない。
金ももらってないのに。

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076 2011/04/01(金) 06:20:10 ID:HUJm8rVcYM:DoCoMo
はやく働きてえなあ。

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077 2011/04/09(土) 22:56:03 ID:VSaic76ho2:DoCoMo
国としてKNHSを体現しているのはインド。KNRSを体現しているのは中国。

なぜKNRSよりもKNHSを尊重したほうがいいのかが分かりやしないかい?

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078 2011/04/16(土) 15:04:58 ID:U8nGDXRc9E:DoCoMo
カネやモノはナシとするのがKNHS。

カネやモノもアリとした上で、
さらにその上に精神や道徳を置くのがKNRS。

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079 2012/04/22(日) 16:29:00 ID:mZeSOZ0jd6:au
行為能力否定、行為能力劣後こそは、聖賢の業(わざ)である。

その度合いには、相当な個人さがあるにしろ、
少なからず行為能力を否定したり劣後したりする心意気が備わっていることこそは、
聖賢が聖賢たる所以であり、その心意気が旺盛であることこそは、聖賢が偉大たる所以なのでもある。

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080 2012/04/22(日) 20:08:07 ID:Nv1a.IDVgU
自由主義は行為能力濫用主義だし、
民主主義は行為能力統制不能主義だし、
資本主義は行為能力完全金融化主義だし、
共産主義は行為能力単調共有主義だし、
独裁主義は行為能力独占主義だし、
無秩序主義は行為能力乱脈主義だし、

行為能力の扱い方に還元してみれば、西洋産の政治イデオロギーの
いずれもが、ろくでもない代物ばかりであることが丸分かりとなる。

行為能力全般を諦観する慧眼が決定的に欠けているから、とにかく行為能力を
扱えてりゃそれで偉いっていう、小人の思い込み止まりでしかいられない。

行為能力全般をよく客観して、その最も適切な扱いにのみ努めるのなら、
上記のようなイデオロキーのうちのいずれかにだけ、行為能力の扱い方を完全に
固定化してしまったりすることが、いかに愚かなことであるのかも、分かるのである。

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081 2012/04/23(月) 11:57:57 ID:ZWcC2HEfIc:au
行為能力の否定に神を見、行為能力の劣後に仏を見る。
行為能力の貪りに鬼畜を見、行為能力の超越に邪神を見る。

それが、正しい見識を具えるということである。

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082 2012/05/24(木) 11:18:23 ID:N/QVavCim6:au
完全否定であれ、劣後という程であれ、
少なからず行為能力に否定的であろうとする所に、人としての何らかの向上がある。

時には「赤字覚悟の大セール」なんかも行ってみた所で、
所詮は行為能力にすがることが生業である商売人などにとっては、
自己の存在価値を完全否定する所からしか、品性の向上が見込めない。

いかに「商売人」という職業が本来、人として勝ち誇るに値しない職業であるのかを
見据え直す所から、やり直していく必要がある。

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083 2012/11/03(土) 14:53:28 ID:jaNYHWzq82:au
行為能力を善用するところに苦しみ以上の楽しみが
行為能力を悪用するところに楽しみ以上の苦しみがある。

特に行為能力を活用したがらない所でも、人は安楽でいられる。
それは、人がまともに生きること自体が、行為能力の善用となるからだ。

ふざけて生きようとした時点で、行為能力が少なからず悪用され、
以って不必要に苦しむようになる。

第一には、無駄にふざけないということが必要なのだろう。

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084 2013/05/20(月) 11:52:21 ID:ujcnUO8zFk
大変興味深く拝読しました。
かなり完成された思想をお持ちですね。
あなたのレスと思われるもの全てを保存させていただきました。
私はまだまだ浅学の身ですので、今後もより一層の精進を重ねていきたい次第です。

ありがとうございました。

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085 2018/05/24(木) 00:14:37 ID:CLVnotSjUs
ああ、うぜえ。という本心を隠した84スレ主であったw

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086 2018/05/24(木) 00:17:25 ID:CLVnotSjUs
訊かなければよかった。という本心を隠した84スレ主であったw

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スレッドタイトル:KNHS、KNRS(行為能力否定主義、行為能力劣後主義)

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