KNHSとKNRSの決定的な違いの一つが、「妻子持ちに否定的か否か」という点。
女子供には基本、乞食や隠者となってまでKNHSの実践に努める能力はなく、
結婚して妻子も養うというのなら、そうする男性自身もある程度は行為能力を用いる必要が出てくる。
そのため、乞食行者となる男性の沙門などは妻子を持つことも拒絶し、独身のままで一生苦行に専念するし、
そこまでいかない中国の隠者などもまた、王侯からの贈与や招聘を断って妻子を落胆させたりする(「列子」などを参照)。
否が応にも行為能力を用いざるを得ない、妻子持ちというカルマに対して、専ら否定的であるのがKNHS。
一方、KNRSの場合は、自分が妻子持ちとなることを否定しないのはもちろんのこと、
君臣父子夫婦の三綱を構築するための重要事として、時にKNKSやKNGS以上にも丁重な尊重の対象とする。
もちろんそのために、自らが法的経済的権利を行使することも認めるわけだが、一方でやはり、
行為能力への劣後も欠かさず、法律家や商売人への徹底した差別と共に社会生活を営んでいこうとする。
昔の日本の武家などは強度のKNRSであり、ごちゃごちゃとした成文法制や商業権力への劣後と引き換えに、
切腹のような峻厳な自己規律や、奢侈を控える清貧もわきまえていた。それでいて当然、妻子持ちでもあり、
武家の妻や子供であるものもまた、わざわざ「KNRS」などというおかしな横文字によらずとも、
自分たちがKNRSを旨とする武家であることをわきまえて、謹厳実直な振舞いでいることに努めていた。
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