SARO&Desperado隔離スレ


▼ページ最下部
001 2013/07/04(木) 19:27:31 ID:ZNlLYIE0Jk
宗教談義はこちらでどうぞ

返信する

※省略されてます すべて表示...
071 2013/08/02(金) 18:52:08 ID:CCUH9YB.WA
ユダヤ教からキリスト教へと派生した経緯を教えてたも

返信する

072 2013/08/02(金) 21:47:02 ID:CeDvcsTaLo
>>71
ユダヤ教にはついてはよくわからないのですが、>>52で例に出したように、ユダヤ教は旧約聖書
を元に独自の発展をしたようです。
 
キリスト教はもちろん新約聖書を元にしていますが、この新約というのも旧約聖書を踏まえた
ものであるのは当然ですよね。新約聖書の中でイエスは、古い律法を守るのは当然とし、さらに
それを上回るようにしなさいと言われます。
 
例えば『目には目を、歯には歯を』と昔は教えられたかも知れないが、右の頬を打たれたら左の
頬も出しなさい、と言われます。
 
何かで読んだのですが、現在のキリスト教は本当はパウロ教と言うべきなんだそうです。というの
もキリスト教がヨーロッパにもたらされたのも彼の影響が大きいからです。
新約聖書にしても中に似たような四つの福音書があるのですが、これも数多くあった福音書の中
から、意図的に選ばれたようですね。初期のキリスト教宣教師が意図的に選んだのかも。
 
ずいぶん昔ですが、死海文書と呼ばれるものの中から、失われた福音書が発見されたというニュ
ースもありました。確かに現在の新約聖書の福音書は意図的だと思います。
 
例えば、マタイの福音書は当時のユダヤ教の人向けに書かれています。いきなり旧約聖書の登場
人物がずらずらと登場し、旧約で言うメシアがイエス・キリストだとしています。マルコの福音書は
ローマ人向けに、ルカは異教徒向けに書かれたものであることは明らかです。ヨハネの福音書は
別格ですね。詩的に高らかに神の愛を唱えます。格調高いです。
 
そんなわけで、西暦1世紀から2世紀の間に、パウロの教えを元にした今の形のキリスト教が完成
したものと私は考えます。3世紀には既に教えを説くイエスの絵が描かれていますからね。私は
もちろん、神学など学んでいませんから、以上はグータラな名も無い信徒の私的見解です。

返信する

073 2013/08/03(土) 05:19:12 ID:KTBFpuU1EY
こりゃどうも
では、キリスト教(宗派問わず)がなぜここまで教徒を獲得できたのか?
について教えてたも

(面倒ならスルーしてください)

返信する

074 2013/08/03(土) 05:56:29 ID:K7WQujuqAc
>>73
上でいきなりローマと出したのは、あの大ローマ帝国です。
当時のイスラエルは、ローマ帝国のちっぽけな一地方に過ぎませんでした。
そのローカルな田舎の宗教がローマ全土に広まるのに百年しかかからなかったんですから
マスコミもない当時のこと、宣教師の努力も大変なものだったんじゃないでしようか。
でもローマに広まるということはヨーロッパ全土に広まるということ。
それほどローマ人にキリスト教が魅力的に映ったんでしょうね。
普及したのもその魅力が彼らを惹き付けたからでしょう。

返信する

075 2013/08/03(土) 08:25:59 ID:KTBFpuU1EY
キリスト教がローマに浸透し、国教にもなったけど
ローマ人にとってキリスト教が魅力的であったのはどういうところだと思いますか?
教えてたも

(面倒ならスルーしてください)

返信する

076 2013/08/03(土) 09:27:17 ID:K7WQujuqAc
当時のローマにはギリシャ神話の焼き直しのような神話しか無かったわけでしたから、
原罪、癒し、赦し、神の無限の愛、死からの復活など哲学的な命題をひっさげたキリスト教は人々の興味を惹き付けでしょう。

でも初期のキリスト教は弾圧されました。
地に宝を積むより天に積めとか、誰も二人の君主につかえてはならない、というのですから
時の君主に面白いわけがありません。

あるローマの名家もキリスト教ということで、逮捕されました。
その中でも幼い少女アグネスは、勇敢にも棄教を拒否し、
13才の若さで殉教しました。

今日、彼女は聖人に列っせられ、聖アグネスの日が祝われます。
この日には恋人通しがプレゼントのやりとりをする国もあるそうです。

返信する

077 2013/08/03(土) 12:24:30 ID:K7WQujuqAc
しかしローマ帝国のキリスト教政策も、皇帝が代わるたびに規制と緩和を繰り返しました。
これがかえってキリスト教徒の団結を生み、欧州に深い根を下ろすことになったのでしょう。
逆にユダヤ教への弾圧はほとんど無かったため、ユダヤ人の間にユダヤ教は残りました。
 
パウロがイスラエルから持ち帰った聖典によるキリスト教は、原始キリスト教と呼ばれる物
で、聖典も色々あったようですが、西暦2〜3世紀の間に聖典の中から4編の福音書と使徒行伝
が選ばれ、近代的なキリスト教へと変遷して行ったのではないでしょうか。
というのも、最後に書かれたといわれる最も洗練されたヨハネの福音書が著された年代が、
その後の研究で西暦95年〜100年の間と推定されているからです。
 
このようにベツレヘムの生まれ、ナザレのイエスの教えは、地元イスラエルには根付かず、
欧州に深く根付いてしまいました。キリスト教が本当はパウロ教だという揶揄も、
そんな点を指して言っているのだと思います。

まったく私のブログですね。

返信する

078 2013/08/03(土) 13:08:33 ID:KTBFpuU1EY
引き続きどうも
最後におききします
これはキリスト教を信仰するdesperadoさんの気を害すかもしれませんがお許しください

私はキリスト教を学んだことはありません
知識量はおそらくあなた様の耳垢より少ないでしょう
そんな私には強いルサンチマンを持った人たち(大衆)をうまくとりこむために
キリスト教は作られたように思えるのです
一方で指導者が大衆をうまく扱うことにおいても都合がいいように思います

desperadoさんはこのような意見をお聞きになったことがあるかと思います
そして盲目的な信者ではないとお見受けしているので
わずかながら共感して頂ける点はあるのではないかと思います
しかし、それでも何故信じることができるのか
教えてたも

返信する

079 2013/08/03(土) 16:45:34 ID:K7WQujuqAc
>>78
ルサンチマンを強者に対する弱者の遠吠えや持たざる者の不満ととらえるならば、その推測は
半ば当たっていると言わざるを得ないでしょう。新約聖書の内容も、当時の強者であるところの
徴税人(税金取り)を悪人にしたり、金持ちは天の国に入れないかのように記述され、当時の
多数派だった(まあ今もですが)弱者を取り込みたいという意図は明らかです。
 
ちょっと考えると、これは強者たる指導者階層(領主とか君主とか)には都合が悪いと言えます。
地に富を積むのを悪とし、神を選ぶか君主を選ぶか二者択一を迫る教理は、指導者階層には
都合が悪いのではないでしょうか。にもかかわらず、キリスト教は最初は地方の領主など、
中間層に受け入れられました。そして配下の家来や農民層に強制させられたりします。戦国
末期の日本でのキリスト教の受け入れも地方の大名層からでした。そして家来や領地の農民は
半ば強制的に受洗させられました。
 
少し突っ込んで考えれば、これは当然の成り行きでしょう。当時の弱者である農民たちを慰撫
するのに、これはとても有効な手段です。持たざる者は、宣教師が説く聖書の教えに、日ごろの
うっぷんを晴らし溜飲を下げたことでしょう。だからローマ帝国もキリスト教を迫害したり
緩和したり、皇帝が代わるたびにふらふらしたのですね。
 
現在のカトリックでは金持ちを悪とせず、金への執着が悪だと教えます。古い律法も否定して
キリスト者は自由だと教えます。新約聖書の解釈の仕方だというのですが、これも中間層を自認
する人々が多くなったことへの対処でしょうか。でなければ信徒が逃げてしまいますからね。

返信する

080 2013/08/03(土) 16:47:58 ID:bOp.v7FHjo
と最後はグータラな正体がばれた所で、先に述べた徴税人がなぜ悪人か。これは現代に当てはめ
れば税務署の役人なわけで、ちょっと悪人と呼ぶにはかわいそうです(いや現代でも十分悪人
ですけどね)・・・苦笑。この徴税人という人たちは、ローマ帝国の植民地だったイスラエルの
の人たちから、ローマ帝国への税金を巻き上げる輩だから悪人なのです。敵のために働くわけで
すからね。それに善良な人々から多めな税金を巻き上げ、何割も自分のふところに入れてしまう
のです。徴税人という職業が成り立つわけですから大衆も嫌悪の目で見たことでしょう。そんな
当時のイスラエル事情を知りながら聖書を読むと、読み物としてもとても興味深い本だと気づき
ます。

キリスト教は時代時代によって二転三転してきました。イエズス会が出来た頃から雲行きも次第
に怪しくなり、やがて新教と旧教にわかれて行きました。だからイエズス会を新教に対する防波
堤と見る向きもあります。これはちょうど豊臣秀吉のキリスト教禁止令や徳川家康の禁止令が
出された当時と重なります。イエズス会の経済封鎖によって秀吉の禁教策は有名無実化しまし
たが、新教国出身のウィリアムアダムス(三浦按針)を顧問に迎えた家康は、安心して旧教国
であるポルトガルやスペインの宣教師を国外追放し、新教国であるオランダとの宗教抜きでの
貿易を手に入れました。

返信する

081 2013/08/03(土) 17:18:48 ID:bOp.v7FHjo
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが、戦国末期に日本にいたキリスト教宣教師は
イエズス会が最も多かったのですが、他の会派、例えばフランシスコ会とかドミニコ会の
宣教師もいました。徳川家康のバテレン追放令におとなしく従ったのは、急進派と見られがち
なイエズス会士が最も多く、その他の会派は何とか地に潜ってでも宣教活動を続けようと
色々画策したようです。これも遠藤周作氏の本に教えられました。

今日、日本でのカトリック教会はイエズス会が最も多く、私の所属するイグナチオ教会も
イエズス会ですから、戦国時代のそんな話がとても身近に感じられてしまいます。
だから私は信長〜秀吉〜家康あたりの歴史がとても好きです。遠藤周作氏や司馬遼太郎氏や
津本陽氏の歴史小説を胸躍らせて読み漁りました。あげく素人の現地調査で、愛知や岐阜や
滋賀県も走り回ったりしたんですよ。蜂須賀屋敷跡や織田信長の息子が生まれた生駒屋敷跡を
発見して『ああ、ここにも遠藤周作氏が立たれたのだな』と感動したものです。

返信する

082 2013/08/04(日) 11:46:41 ID:86YHzcTscE
私のブログにようこそ!!

カトの皆さん、私は今日のミサの中で聖母マリア様に
『ポールのいい席が取れますように』ととりなしを願って
イグナチオ教会の波動が届くであろう四ツ谷駅前の
サンクスに駆け込み、10列目をゲットできました。

波動とかマリア様を私物化したりとか、電波な奴で申し訳ありません。
それほど私は、ポールをアニミズム的に、かつ盲目的に崇拝しています(苦笑)。

しかし今日のミサのテーマ『人間が苦労してみても何になろう』は意味が深いですよね。
キリスト者はオプティミストと教わっているのに、この言葉の何と悲観的なことか。

聖書朗読も例の『愚かな金持ちのたとえ』。これはちょっと実行が難しいです。
人間は貪欲でないと飯が食えないと思うんですがね。
会社で出世も出来ないし窓際族に甘んじるんですか?
普通だったら宝くじで五億円当てて、一生遊んで暮らしたい所ですが。

ある金持ちの畑が豊作で『今の納屋ではとても収まりきらないから、今の納屋を壊してもっと
大きな納屋を建てよう。そうすれば数年は遊んで暮らせる。しめしめ』と。すると神が『愚か者
め。今夜お前の命は取り上げられる』。でもその金持ちが豊作を神に感謝したらどうなるので
しょう。信仰の浅い生半可な私にはとても不思議な例えです。だから私もポールのチケットを
入手出来たことを神に感謝します。今夜ポックリ逝ったら目も当てられませんからね。

それはそうと、カトの皆さんはこの『聖書と典礼』をどうしてますか?
私は数回読み返したら断捨離!!、それじゃダメじゃん・・・ですか。
でも先週の物は教えを説くイエスの絵がかわいらしくて捨てられません(笑)。

返信する

083 2013/08/05(月) 14:06:45 ID:RV1EdhFrpw
私のブログにようこそ!!
 
これはイコン(icon)といいます。イコンはギリシア語で、
英語読みではアイコンです。私たちはこの聖画像に向かって
祈ることが出来ます。しかしこの画自体が神様ではありません。
私たちはこのイコンを通して主なる神にアクセスしやすくなる
のです。何も無い空中を見つめながら、あるいは目を閉じて
祈ってもいいわけですけど、何か祈る対象がある方が便利でしょう?
 
ひるがえって、英語読みのアイコンですが、これはもうあなたのパソコンのデスクトップやスマホ
画面にいっぱい並んでいるはずです。これもアイコン自体がアプリではありませんよね。
私たちはアイコンをクリックしたりタップすることによって、アプリにアクセスできます。
昔はコマンドプロンプトに直接コマンドをタイプしていたわけですけど、それじゃ不便でしょう?
 
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を設計した時、このアプリへのショートカット
画像の名前に『アイコン』と付けたのも、やはりキリスト教文化が根強い欧米ならではじゃないで
しょうか。このように私たちは知らず知らずにキリスト教用語を使っています。三位一体とか。
そういった意味で欧米文化を知る上でもキリスト教を学ぶのは有益だと思います。
 
神にアクセスするicon、アプリにアクセスするicon。まことに含蓄のあるネーミングですね。
『アイコン』は『アイコンタクト』から派生したと思っていた人もいるくらいですから(笑)。

返信する

084 2013/08/06(火) 02:58:21 ID:/7CkHao5Ac
SAROいなくなって寂しいんじゃないか?

返信する

085 2013/08/06(火) 14:12:07 ID:R0HMAac.SY
私のブログにようこそ!!
 
>>83のイコンは三位一体の神のイメージを描いたものです。オリジナルはロシアの美術館にあって、
これはその模写です。印刷では無く、ひとつひとつ聖職者の方が彩色した物なんですよ。
 
キリスト教の神様というのは、3つの側面・お姿を持っているのです。すなわち父(父なる神)と
子(イエス)と聖霊です。この三者がひとつになったものが主なる神なのです。これを私たちは
三位一体(さんみいったい)と言います。福音書記者のヨハネによると神とは言葉だけの存在で
誰も姿を見た者は無く、神が肉となって顕れた者がイエスで、そして聖霊となって父の元に還ると
いうイメージです。また聖母マリアを懐胎させたのも聖霊で、聖霊は父なる神の遣いでもあります。
 
上のイコンで真ん中が父、左がイエス、右が聖霊です。どうして左がイエスと分かるかというと、
聖書の中に『父の右に座している』と書かれているからです。でも三者とも年恰好が同じですよね。
本来なら父が高齢で、子なるイエスが若いはずですが。これは父なる神を老人として描くのが禁止
されているかららしいです。それに神というのは無限の者ですから、永遠に同じ年齢なわけで、
三者とも同じ年恰好で何も矛盾は無いのです。三位一体とはややこしいものです。
 
ミサの中で司祭が『父と子と聖霊のみ名によって』とおっしゃったら、それに合わせて私たちは
十字を切って『アーメン』と応えます。『主に栄光』と唱える時も十字を切りますね。ミサに与る
時は最低3回十字を切ります。自分で何かの祈りを開始する時も、心の中で『父と子と聖霊のみ名
によって』と祈って十字を切ります。何も祈らずに十字を切ってもいいんですけどね。
 
この三位一体という言葉もすっかり日本語化してしまって、かなり誤用されていますよね。
ひところ自民党は三位一体の改革などとスローガンに使っていましたが、これは重要な3つの事案を
実行するというような意味に使っていて、あきらかな誤用です。まあ別に構いませんがね。

返信する

086 2013/08/06(火) 14:41:42 ID:R0HMAac.SY
狭き門というのも日本語化してますが聖書の言葉です。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は
広く、その道も広々していて、入る人も多い。しかし命に通じる道は狭く、その道も細い。その道
を見つける者も少ない。・・・狭き門をくぐって東大へ・・・は確かに正しい用法ですね(笑)。
SARO君の盗用大などは滅びに通じる広き門だったんじゃないでしょうか?

返信する

087 2013/08/06(火) 16:26:01 ID:iN3msnlO7A
088 2013/08/06(火) 19:21:14 ID:R0HMAac.SY
主の変容の祝日を迎えた今日のイグナチオ教会では、広島原爆の日を忘れないことも
併せて祈念し、日曜日と同じように『天のいと高きところには神に栄光、地には善意
の人に平和あれ』の栄光の賛歌が唱えられました。
 
聖書朗読はルカの主の変容のくだりです。この時、いずれかの日に訪れるであろう、
エルサレムでの受難を予知していたイエスは弟子たちを連れてある山に登ったのです。
そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエス
がモーセとエリアとお話になっている姿を見たのです。いや彼らは幻覚を見たのかも
知れません。それは弟子たちがとても眠かったと言っているからです。
 
私たちはこの逸話から何を学ぶべきでしょうか。いずれ訪れる何物かを、喜んで受け
入れる準備をしておくということでしょうか。

返信する

089 2013/08/08(木) 14:05:19 ID:SqLqKMKnuQ
私のブログにようこそ!!
 
私の好きなポールマッカートニーの曲に『Biker Like An Icon』というのがあります。
 
バイク野郎を愛した少女がいたんだ。
彼女は彼をアメリカ中追いかけ回した。
でもバイク野郎は彼女が好きじゃなかった。
 
でも彼女はお構いなしだった、まだ追いかけた。
彼女の兄弟は彼女がふらふらになってると言ったけど、
家族は兄弟に彼女を見失わないよう言ったんだ。
 
彼女はバイク野郎の写真を毎日イコンのように見つめて愛した。
彼女はバイク野郎をイコンのように愛して、ゆっくりと涙がこぼれ落ちて過ぎ去り・・・。
 
以上が歌の概略ですが、ここで『Biker Like An Icon』とは、ポールの亡き妻のカメラ、
ライカとニコンから発想して、『I like a Nikon』からもじったものだそうです。
Nikon の英語圏での読みはナイコンですから、『like an icon』も『like a Nikon』も
共に、英語の発音は『ライクアナイコン』です。
アルバム Off The Ground の中の曲です。
 
http://www.youtube.com/watch?v=run-Wgb--P...

返信する

090 2013/08/08(木) 15:38:44 ID:OAxDUpxbCY
091 2013/08/08(木) 17:34:12 ID:oFtM9pn0tU
もう飲食板にはこないの?

返信する

092 2013/08/08(木) 19:34:33 ID:SqLqKMKnuQ
食板は名無しで書いてます。
 
聖ドミニコ司祭の祝日を迎えた今日の聖イグナチオ教会では、ドミニコ会を祝うミサが行われ
ました。ドミニコ会はサレジオ会や我がイエズス会よりずっと古く、伝統のある会派です。
戦国末期の安土桃山時代、イエズス会やフランシスコ会らと共にドミニコ会の宣教師も活躍
しました。
 
その後のキリシタン弾圧では、急進派と見られがちなイエズス会士より、フランシスコ会や
ドミニコ会の司祭の方が、地下に潜行してでも日本での布教を続けようとしたことは以前にも
書きました。今日、ドミニコ会は、イエズス会に次ぐ信徒数を誇る教会になっているそうです。

返信する

093 2013/08/08(木) 19:54:11 ID:oFtM9pn0tU
そーなんだ
でもまさか新潟スレあげてないよねw?

あんたにカオマンガイ教えてもらったんだけど
ありゃうまいね
ありがとよん

返信する

094 2013/08/10(土) 12:54:25 ID:/U4QBXgYQE
私のブログにようこそ!!
 
みなさんは宗教というと迷信臭いとか、何か変な壺でも売る付けられ
そうで胡散臭い。あるいは○○学会やオウム真理教のように基 地 外
じみていると思いませんか。だいたい見えない神を信じろと言われても、
ちょっと常識人としては無理でしょう。私もそんな時期がありました。
 
幼稚園や小学生の頃は、それでも無邪気に神様なる物を信じていました。
でもこんなこともありました。ある時、母が私を告解室に連れて行ったんです。そして『今ま
でした悪いことを神父様に言いなさい。そうすれば頭をなでてくれます』と言うんです。私は
『僕は何も悪いことはしていない』と言いました。母は慌てて『歯を磨かなかったとか挨拶を
しなかったとか…あるでしょう』と言うのですが、私は頑なに『僕は何も悪いことはしていな
い』と言い張りました。それは私が本当のことを言えば、神父様にゲンコツでごつんとやられ
ると思ったからです。
 
次からは、告解室に連れて行かれると、私は黙秘権を決め込みました。口を真一文字に結んで
何も言わないのです。そんなことが何回か続いた後、母は私を告解室に連れて行くのをあきらめ
ました。
 
中学・高校は、私は美術が好きだったので、とりわけ日本の仏像の美しさに感動しました。あの
弥勒菩薩の知的なお顔はどうでしょう。なぞの微笑みを浮かべ指もしなやかで美しい。大日如来
はどうでしょう。虚空のある一点を凝視するお顔からは何物にも動じない信念が伝わります。
あの運慶・快慶作の阿吽の像は何とした素晴らしさでしょう。人間の躍動の瞬間を切り取った
ようなあの像はまさに動き出しそうです。
 
それに比べ、私が神と教わった像の何とみすぼらしいことか。その像は大抵、教会の祭壇の後ろの
壁に取り付けられているのですが、首をうなだれ、だらしなく十字架からぶらさがり、半裸で腰の
周りにしか衣が無く、視線も地面を見つめて美しさのかけらもありません。人間の躍動どころか
あばら骨の浮き出た痩せ細ったその体は、まるでアジの天日干しのようです。

返信する

095 2013/08/10(土) 13:11:51 ID:20uWATXTQ6
096 2013/08/10(土) 16:43:21 ID:9NAGnDHsPg
お〜いSARO相手してやれよw

返信する

097 2013/08/10(土) 23:43:41 ID:/U4QBXgYQE
私のブログにようこそ!!
 
アジの天日干しのような西洋人の神なんていやだ。神様なんていないに決まっている、と思いなが
らも、親の言う事をよく守る良い子を演技するため、中学生・高校生の私は両親と共に教会のミサ
に与っていました。
 
しかし大学に入ってからは、親からも独立したこともあり、私は教会に背を向けました。せっかく
出来た大学の友達に私がカトリックだと宣言することは、友達の好奇の目を受けることでもあり、
また反動的だと言われる可能性もあったからです。それにそんな線香臭い友達を持つなんて、誰でも
いやでしょう?
 
その頃、私たちのグループに一人の女の子がいました。ちなみに私の今の嫁ではありません。彼女
は自分をモルモン教徒だと宣言しました。そして聖人君子然として、高みから上から目線で、私たち
をさも年下のように扱い、何か人生論を語るのです。神を、信仰を持たないと、人生の高みに登る
ことは出来ないと。彼女は酒・煙草・コーヒー・コーラ・緑茶・紅茶など、思いがけぬ物を拒絶し
ます。そのくせ、私たちのコンパにのこのこついて来て、自分は水だけ飲みながらもっぱら食べる
ことに専念します。誰かが煙草を吸っても(私は吸いませんが)、ちらっと嫌な顔はするのですが、
聖人君子然として、私はあなたがたを許します…という顔をするのです。私はそんな彼女の高慢ちき
な鼻をへし折ろうと思い、『その唐揚げは味醂で味付けされているかも知れないぞ』と言いましたが
彼女は平然として『知らなければ良いのよ』と答えました。
 
そんな彼女は『モルモン教では教会に献金をするため働かなければならない』と言い、また『モル
モン教では収入の十分の一を献金するのよ』と言い、アルバイトを始めました。私たちの入った
大学は、アルバイトをしながら卒業できるほど安楽な大学ではありませんでしたから、その後の
彼女が大学を卒業できたかは私にはわかりません。たぶん神様のために大学を棒に振ったでしょう。
彼女が私たちを兄弟・姉妹と呼ぶのにも寒気がしました。これで私は一気にプロテスタントが嫌い
になりました。今、私はモルモン教が、プロテスタントではなく、カルトの一種だと知っています。
でも当時の私へはプロテスタントへの嫌悪感を残したのが事実です。

返信する

098 2013/08/11(日) 10:52:17 ID:FccqklK7ho
私のブログにようこそ!!
 
そのようにして、のらりくらりと大学生活を送っていた時、
私は遠藤周作氏の本に出合いました。それは『私のイエス』と
いう本です。神を捨てたつもりでいた私ですが、本屋でこの本
を見つけた時は、思わず手に取ってしまいました。そしてそれ
を買って自分のアパートに帰りました。
 
そして読み進めるうち、私は感動を受けたのです。それは私が
幼い時、神父様に頭をゴツンと叩かれるのを恐れて、告解室で
『僕は何も悪いことはしていません』と言った日々を思い出させました。
氏は言うのです・・・・『信仰とは99%の疑いと1%の希望』。
 
私は神様なんかいないと心に決めていましたが、まだ10%くらいは神様の存在を期待していました。
私はこれを『信仰度数』と勝手に名づけました。私の信仰度数は10%だぞと。氏の言葉がどれほど
私のハードルを下げてくれたことか。また勇気付けてくれたことか。そして友達には内緒のまま、
平日の夜のミサに時々与るようになりました。日曜日は友達と遊ぶのに忙しく、また大学での活動
があったので、教会に行けなかったからです。

返信する

099 2013/08/11(日) 11:05:02 ID:FccqklK7ho
でもこの本が私のプロテスタントへの嫌悪感を煽ったことも確かです。氏はあるプロテスタント
作家の言葉を引用しました。それは次のような言葉です。『キリスト教の洗礼を授かったからには、
これで痛いとか苦しいとか、死ぬのは嫌だと見苦しく叫びながら死んでいく覚悟が出来た』。
何というキザな言葉でしょう。プロテスタント者は『死ぬのは嫌だ嫌だ』と見苦しくのたうち回っ
て死んでいくことが出来ると・・・。もちろん遠藤氏は善意でこの言葉を引用しているのですが。
 
しかしカトリック者だからと言って、死に際して『みなさん今日までありがとう。私は死んで行き
ますが、また天国でお会いしましょう』と言い残すことが出来るか…というと私には自信がありま
せん。死は私個人の問題ですから、いざその場になったら神様もしょせん他人なわけで、70%程度
は自分自身で解決しなければならないでしょう。だから今の私の『信仰度数』は30%と言えます。
よくそれでイケシャーシャーと敬虔なカトリックを自称できるなとお叱りを受けそうですが、なん
とかこの度数を50%程度まで持って行きたいと悪あがきしているのが実態です。
 
私は死の時、イエスに習って次の言葉を言えるように修行したいと思います。『父よ、私の霊を
み手にゆだねます』あるいはヨハネ福音書の描く美しい最後の言葉『我がこと成れり…』。

返信する

100 2013/08/11(日) 13:08:43 ID:ckR.uyRvQg
101 2013/08/11(日) 15:02:27 ID:Qh69Axk8hU
>>100
もし仮にそれが同一人物だとしたら、いつ寝てるというのか?
自分の意見も満足に言えない餓鬼は糞して死ね。

返信する

102 2013/08/11(日) 20:53:07 ID:FccqklK7ho
>>98のミサで使う冊子の言葉
『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです』も素敵ではないですか?

望んでいる事柄は確信し、
見えない事実を確認する。

その言葉の表すものは希望です。
キリスト教は絶望とは無縁の信仰です。

返信する

103 2013/08/12(月) 12:06:56 ID:0KnHvcfw3Y
私のブログにようこそ!!
 
もしあなたが『神様なんて絶対いない』、『神様なんて迷信だ』と言う場合、それは『神への100%
の疑いと0%の希望』を宣言したことになります。それは『絶望』を宣言したことに他なりません。
 
あなたは人生における全ての問題を独力で解決して行けますか。ハイデッガーの言葉を借りるまで
も無く、人間は『死へ向かう存在』そのものですから、最終的に解決すべきは自らの死という事象
です。あなたはこの人生最後の時に、『我がこと成れり』と満足してつぶやくことが出来るでしょ
うか。
 
私は『私のイエス』という本を手にしてからというもの、遠藤周作氏の小説を読み漁りました。もち
ろん狐狸庵閑話シリーズもです。『こりゃ、あかんわ』をもじった狐狸庵閑話は、評論家各氏の言う
通り、氏の純文学の照れ隠しというか裏返しでしょう。これは当時の中学生当たりの読者を獲得する
にも効果があったことでしょう。
 
氏の小説のテーマのひとつに『神の沈黙』というのがあります。
イエスがゴルゴタの丘で十字架に懸けられた時、神はどうしましたか?
聖アグネスが13才という幼さで処刑される時、神はどうしましたか?
秀吉のキリシタン弾圧時、長崎で二十六聖人が火刑に処せられた時、神はどうしましたか?
奇跡は起きませんでした・・・。
 
神は何も手を出さないばかりか、ただ沈黙していました。それは神の恐ろしい沈黙だと氏は述べます。
神の冷たい沈黙だと。神は彼らを見捨てたのでしょうか。やはり絶望しか残らないのでしょうか。
 
でも私は答えを持っています。それは美しいイメージです。
『ある晩、私は夢を見た。砂浜を主と共に歩いている夢。私の人生で楽しい時や悲しい時、後ろを
振り返ると二人の足跡が残っていた。しかし私が最後の苦しい時、後ろを振り返ると一人の足跡しか
残っていなかった。でも私にはわかった。主が私を背負って歩いてくれたのだと』。

返信する

104 2013/08/12(月) 18:33:12 ID:0KnHvcfw3Y
私のブログにようこそ!!
 
8月15日が近付いて来ました。この日は終戦記念日でもあり旧盆でお休みの会社も多いとかと思い
ますが、カトリックではこの日を『聖母の被昇天』の祭日として祝います。教会では主日のミサ
と同様に、聖歌隊も参加する盛大なミサがあげられます。
 
聖母マリアといえば当然イエスの母なのですが、イエスの誕生の次第については、福音書作家の
マタイとルカしか書いていません。大体次のような話です。絵本などでご存知だと思いますが。
 
当時のイスラエル(パレスチナ)はローマ帝国の植民地でした。ローマ人の知事もいましたが、
名目ながら自治が認められていました。このローマ帝国の傀儡ともいえるユダヤ人の指導者層が、
聖書に頻繁に出てくるファリサイ派とかサドカイ派という人たちです。日本の自民党といったら
語弊があるでしょうか。これらの人々は律法学者を擁し、旧約聖書を自分たちに都合よく解釈し
人民を治めるのです。
 
さてその生誕の件ですが、パレスチナのガリラヤ地方の田舎町ナザレに、ヨセフとマリアという
婚約者がいました。もちろん敬虔なユダヤ教徒ですから婚前交渉などありません。ところがある
時、ガブリエルという天使がマリアの所に降り言うのです。
 
『アヴェ、マリア、恵みに満ち方、主はあなたと共におられます』。
 
マリアはそれが何の意味か分からなかったので、天使に問いただすと、聖霊がマリアに降って、
神のおん子が宿っていると言うのです。そしてその子をイエスと名付けろと。マリアは処女で
したので本来なら抗議すべきですが、神への信仰が厚い人でしたから、
 
『私は主のはしため、お言葉どおりになりますように』と答えました。
 
マリアはザカリアという女性にも祝福を受けます。
 
『あなたは女のうちで祝福され、ご胎内のおん子イエスも祝福されています』。
 
これらの言葉はアヴェ・マリアの祈りやお告げの祈りの一部としてカトリックでは唱えられます。
 
(つづく)

返信する

105 2013/08/12(月) 22:07:28 ID:SiaD1hVIbY
106 2013/08/13(火) 14:15:21 ID:rSe1v7hZRo
私のブログにようこそ!!
 
マリアが臨月を迎える頃、ローマ帝国から、パレスチナの人々は全て生まれ故郷に戻って住民登
録をするようにと、命令が下ったのです。ヨセフとマリアは婚約者でしたから、共にヨセフの血
筋があるというユダヤのベツレヘムに向かいました。ベツレヘムの町は、そんな人たちが大勢集
まっていて、どこの宿屋も満員でした。その時マリアが産気づいたのです。なんとか宿屋の馬小
屋を借りることができ、無事男の子が産まれました。その男の子は布でくるまれ飼い葉桶に寝か
されました。
 
ちょうどその頃、ベツレヘム郊外で羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。すると空
から天使が顕れ、主の栄光で周囲が明るくなったのです。天使は言います『今日メシアがお生まれ
になった。その方は布にくるまれて飼い葉桶にいる』。そして天使の大群が顕れ神を賛美しました。
 
『天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平和あれ』。
 
『我ら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ…』天使たちは歌い続けます。そんなわけで
羊飼いたちは、そのメシアを探しました。そしてヨセフとマリアを見つけ、赤ちゃんが天使の言っ
た通り、布でくるまれ飼い葉桶に寝かされていることに感動し、神をあがめ、賛美し帰って行きま
した。
 
八日後に、この赤ちゃんは天使との約束どおりイエスと名付けられ、そして夫婦はナザレに帰って
行きました。イエスとはあちらではありふれた名前です。日本でいう太郎(実際はそんな名前の人
もいないでしょうが)に当たります。

返信する

107 2013/08/13(火) 14:18:24 ID:rSe1v7hZRo
ちなみに彼女たちの言葉や天使の歌は新共同訳聖書とは異なります。上記はカトリックで使われる
言葉です。また聖書がローマ人に読ませるのを前提に書かれた物だということを理解しておかない
と読み誤ります。当時のローマ人を刺激するような言葉は丁寧に排除されています。メシアという
語は救い主を意味しますが、これは当時のイスラエルにおいては、ローマ帝国から解放してくれる
人…すなわち革命のリーダーと理解して良いでしょう。盗賊として出てくる人はローマに反逆する
政治犯です。メシア…この言葉がその後どれほどイエスを苦しめたことか。
 
いずれにしろ『み言葉(父なる神)は人となり、私たちのうちに住まわれた』のです。
 
(つづく)

返信する

108 2013/08/13(火) 15:20:17 ID:3Japa3xro.
109 2013/08/14(水) 14:23:18 ID:WanOjYJzKI
私のブログにようこそ!!

聖コルベ司祭殉教の記念日にあたる今日、聖イグナチオ教会では
彼を讃えるミサが行われました。

ポーランド人のマキシミリアノ・コルベ司祭は、日本にも来たことの
ある人ですが、第二次大戦中、あのナチスによってアウシュビッツ収
容所に入れられていました。おりしも脱走者が出たことが判明し、無
作為に選ばれた10人が、みせしめのため処刑されることになりました。

あるポーランド人軍曹が運悪く選ばれたのですが『私には妻子がいる』と
泣き出したのです。それを聞いたコルベ司祭は『私が彼の身代わりになり
ます、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから』と申し出ました。

処刑は、餓死刑と呼ばれる残酷なものです。飲み物も食べ物も与えられない受刑者は錯乱状態で亡く
なるのです。もちろん大勢は飢餓で亡くなりましたが、コルベ司祭は皆を励まし2週間を耐え抜きま
した。彼は薬物注射で殺されました。

それが8月14日です。コルベ司祭は生前、聖母被昇天の日である8月15日に死にたいと言っていました
から、たった1日及ばなかったのです。しかし彼の亡骸は聖母被昇天の8月15日に火葬されました。

今日のイグナチオ教会のミサでは、拝領唱としてヨハネ福音書のあの個所が朗読されました。
『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』。

さて前回のつづき、ヨセフとマリアは・・・私は聖書を語りだしてしまったようです。以降はグダグダ
になるので、クリスチャンの方は文句を言わないように。まあ、こんな板を見ている人もいないと思い
ますけどね。

返信する

110 2013/08/14(水) 14:39:02 ID:WanOjYJzKI
で、そのつづき・・・と。

それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。

イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。

そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。

ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。

その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。

だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。

(つづく)

返信する

111 2013/08/14(水) 19:41:43 ID:mkZRzKJrHU
私のブログにようこそ!!
 
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
 
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
 
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
 
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
 
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
 
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
 
(つづく)

返信する

112 2013/08/14(水) 21:17:41 ID:iFdc4Ajuig
113 2013/08/15(木) 15:09:15 ID:FFaZpFSdkM
私のブログにようこそ!!

聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。

B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。

英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。

『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。

と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。

まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。

返信する

114 2013/08/15(木) 15:16:05 ID:FFaZpFSdkM
彼が長崎に来たのは1930年代でしょうか。その頃、日本には孤児院という施設がほとんど無かった
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。

しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。

返信する

115 2013/08/16(金) 12:47:57 ID:3kzKcupA.s
私のブログにようこそ!!

そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。

・・・イエスの続きです。

月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。

実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。

その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。

聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。

ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。

返信する

116 2013/08/16(金) 13:01:19 ID:3kzKcupA.s
イエスが悪魔の誘惑を受けている時、彼は洗礼者ヨハネが
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。

この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。

イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。

その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。

イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。

(つづく)

返信する

117 2013/08/16(金) 19:35:29 ID:r8Ctt8YCiM
私のブログにようこそ!!
 
そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
 
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
 
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
 
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。

返信する

118 2013/08/16(金) 19:39:24 ID:r8Ctt8YCiM
さてイエスがナザレに帰ってから三日後、ガリラヤ地方のカナという町
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
 
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
 
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
 
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
 
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
 
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
 
(つづく)

返信する

119 2013/08/17(土) 12:23:55 ID:WxgshcGVV6
私のブログにようこそ!!

そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。

彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。

『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。

『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。

そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。

こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。

イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。

もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。

(つづく)

返信する

120 2013/08/17(土) 12:44:46 ID:WxgshcGVV6
私のブログにようこそ!!

イエスの言行からわかりやすい個所を書き出しましょうか。

『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる』。

『憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の国を見る』。

『今飢えている人は幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人は幸いである、あなたがたは笑うようになる』。

これらの言葉は、神の前では絶望という状態が無いことを教えます。私たちは人生に絶望したと言っ
ても、まだどこかに希望の火はちょろちょろとでも燃えているはずです。愛の神がそれを、お見過ご
しになるわけはありません。私たちは神の前で謙虚にならないといけないのです。謙虚にもう一度、
自分を見直しましょう。そうして希望を見つけるのです。

『あなたがたは人殺しはいけないと教えられているだろうが、私は他人に腹を立てるのもいけないと
言っておきます。他人に馬鹿と言ってもいけないし、愚か者と言ってもいけません』。

『目には目を、歯には歯を、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。誰かが右
の頬を打ったら、左の頬も向けなさい。許しなさい、そうすればあなたがたも許されます。与えなさい、
そうすればあなたがたも与えられます』。

『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。

あなたが自分を大切に思うように、他人も同様に自分が大切なのです。これは世界中ありとあらゆる人
種にあてはまる真理です。相手を尊重する気持ち、敬う気持ちがあれば、争い事など起きるはずもあり
ません。しかし21世紀の今日でも、世界中に紛争が絶えません。これがどれほど父なる神を悲しませて
いることか。人類は全て父なる神がお造りになったのですから。

(つづく)

返信する

121 2013/08/17(土) 14:29:39 ID:Vt/PuQFuzA
私のブログにようこそ!!

『地上に富を積むのは止めなさい。地上では虫が喰ったり泥棒に
取られたりします。だから富は天に積みなさい。そこには虫や泥
棒はいません。あなたの富のある所に、あなたの心もあるのです』。
 
『誰も二人の主人に仕えることはできません。神と富の両方に仕えることはできないのです』。
 
『人を裁いてはいけません。そうするとあなたも裁かれるからです。神聖な物を犬に与えても、豚に
真珠を投げつけても無駄です。彼らはそれを足で踏みにじり、あなたに噛みつくでしょう』。
 
豚に真珠というのは完全に日本語化してしまっていて、猫に小判と同様に使っています。ここで、な
ぜ犬と豚かというと、ユダヤ教の律法では犬と豚は穢れた不浄な物なのです。犬とか豚のような穢れ
た人間がいるとすれば、それは他人の忠告を無視するような傲慢不遜な人間です。そういった人は、
例え誰かに裁かれたとしても無視を決め込むでしょう。だから豚に真珠なのです。私たちは傲慢不遜
に陥らぬよう、謙虚な心を忘れないようにしなければなりません。『訓戒を無視する者は自分の命を
ないがしろにする。叱責を聞き入れる者は思慮を得る』のです。
 
『求めよさらば与えられん。探しなさい、そうすれば見つかります。門を叩きなさい、そうすれば開
かれます。例えば真夜中に友達の家に行き、パンを三つ貸してください。不意の客があって出す物が
無いのですと言って戸を叩いたとしましょう。するとその家の人はこう答えるでしょう。もう何時だ
と思ってるのですか。子供も寝かせたところだし、面倒をかけないでください。でもしつこく叩けば
起きてきて戸を開けてくれるでしょう。あなたがたは、自分が悪者だとしても、子供にだけは良い物
を与えるでしょう。そのように、天の父は求める者に聖霊を与えてくださいます』。
 
神様の思し召しを願ってもそう簡単にことが実現するわけがありません。実生活でも何かを求めて得
られないとすぐあきらめてしまいがちです。しかし神は違います。神は私たち子供を愛してくださる
良い父親ですから、ひたすら信仰すれば、物質的な願いはかなわないかも知れませんが、心に平安を
与えてくださいます。
 
(つづく)

返信する

122 2013/08/17(土) 15:15:42 ID:Vt/PuQFuzA
私のブログにようこそ!!
 
『他人に見てもらおうとして人前で善行をするのは止めなさい。
あなたたちが施しやボランティアをする場合、人目につかない
ようにしなさい。偽善者たちは人からほめられようと、会堂や
街角でおおっぴらにします』。
 
『盲人が盲人の道案内をすることはできません。そうすれば二人
とも穴に落ちてしまいます。師よりまさる弟子はいません。でも
誰でも十分に修行を積めば、そんな師になることができます』。
 
私たちは知らず知らずに同類とつるみがちです。これは烏合の衆になりかねません。あるいは同病相
憐れむという言葉を思い出すかも知れません。ここでまず謙虚に自分を見つめ直す作業が必要です。
そして自分を、より高みに引き上げてくれる良い師(それはもしかするとあなたのそばにいる友達か
も知れません)を探すべきなのです。私たちは弱い人間ですから、ともすれば自分よりレベルの低い
友人、知人といるほうが楽でしょう。そういった連中と会社の悪口を言いながら一杯やるなどして、
日頃のうっぷんを晴らすという生活は楽です。しかし私たちはそのレベルに甘んじていてはだめなの
です。私たちは信仰という手段をとおして自己を見つめ、より良き明日を手に入れる術を知っています。
 
『狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、道も広々しているので入る者も多いのです。しか
し命に通じる門は狭く、その道も狭いので人々はなかなかその道を探すことができません』。
 
私たちは、ともすれば安楽な方に流れがちです。それは人間ですから、誰でも楽がいいに決まってい
ます。でも広々した道を漫然と走っていたら、ネズミ取りにかかる可能性だってあります。漫然と無
為な日々を送るという一生もいいでしょうが、死を迎える時に後悔しないよう、日々の営みを神に感
謝し、充実した日々を送った方がより良いんじゃないでしょうか。でも充実した日々を送ると言って
も、これは言うは易く行うは難しです。でもその難しい『狭き門』を探すのも人生です。

返信する

123 2013/08/17(土) 15:20:51 ID:WxgshcGVV6
『偽預言者を警戒しなさい。偽物は羊の皮を身にまとって来るが、
中身は狼です。羊の皮をかぶった狼。でも見分けるのは簡単です。
いばらから葡萄が、あざみからいちじくが採れることはありません。
悪い木が良い実を結ぶはずはないのですから、あなたがたはその実
で彼らを見分けられます』。

羊の皮をかぶった狼というのもイエスの言葉だというところに面白さがあります。まあこれは、
たいてい悪いことをする奴は最初は、羊の皮をかぶった狼、として来るでしょうから、今も昔も
変わらずといったところでしょうか。

(つづく)

返信する

124 2013/08/17(土) 15:56:26 ID:lMqtYBOtss
125 2013/08/18(日) 11:30:45 ID:Q2LExXI5eU
私のブログにようこそ!!

春だったのでしょうか。ガリラヤ地方はのどかで、
麦畑の上ではヒバリが鳴き、道端には名も無い花
が咲き乱れていたのでしょう。その中心には静かに
水をたたえたガリラヤ湖があります。

『何を食べようかなどと思い悩むのは無駄です』とイエスは弟子たちに話し始めます。

『あの空を飛ぶ鳥をご覧なさい。あの鳥たちは働きもしないが、天の父はあの鳥たちを養ってくださ
る。この野に咲く花を見なさい。花は働きもしないが、あの栄華を極めたソロモン王でさえ、この花
のように美しく着飾ってはいませんでした。だから何を着ようかと思い悩むのも無駄です。明日は炉
に投げ込まれるような雑草でさえ、神はこんなに綺麗に装ってくださるのですから。あなたがたの父
は、何があなたがたに必要か良く知っています。だから、ひたすら神の国を求めなさい。そうすれば、
あなたがたが欲する物は、おのずとついてきます。明日のことまで思い煩う必要はありません。明日
のことは明日が思い煩います』。

これは明日は明日の風が吹く…と理解してはいけません。今日を充実して生きれば、きっと素晴らし
い明日が来るということです。

返信する

126 2013/08/18(日) 11:52:46 ID:Q2LExXI5eU
この地図を見てください。カペナウムと表記されている村が
カファルナウムです。ガリラヤ湖のほとりにティベリアという
町がありますが、ここは時のイスラエルの王ヘロデが作った
ローマ風の町です。イスラエルは名目上ながらも自治が認め
られていましたから、名目上の王がいたのです。この町は彼が
別荘を構えるために作ったような町です。

イエスはマタイ・マルコ・ルカ福音書によるとガリラヤ地方の町しか伝道していないように書かれ
ていますが、ティベリアには寄った形跡がありません。

ヨハネの福音書だけが、この間、何かの祭りがある度、イエスが何度かガリラヤとイスラエルの間を
往復したことを語っています。

地図でガリラヤとユダヤと書かれている地方がユダヤ人の住む地区です。その間にあるサマリア
という地方は、なぜか聖書では悪人扱いされています。ユダヤ人から毛嫌いされています。もしか
してサマリア人とはユダヤ人と考え方も違う、イエスの死後にできるイスラム教徒になるべき人たち
だったのでしょうか。

ガリラヤ地方の人々というのは、ユダヤ地方より一段と民族意識が高い人たちなのです。イエスの
生前、および死後にローマ帝国に対する反乱が起きました。そういったことを念頭に置いていれば、
ローマに頭を下げている与党のファリサイ派やサドカイ派が、いかにガリラヤおよびイエスを警戒
していたかが理解できます。

また聖書というのも、イエス死後の反乱が鎮圧された直後に書かれています。特にマタイ・マルコ・
ルカ福音書は反乱鎮圧直後、西暦60〜70年代に、イエスの言行録やイエスを見たと言う人の証言、
ガリラヤ地方に残るイエス伝説を元に、イエスを直接見聞したことの無い作家が書きました。
ただしマルコの福音書の作者だけは、イエスに一緒に付き従った民衆の一人だろうという説も
あります。いずれにしろ、ガリラヤ反乱騒動の直後ですからローマ人への配慮があったことで
しょう。肝心な所がぼかされている形跡があります。

ヨハネ福音書はさらに後の西暦95〜100年に書かれましたから、ややユダヤ人の本音が語られている
部分もあります。それもオブラートで包んでありますが。

(つづく)

返信する

127 2013/08/18(日) 19:31:48 ID:kqCQ0ykge6
私のブログにようこそ!!
 
こんなこともありました。久しぶりにナザレに帰ったイエスは
安息日(土曜日)に会堂に行きました。彼は聖書朗読を託され
イザヤ書の巻物が渡されました。そこに次の言葉を見たのです。
 
主の霊が私におられる。
貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。
 
イエスは巻物を巻いて席に座りました。『この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にした時、実現し
た』とイエスは言います。その時、会堂はどよめきました。ある者は『大工のこせがれがあんなに
権威あるように話すとは』と驚き、『あんな偉そうにしているが、私はあの者の母親や従兄弟を知っ
ているぞ』と言います。これらはスパイたちが民衆を扇動するために言ったのかも知れません。でも
イエスの真意は、この聖書の言葉に神の愛が、自由な神の愛があることを教えたかったのです。
 
またイエスは妙な言葉を言い出すのです『カファルナウムで私がいろいろ行ったのだから、私の故
郷であるこの地でも何かしてくれと、あなたがたは言うだろう。しかし預言者という者は故郷では
歓迎されないものだ。エリアは…イスラエルに重い皮膚病を患っている人が多くいたが…誰も清く
されなかった』。この言葉を聞いた民衆は怒ってイエスを崖から突き落とそうとしますが、彼はスル
リと人々の怒りをかわし、ナザレから立ち去ったのです。
 
聖書の中にはイエスの奇跡物語が数多く出て来ますが、聖書作家が聖書に忍ばせた何げないこの文章
が、実際の人間イエスを表現しているのではないでしょうか。愛の神を説くだけで、奇跡も起こせな
いイエス。貧しい人々の期待に応えられず、じっと彼らの手を握り締めることしかできないイエス。
民衆は彼に民族独立のリーダーを期待しますが、彼の真意はあくまでも『神の愛』の証明なのです。

返信する

128 2013/08/18(日) 19:39:36 ID:kqCQ0ykge6
私たちは、友達や恋人、家族に対して甘えているのかも知れません。身近であればあるほど、気安く
ものが言えるでしょう。でもあなたのその一言が、もしかして相手を傷つけているかも知れません。
一日の終わりに今日の出来事を思い返し、何か悪い言動でも思い当たれば、電話なりメールなりで
一言『さっきは俺、変な事を言ったみたいだけど、そんなつもりで言ったんじゃないんだ』と言いま
しょう。この一言が相手を癒し、あなたもまた後悔が残らず癒されるのです。
 
(つづく)

返信する

129 2013/08/18(日) 20:23:24 ID:FFTlo52Cq2
130 2013/08/19(月) 13:57:14 ID:MV09KPvy/2
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。イエスがある人の家で説教している時 
— そこにはガリラヤの村を始め、ユダヤの村やエルサレムから
来たファリサイ派や律法学者がいたのですが — 大勢の病人が
やって来てイエスに癒されていました。

そこに中風で動けない男をベッドに寝かせたまま運んできた人々が
いたのですが、あまり大勢の人が家の中に居たので入れないのです。

そこで思い余って、屋根に上り、瓦をはがして屋根から病人をイエスの前に吊り降ろしました。イエ
スはそれらの人々の信仰を見て、この病人に『あなたの罪は赦された』と言ったのです。

ところがファリサイ派や律法学者の連中はイエスに難癖をつけるのです。『これは神を冒涜する行為
だ。神のほかに、誰が罪を赦すことができようか』。イエスは言い返します。『あなたの罪は赦され
た、と言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらが簡単か』(もちろん、あなたの罪は赦されたと言
う方が簡単ですよね、言うだけなら誰にでもできますから)。

そしてイエスは病人に『起きて歩け』と言いました。すると病人は即座に立ち上がり、ベッドを担い
で神を賛美しながら帰って行きました。イエスはファリサイ派や律法学者の更に上を実行して、彼ら
の鼻を明かしたというわけです。

これは奇跡物語そのものより、本人の信仰ではなく、病人を運んできた人々の瓦をはがしてまでもイ
エスの癒しに与ろうとする信仰の深さも大事だということを私たちに教えます。信仰を持つものは、
例え赤の他人といえど、また他宗教の者に対しても、平安を祈る気持ちを持たなければいけないので
しょう。自分の愛する者を、神のみ手に委ねことが必要なのです。

(つづく)

返信する

131 2013/08/19(月) 14:39:40 ID:MV09KPvy/2
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。イエスたちが歩いているとマタイと
いう徴税人が収税所に座っていました。イエスが『私に従いな
さい』と言うと、マタイは(あのペトロやアンデレと同じよう
に)何もかも投げ捨ててイエスに従いました。

前に言ったかも知れませんが、徴税人というのは、侵略者ローマ
帝国のためにという名目で、人々から金を徴収するから卑しいの
です。その何割かをふところに入れて生活しているのですから、世間の嫌われ者です。

マタイは喜んで、自分の家にイエスとその弟子たちを招待して大宴会を開いてくれました。しかし
ファリサイ派や律法学者の連中は、また難癖をつけるのです。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪
人と一緒に飲んだり食べたりするのか』と。

イエスは答えます。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは正しい
人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである』。

人を裁くな、そうすればあなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな、そうすればあなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい、そうすればあなたがたも赦される。

(つづく)

返信する

132 2013/08/20(火) 12:33:44 ID:FBDn6W0nTc
私のブログにようこそ!!

私は>>119で嘘を書いてしまいました。イエスはご自身では
洗礼を授けてはいません。これは弟子(おそらく洗礼者ヨハ
ネの所から付き従った者)たちがやっていたことだと、ヨハ
ネ福音書4章は述べています。イエスはユダヤ地方にも伝道に
行ったのですが、イエスが洗礼者ヨハネより大勢の人々を弟子
にしているという噂がファリサイ派の耳にも入ったのを知ると、
身の危険を感じてガリラヤへ引き返しました。この時、通常の
ユダヤ人ならヨルダン川沿いを歩くのですが、追っ手を恐れた
ためか、あえてユダヤ人の嫌うサマリア地方を行く道を選んだのです。

サマリア地方のシカルという町で、イエスは井戸のそばで疲れて休んでいました。時は正午ごろで
暑かったでしょう。そこにサマリア人の女が水を汲みに来たのです。イエスは女に『水を飲ませて
ください』と言いました。弟子たちは皆、町に食料を買いに行っていて、イエスと女の二人だけが
いました。

女は『ユダヤ人のあなたが、(ユダヤ人の嫌う)サマリア人の私に水が欲しいと頼むのですか』と
最初は相手にしないのですが、だんだん打ち解けて行きます。そして女は言います。『主よ、あな
たは預言者だとお見受けします。私どもの先祖はあの山(ゲリジム山)を礼拝しましたが、ユダヤ
人はエルサレムを礼拝します。どちらが本当でしょうか』。

イエスは言います。『あなたがたは、あの山でもエルサレムでもない地で、父を礼拝する時が来る。
霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。それは今だ』。

女は驚いて言いました。『私はキリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています』。

イエスは言います。『それは私だ』。

返信する

133 2013/08/20(火) 15:21:14 ID:FBDn6W0nTc
イエスが自分をメシアだと告白したのは、聖書の
全ページを見渡してもほとんどありません。ここ
とフィリポ・カイサリヤ地方でペトロが『あなたは
メシア』と言ったことにイエスが満足したという個
所くらいでしょうか。

ペトロの場合はイスラエル解放者としてのメシアと勘違いしていたようですから、そういった
意味ではこの箇所が唯一だと言えるでしょう。

イエスはメシアかと尋ねられると、たいてい無言で無視するか激しく否定します。それが、こ
のユダヤ人の嫌うサマリア人の女には打ち明けたという所に、何か不思議さを感じます。

あとこの板に関して苦言を呈したいのは、聖書の聖句をもてあそんでいるスレがあることですね。
聖書は先達が書いた偉大な物語なのですから、その聖句がどんな状況で発せられたかわからなければ
意味がありません。意味不明な小説なんて読みたくないでしょう?
カトリック信徒としては聖書への冒涜が残念でなりません。

(つづく)

返信する

134 2013/08/21(水) 14:55:34 ID:8nwHN0RXSM
閑話休題。

私はカトリック司祭(たぶん大多数)が、閣僚の靖国神社
参拝と憲法九条改正に反対するのを悲しく思います。
彼らは言います。

『靖国神社は宗教法人としての法人格を有し、中身もれっきと
した宗教団体であるならば、誰を祀ろうと、それは信教の自由
だから、文句をつけるべきものでは無い』…と一定の理解は示しますが、そこから飛躍して、

『ではなぜ国内外の心ある方は、閣僚や政治家の靖国参拝に異議を唱えるのでしょう。
それはその参拝という純粋であるべき行動に、何か純粋でない下心を読み取るからではないで
しょうか』・・・と。

その下心とは憲法九条の改正です。私たちカトリック信徒は、
『この下心を見破り、戦争のできない国こそ普通の健全な国なのだということを、納得いくように
説明できる発想と理論を構築しなければならない』・・・と。

広島に落とされた原子爆弾を遠くから撮影したという写真家の言葉を引用して『悔しいけれど、
あのきのこ雲はとてもきれいでした』と、戦争という行為が美化される危険性があると煽り、あ
たかも現在の与党がすぐにでもどこかの国と戦争を始めるように脅します。

『哀悼の意を表すことがなぜ悪いという、とても普遍的(カトリック)正論の陰に、全く普遍的
ではない自分の国だけという排除の論理を潜ませ、よってもって政治道徳を踏みにじっている』。

この論法は一見とても正しい信仰者のあるべき姿のように見えますが、『心ある方は、閣僚や政
治家の靖国参拝に異議を唱える』という個所から、我々信徒を誤った考え方に導こうとする悪意の
誘導が感じられます。心ある方は閣僚や政治家の靖国参拝に賛成し、むしろ称賛すると思います。

返信する

135 2013/08/21(水) 14:58:05 ID:8nwHN0RXSM
聖書の中に次のような話があります。

自分を正しい者だとうぬぼれて、他人を下に見るような者をいましめて
イエスは言います。『ファリサイ派の人と徴税人の人が、二人、祈るため
に神殿に上った。

ファリサイ派の人の人は心の中でこう祈った・・・神様、私は他の人のように、
他人の物を奪い取る者、不正な者、姦通を犯すような者でもなく、またこの
徴税人のような者でないことを感謝します。

ところが徴税人は祭壇から離れて立ち、伏し目がちに、胸を打ちながら言った…神よ、罪人の私を
憐れんでください。

言っておくが、義とされて帰ったのはこの徴税人であって、あのファリサイ派の人では無い。誰でも
高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高くされる』。

カトリックでは司祭が『全能の神と・・・』と言ったら続けて『兄弟の皆さんに告白します。私は思い、
言葉、行い、怠りによって、たびたび罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟
の皆さん。罪深い私のために神に祈ってください』と祈ります。本来のラテン語の祈りでは、この間
に三度胸を叩いて『罪をくやみます』と言うことになっているそうです。これもこの逸話が元になっ
ているのでしょう。いずれにしろ、私には日本の司祭がこのファリサイ派の人のように思われます。

(つづく)

返信する

136 2013/08/22(木) 13:52:22 ID:n825cATH6Y
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。あるファリサイ派の人の招待で、
イエスとその弟子たちがその人の食卓についていると、一人
の女が使用人たちの制止を振り切って入って来たのです。そ
の女は、石膏の壺に入った香油をイエスの足に塗ったのです。
彼女の目から涙があふれ、イエスの足を濡らしました。そして
自分の髪の毛でそっとイエスの足の涙をぬぐいました。

この女は罪深い女 — 売春婦 — なのです。ファリサイ派の人は思いました。『この人がまこと
の預言者なら、自分に触れている人が罪深い女だとわかるはずだ』。

しかしイエスは彼女の涙で全てを知りました。イエスは言います。『あなたの罪は赦された』。『こ
の人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛
することも少ない』。

イエスは優しいのです。突然入って来た女、その思いつめた目、そして彼の足を濡らした涙で、イエ
スはその女のかかえている悲しみをすべて知ったのです。女も好んで娼婦をしているわけではないで
しょう。彼女にはその仕事を選ばざるをえなかった多くの苦しみがあったわけです。
多く愛する者は多く赦される・・・愛の神を説くイエス。
でもローマ帝国を後ろ盾にしたファリサイ派などの人たちとの戦いは続きます。

(つづく)

返信する

137 2013/08/22(木) 15:50:44 ID:n825cATH6Y
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。十二年も出血の止まらない難病を
抱えた女性がいました。彼女は全財産を医者に使ったのに治ら
なかったのです。そこにイエスと弟子たちが通りかかりました。
大勢の群衆がイエスを見ようと押しかけています。

するとこの女は、何とか自分の病から治りたい一心でイエスの服に
触れたのです。イエスは女の悲しみを一瞬に理解しました。彼は言
います。『私の服に触れた者がいる』。

ペトロが答えました。『先生、こんなにたくさんの人が居るのですから気のせいですよ』。

『いや、確かに触れた者がいる』。イエスが振り返ると、震えている女がそこにいました。彼は言い
ます。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』。

イエスは優しいのです。震える女の目、怯えた女の目を見てイエスは女の苦しみが全てわかりました。
実際のイエスはひざまずいている女に向き直り、じっと手を握ってあげたのでしょう。『そのひたむ
きさが、あなたを癒すのですよ』と優しく語りかけたのでしょう。

(つづく)

返信する

138 2013/08/23(金) 15:02:44 ID:7c1g/DPASY
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。ある安息日(土曜日)にイエスの一行が麦畑
を通りかかった時、弟子たちが麦の穂を摘み、指先でもんで食べだした
のです。これはファリサイ派などイエスを快く思っていない連中にとって
は良い口実です。彼らは律法の禁止事項『安息日に仕事をしてはならない』
を破っているのですから。

どれほど安息日がユダヤ人にとって重要か。これは21世紀の今でも、イスラエルでは安息日が守られ
ていることからもわかります。この日になると、高層ビルのエレベーターでも各階停止の自動運行に
なるのです(エレベーターのボタンを押すのが仕事として禁止されているからです)。ホテルでは食
事が出されず、列車も満足に運行されず、飛行機だって飛ばないことがあるのです。車の運転ももち
ろんだめですし、ボタンを押すのが禁止ですから、この日はテレビも見ることができません。

さすがに現在ではこれを守らない人たちも出てきているようですが、ほんの数十年前までは国際線の
ジェット機でさえ飛ばなかったのです。車を運転すると石を投げられたのです。律法を破ると石打の
死刑になるからです。ですからファリサイ派の人がすぐにイエスに論争を挑みます。
『見よ、あなたの弟子たちは安息日に禁止されていることをしている』。

イエスは言います。『安息日は人のために定められた。人が安息日にあるのではない』。

返信する

139 2013/08/23(金) 15:11:30 ID:7c1g/DPASY
私たちはよく、キリスト者は自由だと教えられますが、律法を踏まえた上での自由だということを忘
れてはいけません。例えば、自殺とか堕胎とか戦争とか、カトリックで禁止されていることは今でも
多くあります。一定のモラルをわきまえた上での自由です。

戦争といえば第二次大戦中、日本のカトリックの教会では戦勝祈願がなされていたということです。
ドイツのカトリック教会が反ナチスを唱えて多くの神父が収容所送りになっているにもかかわらずで
す。あきらかに日本のカトリック教会はモラルに反していたでしょう。そんな教会の司祭が(全員か
どうかはわかりませんが)今、憲法九条改正反対を叫ぶのですから、朝日新聞と似ていませんか?

(つづく)

返信する

140 2013/08/24(土) 15:11:31 ID:/PU4dB8hTo
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子たちの中から、これはと思う人を十二人、選びました。
これが最後の晩餐を共にした十二使徒です。この中には、あのガリラ
ヤ湖で漁師をしていたペトロも含まれます。ペトロは元々シモンとい
う名でしたが、この時イエスにペトロという名をいただきました。十
二使徒の中には、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれて
います。

そしてイエスは十二使徒を各地へ宣教に遣わすことにしました。その決まりはこうです(マルコ6-7)。
(1)二人づつ組になること。
(2)杖一本以外はパンも金も何も持ってはいけない。ただし履物は履いても良い。
(3)下着は1枚だけしか持ってはいけない。
(4)異邦人の所に行ってはならず、サマリア人の所に行ってもいけない(マタイ9-5)。
(5)『天の国は近づいた』と述べ伝えること。
(6)家に入ったら『主の平和』と挨拶する。もし受け入れられなければ足の埃を払って出てくる。

なぜサマリア人が駄目か謎です。イエス自身はサマリア人に好意を持っている様子があります>>132
この宣教活動が成功したかどうかは聖書に記載がありません。たぶんうまく行かなかったのでしょう。
というのも、弟子たちは皆、イエスの説く愛の神がわからず、イエスをローマから解放してくれるメシ
アだと思っていたでしょうから。はたせるかな、この年の過越祭には、そんなメシアを待望する人たち
が、エルサレムの神殿では無くイエスの元に集まってしまったのです。

私たちはミサの間で、司祭が『互いに平和の挨拶をかわしましょう』と言われたら、合掌して周囲の人
たちに『主の平和』と言いながら挨拶します。親しい者の間のミサの場合は、横一列の者たちが(まる
で幼稚園児がお遊戯をするように)手をつないだりします。周りの人とハグをする国もあるそうです。
いずれの日にか、全人類が敵味方なく『主の平和』と挨拶できる日が来るのでしょうか。

(つづく)

返信する

141 2013/08/24(土) 15:14:17 ID:/PU4dB8hTo
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。律法学者がイエスに永遠の生命のために何を
すべきかを問いかけた時、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した
のです。律法学者が答えた内容は『神への愛と隣人への愛』ですが、イエス
は『正しい、その通りにしなさい、そうすれば生きる』と答えました。これ
について律法学者が『では隣人とは誰か』と重ねて尋ねました。というのは、
律法学者は律法に『隣人を愛し敵を憎め』と書いてあるのを知っているので
イエスを試そうとしたのです。有名な善きサマリア人の話です。

イエスは言います。『ある人がエルサレムからエリコ(>>126の地図でジェリコとなっている地)に向か
う道中で、強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていました。ユダヤ教の祭司が
通りかかったが、道の向こう側を通って行ってしまいました。次にレビという神殿に仕事をする人が通り
かかったが、同じように道の向こう側を通って行ってしまいました。しかしあるサマリア人は(サマリア
人は>>126で書いたようにユダヤ人を毛嫌いしています)、この半死半生の人を助け、傷口の治療をした
ばかりでなく自分の馬にこの人を乗せて宿屋まで運び、宿屋に怪我人の世話を頼んで費用まで出した立ち
去りました。もし足りなかったら帰りに立ち寄って払いますと言って』。

そして律法学者に対してイエスは言います。『この中で誰が怪我人の隣人でしょうか』。

律法学者は『助けた人(彼らが軽蔑しているサマリア人)です』と答えざるをえません。するとイエスは
『行って同じようにしなさい』と言いました。

慈しみと憐みを必要とする者には、それが誰であれ、人種の壁を越えて助けるように、愛をそそぐように
とイエスは教えるのです。

(つづく)

返信する

142 2013/08/25(日) 00:03:13 ID:QeoD1mrAOg
世界中の宗教家に告ぐ!


少しは働け!

返信する

143 2013/08/25(日) 12:08:28 ID:JKUHWQjlCI
今日は日曜だから働きません!!

ついに、イエスの噂はヘロデ王まで届きました。イスラエルは名目上
ながらローマ帝国から自治が認められていました。そしてガリラヤには
分国王のヘロデ・アンティパス王がいました。王というより領主という
立場でしょうか。

ヘロデ王は焦りました。『イエスは私が首をはねた、あのヨハネが生き返ったのだ』。

そうです。あの洗礼者ヨハネは、ヘロデの罪を糾弾して獄に繋がれたのです。罪と言うのは、ヘロデ
が、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことです。これはオスカー・ワイルドの戯曲や古
今の絵画の題材になったサロメの伝説です。

『自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない』とヨハネはヘロデ王を非難しました。
しかしこれは、ローマ帝国の傀儡である彼らに良い口実を与えたのです。彼らにとって危険な存在だっ
たヨハネはすぐに逮捕され獄に繋がれました。

ヘロディアはヨハネを殺すようヘロデ王に頼みましたが、ヘロデ王はこれを拒否しました。それは、
ヘロデ王がヨハネの教えを聞いて、これはもしかしたら正しい聖なる人なのではないか、と迷ったた
めです。彼の教えを聞いたヘロデ王は、彼を恐れ、保護し、その教えに当惑しながらも、なお喜んで
耳を傾けたのです。

しかし絶好のチャンスが訪れました。ヘロデ王の誕生パーティーが開かれることになり、高級官僚や
ガリラヤの有力者など、大勢が招待されました。そこにヘロディアの娘サロメが登場して踊ったので
す。そのあまりにエロい踊りにヘロデ王も賓客も大喜びしました。

(つづく)

返信する

144 2013/08/25(日) 12:10:41 ID:JKUHWQjlCI
私のブログにようこそ!!

そこでヘロデ王はサロメに言いました。『欲しい物があれば何でも
言いなさい。おまえにあげよう。もし望むならこの国の半分をやっ
ても良いぞ』。

それを聞いたサロメは母ヘロディアのところへ歩み寄り『お母様、
何をお願いしましょうか』と言うと母親は『洗礼者ヨハネの首を』と。
さっそくサロメは王のところに戻り『今すぐにヨハネの首を盆に載せていただきとうございます』と
言いました。ヘロデ王は言葉に窮しましたが、国の半分をやろうとまで誓った手前、また賓客たちの
手前、サロメの願いを退けることはできませんでした。

すぐに衛兵がヨハネの牢獄へ差し向けられ、ヨハネは直ちに首を切られ、その首は盆に載せられサロ
メへの褒美として渡されました。伝説などではその首を持ったサロメが前以上にエロっぽく踊るので
すが、いずれにしろこうして洗礼者ヨハネは世を去りました。

(つづく)

返信する

145 2013/08/26(月) 15:04:12 ID:bW3v5fVcd2
神秘としての苦しみとは?

閑話休題、この板の『イエス・キリスト』スレで聖書の聖句が弄ばれているのが残念です。
例えば次の聖パウロの聖句を考えてみましょう。

そればかりではなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを(ローマの信徒への手紙5-3)。

表面的に俯瞰すると、まずこの手紙の筆者は苦難を味わっています。苦難とは苦しみの状態です。
以前、『一足す一はいくつ?』とか『ピタゴラスの定理などを使って解決できる』質問は『問題』と
いうカテゴリーに属すと言いました。例えば投薬や手術で治る見込みのある病人なども医者にとっては
単なる『問題』です。

しかし『私は何者か?』という質問は『神秘』というカテゴリーに属すと言いました。『苦しみ』も
神秘に属します。神秘に属すものは、例えば、愛、自由、自然、存在(私はなぜ猫じゃない
のか?)、誕生(なぜ猫で無く人間に生まれてきたのか?)、生きる(私は何者か)、死、信仰、等。

神秘の次元のものを、問題の次元のように客体化しようという試みは無意味です。哲学者ならぬ
我々凡人には、逆立ちしても不可能でしょう。

まずこういった神秘に対峙する時、自分の限界を認めることが大切なのです。どうしようもない
苦しみに遭った時、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、新た
な段階へと踏み出せる・・・と聖パウロは言っているのです。

返信する

146 2013/08/26(月) 15:12:49 ID:bW3v5fVcd2
ルサンチマンの捉え方

苦しみという神秘の場合、往々にして周囲の人や物(たとえば不治の病)に対して敵意や恨みを持ち
ます。敵意や恨み、すなわち『ルサンチマン』は、スケープゴート(いけにえの子羊)を要求します。
例えば『誰も俺のことを分かってくれない』とか『藪医者だから病気が治らない』とか。

苦しみをルサンチマンとしてではなく、苦しみをあくまで神秘として、あるがままに受け入れる
という謙虚な姿勢が必要だということを、この文章から得なければならないのです。このように読
めば、聖書が単なる線香臭い書物では無く、現代にも十分通用する示唆に富む書物であることが
おわかりいただけるのではないでしょうか。

もちろん、私たちはこの苦難が初期の教会の産みの苦しみだという事を知っています。聖パウロは
ユダヤ教の専門家でありながらユダヤ教を乗り越え、さらにイエスまでも乗り越えたのですから
苦難もあったでしょう。それをルサンチマンとしてではなく、キリスト教の希望へと昇華している
点に彼の偉大さが見えます。今日のキリスト教は、イエスの教えを直接聞いた愛弟子によるのでは
なく、聖パウロのような当時のインテリが創り出したといっても過言ではありません。

返信する

147 2013/08/26(月) 15:56:20 ID:LfQbAzf8tI
なんの脈絡も説明もなく、聖書のある個所だけを『意図的に』抜き出して提示する行為は
キリスト教の聖典である聖書を冒涜する行為だと言わざるを得ません。例えば、
 
神は、みこころのままに、

あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、

事を行なわせてくださるのです。 フィリピ2:13
 
この文章にどんな意味を見出せばよいのでしょうか…?
こういうキリスト教を冒涜する行為は糾弾されなければなりません。

返信する

148 2013/08/27(火) 13:58:02 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ、先を急がないとダメですね!!

イエスが伝道を始めて半年が過ぎたでしょうか。多くても1年は
たっていません。その年の過越祭が近づいて来たのです。それは
年によって違うのですが、たいてい4月に行われます。これは昔々、
エジプトに捕えられていたユダヤ人たちが、モーセの導きによっ
てエジプトを脱出したという出来事を記念として行われるもので、
ユダヤ人の愛国心が最高に高まる祭りです。

過越祭には子羊がいけにえに供されます。一家の家長が子羊を連れて会堂に行き、中庭で動脈を切りま
す。あふれ出た血は祭司が集め祭壇にそそぎます。また家の戸口にも付けます。たいてい祭壇には白い
テーブルクロスと二本の蝋燭がつきものですが、この日ばかりは白いテーブルクロスが真っ赤に染まっ
たことでしょう。

『神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手をとおしてお捧げするいけにえ
をお受けください』と私たちカトリックはミサでお祈りしますが、血の臭いの立ち込める聖堂で、いけ
にえの子羊があげる断末魔の悲鳴が絶え間なく響く聖堂で、彼らもこのような祈りをしたのでしょうか。

この子羊は過越祭のご馳走となるのです。またパン種の入っていない、発酵していないパンを食べます。
そのためパンが誤って発酵しないように、発酵した食品を一掃する大掃除が何日も前から行われます。
今日、私たちカトリックでは、ミサの中でこのパンをご聖体としていただきます。それは(名古屋の方
ならご存知なのですが)坂角のえびせんべいの味無し版と言ったらよいでしょうか。

(つづく)

返信する

149 2013/08/27(火) 14:02:58 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ!!

熱心なユダヤ人たちはエルサレムに巡礼するのですが、この年ばかりは
大勢の愛国心に燃えたユダヤ人たちが、イスラエル各地からイエスの元
に集まって来ました。十二使徒の誤った教えからでしょうか。彼らは皆、
イエスをメシア=ローマ帝国からの解放者と思っていたのです。聖書は
そんな人々が五千人に及んだといいます。

そんな愛国心に燃えた大勢の群衆を引き連れてイエスは山に登りました。そしていつものごとく説教を
したのです。これが聖書の最初のクライマックス、山上の説教です。

『隣人を愛し、敵を憎め、と教えられているだろうが、私はあなたがたに言っておきます。汝の敵を愛
せよ。敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことを
し、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあります。あなたがたの父が憐れみ
深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい』。

そして五千人をパンと魚でもてなしました。しかし愛国心に燃えた彼らがそんな説教で納得するはずは
ありません。イエスは人々が自分を王(メシア)に担ぎ上げようとしているのを知ると、ひとりで山に
逃げました(ヨハネ6-15)。

翌日も群衆はイエスを探します。そしてイエスと群衆の白熱した様子をヨハネ福音書だけが書いていま
す。

(つづく)

返信する

150 2013/08/27(火) 19:08:02 ID:A6CnklcEN.
私のブログにようこそ!!

イエスは言います(ヨハネ6-26)。『あなたがたが私を探した
のは、「しるし」を見たからではなく、パンを食べて満腹した
からだ。朽ちる食べ物のためではなく、永遠に生きる食べ物の
ために働きなさい。このために父なる神が私をお遣わしになっ
たのだ。霊的に生きなさい。神の業(わざ)を行いなさい』。

群衆たちは言います。『神の業とは何ですか』。

イエスは答えます。『神がお遣わしになった者を信じること…それが神の業だ』。

群衆は食い下がります。『では私たちが信じられるよう、あなたの言う「しるし」を見せてください。
私たちユダヤ人の祖先たちが砂漠でさまよっている時、モーセは天からのパンを彼らに与えました。あ
なたも私たちにパンを出してください。モーセのように永遠にパンを出してください』。

イエスは答えます。『私が命のパンなのです。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じ
る者は決して渇きません。私が天から降って来たのは私利私欲を行うためではなく、私をお遣わしになっ
た神のみ心を行うためです。(私はあなたの腹を満たすために来たのではなく、心を満たすために来た
のです)』。

すると群衆に動揺が走りました。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷
い事を言い出すとは』。

イエスは言います。『信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先は荒れ野でモーセからいただいた
パンを食べましたが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食
べる者は永遠に死にません。私が与えるパンというのは、世を生かすための私自身の肉です』。

返信する

151 2013/08/27(火) 19:11:12 ID:A6CnklcEN.
群衆はさらに動揺します。『自分の肉を食べろとは、
そんなことができるだろうか』。

イエスはなおも言います。『私の肉を食べ、血を飲ま
なければ、あなたがたは霊的に生きることはできません。
私の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を得るのです。
繰り返し言いますが、私は天から降ったパンなのです。
私たちの祖先たちが食べたけど皆、死んでしまった、そんなパンとは違います。私というパンを食
べる者は永遠に生きるのです』。

これはイエスがいつもカファルナウムの会堂で説いている話ですが、これを聞いた大勢の人々や弟子たち
は、(ああこれは私たちの期待するメシアでは無いなと)あきれて去って行きました(ヨハネ6-66)。

(つづく)

返信する

152 2013/08/27(火) 19:28:03 ID:J87HSEApAM
私のブログにようこそ!!
 
聖書はローマ人の読者を想定して書かれた書物だということ
を忘れてはいけません。だからローマ人を不快にさせる言葉
は出て来ません。
 
だからこの時、愛国心に燃えたユダヤ人たちは次のように言っ
たのです。『先生、決起するのは今です。私たちの祖先がモー
セによってエジプトから脱出できたように、あなたもモーセの
ように私たちをローマから解放してください』。
 
イエスは答えます。『私は命を解放する者なのです。私が天から降って来たのはローマ帝国からあなたが
たを解放するためではなく、私をお遣わしになった神のみ心を行うためです。私はあなたの腹を満たすた
めに来たのではなく、心を満たすために来たのです』。
 
『私を信じる者は永遠の命を得ます。あなたがたの祖先はモーセの導きでエジプトから脱出できたでしょ
うが、みんな死んでしまいました。しかし私は天から降って来たパンですから、これを食べる者は永遠に
死にません。私が与えるパンというのはあなたがたを永遠に生かす物です。ローマ帝国から解放されたと
て、しょせん、あなたたちは死んでしまうでしょう。しかし私の肉を食べ、血を飲む者は、永遠の命を得
るのです』。
 
すると群衆は思います。『この人は大工ヨセフの息子ではないか。天から降って来たなどと世迷い事を言
い出すとは。ローマ帝国から解放してくれるリーダーかも知れないと思っていたが、とんだ食わせ物だ』。
 
カファルナウムでいつも説いていた教え、『汝の敵(ローマ帝国)を愛せよ。敵(ローマ帝国)を愛し自
分を迫害する者のために祈りなさい』、これが過越祭で愛国心が最高に高まったユダヤ人たちをがっかり
させたでしょう。

返信する

153 2013/08/27(火) 19:31:27 ID:J87HSEApAM
山上に集まった人々だけでなく、それまで弟子として従っていた多くの者たちも去って行きました。彼ら
もイエスのことをローマ帝国から独立させてくれる第二のモーセと思っていたからです。これを知ったエ
ルサレムの体制派は、これぞ良いチャンスとばかりイエスの命を狙い始めます。
 
(つづく)

返信する

154 2013/08/28(水) 12:51:39 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

ヨハネ福音書だけがこの悲しい事実を述べています(ヨハネ6-66)。

このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなく
なった。そこでイエスは十二人の使徒たちに『あなたがたも離れて行き
たいか』と言われた。ペトロが答えた『主よ、あなたは神の子キリスト、
永遠の命の糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう』。

ペトロの言葉はカトリックの信仰宣言ですから、後から創造されたもので
しょう。しかしいずれにしろ、ローマ帝国から独立するためのリーダーに
なることを拒否したイエスに、付き従う者は日を追って少なくなっていった
でしょう。

最後まで付き従った弟子でさえも、イスラエルの解放者であるようにと、イエスに一縷の望みをかけてい
ました。そんな弟子たちの心情がイエスが亡くなったあとに告白されています。『私たちは、あの方こそ
イスラエルを解放してくださると、望みをかけていました』(ルカ24-21)。

もうこの頃になると、ファリサイ派やサドカイ派が意図的に流した悪い噂もイエスを悩ませます。イエス
が飲み食いすると『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う者もいます。

今の人たちは『笛吹けど踊らず、葬式の歌を歌ったのに泣いてくれなかった』と言う子供に似ている(ル
カ7-32)。

『狐には穴があり、天の鳥には巣がある。だた人の子には枕をする所がない』(ルカ9-58)。

イエスはフィリポ・カイサリヤという地に行った時、弟子たちに『人々は私のことを何と言っているか』
と聞きました。弟子たちは『洗礼者ヨハネだと言う人もいれば、エリアだとか、エレミヤだとか預言者の
一人だと言う人もいます』と答えます。

返信する

155 2013/08/28(水) 12:54:09 ID:0TCTTTaJzE
『それでは、あなたがたは私を何者だと言うか』。

ペトロが言います『あなたはメシア、生ける神の子です』。
イエスは満足そうに答えた『ペトロよ、あなたは幸いだ。
あなたにこのことを現したのは、人間では無く天の父なの
だ。あなたはペトロ(あちらの言葉で岩という意味です)。
私はこの岩の上に私の教会を建てる。私はあなたに天の国の鍵を授ける』(マタイ16-16)。
こうして現代まで続くローマ教皇の権威が約束されたのです。

しかしイエスは思うのです。人々は私に奇跡を欲しがる。しかし私が癒した者たちは癒されるとすぐに立
ち去ってしまう。私が教えたいのは神の愛であって奇跡のような『しるし』ではない。真実の私は奇跡な
ど行えないのだ(マタイ16-4)。

だが私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない(ルカ13-33)。

そしてイエスはこの頃に、自分が将来、エルサレムで長老、祭司長、律法学者に殺されるということを弟
子たちに話し始めます。ペトロたちは動揺します。イエスに『そんなことがあるものか』と言うのですが
イエスは取り合いません(マタイ16-21)。

(つづく)

返信する

156 2013/08/28(水) 17:45:06 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

それから六日後、イエスはペトロら数人の弟子たちだけを連れて
ある山に登ったのです。そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩
いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエスがモーセとエリアと
お話になっている姿を見たのです(マタイ17-1)。

いや彼らは幻覚を見たのかも知れません。それは弟子たちがとて
も眠かったと言っているからです。

しかしそれを見たペトロはあらぬことを口走ります。すると光り輝く雲の中から声がして『これは私の
愛する子、私の心にかなう者』と言います。ヨハネ福音書によると父なる神はお言葉だけで姿を見た者
は誰もいないとあるので、これはまさに父なる神のお声です。

これは主の変容と呼ばれる事件で、カトリックではこれをとても重要なものと見ます。しかしこれは、
イエスの死への覚悟を象徴するために挿入された逸話ではないでしょうか。

ガリラヤ地方を歩いている時、イエスは人に気づかれないようにしていました(マタイ9-30)。まさに
逃げるような旅です。イエスはまた言います。『人の子(イエス)は、人々の手に渡され殺される。殺
されて三日の後に復活する』。弟子たちは大いに不安がったのですが、怖くて真意を問いただすことが
できませんでした。

こののち、イエスは天に上げられる時期が近いと悟り、エルサレムに向かう決意を固めます(ルカ9-51)。

(つづく)

返信する

157 2013/08/28(水) 17:52:09 ID:0TCTTTaJzE
私のブログにようこそ!!

エルサレムに向かう決意を固めた(ルカ9-51)にもかかわらずイエスは
慎重です。彼はファリサイ派などイスラエルの体制派が自分の命を狙っ
ているのを知りガリラヤ地方を伝道して歩き、ユダヤ地方へは足を向け
ませんでした。

しかし仮庵祭(かりいおさい)が近づいたころ、従兄弟たちに『こそこ
そしてないで、ユダヤに行き、あなたの業を見せてやったらどうだ。公
に知ってもらいたいなら、ひそかに行動すべきでは無い』と言われてし
まい、人目を避け、隠れるようにしてエルサレムに上って行きました(ヨハネ7-3)。

仮庵祭とは毎年10月ごろ行われる祭りで、ユダヤ人の祖先がエジプト脱出の時、荒野で天幕に住んだこと
にちなむものであり、仮設の小屋(仮庵)を建てて住むのです。ですからあの4月の山上の説教での挫折
から半年後です。

ユダヤ人たちは、この時にイエスも仮庵祭に来ると思い、探していました。ユダヤ人のある者はイエス
を『良い人だ』と言い、ある人は『いや、人心を惑わしている』と言います。そして祭りも半ばの頃、
イエスは神殿で説教を始めるのです。

それを聞いたファリサイ派の人々や祭司長は、役人にイエス逮捕を命じました。しかし神殿でイエスは
言うのです。『渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある
とおり、その人の中から生きた水が川となって流れ出す』。

この言葉を聞いた群衆は『この人こそメシアだ』とか『この人は本当の預言者だ』と言う者もいました
が、『メシアがガリラヤみたいな田舎から出るはずは無い。メシアはベツレヘムから出ると聖書に書い
てある』と対立しました。その中にはイエス逮捕に向かった役人もいたのですが、なぜか逮捕に踏み切
れませんでした。

イエスを逮捕せず戻って来た役人に、ファリサイ派の人たちは怒りました。『お前たちも惑わされたの
か。ファリサイ派や律法学者の人たちで、あの男を信じる者はいない。律法を知らない群衆は呪われて
いる』。イエスはこの夜は、エルサレム郊外のオリーブ山という所で野宿したようです。

(つづく)

返信する

158 2013/08/29(木) 14:09:50 ID:Y7l1wqV/qQ
今日8月29日は洗礼者聖ヨハネの殉教の記念日です。その様は>>144のとおりです。

洗礼者ヨハネはヘロデ王に『仕方なく』殺されました。
その場の雰囲気が罪を産んでしまったのです。
ヘロデ王は思ったでしょう。『あれは仕方なかったのだ』と。

私たち人間は日常でも仕方なく罪を犯しています。
その場の雰囲気で仕方なく同級生のいじめに加わる子供たち。

仕方なくの究極は日本に落とされた原爆です。
戦争を終わらせるため、それは『仕方なく』落とされた、とアメリカ人は言いました。

まさに、仕方なくは大きな罪を作る可能性がありますから、私たちも注意する必要があります。
そういった意味で、イエスも仕方なく殺された人です。
ですから、私たちもキリストの信仰にあずかれば、
この仕方なくの罪も許されるのではないかと思います。

返信する

159 2013/08/29(木) 16:17:25 ID:lmLEbxpdfY
160 2013/08/30(金) 14:19:43 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

次の日、イエスはオリーブ山から、朝早くエルサレムの神殿に入りました。
オリーブ山(オリーブ畑)という地は、新約聖書に度々、出てくる地名な
のですが、これはエルサレム城外(この聖都は城壁に囲まれているのです)
ですが市街から極めて近く、安息日でも歩くことが許される程の距離にあ
るのです(使徒言行録1-12)。安息日は仕事をしてはいけないばかりか、
歩く歩数まで制限されているんですね。この立法を破ると石打の死刑にな
るんですよ。安息日については>>138にちょっと書きました。

神殿にやってくると大勢の人々が集って来たので、イエスは座って彼らに教えていました。すると、律
法学者やファリサイ派の人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱって来て、民衆の中
に立たせてイエスに言ったのです(ヨハネ福音書8-1)。

『先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーゼは律法の中で、こういう女は石で打ち殺せと
命じられていますが、あなたはどう思いますか』。

彼らがそう言ったのは、イエスを試して、訴える口実を得るためでした。昨日はイエスにうまく逃げら
れたからです。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いていました。 彼らが問い続けるの
で、イエスは身を起こして彼らに言いました。

『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』。

そしてまた身をかがめて、地面に物を書き続けられました。これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひ
とりひとりとその場から出て行き、ついにイエスだけになり、女はだけが残されました。そこでイエスは
身を起こして女に言いました。

『女よ、みんなはどこに行ったか。あなたを罰する者は無かったのか』。

女は言いました。『主よ、誰もいません』。

イエスは言いました。『私もあなたを罪としない。お帰りなさい』。

こうしてまたも、ファリサイ派の人々はイエスを逮捕できなかったのです。

イエスはこの祭りの後、直ちにガリラヤに戻ったでしょう。彼の『受けねばならない洗礼』の時はま
だ来ていないので、逮捕されるわけにはいかないのです。
『罪無き者、まず石を投げよ』という有名な話です。

(つづく)

返信する

161 2013/08/30(金) 16:47:32 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子たちに言います(ヨハネ10-7)。

『私は羊の門です。私より前に来た者は皆、盗人であり、強盗でした。
しかし、羊は彼らの言うことを聞きませんでした。

私は門です。私を通って入る者は救われます。私が来たのは、羊が命
を受けるため、しかも豊かに受けるためです。

私は良い羊飼い。良い羊飼いは羊のために命を捨てます。
私は良い羊飼い。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っています。
私は羊のために命を捨てます。

私の囲いに入っていない羊もいます。その羊を導いてやらなければなりません。
その羊も私の声を聞き分けるはずです。こうして羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になるのです。

私は命を、再び受けるために、捨てます。それゆえ、父は私を愛してくださいます。

誰も私から命を奪い取ることはできません。私は自分でそれを捨てるのです』。

生きている羊というのは、まず臭くて汚いです。まったく主体性が無く、すぐ群れてしまい、集団で
右往左往します。個性というものが無いようです。少なくとも猫や犬より頭が悪いです。数頭の牧羊犬
がいれば、そんな羊の群れを誘導するのは簡単です。人間も集団化すれば没個性の烏合の衆になるでし
ょう。でもイエスはそんな羊(人間)を良く知っていると言うのです。

(つづく)

返信する

162 2013/08/30(金) 21:01:22 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

イエスは弟子に言います。『私が来たのは、地上に火を投ずるためである。
(あなたたちの内に)その火が既に燃えていたらと、どんなに願っている
ことか』(ルカ12-49)。

『しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私は
どんなに苦しむことだろう』。

『あなたがたは、私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、
二人は三人と対立して分かれるからである』。

『父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる』。

これは難解な言葉です。まずこの文章で分かる点は、受けなければならない洗礼…というのがエルサ
レムでの受難を予言しているということです。次に、火とは人々の信仰です。人々が正しい信仰をし
ていれば、どれほど良かっただろう。しかし今の信仰は堕落していると言いたいのでしょうか。

平和でなく分裂だ…についてですが、信仰とは旧来のモラルに従った漫然とした善を行うものではな
い、という宣言です。イエス以降は、それぞれの人間が自己に目覚め、神と直接向き合うという生き
方が必要だと言っているのだと思います。人が自己に忠実であろうと欲すれば、それはいっとき周囲
との摩擦を生じさせる物と映るかも知れません。しかしそれを乗り越えた時、初めて人間は素直な気
持ちで神と向き合うことができるのです。

(つづく)

返信する

163 2013/08/30(金) 21:03:45 ID:P530RrXNLA
私のブログにようこそ!!

こんなこともありました。徴税人や罪人たちが、イエスの話を聞こう
と集まって来たのです。するとさっそくファリサイ派や律法学者の連
中が論争を挑みました。『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒
にしている(ルカ15-1)。

するとイエスは言いました。『あなたがたが100匹の羊を持っていたと
しましょう・・・。もしそのうちの1匹でも居なくなれば、あなたは残りの99匹を置いてでも、迷った羊
を探しに行きませんか。そうして見つけたら、あなたは喜んでその羊を担いで帰って、友達や近所の
人に言うはずです。私は迷子の羊を見つけました、喜んでください…と。だから私は言いたいのです。
悔い改める1人の人の方が、99人の悔い改める必要のない正しい人より、天にとって大切なのです』。

そうです。神にとって人間は迷える子羊なのです。

『あるいは銀貨を10枚持っている女が、もしその中の1枚でも無くせば、ともし灯を点けて家中を掃除
し夢中で探すはずです。そうして見つければ、彼女はとても喜ぶはずです。このように一人の罪人が
悔い改めるだけでも、神の天使たちに大きな喜びがあるのです』。

(つづく)

返信する

164 2013/08/31(土) 03:50:12 ID:XCK4Yyfe3g
隔離されたら、これだ
結局人にみられたいだけの二人だったんだ

返信する

165 2013/08/31(土) 12:21:26 ID:KPmKSD9A76
私のブログにようこそ!!

さて、いよいよクライマックスの始まりです。

イエスが天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに行く決意を固めま
した(ルカ9-51)。その時が来たのです。去年の過越祭での山上の説教の
失敗から1年が立とうとしていました。2〜3月頃でしょうか。今年の過越祭
が近付いてきたのです。

しかしここで、ルカ福音書によりますと、イエスが七十二使徒を選定し各地
へ宣教の旅に出したとあります(ルカ10-1)。しかし私は(まったく勝手な
独断ですが)これは宣教の旅に出したのではなく、弟子たちの多くがイスラ
エル独立運動に身を投じたのではないかと思います。

この時期、バラバとその一味が、イスラエル独立の武装蜂起をしたのです。結局ローマ兵に鎮圧され
バラバと何人かの手下たちは牢獄に繋がれることになりました。バラバの正式な名前はバラバ・イエ
スです(マタイ27-16)。奇しくもここで、二人のイエスが登場することになったのです。

過越祭を控え、大勢の群衆がイスラエル各地からエルサレム近郊へ集まって来ました。過越祭にはこ
の聖都へ巡礼する人々も多かったですし、また過越祭には、囚人を一人釈放するという習慣があった
からです。群衆は『バラバを釈放しろ、バラバを釈放しろ』と叫んでいました。

返信する

166 2013/08/31(土) 12:30:28 ID:KPmKSD9A76
この時、イエスが弟子たちを連れて、『ヨルダン川の向こう側、
ヨハネが最初に洗礼を授けていた所(ユダの荒野)』に登場し
たのです(ヨハネ10-40)。群衆たちは、今度こそメシアの登場
だと思ったのでしょう。大勢の群衆がイエスに従いました(マタ
イ19-1)。数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合
うほどになったのです(ルカ12-1)。

イエスは言います。『もう一度ユダヤに行こう。エルサレムに行こう』。弟子は答えます。『ユダヤ
人たちが、ついこの間にもあなたを石で打ち殺そうとしたのに、また行くのですか』(ヨハネ11-7)。

『私の友ラザロが眠っている。私は起こしに行くのだ』。ラザロとは人の名前ですが、この場合はエ
ルサレムと言い換えてもいいでしょう。弟子たちは言います。『主よ、眠っているのであれば助かる
でしょう』(ヨハネ11-11)。

『いやラザロは死んだのだ。…さあ彼の所に行こう』。弟子の一人が言いました。『私たちも行って、
いっしょに死のうではないか』(ヨハネ11-14)。こんなに勇ましかった弟子たちなのに…その後…。

(つづく)

返信する

167 2013/08/31(土) 16:48:09 ID:KPmKSD9A76
私のブログにようこそ!!

まずここで基礎知識を。ユダヤ人の政治を行うのは最高法院で、
そこの一番偉い人は大祭司とか祭司長と呼ばれる人々です。福
音書ではカイアファという名が良く出て来ますが、他にアンナ
スやヨハネやアレクサンドロの名が見えます(使徒言行録4-6)。
ヨハネという名前は非常にポピュラーな名前なのでとても混乱
します。イエスの弟子にもヨハネがいますし、洗礼者ヨハネも
いましたし、ヨハネの福音書の著者ヨハネもいます。しかしこれは全部別人です。

その上には、ローマ人知事のポンティオ・ピラトがいますが、一応イスラエルは自治が認められてい
るので、ピラトは普段はイスラエルには住んでいません。しかし過越祭はユダヤ人の反ローマ感情が
高まる時でもあるので、この時期はエルサレムに滞在していました。エルサレムの市街のあちこちに、
警備のローマ兵が駐留していたでしょう。

他に国王というのもいます。以前、洗礼者ヨハネの処刑で出て来たヘロデ・アンティパスはガリラヤ
の領主です(名目ですが)。この人も過越祭を祝うためエルサレムに滞在していました。

そしてこの年(それは西暦30年だったそうです)の過越祭は4月の14日か15日、いずれにしろ金曜日
でした。ですから以降は曜日順にイエスの行動を追って行きましょう。

群衆の数は日を追うごとに増えて行きました(ルカ11-29)。イエスはもう群衆が自分をローマ解放の
リーダーだと思っていることを否定しません。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、
しるしというのは昔のヨナだけが与えることができた。しかし今ここに、ヨナにまさる者がいる』とイ
エスは宣言します。

返信する

168 2013/08/31(土) 17:56:38 ID:KPmKSD9A76
また以前と同じように律法学者やファリサイ派の人々が、
イエスに論争を挑みます。律法学者やファリサイ派の人々
は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴び
せ始め、何か言葉尻をとらえ逮捕に踏み切ろうとします
(ルカ11-53)。

また祭司長カイアファはファリサイ派の人々と最高法院を招集して協議しました(ヨハネ11-48)。
『このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。するとローマ人が来て、我々の神殿も国民も
滅ぼしてしまうだろう』。

カイアファは言います。『一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた
がたに好都合ではないか』。こうして彼らはイエスを殺そうとたくらみ始めたのです。

これに気づいたイエスとその弟子たちは、サマリア地方のエフライムという村に身を隠しました(ヨ
ハネ11-54)。

しかし過越祭を目前に控え、またイエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。多くの群衆が『エリ
アだ、エリアだ』と叫びながら合流したことでしょう。エルサレムでは人々が『あのナザレのイエス
は祭りに来るだろうか』と言い合い、祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを逮捕するため、
彼の居所がわかれば届け出るよう、お触れを出します(ヨハネ11-55)。

(つづく)

返信する

169 2013/08/31(土) 18:08:24 ID:dpUz16cIwA
私のブログにようこそ!!
 
過越祭を来週に控えた土曜日、イエスと彼らをとりまく大群衆はエリ
コという町にさしかかりました。そこに徴税人の頭のザアカイという
人がいたのですが、彼は大群衆が『エリアだ、エリアだ』と叫ぶイエ
スの姿を一目でも見ようと思ったのです。でも彼は背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができません。そこで走って先回りし、いちじ
くの木に登りました(ルカ19-1)。
 
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言いました。『ザアカイよ、急いで降りて来なさい。今日は、
ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見
た人たちは皆つぶやきました。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった』。
 
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施し
ます。また、誰かから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』。イエスは言いました。
『今日、救いがこの家を訪れた。人の子(イエス)は、失われたものを捜して救うために来たのである』。
 
イエスは優しいのです。ザアカイは金持ちだと聖書には書かれていますが、精神的には満たされない悲し
みがあったのでしょう。人々に散々蔑まれ、罪人だと罵られていたのです。この時も、背が低くてイエス
を見ることができなかったのではなく、本当は群衆に『罪人はあっちに行け』と跳ね飛ばされたのでしょ
う。ザアカイもやむにやまれぬ事情があって、徴税人に身を落とすことになったのでしょう。そんなザア
カイの心情をイエスは一瞬で見抜いたわけです。
 
イエスを取り巻く大群衆も、そこで野宿したのでしょうか。
 
(つづく)

返信する

170 2013/08/31(土) 18:10:39 ID:dpUz16cIwA
私のブログにようこそ!!
 
さて次の日(日曜日)、イエスと弟子たちはベタニアという村に至り
ました(ヨハネ12-1)。ベタニアはイエスが『私の友ラザロが眠って
いる』(ヨハネ11-11)、と言ったそのラザロの家です。この村からエ
ルサレムは徒歩でも1時間弱の近さです。
 
この前に、ラザロはイエスの奇跡で生き返っていました。この家には
マルタとマリアという姉妹も住んでいます。イエスと弟子たちのため
マルタが夕食の給仕をしていると、マリアがとても高価なナルドの香
油という油を持ってきて、イエスの足に塗って自分の髪でぬぐいました。家中が油の良い香りで満たされ
ました。
 
なぜマリアがこのような行為をしたかというと、彼女の家を取り巻く大群衆(ヨハネ12-9)が『メシアだ、
メシアだ』と叫んでいたからです。メシアには救世主という意味の他に、『油を塗られし者』、という意
味があるからです。
 
その時、十二使徒の一人で、のちにイエスを裏切ることになるイスカリオテのユダが『なぜ、この香油を
三百デナリオンで売って、貧しい者に施さなかったのか』と言うのです。するとイエスは『この人のする
ままにさせておきなさい。…貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけ
ではない』と言います。
 
これをユダの偽善と一般的には言いますが、ユダの真意は『あなたはメシア気取りで油を塗られていい気
になっているが、実際には何もできなかったではないか。現実を直視しなさい。現実は貧しい者が泣き、
多くの子どもが飢えているではないか』とも解釈できます。
 
この日、イエスと弟子たちはこの家に一泊しました。彼らを取り巻く大群衆も、そこで野宿したでしょう。
 
(つづく)

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:356 KB 有効レス数:228 削除レス数:0





思想・哲学掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:SARO&Desperado隔離スレ

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)