SARO&Desperado隔離スレ
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私のブログにようこそ!!
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
さて過越祭の食事は続きます。今日、私たちカトリックでは
この食事の有様を毎回ミサで再現しています。ここからちょっ
と新約聖書から離れて、ミサではどのように食事が再現されるか
司祭の祈りを書きましょう。
主イエスは渡される夜、パンを取り、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡される、私の体である』。
食事の終わりに同じように盃を取り、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これは私の血の盃。あなたがたと多くの人のために流されて、罪の許しとな
る新しい永遠の契約の血である。これを私の記念として行いなさい』。
こうして、新しい永遠の契約、すなわち旧約に対する新約が成ったのです。
この食事中、イエスは上着を脱いで十二使徒の足を洗いました(ヨハネ13-4)。これは師であり主であるイエ
スがそうしたのだから、弟子たちも洗い合わなければならない、という意味です。すなわち人々は皆兄弟であ
るという愛の教えと言えます。お互いに愛し合いなさいと。
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この時、イスカリオテのユダが突然、席を蹴ったのです。
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
なぜでしょう。聖書ではサタンが彼の中に入ったとして
いますが(ヨハネ13-27)、実際はそうでは無いでしょう。
イエスは皆の希望であるメシア(ローマからの解放者とし
ての)を拒否したのです。足を洗い合いなさい。汝の敵を
愛しなさい。私はこのまま去って行く。もう皆とこの世で
一緒に葡萄酒を飲むこともあるまい(マルコ14-25)。ユダは言ったかもしれません。
『先生は偽善者だ。皆の期待に応えられないではないか。マルタの家で高い油を塗られたのは何だったのか』。
イエスはユダに言います。『あなたのしようとしていることをしなさい』。
イスカリオテのユダだけでなく、『メシアだ』『ダビデの子』と叫んでいた群衆の代表者も、この時、席を蹴っ
たでしょう。彼らは非難したでしょう。『ローマを愛せよとは、とんだ食わせ者だ、何という茶番劇だ!!』。
そしてユダと群衆の代表者たちは、家を取り巻く大群衆に叫びます。『ナザレのイエスはメシアなんかじゃな
い。我々は彼に騙されていたのだ。ローマの解放者はやっぱりバラバしかいない』。幻滅した大群衆は汐が引
くようにいなくなりました。まさに去年の過越祭における山上の説教後の様子そのものとなったのです。
群衆にまぎれていたスパイたちは大急ぎで大祭司カイアファの所に走ったでしょう『もうイエスは見はなされ
た。いつでも逮捕できます』。そして辺りは静寂に包まれました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
しかし残された使徒たちは何が起こったかわからないのです。
私たちの先生こそメシアだという考えが抜けないのです。それ
はイエス死後の彼らの言葉からもわかります。『私たちはあの
方こそイスラエルを解放してくれると望みをかけていました』
(ルカ24-21)。
そして、まったく呑気なことに、使徒たちの間で誰が一番偉いか
と論議した(ルカ22-24)のです。革命が成功した暁には、誰が
一番の幹部になるか、論争したというのです。なかなか俗人というのは、野心が抜けないものです。
イエスは言います。『あなたがたは皆、私につまずくだろう』。ペトロは慌てて答えます。『たとえ、
みんながつまずこうとも、私はつまずきません』(マルコ14-27)。やっと事の次第に気づいた彼は
叫びます。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』(ルカ22-33)。
イエスは悲しそうな目でペトロを見つめ、『いや、あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知ら
ないと言うだろう』(マルコ14-30)。
そして、イエスと弟子たちは、その家を後にしました。さっきまでいた大勢の群衆は去り、辺りは静
まり返っていました。おそらく午後10時頃でしょう。月が明るかったのでしょう。彼らはオリーブ山
へ向かいました。そこで野宿するのが彼らの常でしたから。
ちょうどその時刻、『バラバを釈放しろ』と叫ぶ群衆に
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
囲まれて、ユダが大祭司カイアファの所に出頭しました。
しかしカイアファにとってユダはどうでも良いのです。
群衆がイエスから離れたことの方が重要なのです。カイ
アファはイエスの居場所を案内する報酬として、ユダに
銀貨30枚を渡しました(マタイ26-14)。それは普通の人
のひと月程度の賃金というはした金です。
今のカイアファの思いは決まっていました。過越祭が本格的に始まる明日の朝の前に、イエスを逮捕
し処分することです。過越祭期間中は騒ぎを起こすわけにはいきませんし、この機を逃すとイエスに
逃げられる可能性があるからです。すぐに追手が差し向けられました。案内役はユダです。
さてイエス一行はオリーブ山に到着しました。そこにはゲッセマネ(搾油所)があるのです。そこに
到着するとイエスは言います(ルカ22-40)。『誘惑に陥らないように祈りなさい』。そしてご自分は、
石を投げれば届くほどの距離(ルカ22-41)でひとり祈ります。『父よ、思し召しならばこの苦悩の盃
を取り除きたまえ。さりながら我が心のままにはあらずとも、思し召しのごとく成れかし』。イエス
は苦しみ悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた(ルカ22-42)といいます。
イエスが苦しみの祈りをささげている時、弟子たちは眠りこけていました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
するとエルサレムの方角から松明の群れが見えて来ました。それはユダを
先頭とした大祭司の部下たち、およびさっきまでイエスを『メシアだ』と
言っていた群衆です。
弟子たちも驚いてとび起きたことでしょう。ユダはイエスに近づくと、
『先生』と言って接吻しました(マルコ14-45)。
それが合図でした。人々はイエスを取り押さえました。ペトロは勇敢にも剣を抜いて大祭司の手下に
切りかかり、ひとりの耳の片方(右耳だったそうです)を切り落としました。
しかしイエスがおとなしく引かれていくのを見ると、みんな怖くなってちりじりに逃げてしまいまし
た(マルコ14-50)。『主よ、御一緒なら、あなたと牢に入って死んでも良いと覚悟しています』と叫
んだペトロでさえも(ルカ22-33)。
この時、ひとりの青年が人々に衣服をつかまれました。するとその青年は衣服を脱ぎ捨て、裸で逃げま
した(マルコ14-51)。これがマルコの福音書を書いたマルコの若い時の姿です。マルコはペトロの弟
子なのですが、こののち、あの聖パウロと共に西アジアへの伝道旅行にも行きました。しかしその弱さ
のためか、里心がついたのか、途中で脱落して帰ってしまいました。そのためパウロの2度目の伝道旅行
の時、パウロから同行を拒否されています。
マルコの福音書は彼が老年になった時(イエスの死後40年くらいたった西暦70年以降)に書いたもので
す。またマタイの福音書も、十二使徒に選ばれた元徴税人のマタイが書いたものという説もありますが、
年齢的に見てもちょっと無理でしょう。だからマルコは、福音書を書いた作者の中で、ただひとり生き
ているイエスを見た者といえます。
マタイの福音書もルカの福音書も、共にマルコの福音書を参考にして書かれたものと言われています。
ですから最も古い福音書です(と言ってもこの3つの福音書はみな10年くらいの間に書かれています)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
イエスはまず大祭司アンナスの所へ連れて行かれました。時間
はもう午前0時を回っていたでしょう。金曜日の未明です。この
時、大祭司の知り合いだという弟子の仲介で、ペトロが大祭司
の屋敷に偲び込みました(ヨハネ18-15)。
そこで門番の女に言われます。『あんたもあの人の知り合いじゃ
ないかね』。ペトロは『違う』と打ち消します。すると一番鶏が鳴きました。
大祭司アンナスがイエスへ尋問している間、ペトロは火にあたっていたのですが(ヨハネ18-25)、
女中に(マルコ14-69)『この人は、あの人の仲間です』と言われ打ち消しました。しかしまた
『確かにお前はあの連中の仲間だ、ガリラヤの者だから』と言われ、呪いの言葉さえ口にしながら
『そんな人は知らない』と誓ったのです。するとまた鶏が鳴きました。
はっと気づいたペトロはイエスの『あなたは今夜、鶏が二度鳴く前に、私を三度知らないと言うだろ
う』と言われた言葉を思い出し、屋敷の外に走り出て激しく泣きました。
これは本当はペトロも弟子の代表として尋問を受けたことを暗示しているのでしょう。とりあえずは
その場をしのいだペトロですが、今まで先生として尊敬していた人を、結局、裏切ってしまったわけ
です。裏切り者はユダだけではないのです。ユダ以外の十一使徒、多くの弟子たちは皆、罪人となり
ました。彼らはあなたであり私です。人間というのは、かくも罪深いのです。
(つづく)
200まであとちょっとだ頑張れ
私のブログにようこそ!!
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
金曜日の真夜中、たぶん午前1時ころから大祭司アンナスの尋問は始まっ
たでしょう。アンナスの尋問に対してはイエスは無実を主張しています。
『私たちは公然と話していたし、ユダヤ人が集まる会堂や神殿で教えた。
逃げも隠れもしていない(それなのにあなたがたは私を捕えなかったで
はないか)。私が話した内容などは、私の話を聞いた人に問えばいいで
はないか(証人を出せ)』(ヨハネ18-20)。
それを聞いた下役が『この無礼者』と言って、イエスを平手打ちしました。大祭司アンナスは大祭司
カイアファの元にイエスを送ることにしました。その間もイエスは見張り役たちに暴行されたり屈辱
されたりしました(ルカ22-63他)。
金曜日の早朝。やや開け始めた空はそれでもまだ夜の闇を残していました。大祭司カイアファの元に
送られてきたイエスを受け、カイアファは長老会、祭司長、律法学者を招集しイエスを裁く最高法院
を開きました。
彼らはなぜこんなに早急に事を急いだのでしょう。それは過越祭が本格的に始まってしまうと裁判を
開けなくなるからです。それより何よりも明日は土曜で安息日ですから当然裁判は行えません。なに
しろ彼らの目的はイエスをいかに殺すか>>173という事ですから、イエスが『メシアだ』『ダビデの子』
と叫んでいた大群衆から見放された今こそ、それは絶好のチャンスです。なにしろ人間の心理という
のはうつろいやすいものですから、また人々がイエスを支持する事態が起こることだって考えられます。
ここでイエスは『私は神の子だ』と宣言します(ルカ22-70)。これはユダ他教徒にとって神を冒涜す
る発言です。この時、全会衆が一致して立ち上がり(ルカ23-1)、イエスを有罪としました(ルカ22-
66他)。
山本七平によると『ユダヤ人は全員一致の議決は無効とする』という旨のことを彼の著書に書いていま
すから、山本の説をとるなら、この有罪判決は違法ということになります(ただし山本の説は誤りとい
う説もあります)。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
神を冒涜した者は石打の死刑にしてもいいわけですが、
ローマ帝国の植民下における彼らには、人を死刑にする
権限がなかったらしいです。しかしこれを破ってリンチ
という形でそれを行っても、たぶん彼らは責任を取らさ
れることはないでしょう。
だが彼らはイエスを政治的に利用しようと図りました。それはローマ軍に捕らわれているバラバ・イエ
スを恩赦してもらう代わりに、ナザレのイエスを私刑にしてもらうことです。バラバ釈放を、過越祭の
巡礼で興奮した群衆のカンフル剤にしようとしたわけです。
そんなわけでカイアファらはイエスを、この時エルサレムに滞在していたローマ人知事のポンティオ・
ピラトの元へ送ることにしました。
その頃、イスカリオテのユダは、イエスが大祭司カイアファらに死刑の判決を受けたらしいと知りまし
た。彼は、まさか師が死刑になるとまでは思っていなかったので、銀貨30枚を祭司長や長老たちに返そ
うとしました。
『私は罪の無い人の血を売り渡し、罪を犯してしまった』。
しかし祭司長たちは、『私の知ったことでは無い』と受け取りませんでした。
ユダは銀貨30枚を神殿に投げ込み、首を吊って自殺しました。
(つづく)
あと10ちょいでsaroがでてきたらおもしろいのにな
SAROは明和から消えたね
寂しい限りだわ
寂しい限りだわ
削除
今日9月3日は聖グレゴリオ(グレゴリウスとも)一世の記念日です。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
金曜日の日も明けた早朝6時頃、大勢の人に連行されてきたイエスに
ポンティオ・ピラトは当惑したでしょう。またこの時間には、昨日ま
でイエスを支持していた群衆もピラトの宿所に集まり『バラバを釈放
せよ』と叫んでいたことでしょう。
ここでカイアファ側は言います。『この男は人心を惑わし、皇帝に税
を納めるのを禁じ、ユダヤの王たるメシアを名乗った』(ルカ23-2)。
そこでピラトはイエスに尋問します。『お前はユダヤの王なのか』。『それは、あなたが言っているこ
とです』。ピラトは思います。これはユダヤ人内部の問題ではないか。私に下駄を預けられても面倒な
だけではないか…と。
そこでピラトはカイアファらや群衆に呼びかけます。『私はこの男に何も罪を見いだせない』。しかし
群衆は答えます。『彼はガリラヤから出てきて、この都を始めユダヤ全土に自分の教えをふれて回り、
民衆を扇動した』。
またピラトはイエスにたずねます。『お前はガリラヤ人なのか』。『そうです』。これは有難い。ガリ
ラヤ分国王もエルサレムに滞在しているので、そちらに問題を預けよう。これで厄介払いができる。こ
うしてイエスはヘロデ・アンティパス王の元へたらい回しされました(ヨハネ23-6)。ヘロデ王とはあ
の洗礼者ヨハネを処刑した人です>>144。
金曜日の日も明けた7時頃、大群衆に囲まれて連れて来られたイエスを見て、ヘロデ・アンティパス王は
喜びました(ルカ23-8)。というのも、同じガリラヤ住人で、噂にもよく上るイエスに面会し、奇跡のひ
とつでも見せてもらいたいと思っていたからです。
しかしイエスは黙秘権を使い何も話そうとしません。イエスはヘロデ王
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
が大嫌いなのです。かつてヘロデ王を『あの狐(ルカ13-32)』と呼んだ
こともあるのです。イエスが何も話さないので、律法学者や祭司長がイ
エスの罪状をヘロデ王に激しく訴えました。ヘロデも自分が馬鹿にされ
たことを怒り、兵士たちと共にイエスを罵り、派手な衣を着せて、ポン
ティオ・ピラトの宿所にイエスを送り返しました。
ヘロデ王と知事ピラトの間は今までうまく行っていなかったようです。イスラエルの占領者であるロー
マ人知事にとって、お情けながら王様と名乗らせてやっているヘロデ王は蔑むべき存在だからでしょうか。
しかしこの事件をきっかけに彼らの仲は良くなったそうです(ルカ23-12)。
金曜日の朝8時頃、せっかく厄介払いができたと思っていたのにすぐ送り返されてきたイエスを、見てポ
ンティオ・ピラトは当惑したでしょう。すぐに大祭司や群衆に向かって声を張り上げます(ルカ23-13)。
『さっきも言った通り、私はこの男に罪を見いだせない。ヘロデ王もこうして私の所にこの男を送り返
してきた。この男を死刑にすることはできない。むち打ちの刑で釈放しようと思うがどうか』。
大群衆は叫びます。『その男を殺せ。バラバを釈放せよ』。群集心理というのは恐ろしいものです。昨
日まで『メシアだ』『ホザンナ』と叫んでいた群衆は、その期待をイエスに裏切られたと思い、今や憎
悪に燃えているのです。まさに大祭司カイアファらが望むとおりに事が進行しつつあるのです。
ピラトは言います。『何度も言うが、いったいこの男がどんな悪事を働いたと言うのか。私はこの男を
死刑にする理由が見当たらない。むち打ちでいいではないか』。
しかし群衆は叫びます。『十字架につけろ、十字架につけろ』。十字架刑というのはユダタの習慣では
ありません。これはローマの処刑方法です。人々はイエスをローマ帝国への反逆者として、政治犯とし
て処刑せよと、ピラト知事に迫ったのです。
ピラトはもう一度イエスを尋問します。『お前はやはり王なのか』(ヨハネ18-37)。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
イエスは言います。『私は真理についてあかしするために、この世に生まれて来た。
真理に属す者は皆、私の声を聞く』。ピラトは皮肉を込めた言葉をなげかけます。
『真理とは何か』・・・お前はこの期に及んでもまだ自分を真理だと言うか。皆が
お前の死刑を望んでいるではないか。お前の言う真理とは何か…。
ピラトは群衆に叫びます。『過越祭には囚人を一人釈放することになっている。お前
たちはどちらを選ぶか。ナザレのイエスかバラバのイエスか』。
『ナザレのイエスを殺せ。十字架につけろ。バラバを釈放せよ』。
しかたなくピラトは配下のローマ兵にイエスをむち打たせ(ヨハネ19-1)、茨で編んだ冠をイエスの
頭に載せ、紫の派手な衣装を着せました。ローマ兵はかわるがわる『ユダヤ人の王、万歳』と言いな
がらイエスを平手打ちしました。そして群衆の前に引き出して言いました。『見よ、この男が望みか』。
祭司長や群衆は言います。『十字架につけろ、十字架につけろ』。
ピラトは言います。『そんなに言うならお前たちで十字架につけるがよい。私はこの男が罪人とは思
えない』。ユダヤ人たちは答えます。『私たちには律法があります。この男は私たちの律法では死罪
に当たります。神の子と自称したからです(それに私たちには十字架刑にする権限が与えられていま
せん)』。
ピラトはこの言葉を聞くと逡巡しました。神の子を自称する者を自分の権限で処刑することにためら
いもあったし、またこれらはユダヤ人の間だけの問題で、ユダヤ人の神の子を自称したからと言って、
それはローマ人の彼には全くあずかり知らぬ事でもあったからです。そこでまたいくつかイエスを尋
問し、再び祭司長たちに提案しました。『やはりナザレのイエスを釈放しよう』。
祭司長たちの答えはこうです。『もし、この男を釈放するなら、
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
あなたは(ローマ)皇帝の友では無い。王と自称する者はたいて
い皇帝に背いているからです』。これはピラトに対する脅しです。
被占領民のくせに、このユダヤ人たちは、ローマ人知事に、この
男を釈放するならあなたもローマ帝国の反逆者と訴えますよ…と
脅したのです(ヨハネ19-12)。
しかたなくピラトはイエスを敷石の上に引き出しました。そこが裁判の席です。
ピラト『見よ、これがあなたがたの王だ』。
大祭司たち『殺せ、殺せ、十字架につけろ』。
ピラト『あなたたちの王なのに、私が十字架につけるのか』。
大祭司たち『私たちにはローマ皇帝以外に王はいません』。
こうしてピラトは十字架につけるためイエスを彼らに引き渡しました。そして、牢獄に入れられていた
バラバを直ちに釈放しました(ルカ23-25)。
もう金曜日の日は空高く登り、過越祭が本格的に始まりました。時は西暦30年。4月14日か15日だったそ
うです。この頃のエルサレムは、日本の春と違って赤道に近いですから、ギラギラとした太陽が地上を
照りつけます。
そんな中を、イエスはここから重さ70キロにも及ぶ十字架を背負わされて、エルサレム城外のゴルゴタ
の丘に向かいました。今、エルサレムでは、イエスが死の道行きをしたといわれる道が、観光名所とな
っているそうですが、それが本当にイエスが歩かれた道かどうかは疑わしいようですが。
いずれにしろ木曜日から一睡もしていない彼の苦痛はいかばかりだったことか。何度も道に倒れ込んだ
でしょう。あまりの遅さに、イエスに憎悪を燃やすユダヤ人たちは、田舎からたまたま出て来たキレネ
人のシモンという男を捕まえて、イエスの代わりに十字架を彼に背負わせたそうです(ルカ23-26)。シ
モンにとったらとんだ災難だったでしょう。しかしイエスの後には嘆き悲しむ多くの婦人たちが従いま
した。それはあのラザロの家のマルタやマリア。過越の巡礼に来ていたイエスの母マリア。今後出てく
るマグダラのマリア等、イエスと触れ合った多くの女性が悲しみながら従いました。
イエスの他にも政治犯が二人、十字架を背負わされて歩きます(ルカ23-32)。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
彼らはおそらく釈放されたバラバの手下でしょう。
十字架を背負う囚人はローマ兵からむち打たれるのです。そのため、処刑場
に到着する頃には衣服もほとんど無いような裸になってしまいます。こうし
て金曜日の昼近く、イエスらはゴルゴタの丘に到着しました。十字架刑に処
せられる囚人は(もし衣服が残っていた場合は)裸にされます。場合によっ
ては腰の周りに布をまとうことが許されます。
そして十字架の上に寝かされ両手両足を釘で打たれます。この時イエスは呪いの言葉ではなく、神に祈り
ました。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです』(ルカ23-34)。その後
イエスたちを釘付けにした十字架は立てられました。それは金曜日の正午でした。まさに過越祭の当日。
ポンティオ・ピラトはイエスの罪状書きを書きました。それはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で3種の
言語で書かれ『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』というものです。これをイエスの十字架に掲げました(ヨ
ハネ19-19)。この罪状書きを見た祭司長たちは『ユダヤ人の王、ではなくユダヤ人の王と詐称した者、と
訂正してくれ』とピラトに要求しましたが、ピラトに一蹴されました。これは祭司長らに『もし、この男
を釈放するなら、あなたはローマ皇帝の友では無い』。と脅迫された事>>194に対する意趣返しです。
金曜日の12時からイエスの苦難が始まります。たいていの囚人は3時間もすれば絶命するのですが、それで
も死なない場合は棍棒で足を折るのです。そうすれば、たいていの囚人は絶命するのです(ヨハネ19-32)。
十字架上のイエスは色々な祈りをつぶやきます。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(マタイ27-46)。
これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味ですが、これは神への呪いの言
葉ではありません。これはユダヤ人なら誰でも知っている詩篇第22篇の冒頭の句です。最後は神を褒めたた
えているのです。例えば日本人なら『色は匂へど』と言ったらすぐに『散りぬるを』が出てくる感覚です。
わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか、
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
・
・
私の魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、
主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業(みわざ)を、
民の末に告げ知らせるでしょう。
そののち、午後3時近く、イエスは『渇く』と言いました(ヨハネ19-28)。急いで番兵が酸い葡萄酒、すな
わち酸化して不味くなった葡萄酒を含ませた海綿をイエスに差し出しました。イエスはこの葡萄酒を受け取
ると、
『我が事は成れり』。
と言って頭を垂れて息を引き取りました。明日の土曜日は安息日で、これは過越祭の特別な安息日ですから
遺体を十字架上に放置しないため、午後3時にイエス以外の2人の足を棍棒で折って絶命させました。イエス
は既に絶命していて、ローマ兵のひとりが槍でイエスの脇腹を突くと、少しの血と水が流れ出たということ
です。
イエスの遺体はアリマタヤのヨセフという人が埋葬を願い出ました。この人はイエスの弟子だったのですが
その身分を隠しこの場にいたのです(ヨハネ19-38)。ゴルゴタの丘にはまだ誰も埋葬されていない墓があり
イエスの遺体は亜麻布で包まれて、その日のうちにこの墓に納められました。
この時は西暦30年。西暦の数え方で言えば、この時イエスは28才か29才ということになります(西暦0年とい
うのはありません)。しかしおそらく35才前後だったと思われます。イエスがマリアの家を飛び出してから
3年とカトリックでは教えます。しかしガリラヤで伝道を始めてわずか1年半。思えばイエスが人々の支持を
得られた、云わばガリラヤの春は、わずか半年。最初の過越祭での失敗からは、まるで逃げるような1年でし
た。この1年はまるで死を迎える準備の期間であったように思われます。そして次の過越祭で死を迎え、まさ
に…過越祭に供されるいけにえの子羊のように、イエスは人々のいけにえとなったのです。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
さて翌日の土曜日となりました。この日は過越祭の特別な安息日です。
イエスが死んだにもかかわらず、またいつものように4月のギラギラし
た太陽がエルサレムの町を照りつけていたでしょう。安息日ですから
人々は自由に歩くことも出来ず、静まり返った町からは、あちこちの
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で人々の祈る声だけが聞こえていたこ
とでしょう。
さて、この間、使徒や弟子たちはどうしていたでしょう。新約聖書には何も記載がありません。それはたぶ
ん、この金曜日の出来事が、彼らのトラウマになっていたからでしょう。まず使徒や弟子たちが恐れたのは
自分たちも逮捕されるということです。およそテロリストのリーダーが捕えられたとき、その幹部や兵士に
追求が及ばないことがあるでしょうか。彼らはおそらく少人数ごとに分散して隠れたでしょう。全員が固まっ
ていたら一網打尽になるからです。
しかし裁判も終わり、自分たちへの追及が無いことを人手によって聞いた時、次に恐れたのは自分たちが裏
切った師が、十字架上で自分たちを呪うのではないかということだったでしょう。およそ自分を裏切って見
捨てた者を呪わない人がいるでしょうか。しかしイエスは使徒や弟子たちを呪いませんでした。それは彼ら
にとって衝撃的ともいえることだったでしょう。彼らは皆、ペトロのように泣いたに違いありません。
そして今日は土曜日。彼らもユダヤ教徒ですから、安息日に歩くことが許される歩数を知っている彼らはエ
ルサレムから逃げようとは思いませんでした。例え逃げようとしても、ローマ兵が非常線を張っているかも
知れません。この日も彼らはじっと息をひそめていたに違いありません。
そして復活へ!!
安息日が終わると(とマルコの福音書は書きだします16-1)、という事は土曜日の日が暮れてからという事
ですが、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメという3人の女性がイエスの遺体に塗る油(香料)を
買い求めました。
そして週の初めの日、すなわち日曜日の早朝、日が出るとすぐ
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
にイエスの墓に向かいました。彼女たちは『誰か、あの墓の入
り口から、石をどけてくれないだろうか』と話し合いながら墓に
向かいました。というのも、その石はとても重い物だからです。
しかし彼女らが墓に着くと、既に石はわきに転がされていました。不審に思いながらも彼女らが墓に入ると、
中に、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、非常に驚きました。若者は言います。
『驚くことは無い。あなたがたが探している十字架にかけられたナザレのイエスは、復活されたのでここに
はいない。さあ行って、弟子とペトロに告げなさい。あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。か
ねて言われていたとおり、そこでお目にかかれると』。
婦人たちは墓を出て逃げ去りました。震えあがり正気を失っていました。そして誰にも何も言いませんでした。
恐ろしかったからです。
と、ここでマルコの福音書は終わります。この後に『結び』という章があるのですが、これは後世に追加され
たものだそうです。これによると、ペトロの弟子として、生きているイエスを間近に見たはずのマルコは、あ
たかも復活したイエスを見ていないようでもあります。
復活…などということが本当にあったのでしょうか。以前『ピタゴラスの定理』などを使って明確な答えが出
来る問いは『質問』というカテゴリーに属し、生・死・存在・自然など、明確な答えが出せない問いは『神秘』
というカテゴリーに属すと言いました。イエスの復活というのも神秘なのです。これを私たちは『信仰の神秘』
と呼びます。この神秘に属すものを質問に属すもののように客体化するというのは、宗教家の仕事であり哲学
者の仕事です。ですからカトリックの私は教えに従って復活はあると信じます。がしかし、もしかしたら無い
のかも知れないという思いもあります。
日曜日にイエスが復活されたことにより、今や全世界で日曜日がお休みの
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
日になったわけです。この日を私たちは主日と呼んで、土曜日の安息日と
区別します。といってもカトリックでは安息日は特別な日ではありません。
ただの平日です。しかし図らずも、多くの会社が土日と二連休になってい
るのも不思議な事ではないでしょうか。
その日曜日、あちらこちらに復活したイエスは出現します。例えば、エルサレムから無事脱出して
故郷のガリラヤに向かってとぼとぼと歩いている二人連れの弟子に…。弟子たちが今までの衝撃的
な出来事を話しながら歩いていると、そっと寄り添うように男が近づいて来て二人に何の話をして
いるか問うのです。弟子が『ナザレのイエスのことです。彼は立派な預言者でしたが、死刑にされて
しまいました。私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると、望みをかけていました。
(ルカ24-21)。ところがある婦人たちが墓に行くと遺体は無くなっていました。天使がイエスは
生きておられると告げたんだそうです』。袖すりあうも多生の縁とばかり、この三人は同じ宿屋に
泊まったのですが、食事の時にイエスの約束の儀式>>176をこの男がやり始めたのです。あっ、この
人こそイエス様だ…と思ったところ、その男は消えてしまったと。
また、あの墓から慌てて逃げ出した婦人たちの前に現れ『おはよう』と言ったとか(マタイ28-9)。
またこの日曜日もエルサレムを脱出できない臆病な弟子の元へも。弟子たちが人を恐れ、戸口に鍵
をかけていると、『主の平和』と挨拶しながらイエスが部屋の真ん中に現れたと(ヨハネ20-19)。
ユダを欠いた十一使徒も、この日曜日にエルサレムを脱出できな
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
かった組ですが、彼らの前にも『主の平和』と言いながら現れた
と(ルカ24-36)。当然ながら彼らは、これは亡霊ではないかと恐
れました。しかしイエスは焼き魚を食べて見せ、生身の人間であ
ることを証明したと。
いずれにしろイエスが復活した姿を見た弟子と、見なかった弟子とが、ここに現れたのです。見た
弟子にも、見なかった弟子にも『復活』という問題が宿題として提示されました。
宿題は他にもあります。イエスは預言者には違いないが、その伝道中、ご自分をメシアだとなぜ言わ
なかったのだろう。たった2年弱しか弟子たちと触れ合わなかったのに、なぜこんなに熱い気持ちを
私たちに残したのだろう。残りの1年を、あたかもご自分の死を望むがごとく行動されたのはなぜ
だろう。この面長の、8等身で痩せていて、手足だけが妙に長い不思議な男が残した謎は多いのです。
(つづく)・・・ああもう残り無い・・・どこか別のスレにでも引っ越しますか。
乙!
引っ越さずもう終わりにしとけw
引っ越さずもう終わりにしとけw
まだ続きが書けるのね。まだこの時点でイエスはキリストにはなっていません。
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
復活を見た…とは言っても、結局イエスは天に上げられてしまいました。
もう師はいません。
十一使徒も弟子たちも、ローマ兵の目を恐れながら、とにかくガリラヤ目指して逃げたことでしょう。
特にペトロなどは兵士の一人の片耳を切り落とした位ですから、これは立派な傷害致傷犯です。
それも占領国のローマ兵を傷つけたのですから重罪です。
逃げおおせたことが不思議なくらいです。
(つづく)
削除
ルドルフ・カール・ブルトマンという二十世紀を代表するドイツの新約
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
聖書学者は、聖書の『非神話論化』と実存論的解釈の方法論を提唱した
のです。つまり福音書から神話的な部分を取り除いて、真の人間的なイ
エス像をあぶり出そうとしたのです。
しかし残念ながら、福音書で書かれた色々な事象は、様々な伝承資料から
なる、初期の(つまり紀元1世紀の)キリスト教信者の信仰告白であると結
論付けました。
すなわち原始教会(それはおよそ紀元100年未満の教会ですが)の場、これを『生活の座』と
いう言葉で定義するのですが、まさしく土着的な小家族的集団の、まさにその場で行われた
キリスト礼拝と宣教の祭儀(ミサ)が、聖書の中の逸話になったとするのです。したがって
イエスご自身は、歴史的観点からすると、キリストとは呼べないと結論付けました。
突然、『キリスト』という言葉を持ち出してしまいましたが、これは『メシア』と同じ意味で
救世主ということです。すなわちイエス・キリストというのは名前ではなく、イエスはキリス
トである、という意味です。イエスはメシアである…と同じ意味です。だからキリスト・イエ
スと言ってもいいのです。このような呼び方も新約聖書に出て来ます。まあ、こんなことは日
本でも常識ですよね。
で、福音書の主題というのは宣教にあると結論付けました。宣教をケリュグマと言います。こ
れが福音書のキモ、というか最も重要な目的だと言います。確かにある意味でこれは正しいと
言えますし、私もここまで『人間として』のイエスを書き、ケリュグマ的部分はなるべく表面
に出さないように書いて来ました。
では、そんな人間イエスがどうしてキリストになったのか。これは使徒言行録という物語しか
聖書の中で提示されていません。これはルカの福音書の作者が、福音書の続編として書いた、
使徒や弟子たちの涙ぐましい物語です。それといわゆる書簡類…要するに手紙ですね、これか
ら類推するしかありません。手紙というのは、生身の人間が生身の相手に出したものですから、
イエスの奇跡物語とは違って、ひときわ説得力があります。
ところでルカによるとイエスの最後の言葉はこうです。『父よ、私の霊をみ手にゆだねます』。
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
しかし、こののち復活し40日間にわたって弟子たちに現れたのち、父なる神のみ手によって天
に上げられたのです。その最後のご命令は『エルサレムを離れず、(以前私が話した)父の約
束されたものを待ちなさい』…というものです。
しかし私はヨハネの福音書に従って、弟子たちはいったんガリラヤに帰ったと思うのです。そ
れは、あまりに生々しい先生の死の場所であったエルサレムから、弟子たちはいっときでも早
く離れたかったであろうと思うからです。結局は師を裏切ることになった彼らにとって、その
地は忌まわしい、屈辱的な地だったと…私は思うのです。それに40という数字、これは12とい
う数字と共に彼らにとって聖なる数字なのです。時刻が12時まであるのも、月が12月まである
のも、それが聖なる数字だからです。
(つづく)
今日9月10日は、日本205殉教者の記念日です。彼らは安土桃山時代から
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
江戸時代にかけて、キリシタン弾圧政策により命を落としました。彼ら
は名前の判明している者たちですが、おそらくもっと無名の多くの信者
が殉教したに違いありません。私たちは彼らの犠牲の上にあることを、
常に心にとめておく必要があるでしょう。
ここで>>110 まで戻って、イエスが家出した頃の彼と母マリアを
想像してみましょう。たぶん毎晩、言い争いがあったに違いありません。
『母さん。イザヤ書に、呼ばわる者の声がする、荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神
のために、大路をまっすぐにせよ…とあるのを知っているだろう。最近、この主のしもべが荒野
に現れたんだそうだ。私もその者の声を聞きに行きたい』。
『まあ、何を言うんだい、この子は。もうお嫁さんを貰ってもいい年頃なのに、そんな夢を追う
のは止めておくれよ』。
『母さん。もうこの世の終わりは近いんだよ。荒野に呼ばわる者が現れたんだから、もうすぐこ
の世は終わるんだよ』。
『まあまあ、家はお前が大工でもらう賃金だけで、食べて行くのがやっとなのに、この世が終わ
ろうが、どうなろうが、私たちには関係ないじゃないか』。
『母さん。この世にはわが家より貧しい者がたくさんいる。悪霊に憑りつかれた人々もたくさん
いる。子供を失って泣いている母親もたくさんいる。私はこの世の終わりが来る日まで、そんな
人々の慰めになりたいんだ。このまま大工を続けるなんて、虚しいことだと思うんだ』。
『まあ。あなたのお父さんのヨセフも立派な大工でした。あなたも立派な大工になっておくれ。
それが母親として、私の一番の願いなの』。
しかしある日の朝、泣いて引き止めるマリアを振り払うように、小さな荷物だけを肩に、イエス
はナザレの町を後にしたのでした。
(つづく)
マリアは途方にくれました。『貯金もあまりないと言うのに、私は
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
これからどうして生きて行けばいいのでしょう』。そんな彼女を憐
れんだイエスの従兄弟たちが、イエス家出の後、マリアの面倒をみて
くれなければ、マリアはどうなっていたでしょう。イエスにはヤコブ、
ヨセフ、シモン、ユダという4人の従兄弟と2人の従姉妹がいました。
そして1年ちょっとたったある日、イエスは突然帰って来たのです。それはある日の午後でした。お
金を全部使い果たした放蕩息子が、恥を忍んで親の元に戻ってきたように…うなだれて。憔悴して。
服もぼろぼろで浮浪者のようでした。しかしマリアは、そんなイエスが遠くに見えた時、すぐに我が
子だと気づき、走って行ってイエスを抱きしめ接吻しました。
『母さん。洗礼者ヨハネという先生の弟子になったのですが、結局、脱落してしまいました。先生
は神は怒っていると言うのです。貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は、神の罰を受けていると言う
のです。私はどうしても先生について行けませんでした。私は貧しい者、悪霊に憑りつかれた者は
誰かが救ってあげなければならないと思うのです。神は怒っているのではなく、人々を愛したくて
しかたがないように、私には思えるのです。そんな神の願いに応えてあげるにはどうすればいいで
しょう』。
『まあまあ。もうそんな話はよしておくれよ。あなたが留守にしている間、あなたの従兄弟のヤコブ
たちが私の世話をしてくれたのよ。神の願いなんかに応えなくてもいいから、ヤコブたちの恩に応え
ておくれ、ヤコブたちを愛しておくれ』。
マリアの元に帰って来たイエスは、また大工の仕事を始めました。しかし少しだけ彼女を心配させた
ことがあります。それはマリアの親戚の家がカナという村にあったのですが、その家で結婚式が行わ
れた時のことです。その結婚式に、マリアたちも招待されたのですが、イエスが、友人だという男女
を何人か連れて来たことです。彼らは息子を『先生』と呼んで慕っているようでした。
それがマリアを不安にさせました。息子はいつから、これらの人々に先生と言われるようになったの
でしょう。私の息子は何をしていたのでしょう。
(つづく)
はたせるかな、その年の秋の頃から、イエスはそわそわし出したのです。
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
マリアが眠っているうちに、彼は家をそっと抜け出し、1週間も10日も
帰って来ないのです。そして帰ってくる時は、決まってうなだれて、憔
悴しきって帰って来るのです。そして家に帰っても仕事をするでもなく、
ひたすら部屋に閉じこもり祈っているようでした。そしてある日、マリ
アが目覚めると息子はいなくなっている。そんな繰り返しの日々が続き
ました。イエスはまるで『ふうてんの寅さん』のようでした。
そのような放浪癖のあるイエスを、母親のマリアはとても心配しました。
そんな晩秋のある安息日(サバト)、久しぶりにナザレに帰って来たイエスを連れて、マリアはヤコ
ブら従兄弟と共にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)に礼拝に行きました。すると息子がいきなり立ち上
がって人々に呼びかけたのです。
『主の霊が私におられる。貧しい人に福音を知らせるために、主が私に油をそそがれたからである。
主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、 圧迫
されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである……この聖書の言葉は、今日あなたがた
が耳にした時、実現した』。
人々は一斉にイエスとマリアの方を注目しました。『大工ヨセフの子のくせに何を偉そうに言うのか』。
『お前はメシア(油をそそがれた者)を気取るのか』。
『それはあなた方が言っていることだ』。高飛車な息子の言葉にマリアやヤコブは、はらはらしました。
『じゃあ、メシアだったら何か奇跡をやって見せろ。預言者なんだろう…大工の息子よ』。
『あなたたちは私を歓迎しない。預言者という者は故郷では歓迎されないと聖書にも書いてあるからで
ある。私はあなたがたに奇跡を見せることは出来ない。あなたがたは清く無いからである』。
この言葉に怒った人々は、イエスをシナゴーグから引きずり出し、ナザレの町外れにある崖から突き落
とそうとしましました。この時、マリアやヤコブらが泣いて土下座しなかったら、人々は本当にイエス
を崖から落としていたでしょう。
(つづく)
こんな、誰も読んでいないような場末の掲示板の
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
さらに路地裏めいた、閑散とした思想板で。
なんのリアクションも無いのに
長文を書き続けられる、根気強さに心を打たれます。
これが信仰の力と言うものでしょうか。
>>212
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
過疎ってるから書き込み放題w
それからというもの、親子はイエスを先生と慕う者の紹介で、カファルナウム
というガリラヤ湖畔の村に引っ越しました。イエスを心配する従兄弟のヤコブ
とヨハネは一緒に付いて来ましたが、他の従兄弟たちは知らぬふりでした。
イエスの放浪癖は止まりませんでしたが、母マリアをとても驚かせたことがあ
ります。それはイエスが旅立つ朝、大勢の男女が息子を迎えに来たことです。
彼らは息子の弟子だというのです。もっと彼女を驚かせたことは、この弟子たち
の中に、彼女の嫌う元徴税人や娼婦が、更には熱心党の者がいるということでした。
熱心党、それは革命家グループで、ローマ帝国から独立を勝ち取ろうと常に不穏な動きをしているので
す。マリアが幼いころ、熱心党の何人かがガリラヤで、ローマ帝国への一揆を起こしたことがありまし
たが、すぐにローマ軍に鎮圧されました。しかし彼らは懲りもせず、まだどこかに武器を集めていると
いう噂です。こんなことがファリサイ派のラビに知られたら、と思うと気が気ではありませんでした。
イエスは仕事をしないばかりか、朝暗いうちから家を出て行き、数週間も家を空けることが度々でした。
イエスはガリラヤ湖のほとりの村々を訪ね、人々が集まってくると草原に腰を下ろし説教を始めるらし
いのです。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。休ませてあげよう…。あなたを』。
『幸いなるかな、泣く人。かれらはなぐさめを得るであろう』。
ガリラヤ湖を渡って来るすがすがしい風のように、それは貧しいガリラヤ湖畔の村々の人々にとって、
染み入るような説教でした。弟子たちはそんな息子をとても自慢にしているようでした。
(つづく)
今日9月13日は、カトリックでは聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士の
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
記念日です。
この聖人は、350年頃にアンティオキアで生まれました。当時、アンティオ
キアは東方(ギリシア語圏)の教会の中でアレキサンドリアと並ぶ中心的
な都市でした。その中で、ヨハネは厳しい隠遁生活に惹かれていったよう
です。数年間、アンティオキア郊外で隠遁生活を送りました。しかし、その
後、彼はアンティオキアに戻り、381年に助祭に、386年に司祭に叙階されま
した。ヨハネは、すぐにそのすばらしい説教によって、広く知られるように
なりました。6世紀頃にさかのぼるとされるヨハネの呼称「クリゾストモ」
(ギリシア語で「金の口」という意味)が、そのことをよく表しています。
しかし彼は体制側に反発したため、民衆の支持は得たのですが、権力者から弾圧されました。
彼は司祭の座を追放され、失意のうちに客死しました。しかし彼の死後、その功績が讃えられ
るほどになり、聖人として列聖されました。
しかしヤコブらには、そんな従兄弟のイエスが『気が変になっている』
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
としか見えなかったのです。彼らはイエスを捕えて、まっとうな仕事に
つけようとしたこともありましたが、徒労に終わりました(マルコ3-21)。
人々の噂によると、イエスは悪霊に憑りつかれて高熱を出している人の手
を握り、徹夜で看病しているとのことでした。イエスが汗に汚れた病人の
体を拭いてやっていると、不思議なことに、翌朝には病人がすっかり快方
に向かっていることもありました。そんな時、人々は『奇跡だ』と言って
イエスを褒め称えました。
もちろん、イエスが懸命に看病しても、亡くなっていく者もありました。悪霊に憑りつかれた子供をイ
エスは抱きしめて神に祈りましたが、にもかかわらず呼吸が止まり、冷たくなっていく子供。そんな時、
イエスは苦悩の表情を見せました。人々はそんな彼を無能な預言者だと罵りました。石を投げつけられ
たこともあります。人々の期待に応えられなかった時、イエスは憔悴しきった顔で母マリアの家に戻り、
神に祈るのでした。
『天におられる私たちの父よ。み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われる
とおり、地にも行われますように…』。
『悪事千里を走る』『Bad news travels fast.(悪い噂は早く伝わる)』という諺どおり、奇跡よりも、
イエスが病人を治せなかった、とか、盲人の目に手を当てて祈ったが目が開くことは無かった、という
噂がガリラヤの村々に広まりだしました。エルサレムの体制派の人々が、預言者を警戒して放ったスパ
イたちがそんな噂を広めたのかも知れません。
イエスは嘆きました。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう』(マルコ8-12)。
(つづき)
ふたりともきえちゃったな
消えてないよ。名無しに戻った。
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
ところで、灰の水曜日、教会に行った?
私はイグナチオ教会に行きました、しっかり。
ただし断食は怠ったw 魚と肉を食ってしまった、油もたっぷりねww
でも、キリスト教じゃ、罰は当たらないんだ、いいだろ?
カトリックでは、これから復活祭まで特別の日々なんだ。
詳しくは、灰の水曜日でググれ!!
カトリックの場合、断食と言っても少しは食べていいんだ。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
例えば、肉、魚のような動物製の物を食べていけない日でも、
蛸やイカは食べていいという変な規則。
だから、油はいけない、肉はいけないという日は、イカ塩辛とタコ酢でウマー。
これでいいのだろうか。
人は全て神の息子、娘なので、全人類はいわば「兄弟」なのだ。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
少なくともキリスト教徒は「兄弟」だ。
聖パウロも聖書の中で度々「兄弟たちよ」と呼びかけている。
人類愛という言葉があるが、これはキリスト教由来の概念だろう。
キリスト教的には「兄弟愛」ということだ。
ここでちょっと情報を付け加えると、新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。
聖パウロもギリシア語で手紙を書いた。聖書の作家はみんな(おそらく)ユダヤ人だが、
ヘブライ語では文書を書いていない。もっとも当時ヘブライ語なんぞは無かっただろう。
当時のイスラエルではアラム語というシリア系の言葉が話されていた。
イエス・キリストもアラム語を話したことだろう。
ところがキリスト教はイスラエルではなく、ギリシア語圏に暮らすユダヤ人、つまり祖国を
飛び出た「離散ユダヤ人」の間に広まった。だからそれらの人々が書いた聖書の中の全文書が
ギリシア語になったわけだ。
ここで前の「兄弟愛」に戻ると、これはギリシア語の聖書では「フィラデルフィア」という語で
表現されている。そう、アメリカのフィラデルフィアという都市は、まさに兄弟愛、人類愛を
街の名前に選んだわけだ。
キリスト教由来のアメリカの都市名はサン・フランシスコだけではない。
引き続き、4月のカトリック暦一覧・・・
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
6日(日) 四旬節第5主日
11日(金) 十字架の道行き
13日(日) 受難の主日(枝の主日 聖週間) ・・・この日にイエスがエルサレムへ入城した。
17日(木) 聖木曜日(主の晩餐の夕べ)・・・この夜にイエスが最後の晩餐をした。
18日(金) 聖金曜日(主の受難)・・・この日の昼にイエスが十字架に付けられ死す。
カトリック教徒は聖金曜日は盛大に断食をしなければならない。
19日(土) 聖土曜日(復活の聖徹夜祭)・・・キリスト復活前夜祭。
20日(日) 復活の主日(復活祭・イースター)・・・イエス・キリスト死者から復活!!
復活祭はキリスト教にとってクリスマス以上に重要な日なのだが、日本の商業主義に乗らない
ためか、あまり日本では話題にならぬのが残念だ。有名なところはイースター卵くらいだから。
しかし多くの人は復活祭か聖土曜日に洗礼を受けるのが習わしになっている。
ただしクリスマスに洗礼を受ける人もいるにはいる。
わたしを知らないのは、本質的なことを知らないのである。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
すべてはわたしのために創られ、わたしなしに創られたものは一つもない。
わたしは世の光であり、わたしに従う者は闇の中を歩まない。
あなたは魂の花びらを一枚一枚はぎとって、
ついには、あなたの手のひらには、
裸になった色も形も香りもない哀れな茎が残った。
わたしはあなたの存在のアルファでありオメガである。
あなたの存在の封印はわたしの手中にあり、
わたしなしには空(から)となり意味もなく陽の光に消える露となる。
あなたの孤独を満たすことができるのはわたしである。
あなたが逃げて行った時も、あなたを愛したのはわたしである。
そして、この世界の何よりもあなたを愛している。
なぜなら、友のために生命を捨てるわたし以上に、
あなたを愛する者は誰もいないからである。
わたしはこの世の終わりまでも、日々あなたと共にいる。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
私の心はあなたを求め、神のいのちをあこがるれる。
わたしが行ってみ前に至り、み顔を仰げる日はいつか。
わたしは日夜、神を問われて、明け暮れ、涙を食物とする。
谷川の水を求めて、
あえぎさ迷う鹿のように、
神よわたしはあなたを慕う。
[YouTubeで再生]
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
聖歌657番 いつくしみ深き 森山良子版
(小学校で習ったきらめく銀河の元歌だからみんな知ってるよ)
いつくしみ深き友なるイエスは
罪、とが、うれいを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは降ろさぬ、負える重荷を
アーメン
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世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
世界的ヒットになったカトリック聖歌・・・ペスカドール・デ・オンブレス
(Pescador de Hombres)。スペイン在住のカトリック司祭が作って、今や
スペインでは色んなCDが出て、ロック版まである。もちろん世界中の
カトリック教会に伝わって各国語になって教会で歌われている。
プロテスタントが勝手に翻訳して色んな日本語版があるらしいが、以下がカトリック「正式版」。
主は水辺に立ちて、わたしに声をかけた
ただついて来て欲しいと。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの舟に、剣も富も無く
ただ網と仕事だけ。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主よ、わたしの心、この手と熱い力
ひとのためささげよう。
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
主はほかの海にも、仲間を求められる
愛の神、とわの友、
主よ!!、わたしを見つめ、微笑み、わが名を呼ぶ
水辺に小舟を捨てて、共に海に出よう。
「主よ!!」 はスペイン語では「セニョール!!」なんだね。
英語では「ロード」なんだけどね。
以下は前半は英語版
http://www.youtube.com/watch?v=41rSYIhjGO...
ペスカドール・デ・オンブレスは初代ローマ法王になったぺトロ目線の曲なんだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
曲の中で「わたし」とはぺトロのこと。
ぺトロの元の職業は漁師。
主イエスはぺトロが漁をしていた湖の岸辺に立って、
ぺトロに「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にしよう」と呼び掛けた場面が
聖書の中で印象的。その場面を歌にした。
ペスカドール・デ・オンブレスとは日本語に訳すと人を捕る漁師。
なんとなく昔の漁師というとなにか貧しい印象があるが、
実際は大金持ちとは言えないまでも、舟や漁の道具などを所有していたのだから、
当時としては資産家。
その時、一緒に弟子になった者の中には、舟を数隻持っていて、人も雇っていた
資産家もいた。そんな彼らがなにもかも捨ててイエスに従った。
キリスト教は人生のしがらみを、なんの躊躇も無く棄てることから始まる、という教えだ。
だからカトリックの神父が属す修道会は、どこも入る資格を、私有財産をまず棄てること
とする。
実生活でも神父や修道師は小遣いすらも持っていない。
なにしろキリスト教入門講座を開いている神父もいるわけだが、
そんな神父にも教会の施設を無料では貸さない。資料を作る費用も出さない。
修道院の人たちは本当にお金をもらえないのだ。
ちょっと考えると講座を開くのは、信者獲得に好都合なようだが、
カトリックは積極的に信者獲得はしないのだ。
だからそんな入門講座も信者のボランティアで運営される。
誰も信者になる時、つまり洗礼を受ける時、一円もお金を取られることはない。
信者をやって行くのだって、一円も教会に入れなくても、
督促状が届くことはない。
そこが事あるごとに金銭を要求されるプロテスタントとの違いだ。
聖書の中で一番古いマルコの福音書を書いたマルコも、金持ちのぼんぼんだったらしい。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
(聖書の中で一番古い文書はパウロの書簡だ)。
彼はぺトロの弟子として(つまりイエスのまた弟子として)、おそらくずっとイエスの共を
した。最後の晩餐の後、イエスが逮捕された時、
彼も衣を掴まれたが、それを脱ぎ捨て裸で逃げた。
最後の晩餐が出たが、この最後の晩餐はマルコの家の二階で行われたという説が有力だ。
彼の家は母子家庭だったが、エルサレムの街中の大きな住宅に住んでいたのだ。
だからたぶん彼はぼんぼんだと思ったのだ。
マルコは初代教会が出来る際も活躍をした。
あの有名なパウロの宣教旅行の共もしている。
でも生来がわがままなぼんぼんだから、途中で帰ると言い出した。
それでやはりもう一人の同行者バルナバ(彼も初代教会の立役者だ)とパウロいての仲が
気まずくなったりした。
と、かなり面白そうな人物だが、やはり彼の功績は福音書というイエスの行動録を残した
ことだろう。マルコの福音書を元に、その後、マタイとルカの福音書が書かれた。
もっとも、マルコ福音書はマルコ自身が書いたものではないという説もある。
でもその場合でもストーリーを語ったのはマルコに間違いない。
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