直観に反することが科学であるという風潮がある
経済学ではマンデヴィルの蜂の寓話以来のカラクリ、つまり、アダム・スミスが継承した「私悪は善」(神の見えざる手)というやつだ
だが、これはもっと大きなレベルの悪に気づけない社会科学の限界をしか意味してはいない
なるほど、経済学は個々人の負担を軽減し、「何が本当の善であるか問題」に悩まずとも、善を実現してくれる市場の優れたメカニズムを肯定した
限られた資源の効率的配分による厚生促進、技術革新、一定の効果を発揮した
しかるに、やがてわれわれの行く手に待ち構えているのは、他ならぬ市場ゆえにこそ人類が公共善を実現できず、災厄を自ら引き込む市場の不可能性問題だ
遺伝子が体を想像するのと同じレベルの不可知論が、ふたたび分厚く頭上を覆う
そもそも構成ユニットは、その属するシステムの全体像を把握することができない
群盲は常に像をなでるしかない
いかなる観測機器、観測システムが開発されても、これは無理なのだ
ビッグデータなど屁の引張にもならない
科学が20世紀になって3つの不可能性問題に直面したことはつとに知られている
まだ数学的にはっきりとした姿を現していないのが「市場の不可能性」だろう
ミルの定常化問題どころの騒ぎではない、この不可能性を詳らかに知る前に、現実では社会が崩壊するはずである
御愁傷様
返信する