善とは何か


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001 2014/06/22(日) 11:12:41 ID:6phjEPE9CI
「善」は心が求めるものであり、これを満たすと充足感や満足感が得られます。

一方、食欲や物欲などの欲を満たすと同じく充足感や満足感が得られますが、
これは肉体が求めているものであり、「悪」を行うとより効率よく手にいれることができます。

しかし、「悪」を行ってすべてを手にいれても幸福にはなりません。幸福を感じる場所である
心が求めていることと正反対の行いをしているからです。

生物の最大の使命は「生きる残ること」であるので本能的に自然と欲を強く求め、その結果
「悪」がはびこるのは自然の摂理かもしれません。

ただ、あまりに「悪」がはびこってしまうとその先には破滅が待っているので、自分を犠牲に
しても、なんとかしなければという「善」の気持ちが人々に自然と湧き上がり行動を起こします。

「善」は自ら死に近づく行為であり、「悪」は自分だけは死を避けようと本能のみに従った結果では
ないでしょうか。

「善」も「悪」も種が「生きる残る」ための自然のプログラムに過ぎませんが、幸福になるためには
「善」をできるだけ行う心掛けを持つしかない気がします。

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002 2014/06/22(日) 12:47:16 ID:u0zoDfgjUo:au
>>1
特に間違ってはいないよ。

ただ、何が何でも自分が生き残ろうとする本能は「動物的本能」であって、
高度な文明を築き上げる能力のある人間までもがそのような本能ばかりに
従っていれば、自分たち自身の文明的破壊力による自滅すらをも招きかねない。

だから、人間は動物的本能以上にも、
人間にこそ特有の「人間的本能」に従わねばならない。
それがあなたの言う「善を求める心」、すなわち善性であるわけだ。

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003 2014/06/27(金) 17:46:32 ID:QXlhDNXAeU

徳をつみませう

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004 2014/08/06(水) 20:14:19 ID:IxPkeBeMP.
善とは人間にとっての処世術
社会の中で上手く生きる(善く生きる)ための戦術である

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005 2014/08/07(木) 13:25:13 ID:YFNWHIS/B2:au
>>4
それが、プラトニズム等を源流とする西洋的善悪観。

そこから個人の福徳増進を目的とした自由主義や民主主義、
資本主義などのイデオロギーが派生して実践されて来たが、世界規模で見れば、
富の不均衡等を原因とした経済破綻やその他の破滅的社会問題の元凶となってしまった。

個人の福徳以上にも万人の福徳を重んずる仁義こそは善であるとするのが
東洋的善悪観だが、こちらは「全体主義」などという名目で今は貶められることが多い。

しかし、そのような善悪観に基づく仁義道徳の実践こそは、中国や武家時代の日本のような
個人のエゴがぶつかり合う辛辣な世の中にすら数百年規模の平和をもたらして来た。

社会的な優良さで言えば、後者の東洋的善悪観のほうが前者の西洋的善悪観よりも
優れていると言えるが、元より個人こそを第一とする西洋的価値観に即するなら、
社会的観点から両者の優劣を鑑みること自体が「どうでもいいこと」と片付けられもする。

個人の幸福追求こそを善とする西洋的善悪観を推し進める余り、
社会的な福利厚生を疎かにし過ぎて、挙げ句に人類滅亡級の破滅的事態を招いて、
個々人の福徳すら共に壊滅せざるを得なくなった時にこそ、
東洋的善悪観と西洋的善悪観の雌雄も決するのである。

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006 2014/10/11(土) 12:21:15 ID:MtZoES4mhI
西洋の道徳は開いた道徳。
東洋の道徳は閉じた道徳。
開いた道徳は大らかで清々しい。
閉じた道徳は堅苦しく息苦しい。

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007 2014/10/12(日) 18:33:10 ID:O1uJZ0d3AU
公共的にプラスであることが善
この公共が村社会の刻印を強くとどめているのが日本
一神教を経て抽象化され、一巡りして個人の思想信条、ポリシーが突出しつつ、
より具体的な公共概念に回帰しようと図っているのが西洋

いずれにせよ、社会性動物にとっては公的なものが善で、私的なものは悪
何をもって「公」とするかは、中にいる成員には定かではないものだ
遺伝子に、何がお前の体かと問うても、知らず、個体の境界が遺伝子の体でもない

何が「公」なのか?
そんな問いで雁字搦めになるくらいであるなら、心の命ずるものが善であると、率直に従って、
行動がしやすいほうが良い

また、積み重ねた生物の歴史は、それを可能にしてくれてもいる
目の前の作業の逐次処理で、芋虫は変態し、さなぎになり、蝶になる
こころのままに、西洋的に表現すれば、超自我の監視のままに・・・

善の中身を問うても仕方がない
イスラム国が善なのか、ユダヤキリスト教勢力(アメリカ、イスラエル)が善なのか
善悪で事は決するものではない
いずれの公がいずれの公を呑み込むかだ

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009 2014/10/12(日) 20:25:22 ID:O1uJZ0d3AU
直観に反することが科学であるという風潮がある
経済学ではマンデヴィルの蜂の寓話以来のカラクリ、つまり、アダム・スミスが継承した「私悪は善」(神の見えざる手)というやつだ

だが、これはもっと大きなレベルの悪に気づけない社会科学の限界をしか意味してはいない
なるほど、経済学は個々人の負担を軽減し、「何が本当の善であるか問題」に悩まずとも、善を実現してくれる市場の優れたメカニズムを肯定した
限られた資源の効率的配分による厚生促進、技術革新、一定の効果を発揮した
しかるに、やがてわれわれの行く手に待ち構えているのは、他ならぬ市場ゆえにこそ人類が公共善を実現できず、災厄を自ら引き込む市場の不可能性問題だ
遺伝子が体を想像するのと同じレベルの不可知論が、ふたたび分厚く頭上を覆う
そもそも構成ユニットは、その属するシステムの全体像を把握することができない
群盲は常に像をなでるしかない
いかなる観測機器、観測システムが開発されても、これは無理なのだ
ビッグデータなど屁の引張にもならない

科学が20世紀になって3つの不可能性問題に直面したことはつとに知られている

まだ数学的にはっきりとした姿を現していないのが「市場の不可能性」だろう
ミルの定常化問題どころの騒ぎではない、この不可能性を詳らかに知る前に、現実では社会が崩壊するはずである

御愁傷様

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010 2015/01/02(金) 17:23:31 ID:HdxfKb4XpM
スレ画の「諸悪莫作、衆善奉行…(自浄其意、是諸仏教)」
こりゃ七仏通誡から人生の最善を模索せよとのお題でないの。
しかしこの一休宗純の墨迹はありとあらゆる処にあるな。
寺の門柱とか私の心胆とか…或いはここ明和水産であるw
ポップなんだろうな、それ程迄に。
>>9
わたしゃ群盲の一人なのだけれど、撫でるのは「象」な。
突っ込みつつも貴君の言には賛同するところ大であるよ。
もしやあの朗読会参加者かな。

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011 2015/01/04(日) 17:18:05 ID:cdW9deQoXU
マット・リドリーは、下記のプレゼンテーションで、
グローバリゼーションとインターネットの現代とその行方を極めて肯定的に評価している
http://digitalcast.jp/v/12243...
全体が不可視でもミクロレベルで絶えることなく創造ができるのが
「交換=専門分化=アイデアのセックス」のからくり
自給自足は貧乏、交換は豊かさ
交換ゆえに人類は集合的な脳を獲得した・・・

アダム・スミス以来の分業の妙味を再認識しようではないかというわけだ
集合的な脳は、全体を認識、把握できる脳ではない
群盲状態からは解放しようというわけではない
そうではなくて、逆にそんなものを知らなくても手元だけの専門家、ポジションを得て
隣接するユニットの信号への反応だけで、十分立派な機能が発現できるというわけである
つまり、個々人の精神や能力をはるかに超える高みに

ちょうど私たちの(やわらかな?)遺伝子や体細胞がそうしているように

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012 2015/01/04(日) 17:42:12 ID:cdW9deQoXU
市場の不可能性の数式は、ピケティの公式「r > g」すなわち「資本収益率>経済成長」なのだろうか?

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013 2015/01/10(土) 06:30:42 ID:li4mcYN0bo

 善は、自分を満たすものではなく、他人を満たすもの (*´ω`*)

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014 2015/02/12(木) 20:08:44 ID:gpHdfnM88E
いいや、自他を最大級に満たすものじゃ。

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015 2015/02/17(火) 22:52:17 ID:BZxXTqlhrY
手伝う⇔手伝ってもらう
助ける⇔助けられる
教える⇔教えてもらう
贈る⇔貰う
サービスをする⇔サービスをされる
応援する⇔応援される
褒める⇔褒められる





善 = ギブ&テイク

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016 2015/02/17(火) 23:08:18 ID:88W6Jk86a6
交換が善である
社会とは交換システムの別名でる
交換によって社会は動くのであり、
社会は理解すべきものではなく、
動かすものだとわかるのだ

正義も、公正、厚生も、技術革新も、開発も、平等も、便益も、感謝や満足、思いやりも、道徳や礼儀、知識や経験も、セイフティネットも冒険も、野心も競争も保険も・・・
交換に含まれる

しかるに、善は系の内部の内輪の話題だ
膳によって滅びることは日常茶飯事と知るべし

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017 2016/02/12(金) 03:12:47 ID:QkdSXetZto
善は法定速度の安全運転、悪はそれを無視した危険運転。
目的地に早く到着するのは悪。だけどのその道のりは非常に乱雑。
善は悪が辿ったその先の後悔をも見越して、同じ過ちを繰り返さぬよう道中も丁寧に走る。
つまり聡明で優秀な存在。人間として完成された存在が善。
善行だけで生きていけない人や国はまだ苦労が足りず、周囲の足を引っ張ったり迷惑かけたりばかりしている未熟な青二才。

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