「私は自分の信じているものが完全に間違っていてもそれを信じます」 
 >って書いてるけど、特定の宗教を盲信してる人達などは 
 >そもそも、自分たちの信仰が「間違っていても」なんて言わないでしょう。 
 それに対する答えは
>>8ですでに書いている。完全誤謬信仰の肝要は、 
 「私は自分の信じているものが完全に間違っていてもそれを信じます」 
 という程もの勢いで、信者が対象を狂信することであるとも
>>11に書いている。      
 「閉鎖的で利殖を志す」ということであれば、ユダヤに限らずとも、 
 日蓮宗の一派などでも該当する。「卑猥な性奥義がある」ということでも、 
 グノーシズムなどに限らず、真言宗の一派などについてもあてはまる。   
 聖書教か仏教かなどに依らず、上記のような定義に基づいて邪教と見なせる宗派は 
 存在するので、聖書教を邪教と見なし、仏教を邪教ではないと見なす根拠にはならない。   
 しかし、今の世で聖書教こそは人類を滅亡へと陥れるほどもの災禍を招いている一方、 
 仏教は比較的活動を自粛して、総体的には世の中にかける迷惑を最小限にも控えている。   
 総体として、聖書教が人類を滅亡に陥れる邪教であり、仏教がそのような性向を 
 持たない善教であることが実証されているわけだが、では、聖書教全般を邪教と見なし、 
 仏教全般を邪教ではないと見なす根拠となる、邪教の「純粋な定義」は何だろうか。   
 それこそは、「完全誤謬信仰を内包している」という定義である。 
 聖書教は正統か異端か、多数派か少数派かなどに関わらず、必ず完全誤謬信仰を 
 帯びているのに対し、仏教で正統とされている宗派、多数派である教派などは必ず 
 完全誤謬信仰を排している。一部の少数派や異端派などに、完全誤謬信仰めいている 
 信仰までもが必ずしもなくはないが、あくまで少数の異端派止まりであるため、仏教 
 という信教が総体として、聖書教のような人類破滅の元凶となったりすることはない。   
 「完全誤謬信仰を内包している」という定義に基づく邪教こそは、確かに 
 人類滅亡の温床にすらなる。だからこそ「邪教」の定義としても最勝なのである。
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