仏典総合スレ


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076 2012/03/29(木) 18:28:08 ID:kuY9HmlI9I
「華厳経」十無尽蔵品第二十二(八十巻中二十二巻目)読了。

いわゆる「無為の法」とされるもののうちに「数縁滅」「非数縁滅」というものが含まれるという。
それぞれ「pratisarilkhyanirodha」「Apratisamkhyanirodha」の訳で、「択滅」「非択滅」とも訳される。
むしろ「択滅」「非択滅」のほうが訳語としては有名で、自分もこちらの訳語だけを知っていたが、「数縁滅」「非数縁滅」
という訳語のほうが、数にひどく囚われている現代人にはかえって意味を察しやすいのではないかと思う。

数縁滅には、善でも悪でもない知恵にまつわる法、数理や物理や形而上学やその他の概念論が含まれ得る。
といっても知恵の法が必ずしも数縁滅なのではなく、知恵を勧善懲悪や断悪修善に利用する方法が数縁滅になる。
一方で、非数縁滅はもはや知恵の法ではない。善因楽果悪因苦果の罪福異熟が、本性清浄の理に根ざして、
概念的、数的な智恵をも超えたところで結実する法則を非数縁滅としている。

非数縁滅を悟るところがあって初めて、諸々の概念的な知恵の法のうちの何が数縁滅で、何が数縁滅でないのかも分かる。

儒学を始めとする中国思想は、非数縁滅をあまり深くは探求しない。しかし、易学などを通じてその肝要を大まかに
計り知った上で、数縁滅に当たる法則を探求し、実践の対象ともした。ただ、非数縁滅の探求のほうが非常に簡易なままで
あり続けたから、数縁滅の探求もまた、政治思想などの限定された領域に止まることとなってしまった。

数縁滅に相当するものは、古来からの西洋哲学や西洋思想でも探求しようと試みられたことはある。しかし、非数縁滅に
関してはほとんど探究されたことすらなく、そのため数縁滅の探求もまた、間違いの羅列ばかりであり続けてきた。
そのため数縁滅と非数縁滅があいまうことで生ずる縁起もまた、善思善言善行の原動力になることもなかった。

非数縁滅、非択滅に関する探求は、大乗仏教全般の内では唯識思想が主に司っている。
それこそ、華厳や法華や中観などよりもずっと以前に、まず勉強すべき大乗仏教の基本中の基本であり、
より高度な修学に及ぶにあたっても、初心として忘るべからざるべきものとして扱われてきたものである。
(弘法大師も十住心論で、識見の高低を十住心のランク分けの基準に用いられてもいる)

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