「華厳経」世主妙厳品一の二(八十巻中二巻目)を読了。
さすが自力作善の聖道門の根本聖典なだけあって、如来を取り囲んでいた
数多の梵王や天王、天子らが、実際に衆生を救済し始める姿が描かれている。
他力の信者に対して「これこれこうしなさい、そしたら救ってあげよう」などと呼びかける、
浄土経などにも見られる記述形式ではなく、数多の天王が具体的に衆生を
どういう風に救っていくかということを、ごく能動的に述べている。
天台宗の五時教判では、「華厳経」にあるような悟りを拓いた釈尊が、布教による
衆生救済の菩薩行に臨む過程で、阿含経や般若経や方等経、そして法華経や涅槃経に
あるような教えを広めていったとする。中でも釈尊の円熟期の教えを述べたのが
法華経だから、法華こそは未熟な華厳の教えよりも上位にすらあると天台宗はしている。
しかし、その経典の成立年代からいって般若経→華厳経→法華経であり、般若経が
釈尊成道後の菩薩行に載せた言葉であるとするのは、些か不自然であるように思われる。
まず、般若経典にあるような中観修行があった上で、その後に華厳経典にあるような悟りが拓かれた。
釈尊の悟りを本気で再現しようとした数多の初期大乗仏教の沙門が、まずは般若思想に相当するような
一切皆空の修練に務めた。そしたら「真実不虚(般若心経)」という結論に至り、一斉に悟りを拓いた。
数多の大乗修行者が、釈尊に仮託した出家修行によって得た「真実不虚」の悟り、
その不虚なる真実をありのままに経典化したのが華厳経であり、さらにその文面を収斂したのが
法華経だったりする。(大乗の経典ではない阿含部の経典は、当然この内に入らない)
不虚なる真実のうちに、「愛す可し」もまたあるのであり、実際に世主妙厳品一の二でも、
「可愛」を頭に冠した数多の天王たちが、色々な手立てを尽くした衆生の救済にも臨んでいる。
上座部の出家者以上にも、自分たち自身で釈尊の悟りを再現するための柔軟な手管を尽くしていた、
大乗の修行者たちが導き出した結論として、原始仏典にはない「愛すべし」という教理もまたあった。
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