ニヒリズム


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001 2011/07/16(土) 05:43:57 ID:.WJ3xPNB0A
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism / 独: Nihilismus)とは、
この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
名称はラテン語の Nihil (無)に由来する。

ニヒリストは概して以下の論点を強く主張している。

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002 2011/07/16(土) 06:50:41 ID:4JhUfT/Kwk
しょせん、オナニー。妹の御パンツには萌えるくせに。
えらそーなこと言うな。

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003 2011/07/16(土) 06:56:49 ID:g7vCjvNL1Y
>>1
市川雷蔵の良さが分かるお前って・・・
でも先ずは能書きよりも日々の物事に感動しろよ!

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004 2011/07/16(土) 10:09:08 ID:b1LztUAnls
般若心経とか空とかって
なにもかも、ないって考えて否定していくから
虚無主義になるんじゃないっすか。

しかし、虚無主義って非生産的で
引きこもりの廃人みたいな考え方だから
やべーと思います。

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005 2011/07/16(土) 11:44:43 ID:CQnUmPi3Bk
おうよ
んで般若心経を知ったうえで
一瞬一瞬を大切に
一所懸命に生きる事を実践していけば
死の心配は必要ないわけで
生きる心配も必要ない
その延長で
死ぬ時も一所懸命に死ねば
生きることも死ぬことも一緒なわけだ

このへんが
般若心経と虚無主義とは違うところだべ

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006 2011/07/16(土) 13:18:28 ID:5P9KvFZXdc:DoCoMo
否定の重畳の先に万物への肯定的な観点をも得る般若思想と、
万物への否定的な観点に止まる西洋のニヒリズムとの違いは、
否定の透徹が己れの自我にまで行き届いているか否かという点にある。

般若思想:完全否定された己我で完全否定された万物を観る→万物に対する観点は肯定的となる
ニヒリズム:否定が不十分な己我で完全否定された万物を観る→万物への観点が否定的となる

己我を含む万有への否定が完全だから、
般若菩薩は「観自在(何もかもを肯定的にも否定的にも観られる)」なのでもある。

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007 2011/07/16(土) 19:40:49 ID:PNxJIBX6is
>>4
空観の空は、無とは違う概念よ。

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008 2011/07/16(土) 22:50:54 ID:ivN9yWBD0k
>>7
ばーか

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009 2011/07/16(土) 23:12:36 ID:.gghJ6oMF.:au
万物は流転し、永遠に続くものなどない
この、レベル&パラメータMAXのゲームデータもまた然り

悟り開きしニート「だが、それでも…わたしはレベル上げをする」

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010 2011/07/16(土) 23:26:20 ID:ivN9yWBD0k



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011 2011/07/17(日) 02:01:23 ID:cqXAsexyyk
>>6
おうよ
うめえこと言いやがる

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012 2011/07/17(日) 14:59:14 ID:nImcC09tog
過去と現在を否定しても未来は否定しないのがニヒリズム。
未来まで否定するのはただの鬱病。

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013 2011/07/17(日) 15:11:28 ID:Ws5l4iGmxM
般若思想の実践者は、まず己の自我を極限まで否定し尽くしてから、
それによって得た「虚空の徳」を他者にまで振り向ける。
そのため否定されることに慣れ尽くしている自我が、
否定意識に押しつぶされて苦しみを呼び込んだりすることもない。

一方で、ニヒリズムの実践者は、己の自我を否定することは全く疎かなままに
他者ばかりを否定し尽くす。最後には自己肯定だけが残るが、他者への
否定意識が有り余って自分にまで及んだとき、否定されることに慣れて
いなかった自我は自壊して、鬱や発狂、自殺などに至ってしまったりする。

自己を否定してから次に他者へと及ぶか、
他者を否定してから次に自己へと及ぶかという違いが、
両者の精神的な健全性に決定的な相違を生じさせる。

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014 2011/07/18(月) 03:10:00 ID:iuXXcA/vAs
偽善を排除する作業を進めていくとニヒルなかんじになってくるよ。
そこには「無償の優しさ・思いやり」と「感謝」くらいしか残らないよ。
一杯の水に感謝するところに偽善はないよ。

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015 2011/07/18(月) 12:03:05 ID:M5DCSgdHHg
否定されている側としては、般若思想を会得している坊さんに否定されるのも、
ニーチェのような真性のニヒリストに否定されるのも大して変わりない
ように思われるかもしれないが、ことに否定している側にとっては、
自分自身の個我の否定が十分か否かという決定的な相違が備わっている。

弘法大師が真言密教の立場から他宗派や俗人を見下しているようなところにも、
何よりもまず自分自身に対する否定が行き届いている。だからまだ出家修行を
志したばかりの頃の処女作である「三教指帰」でも、自らをモデルにした仮名乞児が、
他のどの登場人物にも増してみすぼらしい風体の持ち主として描かれてもいる。

他者を見下せば見下すほどに、自分自身が大きくなったかのように感じるのは、
否定された他者と比べての相対的な自己の大きさが増していくからで、そもそも
最原初に自己への極限までの否定が行き届いていれば、他者の自我を否定して
小さくさせることが、自分並みの虚心坦懐さを他者に振り分けることになる。

正確にいえば、般若思想に基づいて他者を否定するものは、他者を"見下して"いるの
ではなく、十分に低い所から、高い所に有りすぎる他者の自我を引き摺り下ろしている。
そのため他者の否定が自己の思い上がりを生むことがなく、否定の意義が正当である
限りにおいて(不当であるときには見下している)、己れの精神の衛生を損なわない。

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016 2011/07/19(火) 22:29:10 ID:qKEcNxu8Wk
上下関係が気になってしょうがない奴。
自分を「偉い」と思いたい。
自惚れているのは勝手だ。
ひっそりと暮らせ。
くれぐれも他人のすることに容喙するな。
迷惑なだけだから。

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017 2011/07/19(火) 22:52:30 ID:2dCk4hqIOM
そのとおりでいられれば、ありがたいもんだがな。

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018 2011/07/20(水) 00:13:20 ID:M4oOivp8hU:au
若きゴータマはカピラ城から老病死苦を目にされ
「もういいや、とにかく自分自身だけでも救おう」
と決意し、国を出奔なさいました

これが仏教の始まりでした

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019 2011/07/20(水) 02:15:20 ID:RyBMkt9EXE
>>18
おうよ
防災の大原則に通じるものがあるな
自分が被災して怪我をしたら
誰も救うことは出来んから
まず自分が逃げんといかんわな
話はそれからだわい

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020 2011/07/20(水) 13:03:45 ID:yJRJ19lA2s
ステキな言い訳だことw

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021 2011/07/20(水) 17:57:30 ID:M4oOivp8hU:au
福祉関係で長年働いて定年を迎えたじいさんがこういった

「ええか? 若いもんは福祉ではたらくとき
みんなを助けるとか、みんなを幸せにとか言うが、それはちがうぞ。
まず、自分や。自分が幸せでなかったら他人を幸せになんかでけへん
自分が幸せを知らんかったら他人を幸せになんかでけへん。
まずお前が幸せになれ」

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022 2011/07/22(金) 04:14:24 ID:BPcpzK7aKI
>>13
もう少しわかり易く書いて頂けますか?

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023 2011/07/22(金) 10:54:56 ID:W5/6rNYcCg
>>18 >>19 >>21
剃頭の俗人に都合のいい理屈

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024 2011/07/22(金) 14:05:09 ID:Bk1AZPNtQQ
般若心経インチキ説はまだ出てきてないですね。

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025 2011/07/22(金) 15:43:48 ID:cJzaH38Nz6
>>23
人助けなんて余った力でやればいい
他人を助ける事に自己の幸福を見出すような人間は
自己の満足のために不幸な人間を積極的に作り出し
また在りもしない不幸をでっち上げて他人を煽動する
善意を持って近づく者を警戒せよ

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026 2011/07/22(金) 16:44:43 ID:t0eq7rXOrM
怠惰と無関心の言い訳に利用されて釈迦が草葉の陰で泣いてるぞw

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027 2011/07/22(金) 17:38:54 ID:OCitm6PB1g:au
俺、原始仏教徒だけど

仏教本来の目的は自分自身を救うこと
衆愚の救済は『ついで』だ

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028 2011/07/22(金) 18:36:48 ID:2iNNtYkZsQ
「まず自分が幸せになり、余った力で人助け」
欲ボケの奴が言ってるのじゃなければいいけどな。

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029 2011/07/22(金) 19:48:28 ID:OCitm6PB1g:au
>>28
福祉関係の給料は安い…

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030 2011/07/22(金) 20:07:37 ID:2iNNtYkZsQ
福祉施設事業に参入したがる企業は多い。

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031 2011/07/22(金) 22:45:47 ID:OCitm6PB1g:au
福祉事業に参入して
自分だけ幸せになって
倒産してにげた朝鮮人がいたな…

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032 2011/07/23(土) 05:54:26 ID:.o.vNbkRXE
ニヒリズムとエゴイズムは関係あるんですか?

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033 2011/07/23(土) 06:33:52 ID:tm7jXQAvww

 なに人なんて言いかたしてる奴は・・・ニヒルじゃないね。

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034 2011/07/23(土) 07:04:27 ID:P5.tOWKvuk
だれからも視線を受けない無人島へでも行って
社会的な接触を断てばニヒもエゴもない
いくらカッコつけて
難しい屁理屈を言ったところで
かまってちゃんにかわりがないよ

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035 2011/07/23(土) 10:22:12 ID:YB5mKQcCuQ
給料=自分の取り分を増やすことに熱心。限りなく上質の暮らしを追求。

「余った力で人助け」???
なかなか余りそうもないね。いついつまでも後回しだろうね。

悪徳業者を倒すのなら上等だが。

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036 2011/07/23(土) 15:46:33 ID:d/fwGVAeEo:au
>>33
コスモポリタンはただのルーピーさ〜…

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037 2011/07/24(日) 22:41:25 ID:kHU8uR1lnY
「どうせ俺は駄目だ。」と
自暴自棄になるのはニヒリズムかな?

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038 2011/07/24(日) 22:51:45 ID:Isq962j1Z.:DoCoMo
生が「有」であるとするのは虚妄だ。生こそは「無」だ。

死んで土に帰って、初めてまた普遍的な「有」になる。

自然こそは、普遍的な「有」だ。

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039 2011/07/25(月) 08:00:27 ID:pRugUxBRA2
[YouTubeで再生]
 クロノス(普通の時間) カイロス(神の時間)
       αであり、ωである
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111202858...

 「わたしの時はまだ来ていない。」
  http://www2.tbb.t-com.ne.jp/nakashibuya/yohane/j049070826....
 祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し、「あの男はどこにいるのか」と言っていた。
群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた。
「良い人だ」と言う者もいれば、 「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。
しかし、ユダヤ人たちを恐れて、イエスについて公然と語る者はいなかった。
http://bbs0.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/toriaezu/13115399...

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040 2011/07/25(月) 11:45:27 ID:pE/RCKJUFQ:DoCoMo
天地万物の実相から乖離したところで、
個我が我流で不実な概念構造を構築していくところに、虚無が生ずる。

その虚無をありのままに振りかざすことがニヒリズムとなる一方、
虚無の中にこそ超越神を見出だしてとりすがろうとすることが、聖書信仰のような邪神信仰になる。

いずれも大前提が虚無であることには変わりなく、
大前提が虚無であることから払拭していこうとする、
般若思想やウパニシャッド哲学のような東洋の思想哲学とは、根本的に異なるものだといえる。

信仰を棄てたところに必ずニヒリズムがあるだなどと
思い込むことからして、すでに程度が低いのである。

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041 2011/07/27(水) 20:14:24 ID:YvIIFi3rgg
無気力・無感動・無関心の三無主義がニヒリストの特徴

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042 2011/07/27(水) 22:22:22 ID:lxO38WhjCI
ニヒリズムの行き過ぎによる急性期の鬱病の治療には、特に禅をお奨めする。

他のあらゆる精神養生法と比べても、特筆してニヒリズムからなる鬱への特効性が高いから。

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043 2011/07/27(水) 23:03:33 ID:upNpthePPs:au
鬱なおしたかったら

戸塚ヨットか自衛隊かマグロ船に行け

身体をひたすら鍛えたら治る

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044 2011/07/27(水) 23:49:55 ID:lxO38WhjCI
「正法眼蔵」などに見られる禅問答の意味不明さが、
無根拠な万能感の裏返しとしての鬱屈をやわらげてくれる。

もちろん、般若心経などにもニヒリズムの苦痛をやわらげる効果はある。

別に神秘的な意味などに期待せずとも、思考の歪みからなる
精神的な鬱屈をやわらげる論理的な意味が込められているから。

思考の歪みを十分に解きほぐせたなら、禅語や般若心経ばかりに頼らずとも、
色々な多くの超ニヒリズム・脱狂信文化を楽しめるようにもなる。

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045 2011/07/28(木) 00:50:00 ID:ZmPlgeloIo
>>43
運動がうつにいいのは同意だが
別にそんなとこ行かなくても身体鍛えるぐらい自宅でもどこでもできるだろう。
それらの場所は普通の人間でも危険で死亡率が高いのに弱ってるうつ病患者がいきなり行ったら自殺行為になる。

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046 2011/07/28(木) 16:26:13 ID:c6tlh91giU:au
>>45
隔離して無理矢理やらさんと鬱を言い訳にして逃げる

それと、死を身近に感じることで
自分が生きていることを実感できる

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047 2011/07/29(金) 03:33:47 ID:efcJ04r/zk
>>46
そんないちかばちかの賭けにでんでも、投薬受けたりしながら本人の状態に合わせた
メニュー組んで運動した方がいいよ。

しかし、何か、うつ病に理解がない、人道的に問題がある、えげつないことをいうね。
北朝鮮みたい。

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048 2011/07/29(金) 17:43:52 ID:l1VuNGFWLA:au
うつは甘え

うつは『なまけ病』

やる気を出せ!

気合いを入れろ!

根性を見せてみろ!

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049 2011/07/29(金) 18:31:01 ID:5Kcgxf7k/Y
気合を入れて、占領してやるぜ〜

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050 2011/08/03(水) 18:24:10 ID:wRYQBk3l2U:au
ほれ、脳に電極刺して元気になれやw

脳に電流、アルツハイマー病に有効

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110803-OYT1T005...

 うつ病などの治療のため脳に電流を流す電気けいれん療法で、アルツハイマー病を引き起こすたんぱく質の働きを抑制できることを、
金沢医科 大学の加藤伸郎教授らの研究チームがマウスの実験で突き止めた。(以下略)

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051 2011/08/03(水) 19:16:52 ID:sLjGl7C2oc
これから死地に赴くものには、精神外科だってありか。

元気いっぱいの、原発処理を期待してるぜ。

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052 2011/08/04(木) 07:19:46 ID:t/JRIL/Y/A
なんか東洋の般若思想と西洋のニヒリズムのニーチェとは違う
うんたらかんたらと書いてる人がいますが、驚きですよ。

あのな、ニーチェはニヒリズムを超えようとしたんだよ。
否定さえもニヒリズムを深化させるだけとして、それを超えようとしたんだ。

いつのまにニーチェ自身がニヒリストになってんだよ。勉強もしないで憶測で書くなアホ。

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053 2011/08/04(木) 08:21:09 ID:OAYPpxreKY:DoCoMo
東洋史上に、般若思想の忠実な実践者と思しき人物は数多いが、
その言行にニヒリストのような「真性の思い上がり」の形跡は一切ない。

むしろ、己れを空しくする虚心坦懐さのエキスパートといった面が色濃い。

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054 2011/08/04(木) 15:52:32 ID:.FIpcYyHgo:au
超人になろうぜ〜

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055 2011/08/04(木) 18:15:25 ID:.FIpcYyHgo:au
厨2のころにツァラトストラを読んだ
おかげで新興宗教やカルトがチープに見えた
ありがとうニーチェ…

でも、ツァラトストラを書いてた頃のニーチェ、
梅毒で脳みそ溶けてたらしいんだけどね^^;

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056 2011/08/05(金) 00:52:43 ID:gp1.iAXhkw:DoCoMo
削除(by投稿者)

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057 2011/08/05(金) 19:43:51 ID:TA.QBoPGGM:SoftBank
ニーチェはともかく、中学生くらいでハイデガー読んだとかいうやつ稀にいるけど、
絶対読めてねえ(読み違えてる)

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058 2011/08/05(金) 20:27:59 ID:B2VniWsNcM
>>55
ゲーテでさえ、それでもキリスト教はせいぜい冠婚葬祭にまとう美しい正装にすぎず
それをまとったわれわれの心の、底しれぬ暗い空洞を満たしてはいない。と言ってる。
当時のドイツでは、キリスト教以前の痕跡もないゲルマンの神々への思慕があったんだよ。
リルケも晩年失われた神に近づいたと言われるけど、近づきすぎて心を焼かれてしまった。
ニーチェは、この恐ろしい千年紀を振り返れば神が人に愛を注いだことはなく
自らそれを生み出さなければ、人間は永久に愛を知らない。と思うに至った。
強さ以外、いかなる存在価値もなかった大移動の時代を生き残った集団が、
プロイセンの統一で出会ったドイツ国民国家の未来を前に、いっぱい考えることがあったのさ。

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059 2011/08/05(金) 23:16:45 ID:vhT9DowIjw
なんで「ゲルマンの神々」になるの?
ニーチェに忠実なら「ディオゲネス的神々」でしょうが。

ガリアの先住民族をゲルマンと表現したいなら
別の歴史的事実を用いるべき。

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060 2011/08/06(土) 17:31:28 ID:OCitm6PB1g:au
やはり自ら仏陀となり
涅槃にいたるしかないな…

ところで、涅槃と忘却界って同じトコぢゃね?

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061 2011/08/09(火) 14:27:49 ID:LEWQbDeHrw
ディオゲネス的神々??ごく黎明期の心理学ならともかく、それはないんじゃないかな。
>>58が言いたいのはドイツ神話学のことでは?
これ、まんまフランクフルト大学の神話学講座の序説からの引用だもの
プロイセンのドイツ統一で目覚めたドイツ精神の探索、
ゲーテの疑問、バイロイトの楽劇に失望したニーチェからリルケまでの精神、
政治思想としてはトライチュケからローゼンベルクまでのネイション論争とかとか、
キリスト教の源泉たるヘレニズム的「愛」と、
強さ以外のいっさいが無価値だった民族移動を生き残ったゲルマン的「意思」。
ローゼンベルクに収斂したドイツ近代主義と、ニーチェ、リルケーが目指したドイツ精神の光、
御両者その光に焼かれてしまうんだが、その思想的可能性が研究されてもいる。
こんなとこであの講座をもち出すひとがいるとはね。びっくり

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062 2011/08/09(火) 15:36:33 ID:RvtVwGTCA6
ニーチェの本に使われている用語のニヒリズムと
一般に軽い意味で流布している「ニヒル」と
スレタイ掲出画像の「眠狂四郎」。

ごちゃごちゃなスレ立ては意図的か?

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063 2011/08/10(水) 19:46:49 ID:Yc2UTXRhjk:au
ちなみに本来の『プラトニック』とは
肛門性交を伴わない少年愛のことである

イエス ショタコン ノータッチ なのである

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064 2011/08/10(水) 20:11:19 ID:PYi.b6G3s2:SoftBank
そりゃ哲学板じゃ常識かと

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065 2011/08/11(木) 15:29:15 ID:y2Lnig3a.E:au
だよねぇw

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066 2011/08/11(木) 18:06:09 ID:y2Lnig3a.E:au
余談だが、昔の戦国武将とかは衆道にハマる者が多かった
このことで彼らがホモだったなどと早合点してはいけない

肛門はまんこの4〜5倍の締め付けがあると言われており
なんかもうやりまくった奴はガバガバまんこでは物足りなくなるそうである
さらに、美少年(当時の少年は15歳未満を指す)とまぐあうという興奮がやみつきになったのだそうな

好き者の終着駅は衆道かSMプレイによるパートナー過失致死…ということだろう…アーメン…

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067 2011/08/11(木) 18:54:28 ID:MJ0eB6zg76
その推測が正しいか、全くの誤りかには、全ての結果が答えるだろう。

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068 2011/08/11(木) 19:20:25 ID:y2Lnig3a.E:au
>>67
よし、検証しよう

さ、ケツをだしな…

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069 2011/08/11(木) 19:31:47 ID:MJ0eB6zg76
心の奥底からの疚しさの有無が、すでに答えを出しているともいえる。

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070 2011/08/11(木) 20:37:06 ID:CeWbt3D45k:DoCoMo
自意識の肥大化した今の女なら、
夫の浮気や出過ぎた好色を、絶対に許さないようなことだってあるだろう。

しかし、男尊女卑である封建社会の女に限って、
そんな理由だけで将来を悲観して、挙句には自殺してしまうなんてことはないだろう。

特に、夫の勇敢さこそが飯の種ともなる武家の女ともなれば、
多少は色事にも声高いぐらいであってこそ、頼りがいのある夫とすら言えるだろう。

あくまで、封建社会の模範的な武家である場合に限って推定できることだが。

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071 2011/08/13(土) 10:46:43 ID:m7ZdBoRbGY
59を書いた記憶がないが、酔っぱらって意味不明なことの用なので
全面的に撤回します。ディオゲネス的神々ってなんだろう・・・。

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072 2011/08/13(土) 16:06:30 ID:JQ6E36RYIA:au
ああ、眠剤とちゃんぽんしたんだね

わかりますよ^^

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073 2011/08/13(土) 19:42:58 ID:bj1SWqoe16
思想・哲学とか好きな人は
みんな病んでるのか。

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074 2011/08/13(土) 22:00:14 ID:JQ6E36RYIA:au
タマゴが先かニワトリが先か

病んでいるから思想・哲学するのか
思想・哲学するからココロが…

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075 2011/08/16(火) 12:40:53 ID:WM8GJyL.gk
文明とは、そもそも病人と酔人を乗せたドロの舟のことであり、
病に立ち向かい、酔人に家への道を示すのが賢人であり、
そうありたいと望む者が文化をになうのですよ。
そして、日々を無策に過ごし、
じぶんの病いも、乗っている舟のありさまにも
気づかない者を愚者と言う
最期の3行が蛇足で未熟者の意見。

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076 2011/08/16(火) 13:41:18 ID:A9CrnPECps
全てを重病と泥酔に好き好んで塗り固めている
重権力犯罪者や重度精神障害カルト信者たちが、
そうである世界や時代の全責任を負って死ぬことで
そのような「小人本位の時代」が完全に終わって、
そこから先にこそ、「君子本位の時代」を全く
刷新されたものとして作り上げていくわけだ。

そのときには、君子不適合者である君らはもうこの世に
いないから、あたかも君子適合者(まだ君子ではない)が
無策なままに時を過ごしているようにも見えるだけだ。

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077 2011/08/16(火) 15:43:02 ID:Q1Z8XnaNPU
刷新された世界はちゃんと精神が健康で優秀な人間がやってくれる。
お前はそうなる前に浮浪者として餓死するんだから気にしなくていい。

安心してくたばってくれ。

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078 2011/08/16(火) 16:59:19 ID:ys96qMlx.s:DoCoMo
別に、重要な機密情報を握っているわけでもなし。

中下層の士人や庶民としてやっていくこともできないほどに
致命的な凶状の持ち主なわけでもあるまいし、そこを自分たちと同列扱いしちゃいけない。

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079 2011/08/16(火) 19:30:07 ID:WM8GJyL.gk
>刷新された世界はちゃんと精神が健康で優秀な人間がやってくれる。
じぶんはそこに居ないのなwwww
もしかして酔っぱらってる?
愚者もよっぱらいも自分を真ん中に置くからなー
そんな了見では文明の標準も下がるばかり

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080 2011/08/16(火) 19:45:33 ID:A9CrnPECps
ソーマ(神酒)をかっくらった勇者インドラ天がおっきくなって、
悪鬼羅刹をのっしのっしと踏み殺し打ち殺していくっていう
内容の歌が、世界最古の詩集「リグ・ヴェーダ」にある。

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081 2011/08/16(火) 20:07:55 ID:Q1Z8XnaNPU
>>79
IDググって付いてきちゃったのかww
まだ俺をヲカルだと思ってるの?w

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082 2011/08/16(火) 20:38:46 ID:A9CrnPECps
神酒ソーマをかっくらっておっきくなって、
自慢のヴァジュラで居並ぶ敵をばったばったと打ち殺していく勇者インドラ天。

かぁーっくいぃ〜!(・∀・)

実は飲酒はしなかったニーチェ。
健康を害さないようにチビチビとワインをすすっていたショーペンハウアー。

カッコワルっ(・A・)

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083 2011/08/17(水) 07:21:41 ID:aqJIvAcOZY
ニヒルに生きたい。

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084 2011/08/17(水) 08:14:10 ID:ZR9cIUnf3k
人間の言葉や計らいではまったく歯が立たない、括れない広大無辺の世界の中で
自縄自縛に陥らず自由に生きる。

過去の自分からも縛られないから君子豹変も墨守も自由自在。
cf.「あらためかえて」という教えを或る社寺で聞いたことがある。

(ニーチェの用語(自己否定の意)とは関係ない)

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085 2011/08/17(水) 11:16:56 ID:mVp/ZQc3n.:DoCoMo
終戦時に、海軍の幹部候補生だった祖父は、
日本の敗戦の一報を聞かされた時に、寝ていたハンモックにゲロを吐いちまったという。

祖母はそれを「あんまりカッコよくない話だけどね」と前置きして話してくれたが、
こっちのほうは逆に「すげー」と感服させられた。

玉音放送を聞いてうなだれて、オイオイ泣き崩れるってのが
大部分の日本人の姿だったろうに、出陣前の祖父ときたら、そのときにオエェェとゲロを吐いちまってた。

「これからいっちょやっちゃるぞ」と、本気で日本を戦勝へと導くつもりでいたから、
その鼻っ柱をくじかれたことで、思わず嘔吐しちまったんだ。

当時の手記などを読んでみても、相当に綿密な戦況分析も行き届いていて、
決して死に花を咲かせようなんて気でもなく、本気で勝つことを念頭に置いていたんだ。

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086 2011/08/17(水) 22:50:56 ID:xlo5Isb2f6
   ด็็็็็้้้้้็็็็้้้้้

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087 2011/08/18(木) 00:09:19 ID:dg9b.RTrOM
>>72
眠剤なんて飲んでないけど、記憶はしょっちゅう飛ばすぜ。

ディオゲネスの話に戻すと、彼は俗物だけど病んでる人ではなかったと思うよ。

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088 2011/08/18(木) 18:09:47 ID:fkwUekEnsU:au
>>77
刷新された政府には
基地害と病人と白痴しかいませんでした

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089 2011/08/18(木) 22:23:33 ID:xPlcU7Je6Q
ニヒリストなんかより、ナモナモしてるほうがまだ似合うよ。

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090 2011/08/24(水) 06:11:32 ID:9E5hZ2bvQw
白けて生きたい。

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091 2011/08/27(土) 09:00:44 ID:GXpctyjFhU
ダンディに生きたい。

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092 2011/08/28(日) 04:26:23 ID:2st8XNwy0A
自分の能力の限界を知る。
無理をしない。
まあ、こんなもんだと諦める。

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093 2011/08/28(日) 08:16:48 ID:5GYLlQ2Nsw:DoCoMo
弘法大師とか宮本武蔵とかイチローとかの、
何らかの一芸以上に秀でているニヒリストはカッコいいし、少なくとも悪くない。

何の芸もないクセに、ただニヒニヒしてるやつなんかを見ると、
「何様?」と思うし、別にカッコよくもない。

だったらまだ、歴史上に実在しない仏への帰依ごっこによってでも、
無根拠な思い上がりを溶いていたほうがいい。

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094 2011/08/29(月) 05:38:12 ID:nkaHRsc1Cg
「無根拠な思い上がりを」捨てるのは至極良い事だと思う。

それとは別に、
我々はいつも「身の程を知れ」と罵られるが、
「謙虚」と称して怪しげな世間智に泥んでしまうのなら、
そんな「身の程」って何だろう?愚民同盟じゃないか?

世間一般が愚昧下劣に見えて仕方がない人は独自の道を行くしかない。

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095 2011/08/29(月) 15:17:38 ID:CdxDv4frj2:DoCoMo
面白くなかったら、付いてこなくていい。

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096 2011/08/29(月) 19:29:43 ID:/Px0uvVqBQ
「宗教」を隠れミノにして愚昧さを相互弁護しあい
「仏への帰依」などと僭称する。
世間的な「お宗教」はそんなのばっかりだ。

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097 2011/08/29(月) 20:30:25 ID:8KVMBGGnUY
「一切衆生悉有仏性」

「仏に帰依する」ということは、いち衆生としての自らに内在する
仏に帰依することをも意味するし、またそうであらねばならない。

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098 2011/08/29(月) 20:40:55 ID:/Px0uvVqBQ
自らに内在する仏性をあらわすことは
無辺の衆生を済度しようという菩薩行をとおしてのこと。
口では何とでも言える。実践しなければ証明できない。

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099 2011/08/29(月) 21:03:23 ID:8KVMBGGnUY
すでにこれまでにも、何百年という年月をかけての実践が積み重ねられて来てもいる。

これから行われるのも、その実践の「継続」でしかなく、決して「創業」などではない。

金が動いてなけりゃ実践じゃないと思い込む、その下劣な神経が捨て去れたときが、
他力であれ自力であれ、自らに内在する仏の実在に気づくときでもある。

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100 2011/08/29(月) 21:39:28 ID:/Px0uvVqBQ
宗教の本旨=安心立命のための実践の方途も各自の探究が要る。

よく見かけるパターンは、
どこかの「教団」が上から指導しようとする項目について行く。
上からの通達に矛盾しないように自主規制し、責任は上に取らせる。

「仏法僧に帰依する」というのはこんなことなんだろうか?

たいていの教団が「宗教」ビジネスとして
世俗の権力との和合ばかりを事としている。
当たり障りのない範囲でのみ教団は現前している。
そんな教団について行くことはない。

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101 2011/08/29(月) 22:14:50 ID:8KVMBGGnUY
神道の神社はもちろんのこと、仏教の寺も南都六宗や天台真言、
禅宗あたりまでは、正統な権力者の「官命」によって建立されている。

僧籍を剥奪されて、非僧非俗の身となった法然や親鸞が興した浄土教も、
法然の浄土宗のほうは徳川幕府などから手厚い庇護を受け、親鸞の浄土真宗も、
親鸞が公家(日野氏)の血筋であることから、親鸞の血を受け継ぐ
門主(大谷家)の皇族との混血などが進められてきている。

そもそも正統な宗教は全て、「官製」ないしそれに次ぐものであり、
だからこそ公益を最低限以上に慮る性向までもが根付いている。

全く公権力とも無縁な私人が、全くの我流によって、私利私欲のためだけに
興したような宗教がカルトと化すのであって、日本の場合、そのようなカルトは、
伝統的に日蓮宗のようなごく一部の宗門に限られているが、西洋などの場合には、
大部分の国が後付けで国教としたキリスト教からして、民間の重度精神障害者=
イエスが私利私欲を貪ることの手立ての一つとして編み出したものでしかない。

民間人が私欲を貪るために信教を活用しようとした時点で、
すでにカルト信仰が始まってしまっているのだ。

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102 2011/08/29(月) 22:49:08 ID:CdxDv4frj2:DoCoMo
そもそも宗教団体というものは、公益を図る正統な公権力の官命によってのみ
創始されて運営されるべきものなのであり、民間人が我流で体系的な信教を自作
しようなどとすれば、それは否応なく我田引水を正当化するための邪教にしかなり得ない。

我田引水を目的にする場合にしか、民間人の分際で宗教団体なぞを興じて、
ろくに働きもせずに無駄飯を食らい続けるような意味は備わらないから。

憲法でわざわざ民間の信教の自由が規定されたり、宗教法人法で私的な教団運営が
保護されたりすることからして、すでにおかしいことであり、それ自体が紛れもなく
公益を害するカルトテロリストの活動を推進する以外の、何らの意味も持ち合わせてはいない。

真に公益を目的とする信教が、公権力からかけ離れた所で独り歩きして
繁栄を謳歌する必要性など、原理的にあり得ないことだから。

政教分離なんてものは、本来絶対に許されてはならないのであり、公益を図る政治行為と
乖離した利権がらみの宗教活動などを決して許してはならない。また政教の一致に務めた結果、
公益を害する権力犯罪活動を公権力にけしかけてしまうような邪教の健在も許してはならない。

この条件に照らし合わせてなお、存続が可能な信教だけが健在を認められ、
存在性の根本から健在が不能な信教=純度100%の邪教はこの世から滅びねばならない。

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103 2011/08/30(火) 00:03:13 ID:ehiS7VCP66
>>101-102を要約すれば「宗教は権力の走狗」となる。

権力というものは多元的で互いに闘争している。
その中で勝者が「正統」と称する。いわゆる公権力である。
つまり「正統」は闘争の産物であり変遷するものである。
教団はそのような権力構造の川の流れに「かつ消えかつ結ぶ泡沫」
「君が代」も泡沫。

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104 2011/08/30(火) 00:15:23 ID:QrsH73rCW.
権力を「道徳的公権力」に限定せず、
しかも「公権力」にすら限定していない。

だったら始めから「君が代」なんてない。

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105 2011/08/30(火) 00:53:05 ID:utyLcq1cxM
日本語むちゃくちゃだなあ・・・。

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106 2011/08/30(火) 01:32:28 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
まだ、根本から日本を見くびっている。

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107 2011/08/30(火) 12:47:18 ID:odg0XZtjZ2
官製以外の宗教は、私利私欲のための邪教か。
おもしろい意見だなぁ。


ちゅーか、いつの時代でも、どこの国でも
国家は国民の統治の為に、宗教を利用する。
宗教の方も、組織体の存続の為に
国家にしっぽを振り、庇護を求める。

持ちつ持たれつなんじゃないかな。

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108 2011/08/30(火) 13:21:15 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
宗教を、公益と分裂した所で独立的に捉えるべきではない。

公益以外の寸分の目的でも備わっている宗教は、
すなわち邪教であると知らねばならない。

たとえ、人が私利私欲を貪ることがあったとしても、
それが信教によってまで強化されて、推進される必要など、どこにもないのだから。

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109 2011/08/30(火) 14:14:34 ID:5xqV2nnq1E
A) 「公益」という美名を帯びている権力の都合。
そのために権力の下僕として働くのが真正の宗教だ、
という説明も一理ある。そんな「真正」宗教に何の魅力もない。
B) 私利私欲の低劣なカルトもおぞましい。問題外。
これらA,B二種のあいだに線を引きたい立場・都合もあるだろう。

凡そあらゆる教団と称するもの。
欲望と裏切りに満ちた世俗の組織。
民衆を欺瞞・収奪する構造は変わらない。

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110 2011/08/30(火) 16:39:57 ID:r8IwO43ad.:DoCoMo
公益に適った純正な信教にしか
存在価値も見出ださなければ、魅力も感じない。

少なくとも大部分の日本人にとってはそうだ。

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111 2011/08/30(火) 17:24:48 ID:5xqV2nnq1E
存在と価値とのあいだには懸隔・乖離がある。

各自の脳内にある純粋な宗教のイメージを大切にするのは結構な事。

現前し権力の牢守として機能している教団はそれとかけ離れた存在。

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112 2011/08/30(火) 20:35:50 ID:QrsH73rCW.
それがもう、いらない。

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113 2011/10/15(土) 05:24:16 ID:V8SBWjLbfs
かっこよく生きろ。

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114 2011/10/15(土) 13:05:06 ID:PdwWGngG72:DoCoMo
ならず者の思い通りにさせられる人生ほど、ダサい人生も他にない。

ならず者どもの思い通りになるピエロであることが仕事である、今の日本の政治家然り。

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115 2011/10/16(日) 05:51:45 ID:ojkkF25Ul2
>>114
絶望的な言葉ですな・・・・・。

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116 2011/10/16(日) 18:21:12 ID:EcluZpqDGY:DoCoMo
モニター越しならエラく威勢がいいのに、
こちらから間合いを詰めた途端に怯えて逃げ出す、乙女系オサーンw

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117 2011/10/17(月) 02:11:57 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
絶対に人に言えないことを隠してる人間には、
自発的にクチビルを口内に引き込むクセがつく。

この状態で不用意に言葉を発すると、クチビルを噛む。
噛んだせいで口内炎になって、しばらく耐え難い痛みに悩まされる。

もう二度とそういうことがないように、不用意な言葉は発さないようになって、
言ってはならないことを言わないでいようにしておく本能が根づく。
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118 2011/10/17(月) 14:04:05 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
119 2011/10/17(月) 16:56:24 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
「公族の罪は(略)隠れたる所に刑す。国人の兄弟を慮るをゆるさざるためなり」
「公権力を掌握している者に対する刑罰は、罪が隠されている内から秘密裏に行われる
場合がある。国民が親近感からなる同情を抱いたりすることすら許さないためである」
(「礼記」文王世子第八より)

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120 2011/10/17(月) 20:46:28 ID:uTnayIrPa2:DoCoMo
悪魔の手下として存分に虚栄を謳歌して来たその立場は、
変革後の世の中での再就職募集対象としても、どん底の優先順位にあるといえる。

蛮勇を道徳学に振り向けた子路のような儒生の例もある手前、
まだ元ヤクザや元ヤンのほうが、見込みがあるとすらいえる。

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121 2011/10/18(火) 22:53:01 ID:NYqSoOOQbo
おまえらは、俺に頼ろうとしないから今のような事態を招いているのであって、
俺に頼っているから今のような事態を招いているのではないことを忘れるな。

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122 2011/10/19(水) 03:00:05 ID:ciRZPEjbgk
それがお前の願望かw

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123 2011/10/20(木) 04:06:56 ID:3RG5HhYjrs
違うんじゃないの?

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124 2011/10/21(金) 05:28:05 ID:eJO/aG2yAM
あんたはどんな生き方をしたい?
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125 2011/10/28(金) 05:01:14 ID:ZjfnQYEF9I
生きていても仕方ないのか?

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126 2011/10/28(金) 10:46:18 ID:KGkohYM0V2
新ポエマーDoCoMo現る。

そんなに儒教が好きなのか。
いちばん分かりやすかった入門書教えて。

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127 2011/10/28(金) 13:44:32 ID:jvZX0dg.YI:DoCoMo
儒学の入門書で論語以上のものがあるかよ。
元から儒学の入門書として編まれたのに。
近ごろじゃ論語の入門書すらある始末だが。

現代の孔子として扱われることほど名誉なことも他にない。
キリストの再来として扱われることほど名誉毀損なことも他にない。

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128 2011/10/29(土) 04:44:04 ID:zv0X52GHCo
わかりやすく書いた「論語」ならば読んだよ。

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129 2011/10/29(土) 09:30:03 ID:lVXQfT26O6:DoCoMo
易経なんかは、難し過ぎて誰も理解できないせいで、
紛い物の入門書や参考書ばかりが出回ってる始末。

画像の「量子力學」が、いま公けに出回ってる易の解説書としては
比較的正確な部類だけども、やはり完全ではない。

易の法則を大衆に把握されてしまうと
非常に困る人たちが今の世を牛耳っているのも確か。

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130 2011/10/29(土) 11:33:28 ID:Jga9xOcPeQ
なんで易経と、古典の量子力学の本が
関係あるの?

トンデモ科学なのか。

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131 2011/10/29(土) 11:46:45 ID:PacRJWhQm6
ただの統合失調症です。

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132 2011/10/29(土) 13:50:06 ID:lVXQfT26O6:DoCoMo
この世界、この宇宙を包括する完全な物理法則は、
最終的には大きすぎも小さすぎもしない易の対称性に合致する。

相対性理論では説明できない、光速よりも速いニュートリノの観測も、
易を物理構造化した理論によって、すでにその妥当性が認められている。

ユダヤの権威の牙城の一つでもある、アインシュタインを過去の人と化す試みには、
未だその真偽に関わらず冤病を当てこする言論テロが続いている。

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133 2011/10/31(月) 00:07:06 ID:nO9EuD39gs
易の真義は、確かに狂気じみている部分もあるので、
ド素人が興味本位で近づくのは避けるように警告したほうがいいかもしれない。
かといって、絶対にひた隠しにすべきだというほどにも悪質なものでもないが。

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134 2011/11/01(火) 19:40:36 ID:nQzarYJxyM
いい加減、俺の言うとおりにしなければ
どうにもならなくなる局面に入りつつあるようだが。

さんざん「おまえの言うことなど誰も支持しない」などと言い捨てて、
俺への徹底拒絶を決め込んでいた奴らが、一転して、借りてきた猫のような
ちっさい態度で救いを乞うて来た時の爽快感たるや、半端なものではないだろうな。

今まで俺に当て付けてきた侮りや辱しめの数々すべてを自分たちのほうに買い戻して、
全ての汚辱をおまえらだけが一括して背負っていく形を整えてからでもない限りは、
こちとら一族皆殺し級の迫害に遭ったっとしても、応ずることはないからな。

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135 2011/11/02(水) 01:56:43 ID:iHzBcqpv/A
お、今日もバカだねw

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136 2011/11/02(水) 13:24:54 ID:7tEBkvENro
「馬鹿(ばか、バカ)」という言葉は、その語源である「史記」秦始皇本紀からして、
「鹿を馬とすらいわせる強権力者の横暴」という意味を持っていて、俺のような
何の権力も持たない市井の民間人に対して用いられるべき言葉ではない。
(長年江戸幕府に公権力を剥奪されて来た旧豊臣方の大坂人も、
「阿呆」と言われても怒らないが、「馬鹿」と言われると怒る)

その「馬鹿」という言葉の語源を作った秦帝国の悪宦官・趙高も、
群臣が皇帝と直接面会することを一切禁止し、自分が皇帝との仲介役となるフリをして
その実一切皇帝に話は通さず、自分一人の独断でほぼ全ての政務を取り仕切っていた。
それとは逆に、こちとら「まず天皇陛下に話を通して、その上で朝廷を通じてこちらにも話を
持って来い」とすら言っているわけだから、これまた全く馬鹿宦官の所業には当たらないと言える。

むしろ、鹿を馬といわないものを法律違反で罰した、
宦官趙高並みの権力濫用による横暴に及んでいるのもおまえらのほうであり、
道徳性を著しく欠いた無機質な実定法文のおまえらによる絶対化が、人々の心根からの
深刻な荒廃を招き、罪を犯させては罰を科す、殺伐としたマッチポンプの様相を招いてもいるのだ。

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137 2011/11/02(水) 17:51:31 ID:mnwxIkWtos
削除(by投稿者)

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138 2011/11/03(木) 13:39:03 ID:RwRqFLHBTI:au
ニヒリズムとカルト信仰は、
最も貧相で低劣な人間精神の様態である点では共通している。

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139 2011/11/04(金) 22:09:58 ID:nV0bHEYniM
俺が、天皇陛下に正式な重職に任命された時に
述べるつもりでいる、抱負の言葉を教えてやろうか?

「これからも立派な社会人として、誰に対しても恥ずかしくない、名誉ある業務に取り組んでいく所存です」だ。

「これから は 」じゃない。「これから も 」だ。

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140 2011/11/05(土) 05:11:38 ID:1iTqfKddb6
あーあ、糞スレになっちゃった。

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141 2011/11/05(土) 07:47:07 ID:A6wHh8XbdY:au
おまえらを不快にすればするほど壮快になりたいのではない。
しかし、それにしても壮快だ。

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142 2011/11/05(土) 13:33:20 ID:545i6g4r2M
似たような人が、docomoだったりauだったり
はたまたPCだったり、いろんな所から
書き込んでるな。

狼は何匹いるのだろう?

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143 2011/11/05(土) 13:44:37 ID:A6wHh8XbdY:au
俺がdocomoからauに替えただけだから。
今後はdocomoではなくauとPCからになる。
つか、匿名なんだから大してどうでもいい話だが。

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144 2011/11/05(土) 17:27:42 ID:545i6g4r2M
ふーん、そうなんですか。
似たような人が3人いるかと思った。

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145 2011/11/05(土) 21:29:43 ID:A6wHh8XbdY:au
削除(by投稿者)

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146 2011/11/06(日) 12:56:12 ID:v./kWR3ndY
自由人のくせに携帯が必要なのか?
そもそもあんなの持ち歩く気が知れねえ

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147 2011/11/06(日) 19:44:36 ID:HjIIHMD1EA
潜在的な自殺への恐怖がある人間は、
首吊りを触感的に想起させるタートルネックを嫌ったりする。

それと同じように、携帯という媒体、PCという媒体へのアレルギー反応を催す人間も、
それに近似するような、何らかの事物への潜在的な恐怖を抱いている可能性がある。

おそらく、「脳内情報交換装置」である点が、それと共通する。

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148 2011/11/07(月) 12:24:51 ID:u88znG0vHc
キリストとエホバがこの世から消えてなくなることほど、壮快なことも他にない。

それは、カルト信仰が消え去った後にあるものが矮小なニヒリズムなどではなく、
潤沢な人間性と、正統な神仏への畏敬に根ざした、福徳に満ちた健康であるからだ。

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149 2011/11/13(日) 06:51:48 ID:xZ7i/ho/A.
これからは創価学会の時代か?

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150 2011/11/13(日) 09:39:35 ID:p43eqQuFsM
「宗教」はたえず形骸化・硬直化・世俗化・権力志向の道を辿る。
そしてまた改革の火の手が上がる。昔からの繰り返しだ。

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151 2011/11/13(日) 18:59:28 ID:RprWLB4MkU:au
市民の宗教依存が高まるということは、
それだけ暴政による困窮がはびこっているということ。

聞く耳持たない身勝手な為政者への不平を、都合のいい信仰対象に振り向ける。
最悪の場合、その信教の指導者が体制革命の旗頭になることもあるが、
困窮に喘いでいた民に対して、為政者でもない立場から何でも望みを叶えてやるような
放言を繰り返していたのが、いざ本当に為政者としての立場に立ってみれば、
そんなに甘いはずもない現実に立ち往生してほとんどの契約を果たせず、
以前に聞く耳持たなかった悪政者とも同じような暴政を繰り返すこととなる。

「民生宗教による体制の乗っ取りは、暴政の繰り返しを招く」という絶対法則。

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152 2011/11/13(日) 19:12:07 ID:p43eqQuFsM
宗教改革は異端として出現し、
新権力と連携して正統となる頃には
権勢に都合よく変質・堕落している。

絶対的な権威のある宗教なんて無いよ。
あらゆる宗教屋が売春稼業であることを
民衆は見抜いているよ。

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153 2011/11/13(日) 19:31:26 ID:RprWLB4MkU:au
だから、元から官製の宗教だけにしとけというに。
たとえ信じていなけりゃいられないのであっても。

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154 2011/11/13(日) 20:24:47 ID:0073oQHFLI
ユダヤ人は、自分たちでは商売だけして国家をちゃんと運営できもしない不具民族だし、
イエスも、そのユダヤ人の中でも「妾腹の私生児」というひどい不遇に晒された民間人。

ムハンマドは、イスラム教の開祖であると同時に、一端の政治家や軍人でもあり、
その政治家や軍人としての功績にイスラム教義が寄与していればこそ、
イスラム教もまた中東などの人間に莫大な支持を取り付けることとなった。

釈迦は、生地の王族の出身だったが、市井の民たちが困窮に置かれていることと、
自分たち王族の生活の華やかさとのギャップに苦悩を抱き、何とか政治以外の方法で
民たちを安楽に向かわせられないかと考えて、一念発起出家し、悟りを啓いて仏教を興した。

仏教とイスラム教が、高度に政治的な目的性を持っている点で共通するのに対し、
ユダヤ教とキリスト教は、自分たちが善政を志しているわけでもないただの民間人が、
全くの無責任なままに個人的な願望を叶えようとしているだけの信教である点が共通する。

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155 2011/11/13(日) 21:12:54 ID:p43eqQuFsM
宗教者は権力者の偽善を暴いてしまうこともあるんじゃないか?
そのような宗教者は異端として権力によって弾圧された。

権力との関係が難しいのは解る。和合を旨とせざるを得ない。
偽善を看破してもそ知らぬふりをしなくてはならないんだろう。

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156 2011/11/13(日) 21:22:12 ID:0073oQHFLI
偽善じゃない善政のあり方をちゃんと見極めた教学が儒学としてちゃんとあるから、
政治の偽善を暴くことだけが目的の宗教など、儒学のあるところではあり得ない。
(儒学にも政治の偽善を暴く学科部門としての春秋経学が存在する)

逆に、政治の偽善を正当化美化して、推進していこうとするような邪教のほうが問題。
そのような邪教であればあるほど、真善の政治学たる儒学の教条にことごとく相反する教義を溜め込んでもいる。

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157 2011/11/13(日) 22:40:13 ID:p43eqQuFsM
儒学も学派に分かれていて論争もあったと聞いている。
権力に都合のいいイデオロギーとして利用もされた。
四書五経の言葉を根拠に封建的道徳で人を縛りもした。

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158 2011/11/13(日) 22:51:22 ID:0073oQHFLI
それは、儒学の本質を儒者までもが理解しきれていなかったが故の不幸だ。

もちろん、全ての儒者の考究が全くの過ちだったなんてことはなく、
それなりに儒学の本質に肉迫できていた儒者も数多い。
それが孔子だったり孟子だったり朱子だったりするわけで、
少なくとも儒学が「絶対不能の邪学」などではないからこそ、
その本質に接近しようとしてそれなりの成果を挙げた儒者も数多い。

本質が完全に理解されれば、もはや儒者同士での仲違いが起こることもない。

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159 2011/11/15(火) 05:06:54 ID:L/fBWUR4LA
儒学も考え方によっては危険な思想です。

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160 2011/11/15(火) 13:04:01 ID:FYcwqwsrbg
「陰摩羅鬼の瑕」って読んだ?
推理小説だけど、儒教がテーマだった。
ある洋館の主人が、ニートのポンコツ儒学者で
儒教独特の!?、ある認識の違いで
悲劇が起こるってやつ。

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161 2011/11/15(火) 13:19:16 ID:5juwiaq0KI:au
聖書信仰や洋学よりも一段階上等なだけの教学が、そんなに高尚なわけもない。

質よりも量の儒学、量よりも質の神道、質も量もの自力仏教。
体得のしやすさもこの順番で、昔の日本人も神道や仏教に進学するための
入門として儒学を捉えている場合が多かった。

儒者たち自身の質も全くのまばらで、本当に聖人君子である者もいれば、
まだ目指している段階の者も、目指しもせずに聖人君子を騙っているだけの者もいる。

全ての儒者が正しいわけでもなければ、
「孔子は正しかったが後続者はみな間違っている」
なんていう、ルターみたいな言い分も通用しない。

アリかナシかの極論ばかりに走りたがる異生羝羊心の持ち主には、
ファジーな側面の多い儒学という学問の体系からして、なかなか受け入れ難い。

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162 2011/11/15(火) 21:15:12 ID:itGcNpzhFg
儒学の流布は多分、古流柔術の現代版である合気道の流布に近い形式になるかと思う。

合気道家にも色々いて、本当に合気技の体得を志している人間もいれば、
お遊び程度でやっている人間もいる。全く営利目的抜きで運営している道場もあれば、
講習料を稼ぐためにそれなりの営業システムを整えている道場もある。

実際のところ、ぜんぜん技を体得できてもいないのに
合気道の看板だけ掲げてるようなエセ道場もあるが、合気道の神髄自体は本物なので、
その神髄をすら体得できたなら、少女が大男を張り飛ばすことだってできなくはない。

ただ、その神髄を会得するのが極めて困難なことなので、
実際の合気道家が本当に実力があるかどうかはまちまちとなり、
「合気道家なら絶対に技量を信用できる」というところまでは、さすがにいかない。

それでも、合気道人口が増えれば、総合的に見て合気技を体得できている可能性のある
人間の数も増えることになるわけで、そこら中に合気道の修練者がたむろしている状態
ともなれば、もはやならず者もヘタに暴力行為などに及ぶことは避けるようになる。

それと同じで、儒者であれば絶対に知見の信用が置けるなんてことはなくても、
そこら中に儒学の勉強者がたむろするようになれば、徒党を組んで権力犯罪をやらかそうにも、
告発や大勢の人間からの村八分扱いが怖くなって、おいそれと手出しができなくなる。

それこそは、儒学の流布によって実現しようとするところであり、儒者なら全てが全て
聖人君子であるなどというところまでは期待しない。全ての儒者を聖人君子にするぐらいなら、
神道家や仏僧を育成していくことのほうをまだ優先すべきだ。東洋学の登竜門であり、
はじめの第一歩でしかないからこそ、仮に靴泥棒だった孟子の弟子のような人間が
いたとしても、それを以て儒学の権威が全否定されたりするのではかなわない。

儒学の流布は、それ自体が一つの儒学の実用になるわけだから。

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163 2011/11/18(金) 17:30:54 ID:68KEk21m4U
今の日本に必要なのは儒学ですか?

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164 2011/11/18(金) 18:17:54 ID:8rAWJXeAMk
今の「世界」に必要なのが儒学だ。

聖書信仰は要らない上に、根絶しなければならない。
洋学は現代インフラを保全するため程度には必要だが、決してよいものとして扱ってはならない。
儒学は早急に全世界に流布していかなければ、人類の衰滅を招く。
仏教は、より潤沢な人類の繁栄のためには興隆していくことが推奨される。

洋学の研究成果の多くは、儒学の研究対象に転用することも可能だ。
ただ、研究成果を私利私欲や権力犯罪のために用いることが禁止されて、
世のため人のため勧善懲悪のために用いることが義務付けられるようになるだけ。
そのための心構えや具体的な手段こそを用意しているのが、儒学でもある。

洋学がやっているようなことを、昔の儒者もある程度はやっていた。ただ、
人間道徳よりも概念論や博物を優先する洋学的な志向性を認めていなかっただけだ。

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165 2011/11/18(金) 22:31:47 ID:8rAWJXeAMk
この世に儒者ほど、ニヒリズムから
かけ離れた人種が他にあるだろうか?

主君を敬い、親を敬い、自分でこれだと選んだ師匠を敬い、
それでこそやっと人の上に立つ君子士人となる。

全く宗教とも無縁なところで、こんなにも数多くの人々に崇敬を
捧げられる余地があるというのに、どうしてただ一つの架空神だけを
信じるか信じないかなどという所に、全てを還元しなければならないのか。

それほどにも粗末な尊崇の有無しか論じられないことが、
ありのままに人間精神の荒廃であるといえるのではないか?

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166 2011/11/19(土) 04:42:49 ID:VId3sOOIMQ
今の世の中に
朱子学は必要ですか?

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167 2011/11/19(土) 15:39:48 ID:W83gZujAQc:au
朱子学は、古典儒学よりも程度が低い。

学識の忠実な実践よりも、四書などの書物の知識への
依存が高まり過ぎて、頭でっかちになっている。

そうであることの受容が、明代の中国では官僚腐敗を招いた一方で、
武術との兼学に処した徳川日本では大成功を呼び込んだ。

朱子学をより積極的に実践しようとした新儒学に陽明学があるが、
古典儒学ではなく朱子学の概念知識を積極的に実践しようとしたため、
結局のところ、不注意な行動も憚らぬ多動者を続出させることになってしまった。

今の警察なんか陽明学中毒者が多いが、どうせ古典儒学は難し過ぎて理解できないだろうから、
理念をもてあそぶ以上は主知主義でいる朱子学の首輪で繋ぎ止めておくべきだとはいえる。

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168 2011/11/21(月) 16:18:49 ID:wjZOnM13ts
>>167
ご教授ありがとうございます!

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169 2011/11/22(火) 04:27:31 ID:l9VeBbbZug
>>167

>今の警察なんか陽明学中毒者が多いが

そのあたりを分かり易く教えて頂けますか?

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170 2011/11/24(木) 21:49:43 ID:mxIYr/PlXM
よく考えてから行うことは朱子学で是とされるし、
なるべく考えずに動くことは武術の極意だったりする。

「考えれば即動く」という陽明学の知行合一は、上のいずれにも属さない。
思考と行動を必ず一致させ続けるということで、両者を一致させ続けるために、
極端に狭隘で限定された思考や行動しかできなくなる。

それはおそらく、学祖である王陽明の意図にも沿わない陽明学の享受法。
朱子学で主知主義に入れ込みすぎた勉学者が、いざ行動に移すとなった時に、
躊躇してろくに実践もできなくなかったりすることを戒める目的で提唱されたのが
陽明学だったに違いなのに、陽明学を朱子学の対立理念と捉えて、よく考えもせずに
「考えれば即行う」という部分だけを、今の警察や一部の権力者が実践していたりする。
聞く耳持たない上に、自分でもよく考えはしない、奴隷戦士も同然の酷吏の出来上がり。

武経七書中の「司馬法」に、「決戦においては最良の書物すら打ち棄てよ」とあり、
兵法の観点に即するなら、思い切った行動にはもはや雑多な思考は一切ご無用だと
されるわけで、江戸時代の武士なども、朱子学で蓄えた豊富な知識をいざ実践に移すや、
もはや何も考えないという、主知主義と無念無想の二刀流で為政に臨んでいたわけだが、
狭隘な思考と、その思考と共にある限りにおいての行動という、朱子学にも東洋兵法にも
沿わない「ヘタな陽明学の享受」に今の警察とかは耽溺している。坂本龍馬の斡旋で、
三井住友ら大坂の豪商と結託して、グラバーから重火器を購入して幕府を倒壊させた薩軍の
末裔が多い今の警察官としては、朱子学+兵学という幕府の学制は受け入れ難いのだろう。

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171 2011/11/24(木) 22:17:45 ID:DP/nDEj/nU:au
これだけ窮地に追い込まれても、
降伏後の処遇改善に向けた取り組み一つ考えられもしない。

ちょっと考えたらすぐ行うという、陽明学中毒状態では、
少しだって長い目でものを考えることはできないから。

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172 2011/11/25(金) 16:48:08 ID:Lw0VBpgK8Q
「桀の犬、堯に吠ゆ」(鄒陽・於獄上書・白明一首)

犬は、飼い主の敵とあらばなりふり構わず吠えてかかる。
たとえ自分の飼い主が桀王のような暴君で、その敵が堯帝のような
聖王だったとしても、自分の飼い主の敵だという理由だけで吠えかかる。

主君の行いや命に対しても自主的な精査をこなし、
大きな過ちがある場合には諫言も辞さないというような、
高等な臣下(君子)であるためには、古典儒学をありのままに実践したり、
あるいは朱子学で豊かな学識を身に付けて、それを無念無想の武術の極意で
実践していくといったようなことが必要で、いずれにしろ膨大な勉学を要する。

そうではなく、朱子学の主知主義へのアンチテーゼとして唱えられた、
陽明学の「知行合一」という部分だけを実践して、ろくに勉強もしなければ、
自分でもよく考えようとはせず、ちょっと考えればすぐにそれを行うという
脊髄反射状態でいたならば、それこそ主君への諫言などができるはずもない。
できることといえば、飼い主の敵とあらば無条件に吠えてかかる犬程度、
堯帝にすら吠えてかかる桀王の犬程度のことでしかあり得ない。

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173 2011/11/25(金) 16:50:19 ID:ucjm.Wx6y6
考えずに身体を動かすのは武術の極意だけど
それは、戦闘の範疇での事だと思う。

戦闘より上の、戦術、戦略の場面で
考えずに動くのを是とする人はおらんだろう。
そんな兵法はないと思う。

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174 2011/11/25(金) 18:02:43 ID:Lw0VBpgK8Q
「戦略を戦闘に移すときはもう考えない」と言っているのに、何を勘違いしてんだか。

「大智不智、大謀不謀、大勇不勇、大利不利(六韜・武韜)」というのもあるにはあるが。
俺が非常に気に入っている言葉の一つでもある。

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175 2011/11/30(水) 05:51:56 ID:X0NXO7cI0s
動かざる事、山の如し。

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176 2011/12/02(金) 12:26:34 ID:gxfwV04402
あ、すいません。へんな事書いてた。
いつものことだけど。

続けてください。

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177 2011/12/13(火) 14:08:25 ID:A6wHh8XbdY:au
日本の武術の理合は、神道と禅に因る所が大きい。

禅の無念夢想が武術に応用されているのはよく知られているが、
神道が武術にどんな影響を与えたのかは、あまり知られていない。
「精神主義」であるのは確かだが、具体的に精神主義とは何なのかといって、実は非常に神妙なもの。
易学や道術を日本的に昇華させた所に神道の精神主義もあり、
それは戦前の国家神道が国民に強いていた闇雲さなどとは一味も二味も異なる。

有り体にいって、非常に面白い。
諸法実相をありのままに用いたパズルとでもいったようなもので、
形而上の超越神などを想定しなくたって、この世界の内側にも
驚くほど多くの神妙な現象法則が存在していることに気づかされる。

ニヒリストである人間も、ニヒリストであるままに一度神道や神道系武道をやって見ればいい。
決してニヒリストだからといって、この世界のノッペリさからなる鬱屈などにかられる必要はないのだと知る。

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178 2011/12/13(火) 15:11:10 ID:lDJWwNEbx6
杖道で神道夢想流とかあるけど
あれの「神道」は、そのまま神道。
「夢想」の部分は、禅の無念夢想から来てるのか。

神道が武術に与えた影響かー。
そういや、武道の道場に神棚がある所が多いですね。
キックボクシングのジムでも、置いてるところがあった。


神道が、道教や儒教の影響を受けたって
部分は・・うさん臭そうだけど、ありえるかもなぁ。

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179 2011/12/16(金) 05:08:58 ID:iak0dBI9Gs
今の日本人。
全員儒学を教えるべきだ!

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180 2011/12/21(水) 04:13:43 ID:EX0NTWL2AM
ある思想を「ニヒリズム」だとして非難するとき、
あるいは必ずしも否定的に評価をせずとも「ニヒリズム」であると診断するとき、
(しかし「ニヒリズム」という言葉は常に否定的な評価として機能してきたんではないかとも思うが)
さらにまた、「我々はニヒリズムの中にいる、目的や目標が失われている、何を言ったって、したって、無駄だ、さらにこうして無駄だと言うことすらもが、無駄だ」
とまでも言うとき、
それでもなお、「無駄だ」という言葉が「無」を含むということは、その先に「無」と反対の「有」を想定しているはずなのだから、有を想定していなければ無とすら言えないのだから、
そうしたニヒリズムについてのあらゆる言明は、
非難であれ診断であれ、
さらに、何をしても無駄だという言明でさえ、
全ての言明が、未だにニヒリズムの先に目的や目標を持っているのではないのか?

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181 2011/12/21(水) 09:34:08 ID:P3/x3vYSQ.
無を主張することは、有の存在を確信することでもあるんか。

バットマンのジョーカーが、(善)バットマンがいるから
自分みたいな(悪)ジョーカーも存在するって言うてるのと一緒の
やや厨2っぽい発言で、めずらしく分かりやすいです。

SM 阿闍梨によると、仏教での、無と有は並列する同格の概念で
それら両者をまとめる上位概念が、空ですってね。

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182 2011/12/21(水) 10:59:49 ID:aEF4JekeDQ:au
何もかもを否定する過程で、
自意識過剰の思い上がりだけはかえって肥大化させているのがニヒリスト。
何よりもまず自意識の否定から取りかかるのが般若。

自らの自意識への否定を他の事物にも振り向けるから、
否定されることによって相手がどんな気持ちになるのかも分かりきっている。

「こういう否定のされ方なら、自分だってされたって構わない」という否定を他者に加えてみる。
それで反発してくる相手は心練が足らない未熟者、納得する相手は自分並みの達観ができている者だと分かる。

いずれにしろ、自意識過剰をお互いにぶつけ合うような意図はどこにも無く、
相手が自意識過剰によって食ってかかって来たところで、
こちらに対抗してかかるような自意識はどこにもない。

醜悪な自意識過剰を未だに持ち越している側だけが、
その思い上がりによって、自業自得で極重の苦悩にかられ続ける。
否定の刃を無闇に乱用して、自意識の否定だけは怠っていたニヒリストなどもまたその内に入る。

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183 2011/12/24(土) 05:24:04 ID:ioIB5nazxg
現在の我々にとって「アポロン」、「ディオニソス」(ともにニーチェ初期から現れる思想概念でニーチェ著『悲劇の誕生』)、
「能動的ニヒリズム」(ニーチェ著『権力への意志』)という語は馴染みがないのですが、実は「ニヒリズムの克服」と同様かつての流行語でありニーチェの思想概念です。
三島氏が当時の流行概念によって自らの思想を語ったのか、
当時の日本がニーチェ著『権力への意志』に記される「ニヒリズムの到来」時期と重なって思われてその語を用いたのか、

それともニーチェの思想に信服してこのように言ったのかは更なる研究を待たねばなりませんが、
「もはや道理は要らない。道理はガタピシして、持ち運びのたびに、壁のあちこちに傷をつくる厄介な家具であり、その上ノスタルジーと関わりがあるから、あまりに主観的なのである。思い出は要らない。」
という文句はニーチェ思想そのままとは言えないものの大いに影響を受けた形跡有りと私には思われます。

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184 2011/12/24(土) 08:27:19 ID:AF1vPoaf5Y:au
ニヒリストもサイコパスも、行き着く所まで行かないと思い知らない。
「道理なんかいらない」と思い込んだ先に何があるのかを思い知らねば。

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185 2011/12/24(土) 13:22:34 ID:i1wf1wYWNU
ふと思ったんだけど、儒学を学び、人格が完成に近づき
徳が高まった人物は、他者の信仰や考えを、下品な言葉で激しく
糾弾することは控えるんじゃなかろうか。

教え、諭し、導こうとするならまだしも
ただただ愚弄するだけなら、二流三流の仕事かと。

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186 2011/12/24(土) 13:52:43 ID:AF1vPoaf5Y:au
まだ教え諭す段階じゃない。自首勧告の段階だ。

刑務官も拘置者の肛門をかっぽじってチェックする。
今ならエックス線検査でも済みそうなもんだが、
そのほうが「二度と入って来るな」という戒めになるからなあ。

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187 2011/12/29(木) 03:39:13 ID:WyVZY2H.gg
「能動的ニヒリズム」とは、将来的な創造の構想はなくとも既成の古めかしい道徳・価値を否定・破壊し対抗しようとする思想です。
ニーチェは次のよう言います。
「精神の上昇した権力の徴候としてのニヒリズム、すなわち、能動的ニヒリズム」(『権力への意志』工藤綏夫『ニーチェ』清水書院の訳より)。
この「能動的ニヒリズム」という語によって後にも見られるように陽明学を形容・限定することには賛成しかねます。
何を根拠に陽明学をニヒリズムとするのかは次に見る文によってはっきりします。
太虚という語が虚無と表面上類似しているように見えるからですが、太虚に価値の否定という概念は含まれていません。
虚無という語は陽明も用いていますが、現代のニヒリズムの概念とは全く異なります。

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188 2011/12/30(金) 07:17:30 ID:0X0yzLZP.A
「ゲシュテル」とは「漢意(からごころ)=朱子学的イデオロギー」と同義であり、一種の「原理主義」であろう。

宣長や徂徠は朱子学的な漢意を徹底して批判し続け、これをディ・コンストラクション(脱構築=転倒)させたが、しかし漢意をディコンストラクトな状態に止めておくことは至難の業であろう。
それほど漢意の根は深いのだ。

宣長や徂徠は「やまとごころ」によって「からごころ」を締め出すことに成功したが、すぐさま明治新政府によって天皇親政は復活する。
天皇機関説(国家主権説)を真っ向から否定した蓑田胸喜らの天皇原理主義者も出てくる。
もっとも日本的と観られていた者たちが、実は無自覚にも漢意のイデオロギー・・・(西洋ロゴス中心主義とはやや意味合いを異にするが体系的には同じである)・・・に染まった者たちであったといえるのだ。
つまり精神の平衡感覚を喪った「左翼主義者」ということである。

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189 2011/12/30(金) 12:50:23 ID:lL.rpgk5Xs
なんかよくわからんけど
儒学をディスる人が出てきたな。良いことだ。

本居宣長は儒学が嫌いだったのか。

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190 2011/12/30(金) 13:14:56 ID:C9DUpXYL0Q:au
本居宜長は当然国学者だが、古事記という日本固有の史書の研究に努力を注いだ当たりは、
「日本固有の儒者」としての功績であるといえ、中国の史書や礼法ばかりを
偏重する「儒教徒」以上にも、純粋な「儒学者」としての立場を貫いたのだとすらいえる。
(江戸時代に数多の儒教徒が横行していたことは、佐藤一斎も悪しき風習として指摘している)

荻生徂徠は、赤穂義士の処分に対する見解が、御用学者の林派などと比べて
過酷なものであったことから「法家の徒」であるなどと勘違いされがちだが、
徂徠が赤穂義士切腹の罪状と見なした「私党編成」は、孔子も衛霊公第十五・二二で
「君子にあるまじき行い」として非難しており、情念や時の世論などに惑わされず、
本来の儒学に根差した見解によって徂徠も、赤穂義士の罪状が切腹相当であると断じたのだといえる。

本居宜長も荻生徂徠も、江戸幕府で御用学とされた朱子学が、絶対服従の「儒教」と
化すことに抗っていたことには違いないが、だからこそ本来のあり方にまで遡った
模範的な儒学者であったとも言え、決して儒学という学問体系の
全否定までをも企むような蒙昧の徒ではなかったと言える。

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191 2011/12/31(土) 07:39:29 ID:bjwpTjeq7Y
日本は儒教国なんですよ。学校で「子いわく云々かんぬん」
て習ったでしょ。あの論語ってやつは日本が儒教国だから習うわけ。
儒教を一言で言うと、礼と徳は全能であり、仁と礼と徳でもって世の中の全てを動かせるという帝王学の一種です。
でも僕はそういう付け焼き刃的で押しつけがましい作法が間違いだと感じていて、だからあの「子いわく」の授業がイヤでイヤで、あまりにもむかついたので孔子の生涯を調べたら、当時すでに誰からも相手にされていなかった。
記録に残っている中で当時孔子を嫌った最も高名な人物が晏子(晏嬰・晏平仲。子は尊称)。
晏子はいろいろな物語に理想の宰相、理想の人物として名前だけは登場する中国史における偉人中の偉人で、サッカー史で言えばペレやボビー・チャールトンのような存在です。誰もが晏子を絶賛したけど、一人だけ晏子に批判的なポジションを取った人物がいた。
それが孔子大先生。
その理由が実に感情的で低俗な理由で、晏子が当時の大国・斉の宰相だったとき、孔子が斉に仕官を求めてやってきた。斉の王が孔子に乗せられて召し抱えようとするのを晏子が諫めたので、孔子は晏子を恨み、生涯晏子の陰口を叩き続けた。

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192 2011/12/31(土) 11:21:18 ID:3Avpg5/abw
yoyo
口の悪い僕ちゃんだyo
お前らの儒教とかいう趣味ウザいよね
社会生活の苦難からの逃げ口上に儒教を利用してんだろ?
それって二次元アニメに興じる引きこもりと同じ理屈じゃないの?
テレビゲームやスポーツなんかと同じじゃないの?
それに没頭して社会生活を忘れるんだろ
おんなじじゃねーか
指導する人間はともかくよ
出家する人間なんてのはテイよく社会生活から逃げ出した引きこもり君だろう
社会の中に人間関係に幸不幸があるのに逸脱しちゃあ犬猫と変わらんね
お前らのソレは良く言って趣味的だ

返信する

193 2011/12/31(土) 16:42:37 ID:ghtkYN/2/U
孔子の業績は、むしろ死後におけるその教学の受容による
数百年規模の泰平社会の幾度にもわたる実現だといえる。
それは決して管仲や晏嬰にもない業績である一方、朱子学で主要学問対象のうちに
組み込まれた孟子などにはかなりあるもの。孟子も存命中の受け入れは惨憺たるものだった。

では、孔子が存命中にほとんど世に受け入れられなかったのはなぜかって、
当時がまだ春秋時代という「低度の乱世」にあったから。当時すでに相当な腐敗状態に
あったにしても、まだ諸侯たちが淫蕩な振る舞いに耽っていられる余裕があったから。

戦乱が深刻化し始めた戦国時代ともなれば、もはや諸侯も淫蕩より敵国との争乱に
明け暮れることのほうが主題となったが、それでもまだ徳治にまで目を向ける必要はなかった。
理想の徳治を言葉として述べ立てた孟子が、当時の諸侯に受け入れられなかったのもそのせい。

諸侯が秦に征服されて統一帝国となり、乱世のペースのままの暴政を秦帝国が民衆に
敷くような段階になってから、ついに「こんな権力者などいないほうがマシだ」という
大義が完全に立つようになり、陳勝や項羽らの反乱によってあっという間に秦帝国は崩壊し、
楚漢戦争の動乱の後に高祖劉邦によって打ち立てられた漢帝国が、ついに徳治を敷くようになった。

乱世でないとき以上にも、乱世が極まって権力者が総倒れになったときにこそ、徳治も敷かれる。
牧歌的な田舎社会などで、格式ばった徳治などを志す必要も別にないわけで、莫大な権能を持つ
権力犯罪者たちが大いに世の中を傷め尽くした先にこそ、癒しとしての徳治までもが必要になる。

今という時代も、秦帝国崩壊前夜か、それ以上にも乱世が極まった状態にあるわけで、
だからこそ次の時代に治療目的での徳治を施す必要までもが出てくる。まさに今の時代の
権力者こそが、自業自得で呼び込む孔孟の政であり、怨みたかったら今の権力者を怨むしかない。
道家的な立場からいえば、儒学すら本当はいらないものなのに、わざわざそれを必要なものと
してしまったおまえらの親分たちに、すべての不満を押し付けるようにしなければならない。

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194 2012/01/01(日) 00:42:59 ID:.4BCH7NUOU
勘違いしているだけだ

ほんとうは必要ないのに無ければ滅びますよと言って取り入るマッチポンプ的な手法
暴力団のやる場所代とおんなじだよ
場所代払うかわりに何かあったら守ってやるという
実際には何もないのに、末端の人間に問題を起こさせて解決するパフォーマンスまでやる
お前ら儒教の人間も あの事象は儒教の手柄である
あれはキリスト教の悪しき行いであるから助太刀しましょう
などとパフォーマンスしている

己の生き方を肯定するための戦略としては上等だよ

上等な居場所を社会につくりたいんだろ

働きもなく上等な地位に居座るのは暴力団や政治家や荷居徒と同じだよ儒学者よ

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195 2012/01/01(日) 01:16:03 ID:DN9e7lClIw:au
仁徳なんか、完全にこの世から無きものとしてしまえばいいよ、一回。

次は無いだろうけど。

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196 2012/01/01(日) 05:50:20 ID:aulCMJULnE
魏の恵王から国を強くするのにはどうすれば良いかと聞かれたとき
孟子は「仁者は無敵なり」と言った。

結局儒教ってのは「正義は勝つ」と同じなんだよ。
仁者であれば誰かが必ず助けてくれる。見返り大歓迎。あんど超期待。
でも仁者を助けてくれる誰かは兵家かもしれないぜ。
だいたい儒家と比べて兵家は法家だから物言いにも筋が通ってるし、兵家の代表格の楽毅や吉田松陰は総じて孔子より百倍立派な生涯を過ごしてる。
僕らが本質的に人を嫌いなのは、彼らがこういった卑しい思想や教育を何の違和感もなく受け入れていたり、有り難がっているせいかもしれない。
グローバルの西洋人と話す分には、いつも感じてる嫌な感じがしないから。

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197 2012/01/01(日) 06:28:48 ID:DN9e7lClIw:au
何も分かっていない未熟者は、何も分かっていない未熟者を欲するんだな。

全地球人類の眼前で、素っ裸で、全身の穴という穴から体液と固形物をほとばしり、
泣いて大喜びして土下座しながらお願いでもして来ない限りは、何も協力しないから安心しろ。

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198 2012/01/01(日) 09:12:15 ID:918/XcyCXY
棚ぼた野郎でないことを厳格とするために、初めて書かれる俺のWikipedia紹介欄には、
「米軍全軍を強制接収」と書かれるようにする。自由意思による譲渡ではなく、強制的な接収。

アルティメイト・フォースを絶体絶命の窮地に追い詰めた、俺自身が兵家の大長者であると。

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199 2012/01/01(日) 13:59:10 ID:DN9e7lClIw:au
Psycho Warの最終勝利者、現実で範馬勇次郎を超えるの巻

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200 2012/01/01(日) 14:51:08 ID:yLli8AmBMY
>>197お前の如何なる知識も社会学習で得たものだ
思い上がりも甚だしい
藁をも掴もうとする愚者以外は誰も求めたりしない

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201 2012/01/01(日) 15:05:17 ID:DN9e7lClIw:au
まあ、まずはイランとの鍔迫り合いを詰めてかかることだな。

核大戦の寸前にまで追い詰められて降伏するのでもなければ、強制にならないからなあ。

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202 2012/01/02(月) 05:11:33 ID:OFsmpZbJVw
ニーチェ保守主義とは、いうなれば民族主義とニヒリズムによって
永劫回帰=永続維新を実現するという保守思想の考えである。

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203 2012/01/02(月) 15:08:07 ID:1z.ku2nB0w:au
世のため人のため、世界平和と人類繁栄のため。

それが結局は、自分のためや愛する者のためともなる。

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204 2012/01/03(火) 04:43:09 ID:4R.pgY/yBM
国家が有機物であるという基本的な志向としてはバーク保守主義と共通するが、
ニーチェ保守主義の違う所は永劫回帰によって日本列島の内だけに留まらない事である。
すなわち拡大型の保守主義=ナチズムであり、民族主義である。
また我々は日本という枠組みに決して縛られる事はない。
その根源にある民族に回帰する事で新しい枠組みを経るのである。

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205 2012/01/03(火) 07:20:45 ID:TqPJBDyy9s:au
天人修羅、神儒武の総結集なんだよね、あの事件の根底にあるものは。
だから洋学由来の法治主義や西洋哲学なんかでは、決して割り切れるものではない。

洋学の域を完全に超えている一方で、
日本や東洋に限らない、天地万物に永久普遍の道理にも根差している。
だから西洋人ですらもが、異国情緒として一笑に付すこともでない。
確実にそれで自分たちにも罰が当たり、キリストですらそれを救うものではないから。

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206 2012/01/06(金) 14:24:28 ID:QHBwwh0FXA
人格神ではなく、「現象の理合」としての物言わぬ神仏こそを崇敬する東洋の伝統。

人格神しか神でないと見なす西洋人には、それがニヒリズムの一種に見えるようだが、
むしろそこにこそ、ニヒリズムの苦悩を根本からなからしめる秘訣が存在してもいる。

人格を持つ神仏が現れたかのような記録が、昔の日本の伝説や物語にもある事はあるが、
そういうものはあくまで方便のうちと見なされていて、人格的な霊異に惑わされるのは
未熟なことであるとされるし、人格的な霊異それ自体が程度の低い神格であるともされる。

思考や言葉を用いないことには、人間に影響を与えることもできないからには、
そのような神霊は、人間並みや人間以下の存在であるに違いない。下等な動物が人間の
言葉を理解できないように、人間もまた自分たち以上の神仏の言葉を理解できもしない。

言葉として理解できないながらに察知しようとするところにこそ、真の崇敬までもが
備わって行き、その真の崇敬こそが、ニヒリズムの苦悩を根本から絶やす糧ともなる。

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207 2012/01/06(金) 17:29:43 ID:LKQS80itLE
自信持ちすぎ
書いてあることは、一切証明なんてできないことなのに、その自信はいったいどこからくるんだろう?
あらゆる結論に中間の論理的な飛躍がありいきなり結論で自己完結
いくら書いてもだーれも認めないよ

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208 2012/01/06(金) 19:39:01 ID:QHBwwh0FXA
認められるために書いているのではない。自分が成長するために書いている。

共に成長しようと心がける有志がいれば、それはもちろん歓迎するが、そんな
志しなど少しもないままに、ふんぞり返って「認めてあげようかねえ」などと
上から目線の批評を加えてくるような身の程知らずは、始めから全く及びでない。

自らの成長を第一としているから、人への説明の修辞も拙いものになったりする。
それも、ただの傍観者にとっては認め難い理由になるのだろうが、自らの成長こそを
心がける同士であるならば、相手の説明の拙さぐらいは自分の理解力で補完しようとする。
そういう人間がいて、共に成長を心がけていくのならそれは結構なことだし、そんな相手など
一人もいなくて、ただ独り自学自習を貫いていくというのならば、それもまた乙なことだ。

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209 2012/01/08(日) 09:27:18 ID:k09aPNKcho
ありがとう

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210 2012/01/09(月) 04:23:25 ID:gWjFx4133A
「症状即療法」
生命の営みに対して全幅の信頼を置かなければ発せられない言葉だ。
そこに希望はあっても絶望はない。
そもそも生命というものは「生きるエネルギー」そのものといってもいいのではないだろうか。
最後の一滴の枯渇するまで、それは「生き延びようとする力」である。
自殺は人間の所業であって生命の意思ではない。
細胞レベルでのアポトーシスも、より良い生を前提として行われるものだ。
症状によって端的に表される生命のゆらぎ。
それはより良い生のために企図される自然的にして建設的な営みではないだろうかと。
物質至上主義に堕せば、それはニヒリズム以外の何物でもないかもしれない。
しかし、人間には気高い精神がある。
まったく波風の立たない水面に躍動感を見出せないように、そこに生の喜びを感得できるだろうか。
寄せては返す波のリズムがあってこそ生命のダイナミズムを、そしてドラスティックな人生の醍醐味を味わうことができるのではないか。
一度きりの人生、不安、恐怖、悲壮感のうちに生きるか、喜び、希望、充実感のうちに生きるか。

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211 2012/01/09(月) 11:44:51 ID:yVa0MvXh5Y
なんか西洋はレベルが低くて、東洋は高いみたいなことばっか書いてる人いるけど
そんなにレベルが高いなら西洋のことに関わらずに東洋のことばっか賛辞してればいいじゃん。

なにか劣っている対象を見つけて、それで自分の価値を保持してるようにしか見えんよ。
まあそれこそがニーチェのルサンチマンにもつながるんだけど。
何かを否定することでしか成り立たない価値は
結局その否定してる対象なしには存在出来ないことになっちゃうよ?

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212 2012/01/09(月) 14:17:10 ID:z34fhxnvvQ:au
まず押し付けて来たのは、西洋のほうだ。

ザビエルやペリーやグラバーやマッカーサーが、別に望まれてもいないのに、
地球の裏側の日本くんだりにまでやって来て、無理やり日本人にまで西洋文化を押し付けて来た。

その手法がすでに「覇道」であり、孟子や荀子が王道よりも普遍的に劣悪と見なしていた
手法そのものなわけだが、実際に覇道という手法によって西洋人が押し付けて来た文化もまた、案の定、劣悪なものだった。

弘法大師が自らの十住心論体系で最下等とした、「異生羝羊心」そのものだった。

しかし、弘法大師ご自身は、西洋文化が異生羝羊心に該当するなどと特定されてはないない。
大師が唐に留学された頃、もうすでに唐にもネストリウス派のキリスト教(景教)が
流入してもいたはずだが、大師はバラモン教や道教にまで論及の範囲を広げておきながら、
キリスト教にまでは未だ論及をされては居られなかった。

それがまた一つの王道の体現になっているとも言え、
キリスト教や洋学抜きの十住心論体系に基づく真言密教もまた、
この日本で豊潤な仏教文化を華開かせている。

それだけでも別にいいわけだが、わざわざ西洋人のほうが、覇道という劣悪な手法を用いて、
異生羝羊心に該当する自分たちの劣悪な退廃文化を、日本にまで強制的に押し付けて来ているものだから、
「だったら異生羝羊住心第一であるなりの扱いをしてあげましょう」というもの。

本当はなくてもいいんだが、押し付けて来るもんだから、仕方なく応対してやっている。
それが不満だというのなら、始めから押し付けて来なければいいのであり、
押し付けたら応対してくれたことに不満を唱えるぐらいなら、むしろ感謝をすべきだとすらいえる。

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213 2012/01/09(月) 19:35:25 ID:yVa0MvXh5Y
>本当はなくてもいいんだが、押し付けて来るもんだから、仕方なく応対してやっている。
>それが不満だというのなら、始めから押し付けて来なければいいのであり、
>押し付けたら応対してくれたことに不満を唱えるぐらいなら、むしろ感謝をすべきだとすらいえる。

いやいや例えば西洋料理のスレで
「日本料理はこんなにレベルが高い、それに比べて西洋料理は〜」みたいなこと言ってるようにしか見えんのよ。
じゃあ日本料理のスレ立ててそこで素晴らしさを語ればいいじゃん。

押し付けて来るもんだからって?誰に?あなたに?
もし仮に押し付けられてても、もうアナタには関係のない話でしょ。食べないんだろうし。

まあどちらにしてもね、日本料理の旨さを伝えるために西洋料理のダメなとこを挙げて
伝えようとする人は西洋料理なしに自立できてないんだよ結局のところ。

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214 2012/01/09(月) 19:49:18 ID:z34fhxnvvQ:au
日本人が、日本文化を、西洋に押し付けた事実は一切ない。

西洋人が、西洋文化を、日本に押し付けた事実は厳然としてある。

押し付けて来たに応じて、押し付けて来たなりの劣悪さを指摘してあげているだけで、
むしろ劣悪さを指摘してあげることのほうが主であり、
ついでに比較対象としての東洋文化を賛美することのほうが副だ。

西洋人が自分たちの文化の劣悪さを思い知って、反省と贖罪をし始めたなら、
わざわざ劣悪文化を押し付けて来たことまでもが清算されて、
外的に劣悪さを指摘してあげるような大義も尽きる。
それと同時に、取って付けたような東洋文化への賛美も終結し、
ただ賛美するばかりではない、より本格的な東洋文化の実践の復興が始まって行く。

キリスト教や洋学が異生羝羊心であるとまだ特定されていなかった頃の真言密教を含む、
キリスト教や洋学抜きでの、純粋な東洋文化の復興が始まって行く。

西洋人による劣悪文化の押し付けが未だ蔓延している
現時点においては、まだそこまでの段階には至れないにしろ。

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215 2012/01/09(月) 21:14:46 ID:YNsZI0yQ5g
盗賊が、自分たちで好き好んで地球の裏側にまでやって来て、
そこで、いそいそと素朴な自給自足生活を送っていた人々の生活や文化を
めちゃくちゃに破壊しておいて、それで「おまえは俺たちや俺たちの文化がなければ、
やっていけない」なんつってんだから、薄ら馬鹿げているにも程があるといえる。

まず、第一にはた迷惑なことであり、有害無益この上ないお節介だといえる。
さっさと盗賊が撤退して自分たちの巣に返って、それで初めてマイナスプラスゼロである。
その上で第二に、自分たち盗賊が反省して改悛して贖罪して、自分たちよりも遥かに
優等な人々や、その文化に聞き従っていくというのなら、それでもいいよという話であり、
それはもう、マイナスプラスゼロ以上の積極的な断悪修善であり、より好ましいというもの。

盗賊野郎どもの撃退という、懲悪活動があった後で初めて、元盗賊どもに矯正を
施してやったりするような勧善活動があり得る。今はまだ懲悪のほうが主体であり、
勧善はなされるかどうかも分からない段階にある。盗賊が撃退もされていないような段階から、
盗賊を矯正してやろうとするほうが徒労であって、懲悪である以上は懲悪に徹すべきだといえる。

未だ懲悪から勧善に移行できないのは、何もこちらに勧善の用意がないからではなく、
まだ盗賊である西洋人のほうが、懲悪に対して無駄な抵抗を続けようとしているからでしかない。
それこそ、懲悪に手こずっていればこそ、勧善の用意をより潤沢ならしめることににまでも手が
及ばなくなってしまうのであり、その原因は偏に、懲悪に抵抗し続ける盗賊の側にあるといえる。

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216 2012/01/12(木) 04:42:48 ID:2st8XNwy0A
神も仏も存在せず、モノがあるだけの世界は、つきつめると必ず意味がないということになります。
それがニヒリズムです。
 そして、人間の命もモノの寄り集まりにすぎないのですから、もちろん意味はないのですが、なぜか生きていて、とりあえず自分の気持ちのいい悪い、好き嫌い、快不快はありますから、それを追求して生きるしかない、と考える。
それが快楽主義です。そうしてみても、死んだらすべて終わりで意味がないのですが。
 つまり、近代的な理性、科学主義的な世界観には、もちろんプラス面もあったわけですが、そのマイナス面が徹底的に進むと、必然的にニヒリズム_エゴイズム_快楽主義に陥ってしまうという本質的な限界を持っています。
それは、人類が歩みを始めたときからずっとかかえていた分別知の限界なのです。
 欧米では、近代的な理性・科学によってキリスト教の神話が批判され、もはやそのまま信じることはできなくなった時に、ニーチェという思想家の言葉でいいますと「神の死」とニヒリズムがやってきたわけですが、
日本では開国_明治維新と敗戦という二段階のプロセスを経て、そういう欧米的な近代的な理性・科学が社会に浸透し、今や「神仏儒習合」の世界観が決定的に崩壊しつつあり、欧米よりははるかに遅れていよいよ本格的なニヒリズムが社会を脅かしつつあるのではないでしょうか?

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217 2012/01/12(木) 12:42:40 ID:DC3Phpdis.:au
日本の神仏信仰は人格信仰ではないので、科学の発展によって破壊されたりすることはない。

それは例えばイスラム教などでも同じで、絶対神アラーは使徒ムハンマドにコーランに
該当する教義を啓示はしたが、アラーそのものは人格すらも超越したものであり、
科学の発展もアラーの正体を突き止めるための手段の一つになるとすら見なされている。

形而上の人格神を信仰の対象とするのなら、それこそ科学の発展によってニヒリズムにも
転向せざるを得ないが、そもそも形而上の人格などを神とは見なさず、この世界、この宇宙に散在する
普遍法則を神や仏と見なして、それらをありのままに崇敬の対象とするのならば、
この世界の現象法則を解明する科学の発展が、そのような崇敬を破壊することはない。

むしろ科学自体が、儒学でいうところの「格物致知」の一環となり、
崇敬に値する正神と値しない邪神とを分別する手立てとなって、
正統な神仏を崇敬する正信の持ち主にとっては、好ましい結果を招く。

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218 2012/01/13(金) 04:52:01 ID:.gJmThVINs
今、日本は元気がない。経済一辺倒で頑張ってきたのにもかかわらず経済がダメになった。
人口は減り、文化資本は元気がなくなる。
政治にかんしていえば長年の官僚とメディアの独裁体制はなくなりそうもない。
碌にメディアは権力を監視できていない。
これからもニヒリズムが世界を覆うだろう。
アジア・アフリカ・中東・南米の近代化が進めばますます世界中はニヒリズムで覆われる。

その時にキリスト教やイスラム教では近代化と矛盾する。
だから、次の宗教は仏教だ。仏教なら原典がない。
私が仏陀から聞いた言葉ですといえば、それは仏教たりえるのだ。
現代の最先端な科学を取り入れた新しい宗教を国家間の知識人たちが500年くらいかけて慎重に作り上げるべきではないかと思う。
そうしたらいくら経済で頑張って失敗しても帰ってくるホームベースがあるじゃないか。

>>217
auから書いてる人。いつもありがとう。

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219 2012/01/13(金) 12:04:12 ID:AHRE4.4/HU:au
宗教ありきでしかものを考えられないこと自体が、
アブラハム教に特有の病理だ。

他力本願なんて、自力作善の潤色ぐらいにしか考えないでいてこそ、健全だ。
まず他力本願でしかあり得ないのは、女か子供かオカマの男ぐらいのものだ。

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220 2012/01/14(土) 05:47:43 ID:7P9WT6pKFc
元外交官・佐藤優氏、日本で「ニヒリズムが蔓延しているのが恐い」

「政治家は、結構熱い思いで永田町でやっている。(一方の)官僚は出世にプラスになるかマイナスになるかよく分からないから様子見をしようと(している)。
そういう様子を見て、政治部記者というのはものすごいニヒリズム、白けた感じになってやっている。
これによってニヒリズムが(日本全体に)蔓延していることが、僕はすごく恐い。」

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221 2012/01/14(土) 11:45:00 ID:lTd0xKvoI.:au
東大卒を始めとする洋学修了者こそは出世する世の中なのだから、
権力機構にニヒリストやサイコパス患者が群がるのは当然。
あえてそういう人種を選別して出世させているんだから。

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222 2012/01/16(月) 23:38:22 ID:AsRbtZjjZQ
つーかいい加減ニヒリズムはダメっていう話から
どうすればニヒリズムに陥らない、もしくは超えられるのかっていう話をしろよ。

仏教ならなぜニヒリズムに陥らずにすむの?
専門用語ばっか使わずに教えてね。

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223 2012/01/18(水) 11:40:11 ID:vd3LY5hh1w:au
洋学を勉強していると、自然とニヒリズムが助長される。
ニヒリズムからなる思い上がりこそは、洋学が取り扱うような
しょうもない概念論もウレシがって貪り尽くす糧になるから。

仏学はかえってニヒリズムを立ち消えにさせ、些末な概念論へのウレシがりなども霧散させてしまう。
それが洋学の振興にとっては不都合なことだから、洋学が大々的に取り入れられた明治期に、
廃仏毀釈で仏学の一般社会への頒布が徹底的に取り締まられることとなった。
(大正になってからは、大蔵経が新脩されるなど、一部仏学規制が緩和された)

儒学が一般教育から廃絶されたのは戦後なので、儒学以上にも仏学こそは、
洋学振興に必須なニヒリズムの助長を阻害する決定的な要素を備えていることが分かる。
(戦前の帝大の学者の洋学に対する理解度は、戦後の学者以上だったとも言われる)

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224 2012/01/19(木) 04:03:48 ID:/nBCoqO32M
>>223
いつもご教授ありがとうございます。
平日の昼間に書いてらっしゃいますが、
あなたは大学の先生ですか?

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225 2012/01/19(木) 09:56:15 ID:xDVZQ5LRxU
自他共に認めるニート。
学生時代にいじめられて引きこもってから
働いた経験ないんだたと自分でいってた

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226 2012/01/19(木) 10:50:16 ID:Mpb.zg03HI
仏教の悟り=執着を捨てるは、もしかしたら
ニヒリズムに近いもんなんじゃないの?

自分を客観的に認識し、周囲に過剰な期待はせず、
全てをありのまま受け止める、穏やかな心の作用みたいなん。

仏教好きの人は、悟りはニヒリズムと違う!
もっと能動的な心の作用だって言うみたいだけど
なんか、言い方が違うだけで、内実は同じような気がする。

死や、老い、病、金持ちも貧乏人も、逃れられない大変な厄災に囲まれた
古代インドで、どうやったら心の平穏を勝ち取れるかを模索した結果が
釈迦の発明した、悟りなんですよね。

究極的には「気にするな」って姿勢で、ニヒリズムっぽいと思うなぁ。
「仕方がない」がニヒリズムで、「気にするな」はもうちょっと能動的なんかな。

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227 2012/01/19(木) 11:51:31 ID:32XxoVAhuM:au
洋学者のニヒリズムと仏の悟りとは、
似ているものどころか、全くの別物。

片や万物への嫌悪感の塊、片や好悪を超越した達観の境地。

強烈な好悪に囚われているという点で、ニヒリストは常人以上のカルト信者並みであり、
俗人として好悪に囚われぬ道理に適おうとする、道徳者ほどの客観性すら備えてはいない。

仏や菩薩どころか、並みの常人や善人以上にも、
ニヒリストやサイコパス患者は、好悪という主観の過剰に囚われた、病の徒だといえる。

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228 2012/01/19(木) 21:25:29 ID:pMLvBqYjx.
>仏学はかえってニヒリズムを立ち消えにさせ、些末な概念論へのウレシがりなども霧散させてしまう。

具体的に説明もせず、こんなこと言ってるだけでいいなんて仏教とは楽ちんですね。

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229 2012/01/21(土) 06:27:36 ID:wdJ8sJfCx2
ニーチェのニヒリズムの概念の中には、すでに触れたように二つの相反する傾向がうかがえる。
すなわち神の消失・不在を直視しようとせず、
むしろそれを隠蔽せんがためにありもしない価値を捏造しようとする傾向と神の消失・不在への焦慮を自己破壊衝動に転化させ、
生を軽蔑の対象へと貶めてしまう傾向である。
(この、二つの相反する傾向がニヒリズムという概念に含まれているために、
ニーチェのニヒリズムについての記述には用語上の混乱が見られ、
それがニーチェのニヒリズム概念の把握を難しくしている)。

返信する

230 2012/01/21(土) 11:46:08 ID:/uxhWVw/P.:au
ただの自暴自棄(やけくそ)を「ニヒリズム」なんて言葉で
高尚化しようとしているところから、すでに傲慢が入り込んでいる。

心の病としての治療に本気で取り組んでいくのなら、
その傲慢から捨て去るべきだといえる。

返信する

231 2012/01/21(土) 23:40:15 ID:lZPny/E7a6
「人は何も欲しないよりはむしろ無を欲する」

この状態こそニヒリズム

そしてニーチェはこのような状態に陥らないためにどうすればいいかを
一生を捧げて考えた。

返信する

232 2012/01/22(日) 06:08:58 ID:OCJ59W76dM
人はあくまで個としての人でしかありえない。
普遍的な人間などどこにも存在しない。
「人類」とは人を欺くための概念である。
人は誰でも例外なく「自分」である。その「自分」が人間であるのは、その所属するところの人の集団に保持される知を獲得することによってである。
地上に存在するすべての人々を統べるような知を獲得しない限り、人は「人類」にはなれない。
いったい、そのような知が何時確立されたのか。
否、そのような知の確立ははたして可能なのだろうか。
―現代人の傲慢がここにある― 
個としての人、即ち「自分」の過酷さに耐え切れず「自分」を「人類」にすりかえるのが現代人の流儀である。
そもそも、「知」自体にすべての人々を統べるほどの力があるのだろうか。個としての人が知りうることには、おのずから限界があるはずである。

返信する

233 2012/01/22(日) 09:12:39 ID:vz5Q98j2fo:au
私的な願望からなる悲観を、現実把握にすり替えるのがニヒリズムか。
そこにこそ普遍性を騙る傲慢が潜んでいるといえるな。

返信する

234 2012/01/22(日) 09:47:54 ID:04Y6WMtJRA:au
>>233
そうだよ。

で、その傲慢さから抜け出すためにどうすればいいか
ニーチェは考えたわけ。

返信する

235 2012/01/24(火) 10:59:24 ID:vMTUqrFP92
ニーチェは厭世的なものを嫌い
克服しようと努めた、エラい人なのか。

その答えが永劫回帰?
なんかよくわからん。


「運命は決まっていて、同時に自由」って
言ってる武術家の人がいるけど、それに似たような感じなのかな。

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236 2012/01/26(木) 14:58:12 ID:KfENexydN.:au
ニヒリズムですさんでいる人間ほど、至心に信楽し欲生してお念仏。
敬虔さが極まれば今度は、罪福の諾いに即した自力作善へとレッツゴー。

極まれば緩め、また極まれば緩めの、精神の呼吸で窒息を解消。

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237 2012/01/28(土) 06:44:47 ID:tWycU7Ivug
現実から逃げて生きると
後からツケが回って来るだろ?

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238 2012/01/28(土) 12:36:57 ID:Tc1adQb7as:au
現実逃避のための邪信と、現実把捉のための正信とがある。

正信が現実把捉のために役立つ程度は、ニヒリズムよりも大きい。

思い上がりによって数多くの現実的知見をも蔑ろにしてしまう点では、
ニヒリズムも邪信と何ら変わらない。

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239 2012/02/03(金) 04:35:30 ID:PZWEIDrNuI
私は君たちに精神の三つの変化を告げよう。
すなわち、精神がラクダになり、ラクダが獅子になり、
最後に獅子が小児になるありさまを告げよう

これはニーチェが精神の進歩を3段階に示したものです。
砂漠は「神の死」=ニヒリズムの世界を表現しています。
ラクダは重荷に耐えつつ古い思想でがんばっている状態。
しかし、ラクダは獅子に変容し、もっと自由な思想「汝なすべし!」と叫ぶ。
だがニーチェによると、それもまだまだ甘く、最後は小児になってすべての人生を「然り!」と肯定することが理想なのだ。
ありのままに世界を受け入れ、ひねくれることなく生きることを説いているのです。
また例えますと・・・。
売り上げを目指すえと君が、弱者のサルチマンが生み出した幻想に騙されないで、力への意志を達成するために「やらなきゃダメだ!!」とストレスフルにやるのではなく、
起きる出来事をすべて素直に受け入れなさい。と言うことなのです。

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240 2012/02/03(金) 11:40:27 ID:D3LgtoAKxg:au
ニーチェは「ツァラトゥストラ」で、
「我れは重罪人や綱渡り師をも友とする」とうそぶいている。

それこそ何もかもを受け入れる要領でそう言ったのだろうが、
これは本家拝火教の悪思悪言悪行を徹底して退ける教義には反している。

二百五十の戒律を守る自力仏教はもちろんのこと、五逆や誹謗正法などの
致命的な罪業を犯す者までは救わない他力仏教の教義にも違反している。

元祖万物肯定主義といえば、何と言っても道家だが、
その道家の「荘子」盗跖篇などを鑑みるに、盗跖のような重罪人が世の中で蠢動し始めたのは、
積極的に善を行おうとする儒家などの作為に呼応してなのだから、元より綱渡り的な作為などを
全般的に排して、重罪人の横行なども始めから立ち消えにさせてしまうのが理想だというのが、道家の主張のようだ。

最大級の作為を含めた、何もかもを本当に受け入れるというのなら、
それこそ儒家の勧善懲悪志向すらも受け入れるべきだということにすらなる。
道家の内でも列子あたりには、その気がなくもない。

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241 2012/02/06(月) 11:50:15 ID:TyfDjE5Mrs:au
反証可能性のある言及は必ずトートロジーになり、
トートロジーでない言及には必ず反証可能性がない。

西洋科学を含む洋学が論及対象として認めるところのものは、
えてして反証可能性のあるトートロジーであり、反証可能性を執拗に要求するあまり
全ての議論がトートロジーと化してしまい、罪福異熟に根差したトートロジー破綻からなる歓喜をも退けることになる。
故に論及がどこまでも無味乾燥としたものとなり、論及者に深刻なニヒリズムをも患わせることになる。

無論、無制限なトートロジー破綻の容認によって、万年お花畑状態と化してしまうのも禁物であるが、
実在するトートロジー破綻までをも論及対象として容認しないあまり、ニヒリズムと万年お花畑とが
永久に平行線を辿り続けるような事態になるのも不毛なことであり、そのような事態を招く論議は
釈迦のように無記に付したほうが、まだ害がなくて済む。

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242 2012/02/10(金) 15:14:16 ID:cmFrBcgU7c
「どんな確からしい真実を手に入れたとしても、時代(や文化)が変われば、あるいは新たな科学的発見によって、その真実が覆されてしまう可能性を否定することは決してできないではないか」

「もっとも、絶対確実に正しいと言える命題が1つだけある。それはトートロジーである。
だが、ヴィトゲンシュタインが示唆しているように、残念ながら、トートロジーはこの世界について何も語りはしない」

「世界の根本に関する究極の命題群を見つけたとする。
このとき、その命題群が『絶対確実な真実である』と絶対的確実性をもって証明することは決してできない。
今まで見えていなかったより根本的な深層領域が見出され、『ただそのように見えただけの誤った見解』であることが分かるようになる可能性を否定することは決してできない。
もっと言えば、そもそも、『世界が論理に従わなければならない論理的理由など何処にもない』のである」

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243 2012/02/10(金) 16:46:10 ID:FzsbaCX6SA:au
反証可能性のあるトートロジーだけを論ずる西洋学の研究は、まるで砂を噛むかのようだ。

反証可能性を蔑ろにしてでも、トートロジー破綻に秘められた真理や道理を探求する東洋学は、
まるで噛めども噛めども味わいの出てくるスルメのようだ。

スルメ噛まずに、砂を噛む苦痛にばかり耐えていりゃあ、そりゃあ嫌な性格になっても当然だ。

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244 2012/02/17(金) 15:41:59 ID:ncyJWCE.2E
ニヒリストと称される人達、そして自分をニヒリストだと判断する人達と、
彼らをそう称し評価する人達の間には、ニヒリストという言葉の解釈に非常に大きな差異がある。
その差異の生まれた原因は、まず彼らの性質を「主義」などと呼び間違えた事だろう。
彼らは何かをどうこう定義しその信仰のもとで思考し行動するわけではない。
特定の意思を持って生きているわけではない。
彼らの共通項は意思でも論理でも思想でも解釈でも行動パターンでもない。
ただ偏った感性が、理解が存在する。
言葉に表す事が不可能な、諦観のような、虚無感のようなものが感覚の根底にある。
「そう考える」のではなく「そう感じる」のであって、それ以上ではない。
彼らの特性は「主義」などではなく「精神性」、それも干渉し難いかなり根源的なものだ。
つまり、「ニヒリスト」は精神性による分類に過ぎず、
「それ」を虚無「主義」と呼ぶことからして間違っているのだから、
「○○主義」や「○○論」と同列のものだと勘違いして、その前提でバッシングするのはやめてもらいたい。
あと、彼らの世界は思想ではなく実感に過ぎず、哲学で語るような事ではないんじゃないかとも思う。

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245 2012/02/17(金) 19:56:01 ID:ggF7uMgKvk
自分たちは、空虚の闇から抜け出す力を探し出さないとといけない。

トラーイブ。

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246 2012/02/21(火) 16:47:16 ID:vjElhjq3vg
生きていてニヒリズムみたいに吹っ切れずに
毎日苦しみ辛くなりながら分けも分からず生きてる人もいるでしょう。
「克服」したい願望こそニヒリズムじゃないじゃないか。
自分の感情のすべては固定観念の現れだよ。
だから欺瞞やニヒリズムに思うのならその情報までのことしか自分に得ていないのでしょう。
突破口はあると思います。
それを克服することは出来ます。
それを突き抜ける情報を自分に入れればいいのだから。

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247 2012/02/21(火) 17:23:06 ID:sONGkvKbVI:au
仮に情報を取り入れてみたところで、
その意味を全く理解できない思考回路でいたりする。

ふんぞり返ったままでい過ぎたせいで、腰の関節や筋が浅い角度で
凝り固まってしまっている人間には、深く腰を折り畳める恭しさと
共にのみ理解できる情報が、全く理解できなかったりする。

すでに年を取りすぎている場合には、
もはや生存中の矯正が不可能だったりもする。

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248 2012/02/22(水) 15:20:31 ID:VTF12y3ptU
個々の人生にしても、また人類全体の生存にしても、
いっとき何物か something ではあるといえるだろう(これをLとする)
だが、それも無 nothing から生じ無へと帰す、というのがわれわれの帰結であった。
この、「いっとき何物かであったものが、結局は無に帰す」
という事態を数学的に書き表すとすれば、L × 0 = 0 となるであろう。
このニヒリズムが恐ろしいのは、この場合掛けられるもの(L)が何であれ、結局みんなゼロになるのだから、どのみち同じである、という点にある。
つまり、掛けられるものの相違は究極的には全く問題にならない、ということである。
だから優劣を差異づけることが無駄であるだけでなく、
それらにプラスとマイナスの区別をつけること(善悪の対比)自体にも意味はない、ということになる。
一生を平社員で過ごした人の人生も、社長まで出世した人の人生も、結局はゼロとなって同じであるし、
人類の幸福に貢献した人の人生も、人を千人虐殺した極悪犯人の人生の価値も、結局はゼロだから同じなのだ。
なにしろ<何をやるのも許されているが、何をやっても無駄>
というのが、宇宙論的ニヒリズムからの論理的帰結だったからである。

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249 2012/03/03(土) 05:20:56 ID:pH.S.Nc6H.
歴史上、真理に到達した人間はたくさんいると思う。
一人は仏教の始祖・釈迦であり、一人は釈迦の哲学を発展させたナーガールジュナ(龍樹・龍猛)であり、彼は真言宗や浄土真宗でも理念的な始祖の一人として数えられている。
日本では、歎異抄を参考にすると、法然や親鸞も真理に近いところにいると思う。
余談ではあるが、私の世俗的な宗派はたまたま浄土真宗であって、昔は「宗教なんて!」などと思っていたが、
ナーガールジュナの存在を知ってからは、うちの墓を今のお寺に任せておくのもまあいいか、という心境である。
うちに来るお寺さんは科学者である私に対して来世がどうの、とあまり重要でない説教をたまにするので、いつか啓蒙してやろうと目論んでいるのだが、まあお寺さんの仕事だしあまり目くじらを立てるのも大人気ないのかもしれない。本当に余談でした。
西洋では、おそらくニーチェの登場を待たなければならない。
「あるものはある、ないものはない」としたパルメニデスによって西洋哲学は萌芽したが、その後のキリスト教の影響に毒され、ニーチェが登場して「善悪の彼岸」という概念を提出するまでは、
洗練された唯物論と、神を前提としたために大きな混乱を孕んだ思惟についての哲学という片手落ちの状態であった。

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250 2012/03/03(土) 11:36:46 ID:AF1vPoaf5Y:au
パルメニデスは「あるものはある、ないものはない」の正気の論理だけでなく、
「あるものはない、ないものはある」の狂気の論理や、
正気と狂気の折衷の論理なども定立しているだろう?

アリストテレスもニコマコス倫理学で「メソテース(中庸、中道)」という概念を
定立したはいいものの、同時に友愛や正義の場合分けなどの、不審な概念も共に定立している。

真理や道理に適った理念と、そうでもない理念とを概念論によってみそくそに扱う
西洋哲学の風潮が、ニーチェを悩乱からなる気狂いにも追いやった。

西洋人は真理を把捉しなかったのではなく、
その価値を見落として蔑ろにして来たというほうが正しい。

必要なのは新たな真理の把捉などではなく、
真理への敬意ないし荘厳でこそある。

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251 2012/03/04(日) 04:35:24 ID:iVVkul994k
形而上学といえばまず究極の絶対者、いわゆる神的存在をさしますが、ここまで見てきたように、アリストテレスがいっさいを動かす不動の一者として形而上学を構成して以来、アリストテレスの構想に沿って、連綿と続けられてきました。
 それは本当に驚くほどの一直線の歴史です。誰もアリストテレスの主張を正当化しようと努力したわけではないでしょう。
ただ、結果的にアリストテレスの追い求める方向を向いてしまったというべきです。
しかし、そうであるからこそ、この一致は目を見張るべきものであり、同時に、いかに人類が絶対者を求めてさまよいつづけてきたかの証左にもなるでしょう。
 このように常にアリストテレスという特異点を通過しながら連綿と受け継がれてきた哲学の歴史は、ニーチェの登場によって、断ち切られてしまいます。
ニーチェの前では、もはや神という絶対概念すら意味をなしません。まったくの無価値に貶められてしまうのです。
 ニーチェは人間が生きているというこの生そのものを肯定しようとします。そしてキリスト教など宗教者をニヒリストとして断罪します。
彼ら宗教者は今、生きているというこの生を軽く見、来世ばかりを見ているからです。そのような姿勢をニーチェはニヒリズムと呼びます。

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252 2012/03/04(日) 11:49:06 ID:x6cRBkpn1U:au
絶対的な神を追い求めて来たのなんて、アブラハム教徒だけでしかないし。

自分たちを中心にしてしかものを考えられないその自意識過剰さが、
絶対的な神の想定と共に増長させられて来たのも確かだろうが、全世界的に見れば極めて些末なことだ。

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253 2012/03/07(水) 14:11:49 ID:cnmBpiKhEQ
禅とキリスト教を比べるのは簡単なことではなく、いくつか似ているところがあっても、
基本的に全く違う立場に立っているように思われている。
特に禅はキリスト教のような宗教の立場から見れば、認められないところが多いのである。
キリスト教の神のような人格的絶対者を立てないので、無神論と批判され、また禅が絶対的な真実の在り方を「無」と言い、
あらゆる事物や現象の固定した実態を否定するので「ニヒリズム、虚無主義」とも言われる。
他にも禅の修行の中で修行者を助ける神のような相手を立てないので、禅は「自力」の宗教と言われて、すべては自分の努力にまかされていると批判されるのである。

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254 2012/03/07(水) 16:36:11 ID:h1OsAxVOSA:au
キリスト教の価値観からみてどう思われるかなんて、正直、もうどうでもいい。

キリスト教なんて、今年中にはなくなるんだから。

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255 2012/03/13(火) 04:22:04 ID:9fPCvkVDss
ニヒリズムを虚無主義とだけ訳しては本来的意味からはずれるが、絶望
より永久を目指し積極的に生きようというのが本来のニーチェの思想で
ある。

宗教や迷信や迷妄な道徳にすがるのではなく、意思の力により人生を開
くという姿勢が根本にある。

ブッダの思想に本来のニヒリズムを感じるこのごろ。

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256 2012/03/13(火) 12:10:19 ID:nMAFyC1EgA:au
ただ自分が言いたいことを言葉を取っ替え引っ替え言い重ねてるだけで、
何ら本物の仏教や道徳について真摯に論じようとしてはいないな。

だからニヒリストっちゃあニヒリストだけど、
それじゃあ仏教や道徳のほうについて人と論じ合う資格はないわな。

何らの既成物にも頼らないってんなら、それこそ仏教の権威にすがって、
飼い主の懐中の小型犬のように偉ぶるのも止したがいい。

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257 2012/03/15(木) 15:48:27 ID:45Jjxdn/lY
ニヒリズムの自己超克あるいは道徳の自己超克とは、何れも誠実さを徹底するれば(道徳的であればあるほど)、
世界は偽(我々の認識には誤謬がつきものなので、認識される世界は偽であるということ)であり、道徳も偽であるということを見抜くということであり、
これを生のベクトル(力への意志)をもって突き抜けるところに創造者(価値や意味を付与する者)としての覚醒があるということだと思います。

『徹底的ニヒリズムとは、承認されている最高の諸価値が問題であるとき、生存を維持することは絶対にできないという確信である。
それに加えて、彼岸とか、「神的」であり、道徳の体現であるような事物それ自体とかを措定する権利を、私たちはいささかももってはいないという洞察である。
この洞察は「誠実性」が育てあげられてきたことの結果である、だから道徳を信ずることの結果ですらある。(力への意志 第3番)』

そういう意味では「空における一切否定から一切肯定へのおのずからの転換」とよく似ているかもしれません。

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258 2012/03/16(金) 14:17:49 ID:TJ4ZRHWW.o:au
聖書信仰まずありきでものを考えるところにのみ、ニヒリズムという定義もまたある。

邪信ありきでしかものを考えられない病理を取り払った所では、ニヒリズムという定義もまた必要ないのである。

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259 2012/03/18(日) 06:05:18 ID:Uw/UD4lOEc
キリスト教の歴史は戦争の歴史と言われてしまうこともあるように、
数え切れないぐらいの戦争を起こし、数え切れない人が亡くなっている。
宗教に嫌悪感を覚える人はそのような歴史認識があるからだ。
神なんか信じても・・・ろくなことが起こらない。
信じない方がまだまし。。
ニヒリズムの時代の始まりです。
神は死んだ・・・どうせ死んだら無に帰す。
だったら何やったっていいじゃないか。。
天国も地獄もないならどんな凶悪犯罪を起こしても
死んじゃえばみんな一緒。。
地球の温暖化問題?自分が死んだ後の事なんか関係ない。。

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260 2012/03/18(日) 11:54:37 ID:GS6R.4krQw:au
人間に本来存在しない累犯障害を植え付けたのがキリスト教だ。
キリスト教を破棄しても累犯障害だけは残存しているというのなら、
未だにキリスト教的な「趣き」に品性を囚われていることには変わりない。
諸仏を見たてまつることも叶わぬ、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣という趣きに。

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261 2012/03/21(水) 11:52:25 ID:e1UjK5wMxw:au
累犯障害を頻発させる、精神の惰弱化を信者に植え付けるのが聖書信仰の特色であり、
いま自分が聖書信者ではないとしても、元聖書信者だったり、代々聖書信者の家柄だったりすると、
後遺症としての累犯障害の大っぴらな肯定=ニヒリズムが残存してしまう。

正規とされている類いのキリスト信仰は、教義を仏教や拝火教などの異教から剽窃することで
信者の国内犯罪に一定の歯止めをかけるなどしているために、その分だけ、
信者の累犯障害を抑制する効果も持ち合わせている。
(ただし、国際権力犯罪の累犯障害などにかけては全くこの限りでない)

聖書信仰それ自体は、形而上夢想の水面下での累犯障害をどこまでも
深刻化させていくばかりのものであり、まさに聖書信仰こそは、
ニヒリズムという毒草を不必要にも量産する悪田なのだといえる。

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262 2012/03/21(水) 13:21:13 ID:WgIo4oi0Ac
ニヒリズムな時代にはそれなりの信仰の仕方があります。
聖書の根本的な憲法は捨ててはなりませんが、
その時代時代で解釈の仕方は変更しなければなりません。
さらに個人個人で解釈が異なっていなければなりません。
根本的な部分(三位一体等)以外は同じであってはなりません。
現在は情報化時代です。価値観が一人一人全く違う事はミエミエです。
こんな時代に同じ価値観を押し付けてもアホかーっと一蹴されるだけです。

キリスト教の殉教の歴史は確かに尊重すべきです。
しかし、あれはその時代だからできたことです。
今の時代に求められたらそれこそエネルギーが枯渇します。

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263 2012/03/21(水) 13:45:10 ID:e1UjK5wMxw:au
ニヒリズムを無くしていくためには、まず聖書信仰を絶やすことだ。

聖書信仰が根本で、ニヒリズムが末節。

聖書信仰が絶滅することで、ニヒリズムもまた連動的に絶滅して、
どこにも不健全なところがない、まともな人間たちによって形成された社会へと立ち戻る。

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264 2012/03/28(水) 17:03:28 ID:mSkeVC6scM
諸悪の根源はキリスト教です。
何処を取っても、何処を切り開いても、何処を齧っても、
支配することを許す、支配されるものの存在を当然のように認める宗教です。

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265 2012/03/28(水) 17:34:53 ID:gUIC/K5YCc:au
支配関係そのものは、ある程度以上に大規模な都市社会では避けようのないものだが、
聖書信仰はその支配関係を、「主人と奴隷」のような両極端関係ばかりへと悉く追いやってしまう。

故に、支配される側に回された庶民が、当たり前のようにルサンチマンをも抱いてしまうわけで、
主君と臣下、官と民の間になだらかな序列関係を敷く場合にはあり得ないほどもの、人としての尊厳の崩壊を招いている。

その、人としての尊厳の崩壊が、人間否定のニヒリズムをも呼び込んでしまうわけで、
聖書信仰によって破壊される以前の、本来の人間精神というのは、必ずしも
ニヒリズムによって否定し去られなければならないほど、無様なものではない。

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266 2012/03/29(木) 16:24:51 ID:.zLIAWCHWo
アルチュセールは、イデオロギー論のなかでキリスト教的宗教イデオロギーについて次のようにいう。
主体としての諸個人への呼びかけと、諸個人の〈主体〉=神への服従を通じて、諸主体はひとりで歩き機能する。
すなわち、個人は〈主体〉=神の命令に自主的にしたがうため、その服従を自主的に受け入れるため、それゆえその服従の身振りや行為を「ひとりで成し遂げる」ために、自由な主体として呼びかけられる。
服従をとおして、かつ服従のためにしか諸主体は存在しないのである。かくして諸主体は「ひとりで歩く(=自立!)」のである。

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267 2012/03/29(木) 17:28:45 ID:wyf2sPeAj.:au
早い話が、奴隷根性と放辟邪侈の両立だわな。

放辟邪侈ばかりにただ専らだと、あからさまに不徳に過ぎるから、
そこに架空神への服従を材料にした奴隷根性を加味することで、
さも自分が有徳者であるかのように見せかけようとだけはしてるんだ。

聖書信仰によって、奴隷根性と共に極大化した放辟邪侈が、
奴隷根性を失って、まっさらな思い上がりを得た時に生ずるのが、ニヒリズムだ。

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268 2012/04/01(日) 06:46:34 ID:QRwpnFaSXk
聖書信仰ほどにも狂気的な麻薬性を持つ
信教も他にないからこそ、聖書だけはやめろよ。

たとえ他の教学に鞍替えするにしても、
そこに聖書信仰並みの麻薬性を求めたりしてちゃいけない。
それこそ、聖書信仰以外のカルトに陥るだけにしかならないから。

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269 2012/04/01(日) 13:46:10 ID:.u42QXSo1Y:au
麻薬的な酩酊が甚大なだけの宗教なら、インド系の異端宗教などにもいくらかあるだろうけどな。
聖書信仰ほどにも大規模な累犯障害を併発させる宗教となれば、邪教の内ですら他に見当たらないな。

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270 2012/04/10(火) 16:26:16 ID:JMRmAbsZek
科学的見地からすれば、キリスト教徒は大ウソつきだ。
ダーウィンの進化論、ドーキンスの遺伝子論、最先端の遺伝子工学、脳科学は宗教が前提としている世界観を破壊した。
それゆえ、今ではキリスト教を無邪気に信じられなくなっている。
なお、イスラム教は聖書を原型にして発展した。
だが、イスラム教の神は人間ではない。モハメットはただの預言者で、神(アッラー)は唯一無二だ(ただし、他宗教の信者を否定はしない)。
イスラム教徒の生き方はシニカルではない。
彼らは歴史・文化・政治的な条件からイスラム教を固く信じる。
生殺与奪の権利はイスラム法に握られている。彼らはマジでイスラム教を信じている。
来世を信じるし(美女とセックスやり放題)、イスラム法的な規律を守るし、イスラム教で罪を犯せば最悪の場合には最後の審判後に永遠の灼熱地獄に行く。
彼らには永遠に開かれた未来が待っている。

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271 2012/04/22(日) 06:42:42 ID:GMe32B57So
F.ゴーガルテンは、成人した神の息子が、ちょうど放蕩息子が父を捨てて困窮に陥ったように、神を見失った姿を「世俗主義」と呼んで世俗化と区別した。
「世俗主義」は世俗化の堕落であり、世界を自らの手で救おうとして、かえって人間を疎外し、隷属化する。
このような世俗主義は、近代における世俗化の誤った道である、と言うのである。
「神なし」を誤解し、神を見失った世俗主義は、彼が指摘するとおり、受肉した神の真実の内在性に基づく自立的存在の根拠を見失っているが故に、人間を徹底的にニヒリズムの深淵に落とし込んでしまう。
ニヒリズムは世俗主義の徹底した姿にほかならない。
このニヒリズムは、存在の根拠を喪失させるが故に、絶えざる意味喪失を引き起こし、やがて、その意味喪失に疲れてしまい、すべてを絶えず断念しつつも、ついには手当りしだいのものを絶対化していくようになる。

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272 2012/04/22(日) 07:11:25 ID:mZeSOZ0jd6:au
健全なものをさも不健全なものであるかのように、
不健全なものをさも健全なものであるかのように言いくるめるのが得意だな。
世界最劣等の文化圏の人間は。

全ての学者が詭弁家も兼ねていると来ている。

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273 2012/04/26(木) 21:39:00 ID:QzqjomzL12
ニヒリズムでもそれなりにその後も普通に生きていける人と
切羽つまったニヒリズムさんがいると思うのですがどうでしょう。

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274 2012/04/26(木) 23:00:28 ID:7dSW7j8Qbc:au
いずれも大した人生じゃないな。
聖書信者の人生並みに。

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275 2012/04/27(金) 00:16:30 ID:kOM0vIdAJQ
>>273
いわゆる「斜に構えてる」だけの人と、心底から傾いてる人との違いではw

高踏派の作家あたりは、前者を軽蔑しつつも、
一番賢い生き方だと皮肉を言ってますね。

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276 2012/04/28(土) 12:07:10 ID:9HtZASJXTU
>>275
そうですよね。
勉強になります!
ありがとうございます!

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277 2012/04/29(日) 05:46:01 ID:NJ34WhFzIY
[YouTubeで再生]

 盛り上がってますね・・・・・

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278 2012/05/06(日) 06:44:58 ID:w00Bb.spAU
あまり
白けて生きるのも
嫌だな・・・・。

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279 2012/05/11(金) 16:41:17 ID:QPGCt1GNb2
いささか乱暴ではあるが、もし仮に現代文明の本質を一言で述べよといわれれば、私は「ニヒリズム」という言葉を使いたい。
ニヒリズムとは、ニーチェによると、これまで自明なものとして信じられてきた諸価値の崩壊である。
価値の崩壊とは、人々が、物事の軽重やその意味や本質を判断する基準が失われてしまうということである。
その結果どうなるか。われわれは世界を統一したものとして見ることができなくなり、
われわれの行為は、社会や歴史とのつながりを持てず、
行為に確かな社会的、あるいは歴史的意味を与えられなくなってしまう。
行動の確かな目的もわからなくなってしまう。
そうなるとどうなるか。人々は、自己の行為の確かな意味や目的を確信できなくなるために、
ある者は瞬時の刺激や快楽を求める刹那(せつな)的快楽主義に走り、
ある者は、所詮(しょせん)何をしても無意味だとして、この世界をシニカルに見る冷笑主義へと走るであろう。
私には、今日の日本も世界も、その意味で急速にニヒリズムの坂を転げ落ちているように見える。

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280 2012/05/11(金) 17:26:44 ID:iyAuvorq16:au
落ちる所まで落ち込んだら、後はこうなる。

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281 2012/05/20(日) 08:59:38 ID:dNSUnHNevQ
キリスト教の根底には、その元となったユダヤ教の思想が根強く残っている。
世界史を学習した者なら誰でも、ユダヤ教徒が迫害の歴史を歩んできたことをよく知っているだろう。
そのため初期のユダヤ教徒の思想は、「我々を救いたもう神が必ずや現れ、我らが敵を打ち倒すだろう」といった性格を持っていた。

しかし、ユダヤ教徒を救済する救世主(=メシア)は一向に現れず、その間も長くユダヤ教徒は迫害され続ける。
すると徐々に、ユダヤ教の思想は反転していく。
即ち、「我々が迫害されているのは、我々が選ばれた民族だからである。我々は、迫害という困難を神に与えられ、これに耐えることのできる民族であると選ばれたのだ。」と。

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282 2012/05/20(日) 11:47:26 ID:qne8aVNtTc:au
古代ユダヤ人=昔の中東の政商請け負い集団

「政商としての専横は、紛れもない権力犯罪の一環である」という認識が、
体系的な権力道徳の追求によって確立されている東洋社会の基準からすれば、
ユダヤ人の所業は紛れもない犯罪行為であり、寸分たりとも同情の余地すらないものだ。

中東以西の社会においては、政商に対する犯罪行為としての認識が不十分であったため、
ユダヤ人のような存在が社会的に容認される余地が少なからず生じた。

ユダヤ人もユダヤ人で、自分たちの所業をカルト教義によって正当化するなどして、
何とかその本質的な犯罪性から衆目を逸らさせようとし続けて来た。

イスラム勃興後には、中東でのユダヤ人による政商行為が完全に絶やされることになったが、
イスラムはあくまで、ユダヤの自己正当化のためのカルト教義である聖書教義を、
新たな宗教教義によって相殺する所までに止まっているために、
アブラハム教圏において、ユダヤの所業が紛れもない犯罪行為であることを
無宗教的な学知によって啓発する所まではいかなかった。

「ユダヤ教のこじらせ」であるキリスト教に支配され続けて来た西洋社会において、
ユダヤの犯罪性が十分に認識されることも、当然なかった。

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283 2012/05/20(日) 12:52:31 ID:1J3PEwVAKo
世界中に、天下万人を安寧へと導くことが可能な
優良な思想哲学宗教が無数に存在しているというのに、
こともあろうに、「バビロン刑務所の便所の落書き」に過ぎない
ユダヤ教などを優先的な論及対象にしようとすることからして、すでに

自意識過剰の思い上がり(和泉元彌風に)

でしかないよ( ^ヮ^)

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284 2012/05/24(木) 17:00:07 ID:W2TRa50wIs
キリスト教は、「神」と「隣人」に尽くすこと(利他性)が「善」であり、己の「快」や「悦び」を充足させること(利己性)は「悪」であると教え、自己犠牲と禁欲を強いる信仰をもたらした。
なぜ、キリスト教はこのような価値観を持つのだろうか。
もともと、キリスト教はユダヤ教を母体に生み出された宗教であり、ユダヤ人は歴史的には国土を持たない民族として他民族の支配に苦しんできた。
その中で、物理的には他民族に支配されつつも、精神的には自分たちの方が支配民族よりも正しいという、抑圧状況を正当化するような価値観を生み出した。このような「価値の顛倒(道徳の奴隷一揆)」、これがキリスト教の本質である。
このような価値観は支配者に対するルサンチマン(仏語:怨恨)をベースに作られているといってよい。
 さて、こうして産み出された初期キリスト教の「善悪」の基準は、パウロによってキリスト教が世界宗教に編み直されていく過程で更に一ひねりされる。
個々の人間が神という絶対者に対して購いきれない罪を負っており(=原罪)、自分の存在自体が疚しいものである。
ここに、人間の肉体という自然性を敵視し、現世での生の欲望を一切否定するという壮大な「価値の顛倒」が完成した。

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285 2012/05/24(木) 18:59:31 ID:N/QVavCim6:au
×ユダヤ人は歴史的には国土を持たない民族として他民族の支配に苦しんできた
○ユダヤ教徒は異教徒の国に寄生して暴利をふんだくる政商詐欺師として悪逆非道の限りを尽くしてきた。

一番初めの認識から完全に間違いきっているので、そこから展開される論及も悉く間違いの塊となっている。
「始めに毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後々に千里の過ちにすら発展してしまう(礼記)」というやつだ。

何事も、取っ掛かりから大事にしていかなければならない。

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286 2012/05/27(日) 15:35:10 ID:QLs92kZGOI
ただし、キリスト教は「死への意志」ではない。
生の苦痛や苦悩は他者からもたらされるものではなく、自分の存在そのものからもたらされており、その苦痛や苦悩を愛することをキリスト教の禁欲主義は教えてくれる。
人生における苦悩と苦痛に何の意味も無ければ、人間は生の苦しみに耐え得ない。
そこで、「神」の存在によって多数の弱者に「生きる意味」が与えられてきたわけである。

 近代に入ると、科学の発達、近代的な哲学の登場など、いたるところで「神の死」が明らかになり、世界像としてのキリスト教はその意味を失った。
キリスト教に代わって、近代哲学が神学的でないやり方によって「善悪」の基準を提示しようとした。
「絶対的な真理(一般的には科学的な真理くらいの意味)」という考え方である。キリスト教の信仰と科学的な真理は全く別物のような気がするが、実は同根。
彼岸に超越的な真理を想定し、それを拠り所として生を支えるという基本的な構図が同じだから。

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287 2012/05/27(日) 17:38:42 ID:kHQCqRfdK6:au
重ねて警告する。

ユダヤ=キリスト両権力犯罪聖書教の完全永久廃絶こそは、
現聖書信者を含む全人類の救済を可能とする上での、最々低条件だ。

異生羝羊心の蒙昧を正当化や美化することが容認されているような風潮の中で、
世界人口の爆発が食い止められる見込みもなければ、
核大戦の勃発を完全に防ぎ止められる保証もない。

刻々と滅亡へと突き進みつつある世界情勢を寸分ながらでも好転させる上で、
聖書信仰の地球上からの根絶こそは欠くべからざる条件に当たる。

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288 2012/05/27(日) 19:04:30 ID:4MDqaMqwIM
箸も揃えずに、自分たちばかりで先食いし続けてきた報いだ。

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289 2012/06/01(金) 16:16:15 ID:L0K6iB7oGg
通常我々が、ユダヤ人というと、すぐにイスラエルを思い出す。
しかし西洋では、日本人とはまったく違う捉え方をする。
西洋のキリスト教徒からすれば、ユダヤ人は異教徒であり、自分たちの利益を奪い取る守銭奴という悪いイメージがある。
その為、様々な誤解と迫害を受けてきた苦難の民族でもある。
ユダヤ人のことを理解できなければ、現代社会は理解できない。
そのように言い切る歴史学者さえいる。
そのようにユダヤ人を理解することは、極めて重要である。
今日世界の金融市場や穀物市場を牛耳っているのは、そのほとんどがユダヤ資本と言っても過言ではない。
その他、学問や芸術の分野でも、彼らユダヤ人の活躍は、一々上げていたら切りがない。

そして今や、あの世界最高の権威を持つアメリカ大統領すら、ユダヤ人を無視した政治を行うことはできない。
彼らは、それほどの影響力をもっている。

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290 2012/06/01(金) 18:18:48 ID:Vz8.C0i04A
「キリスト教徒が、いい加減な家族計画によって産み捨てた孤児や私生児の末路」
であるに過ぎない欧米のユダヤ教徒を、よくもそこまで偉そうなものとして説けたものだ。

「ユダヤ民族」などというものは、今の世界に存在しない。
ただキリスト教圏で、先天後天諸々の理由によって一般社会を追われた人々が
「ユダヤ教徒」としての派閥を形成しているだけで、悪行に走る連中が多いのも、一般
のキリスト教社会からはじき出されて憎悪を募らせた人間や、その子孫だからでしかない。

「孤立した臣下や妾腹の子は、注意力を研ぎ澄ませて上達する場合がある」とは
孟子も言っていることで、幼い頃から家庭的な庇護が疎かな中で育った人間というのは
確かに特殊な能力を蓄える場合もある。しかし、その能力も害益でいえば一長一短であり、
孔子のように治世の指針となる権力道徳を体系化することもあれば、イエキリのように
乱世を激化させる権力犯罪の寓意を体系化させることもある。前者は世の中にとって極めて
有益だった一方、後者はただただ有害無益でしかなかったわけだから、不遇をバネにした上達
というのを一概に評価の対象とばかりしていていいものでもなく、特に大悪人としての上達の
頻度が著しいユダヤ教徒の能力などを、手放しに称賛するのは決して許されることではない。

金融犯罪者として、世界中の富を先食いしようとしたユダヤ教徒の試みは確かに成功し、
誰一人としてユダヤ教徒以外に、世界の大局を左右する者がいない程もの事態を招いている。
しかし同時に、「先食い」という不正な手段によって世界の支配権を奪取したことが
世界に大きな負担をかけ、挙句には人類滅亡の危機をも呼び込んだため、結局は自分たち
ユダヤ教徒が全ての権限を放棄して他者に委譲するしかない事態をも招いた。故にこそ、
不正に手を出してまで世界の支配者になろうとした、ユダヤ教徒の振る舞いも決して
誉められたものではなく、妾腹の私生児でありながらも先祖供養を尽くし、自学自習
によって権力道徳学を大成させた孔子のような、畏敬の対象とするにも足らない。

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291 2012/06/01(金) 19:11:46 ID:rtJh3cBw3A:au
人類史上初の、全世界の征服者すらをも畏怖したりはせずに済む用意を、
2600年前の魯国の、母子家庭育ちの妾腹の私生児が済ませてくれていた。

易といい史記といい、中国はあまりにも「始め」が完璧すぎて、
それ以上発達のしようもなかった国であることが分かる。

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292 2012/06/05(火) 22:30:38 ID:/R4Rd6lLUM
ユダヤ人が信じるユダヤ教の特徴は、一神教(神はひとつ)ということである。
つまりユダヤの神以外の神を認めない。
逆に言えば、その排他的精神が、二千年以上にも渡って各国のユダヤ人が、団結を崩さずに生きてこれた理由でもあった。

しかしそのためユダヤ人は、あらぬ誤解をされ、大弾圧を受けてきた。
ヨーロッパでは9世紀以降、世界各地でユダヤ人の迫害が起こった。
最近では、1930年代ナチス・ドイツによる600万人の大量虐殺は記憶に新しい。

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293 2012/06/05(火) 23:47:15 ID:GdRtSE15lI
×ユダヤ人が信じるユダヤ教の特徴は、一神教(神はひとつ)ということである。
×つまりユダヤの神以外の神を認めない。
×逆に言えば、その排他的精神が、二千年以上にも渡って各国のユダヤ人が、団結を崩さずに生きてこれた理由でもあった。
○ユダヤ人は誰しもが自意識過剰の思い上がりの権化であり、
○自分以外の何ものの価値をも認めない思い上がりの象徴としての、唯一絶対神のみを祭り上げる。
○自己陶酔に過ぎるためにその系譜が長続きした試しもなく、キリスト教圏のはぐれ者が名乗っては死に、名乗っては死にの醜態を繰り返している。

×しかしそのためユダヤ人は、あらぬ誤解をされ、大弾圧を受けてきた。
×ヨーロッパでは9世紀以降、世界各地でユダヤ人の迫害が起こった。
×最近では、1930年代ナチス・ドイツによる600万人の大量虐殺は記憶に新しい。
○ただのはぐれ者の断続的な吹き溜まりに過ぎないのに、自分たちで「民族」としての体裁を騙ったりまですることから、
○異民族に対するかのような体裁の憎悪を募らせた人々による弾圧を受けたこともしばしばだが、
○全くの事実誤認に根ざした弾圧であることを通じて、ユダヤ教徒はそれをも他者への憎悪や蔑視を蓄える糧としてきた。

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294 2012/06/06(水) 22:43:00 ID:U4F5yOtKa2
「空の空 空の空なるかな すべて 空なり」

ユダヤのソロモン王の言葉です。
「栄耀栄華を極めたソロモン王でさえ、・・・」と引用されることの多い、あのソロモン王です。
人生に意味はあるのか、無いのか?
この究極の問いにソロモン王は、世の中の全てが空虚であり、意味など無いと言っているわけです。
ソロモン王に限らず、この世の成功を手中にした人が、
精神的には満たされることなく、ニヒリズムに陥っていることが少なからず見聞できます。

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295 2012/06/07(木) 02:15:18 ID:9e4LMgXMGg:au
「そらのそら そらのそらなるかな すべて そらなり」

まるで中国のネチズンのようだね♪

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296 2012/06/09(土) 07:49:40 ID:03.y.JURlw
仏教では「欲望」そのものを必ずしも否定していない。
仏教は釈迦の初めから「中道」の思想だからだ。
仏教が否定しているのは「欲望」そのものではなく、「欲望」への執着である。
「欲望」への執着があると、その欲望が満たされない時に、「苦」が生じる。またそこから、自分を納得させるために価値観の転倒が起きる。
ニーチェのいう「ルサンチマン(恨み、怨念)の思想」が発生する。

 ニーチェはたぶんこの点で仏教を誤解していて、仏教を「欲望」否定のニヒリズムと捉えているようだ。
この誤解は多くの日本人も持っているようで、日本人の場合には、おそらく「空」の理解に問題がある。
「空」を「むなしい」と読めば、まさにニヒリズムになる.
しかし「空」は、「無」や「虚無」、「空虚」、あるいは同じインド生まれの「0(ゼロ)」と同義ではない。

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297 2012/06/09(土) 12:39:47 ID:DaWb8yD.qU:au
世界中の富を八割以上も独占したままで、
欧米聖書圏の人間が「欲望への執着はない」

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298 2012/06/10(日) 15:15:54 ID:2ywuT0lzDs
絶対的な神という存在を信じ、それが世界観やアイデンティティの基礎にある一神教徒から見ると、
絶対的な存在を信じることなく、無常観や諦観を持っている仏教徒がニヒリズムに陥らないのが不思議だと思うのはよくわかる。

けれども、一神教の考え方を純粋化した予定説やイスラームの考え方に従うと、世界のすべては神の意志に委ねられることになり、
個人の意志が介在する余地がなくなるため、それはそれでニヒリズムに陥るのではないかという疑問もある。

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299 2012/06/14(木) 01:39:56 ID:2Se8xG.FIE
ニーチェなんだか良さそうだ

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300 2012/06/14(木) 02:36:21 ID:.prQ4d0qbw:au
近ごろ、二次元を盾にして、三次元の女が逃げている。

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301 2012/06/23(土) 05:10:03 ID:S/z5hT1ZNE
>>300
まさに現実逃避?

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302 2012/06/23(土) 11:12:55 ID:mf0mz9qWqE:au
逃げるぐらいのほうが、奥ゆかしいとも言える。

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303 2012/06/24(日) 06:45:00 ID:MW/p4StbEA
「逃げるが勝ち」と言う言葉もある。

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304 2012/06/24(日) 12:55:56 ID:It9MLAXOQ.
女が勝つ世の中や国なんて、始めから負けているけどな。

男尊女卑の国は子沢山で国力を人口から増強させ、
男女平等や女尊男卑の国は少子高齢化で弱体化している。

どんなにチャンコロやムスリムが嫌いでも、現状のままだと、
連中に実力で屈服させられる他はない。日本も、欧米もな。

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305 2012/06/24(日) 14:21:27 ID:3T.M5ASd6k:au
中国やイスラムを嫌う一番の理由もまた、男尊女卑であることか。

その、一番嫌いなものに、完全に負け尽くす他はない。

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306 2012/06/24(日) 14:40:51 ID:It9MLAXOQ.
男尊女卑イヤなら、結婚もナシということで。

負けるのイヤだから。

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307 2012/06/24(日) 15:23:23 ID:3T.M5ASd6k:au
どうしても男尊女卑がイヤだってんなら、死ねばいいよ。( ^ヮ^)

どうせこれからの世界で生きて行く余地はないんだからさ。( ^ヮ^)

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308 2012/06/26(火) 16:57:34 ID:qjWWe5Kahc
日本は戦前の男尊女卑の時代の方が
うまく行ってたのか?

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309 2012/06/26(火) 22:07:48 ID:go4vgaXVa.
戦前にはもうすでに、男尊女卑に綻びが生じていた。
本当に日本で男尊女卑が徹底されていたのは、江戸時代まで。

日本人は武家時代の男尊女卑で国内の民度を高め(一部庄屋階級等を除く)、
イギリス人は女王陛下への服従によって世界侵略を繰り広げていった。

明治以降、日本は武家社会は撤廃したものの、武家時代に極限まで高めた
民度を糧として帝国主義の国際社会に乗り出し、領地をも広げていった。
結果、英欧が好き放題に荒らしまわっていた植民地と比べて、日本が植民国など
とした国の民度は抜群に跳ね上がり、生産力でも他国に水を開けることとなった。

自分たちで文明社会を自活して行く能力や自信が備わればこそ、東南アジア等の
旧日本領の諸国は英欧らによる再植民地化に対しても執拗な抵抗を続けて、ついには
独立し、帝国主義を終了させる風潮を全世界にまで波及させていくこととなった。

今の日本人の多くすらもが不本意に思っていることだが、民度以上に生産性にかけて
多大なる助力を講じてしまった中国が、世界規模での経済的覇権を握り始めている
のも確かなことで、江戸時代に男尊女卑によって日本国内で培われた民度や生産性の
高さは、紛れもなく今の世界を実力面で席巻するに至ってしまっているのである。

惜しむらくは、今の日本は戦後ほどにも男尊女卑の気風を保てないでいる状態で、
江戸時代までの蓄えによってこそ席巻することのできたこの世界を、
今の自分たちが先導していくことなどは到底、覚束ないままでいることである。

男尊女卑の貯蓄によってこそ席巻することのできた今の世界を主導していくためには、
やはり男尊女卑の気風を自分たち日本人自身が取り戻していくことが必要になる。
女王陛下への服従みたいな態度の範囲でできることは、すでに尽くされているのだから。

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310 2012/06/26(火) 22:10:31 ID:go4vgaXVa.
×戦後ほど
○戦前ほど

スレ違いなので、もっと議論をしたければ「男尊女卑」スレでも立てよう。

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311 2012/06/27(水) 16:46:28 ID:OzsiPHPFUc:au
【真理】男尊女卑×夫唱婦随【道理】スレを少し未来に立てたから。

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312 2012/07/10(火) 04:34:26 ID:ogpMlLYW4o
>>311
ニヒリズムと関係あるんですか?

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313 2012/07/10(火) 10:38:45 ID:NpsCvGhv0A:au
ニヒリズムは男女の和合を阻害するものなので、別に立てた。

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314 2012/07/12(木) 05:18:44 ID:nLHLMVJt0.
>>313

>ニヒリズムは男女の和合を阻害するものなので

なぜですか?

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315 2012/07/24(火) 23:56:14 ID:y2FHDCqDxc
毎晩虚しいよ

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316 2012/07/25(水) 00:13:32 ID:qXd.wHWaeY:au
全ての虚しさは、天皇暗殺に極まる。

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317 2012/07/28(土) 05:30:54 ID:NmqWLE4Qhs
わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。
 ああ、死刑! 世にある人びとにとっては、これほどいまわしく、おそろしい言葉はあるまい。
いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個(ひとり)もあるまい。
しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。
 平生わたくしを愛してくれた人びと、わたくしに親しくしてくれた人びとは、かくあるべしと聞いたときに、どんなにその真疑をうたがい、まどったであろう。
そして、その真実なるをたしかめえたときに、どんなに情けなく、あさましく、かなしく、恥ずかしくも感じたことであろう。
なかでも、わたくしの老いたる母は、どんなに絶望の刃(やいば)に胸をつらぬかれたであろう。

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318 2012/08/02(木) 00:36:31 ID:ePandAo8EU
人はいずれは死ぬ。

それを悟るのは悲しい。
虚しくなる・・・・。

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319 2012/08/02(木) 02:22:00 ID:OX6KUQqYRU:au
それ、悟る所じゃないから。

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320 2012/08/04(土) 11:40:19 ID:57h2mWRrfE
じゃあ、どうすればいい?

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321 2012/08/23(木) 07:15:59 ID:Zn/XGZ3MQ.
人生は空しい

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322 2012/09/28(金) 10:41:50 ID:1zaz22pkHU:SoftBank
思想って程のものじゃないですな

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323 2012/10/15(月) 17:58:21 ID:gdc42zSWoc
じゃあ何ですか?

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324 2012/12/23(日) 09:14:07 ID:xDdH5lGjMk
ニヒリズムとは二義的であり、その因は誤謬にある。
能動的(積極的)ニヒリズムとは精神が進化に向かう兆候であり、受動的(消極的)ニヒリズムとは精神が衰退、退化に向かう兆候である。
世界が我々の信じていたものに値しないとするのはペシミズムであり、ニヒリズムとは至高の価値が無価値になることである。

ニヒリズムの克服はニヒリズムに徹することによってのみ可能である。
ニヒリズムの徹底とは、至高の価値をはじめとしたあらゆる価値を無価値にすることであり、新たな価値定立を行う運動と反復である。
その運動には既成権威や既成価値との闘争が生じ、それらに打ち克つことによってのみ精神が進化するのだ。

「汝なすべし」の従うところは既存価値であり、「われ欲す」の欲するところのものは、それらとの闘争であると同時に創出される新たな価値である。

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325 2013/01/01(火) 14:19:06 ID:L2emeCvS2c
宗教は関係ない。

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326 2013/01/13(日) 22:30:47 ID:lpCLRPo976
>>317
幸徳秋水?

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327 2013/01/27(日) 14:25:30 ID:3B.Em4VrNg
>>326
でも幸徳秋水とニヒリズムは関係ないですよね?

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328 2013/03/21(木) 17:55:44 ID:BqT8UcVyRI
笑って楽しく生きようよ。

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329 2013/07/12(金) 16:36:24 ID:pWEwXhRSYM
改革ニヒリズムとの鬪爭

19世紀に ロシヤで生れた革命ニヒリズムは、農奴搾取の上に成立つツァーリ體制を打倒するためのナロードニチェストヴォ といふ 革命ニヒリズムを産んだ。
農奴を搾取して得た收入によつて大學に學び、學術教養を身につけたことを恥じた中下級貴族の子弟は、搾取に苛 ( さいな ) まれる農奴の據點、村共同體 「 ミール 」 を 神聖化した。
そして戰鬪的無神論でツァーリ體制を支持する正教會を否定し、舊體制の徹底破壞を目論むニヒリストとなる。
更に資本主義段階を飛び越してミールを母體に 「 一擧に社會主義へ 」 と進む革命を目指す。
これが モスクワをローマ、ビザンチンに次ぐ「 第三のローマ 」とする説を踏まえて
「 世界人類の救濟 」といふ使命觀と組合はさると、世界革命論となる。
この革命ニヒリズムを受繼ぐのが、レーニンの共産主義である。
レーニン主義 ( 即ち共産主義 ) とは、世俗化した ツァーリ專制支配體制 である。

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330 2013/07/12(金) 16:46:10 ID:pnymau5umc
       ,,-―- 、                                 ,, -―-、
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   。|/    ヽ \   ヽ(゜)  ヽ /         ヽ /  (゜)/   / /
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    。゚ ∴’。o ,,-―- 、      |   /  \ 。 |     ,, -―-、‘゚。、` ヽ。、o
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      o ,rー-ヽ ..、.,/      Y (゜) ,_, (゜) Y       ト、.,../ ,ー-、
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                       。  |    レ 。ヽ     /        U :l
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                   o  U ヽ/: ゚ 。ヽ               U

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331 2013/09/04(水) 19:23:43 ID:HaT49QGLPw
出来事に良いも悪いもない。ただ生じているだけだ。
それを前向き・後ろ向きに解釈するのは、その人次第である。


もともと、世界をすべて正しくとらえることなどできない。
つまり取り越し苦労は、自分を苦しめるフィクション、
一種のネガティブな妄想といえるだろう。

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332 2013/09/22(日) 08:50:23 ID:wHcMb2jQb2
とかく人は後ろを振り返る。
なぜだろう?

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333 2013/10/17(木) 14:26:32 ID:vM3r08.bdg
[YouTubeで再生]
人とは接しない。
そして音楽を聴く。
その方が落ち着く。

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334 2013/11/20(水) 18:16:07 ID:SUeA7/p6Is
禁欲せよ!

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335 2013/12/02(月) 21:40:17 ID:csKHeFQo/U
禁欲せずとも欲がなくなったよ。

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336 2014/01/28(火) 05:02:29 ID:gF6Tvbr4PE
大乗仏教がそんな真実に基づいた思想ないし教えなら
あんな誤魔化しと箔付け塗れにはならんよ
ましてや"密教"になどなりはしない

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337 2014/01/28(火) 12:57:11 ID:qHT9J86vhc:au
削除(by投稿者)

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338 2014/01/28(火) 12:59:41 ID:qHT9J86vhc:au
「真理は誰にでも容易く理解できるもののはずだ」
などとするのは、努力精進を怠ることを美徳とする
某半島人のような怠惰至上主義者に特有の甘えがあるからだ。

事実として、真理が分かりやすいか難解かは一先ず措くとして、
仮に真理が難解なものであるのならば、大乗仏教のように巧みな方便や
荘厳や密教技法を凝らしてまでの上達を試みることにもまた、筋が通る。

そして実際、真理は難解なものである。
長髪半裸でヒゲのおっさんが強盗殺人犯の代わりに死刑になって、
三日後に蘇って天国に逝くとか、そんな安易でちゃちなものではないから、
本物の真理を理解や会得するためには、それなりの努力精進にも励まなければならない。

怠惰を美徳とするような、腐った性根から叩き直されて行かねばならない。

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339 2014/02/11(火) 08:32:29 ID:XNKplQGw8E
禁欲的なニヒリズムがいいなあ。

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340 2014/03/04(火) 20:10:18 ID:9nODVvxBlE
詰らん女に病気を伝染されるような浅ましい惨めな「自己」であっても
他に持ち合わせが無いのだから肯定しないわけにはいかない。
そんなありふれた「悟り」を鬼の首でも取ったかのように大仰に書く。

自己肯定はお前に言われんでも皆実行している。
キリスト教も世渡りの手段。
愚昧で浅ましい奴らが何恥じることなくあからさまに
自己肯定している様子は珍獣飼育園サファリパーク。

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341 2014/03/05(水) 08:58:46 ID:4YTEOP/056
過度の自己否定への癒しとしてのみ自己肯定は有用。

厚かましい奴らの自己肯定なんか見たくもない。

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342 2014/03/16(日) 08:41:52 ID:xDdH5lGjMk
西洋システムの歴史的な歩みとはローマ帝国以来のキリスト教システムの発展過程に重なっている。
それはキリスト教が全体的な統治システムとして完成していく過程である。
ルネッサンス期以前までのキリスト教システムとは精神主義的な抑圧性が強固に機能したために、
生を去勢して囲い込むシステマティックな環境を自己完結的なものとして作り上げていた。
生の活力が充実することを妨害する作用のことをニヒリズムと呼ぶ。
西洋キリスト教システムの歴史とはニヒリズムの発展過程として捉えることができる。
ニーチェは分析した。キリスト教の正体とはニヒリズムである。
ヨーロッパのキリスト教システムが孕むイデアの傾向とは、ニーチェの分析によって、
禁欲主義的理想を志向する傾向性であると明らかにされた。
ニーチェは言う。禁欲主義的理想とはその実、何を意味しているのか?と。

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343 2014/04/12(土) 07:21:00 ID:Zrrh8mP0fw
Panietzsche 善因善果、悪因悪果などは、その典型例である。
事象が起こってからはじめて、その原因をさかのぼり捏造する。
しかもそれは個人的な記憶と経験に基づいて捏造されるのである。
仮に善因などというものが先にあるとすれば、悪い結果にも影響を与えているべきであるし、悪因に関しても同様である。
意識の流れや、事象や現象は点在する原因からパラレルワールドの如く、お互いが何の干渉もせず時間軸を進み、それぞれの果が生じるということはないのである。
果は別の因になり、因は別の因の果である。
またそれぞれの因が別々に存在するのではなく、時間軸上にも空間軸上にも相互作用を及ぼしあっており、その相互作用(空間的作用)の変化が運動(時間)としてあるのみである。
このことは先に述べたように、因や果などというもの自体が、我々の認識によって捏造されたものであることを指し示している。
馬鹿馬鹿しい話だが、予言書などというもののカラクリも上の通りである。
事が起こってから、その事に該当するような予言を探し、予言書を予言書たらしめるべく捏造するのである。

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344 2014/04/13(日) 22:05:06 ID:ZJpGOcusZw
なんでここまで誰一人
キルケゴールについて触れてないんだろうね

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345 2014/05/04(日) 08:04:33 ID:0rBRZ7TjHQ
キルケゴールはキリスト教の堕落によって到来するニヒリズム、
ニーチェは人間の弱さから未だ神の隷属を抜け出ていないところに押し寄せる近代化
(ドイツ観念論が唯物論によって侵食される時代、創造論や目的論的な世界観の否定など)に
ニヒリズムを見ました。
キルケゴールは実存的な判断によって、
あるべき信仰の復活(原始キリスト教への回帰)によるニヒリズムの克服を、
ニーチェはニヒリズムの徹底(神の死)による無垢なる生への肯定と、
受動的ニヒリズムから能動的ニヒリズムへの昇華(自己超克)へと向かいました。

手法こそ全く逆ですが、その二人が実存主義者として評せられる場合には、
ともに人間の意志や生に重きを置いているところからだと思います。
ちなみに、ニーチェは1988年2月19日のゲオルグ・ブランデス
(デンマークの評論家、文芸史家)宛の手紙で次のようなことを書いています。
『私の次のドイツ旅行のために、キルケゴールと言う心理学的な問題に従事し、
同時にあなたの以前の著作をあらためて知ることにしようという計画をたててみました。
このことは私にとりまして、言葉の最良の意味で、役立つことでありましょうし、
判断いたすときの私の頑固さと自惚れを「肝に銘じ」て感ずるようにしてくれることでしょう。
(ちくま学芸文庫 ニーチェ全集別巻2「ニーチェ書簡集2」より)』

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347 2014/06/28(土) 07:22:50 ID:XpiITvfL7w
人口が減っても、いいのかな?

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348 2014/08/12(火) 16:22:59 ID:oRBKPNoic.
人生、明るく楽しく生きましょうよ!

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349 2014/09/28(日) 16:18:02 ID:PvUJL22SdU
勉強もしましょう。

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350 2014/11/03(月) 15:01:41 ID:Kq8APBcLMg
[YouTubeで再生]
目立たぬように
はしゃがぬように
似合わぬことは
無理をせず
人の心を
見つめつづける時代おくれの
男になりたい

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351 2014/11/04(火) 21:06:06 ID:LtZOBUu3ek
正直しんどい

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355 2014/11/09(日) 19:53:29 ID:u1gUIdn22U
キリスト教を無くせ
キリスト教は滅びろ

↑こういうこと言う人ってキリスト教と思想が変わらないじゃん・・
アンチキリスト教の人はミイラ取りがミイラになってるよ。

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356 2014/12/02(火) 19:50:38 ID:gwFKYaS03I
生きてるだけで価値がある

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357 2014/12/22(月) 16:43:29 ID:FDvn2yL3Z2
早く死ぬのは悲しい。
だからこそ言いたい。
どの人の命も大事なんだ。

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358 2015/01/02(金) 20:06:25 ID:bnT0tKvCHQ
未だかつて、納得のできるウンコが出たことがない
それは何故か?
きっとストレスが原因だと思う
なぜ、ストレスなんだろ?
それはストレスの意味を知ってしまったから
なぜ、知ってしまったんだろ?
トイレでお通じに時間を費やし本を読んだから
なぜ、時間を費やしたんだろ?
    (最初に戻る)

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359 2015/01/31(土) 08:07:30 ID:S9eD6c8mow
正義感。
他人を救う。
熱く生きる。
今の日本人が忘れている事ですよ。

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360 2015/02/21(土) 06:26:48 ID:bfUFWrsyPU
私は今世紀の最大の思想的問題は、ニヒリズムの問題、ニヒリズムを如何に超えるかという問題だと思っている。
そしてそれへの試みはさまざまな形でなされてきた。
実を言えば私の『中世の文学』の背後には、私の右のような考えが働き、私なりの試みが働いている。
然し、私はそういう考えを露骨に表に表わさず、歴史のなかで歴史的な遺産を通じて、考えたいと思った。
日本の中世には私には恰好な時代であり、私は、私の対象とした諸人物のなまのいぶきを感じ取ることができた。

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361 2015/03/11(水) 15:42:40 ID:EHLe8DC3Dc
真理や価値を求めていくと、ある時そんなものが全くないことに気づく。
道徳や法律は、トラブルを回避するためのものであって、真理とは関係ない。
だから、社会が混乱すれば法律は役に立たなくなる。
ニーチェが言ったように、真理を求めればいつかニヒリズムに陥る。
簡単にいえば、「神は死んだ」ということだ。
ただ、ニヒリズムには受動的ニヒリズムと能動的ニヒリズムがある。
受動的ニヒリズムは、予測不可能な事態が起こり一切の価値が信じられなくなり、無気力になってしまうことである。
震災後、関係ない東京で自殺が増えたが、この人達はこのニヒリズムに陥ったのではないかと思う。
一方、能動的ニヒリズムは、積極的にどのような真理や価値も一切認めず、今この瞬間を生き抜くことに集中するという態度である。
この能動的ニヒリズムは、無気力になりがちな現代の生活を生き抜く方法として優れていると思う。
ニーチェは、仏教を虚無主義といったが、今この一瞬を問題にする生き方という意味では、両者の考え方は重なる部分が多い。
 

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362 2015/03/17(火) 11:35:15 ID:LxOxd81lno
ニーチェほどイメージがぴったりはまる哲学者もいない気がする。
ニーチェって言えばなんか、「ニヒリズム」とか「神は死んだ」とか「永遠回帰」「力への意思」っていう単語がよく羅列されると共に、
本人が晩年狂気に陥り自殺したことから、なんだかどよぉーんとした雰囲気があるんでない?
まさにそのとおりで、ほんと彼の著作はどよーんとしてる。
どよーんっていうのは、まず、比喩ばかりで話の筋が捉えづらい。
それに、突然叫び出す。ゲーテの「ファウスト」みたいな感じかな。
あとは、考えることもなかなかネガティブ。。

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363 2015/03/28(土) 09:41:45 ID:s97M.wN.nQ
死んだら何も残らない。
今を大事に生きよう。

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364 2015/04/26(日) 06:44:48 ID:sYOYVoYj4M
学生としてニューヨークに住んでいたころ、わたしは中国(台湾)から来られていたある禅師のお寺を訪問しました。
法話が終わった後、質疑応答の時がもたれましたが、そのとき禅師は、輪廻転生する魂などないことを当然のごとく語られていましたが、
わたしと同じように、はじめてここを訪ねていた(自称仏教徒の)あるアメリカ人が、それを聞いて、とても信じられないという顔をして、
「どうして輪廻転生する魂などないとわかるのか」などと、一生懸命食い下がっていました。
彼は、仏教は輪廻転生する魂を教えていると、巷に出回っている仏教に関する紹介書のようなものを読んで、そのまま信じていたのだそうです。
同じようなことは、大学での仏教のゼミナールにおいてもありました。
何ヶ月もみんなで仏典を詳しくを研究していくうちに、仏教が実は輪廻転生する魂を否定していることが誰の目にもだんだん明らかになっていったのですが、
そのとき、参加していた一人のアメリカ人の学生がたいへん失望して、とつぜん、「もし人間の生が死をもって終わりとだとすると、
すべての努力は無駄ではないか、仏教はニヒリズムではないか・・・」と言い出したことがあります。
彼も、以前、巷に出回っている仏教に関する紹介書のようなものを読んで、仏教は「永遠の魂」を教えていると、思い込んでいたのです。

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365 2015/04/26(日) 18:39:16 ID:vSIi6elipw
ニヒリズムとは個人的なものなのかな?
自我とかエゴ、個我と現実、世界との間の悶着にすぎないのかな?
私は最近、自我とかエゴとかをでんと中心に据えて物事を考える青臭さを失ってしもうたよ
哲学の問題は、生とか死とか、そんなところにはないんだと思うようになったよ
個人的な問題などではないんだ
ニヒリズムとは、われわれ人類が世界を決して理解(認識)できないことに起因するのではないだろうか?

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366 2015/04/27(月) 01:15:57 ID:hK.0NDDNQ2
367 2015/04/27(月) 23:09:09 ID:HGiyprCBE2
どうして不可知なのか?
それは、われわれが生き続けるモチベーション維持のため・・・

ではもちろんないのだが、
不可知であることを容認しない姿勢はどうなのよ?
不可知排除=僭越なだけならまだまし
実は不可知を排除する原理主義的傾向がある
一神教の神の強烈な宗教・・・のことだがね

説明したがり病、知りたがり病は決して報われないし、全知全能はろくな結果をもたらさない
だったら、ニヒリズムが正しいのでは?

積極的な生き甲斐ニヒリズムが存立できるのでは?

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368 2015/04/28(火) 21:49:36 ID:twsBUYp11o
不可知領域は確かにある
でも、認識、解析理解可能なものも多い
人間が、人間の間尺に合わせ、脳の都合と立場に沿って道具としていろいろ生み出したのは伊達じゃない
要素還元主義なんてすばらしい道具だ
でも、アリストテレスの時代からわれわれの認識論的限界は気づかれていて、
全体は不可視なのだね
ホーリズムは思想たりえないわけ
むしろ要素還元主義こそが思想であり、哲学なの
よって同じくニヒリズムも思想にならない
人類の営為として継続的にブラッシュアップするだけのコンテンツを生産できないからね
ホーリズムは現実だし、ニヒリズムは正しい
しかし、人間は、それを主張できるほど、それらを正しく認識できない

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369 2015/04/28(火) 23:36:55 ID:iIXXLGuNrk
>人間の存在には「意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値」などがないと主張する哲学的立場

これを虚無主義と呼ぶのは甘ったれじゃないか?
他の哲学は人間存在の意義、目的、真理、本質的価値を脇目もふらずにきっちり見据えているのかい?

いやね、すべての哲学は意義や目的をどうでもいいとは言わないが、限定的なユニークな状況下の個別エピソードと弁えて相手にしちゃいかんよ
真理や本質的価値なんてものはないに決まっておろう

虚無主義でひとくくりにされるいわれがない
諸行無常を極めてネガティブなイメージを刻印する虚無主義と呼ぶか?

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370 2015/04/29(水) 05:48:13 ID:lW5I2oEDIM
近代とは何か?

諸行無常は近代科学と同じ観点である

人間の権利はもっともらしく配布したが、人間の義務は個別状況にゆだねた
=真理、本質的価値は捏造したが、意義や目的は個別状況にゆだねた

旧体制の価値を破壊するために寄る便としての虚無主義は、一時威勢がいいし、使えそうな錯覚が起きるものの
社会が新たな価値の定立と称して、疑わしい仮住まいを再構築してしまうと排斥される

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371 2015/05/03(日) 07:44:04 ID:/6RFiW1onQ
ニーチェの議論はある意味一点突破的で、本質をズパッと突いているところと、まったくの空振りの2つに極端に分かれている。
とくに社会論とプラトン批判は正直なところ、全く妥当ではない。
ニーチェは社会は人びとを凡庸化すると主張する。しかしそれは社会の本質ではない。
なぜなら社会においてこそ私たちはそこで他者と競い合い、みずからを向上させたり、ともに価値を認め合ったりすることができるからだ。
プラトン批判でも、『パイドン』にあるようなイデア論だけを取り上げ、『饗宴』や『パイドロス』で描かれている恋愛論については言及していない。
プラトンは『饗宴』で、恋愛とは「よさ」と幸福への欲望であると言っていたが、まさしくこれはニーチェのいう権力への意志と本質的に同じものだ。
プラトンをキリスト教的に解釈したのは後年の新プラトン主義であって、プラトン自身のせいではない。

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372 2015/05/04(月) 00:19:48 ID:cQdYlB7ZEM
ニーチェが見据えていたのは、その先の社会ってことはないのだろうか?
私見では社会は必ずしも個人を十全に生かすための道具だてではない
そもそも個人のための装置ではないんだから当たり前
しかも社会は人類誕生以来の歴史
部族社会からグローバル社会まで、社会と一口にくくれはしないわな
むしろいずれ個人は社会に完全従属する定め
個人を誘き寄せるために、個人の能力開発とかスキルアップとか収入アップとか名誉や威信・・・釣り餌には事欠くまい
承認願望所有者をコントロールするのは朝飯前であってくれなけりゃ困るってな具合で

その社会への端緒が恋愛だ
にもかかわらず、どうしてたかだか戦後70年で恋愛が不調なのか?ユーミン教はあだ花視されるのか、晩婚化なのか、少子化なのか・・・
1970年代からすでにダメダメだったようだから、最初からスタート切れてもいない

どうやら、ニーチェが正しいのである
われわれはそう簡単に「社会」を論じることができない分際であることを弁えるべき
デュルケムも波打ち際でチャプチャプしただけだし
アダムスミスが唯一、社会を「うっちゃりで」料理してみせたのみ
そこから一歩も進めていない

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373 2015/05/06(水) 07:32:33 ID:OMEWxVBulI
もともと社会科学は、客観世界をそのまま写し取る、という意味での単なる客観認識ではない(じつは自然科学もそういうものではないのだが)。
 社会学上の古典と目される、マルクス、ウェーパー、デュルケムといった人びとの仕事をざっと想起しただけでも、それがきわめて実践的な関心から生み出されていることは明らかである。マルクスは、極端な貧富の差や経済恐慌といった現象の原因を「資本」に求め、ウェーバーは官僚制的硬直化を、デュルケムは自殺率の増加にもつながる社会的連帯性の緩みを「問題」としたのだった。
彼らの社会認識はどれも、社会において経験される困難の原因をつきとめ、それを解決するための社会政策・社会構想を生み出そうとする関心から生まれているのである。
 彼らの社会認識には、一定の価値理念が働いているといえる。
つまり〈対等な人びとによって運営される社会〉という理念がおおまかに共有されていて、そうした理念に奉仕するものとして、社会的な困難の認識から社会政策(社会構想)へ、という営みがあるということができる。
 私たちにとってこれはあまりにも「あたりまえ」のことであって、それが一定の価値理念であることも忘れがちだが、もちろんこれは近代になってから−−とくに「社会契約説」によって−−形づくられてきたものである。
 社会契約説は、現代の社会学の立場からはありえないフィクションとしてあざ笑われたり、社会以前に「個人」を想定することの誤りを指摘されることも多いのだが、
私の考えでは、社会契約説がつくりあげた近代的な理念−−私はそれを「市民社会の理念」と呼んでいる−−こそが、社会科学の土台となり、社会科学を可能にしたものなのである。

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374 2015/05/06(水) 18:08:41 ID:H/nvw9Mf76
還元主義の成功はまだ続いている。
社会科学もまだそれを使えるものとして、ビッグデータなどの新ネタでいましばらく遊べる(予算がつく)と狂喜している。
こぼれ落ちるものが一定量を超えると、ホーリズムの台頭を許すことになりはしまいか?
経営学も経済学も、その問題意識に比して実用性が著しく低いのが弱点なのに(法律学のような存在意義しかないのに、悟りきらずに)、科学へのお追従をやめはしない。
統計学が熱いとか言っちゃって、何がこぼれ落ちているかを注意を払う気づかいもない。
実用性が優る自然科学や工学ならいざ知らず、実用性の低さを「複雑系ですから^^」みたいな・・・
「把握しがたいものについて単純に語れること」・・・正しかろうが間違っていようが、否定しがたい算数データが取れるところに陣地を構えて「単純」に語れること。
これが寄って立つ唯一の実利。
複雑系が聞いてあきれますがね。
問題意識から企てに移行するシーンで、算数メモが飛び散り、時として「気合い」が前面に出たりする。そんなところだ。
つまり、単純が、輪をかけて単純になるカラクリまで内包している始末。
「問題意識高きが故に正しくはない」好例の提供に事欠かない。それが社会科学。

「人間」も怪しい
「個人」も怪しい
「市民」なんてもっと胡散臭い
「自由意思」も、「責任主体」も、「権利」も、「義務」も、
召喚された事情(=人類共通のプラットホーム作り)は理解できるが、
そのような概念をもてあそんでいるうちに、(エネルギー資源量が間に合えば)世界政府の実現が自動的についてきそうだ。

幸いにしてホーリズムは、中身が空っぽだが正しいという、ニヒリズムやシニズムに似ている。
いずれもが到底予算がつかない学問という点で一致。

ディオゲネスも世界政府主義者だったし、中身のないホーリズムやシニズムが補完する個人の完全従属という幸福な事態を、はたしてニヒリズム(ごとき)が拒絶できるのだろうか?
まあ、無理だわな。拒絶すべきかどうかもわからんが。

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375 2015/05/09(土) 17:24:04 ID:lEYYka0rEc
ニーチェとナチスの関係ではないが、そもそもニヒリズムと全体主義は親和性が高いので、
いかなる思想も、あらゆる存在が一つ上の階層に奉仕されつくしてしまう現実に抵抗することはできない。
要素還元主義は、コツコツと身をかがめて(天を仰ぐことなく)手元作業で奉仕し、
その他の思想は、仰向いても、横向いても、穴ほじくっても、
走り出そうが、立ち止まろうが、うずくまろうが、何が起きているのか詮索しようが、何も見えない。

一つ上の階層と無縁であることが、われわれの存在条件なのである。

それを自由と呼ぶ。われわれの自由はその程度のものだ。

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376 2015/05/17(日) 07:25:12 ID:LZOmAkWOc6
マックス・ヴェーバーは、ニーチェが示唆した自律道徳を責任倫理として明文化した哲人であります。
かれの教えはその辺の思想家のものよりも厳格であり、時に強迫的とも感じられます。
かれ自身が当時の時代について危機感を警告する講演集「職業としての政治」「職業としての学問」を読んだことがあるならば、かれのクソマジメっぷりが読み取れるのではないでしょうか?
 安倍首相もヴェーバーを愛読していることは割と有名です(国会答弁に「職業としての政治」についての内容もある)。
かれは19世紀から20世紀の過渡期を生き、当時の西洋社会の起源・これから向かうべき道を研究していました。
もっとも有名な「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などでは、資本主義勃興の条件として「プロテスタント(おもにカルヴィニズムの予定説が寄与)の倫理観、政治・社会を合理化させていくために形作られていった官僚制」を挙げていました。
これらはどちらが欠けても資本主義成立の条件としては不十分なものとなってしまいます。

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377 2015/06/05(金) 16:30:05 ID:ZglwEyscq6
ニヒルに生きたって
命を取られたら
お終いなのさ。

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378 2015/06/14(日) 11:32:56 ID:xO6TUOBsMg
やっぱり自分だけは生き残りたい。
エゴイズムです!

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379 2015/06/21(日) 18:15:27 ID:EF8fDblCws
ニヒリズム。
かっこいい!

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380 2015/07/10(金) 23:11:49 ID:6oBxpkBalw
流れる水のごとく

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381 2015/07/11(土) 14:12:55 ID:XNaq2VP0n.
「どうでもいいよ、くだらねえ…」

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382 2015/07/12(日) 13:02:22 ID:Lwmls3mkrM
>>381
それこそ、まさにニヒリズムですな。
参りました!

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383 2015/08/05(水) 17:53:26 ID:4j2brSE2NQ
ニヒルに生きたって
命を取られたら
お終いなのさ。

返信する

384 2015/08/16(日) 17:52:55 ID:RxPgGU5De6
冷静に考えて
行動しよう。

返信する

385 2015/10/18(日) 05:45:12 ID:u3lZSLku0k
哲学者も恋をするの??
特にニヒリストって恋するのかな??
食欲や性欲ってカンジならニヒリストでも「意味無いけど、本能だもん」ってカンジで受け入れられそうだけど・・・恋って事になったら、どぉやって自分をナットクさせるんだろ??
「無意味だけど、恋しちった♪」ってカンジなのかな??
それとも恋しないのかな??

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386 2015/10/31(土) 05:58:25 ID:t7l6JdBakA
いくつものこんなん

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387 2015/11/30(月) 16:29:46 ID:aGr6nuQ53g
現在のヨーロッパの「人間の理想」の原型を作ったのは云うまでもなくキリスト教である。
キリスト教の人間観の本質は「ニヒリズム」(つまり虚無への意志)にほかならない。その理由は、キリスト教の思想がその根本に「ルサンチマン」(弱者の反感)の本性をかくしもっているからである。
次にこの「ニヒリズム」の本質は、その後のヨーロッパの一切の思想つまり近代哲学や近代科学にそのまま受け継がれている。
近代哲学や近代科学がこのキリスト教の致命的欠陥を自覚出来なかったからである。
そして最後に、近代的な思惟がキリスト教の欠陥をそのまま受け継いだ事によって、ヨーロッパに非常に根の深い「ニヒリズム」の諸形態(無神論・懐疑主義・相対主義・デカダン等)が顕在化し始めている。
現在のニヒリスティックな諸形態は、近代哲学が主張して来た「道徳」、「認識」、「真理」といった観念が最早その権威を保てなくなった事から来ている。
これら近代的な諸理念の権威失墜(=ニヒリズム)の理由は何か。それはその源流としてのキリスト教の本質から来ている。
キリスト教の信仰が崩壊した為にニヒリズムが現れたのではなく、キリスト教それ自身の本質が「ニヒリズム」なのであり、現在それが顕在化しているにほかならないのである。

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388 2016/01/18(月) 17:08:13 ID:J2AIWBnx9g
他人を頼るな!

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389 2016/01/22(金) 15:38:48 ID:QBDC0DL8zE
ルサンチマン恐るべし

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390 2016/03/06(日) 14:41:15 ID:1J.rlGcByw
日本人の死生観について一つ。
梶井基次郎の「桜の樹の下に」は、決していいとは思いませんが、 生と死は一つのものだという、日本人独特の死生観を見て取ることはできました。
上島鬼貫(うえしまおにつら)という俳諧師に 「骸骨の 上を粧ひて 花見かな」という、句があります。
一般には、 花見だと言って、馬鹿騒ぎしているが、所詮、骸骨が着物を着て騒いでいるだけのことだ と解されていますが、
これでは一種のニヒリズム(虚無主義)です。
しかし、この句には、もっと陽気で洒脱なものがあるような気がします。
所詮は骸骨なんだけど、それが馬鹿騒ぎできるなんて素晴らしいじゃないか。
日本文化は無常観が背景にあります。
次々に移り変わっていって、一定のものはないというわけです。

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391 2016/04/09(土) 12:09:03 ID:FGeldo5GRM
人生はいつかは終わる。

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392 2016/05/03(火) 13:00:00 ID:F0XS/jO/DI
他人に構わずに生きていく。

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393 2016/06/19(日) 10:11:00 ID:9XHSCXO5pc
無機質な生き方をしたいのだが・・・。

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394 2016/06/24(金) 21:31:58 ID:zueo/cjEhs
孤独のむなしさや不安に耐えかねた個人は、所属感や一体感を求めて容易に集団の中に取り込まれていく。。。

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395 2016/09/03(土) 12:21:28 ID:W0Lm0Ip4Jk
人間も結局はただの物質であり、だから生きていることには結局意味がないし、人間を超えた神や仏や天などただの神話で、だから絶対的な善悪もない。
そして、国や村や家などのために犠牲になるのは、バカげたことで、個人の権利こそ大事なのだ。だから、人間は自分を大事にして、自分の生きたいように生きるしかない。
それは人間の権利なのだから。

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396 2016/09/10(土) 08:45:14 ID:U5bRN9cxwk
ニヒリズムとは、所詮、個体の「意識」は個体を掌握してはいないし、できたところでしょうもない
なおかつ、個体意識は意味をもたらさない
という実相に起因するのではないか?

同時代平面では、人間個体は社会的動作に徹頭徹尾吸収される
切り離せば意味を失う
では、時系列では逃げられるか?無理である
個体は寿命を背負って生き、世代連鎖の中に完全に埋没すべき小さな環である
連鎖を止めれば意味を失う
個体は意味の発生源にはなりえない
個体は集団と世代継続の交点で辛うじて意味を把握できる存在だ
それを感得せしめるものが脳の多幸感
帰属感、承認、仲間認定、同胞意識・・・これで脳が喜ぶことに抗えない
子、孫、祖先の連鎖、連綿たる山並みを眺めるような穏やかなる喜悦
その結節点で起きる激しい恋愛感情とエクスタシー・・・脳喜ばずして意味もなし

この自然なる快感原則から離脱し、はぐれたものたちが、無意味を伴侶の倒錯愛に耽る

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397 2016/10/04(火) 12:24:06 ID:sGDvNmpVMI
[YouTubeで再生]
近代とは何か──ニヒリズムという帰結

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398 2016/10/04(火) 22:12:07 ID:1MQEmFLWvk
欲望と自由がニヒリズムの根源?
ちょっと違うんじゃないか?
欲望と自由のために意味の連鎖から脱落した・・・というのは、あるとしても非常にレアケースだろう
現代社会であってすら、そんなに欲望と自由は満たされない
「社会的成功に見放されたので、趣味の世界」じゃないんだから
現代社会の自由と欲望を牽引しているそもそもの動因を、そんな個体の無制約な制約解除体を淵源にしちゃいかん
どこにそんなに金儲けに成功した連中があふれているのか?
錯誤も甚だしい

自由とか欲望は、原因ではなく結果に過ぎない
説明用具にしてはいけない
それが分からない思想家がまだ大勢いるんだよね

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399 2016/10/08(土) 07:07:41 ID:/P5NcuuPiw
西谷啓治は『根源的主体性の哲学』において、「われ在り」といふことの窮極の根底は底なきものである、吾々の生の根源には脚を著けるべき何ものも無いといふ所がある、寧ろ立脚すべき何ものも無い所に立脚する故に生も生なのである、そしてさういふ脱底の自覚から新しい主体性が宗教的知性と理性と自然的生とを一貫するものとして現れて来る。
空と自灯明・法灯明について
空とは拠り所がないことである。しかるにこの拠り所としての己、法とは何を意味しているのであろうか。脱底の自覚から生まれいずる、新しい主体性、これこそが自灯明ということである。
西谷の個人的経験という形で生まれたニヒリズムはやがて、西谷の哲学的思惟のうちで、技術文明の時代に生きる人間存在の諸問題のほとんどすべてを包括するような大きな問題にまで成長する。
たとえば、マルキシズムの問題、道徳的退廃の問題、科学的世界像や科学的合理性の問題、テクノロジーの危険や人間の機械化の問題などはすべて、覆面したニヒリズムの問題であり、ニヒリズムにつながる、というのが西谷の見解である。

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400 2016/10/22(土) 08:39:27 ID:tdgxjZ4pbo
虚無・・・。

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401 2016/10/23(日) 12:09:49 ID:oMzJeWp4dU
お前たちに言ってやろう
われわれが神を殺したのだ
お前たちと俺が!
われわれはみんな神の殺害者だ!
世界がこれまで持った、最も神聖な、最も強力な存在
それが我々のナイフによって血を流したのだ!
この所業は、我々には偉大過ぎはしないか?
こんなことが出来るためには、我々自身が神々にならなければならないのではないか?

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402 2016/11/19(土) 13:58:57 ID:GbMLeQbAXg
自己洞察とは?

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403 2016/12/10(土) 07:57:07 ID:BhZB76ONL.
一生懸命がカッコいい!

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404 2016/12/11(日) 09:48:44 ID:WCP5n6dxAA
ニヒリズムと全体主義が親和性?
アナーキズムでしょう
反帝国主義運動が、19世紀末から20世紀初頭、テロの第一波を産みだした
直接行動で要人を暗殺するテロリスト=ニヒリスト
当時のテロリストはなぜかイタリア人がほとんどだった

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405 2016/12/24(土) 12:23:51 ID:3YNIJuaLlQ
イタリア人って過激なのかな?

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406 2017/02/12(日) 16:33:39 ID:/6RFiW1onQ
キリスト教「道徳」は、身体の持つ力を否定し、弱者の禁欲的な道徳に従うことをヨーロッパ人に求めた。
そして、それは、実に1500年以上もの永きにわたり、ヨーロッパを支配してきたのだった。 
しかし、キリスト教「道徳」は、ニーチェの生きた19世紀、その力を急速に失っていった。
それは、ほかでもない、当時、圧倒的な普遍性を持って登場した科学との間に修復しがたい齟齬が生じたからである。
 神も天国も存在しないなら(そして、実際に存在しないのだから)、それに基づくキリスト教「道徳」も砂上の楼閣にすぎない。
科学的理性によって「神が死ぬ (否定される)」と同時に「道徳」も死ななければならなくなったのである。
近代科学は、キリスト教的「道徳」がありもしない超越的な価値の上に成立していることを完膚なきまでに暴いたのである。
しかし、このとき、その力を失ったのは、キリスト教と「道徳」だけではなかった。
神も天国もないならば、「善」とは−体なんだろうか? あるいは、われわれの生の目的は? つまり、そのとき同時に人生の目的や価値さえ失効してしまったのである。 
 こうした状況をニーチェは「ニヒリズム」と呼んだ。ニヒリズムの語源はラテン語の「nihil=虚無」であり、あらゆる肯定的な価値を拒否し、何も信じない立場を指している。
科学を作り上げた近代的な理性は、理性的であることをつきつめた挙げ句、自分の依って立つ根拠を掘り崩してしまったのである。
つまり、ヨーロッパ的理性自体が、二ヒリズムの実践そのものだったのである。

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407 2017/03/04(土) 11:48:18 ID:PZsk6yMEp6
欲求に逆らいながら生きてゆく。

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408 2017/03/04(土) 18:48:22 ID:z0c.0.OtNY
なこといったって、現に人類の協働が実現、継続している以上、ニヒリズムは神話を破壊し得てはいないよ。
結論として現代人が噛みしめるべきは、明白なる理性の限界と敗北だ。
社会的に起きていないことを極小、微細部分で理論化しても負け犬の遠吠え。
ニヒリズムが成立するとしたら、確実に社会が崩壊を見なければならないからだ。
社会は共同幻想と神話で構成されており、決して堅固でも安定的でもないくせに、分析的科学のメスすら跳ね返してしまう。
貨幣現象ひとつまともに理論化できていない社会科学ではもっと無理。
神話から別のものに移行しても社会が存続できる唯一の可能性は、AIとかブロックチェーンとかの情報技術に依存するだろうね。
その時、人類は「信仰」「信念」「思い」「法」「ドグマ」「イデオロギー」などではない何かに従属する存在に堕ちる。

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409 2017/03/10(金) 23:46:10 ID:kfkYJl7Hwk
そのうち日本の社会が崩壊するでしょう。
その時に全てがわかる。

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410 2017/03/20(月) 13:35:04 ID:I3N9WrZTyw
三つ子の魂百まで
そんなに変われない・・・・。

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411 2017/06/10(土) 12:14:14 ID:XNKplQGw8E
後期フロムにおける破壊性・ナルシシズム研究は、社会現象としてのニヒリズム及び思想運動としてのニヒリズム双方を射程におさめつつ、それらに対して提出された社会心理学的応答と位置づけることができる。
思想的に見れば、人間学的観点から定義された人間的本質(human essence)としての実存的二分性(existential dichotomy)の概念は、ハイデガーによるヒューマニズム批判に対する彼独自の回答として位置づけられ、ポジティヴな「生の技法(art of living)」を構想する準拠点ともなっている。
またフロムは、ニヒリズム的状況が生み出す病理現象をネクロフィリア、ナルシシズム、サディズム等の一連の社会心理学的概念を用いることによって、その生成メカニズムを理論的、経験的に把握することができたといえる。

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412 2017/06/12(月) 04:54:08 ID:/KZXM.07Ng
そもそもこの世はニヒルなものだから少しでも意味のあるものにしようという人間の働きでしょ。
生と死があるように双方とも存在する。 なにも難しいことはない。

戦時にそれをいやというほど味わった人や、自分のように現代でも地獄をみてきた人はニヒリズムを認めるが、
難しいことばかりを言っている人は生に執着しすぎて死を見つめる機会を与えられていない。
利益ばかり追い求め甘んじて損失を受け入れないような偏った人だろう。

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413 2017/07/16(日) 07:59:46 ID:r/po6OX5wM
>>412

>戦時にそれをいやというほど味わった人や、自分のように現代でも地獄をみてきた人はニヒリズムを認める

まあ、そういう事ですな・・・。

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414 2017/08/15(火) 15:39:40 ID:Wm3uSw2S2s
平和というのは、一般に言われているように素晴らしいものではない気がする。
というのは、平和は理想状態であるというより、寧ろ前提の状態として想像されるべきものである気がするからだ。
もちろん、平和の実現する可能性、継続する可能性の低いこと、そのための労力の甚大なことはよく承知している。
突然こんなことを言い出したのは、平和主義というものの特異性を考えてみるためである。
 まず前提として書いておきたいのは、現在構想されている「均衡による平和」などは、ここでの平和主義の目指すものではないのではない、ということである。
ここで扱う平和主義とは、核兵器廃絶や戦争反対といった、世間では「お花畑的」と言われかねないような思想のことである。
以下平和主義と出てくる箇所も、一般に言われているよりは狭い意味で使われていることに、くれぐれも注意されたい。

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415 2017/09/02(土) 17:57:09 ID:nsv.c7gHt2
生きていればそれでいい。

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416 2017/09/16(土) 12:17:26 ID:VTtucNDifI
人生に意味はない。したがって、「私の人生に何の意味があるのか」という問いは無意味である。

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417 2017/11/04(土) 09:47:00 ID:TVo.oKYn1c
生きていれば
たまに
いい事がある?

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418 2017/11/11(土) 10:38:21 ID:OR2Pf53AJ2
どんな場合も慌てずに冷静に生きる・・・・。

https://screenmusings.org/movie/blu-ray/Casino-Royale-19...

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419 2017/11/19(日) 10:33:59 ID:RI0JIHY4q6
ストイックに生きましょう!

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420 2017/12/02(土) 06:50:31 ID:scpctxDnEA
ストイックに生きましょう!

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421 2017/12/10(日) 13:06:39 ID:fhL3mT8FF6
笑いながら生きる!

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422 2017/12/31(日) 08:16:54 ID:Blv9RFKTuA
『快楽主義の哲学』澁澤龍彦
エピクロスの快楽主義を紹介し、それを元に無頼で過激な生き方を扇動的に提唱する。
エピクロスの思想がストア主義ではなく、ニーチェのニヒリズムの肯定とダンディズムやロマン主義、耽美主義に結びついていることに特色がある。

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423 2018/01/29(月) 15:25:43 ID:Jv6YIWIKvQ
『万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。』(ルソー『エミール』岩波文庫上巻P23)

 ルソーの『エミール』は、性善説の立場の教育論のバイブルのようなものです。
ですが、この著作を読む限り、ルソーは全ての人間の本性は善である、とは一言も言っていないのです。彼はただこういうだけです。人間は、その誕生の時点で、全てが正しく、善である、と。
 そして、人がその始まりに於いて与えられていた善なるものは、その後の教育で悪くなるのです。
予め与えられていた正しさは、その後、失われていくのです。
 ルソーの性善説の根底に流れているこのニヒリズムを理解していなければ、性善説の教育は思わぬところで足を掬われたりするでしょう。
 此処で問題にしている、ルソーの性善説の中のニヒリズムというのは、要するに私が今まで言ってきた自然破壊の問題です。

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424 2018/02/24(土) 09:06:29 ID:c2Npt0Aj.Y
惑わされたっていいじゃないか・

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425 2018/03/13(火) 14:00:10 ID:4iJGvcGDWA
信じる者は救われる。

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426 2018/03/28(水) 15:15:56 ID:FhbBN4I44M
禁欲主義・・・。

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427 2018/04/21(土) 11:07:10 ID:mKF1t6/Kw2
ストイック

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428 2018/04/29(日) 12:00:17 ID:0KdWk4KHEk
私利私欲を捨てる。

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429 2018/04/30(月) 06:44:24 ID:hD4ZkHC6xk
禁欲主義・・・。

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430 2018/05/12(土) 08:09:31 ID:mJ1kKRXodY
プラトニック

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431 2018/06/02(土) 09:47:49 ID:lGSUOSLgDU
惑うことなかれ・・・。

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432 2018/07/15(日) 11:46:12 ID:HcAfBDmF5s
天災は・・・。

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433 2018/07/29(日) 10:17:26 ID:3dAuuywTzo
434 2018/08/15(水) 08:05:09 ID:LGHMbrRlzw
あるがままに生きる

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435 2018/09/08(土) 08:18:21 ID:FhQf76P9OU
地に足をつけて生きよう。

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436 2018/09/23(日) 07:16:38 ID:mmO5L3LkF6
[YouTubeで再生]
生きてると辛い事もある。

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437 2019/05/04(土) 15:02:36 ID:cTZLcEKNH.
浄土真宗はニヒリズムの逆でしょうか?

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438 2019/08/12(月) 08:17:23 ID:1ybZ800uxY
自部で考えましょう

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439 2019/09/15(日) 10:04:33 ID:FLXCR9JVrg
生きていこう。

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440 2019/11/04(月) 10:54:41 ID:bNTfWO2V0g
441 2019/11/24(日) 09:09:39 ID:w2N.SH4ePc
虚しいよ・・・。

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442 2020/02/02(日) 00:01:24 ID:eDdtpW9u.Q
高祖一期の祈請所願は、公場対論に決定勝利を得て一国同帰をもたらし、戒壇建立(これを一同の戒壇という)を実現して、門下の出家学匠は主上・上皇の授戒の師となり、門
下の公家・武家は左右の臣下に列座し、やがて四海帰妙(=通一仏土)を期すというのである。
この希有壮大なる一大目的(しかし当時の日蓮門下と幕府内部事情との人間関係よりすると、公場対論と幕府帰依は必ずしも夢想ではなく、かなり現実性の高いものであったと思われる)に対して、私どもは非現実性を見て悲観主義(ペシミズム)から虚無主義(ニヒリズム)に陥りがちである。
門流によっては変節に変節を重ねて立正安国論を封印(=捨閉閣抛)せんとする輩さえ出現のありていである。

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443 2020/02/29(土) 02:02:07 ID:iLPDw.LZPY
現代医療は治療のプロトコルがきめられて、エビデン ス競争が自己目的化し、患者は良くも悪くも現代医療の実験対象になるという悲劇があります??必要かつ最低限の緩和でいいという患者の自己主張は「治療拒 否」の敗北主義(治療ニヒリズム)と看護師も含めた医療者集団からレッテル貼られてしまいます。本当の悪者はICを尊重しない後者の連中なのですが……。
患者が考えるIC(フォークIC)は本物ではなく、患者の目をみたりすることの少ない書面上のIC(マインドレスICと呼びましょう)のほうが医療者の連 中は「本物の中の本物のIC」だと信じているのです。
したがって、現代の医療って最先端の医療というよりも「ココロを失った動物実験」にすぎません。コ ミュニケーションできる動物の間の@獣医学におけるヒューマニズムのほうが「健全なパターナリズム」が残りもっとまともかもしれません。

ちなみに「治療的ニヒリズム」とは、積極的な現代医 療の介入ではなく、人間がもつ自然治癒を優先する治療方針のことで、治療を拒否する考え方ではありません。
むしろ、功利主義的な治療介入を是とするひとた ちが「治療拒否する愚かな連中」と揶揄するつもりでつけられたレッテルです。

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