①親耶蘇(親キリスト、キリシタン信仰)
書いての如く親キリスト。
キリストを唯一無二の絶対神と信じ込んで憚らない。
カトリックや正教、表向きのプロテスタントなど。
②反耶蘇(反キリスト、キリシタン嫌悪)
典型的なキリシタンには反目するものの、人類文化全体への知識不足から、
あたかも新旧約聖書信仰が全人類文化の根源であるかのような
誤った思い込みの中で論議を進めようとする点はキリシタンと同じ。
ユダヤ教徒、裏でのプロテスタント、マルクス、ニーチェ、幸徳秋水など。
③非耶蘇(非キリスト、キリシタン根絶)
そもそもキリストもキリシタンもない状態。
新旧約聖書信仰とは無縁に発達した人類文化文明のすべて。
シルクロード開発以前の中国やインドの独立的な文化、
ザビエル侵入以前の日本における神仏信仰など。
④排耶蘇(排キリスト、キリシタン排除)
キリシタンを意図的かつ確信的に排除する。
単なる反目に止まらず、親キリストや反キリストの有害無益さを看破して、
勧善懲悪を本旨とする体系的な理念に基づいて、秩序立てられた排除を執り行う。
元祖排耶蘇の林羅山、松平定信による寛政異学の禁、イスラームなど。
①と②が有害無益な悪玉文化であり、早急に撲滅されて然るべき代物であるのは、もはや誰しもが認める通り。
ただ、かといって純然たる善玉文化である③に立ち戻るにしては、今の世界はあまりにもキリシタン災禍が深刻過ぎて、
すぐに純善へと回帰する目処も立たない。そこで、ある程度は清濁併せ呑み、物質文化や軍事などに関しても体系的な
素養を持つ中で、キリシタンよりはマシな類いのものとしての、儒学やイスラームによる当面の復興措置が見込まれる。
新旧約聖書ともそれほど次元の違いすぎない範囲での良書である、四書五経やクルアーン、ハディースなどに基づいて、
最低最悪の現状から少しずつ改善していくための架け橋となるのが排耶蘇。その排耶蘇について思想哲学的に語る。
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