インドの乞食行者は堂に入ってるが、日本のホームレスはいかにも惨めだ。
なぜかって、乞食であることの高潔な意義を自覚しているか否かの違いによる。
「乞食」という身分はあくまで卑しい。自ら働いて富を生み出す生産労働者や、
それらの人々を保護する士大夫などと比べれば、明らかに卑しい身分である乞食を
あえて選択することにより、親社会的でも反社会的でもない、非社会的な存在となる。
肉欲も物欲も金銭欲も超えて、人間的な感情欲求からは隔絶した所にある真理を掴み取る。
人間的な世俗性から隔絶した所にこそ真理があるという真理をわきまえているから、
社会的には卑しい身分であるはずの乞食となることに価値を見出す。
時間(クロノス)やら戦い(アレス)やら勝利(ニケ)やらお使い(ヘルメス)やらと、
空想的な概念までをも擬人化してしまう元祖オタク系のギリシャ神話などと違い、
真理が人間性などとは隔絶しきった所にあることをわきまえていればこそ、
人間的な活動の中に真理を見出そうとしたりはしない。実際、それは真理ではない。
世俗的欲求によってたどり着けるのはせいぜい道理止まり。真理などはもちろん存在せず、
さらには道理にすら背こうとするのなら、それは余すことなき誤謬となり、罪悪となる。
道理に背く世俗こそはことごとく過ちとなる。真理は世俗とは関係のないものだから。
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