乞食の哲学


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001 2010/04/18(日) 05:46:31 ID:UxcGp3r4EY
世界最古の哲学ウパニシャッドもまた、乞食行(遊行)を営むバラモンによって生み出され、
(主要ウパニシャッド中でも最重要とされる「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」にも、
家族を捨てて遊行に出ようとする聖賢ヤージュニャヴァルキヤと夫人との対話が載っている)
そのバラモンよりもさらに過酷な出家者・沙門としての苦行を通じて釈迦も悟りを開いた。
無為自然の超俗志向によって老荘も高潔な万物斉同の境地を説き、その道教や仏教の
経典にあたる道蔵や大蔵経も、世界大百科事典も真っ青の膨大な分量に上っている。

世俗の道徳学に過ぎない儒学は素朴な思想に止まり、社会全体の総合プロデュースを目的とした
神道には独自の教義がない。なんだかんだ言って結局は世俗での利益だけが目的な西洋哲学宗教
の劣悪さもすでに知れたこと。世俗の名利を捨て去った所にこそ、最高最良最深最遠の哲学宗教も
編み出されてきた。今一度、真正哲学の淵源としての乞食の存在意義をここに問い直す。

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002 2010/04/18(日) 09:50:57 ID:jppWwT5y1c
一番底辺から上を見るのが、世界全体を見渡せるという考え。
しかし、この行動はそういう修行僧に与えられた権利(社会放棄)だから、
思想に共鳴した者全員が行ったら社会秩序は保たれないんだから、ある意味
卑怯な振る舞いだよな。

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003 2010/04/18(日) 11:02:16 ID:UxcGp3r4EY
乞食行者は具体的にどの程度の害益度かといえば、
農業・必需工業と商業・ガラクタ工業の間程度だといえる。

普遍的な害益度:
士大夫≧農業>必需工業>0≒乞食>ガラクタ工業>商業≧盗賊
(0よりもより大きいほど益が大きく、0よりもより小さいほど害が大きい)

農業や必需工業のように一概な生産もしておらず、
商業やガラクタ工業のように一概な消費もしていない。
プラスマイナスゼロの無益無害が乞食行者の実社会における存在性。
実は商業やガラクタ工業の従事者よりは世の中にとってマシな存在だったりする。

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004 2010/04/18(日) 11:33:29 ID:TdZ0gf/6xs

>>1にぴったりじゃん

頑張って目指せ

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005 2010/04/18(日) 11:38:52 ID:UxcGp3r4EY
ガラクタ工業や商業・盗賊業に身を堕すよりは、確かに乞食のほうがマシだ。

もっとも、俺自身が一番就業を望んでいるのは、士大夫なわけだが。
仏法や道術を本気で修めるつもりもないのだし。

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006 2010/04/18(日) 11:43:06 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
だから畑無料で貸すって言ってるじゃん

最初は援助するし
数年したら幾らか稼げるようになるって

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007 2010/04/18(日) 16:18:46 ID:m9THnWZwhM:DoCoMo
稼げるようになるのか、今の世で。



大恥だな。

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008 2010/04/18(日) 19:01:19 ID:UxcGp3r4EY
[YouTubeで再生]
人、人、人、人、人・・・
これが人類の本体、コーカソイドの「頭」(欧米は尻尾)。

インドのクンブメーラも、参加者数約7000万人という、
リオのカーニバルもウッドストックも米大統領就任式も真っ青の規模だが、
そのほとんどが乞食行者で、金なんかちっとも持ってないから、大きく報道されることもほとんどない。
人の動きよりも金の動きのために、大手メディアが動いていることをもよく示している。

ただ規模が大きいだけじゃない。3000年以上昔からの、悠久の歴史に裏付けられた
由緒正しい祭でもあり、釈迦も行なったであろうガンジス川での沐浴を誰しもが行なう。

人類の多数派は、ちっとも金のためなんかに動いちゃいない。
それもそのはず、金ってのは、富の配分の格差を象徴する相対概念に過ぎないのだから。
多数派が誰しも大金を手に入れた時点で、すでに金の価値はなくなってしまう。
ただ、食い物や物品が誰しもに十分に行き渡るようになるだけで、
簡便な流通の手段に過ぎない、金銭の介在の必要はほとんどなくなる。

般若心経にもあるとおり、真理は「不増不減」でもある。
個々人が増減に一喜一憂するためにある金が、真理でないことは火を見るより明らか。
どれほど取るに足らないものばかりのために、今の先進国の人々が振り回されていることか。

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009 2010/04/20(火) 16:37:45 ID:fOmsVBF7A6
[YouTubeで再生]
この取り止めのなさは、見てるだけでも酔うな。

どうやらトラクターに乗っているのが偉い人たちのよう。
さすが必需産業とガラクタ産業の間にいる人たち。生産も消費もしない、不増不減の真理を体現している。

欧米は聖書信仰で腐敗し、アラブはイスラームで防腐し、インドは乞食行で発酵している。
良くも悪しくも腐りやすいコーカソイド社会。尻尾も頭の発酵加減を見習わねばな。

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010 2010/05/02(日) 18:46:26 ID:2pJYlEvqJA
乞食行者も別に、「乞食」という身分が貴いなどと思っているわけではないからな。

始めから全く文明の恩恵に与っていない土人などと違って、乞食は
クシャトリヤ(王族)やヴァイシャ(平民)やスードラ(奴隷)などといった
民間の職分の区別が発生するほどにも、高度に発達した文明社会においてこそ生じる。

物も作らず、商売もしない、もちろん為政者になったりするわけでもない
乞食という身分は、社会的にはやはり卑しいものであって、何ら正当化の余地を持たない。
剃髪もインドですら卑しいものとされ、袈裟も糞掃衣(おしめの再利用)であることが起源になっている。

あえて社会的に卑しい身分に己れを貶めることで、内面における高貴さを養おうとする、
ショック療法的な意味が乞食行にはあるのであって、決して「乞食が貴い」だなんて転倒夢想には基づかない。
内面における残飯漁り的な卑しさと引き換えに、外面における利得の拡充を図る、ある種のカルト洗脳
などとは全く真逆の方向性に基づいており、そこにこそ膨大な正当教学もまた蓄えられている。

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011 2010/05/03(月) 10:55:58 ID:ZOqhA8qSRQ
>乞食行者も別に、「乞食」という身分が貴いなどと思っているわけではないからな。


誰もそんな事思ってませんよ。

こんなあなたを街で見かけるようになるかもしれませんね。

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012 2010/05/03(月) 19:53:51 ID:hOgd6v7iuY
インドの乞食行者は堂に入ってるが、日本のホームレスはいかにも惨めだ。
なぜかって、乞食であることの高潔な意義を自覚しているか否かの違いによる。

「乞食」という身分はあくまで卑しい。自ら働いて富を生み出す生産労働者や、
それらの人々を保護する士大夫などと比べれば、明らかに卑しい身分である乞食を
あえて選択することにより、親社会的でも反社会的でもない、非社会的な存在となる。
肉欲も物欲も金銭欲も超えて、人間的な感情欲求からは隔絶した所にある真理を掴み取る。
人間的な世俗性から隔絶した所にこそ真理があるという真理をわきまえているから、
社会的には卑しい身分であるはずの乞食となることに価値を見出す。

時間(クロノス)やら戦い(アレス)やら勝利(ニケ)やらお使い(ヘルメス)やらと、
空想的な概念までをも擬人化してしまう元祖オタク系のギリシャ神話などと違い、
真理が人間性などとは隔絶しきった所にあることをわきまえていればこそ、
人間的な活動の中に真理を見出そうとしたりはしない。実際、それは真理ではない。
世俗的欲求によってたどり着けるのはせいぜい道理止まり。真理などはもちろん存在せず、
さらには道理にすら背こうとするのなら、それは余すことなき誤謬となり、罪悪となる。

道理に背く世俗こそはことごとく過ちとなる。真理は世俗とは関係のないものだから。

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013 2010/05/22(土) 12:08:05 ID:cFNrnwH9uc
インチキ托鉢僧がいるから、ほんもののこじきとニセモノとを
区別しなくちゃならん。

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014 2010/07/20(火) 07:04:31 ID:znZoXtiqLs
悪いけど、開放だの云って仲間を劣悪な環境下、自分だけ甘い汁吸ってる黒メルヘン教に興味ありませんw

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