士農工商


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001 2010/04/03(土) 19:43:05 ID:W4Y.XZtdps
四民(原典では分類が定かでない)・・・「書経」偽古文尚書・周書・周官に初出。後付けの可能性もあり。

商農工賈(サービス業と農業と工業と小売業)・・・「春秋左氏伝」宣公十二年に、随武子が民の生業を指す言葉として。四民の内実の初出。

士産分離(士大夫と産業階級の分離)・・・「論語」子路第十三・四などにおいて、礼儀道徳に基づく士大夫階級と産業階級の分離が提唱される。

士工農商(士大夫と工業と農業と商業)・・・「荀子」儒效篇第八・十二において、大公以下の支配階級も含めて「大夫士・工・農・商賈」とされる。

末業断罪・・・「韓非子」五蠹第四十九において、農業などの本業と比べての、末業としての工業や商業の偏重が断罪される。

士農工商(士大夫と農業と工業と商業)・・・「管子」乘馬などにおいて、支配階級を含めた明確な四民制が初出。農業と工業の地位が引っくり返る。

四民制の定着・・・「六韜」などにおいて、絶対的正当性が確立された士農工商の保全のための権謀術数が「目的のために選ばない手段」として展開される。

「管子」の書名にもなっている管仲は、孔子の活動時期よりも昔の春秋時代中期の人物だが、
書物としての「管子」は漢代以降に編纂された仮託書で、諸子百家中最終の「韓非子」よりも新しい。
「六韜」も殷周革命の立役者である太公望呂尚が述べた兵法とされているが、その成立は遥かに遅れる。

非常に多くの紆余曲折を経て、最終的に確立された「士農工商」という四民制の格付け。
不当に貶められた商人の不満のガス抜きのために、部落階級が設置されたなどと勘違いされている場合が多いが、
部落差別は、早くから奴隷制を根絶させた日本社会に特有の問題で、中国原産の四民制とは直接関係がない。
日本でだけ「皇族華族士農工商穢多非人」という長大な階級差別が生じたことも踏まえた上で、議論されたい。

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101 2010/04/18(日) 12:41:55 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
君みたいなのを世間では馬鹿っていうんだよ
何もしないのに 他人に求めて その要求が満たされないと相手が悪
ニート根性まるだし

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102 2010/04/18(日) 12:48:36 ID:m9THnWZwhM:DoCoMo
馬鹿な世間が馬鹿と言うんなら、どうやら俺は本当に聖人か賢人なんだろうな。
誇らしいことだ。

他者から財物を奪う犯罪労働でも、働いてすらいれば無職やニートよりは
偉いだなどと思い込んでいる、道理をわきまえないクソバカが相も変わらず
跳梁跋扈してくれてるおかげで、それよりはまだマシな隠者の身分に止まる
俺が最大の矢面に立たされることもない。怠け者が糾弾されるよりも、犯罪者が
糾弾されるほうが必ず先。おまえらの存在こそは俺の安全を保障してくれている。
ただの怠け者の、準馬鹿野郎(おまえらが一番)である俺のあるがままの安全をな。

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103 2010/04/18(日) 12:56:59 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
強い思い込みは狂気を産む

君は最期の時に 世間を恨むんだろうな
ニュース見てない?
君みたいなニートが悲惨な事件を沢山おこしてるぞ
頼むからそうなる前に 首吊るか精神科に行ってカウンセリング受けてこい

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104 2010/04/18(日) 13:03:25 ID:UxcGp3r4EY
出た! 自殺教唆!
通報もんの狂気だな。

無職やニートや派遣社員の罪はどんなに小さくとも書き立て、
権力者の罪はどんなに大きくても書かず、逆に敬称付きで紹介したりもする。
そういった社会体制全体が権力犯罪集団といえ、もはや全く見込みのないものだ。俺一人ほどもの。

他人の片足の小指の爪の有無なんかを気にしている以前に、
自分たち自身の四肢切断の朦朧のエイズ末期を心配するこったな。
近ごろまたそこに、ガン末期でも加わりつつある様相だが。

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105 2010/04/18(日) 13:16:00 ID:L2ST1UpIAY:au
どの文章が自殺教唆なんだ?
意味もわかってない言葉つかわないようにな。失笑

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106 2010/04/18(日) 13:17:45 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
アク禁になるかもなw
わかってやってるんだからそんな嬉しそうにするなよ

俺がエイズ&癌?
この世の中が理不尽だってのもお前に言われんでもわかってるんだよ
まぁそれでも愛するモノのために死ぬまでは生きなくてはなw
君に心配される事でもない
だから君は自分の心配しな


そういえば、こないだ義祖母の葬式に行ったよ
葬式なんて くだらない 死後の世界など無いって思ってる俺でも
人の幸せは死に際を看取る人 悲しんでくれる人がいるかどうかだと思ったよ

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107 2010/04/18(日) 13:28:26 ID:UxcGp3r4EY
偏愛を権力犯罪の正当化に用いたせいで、>>46みたいな状況も招いたんだぜ?

国際金融資本の親玉どもにも、愛する妻子などがいたに違いない。
しかし、その家族への愛を、権力道徳を後押しする原動力とはせずに、
逆に権力犯罪を正当化する名目にしてしまった。愛を善用せずに悪用した。

愛それ自体が悪いものではなくても(仏教だと悪いもの扱いされたりもするが)、
扱うものの態度姿勢によっては悪用材料になってしまうこともある。

勧善懲悪や断悪修善は、愛でも勇気でもなく、道徳や聖徳によってこそ方向付けられる。
社会に対しては道徳や聖徳、愛や勇気は個々人として。領分をよく踏まえて扱わないと。

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108 2010/04/18(日) 13:58:02 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
家族愛と強欲を一緒にするな
俺は最低限の暮らしで 余った(余ってない)金は分けてる

働き 飯を食い 家族を養う事は生物として当たり前の事だ
それを否定するなら絶滅しかない

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109 2010/04/18(日) 18:03:52 ID:UxcGp3r4EY
権力犯罪者もみんなそうやって言い訳すらあ。
「俺だって、家族を養うために働いてるだけなんだ」と。
たとえその仕事が、遠方の他人の大量虐殺であっても、そう言うさ。

「君臣父子夫婦兄弟朋友」が、儒家における「天下の達道」の優先順位で、
特に最初の三つ「君臣父子夫婦」は、「三綱」とも呼ばれて特別に重んじられている。
これら三つの人間関係がよく序列をわきまえて、情愛に溺れて権力犯罪の
正当化材料などにならないように努めるのも、権力道徳の一環に含まれる。

「士農工商」という四民制の序列は、それ自体が三綱や天下の達道における「君臣」の序列にも相当し、
君臣の序列が正されることで、父子や夫婦や兄弟の序列も正されていく。君臣の序列が正されなければ
父子夫婦や兄弟といった家族間の序列も正されず、情愛に溺れて仕事に責任を持たなくもなる。

正統な権力道徳学である儒学は家族を重視する一方、社会規律を正すための責任を家族にも担わせる。
家族を社会からは全く切り離して、禁断の領域にしてしまうようなことも許さず、
世の中全体が一家のごとく和合するためにも、一つ一つの家庭が閉鎖して特権的になることは忌む。
よく開かれた家族と社会の関係においてこそ、世襲制の王朝なども数々の功績を挙げてきた。
家族が社会から断絶せざるを得ないほどにも、社会の側が腐敗してしまうことももちろん許さない。

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110 2010/04/18(日) 19:45:48 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
仕方ない のってやろう


お国の為
天皇万歳で過去 日本が戦争してきた事は?

そんな物より家族の為 畑を耕してた方が まだ平和だろ

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111 2010/04/18(日) 21:14:01 ID:m9THnWZwhM:DoCoMo
ペリーが蒔いた種の責任を日本人に問われてもねぇ

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112 2010/04/18(日) 21:24:57 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
一人で鎖国してろ

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113 2010/04/18(日) 22:23:11 ID:m9THnWZwhM:DoCoMo
削除(by投稿者)

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114 2010/04/18(日) 22:29:45 ID:0bLOo8A5co:SoftBank
キモい

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115 2010/04/20(火) 15:34:07 ID:RAsmIv9LJg:DoCoMo
長文書こうとすると、この板だけ「只今サービスを停止しています」になるぞ?
SoftBankの質問攻めに応答し過ぎたからこうなったんだぞ?

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116 2010/04/23(金) 23:16:48 ID:HYDZJtgTEE:DoCoMo
>>100でも引用した

「(孔子曰く、)天下に道あるときは、盗まず変ぜんか」
「天下に正しい政治が敷かれる時には、まず盗賊が変わるだろう」
(「荀子」正論篇第十八・七より)

という格言は、「荀子」中の記述ではあるものの、孔子の発言とされる。
儒家のライバルであった墨家が、「豪華な墓は盗掘の原因となるからいけない」と主張していたのに対し、
「そもそも盗掘者を生み出すような乱れた世の中から認めてはいけない」と、荀子自身が反論する過程において
孔子の言葉として上記の文言が引用されている。なので、天下が正される時に盗賊から変わるとする根拠が
「荀子」内に詳述されているわけではない。また「論語」や「礼記」や「左伝」にもこのような記述はなく、
孔子がなぜこのような発言を残したのかは、直接何らかの記述で説明されているわけではない。

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117 2010/04/23(金) 23:17:19 ID:HYDZJtgTEE:DoCoMo
ただ、孔子が上記のような発言を残した論拠が、荀子の論敵であった孟子の論述から推測される。

「孔子嘗て委吏となりては、会計当たらんのみといえり。嘗て乗田となりては、牛羊 として
壮長せんのみといえり。位卑しくして言高きは罪なり。人の本朝に立ちて道行なわれざるは恥なり」
「孔子もかつては生活のために倉庫番をしたことがあったが、『出納計算が合っていればそれでいい』と言った。
農牛などの牧畜を任されたときには、『牛や羊が丸々と肥え太って成長してくれればそれでいい』と言った。
低い地位にありながら高遠なことをほざくのも罪だし、高位高官でありながら言動が卑俗であるのも恥ずべきことだ」
(「孟子」万章章句下・五より)

それぞれの人間が己の職分を超えない、身分上下の秩序が整えられた社会こそは「道のある天下」であり、
天下に道がある時には犯罪がなくなるので、盗賊が真っ先に変わるとする。盗賊以外の誰かが変わることで
その次に盗賊が変わるのでは、乱世に道が行なわれなかった最もな責任が、盗賊以外の誰かに擦り付けられるような
ことにもなるので、各々の領分を超える結果ともなってしまう。それでは道の行なわれる天下としての
大義名分が立たないから、盗賊こそは真っ先に変わらなければならないとしたのだろう。

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118 2010/04/24(土) 00:39:13 ID:CbQy6i/v.E:DoCoMo
乱世における争乱の最大の原因は盗賊であるのに、
盗賊以外の誰かが変わってその次に盗賊が変わるのでは、物事の順序が損なわれる。
物事の順序が損なわれるのは、乱世の日常茶飯事ではあっても、治世には許されない。
乱世が乱世のままであるのならともかく、乱世から治世に移るのならば、
物事の順序から正されていかねばならず、よって盗賊が真っ先に変わらねばならない。

盗賊が変革するきっかけを盗賊以外に求めることからして、すでに乱世の慣わしに即している。
そのような乱世のしがらみを根元から絶つためにも、今でこそさして重要視もされていない、
物事の順序から正されていく必要がある。

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119 2010/04/24(土) 23:09:13 ID:yMLCGsBfyM:DoCoMo
小作人と庄屋を同じに考えるからややこしくなる
庄屋だったら本間家みたいな大金持ちがいるけど
小作人はエタ非人よりマシ程度

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120 2010/04/24(土) 23:25:52 ID:a8BxXazm3Q
四民制は、所得の高下には全く従っていない。

侍も大名や大身旗本から、下っ端の同心までピンキリだし、
商業ですら三井住友のような豪商から、ちっさな小売店や食堂を営む程度のまで居た。
百工も名工から、今の土方に当たるような日雇い労働者まで多岐に渡っている。

所得の高下、生活水準の高低を絶対的な価値基準に置こうとする所からして、小人や商売人の所業。
貧乏でも徳性の高い労働者は偉く、裕福でも徳性の低い労働者は卑しいという、
所得以上にも普遍的な価値基準に基づいて職分の貴賤を取り決めていたのが四民制。
所得が全てである商いの範囲でしかものを考えられないうちは、確かにその価値も分からない。

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121 2010/05/04(火) 17:22:36 ID:barY6iau7Q
>>1
>120まで読み通した、なんとなくだが言わんとするところは判る
そして、超少数派的思考(指向・志向・嗜好)で一般には相容れない
生き方(考え)で、反発を受けるのも当然。

でもそんな人が、世捨て人的に世を憂いて山野に一人や二人くらい
居てくれないと究極の事態が訪れたときに、金太郎飴みたいに思考が
均一なバカばっかりだと困るもんな。
レスの上限までまだ380(379?)あるので、気が向いたら
また書いてくれ、読むのを楽しみにしてる。

俺はちなみに、資本主義経済は 体の良いねずみ講 だと、思っている。
産業界で飯食ってるので、まだ”形あるもの”で商いしているので
トレーディングで食ってるよりもまだましだと言い聞かせてる。

近い将来、晴耕雨読を実践するため田舎暮らしも考え中だ。

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122 2010/05/04(火) 18:36:25 ID:oRbmi9n1IM
大多数に支持されるか支持されないかでいえば、当然支持されるだろう。
何しろ、地球人類の2割以下に過ぎない欧米先進国だけでの、8割以上の地球資源の寡占という
あまりにも理不尽な富の偏在を均すべしと言ってるんだから(>>21などで)、もしも全世界全人類での
一斉投票が行なわれるんなら、8割以上の地球人類の支持を受けることが、まず確定している。

ただ、今の世界はまだグローバリズム(国際主義)社会であって、
万国の万国に対する闘争状態が画策され続けているから、全世界全人類の総意などは蔑ろにされる。
イスラエルやイギリスみたいな小国であっても、中国やインドのような大国並みか
それ以上もの待遇を受けている、一票の格差が100倍程度は平気で開いている現社会だから、
地球人類の総意を代弁している意見までもが「超少数派的思考」扱いされるだけ。

「国境も財産区分もない」というイマジンの歌詞は、ジョン・レノンの祖国であるイギリスこそが
空想(image)に追い込んでもいる。もういい加減、それを空想から現実に引き下ろすべき時が来ている。

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123 2010/05/05(水) 10:55:19 ID:RvVwT.oYYI
地球規模での富の偏在の是正が行なわれるとすれば、それはちょうど、
江戸時代などにおける参勤交代制度にも類似する効果を発揮することになるだろう。

ただアフリカの飢餓やアラブの戦乱などが解消されるだけではない、
未曾有の我田引水をやらかしている先進国側の過剰軍備なども抑制される。
諸藩の大名に江戸への出仕を義務付けることで無駄な軍費の蓄積を厳重に取り締まり、
その上出仕の過程で大量のゼニを路銀として落としてもいくから、街道や宿場も潤う。
「羽振りのいいお殿様がただ」として、下民たちも心から感謝の念を抱く、
まさに一石二鳥とも一石三鳥ともなる、権力者による富の旺盛なばら撒き。
下民たちも、心から泣いて喜んでひれ伏していただろうよ。

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124 2010/05/06(木) 01:18:01 ID:YG8r.GAtL2
宗教板でたびたび問題起こしてるドコモ君がおお暴れして伸びてるスレか。
お前もういいよ

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125 2010/05/06(木) 07:18:48 ID:4ncg9koAao:DoCoMo
お前はまだよくないんだな?

よっしゃよっしゃ

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126 2010/05/15(土) 15:53:38 ID:Rw6nhhFH1A
士農工商穢多非人の下に帰化白丁その下に在日白丁があり
日本国外では朝鮮半島に本家の白丁が存在する。

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127 2010/05/15(土) 22:18:14 ID:uHBDW1q0Iw
四民制で、士大夫に当たるクシャトリア(王族)の上に
バラモン(祭司)が居るインドのカースト制においてこそ、
農工商に当たるヴァイシャ(平民)の下にスードラ(奴隷)が置かれてもいる。

四民制を逸脱した極端な格差の開きこそが、奴隷や賤民をも生む。

精神的には、祭司と奴隷の両極に振れきって、士農工商の四民程度の
相応な身分のわきまえを誰も持たないのが、今の世でもある。

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128 2010/06/01(火) 20:19:44 ID:.F/3Qh/iWI
「史記」平準書で、道を踏み外しても利潤を追求する商民に対し、
高祖(劉邦)が絹の服を着るのと車に乗るのを禁止し、租税を重くして、
見のほどを知らせた事績が記述されている。

他にも、武帝時代の塩鉄管理者であった孔僅と咸陽の奏上で、
非生産的な商民全般が「正業に就かない者」として当然の如く扱わる記述がある。

「史記」平準書は、全般的に経済を取り扱っているが、今の経済とは偉く違って、
贋金作りに奔走する商民どもと、お上との熾烈な争いが繰り広げられている。

今でいう金融操作と同等の贋金作りを徹底的に取り締まった結果、
「中産(中流)以上」の商民はことごとく破産してしまったという。
まさに政治家こそは、商民の宿敵であった社会。
逆に政治家こそは、財界と通じて金満状態にある今とはえらい違い。

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129 2010/06/04(金) 14:11:15 ID:IN9ZQ6oF6U
菅はガラス屋の倅、岡田はジャスコの御曹司、
前原も原口も丁稚出身の松下幸之助が興した松下村塾出身、
母親から法外な小遣いをもらってた鳩山は言わずもがな。

商売人として成功することと、為政者として公正な統治を執り行うのとでは
全く別個の素養が必要とされることに、いい加減気付かないかね?
いまの政治家も、それを支持している民衆も。

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130 2010/06/11(金) 17:26:31 ID:au/AxqScNY
今のような不況の状態になると、まるでそれが当たり前のことででもあるかのように
中小企業ばかりが貧窮し、大企業やそれにおもねるものばかりでの生存競争が繰り広げられる。
しかし、それはあくまで仁政の行われない乱世に限ってだけのことで、よくよく細部にまで仁政が
行き渡る泰平社会においては、むしろ株式投資などのあぶく銭に頼ることなく堅実な経営を
行ってきた中小企業のほうが保護されて、贋金作りで好き勝手やって来た大企業などのほうが
破産を余儀なくされ、生活上必須な大規模産業などに関しては国有化などの措置が取られる。
(昔の中国だと特に製塩と製鉄の国有化が徹底されていた。内陸国であるため塩が貴重品だった)

産業の国有化などによる停滞は、共産主義だと深刻化してソ連の崩壊などへと行き着いたが、
商工業の発展に高尚な精神性を付加するイスラームなどに基づけばそんなこともないし、
未だ共産主義国である今の中国においても、経済政策の自由化であっという間に産業が発達した。
江戸時代の日本なども、かなり自由な商工業を認めていたから、三井住友安田のような巨大財閥も生んだ。
全ての贋金作りを禁止した結果、中流以上の商売人をことごとく破産させた武帝期の漢王朝も
一つの理想ではあるが、士農と工商を天秤にかける程度の、俯瞰的な史眼も全くないわけじゃない。

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131 2010/06/11(金) 22:36:12 ID:au/AxqScNY
自分たち自身は真っ当な権力機構なわけでもない、豪商の集まりである財界などが、
政界並みかそれ以上もの豪腕を奮う時、今のような弱肉強食の社会情勢が生まれる。
財界との癒着を断ち切った上で、しかも財界を十分な制御支配下における権力者が
仁政家として世の中の舵を取れば、弱肉強食状態の社会情勢事態が収束することになる。

今の政治家が不支持や批判を被るのは、財界と癒着して狭隘な利権ばかりを貪るから。
しかし、今の政治家や公務員が嫌悪の対象となっているからといって、体制としての
統治機構を普遍的な嫌悪対象にまでするのはおかしい。問題なのは財界との癒着であり、
癒着を断ち切って逆に財界の懲罰にまで臨むんなら、統治機構は一転して正義の味方になる。
害悪の元凶はあくまで財界で、そのとばっちりを受けて政界も嫌悪の対象となっているのみ。

「士」と「商」の間に「農」や「工」を挟んで、両者を十分な差別下においた所では、
為政者こそは正義の味方となり、「花は桜木、人は武士」とまで言われるようになる。
政治家はそうもなれるし、今のような腐敗の極みにも至れる。是非善悪の彼岸の存在でこそある。

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132 2010/06/20(日) 20:16:04 ID:kpPcT98Dcs
「史記」で張良の事跡を扱った留候世家において、劉邦こと沛公と共に嶢関の秦軍を攻略する際、張良は
「あそこの将軍は屠殺業者の倅だと聞いています。商売人などというものは、利益でどうにでも動かせるものですから、
厚遇をほのめかした投降を将軍にだけこっそり聞き入らせればよいでしょう」と沛公に助言した上で、
実際にそうしたら秦の将軍が色めき立ったことを確認した上で、「むしろ将軍を油断させたままに
攻撃をしけかればいいのです」とまた助言して、沛公に当地の秦軍すべてを殲滅させる功績をあげている。

張良は、屠畜業者出身の秦の将軍を「賈豎(こじゅ. 浅はかな商売人)」の典型例として扱っている。
金儲けのためには動物殺しすら厭わないその姿が、商売人の卑しさの象徴として適例扱いしている。

中国は、屠殺業以前に商業全体を卑賤視する権力道徳主義社会であり、別に屠殺だけが突出して差別を受けていたわけではない。
しかし、「史記」が日本に輸入されるなどに及んで、屠殺を商業の中でも特定して卑しんでいる張良の言が針小棒大に取りざた
された挙句、日本で部落差別になった可能性もあるし、事実、屠畜業が商売の浅ましさの極みの一つであるからというのもある。

中国には部落差別などというものはないが、四民制に基づく商業全体への差別はあり、その商売劣後の慣習が
「史記」などと共に日本に輸入された結果、特に屠殺業を営む部落への差別として発展していった可能性はある。
日本では部落に対する並みであった差別が、中国においては全ての商業に対して徹底されていた。屠殺業だけが特定して
差別されていたわけではないことは、後漢末期に屠殺業を営んでいた何進が、妹が天子に寵愛された関係で将軍に
取り立てられたことからもわかる(ただし当人も不遇の最期を遂げている。商売人が差別されていることに変わりはない)

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133 2010/07/20(火) 11:11:55 ID:PR9KH.FJVs:DoCoMo
ごく冷静に考えて、救われる人間が多いほうを推し、少ないほうを貶めている。

数億人分の利権放棄と引き換えに、何十億人もの人々が救われる、民主主義の崩壊と封建主義の復旧。
たった数億人の栄華のために、何十億人もの人々が困窮に追い込まれ続ける民主主義の存続。

救われる人間が多いか少ないかという程度論においてこそ、民主主義の落ち度が際立つ。
階級差別が容認されて、なだらかな序列がもたらされる封建主義以上にも、
民主主義こそは救済できる人数が少ない。封建主義とて万民が必ず救われるなどとは言い難いが、
たった数億人の栄華のために何十億人もの人々を困窮に追い込む、民主主義ほどもの荒廃はもたらさない。

あくまで消去法的な選択であり、士農工商の封建制が絶対的にいいだなんてことでもない。
ただ、統治原理としてあまりにも落ち度のあり過ぎる民主主義などよりは、まだマシであるだけのこと。

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134 2010/09/19(日) 00:30:25 ID:HkQVSSP9.o
民主主義になっても、黒メルヘンの解放云々で、奴等だけゴネ得w
氏ねばいいのにw

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135 2010/11/23(火) 20:55:32 ID:U8bFsoGR92
差別はどちらかが肯定されてもう一方が否定される時に不当となり、
万人が肯定された中に、さらにその上が目指される時に正当となる。

商民もそれだけで犯罪者となるわけではない程度には、その存在を認められ、
商民以上にも直接的な物作りに携わることから、工民はその上に置かれ、
工民以上にも、直接命を司る食料を作ることから、農民がさらにその上に置かれ、
天下万民を公正無私に統治する役割を担うことから、士人がさらにさらにその上に置かれる。

底辺だから否定されるのではなく、底辺であってもそれなりに認められて、
そこから偉大さの重畳が育まれていく時に、差別は平等以上にも健全なものとなる。

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136 2010/11/25(木) 22:34:14 ID:vYoptONOWU
へ?江戸時代の封建社会が平等社会手といいたいわけ?んな馬鹿な。
平均労働時間も倍は違うぞ。

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137 2010/11/25(木) 22:50:27 ID:Ys/ptX4j4Q
労働時間?

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138 2010/11/26(金) 12:38:09 ID:5DvWcVINxY:DoCoMo
平等=健全
差別=不健全

なのではなく、

他者を持ち上げるための差別=平等よりも健全
他者を貶めるための差別=平等よりも不健全

ということだ。

商民や工民を貶めるためではなく、
商工民以上にも農民や士人を持ち上げるために四民制も実施したなら、
四民を平等化することで公務員腐敗を容認したりするよりもよっぽど健全となる。

実際、そのためにこそ四民制も提唱されていたのであって、
四民制のせいで商工民が貶められたりするのなら、それは失敗だといえる。

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139 2010/11/26(金) 23:26:20 ID:7wjXIkhqgc
140 2010/11/26(金) 23:47:23 ID:REMRD5ll4U
商人はあくどいから身分一番下でいいよ。
おまいらも事故米食わされてちょっと頭にきてるだろ?

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141 2010/11/27(土) 20:01:15 ID:aTJJasGKTw
江戸時代の農民が持ち上げられてるわけないだろ。
建前だけ上なだけで実際は命令体系も経済的にも労働環境的にも底辺だったわけだしさ

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142 2010/11/27(土) 21:44:11 ID:LomPaSNsx2
江戸時代は農を尊び、商は賤しいとされていた時代だよ。
大切な食を司る農に対し、物を右から左に流して暴利を貪る商は蔑まれた。

武士が百姓をやるのは珍しくなかったが、商売をやることはほとんどなかったしな。

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143 2010/11/27(土) 22:28:45 ID:BoI5vj0JmE
堺の豪商たちが鎖国によって海外渡航を禁ぜられたぐらいには、
織豊時代と比べての商売人への活動制限はあっただろうね。

逆に戦役への駆り出しがなくなったことで、百姓たちは安穏でいられた。
江戸時代以前の乱世と比べれば、士農工商の秩序がまだ整えられていたほうだといえる。

江戸時代の年代は、世界的に見ればすでに、欧英米の侵略勢力が魔の手を広げ、
全世界を荒廃に陥れ始めていた時期なので、日本ばかりが物質的な繁栄によって
勝ち名乗りを挙げていい時期でもなかった。実際、日本も清貧に即して
世の中全体が律されていたために、武家だから百姓だからといって
物質的に豊かだっただなんてことはなく、ただ、商業権力の抑制が
世界的に見ても相当に行き届いていたことが、江戸時代の社会秩序が
士農工商の順列にも即していた何よりの証拠になっている。

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144 2010/11/27(土) 22:35:54 ID:H6GMc5rQbQ
漢文の文献読みたいけど
読むとしたらハードカバーで高いの多いでしょ?
なんでわざわざハードカバーにするのかなぁと思っちゃう

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145 2011/05/02(月) 06:27:22 ID:e8srGnBZB2
>>132
それ以前から死のけがれを極端に嫌う民族だったし、そういうのもあるでしょう
論理付けに張良の件も作用した可能性はあるが、やはり穢れの思想がその根幹と思われ

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146 2011/05/02(月) 11:36:28 ID:W3ImUS0UP.
フィクション混じりの幕末ものの小説やドラマなどで、
坂本龍馬や中岡慎太郎、武市瑞山といった「郷士」たちが
土佐藩で酷い冷遇を受けていたという風に描かれることがある。
特に近ごろの「龍馬伝」などでは、龍馬たちが自分たちを「下士」と呼び、
「上士」と比べて多くの差別を受け、上士に切り捨て御免にすらされることが
あることを受けて、「上士も下士もないぜよ」などと憤っている姿が描かれている。

しかし、まず土佐藩では「下士」と「郷士」とは全くの別物であり、
下士こそは本物の下級武士で、四石取り程度の足軽身分なども含まれていた。
一方で郷士のほうは、元々が全く士分格ではなかった庶民のうちで、
特に九石取り以上に相当するような富農や豪商などが、
検地不備のせいなどで常に財政危機に瀕していた土佐藩から
士分の株を買って一応武士の体裁を得た代物であり、
中には帰農していた元長宗我部家臣などもいたようだが、
いずれにしろ土佐山内にとっての「家臣」に値するような人種ではなかった。

足軽級を含む正規家臣の場合には、たとえ最底辺の下士であろうとも、
奉公に勤め励むことでその功績を認められ、加増を頂いて上士格になったり
することもあった。しかし郷士のほうはといえば、ただ士分の株を
金で買っただけの存在であり、別にお上に仕える仕事に励んでいた
わけでもないから、功績が認められて上士になるなんてこともなかった。

裏口入学みたいなことをして武士になった富裕な庶民が、
最底辺からのお勤めによって上士を目指していく本物の武士の世界に
馴染むことができなかったというのが、土佐藩での郷士の分断の真相。
忠孝に励むことを旨とする儒学的な素養だけは、金で買うことはできなかった。

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147 2011/05/02(月) 14:01:05 ID:W3ImUS0UP.
土佐藩は、実質五十万石相当の領地であったところ、四国山地の険しさなどから
太閤検地で大幅に誤って約十万石と見積もられ、徳川幕府も二十万石程度とした。

関ヶ原の後に土佐国を拝領した山内氏も、二十万石相当としての統治を試みたが、
如何せん士人に対する庶民の人数規模があまりにも大きくなりすぎたために、
城下町である今の高知市中心部を除いて、ほとんど区画整理すら行き届かなかった。
(前県知事の橋本大二郎が初めて全県規模での区画整理を実施した)

その、土佐藩こと現高知県においてこそ、部落差別もまた極めて厳しかった。
ほとんど武士による統治が行き届いていなかった現高知市郊外や高知市外では、
被差別部落がそれはそれは貧しい村落を形成し、娯楽一つない乞食同然の生活を
送っていた。部落だけでなく、小作農や小売商なども相当に貧しい生活を強いられて、
ほんの一部の豪農や豪商だけが儲けまくりという構図が典型化してしまっており、
そのような豪農や豪商の中から、金で士分の株を買う郷士なども生まれたのだった。

これがたとえば、実質三十万石相当でありながら、五十万石と見積もられていた
現鹿児島県である薩摩藩などであれば全くの逆で、部落差別などはほとんどないに等しく、
一般人とも普通に接し合い、また一部の豪農や豪商ばかりが突出するということもなかった。

正当な士分格の人間の割合が多いほど、庶民同士での差別は緩和されるようで、ほとんど
士人による制御が働かないような土地においてこそ、庶民同士が深刻な階層構造を作り出す。
庶民同士での共食い状態な差別構造を禁止するために、士人による抑え付けが必要とされる。

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148 2011/05/03(火) 11:30:20 ID:o5SpBlAcQY
五十万石規模の統治体制で、三十万石規模の土地を治めていた薩摩藩は、
ざっと二十万人ほどもの士分が有り余っていたわけで、
この二十万人が明治維新後に全国の武士にも成り代わって、
警察関係者や軍関係者の大部分を占めるに至った。
(薩摩以外の武士は教員などになる場合が多かった)

今でも警察職員の人数は三十万人弱で、上層部などはほとんど
鹿児島出身者で占められているわけだが、いくら士分が有り余っていたとはいえ、
日本全国を治めきるには、鹿児島出身者だけでは全く足りないから、案の定、
今の日本では重大権力犯罪の内憂外患が救いがたい規模にまで肥大化してしまっている。

別に、薩摩藩のように士人が有り余っていたりする必要はない。
かといって土佐藩のように、士人の数が全く足りなくて、民間の権力犯罪を
増長させてしまい、部落差別などを深刻化させてしまうのでもいけない。

三十万石の土地には三十万石相当、五十万石の土地には五十万石相当の
統治体制をあてがうことで、過不足なく治めることができればそれでよく、
適正な規模での四民制や封建制が敷かれたときに、部落差別も適度に緩和される。

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149 2011/05/03(火) 20:10:34 ID:o5SpBlAcQY
坂本龍馬やら武市半平太やら、中岡慎太郎やら岩崎弥太郎やらの、
土佐の郷士出身の幕末志士が、人々の平等を願って維新を志しただなんて、とんでもない話。

奴らこそは、土佐藩での部落差別や、豪農や豪商と貧農などの経済格差を、極大化させていた張本人。

もちろん、連中自身、百姓や商人などの庶民の出であり(一部長宗我部元家臣などを除く)、
士人としての権力道徳に即して、庶民同士の大差別を是正していく素養などはなかったわけで、
地方に対する杜撰な検地で、庶民にまで士分の株を大量に売り渡しての統治政策を土佐藩に強いた
豊臣秀吉を始めとする中央政権のほうに、根本的な責任があったのだとはいえる。

金でものを売り買いした時点で、すでに士農工商の底辺に位置する「商」の領分であり、
商売のペースで士分の株を売り渡したところで、売り渡した相手に士人としての心得までもが
託されるわけがないのであって、案の定、金で士分の株を買った土佐の郷士たちは、
貧農や部落などを最底辺の極貧生活に追いやっても寸分も憚らず、自分たちはといえば、
せいぜい二百石取り程度が頭打ちとなっていた土佐藩重臣(山内家親類を除く)並みか
それ以上もの栄華を誇っていたわけで、その経済的な富裕を嵩にかかった、土佐郷士による
上士と郷士の格差是正の試みが、少しだって正当性を帯びていたわけではなかった。

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150 2012/06/14(木) 04:26:07 ID:ESzODgwzXs
やっぱ、得た否認はみとめるもんじゃねえな

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151 2015/02/28(土) 11:57:30 ID:PoG1mV39UY
どの文章が自殺教唆なんだ?
意味もわかってない言葉つかわないようにな。失笑

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スレッドタイトル:士農工商

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