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もう15年以上前の統計で、氷河期世代が40代までを占めている今だと、
40代以下と50代以上の格差がさらに激化しているだろう、総務省発表のグラフ。
(なぜかもはや最新版を発表しようともしないが)
家元制で、50代以上の高齢者は軒並み隠遁、出家して財産権を放棄していた近世
までにおいては、これの50代以上に該当する金融資産は実質、存在していなかった。
伊藤若冲や葛飾北斎のように、80過ぎの老齢まで画業で名を馳せたり、
長曾祢虎徹のように50過ぎで初めて刀匠としての才能を開花させたりした事例もまたあれど、
それらもやはり隠遁出家の上でが基本だったし、そんな才覚などに恵まれなかった一般人だと、
我が子に食わせてもらう老後暮らしの後ろめたさのせいで、今よりも早死にする者がはるかに多かった。
それもやはり、個人としての独立自尊が今よりもはるかに制限されていたがための現象
だったわけだが、そんな時代にこそ世の中を占める勤労者たちの若返りも滞りなく行われ、
少子高齢化や年金医療保険による国の借金の山積のような致命的問題を来たすこともなく、
数百年にわたって平和で安定した自給自足状態を国が確立することのほうが実現されていた。
個人の独立自尊が制限を受けることによって、国の独立自尊が守られていた好例。
現代日本などはまさにその逆を行っているし、個人と国の独立自尊の両立的な実現という、
諭吉の唱えた理想が全くの絵空事であるのを、古今の日本社会が共に実証しているのである。
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