物理的に不能、倫理的に邪悪な宗教
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この世に存在する宗教を、特に現代的価値観に基づく
要点に絞って考えてみれば、主に以下の四つに分類される。
甲類:物理的に妥当、倫理的に優良
乙類:物理的に妥当、倫理的に凡庸
丙類:物理的に不能、倫理的に無難
丁類:物理的に不能、倫理的に邪悪
上記の四種の宗教の効用は、以下の通り。
甲類:実践者の心身を壮健ならしめ、世の中を長期の平和や繁栄に導く。
乙類:信者や実践者の精神衛生を保ち、世の中をある程度は繁栄させる。
丙類:信者の健康を最低限は保ち、世の中も最低限の安定には導く。
丁類:信者に心や体の病を患わせ、世の中を戦乱や破滅へと陥れる。
具体例は以下の通り。
甲類:密教、禅仏教
乙類:儒教、道教、ヒンズー教
丙類:浄土教、イスラム教
丁類:キ○○ト教、ユ○教、その他カルトと位置付けるべき宗教
ーー全ての宗教が物理的に不能だったり倫理的に邪悪だったりするのではなく、
一部の宗教、上記の丙類に相当する宗教が「信教の自由」の名の下に
市民権を得ていることこそが、宗教全体の価値を下げる原因になっている。

要点に絞って考えてみれば、主に以下の四つに分類される。
甲類:物理的に妥当、倫理的に優良
乙類:物理的に妥当、倫理的に凡庸
丙類:物理的に不能、倫理的に無難
丁類:物理的に不能、倫理的に邪悪
上記の四種の宗教の効用は、以下の通り。
甲類:実践者の心身を壮健ならしめ、世の中を長期の平和や繁栄に導く。
乙類:信者や実践者の精神衛生を保ち、世の中をある程度は繁栄させる。
丙類:信者の健康を最低限は保ち、世の中も最低限の安定には導く。
丁類:信者に心や体の病を患わせ、世の中を戦乱や破滅へと陥れる。
具体例は以下の通り。
甲類:密教、禅仏教
乙類:儒教、道教、ヒンズー教
丙類:浄土教、イスラム教
丁類:キ○○ト教、ユ○教、その他カルトと位置付けるべき宗教
ーー全ての宗教が物理的に不能だったり倫理的に邪悪だったりするのではなく、
一部の宗教、上記の丙類に相当する宗教が「信教の自由」の名の下に
市民権を得ていることこそが、宗教全体の価値を下げる原因になっている。

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>儒学や禅の教えを尊んだ日本や中国の政権が数百年規模の泰平や繁栄を謳歌していた一方、
科学文明を至上とする今の世界がひっきりなしの戦争を繰り返していることには変わりない。
すまんが、それもいくらでも反論が出来る。
キリスト教を信仰したローマ帝国だって余裕で数百年規模の安泰を謳歌した。その文明的文化的生活は、現代にも引けを取らないものだった。
(奴隷の議論はあれども)
そして滅びた。結局中国も日本の長期泰平は潰えた。
そもそも日本に仏教や禅が伝わってから、江戸幕府が出来るまでは相当な時間があった。
空海が日本に真言宗を開いてからでも800年近くは経ってる。その間は見事な戦乱の世が続いた。
日本に長期の平安が訪れたのはどう考えても、天下統一されたからであり、それが300年近くも続いたのは島国という特性、
海と言う強力な国境があったからだ。
しかしそれも航海技術の発達とももに外国の影響力が現実的なものになるといとも簡単に江戸幕府は転覆させられた。
無血開城とは言うけれども、それでも内戦が起きて白虎隊など若い命が散っていった。
もし禅の思想が確実に日本人の精神性を高めていたなら、外圧などに負けずに、江戸幕府を貫いたはずである。
科学文明を至上とする今の世界がひっきりなしの戦争を繰り返していることには変わりない。
すまんが、それもいくらでも反論が出来る。
キリスト教を信仰したローマ帝国だって余裕で数百年規模の安泰を謳歌した。その文明的文化的生活は、現代にも引けを取らないものだった。
(奴隷の議論はあれども)
そして滅びた。結局中国も日本の長期泰平は潰えた。
そもそも日本に仏教や禅が伝わってから、江戸幕府が出来るまでは相当な時間があった。
空海が日本に真言宗を開いてからでも800年近くは経ってる。その間は見事な戦乱の世が続いた。
日本に長期の平安が訪れたのはどう考えても、天下統一されたからであり、それが300年近くも続いたのは島国という特性、
海と言う強力な国境があったからだ。
しかしそれも航海技術の発達とももに外国の影響力が現実的なものになるといとも簡単に江戸幕府は転覆させられた。
無血開城とは言うけれども、それでも内戦が起きて白虎隊など若い命が散っていった。
もし禅の思想が確実に日本人の精神性を高めていたなら、外圧などに負けずに、江戸幕府を貫いたはずである。
>その手の危険性はむしろ、パラレルワールド級の概念の虚構を弄んでいる過渡的な理論科学のほうが
確かにそれは科学推測ではあるが、結論ではない。そもそもその辺のことは検証や実証のしようがないので、寧ろ哲学的な範疇の話。
まず現代までの科学は、人間そのものを対象に改良に導こうとする、そんな事が出来るような代物ではなかった。
つまり人間は人間のままで、ツール、道具のみが進歩する割合が高かった。そんな言わば自然児、野生の人間が便利な道具に出逢えば
間違った方向、使い方をするのは必然のことで、科学の悪行と言うよりは、人間の性と道具のミスマッチとも言える。
しかし、最近になって漸く科学が人間自身、社会システム、貧富の差や、悪行、犯罪、嫉妬、イジメ…などを対象にし始めた。
その背後には、計測機器の進歩、ビッグデータ、マシンパワーの向上、多変量解析、それに人々の科学的意識変化等がある。
現に戦争や紛争の数は減っているし、貧困も減っている。IQは向上し続けている。 (IQと貧困、戦争は逆相関にあるらしい。)
確かにそれは科学推測ではあるが、結論ではない。そもそもその辺のことは検証や実証のしようがないので、寧ろ哲学的な範疇の話。
まず現代までの科学は、人間そのものを対象に改良に導こうとする、そんな事が出来るような代物ではなかった。
つまり人間は人間のままで、ツール、道具のみが進歩する割合が高かった。そんな言わば自然児、野生の人間が便利な道具に出逢えば
間違った方向、使い方をするのは必然のことで、科学の悪行と言うよりは、人間の性と道具のミスマッチとも言える。
しかし、最近になって漸く科学が人間自身、社会システム、貧富の差や、悪行、犯罪、嫉妬、イジメ…などを対象にし始めた。
その背後には、計測機器の進歩、ビッグデータ、マシンパワーの向上、多変量解析、それに人々の科学的意識変化等がある。
現に戦争や紛争の数は減っているし、貧困も減っている。IQは向上し続けている。 (IQと貧困、戦争は逆相関にあるらしい。)
実績がないというが、(人類社会が後戻りできないほどにガラリと良い方向へ変化するパラダイムシフトは10年ほど先に楽しみに取っておいて、)
科学的手法ほど、改良や改善、成績アップを短期間に数値で客観的にも実感出来るものはない。
だからこそ科学的手法は嘗ての思想にないほどのスピードで世界に浸透している。(それだけが要因ではないが)
科学の素晴らしい点は、それまで机上の空論だったものを、データと言う客観的指標によって現実的議論を可能にした点だ。
データも評価もなしで、社会を良い方向へ導こうとすることは、まさしく絵に描いた餅。実現するはずもないのだ。
真に実績があるのはイノベーションだが、今後パラダイムシフトが起こるほどのイノベーションの予定が目白押しなんだ。
イノベーションが起きてくれるなら、別に思想だって構わないが、思想では100%無理な話。
今後のイノベーションは科学的手法や科学的思想が主体になって起こる。
科学的手法ほど、改良や改善、成績アップを短期間に数値で客観的にも実感出来るものはない。
だからこそ科学的手法は嘗ての思想にないほどのスピードで世界に浸透している。(それだけが要因ではないが)
科学の素晴らしい点は、それまで机上の空論だったものを、データと言う客観的指標によって現実的議論を可能にした点だ。
データも評価もなしで、社会を良い方向へ導こうとすることは、まさしく絵に描いた餅。実現するはずもないのだ。
真に実績があるのはイノベーションだが、今後パラダイムシフトが起こるほどのイノベーションの予定が目白押しなんだ。
イノベーションが起きてくれるなら、別に思想だって構わないが、思想では100%無理な話。
今後のイノベーションは科学的手法や科学的思想が主体になって起こる。
>何の実績もない完璧な科学理論などより
笠地蔵は主に、物理理論に科学の真髄、真意をみて、それが人間にどのような影響を与えたか考えているが、
物理理論と、俺が言う人間を扱う科学を分けて考えてほしい。
人間を扱う科学は、勿論物理理論に比べれば、客観性や真理、再現性は低いものだが、それでも人間を改良に導くにはかなりの知見を与えてくれる。
そしてそれが今一番、ホットな科学の分野だ。それまで技術的に観察することすら不可能だったものが見えるようになってきたのだから
ホットにならない訳がない。そしてこれからイノベーションが起きるのはそれらの分野から。
科学が生命を扱うのはまさにこれからなんだよ。
笠地蔵は主に、物理理論に科学の真髄、真意をみて、それが人間にどのような影響を与えたか考えているが、
物理理論と、俺が言う人間を扱う科学を分けて考えてほしい。
人間を扱う科学は、勿論物理理論に比べれば、客観性や真理、再現性は低いものだが、それでも人間を改良に導くにはかなりの知見を与えてくれる。
そしてそれが今一番、ホットな科学の分野だ。それまで技術的に観察することすら不可能だったものが見えるようになってきたのだから
ホットにならない訳がない。そしてこれからイノベーションが起きるのはそれらの分野から。
科学が生命を扱うのはまさにこれからなんだよ。
>>73
おまえは、その空海が真言宗を開いていた頃から後の時代こそが、
300年以上に渡って戦争どころか、政府による処刑行為一つ行われなかった、
江戸時代をも上回る空前絶後の“平安の時代”だったことをすっかり見落としている。
日本で戦乱が続いたのはその平安の末期から戦国時代までで、
日本の歴史は平和な時代2:戦乱の時代1程度の配分で紡がれて来ている。
これは、儒教を信奉しても仏教帰依は日本より疎かだった中国が
平和3:戦乱2程度の歴史配分であるのより良好な実績となっている。
最も、古代の文化文明を軒並み破却して原始時代並みの生活に戻り、
異教徒弾圧で残虐非道の限りを尽くし、司教が自らの糞尿を聖遺物として
信者に有難がらせるほどの蒙昧っぷりで、総体としての勢力の停滞によって
イスラム世界の台頭をも助長してしまった、欧米人たち自身も「暗黒の時代」
と呼ぶキリスト教侵略時代のローマを「数百年の泰平を謳歌した、文化文明
も優れた時代」などと豪語するほどにも奇特な歴史観を持つおまえなんかに
いくら史実どおりの論弁を呈したところで、馬耳東風なのかも知れんがな。
おまえは、その空海が真言宗を開いていた頃から後の時代こそが、
300年以上に渡って戦争どころか、政府による処刑行為一つ行われなかった、
江戸時代をも上回る空前絶後の“平安の時代”だったことをすっかり見落としている。
日本で戦乱が続いたのはその平安の末期から戦国時代までで、
日本の歴史は平和な時代2:戦乱の時代1程度の配分で紡がれて来ている。
これは、儒教を信奉しても仏教帰依は日本より疎かだった中国が
平和3:戦乱2程度の歴史配分であるのより良好な実績となっている。
最も、古代の文化文明を軒並み破却して原始時代並みの生活に戻り、
異教徒弾圧で残虐非道の限りを尽くし、司教が自らの糞尿を聖遺物として
信者に有難がらせるほどの蒙昧っぷりで、総体としての勢力の停滞によって
イスラム世界の台頭をも助長してしまった、欧米人たち自身も「暗黒の時代」
と呼ぶキリスト教侵略時代のローマを「数百年の泰平を謳歌した、文化文明
も優れた時代」などと豪語するほどにも奇特な歴史観を持つおまえなんかに
いくら史実どおりの論弁を呈したところで、馬耳東風なのかも知れんがな。

残念ながら、おまえのいう「人間のための科学」こそは、
物理学のような数理的裏付けを必要とする理論科学以上に信用が置けない。
自然法則に限らず、社会や人文の領域まで科学的手法のみに任せようとする試みは
もう100年以上前から試みられて来ている上に、惨憺たる結果を招いている。
ただ社会運営に失敗しただけでなく、伝統的な知見やそれに基づく
人間精神の有機性を否定して廃絶したことが、人々の著しい低脳化を招いた。
今でも中国人やロシア人や、その他旧共産圏の人間には酷くセルフネグレクトな
傾向が見られる。思想哲学も宗教も科学の下に置き切った連中ならではの症状。
「そんな過ちを二度とは犯すまい」というのなら、現代人のITゾンビ化を見よ。
底辺民からハリウッドスター級のセレブまでみんなSNSの奴隷と化し、
ポケモンGOだのハンドスピナーだのピコ太郎だのSalt Baeだのと、
ガキの嬉しがりみたいな一過性のブームに右往左往している始末。
科学を信頼しきって自分たち自身の精神的研鑽を怠るようなら、
それが人類自身の成長の終わる時であってだ。もうこの地球上から人間は消えるか、
映画マトリックスの人間発電所の部品のようにでもなるのが適当というものだろう。
>残念ながら、おまえのいう「人間のための科学」こそは、 物理学のような数理的裏付けを必要とする理論科学以上に信用が置けない。
それは思想哲学宗教を否定する理由と全く同じなんだが。人間の科学以上に全く客観性と再現性と反証可能性が欠如しているので、
数理的裏付けが無いのは物理学>人間科学≫哲学体系 だろ。その批判は全く的を射ていない。
>自然法則に限らず、社会や人文の領域まで科学的手法のみに任せようとする試みは、もう100年以上前から試みられて来ている上に、惨憺たる結果を招いている。
それは具体的にどのよな方法か?社会や人間、生物のあらゆるデータを得る方法が、極々限られていたそんな時代の生命、人間科学を比較として
持ち出されてもなんの意味もない。
それは思想哲学宗教を否定する理由と全く同じなんだが。人間の科学以上に全く客観性と再現性と反証可能性が欠如しているので、
数理的裏付けが無いのは物理学>人間科学≫哲学体系 だろ。その批判は全く的を射ていない。
>自然法則に限らず、社会や人文の領域まで科学的手法のみに任せようとする試みは、もう100年以上前から試みられて来ている上に、惨憺たる結果を招いている。
それは具体的にどのよな方法か?社会や人間、生物のあらゆるデータを得る方法が、極々限られていたそんな時代の生命、人間科学を比較として
持ち出されてもなんの意味もない。
>今でも中国人やロシア人や、その他旧共産圏の人間には酷くセルフネグレクトな
傾向が見られる。思想哲学も宗教も科学の下に置き切った連中ならではの症状。
それは別に共産圏だけでなく、日本でも同じこと。日本人ほど宗教や思想に無関心な人種も少ない。
そして無神教化、科学主義化は今全世界で同時に起こっている事。
>ITソンビやSNSっ
それは生命科学や人間科学の成果として生み出されたものではないので、そんなのもを否定の材料にされても話にならない。
まぁしかし、今の人間が簡単に情報にアクセスして、IQが向上し続け、証拠主義、科学主義を信仰するようになったのは全て、
情報技術、流通技術のおかげだが。
傾向が見られる。思想哲学も宗教も科学の下に置き切った連中ならではの症状。
それは別に共産圏だけでなく、日本でも同じこと。日本人ほど宗教や思想に無関心な人種も少ない。
そして無神教化、科学主義化は今全世界で同時に起こっている事。
>ITソンビやSNSっ
それは生命科学や人間科学の成果として生み出されたものではないので、そんなのもを否定の材料にされても話にならない。
まぁしかし、今の人間が簡単に情報にアクセスして、IQが向上し続け、証拠主義、科学主義を信仰するようになったのは全て、
情報技術、流通技術のおかげだが。
なあ笠地蔵よ。今俺達がしている議論をなんていうか分かるか?
こういうのを不毛な議論っていうんだろ?
お前がどんなに思想哲学宗教の方が科学より上だと説いた所で、俺は平安な世が訪れた背景は思想なんかより、
他のファクターの方が遥かに重要で大きいと確信しているし、それが変化することはおそらく無い。
そして笠地蔵が俺の反論に納得することもおそらく無いだろう。
これがデータ無き議論の不毛さを証明している。(まぁ科学的データを事細かに持ち出して反論できない俺にも要因はあるが。)
つまりこれが思想哲学宗教の限界なんだよ。他人を説得するには、力がなさすぎる。
しかしイノベーションは説得などせずとも、すぐに実感として伝わるし根付く。
それは笠地蔵が情報ツールを駆使して、インフラを駆使して、思想体系を体得したのだからお前も分かっているはずだ。
こういうのを不毛な議論っていうんだろ?
お前がどんなに思想哲学宗教の方が科学より上だと説いた所で、俺は平安な世が訪れた背景は思想なんかより、
他のファクターの方が遥かに重要で大きいと確信しているし、それが変化することはおそらく無い。
そして笠地蔵が俺の反論に納得することもおそらく無いだろう。
これがデータ無き議論の不毛さを証明している。(まぁ科学的データを事細かに持ち出して反論できない俺にも要因はあるが。)
つまりこれが思想哲学宗教の限界なんだよ。他人を説得するには、力がなさすぎる。
しかしイノベーションは説得などせずとも、すぐに実感として伝わるし根付く。
それは笠地蔵が情報ツールを駆使して、インフラを駆使して、思想体系を体得したのだからお前も分かっているはずだ。
>>79
物理学>人間科学≫哲学体系ではなく、
実績のある思想哲学宗教>実績なき理論科学>実績なき人間科学だ。
その実績を自己主観で否定しているのが迷惑すぎなのだから、
上のような主張からしておまえにとっては無効なのだろう。
>>80でも、相変わらず主観的な主張による俺への論難のみ。
>>82
確かに、このような論議は不毛だ。
ただそれは思想哲学が不毛だからではなく、おまえが個人的に不毛な人間だからだ。
おまえのように、歴史資料やそれに基づく物的証拠が実在する論弁に対しても
「俺はそうは思わない」という主観的主張の一点張りで通すことが許されるのなら、
科学的に厳密なデータの前で「俺はそうは思わない」と言い張ることもまた可能だ。
1+1は3にでも4にでもなり、羽毛は鉛よりも重く、
生まれて間もなく死んだ赤ん坊は120歳まで生きた老人よりも長生きだ。
ただ単に主観的な主張を言い張るだけなら、それでもありだ。
俺が学問的な知見を身に付けたのも、読書や実地見聞や実践修行が最たる拠り所であり、
情報ツールなどはあってもなくても別に変わらなかった程度のものでしかない。
これはおまえや上で書いたほどにも主観一点張りの物言いではないがな。
物理学>人間科学≫哲学体系ではなく、
実績のある思想哲学宗教>実績なき理論科学>実績なき人間科学だ。
その実績を自己主観で否定しているのが迷惑すぎなのだから、
上のような主張からしておまえにとっては無効なのだろう。
>>80でも、相変わらず主観的な主張による俺への論難のみ。
>>82
確かに、このような論議は不毛だ。
ただそれは思想哲学が不毛だからではなく、おまえが個人的に不毛な人間だからだ。
おまえのように、歴史資料やそれに基づく物的証拠が実在する論弁に対しても
「俺はそうは思わない」という主観的主張の一点張りで通すことが許されるのなら、
科学的に厳密なデータの前で「俺はそうは思わない」と言い張ることもまた可能だ。
1+1は3にでも4にでもなり、羽毛は鉛よりも重く、
生まれて間もなく死んだ赤ん坊は120歳まで生きた老人よりも長生きだ。
ただ単に主観的な主張を言い張るだけなら、それでもありだ。
俺が学問的な知見を身に付けたのも、読書や実地見聞や実践修行が最たる拠り所であり、
情報ツールなどはあってもなくても別に変わらなかった程度のものでしかない。
これはおまえや上で書いたほどにも主観一点張りの物言いではないがな。
>おまえのように、歴史資料やそれに基づく物的証拠が実在する論弁に対しても
「俺はそうは思わない」という主観的主張の一点張りで通すことが許されるのなら、
科学的に厳密なデータの前で「俺はそうは思わない」と言い張ることもまた可能だ。
笠地蔵こそ主観だろ。
そもそもパラレルワールドや、宇宙が存在できないや、原爆、SNSを全て同列に科学として決めつけているのだから話にならない。
哲学体系こそは>>1のように分類して、悪しき哲学は排除すべしなんてことを言っているが、科学や現代については全く分類できない盲目である。
歴史が証明しているのは思想哲学の無力さである。
それは現代において宗教がいとも簡単に科学思想と便利なツールの前に敗北しているのだから火を見るより明らか。
この現状を認識せずに、笠地蔵が提案する解決策とは
・悪しき信仰を排除する
・分からない人間には方便を用いてでも導く
などという。これを見て低俗な方法だとは思わないのか?悪しき信仰を排除する。なんてのは人間の悪を排除すると言っているのと同じである。
悪人を排除したからと言って、悪は自然発生する。悪しき信仰を排除したからと行って平安など訪れない。
もし思想哲学が人間性を改変できるほどに優秀なツールであったなら、高々数百年の安泰で潰えるはずもないだろう。
そして笠地蔵が断罪されるべきと言う科学や便利なツールに敗北する訳もなかろう。なぜこの現実が見えないのか?
「俺はそうは思わない」という主観的主張の一点張りで通すことが許されるのなら、
科学的に厳密なデータの前で「俺はそうは思わない」と言い張ることもまた可能だ。
笠地蔵こそ主観だろ。
そもそもパラレルワールドや、宇宙が存在できないや、原爆、SNSを全て同列に科学として決めつけているのだから話にならない。
哲学体系こそは>>1のように分類して、悪しき哲学は排除すべしなんてことを言っているが、科学や現代については全く分類できない盲目である。
歴史が証明しているのは思想哲学の無力さである。
それは現代において宗教がいとも簡単に科学思想と便利なツールの前に敗北しているのだから火を見るより明らか。
この現状を認識せずに、笠地蔵が提案する解決策とは
・悪しき信仰を排除する
・分からない人間には方便を用いてでも導く
などという。これを見て低俗な方法だとは思わないのか?悪しき信仰を排除する。なんてのは人間の悪を排除すると言っているのと同じである。
悪人を排除したからと言って、悪は自然発生する。悪しき信仰を排除したからと行って平安など訪れない。
もし思想哲学が人間性を改変できるほどに優秀なツールであったなら、高々数百年の安泰で潰えるはずもないだろう。
そして笠地蔵が断罪されるべきと言う科学や便利なツールに敗北する訳もなかろう。なぜこの現実が見えないのか?
・悪しき信仰を排除する
・分からない人間には方便を用いてでも導く
こんなものが本当に解決策だと思うのか?これが易や禅から得た解答か? これが素晴らしき思想の力か?
何千年も前に完成された思想が、その何千年間に人の精神性を高めた結果が現代だ。
まぁこの議論を見てどちらが客観的か、もしくは説得力があるかを判断するのは、俺ら当事者ではなく他の人間だが。
俺と笠地蔵以外にこんな議論誰も見てないだろう。
・分からない人間には方便を用いてでも導く
こんなものが本当に解決策だと思うのか?これが易や禅から得た解答か? これが素晴らしき思想の力か?
何千年も前に完成された思想が、その何千年間に人の精神性を高めた結果が現代だ。
まぁこの議論を見てどちらが客観的か、もしくは説得力があるかを判断するのは、俺ら当事者ではなく他の人間だが。
俺と笠地蔵以外にこんな議論誰も見てないだろう。
>迷信にも近いような教えに即してでも人々が平和や繁栄を享受できることのほうが、よっぽど価値がある。
まぁいいや。俺がどんなに吠えた所で科学主義やイノベーションの速度は変わらないし。
笠地蔵がどんなに、上記のような方法を説いた所でまさに馬耳東風。誰の耳にも響かないし誰の行動も変わらない。
ましてこんな過疎掲示板で。流石にめんどくさくなった。
所で笠地蔵の信念というか狂気じみた気質は相当なものだが、実際に誰かを導いたことはあるのかい?
説得とか試みたことある? で説得が成功したことはある?
まぁいいや。俺がどんなに吠えた所で科学主義やイノベーションの速度は変わらないし。
笠地蔵がどんなに、上記のような方法を説いた所でまさに馬耳東風。誰の耳にも響かないし誰の行動も変わらない。
ましてこんな過疎掲示板で。流石にめんどくさくなった。
所で笠地蔵の信念というか狂気じみた気質は相当なものだが、実際に誰かを導いたことはあるのかい?
説得とか試みたことある? で説得が成功したことはある?
>>84
>歴史が証明しているのは思想哲学の無力さである。
ここからすでに事実誤認なので、検証も介さずにこの手の話をこれ以上言い合うのは無益だ。
史料や史跡に対する科学的検証も可能だが、おまえはそんなことにも興味なく、
ただ「俺はそう思う」「俺はそう思わない」の主観論をしてたいだけのようだしな。
・悪しき信仰を排除する
・分からない人間には方便を用いてでも導く
これこそを科学的検証の下で執り行うと言っている。
科学主義で全ての思想哲学宗教を排除してやろうとしている
おまえよりもよっぽど穏健で、理性的で、建設的な方針の提示をしている。
キリスト教を廃絶して儒学や仏教を振興した江戸時代が、
同時代の別世界と比べれば段違いな程の泰平や繁栄を実現したような実績もある。
確かに「高々数百年の安泰」だが、人が10世代以上にわたって平安を謳歌できる
のだから、現代の個人主義に即してこそ十二分に分にも程があるような長さだし、
その数百年の安泰すらをも実現できた実績がないのが科学主義でもある。
>歴史が証明しているのは思想哲学の無力さである。
ここからすでに事実誤認なので、検証も介さずにこの手の話をこれ以上言い合うのは無益だ。
史料や史跡に対する科学的検証も可能だが、おまえはそんなことにも興味なく、
ただ「俺はそう思う」「俺はそう思わない」の主観論をしてたいだけのようだしな。
・悪しき信仰を排除する
・分からない人間には方便を用いてでも導く
これこそを科学的検証の下で執り行うと言っている。
科学主義で全ての思想哲学宗教を排除してやろうとしている
おまえよりもよっぽど穏健で、理性的で、建設的な方針の提示をしている。
キリスト教を廃絶して儒学や仏教を振興した江戸時代が、
同時代の別世界と比べれば段違いな程の泰平や繁栄を実現したような実績もある。
確かに「高々数百年の安泰」だが、人が10世代以上にわたって平安を謳歌できる
のだから、現代の個人主義に即してこそ十二分に分にも程があるような長さだし、
その数百年の安泰すらをも実現できた実績がないのが科学主義でもある。

俺自身が、現代医学でも治療が不能な重度の病気を
古典ヨガや古武道の技法によって治癒させる経験や、
現代のスポーツ科学では不可能とされるほどの劇的な
身体能力の向上などを果たして来た。
その、古典ヨガを初めて日本に輸入した中村天風氏も、
当時の医療では治療が不可能とされていた結核や、
手術をしなければ治らないとされた咽頭ガンを自力で治した。
結核はすでに現代医療でも治癒できる病だが、
治したところで本人が虚弱体質であることには変わりなく、
中村天風氏のように、アメリカの格闘家や警察官をやすやすと
投げ飛ばしてた合気道家(藤平光一)の師匠になれたりすることもない。
稀勢の里も、半可通な天風会系ヨガの修得だけで、
久々の日本人横綱になる程度の業績は挙げた。
科学至上主義のせいでの軟弱化の著しい現代の日本人にしては
よくやった方である。もっとも、あれでもまだまだではあるが。

「科学的手法の存在しない古代に書かれた信用のおけない書物である」
と近代の歴史学界で断定されて、打ち棄てられかけたことがあった。
しかし、その科学的手法に基づく発掘調査などで、
史記に書かれている通りの遺跡がいくらでも発見される。
挙句には近代の学界で実在しない架空の王朝とみなされていた
殷や夏の遺跡までもが、司馬遷の記録の通りのものとして見つかる。
科学なんぞに依ろうとも依らずとも、
嘘偽りを省いた誠実な記録や言行を心がければ、
それが何千年の後まで普遍的な信用のおける知的財産であり続ける。
逆に、科学的検証を介さないのでなければ何もかも信用ゼロと
見なすのならば、そのせいで嘘偽りを好む欧米人並みの不誠実さが、
そんなものを非科学的な領域でも許さなかった人々にまで広まるのみ。
そのような不誠実さに慣れてしまった人間こそは、
AIによって「この地球上に必要のない人種」と断定されるだろうし、
実際そう断じられたとしても仕方のない存在であるといえる。

(「三国志」などには買収を介した不誠実な記録も見られる)
「孝文帝の代には落し物を着服する人間も絶えて無くなった」などとある。
そしてそのような正史書の記録の良い部分を忠実に実践した
唐代の中国でも同様な現象が発生し、GDP換算で全世界の7割以上に
達した漢代をさらに上回るほどの経済的隆盛をも果たした。
さらにそのような唐代の為政をも「貞観政要」などの記録を頼りに
見習ったのが徳川幕府であり、諫争を重んずる当該書の記述をも参考にして
目付や大目付といった監察官を厚遇し、政治機構の内部腐敗を防いだ。
もちろん史記や漢書や四書五経のようなより古い時代の記録も重用して、
土木事業に奔走した禹王伝説などを拠り所に、今でも底辺職扱い
されている土工を武家の正式な役職(土方)にまで押し上げ、
治水灌漑や上水道の整備などを繰り返し、国土全体の生産力を上げ、
江戸を世界一の衛生都市にも仕立て上げた。
もちろん儒学そのものも全国で奨励していたために、
江戸市民の識字率もダントツで世界トップとなった。
そして、落し物一つ着服しない民度の高さも今に至るまで実現され続けている。
古代から脈々と受け継がれ続けている儒学の実践による成功の系譜。
そういった人為的な治世の実現こそは、AIが政治を担うような時代に
なろうとも人間の仕事として存続するに値するものであり、そのような
事業に携われる者こそはこれからの時代にも生きて行く価値がある人間である。
科学の監視下でもなければ不誠実の限りを尽くして、究極に不都合なら
(温暖化を否定するトランプのように)科学的検証すら非としてしまう
ような人種こそは、もうこれ以上はこの世にいらない人種である。
時代が進んで科学文明が発達しようとも、
非科学的だろうが誠実を尽くそうとする儒学的思想こそは有益であり続け、
科学的だろうが不誠実であろうとするキリスト教的姿勢が有害であり続ける。
機械に科学を任せる度合いが高まるほどに、両者の雌雄もより開けていく。
そういった人為的な治世の実現こそは、AIが政治を担うような時代に
なろうとも人間の仕事として存続するに値するものであり、そのような
事業に携われる者こそはこれからの時代にも生きて行く価値がある人間である。
科学の監視下でもなければ不誠実の限りを尽くして、究極に不都合なら
(温暖化を否定するトランプのように)科学的検証すら非としてしまう
ような人種こそは、もうこれ以上はこの世にいらない人種である。
時代が進んで科学文明が発達しようとも、
非科学的だろうが誠実を尽くそうとする儒学的思想こそは有益であり続け、
科学的だろうが不誠実であろうとするキリスト教的姿勢が有害であり続ける。
機械に科学を任せる度合いが高まるほどに、両者の雌雄もより開けていく。
なんか勘違いしてるけど俺は、科学主義で全ての思想哲学宗教を排除しろとか排除するとかそんな考えは持ってないから。
なぜならそんな事は不可能だから。それに科学主義で見ても正しさが見直された、理にかなっている禅やヨガがあるから。
ただし人を導く、誘導する手法、または影響力として科学よりも劣っていると言っているだけ。
>・悪しき信仰を排除する
>・分からない人間には方便を用いてでも導く
>これこそを科学的検証の下で執り行うと言っている。
なるほど。それを科学的検証の下でやるのね。そこは見落としていたな。すまんかった。
>AIによって「この地球上に必要のない人種」と断定されるだろうし、
実際そう断じられたとしても仕方のない存在であるといえる。
笠地蔵も最後にはよくファンタジー要素をもちだすが、その頃には人間の概念が変化してることだろうw
所で笠地蔵の研究、もしくは触れたことのある学問にはどれくらいのものがあるの?
脳科学、心理学、社会心理学、進化生物学、認知科学、行動経済学とか人類史もどの辺のことまで守備範囲なんだ?
エジプト文明などには興味があるのだろうか?
なぜならそんな事は不可能だから。それに科学主義で見ても正しさが見直された、理にかなっている禅やヨガがあるから。
ただし人を導く、誘導する手法、または影響力として科学よりも劣っていると言っているだけ。
>・悪しき信仰を排除する
>・分からない人間には方便を用いてでも導く
>これこそを科学的検証の下で執り行うと言っている。
なるほど。それを科学的検証の下でやるのね。そこは見落としていたな。すまんかった。
>AIによって「この地球上に必要のない人種」と断定されるだろうし、
実際そう断じられたとしても仕方のない存在であるといえる。
笠地蔵も最後にはよくファンタジー要素をもちだすが、その頃には人間の概念が変化してることだろうw
所で笠地蔵の研究、もしくは触れたことのある学問にはどれくらいのものがあるの?
脳科学、心理学、社会心理学、進化生物学、認知科学、行動経済学とか人類史もどの辺のことまで守備範囲なんだ?
エジプト文明などには興味があるのだろうか?
科学のほうが古来の思想哲学や宗教よりも魅力だからといって、
あくまで表向きは科学的手法を主体としているかのようにとりつくろったり、
あるいは、あくまで科学的手法だけに頼ろうとしたりするのであっても、
理知によって数百年やそれ以上の平和や繁栄を実現しようとする以上は、
儒学や正統仏教の実践に近似せざるを得ないことだろう。
何しろ、自然科学の理論的究明こそが、易や密教などの自然解釈に近似しているのだから。
それなら始めから、物理的に妥当な自然解釈に基づいている伝統的な思想哲学宗教も
参考の対象にしておくほうがより賢明となる。それらが人文偏重の傾向があるが故に
狂信的な妄動を部分的にでも来すようなら、それは理学的な弾劾の対象ともすればいいし。
あくまで表向きは科学的手法を主体としているかのようにとりつくろったり、
あるいは、あくまで科学的手法だけに頼ろうとしたりするのであっても、
理知によって数百年やそれ以上の平和や繁栄を実現しようとする以上は、
儒学や正統仏教の実践に近似せざるを得ないことだろう。
何しろ、自然科学の理論的究明こそが、易や密教などの自然解釈に近似しているのだから。
それなら始めから、物理的に妥当な自然解釈に基づいている伝統的な思想哲学宗教も
参考の対象にしておくほうがより賢明となる。それらが人文偏重の傾向があるが故に
狂信的な妄動を部分的にでも来すようなら、それは理学的な弾劾の対象ともすればいいし。

儒学や物理学や、一般的な思想哲学や文学などの限られた分野だけだが、
興味の対象に全くならないような学問分野はほとんどない。
化学や生物学や工学などもそれほど詳しくはないが、興味はある。
いざかじり読む程度に事典などを調べてみれば、根本的な還元の対象となる
数理物理の所を知識的に押さえているから、大体のことは即座に理解できる。
人文方面は、正直大して研究する価値もないような分野も多いと思うが、
それも西洋的価値観の支配下で展開されているからそうなってしまっているだけで、
儒学や仏学のような東洋の叡智による抜本的な叩き直しを講ずれば、
社会的意義のある実学としての血が通う可能性があるものと見込んでいる。
宗教って結局のところ「途絶えることなく信じられる存在」だよな。 親のようなもの。
儒教などの学問も心を満たせる対象で、とどのつまり退屈をいやせるオモチャと何ら変わらない。
さも価値のある様に振舞っているが、悟りを開いているものからすれば児戯に等しい。
結局は己の内にある神に帰結する。死と隣り合わせの厳しい修行に耐えて悟りを開いたものだけが楽しめる至上の境地。
儒教などの学問も心を満たせる対象で、とどのつまり退屈をいやせるオモチャと何ら変わらない。
さも価値のある様に振舞っているが、悟りを開いているものからすれば児戯に等しい。
結局は己の内にある神に帰結する。死と隣り合わせの厳しい修行に耐えて悟りを開いたものだけが楽しめる至上の境地。
笠地蔵がまだ生息していた。^^

一切平等という悟りから離れてしまった
善悪の観念を壊すために、徹底的に「悪」を行って悟りを開け
悟りのために″五甘露(人糞、人尿、精液、経血、人肉)を食せ
本能としての善悪の破壊こそ、次なるステージだ
それが母タントラ経典へと続き、無限の創造を可能にし、神を超える
完全なる気違いです
というか、教祖、幹部連中が少女とセックスするための方便だ
徹底して悪を実践するような連中だらけになったら社会が成り立たないではないか
こんな地域が近くにあったら弾圧するのは正しい
もし、その宗教を弾圧することが悪であれは、悪を行えと教える宗教は弾圧を受け入れないと理屈に合わない
よって、中国のチベット弾圧は理にかなっている

正統な密教に>>100みたいな教義は一切ないし、
むしろ普遍的な善悪を悟るために汚濁を血清的に服用するものだが、
(乱交を尽くした後に出家して大智度論のような倫理学書を遺した龍樹菩薩のように)
都合のいい曲解を凝らしたなら、件のようなカルト教義を捏造することもできる。
そうではなく、どんなに正統であってもカルト止まりであるもの。
教派の中で最も正統とされる部類であっても物理的な不能さや倫理的な邪悪さを帯びた
純度100%のカルトというものがまた別にあって、そちらこそがカルトの元凶でもある。
キリスト教が解禁された明治以降や、信教の自由が憲法に明記された戦後の日本でこそ
カルト系の新興宗教もまた乱立したように、まず正統ぶっている真性のカルトを駆逐する
のでなければ、金魚のフン止まりな真正正統系のカルトにまで摘発の手が及ぶことはない。
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スレッドタイトル:物理的に不能、倫理的に邪悪な宗教