
毎日毎日朝から晩まで、炎天下や寒空の下でも延々と精神論的な鍛錬を強いられる日本の高校球児よりも、
科学的、合理的なトレーニングだけを適度にこなして来たアメリカの高校生の方が野球で強かったりする。
易や禅等への事実誤認とはまた別の問題として、迷惑すぎ水産もこの手の話をしたかったんだと思うが。
日本の高校野球的な非合理主義も別に日本古来のものではなく、
儒学や仏教が教育界から廃絶された明治以降に、西洋のスパルタ教育やプロシア兵法を参考にしたもの。
それは確かに、科学的合理主義にも劣る代物であるだろうが、ではその科学的な手法を存分に取り入れている
今のメジャーリーグでも、イチローみたいに大記録やここ一番の大舞台での活躍を打ち立てられる人間と、
ダルビッシュや田中みたいに今一歩の結果に終わってしまうのがいるのはなぜか?
イチローにあって、ダルビッシュや田中にないのは、透徹した真面目さ。
初動負荷理論に基づく動的ストレッチ運動みたいな地味な運動を、
毎日毎日、試合前にも何時間もこなしておく程のストイックさ。
結局、手法が科学的であるのであっても、最後にものを言うのはそういう精神的な部分。
合理主義の冷酷にも、非合理主義の激情にも一つ覚えには振り切れない中庸の賢明さ。
つまらない訓練も毎日欠かさず行なっている真面目さ故に、イチローのコメントもどこかズレた不恰好なものだったりする。
巧言令色に長けてたりするよりは、そのようであるほうがよっぽど可能性に溢れているのである。
返信する