SARO&Desperado隔離スレ
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質問に全然答えてないじゃん。
クリスマスにしか教会いかないといってた人が、
この段になって何故通いつめてるなどとキャラ転換してるの?
共同訳聖書についても、反論になってないし、
会計についても、サレジオは信徒総会で収支報告しないとでも?
サレジオにも勿論友人がいるけど。
教会員、と呼称することの教義的意味付けは?
すべてにおいて適当すぎることばかり。
生きるということ(笑)?
誰もそんな話はしていない。
天然なのか意図的にかは知らないけど、
すっとんきょうな話題を持ち出さないように。
あ、重箱だけど、俺は神学専攻
ではないぞ。宗教学。
院で社会学やら哲学もやってたけど。
クリスマスにしか教会いかないといってた人が、
この段になって何故通いつめてるなどとキャラ転換してるの?
共同訳聖書についても、反論になってないし、
会計についても、サレジオは信徒総会で収支報告しないとでも?
サレジオにも勿論友人がいるけど。
教会員、と呼称することの教義的意味付けは?
すべてにおいて適当すぎることばかり。
生きるということ(笑)?
誰もそんな話はしていない。
天然なのか意図的にかは知らないけど、
すっとんきょうな話題を持ち出さないように。
あ、重箱だけど、俺は神学専攻
ではないぞ。宗教学。
院で社会学やら哲学もやってたけど。
何、頭から湯気出してるんですか?
共同訳聖書と行ったのは私のミスと認めてるじゃないですか。
キャラ転換が気に入らないのですか?
それは相済みませんね。何しろネット世界の仮想空間。
言った者勝ちという原則をひたすら守っているあなたに非難されるとは驚きです。
サレジオの会計についてはあなたの友人の『サレジオ会の会計』の人に聞いて
ください。イグナチオの会計については以下のリンクで調べられる電話番号に
かけてください。事務所に繋がります。
http://www.ignatius.gr.jp/annai/contact.htm...
生きるという事はあなたに言ってるのではありませんよ。
このスレで死という問題に私的考察をしたので、次回は生について考察すると
言ってるのです。この板の趣旨は『思想/哲学』ですよ。
私怨を持ち込まないように。
しかしあなたも変な所に粘着しますね。蛙然り、教会の金の流れ然り。
ずいぶんと卑俗な所ばかり粘着していて、性格に問題があるんじゃないですか?
宗教学が専門なんですね。ははあ、お見それいたしました。
共同訳聖書と行ったのは私のミスと認めてるじゃないですか。
キャラ転換が気に入らないのですか?
それは相済みませんね。何しろネット世界の仮想空間。
言った者勝ちという原則をひたすら守っているあなたに非難されるとは驚きです。
サレジオの会計についてはあなたの友人の『サレジオ会の会計』の人に聞いて
ください。イグナチオの会計については以下のリンクで調べられる電話番号に
かけてください。事務所に繋がります。
http://www.ignatius.gr.jp/annai/contact.htm...
生きるという事はあなたに言ってるのではありませんよ。
このスレで死という問題に私的考察をしたので、次回は生について考察すると
言ってるのです。この板の趣旨は『思想/哲学』ですよ。
私怨を持ち込まないように。
しかしあなたも変な所に粘着しますね。蛙然り、教会の金の流れ然り。
ずいぶんと卑俗な所ばかり粘着していて、性格に問題があるんじゃないですか?
宗教学が専門なんですね。ははあ、お見それいたしました。
>教会員、と呼称することの教義的意味付けは?
>すべてにおいて適当すぎることばかり。
教会員と呼称することの教義的意味付けは知りません。
それはプロテスタントのお友達に聞いてください。
カトリックではまず誰も教会員という用語は使いません。
信徒または信者、あるいはキリスト者と言う場合もあります。
教会員という響きにはプロテスタントの臭いがあります。
一部の(私を含む)カトリック信徒がプロテスタントを嫌うというのは
前述した通りです。これはカトリック教会がどう言おうが、嫌いなものは
嫌いなのですからどうしようもありません。
嫌う理由として追加すると『韓国統一教会もプロテスタントか』、
『プロテスタントの洗礼って風呂桶に突っ込むのか』、『結婚している
牧師に自分の罪を告白することができるか』、『だから告解の秘跡が無い
のか』、『モルモンもプロテスタントを自称しているが、酒もコーヒーも
禁止とはおかしいだろ、イエス様もワインを飲むことを勧めてるじゃないか』、
『プロテスタントは金の亡者、収入の1割を教会維持費に出せとは』等々。
>すべてにおいて適当すぎることばかり。
教会員と呼称することの教義的意味付けは知りません。
それはプロテスタントのお友達に聞いてください。
カトリックではまず誰も教会員という用語は使いません。
信徒または信者、あるいはキリスト者と言う場合もあります。
教会員という響きにはプロテスタントの臭いがあります。
一部の(私を含む)カトリック信徒がプロテスタントを嫌うというのは
前述した通りです。これはカトリック教会がどう言おうが、嫌いなものは
嫌いなのですからどうしようもありません。
嫌う理由として追加すると『韓国統一教会もプロテスタントか』、
『プロテスタントの洗礼って風呂桶に突っ込むのか』、『結婚している
牧師に自分の罪を告白することができるか』、『だから告解の秘跡が無い
のか』、『モルモンもプロテスタントを自称しているが、酒もコーヒーも
禁止とはおかしいだろ、イエス様もワインを飲むことを勧めてるじゃないか』、
『プロテスタントは金の亡者、収入の1割を教会維持費に出せとは』等々。
これも質問に答えてないじゃん。
共同訳聖書については、単純な言い間違え、などという説明はなかったし、
その言い訳は、前スレでもなされてたけど、
日本語訳聖書のなりたちから全く筋違いのものだったし、
そもそも単純なミスで看過されるものじゃない。
教義の枝葉について語ってるときに、本質を言い間違えるかって話だ。
キャラ変更に意味があるかどうかはさておき、
そうではなく、事実として体験したこと、してることがコロコロと変わるのは
議論として駄目だろう。自分が適当だと公言してまわってるようなものだ。
いったもの勝ち?俺はそんなことを言った覚えはないし、
原則として事実に則って主張してるし、議論してる。
蛙の話も、化学調味料の話も、横浜中華街の質の話も、
テクニカルライターがライターではないことも、全部そう。
そもそも自分の主張に筋が通っているなら
キャラ変更、などという小手先の手段はとる必要はないし、
その時点でやはり論拠を失っているのだ。
生きるということに関して。
勘違いも甚だしい(笑)
このスレは食板で板違い、スレ違いになりそうな宗教論議を
適切な場所に移設するために第三者が建てたもので、
実存やら存在の神性を語る場ではない。
君が便乗して書き込んだスレがあるというだけの話で、
根本をとらえ損なっては困る。
どうしてもその話がしたいなら、
それこそ別スレを立てたまえよ。
そこでなら議論に応じることも吝かではない。
共同訳聖書については、単純な言い間違え、などという説明はなかったし、
その言い訳は、前スレでもなされてたけど、
日本語訳聖書のなりたちから全く筋違いのものだったし、
そもそも単純なミスで看過されるものじゃない。
教義の枝葉について語ってるときに、本質を言い間違えるかって話だ。
キャラ変更に意味があるかどうかはさておき、
そうではなく、事実として体験したこと、してることがコロコロと変わるのは
議論として駄目だろう。自分が適当だと公言してまわってるようなものだ。
いったもの勝ち?俺はそんなことを言った覚えはないし、
原則として事実に則って主張してるし、議論してる。
蛙の話も、化学調味料の話も、横浜中華街の質の話も、
テクニカルライターがライターではないことも、全部そう。
そもそも自分の主張に筋が通っているなら
キャラ変更、などという小手先の手段はとる必要はないし、
その時点でやはり論拠を失っているのだ。
生きるということに関して。
勘違いも甚だしい(笑)
このスレは食板で板違い、スレ違いになりそうな宗教論議を
適切な場所に移設するために第三者が建てたもので、
実存やら存在の神性を語る場ではない。
君が便乗して書き込んだスレがあるというだけの話で、
根本をとらえ損なっては困る。
どうしてもその話がしたいなら、
それこそ別スレを立てたまえよ。
そこでなら議論に応じることも吝かではない。
以上の理由で、生きる、などというテーマがスレ違いであることは説明したので、
これが私怨でもないことは重ねて説明するまでもない。
蛙に関しては、中華料理の要素の1つに過ぎない問題ではあるけど、
中華としては馴染み深い、不可欠な食材であるわけで、
少なくともその無知を正当化するような主張には批判せざるを得ないし、
その点でとるに足らない問題と片付けることはできない。
まあ、これについては食板の第三者にも伝わったことだろうと
ある程度納得しているから、
ことさらに掘り起こさなくともよいが。
君はどうも、筋ということに対する把握能力が低い。
人の性格を揶揄する前に、
自分の社会性を省みてはどうか。
教義に関しての反論は帰宅後に改めて。もしかすると明日以降になるかも。悪しからず。
これが私怨でもないことは重ねて説明するまでもない。
蛙に関しては、中華料理の要素の1つに過ぎない問題ではあるけど、
中華としては馴染み深い、不可欠な食材であるわけで、
少なくともその無知を正当化するような主張には批判せざるを得ないし、
その点でとるに足らない問題と片付けることはできない。
まあ、これについては食板の第三者にも伝わったことだろうと
ある程度納得しているから、
ことさらに掘り起こさなくともよいが。
君はどうも、筋ということに対する把握能力が低い。
人の性格を揶揄する前に、
自分の社会性を省みてはどうか。
教義に関しての反論は帰宅後に改めて。もしかすると明日以降になるかも。悪しからず。
何度も言うけど、自演などはしていないし、
その画像はむしろ、IDが被ると言うことの証拠だよね。
なんどそれが自演の証拠になるのかわからん。
あまり下らんことばかり言うようなら、
前に荒らしてた人のようにアク禁にしてもらいます。
その画像はむしろ、IDが被ると言うことの証拠だよね。
なんどそれが自演の証拠になるのかわからん。
あまり下らんことばかり言うようなら、
前に荒らしてた人のようにアク禁にしてもらいます。
『生きる』といったことを考えたいと思うのですが。あのネコは生きているとか、
このサボテンは生きているとか、乳酸菌を生きたまま腸へとか、
私たちは簡単に生きているという言葉を使います。でも人が生きているという場合、
それらとは違ったものであるというのはお判りですよね。
人は霊的に生きていると言えましょう。『私は何者か?』。
答1.『私は新陳代謝をしている有機物である』。
これは真に正しい科学的回答ですね。思えば人体は不思議です。意識せずとも
心臓が鼓動し、肺が酸素を取り入れ、腸が栄養を吸収します。考えるとなかなか
神秘的だと思いませんか?
私は2個の目を持っています。遠くの物も近くの物も見えます(コンタクトが
必要ですが)。色を認識できますし物の形もわかります。人の顔はもちろん
犬や猫の顔も識別できます。目に映った画像を選択して脳のアルバムにしまって
置くこともできます。こんな素晴らしい器官を人間は持っているわけですが
人間が地球上に登場して数十万年あるいは数百万年もたっているのに、まだ誰も
目を作った人はいません。
それにこの答えはあらゆる動植物にあてはまりますから、ちょっと人間を表現
するには物足りないですね。
目で思い出したのですが次のような回答をした人がいます。
答2.『われ思うゆえに我あり』。これはデカルトの言葉ですね。
ヤフー知恵袋に傑作な回答がありますので引用させていただきましょう。
>例えばあなたは今自分の部屋にいます。窓を開けてみてください。そこには
いつも見慣れた光景が広がっているはず、と思いますね。しかしその景色が絶対
にそこにあると証明できますか?できません。
例えば何か悪魔みたいなのがいて、あなたが窓を開けた瞬間にその景色を作って
るのかもしないという可能性を確実に否定することはできません。これは、
ジムキャリーの「トゥルーマン・ショー」という映画を観ると解りやすいかもしれません。
このサボテンは生きているとか、乳酸菌を生きたまま腸へとか、
私たちは簡単に生きているという言葉を使います。でも人が生きているという場合、
それらとは違ったものであるというのはお判りですよね。
人は霊的に生きていると言えましょう。『私は何者か?』。
答1.『私は新陳代謝をしている有機物である』。
これは真に正しい科学的回答ですね。思えば人体は不思議です。意識せずとも
心臓が鼓動し、肺が酸素を取り入れ、腸が栄養を吸収します。考えるとなかなか
神秘的だと思いませんか?
私は2個の目を持っています。遠くの物も近くの物も見えます(コンタクトが
必要ですが)。色を認識できますし物の形もわかります。人の顔はもちろん
犬や猫の顔も識別できます。目に映った画像を選択して脳のアルバムにしまって
置くこともできます。こんな素晴らしい器官を人間は持っているわけですが
人間が地球上に登場して数十万年あるいは数百万年もたっているのに、まだ誰も
目を作った人はいません。
それにこの答えはあらゆる動植物にあてはまりますから、ちょっと人間を表現
するには物足りないですね。
目で思い出したのですが次のような回答をした人がいます。
答2.『われ思うゆえに我あり』。これはデカルトの言葉ですね。
ヤフー知恵袋に傑作な回答がありますので引用させていただきましょう。
>例えばあなたは今自分の部屋にいます。窓を開けてみてください。そこには
いつも見慣れた光景が広がっているはず、と思いますね。しかしその景色が絶対
にそこにあると証明できますか?できません。
例えば何か悪魔みたいなのがいて、あなたが窓を開けた瞬間にその景色を作って
るのかもしないという可能性を確実に否定することはできません。これは、
ジムキャリーの「トゥルーマン・ショー」という映画を観ると解りやすいかもしれません。
さらに私があなたの部屋に行き、一緒に窓の外の景色を観たとして、全く同一の
ものを観ているということも証明できません。なぜなら例え色や形を言葉で説明して
も、その色や形の定義自体が同じであるということを証明することができないからです。
そう考えていくと、世の中にあるもので、絶対に存在を証明することのできるものは
一つもない、ということになります。あるように見えるけど、本当にあるのか?
ということです。
しかし、ここでデカルトは気づきます。そのように考えている思いがあることは確かだ、
と。ということは、そのことを考えている「自分」がいることも、間違いなく事実だ、
ということになります。つまり世の中で絶対に存在することがはっきりしているのは、
今このことを考えている、「自分自身」のみである、ということになります。
だから、「われ思う、故に我あり」なのです。
(引用ここまで)
デカルトにとっての『私は何者か?』とは、絶対的な自分自身を発見した所で止まって
しまいます。でもデカルトも生きたわけで、彼は『なぜ生きるのか?』に思い至らなかった
のでしょうか。
答3.『人間は考える葦である』。有名なパスカルの言葉ですね。パスカルは死を考える
上でも出て来た人ですが大変病弱で、若くして亡くなった物理学者です。そういったことを
知っていれば、これはなかなか示唆に富んだ言葉です。葦は風が吹いたらすぐに倒れて
しまうような弱い植物ですが、考える葦だったらどうでしょうか。倒れたら倒れたで
理由をあれこれ考えられますし、自分で立ち上がる工夫もできますよね。まさに『私は
何者か?』を考えるのに忘れてはならない言葉です。
もちろんこの言葉にはそれ以上の哲学的意味があるのですが、哲学者ならぬ理系人間の
悲しさで、なかなか彼の理論を共有することが叶いません。
ものを観ているということも証明できません。なぜなら例え色や形を言葉で説明して
も、その色や形の定義自体が同じであるということを証明することができないからです。
そう考えていくと、世の中にあるもので、絶対に存在を証明することのできるものは
一つもない、ということになります。あるように見えるけど、本当にあるのか?
ということです。
しかし、ここでデカルトは気づきます。そのように考えている思いがあることは確かだ、
と。ということは、そのことを考えている「自分」がいることも、間違いなく事実だ、
ということになります。つまり世の中で絶対に存在することがはっきりしているのは、
今このことを考えている、「自分自身」のみである、ということになります。
だから、「われ思う、故に我あり」なのです。
(引用ここまで)
デカルトにとっての『私は何者か?』とは、絶対的な自分自身を発見した所で止まって
しまいます。でもデカルトも生きたわけで、彼は『なぜ生きるのか?』に思い至らなかった
のでしょうか。
答3.『人間は考える葦である』。有名なパスカルの言葉ですね。パスカルは死を考える
上でも出て来た人ですが大変病弱で、若くして亡くなった物理学者です。そういったことを
知っていれば、これはなかなか示唆に富んだ言葉です。葦は風が吹いたらすぐに倒れて
しまうような弱い植物ですが、考える葦だったらどうでしょうか。倒れたら倒れたで
理由をあれこれ考えられますし、自分で立ち上がる工夫もできますよね。まさに『私は
何者か?』を考えるのに忘れてはならない言葉です。
もちろんこの言葉にはそれ以上の哲学的意味があるのですが、哲学者ならぬ理系人間の
悲しさで、なかなか彼の理論を共有することが叶いません。
答4.『私は一流大学を出たエリートサラリーマンだ』。
それはうらやましい。私はといえばダメダメリーマンです。その昔『スチャラカ社員』と
いう映画があったそうですが。その類です、我ながら・・・。
でもあなたはどうして一流大学を出られたのですか? 偶然ですか? 頭が良かったから
ですか? 猛勉強をしたからですか? ちょっと変な例えですが、精子は1度に最大4億から
5億も出るのですが、その99%が子宮頚部にたどり着く前に死んでしまうそうです。運よく
子宮にたどり着くのは数千から数十万、そしてその中のたった1個が卵子と受精してあなたが
生まれたのですね。そう考えると自分自身を偶然の産物と考えるには、あまりに神秘的な、
不思議な出来事のように思えませんか?
答5.『私はニートの自宅警備員だ』。
それはこまりましたね。時間という川はとても急流で、常に頑張って泳いでいないと
どんどん下流に押し流されて溺れてしまいますよ。溺れる者は藁をも掴むといいますが、
どんな藁にでもしがみつくという努力が大切なんだと思います。まずどうにか川の流れに
身を任せられられるという所に、自分を持って行くという努力が急務だと思います。
『なぜ生きるかがわかっていれば、大抵の苦難は我慢できるものだ』とはニーチェの言葉
ですが、『私は何者か?』という命題は私たち生きている人にとっては『なぜ生きるのか?』
という命題に言いかえることが出来ると思います。ニーチェの言葉はとてもオプティミス
ティックですね。
というのも次のようなことを言った日本人がいるからです。
『人生は重き荷を負うて遠き道を往くがごとし』。これは徳川家康の言葉ですが(後世の
創作臭いらしいですが)、なかなかペシミスティックですね。
どちらも真だと思うのですが、私はオプティミスティックですから『なぜ生きるのか?』と
考えたい所ですが、これがなかなか難しい。先にも申しました通り時間の流れは急流で、
いくら泳いでも対岸へたどり着くことができません。このまま死ぬまでわからないんじゃない
だろうかと思ったりもします。『なぜ生きるのか?』が分かった時から、私は『真に生き始め
る』んじゃないかと思います。そういった意味でニーチェは私を希望の光で照らしてくれたと
言えましょう。
それはうらやましい。私はといえばダメダメリーマンです。その昔『スチャラカ社員』と
いう映画があったそうですが。その類です、我ながら・・・。
でもあなたはどうして一流大学を出られたのですか? 偶然ですか? 頭が良かったから
ですか? 猛勉強をしたからですか? ちょっと変な例えですが、精子は1度に最大4億から
5億も出るのですが、その99%が子宮頚部にたどり着く前に死んでしまうそうです。運よく
子宮にたどり着くのは数千から数十万、そしてその中のたった1個が卵子と受精してあなたが
生まれたのですね。そう考えると自分自身を偶然の産物と考えるには、あまりに神秘的な、
不思議な出来事のように思えませんか?
答5.『私はニートの自宅警備員だ』。
それはこまりましたね。時間という川はとても急流で、常に頑張って泳いでいないと
どんどん下流に押し流されて溺れてしまいますよ。溺れる者は藁をも掴むといいますが、
どんな藁にでもしがみつくという努力が大切なんだと思います。まずどうにか川の流れに
身を任せられられるという所に、自分を持って行くという努力が急務だと思います。
『なぜ生きるかがわかっていれば、大抵の苦難は我慢できるものだ』とはニーチェの言葉
ですが、『私は何者か?』という命題は私たち生きている人にとっては『なぜ生きるのか?』
という命題に言いかえることが出来ると思います。ニーチェの言葉はとてもオプティミス
ティックですね。
というのも次のようなことを言った日本人がいるからです。
『人生は重き荷を負うて遠き道を往くがごとし』。これは徳川家康の言葉ですが(後世の
創作臭いらしいですが)、なかなかペシミスティックですね。
どちらも真だと思うのですが、私はオプティミスティックですから『なぜ生きるのか?』と
考えたい所ですが、これがなかなか難しい。先にも申しました通り時間の流れは急流で、
いくら泳いでも対岸へたどり着くことができません。このまま死ぬまでわからないんじゃない
だろうかと思ったりもします。『なぜ生きるのか?』が分かった時から、私は『真に生き始め
る』んじゃないかと思います。そういった意味でニーチェは私を希望の光で照らしてくれたと
言えましょう。
黒澤明監督の映画に『生きる』という傑作があるそうですが、私は世代が違うのか観たことが
ありません。しかし大体の荒筋は知っています。ある平凡な中年サラリーマンが、ある時
突然に、ガンで余命半年と宣告されるのです。その時彼は、自分の過ぎ越しかたを思って
愕然とするのですね。会社と家庭の間を惰性で条件反射のように行き来して、得た物は一体
なんだったのだろう。そして彼は自分の住んでいる地区に児童公園が無いことに気づきました。
そこで彼は自分に残された半年の命を児童公園の実現のために使おうと思い立つのです。
彼は自分の人生が半年と知った時点で初めて『真に生き始めた』んですね。そして公園が完成
した夜、彼は自分が奔走して実現したブランコに座りながら息を引き取るのです。
彼の死に顔に笑顔があったか、それともまだやり残した後悔の顔があったかはわかりません。
突然に私事で恐縮ですが、はっきり言って私も惰性で生きてしまっているようです。生きる
目的もまだ見えないし、『なぜ生きるのか?』などに答えるなんて畏れ多くて出来やしません。
これは私にとって神秘に属す命題です。まさに『言うは易く行うは難し』ですね。生きるという
ことはメソッド(方法)では無くプロシージャー(手続き・手順)だと理系の私はつくづく
思うのですが、そこから先が見えません。どのような手順を踏めば真に生きられるのでしょう。
神秘などというと宗教上の問題も絡んで来てしまうのですが、なにしろ生身の自分でさえこの
問いに上手く答えられないのですから、宗教を引き合いに出したら問題が更に哲学的な深みへと
はまって行きます。眩暈さえ感じざるを得ません。皆さんに自分の馬鹿さ加減を告白しましょう。
ありません。しかし大体の荒筋は知っています。ある平凡な中年サラリーマンが、ある時
突然に、ガンで余命半年と宣告されるのです。その時彼は、自分の過ぎ越しかたを思って
愕然とするのですね。会社と家庭の間を惰性で条件反射のように行き来して、得た物は一体
なんだったのだろう。そして彼は自分の住んでいる地区に児童公園が無いことに気づきました。
そこで彼は自分に残された半年の命を児童公園の実現のために使おうと思い立つのです。
彼は自分の人生が半年と知った時点で初めて『真に生き始めた』んですね。そして公園が完成
した夜、彼は自分が奔走して実現したブランコに座りながら息を引き取るのです。
彼の死に顔に笑顔があったか、それともまだやり残した後悔の顔があったかはわかりません。
突然に私事で恐縮ですが、はっきり言って私も惰性で生きてしまっているようです。生きる
目的もまだ見えないし、『なぜ生きるのか?』などに答えるなんて畏れ多くて出来やしません。
これは私にとって神秘に属す命題です。まさに『言うは易く行うは難し』ですね。生きるという
ことはメソッド(方法)では無くプロシージャー(手続き・手順)だと理系の私はつくづく
思うのですが、そこから先が見えません。どのような手順を踏めば真に生きられるのでしょう。
神秘などというと宗教上の問題も絡んで来てしまうのですが、なにしろ生身の自分でさえこの
問いに上手く答えられないのですから、宗教を引き合いに出したら問題が更に哲学的な深みへと
はまって行きます。眩暈さえ感じざるを得ません。皆さんに自分の馬鹿さ加減を告白しましょう。
こういった宗教的問題は宗教学を専攻したと自称するサロ君が適任ですが、はっきり申し上げて
彼は馬鹿です。少なくとも馬鹿というカテゴリーに属す人です。少なくともと言わずとも、
とてもわかりやすい馬鹿です。その文章力の無さからも馬鹿さ加減が見て取れますし、
言っていることからも馬鹿さがわかります。彼の言い回しには、わざとそうしてるのか、または
全くの無知からか、他人を幻惑する曖昧さが含まれています。一見もっともらしい事を言って
いるように感じて、他人に嫌味ったらしさやウザったさを感じさせるのはそのためです。
馬鹿な彼は自分を高みに置くことで自分の馬鹿さを正当化したいのでしょう。それが言い方の
曖昧さに繋がるのではないでしょうか。だから馬鹿な彼に回答を期待するのは無理です。
馬鹿を表現する諺として『木を見て森を見ず』というものがありますが、この言葉ほど彼の
馬鹿さ加減を言い表す諺がありましょうか。まずあの蛙に長々と粘着する馬鹿さ加減はどうで
しょう。次に化調に粘着する馬鹿さぶり。私が共同訳聖書と言ったことについての粘着ぶりは、
馬鹿と突き放すに足る馬鹿さぶりと思わずにはいられません。横浜中華街への批判はどうですか。
彼には他者の価値観が理解できないようですね。自分の価値観が絶対だと信じるのは最大の
馬鹿者ですね。こんな些末な事象を『とるに足らない問題と片付けることはできない』と更な
る粘着を宣言する馬鹿です。真にとるに足らない問題では無いですか・・・少なくとも中学生
以上の頭脳であれば自身の不明を恥じるのでは? まあ馬鹿な彼には何も期待はしますまい。
あげくは教会の金の流れにグダグダと文句を垂れるという馬鹿のオマケが・・・馬鹿ですねえ。
私の書いた漢文の意味も分からぬ馬鹿ですし、皮肉も通じない馬鹿です。学が無いとかたずける
には、あまりに馬鹿な馬鹿さっぷり。ついに『院』を出たなどと馬鹿なことを言い出します。
院とは何でしょう。キ○○イ病院でしょうか。少年院とか山寺の奥ノ院かも知れません。
彼は馬鹿です。少なくとも馬鹿というカテゴリーに属す人です。少なくともと言わずとも、
とてもわかりやすい馬鹿です。その文章力の無さからも馬鹿さ加減が見て取れますし、
言っていることからも馬鹿さがわかります。彼の言い回しには、わざとそうしてるのか、または
全くの無知からか、他人を幻惑する曖昧さが含まれています。一見もっともらしい事を言って
いるように感じて、他人に嫌味ったらしさやウザったさを感じさせるのはそのためです。
馬鹿な彼は自分を高みに置くことで自分の馬鹿さを正当化したいのでしょう。それが言い方の
曖昧さに繋がるのではないでしょうか。だから馬鹿な彼に回答を期待するのは無理です。
馬鹿を表現する諺として『木を見て森を見ず』というものがありますが、この言葉ほど彼の
馬鹿さ加減を言い表す諺がありましょうか。まずあの蛙に長々と粘着する馬鹿さ加減はどうで
しょう。次に化調に粘着する馬鹿さぶり。私が共同訳聖書と言ったことについての粘着ぶりは、
馬鹿と突き放すに足る馬鹿さぶりと思わずにはいられません。横浜中華街への批判はどうですか。
彼には他者の価値観が理解できないようですね。自分の価値観が絶対だと信じるのは最大の
馬鹿者ですね。こんな些末な事象を『とるに足らない問題と片付けることはできない』と更な
る粘着を宣言する馬鹿です。真にとるに足らない問題では無いですか・・・少なくとも中学生
以上の頭脳であれば自身の不明を恥じるのでは? まあ馬鹿な彼には何も期待はしますまい。
あげくは教会の金の流れにグダグダと文句を垂れるという馬鹿のオマケが・・・馬鹿ですねえ。
私の書いた漢文の意味も分からぬ馬鹿ですし、皮肉も通じない馬鹿です。学が無いとかたずける
には、あまりに馬鹿な馬鹿さっぷり。ついに『院』を出たなどと馬鹿なことを言い出します。
院とは何でしょう。キ○○イ病院でしょうか。少年院とか山寺の奥ノ院かも知れません。
そして宗教学者のくせに教会で結婚式を挙げるという馬鹿さを露呈しました。愚挙ですね。
確かに神は一方的かつ無条件に我々人類を愛されると新約聖書に書いてありますが、
馬鹿な彼はそれに甘えたんでしょうか。私たちは誰でも労働すれば対価を要求します。
ただ働きほど嫌なものは無いでしょう。いやボランティアや募金があるとお思いでしょうが、
これにしたって無意識に対価を要求しています。世間体とか、募金することによって自分を
高みに持って行こうとする下心。普段のやましい行動を正当化するための偽善。
つまり無意識に対価を要求していることを新約聖書は教えています。
それなのに結婚式は教会で挙げて後は知らんぷりという馬鹿さ。
ああ、いくらか牧師に払ったんですか。それで事足れりとは、あまりに神を冒涜する馬鹿者と
断定せざるを得ません。彼は私のことを俗物呼ばわりする馬鹿ですが、いったいどちらが
俗物でしょうか。こんな矛盾にも気づかない馬鹿に俗物と言われるのも、全くもって総毛立つ
思いがします。
彼が私を俗物呼ばわりするのは『負け惜しみ』『負け犬の遠吠え』『持たざる者の妬み・嫉み・
僻み』といった言葉で簡単に片づけられる類のもので、私にとっては痛くも痒くも無いのですが、
彼は馬鹿ですから、私にダメージを与えていると思っているんでしょうね。哀れな馬鹿です。
私が日本酒の写真をアップする時も、事前に彼の答えが想像できてしまいます。そして案の定、
判で押したような馬鹿な答えをしてしまうという、真にわかりやすい馬鹿です。これを科学的に
は『反射』と言いますね。私たちは熱いやかんに触れた時、思わず指を引っ込めます。
これが反射です。脳が『指を引っ込めろ』と指示を出すのを待っていたらダメージが大きくなり
ますから、無意識で体が反応する仕組みがあるんですね。
下等な動物ほど脳が小さいわけで反射で行動する度合いが高いわけですが、高等教育を受けた
はずの彼が、常に同じような反射行動をとるとは興味深いです。哲学的な馬鹿と言えるでしょう。
確かに神は一方的かつ無条件に我々人類を愛されると新約聖書に書いてありますが、
馬鹿な彼はそれに甘えたんでしょうか。私たちは誰でも労働すれば対価を要求します。
ただ働きほど嫌なものは無いでしょう。いやボランティアや募金があるとお思いでしょうが、
これにしたって無意識に対価を要求しています。世間体とか、募金することによって自分を
高みに持って行こうとする下心。普段のやましい行動を正当化するための偽善。
つまり無意識に対価を要求していることを新約聖書は教えています。
それなのに結婚式は教会で挙げて後は知らんぷりという馬鹿さ。
ああ、いくらか牧師に払ったんですか。それで事足れりとは、あまりに神を冒涜する馬鹿者と
断定せざるを得ません。彼は私のことを俗物呼ばわりする馬鹿ですが、いったいどちらが
俗物でしょうか。こんな矛盾にも気づかない馬鹿に俗物と言われるのも、全くもって総毛立つ
思いがします。
彼が私を俗物呼ばわりするのは『負け惜しみ』『負け犬の遠吠え』『持たざる者の妬み・嫉み・
僻み』といった言葉で簡単に片づけられる類のもので、私にとっては痛くも痒くも無いのですが、
彼は馬鹿ですから、私にダメージを与えていると思っているんでしょうね。哀れな馬鹿です。
私が日本酒の写真をアップする時も、事前に彼の答えが想像できてしまいます。そして案の定、
判で押したような馬鹿な答えをしてしまうという、真にわかりやすい馬鹿です。これを科学的に
は『反射』と言いますね。私たちは熱いやかんに触れた時、思わず指を引っ込めます。
これが反射です。脳が『指を引っ込めろ』と指示を出すのを待っていたらダメージが大きくなり
ますから、無意識で体が反応する仕組みがあるんですね。
下等な動物ほど脳が小さいわけで反射で行動する度合いが高いわけですが、高等教育を受けた
はずの彼が、常に同じような反射行動をとるとは興味深いです。哲学的な馬鹿と言えるでしょう。
もう一度申し上げますが、宗教学者であるはずの彼が、何も知らぬ存ぜぬという体で教会で
結婚式ごっこをするとは、渋谷辺りを闊歩している馬鹿ップルと、何ら変わらぬ馬鹿でしょうね。
いや真に全くもって馬鹿であると言わざるを得ません。彼の馬鹿さには感動すら覚えます。
思うに彼が宗教学を学んだという大学が馬鹿しか入らないような馬鹿大学だったのでしょう。
宗教学と聞くとぱっと○洋大学が思い浮かんだのですが、まあ頭の良い大学とは言えませんね。
世間的には馬鹿な大学でしょう。それも宗教学ですよ馬鹿。おまけに院なんですよ馬鹿馬鹿。
最近流行のお馬鹿タレントも裸足で逃げ出す馬鹿さではないでしょうか。
その馬鹿な彼が今日も自分の馬鹿なコテハンを晒して馬鹿なことを書き込むとは。
馬鹿には恥という概念が無いんでしょうか。我が家の猫の方が、馬鹿な彼より余程真っ当な
生き方をしていると思いますよ。
馬鹿は死ななきゃ治らないといいますが、馬鹿な彼は何度死んだら治るでしょう。
無知は悪い事とは思いませんが、馬鹿なくせに無理矢理背伸びしている彼は、
真に哀れむべき馬鹿と言って過言ではない馬鹿なんだと思います。
とても高学歴者とは思えない馬鹿さぶりです。
いったい馬鹿と何度書いたのか自分でもわからない程です。あまりに馬鹿馬鹿しいので、
もう馬鹿と言うのは止めたいのです。
馬鹿に対して馬鹿というほど無意味で馬鹿な事もまず無いでしょうね。
カトリックのミサで次のようなお祈りをミサの最初に唱えます。
『全能の神と兄弟の皆さんに告白します。私は思い、言葉、行い、怠りによって度々罪を犯しま
した。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん。罪深い私のために神に祈って
ください』。こんだけ散々『馬鹿馬鹿』と言っても、私には全然罪を犯したという意識が無い
ことも告白しておきましょう。彼は自分が馬鹿という自覚も無いのですから、ある意味動物では
ないわけで、でありますからいくら馬鹿馬鹿と言っても問題ないのは道理だと思いませんか?
結婚式ごっこをするとは、渋谷辺りを闊歩している馬鹿ップルと、何ら変わらぬ馬鹿でしょうね。
いや真に全くもって馬鹿であると言わざるを得ません。彼の馬鹿さには感動すら覚えます。
思うに彼が宗教学を学んだという大学が馬鹿しか入らないような馬鹿大学だったのでしょう。
宗教学と聞くとぱっと○洋大学が思い浮かんだのですが、まあ頭の良い大学とは言えませんね。
世間的には馬鹿な大学でしょう。それも宗教学ですよ馬鹿。おまけに院なんですよ馬鹿馬鹿。
最近流行のお馬鹿タレントも裸足で逃げ出す馬鹿さではないでしょうか。
その馬鹿な彼が今日も自分の馬鹿なコテハンを晒して馬鹿なことを書き込むとは。
馬鹿には恥という概念が無いんでしょうか。我が家の猫の方が、馬鹿な彼より余程真っ当な
生き方をしていると思いますよ。
馬鹿は死ななきゃ治らないといいますが、馬鹿な彼は何度死んだら治るでしょう。
無知は悪い事とは思いませんが、馬鹿なくせに無理矢理背伸びしている彼は、
真に哀れむべき馬鹿と言って過言ではない馬鹿なんだと思います。
とても高学歴者とは思えない馬鹿さぶりです。
いったい馬鹿と何度書いたのか自分でもわからない程です。あまりに馬鹿馬鹿しいので、
もう馬鹿と言うのは止めたいのです。
馬鹿に対して馬鹿というほど無意味で馬鹿な事もまず無いでしょうね。
カトリックのミサで次のようなお祈りをミサの最初に唱えます。
『全能の神と兄弟の皆さんに告白します。私は思い、言葉、行い、怠りによって度々罪を犯しま
した。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん。罪深い私のために神に祈って
ください』。こんだけ散々『馬鹿馬鹿』と言っても、私には全然罪を犯したという意識が無い
ことも告白しておきましょう。彼は自分が馬鹿という自覚も無いのですから、ある意味動物では
ないわけで、でありますからいくら馬鹿馬鹿と言っても問題ないのは道理だと思いませんか?
宗教学者のくせに教会で結婚式を挙げるという馬鹿さを露呈したと私が言ったことについて
誤解があるといけないので補足すると、主キリスト・イエズスは、全能の神である父の愛は
全ての人々にあると言われましたが、この全ての人々というのは、主なる神を信仰した人だけ
しか指さない可能性が高いのです。いや、きっぱり言いますが、主の愛は洗礼の秘跡を授かった
者にしか及びません。
主イエズスはきっぱりと弟子たちに『異邦人の所に行ってはいけない』と述べています
(ちなみに人を馬鹿と言ってはいけないとも述べていますが)。誰だってただ働きは嫌という
のは、そういう意味です。で無ければ、教会で洗礼を受けて、毎月教会維持費をきちんと
収めている私たち信徒が浮かばれません。当然の理でしょう?
また、主イエズスを信じない人たちに呪いの言葉も述べています。宗教学専攻のサロ君が
それを知ってか知らずか、教会での結婚を金で買うという愚挙に出たのは、真に軽率だった
でしょう。
お金目当てで異教徒のサロ夫妻に結婚の秘跡を授けたインチキ教会の牧師も、聖書によれば
呪われる存在です(プロテでは秘跡と言わないようですが)。牧師にしたって聖書を読解
しているはずですから、聖書の教えに素直に従えば、サロ君の結婚ごっこに単に付き合った
だけで本気では無かったと言うでしょうし、聖書に従うならサロ夫妻を呪ったはずです。
およそ世界中の宗教で呪いの概念の無い宗教があるでしょうか。例えば日本の神道だって
根本は怨霊信仰にあると井沢元彦氏も述べています。鎮守様という字面を見たって怨霊を
鎮める物だということが理解できるでしょう。
誤解があるといけないので補足すると、主キリスト・イエズスは、全能の神である父の愛は
全ての人々にあると言われましたが、この全ての人々というのは、主なる神を信仰した人だけ
しか指さない可能性が高いのです。いや、きっぱり言いますが、主の愛は洗礼の秘跡を授かった
者にしか及びません。
主イエズスはきっぱりと弟子たちに『異邦人の所に行ってはいけない』と述べています
(ちなみに人を馬鹿と言ってはいけないとも述べていますが)。誰だってただ働きは嫌という
のは、そういう意味です。で無ければ、教会で洗礼を受けて、毎月教会維持費をきちんと
収めている私たち信徒が浮かばれません。当然の理でしょう?
また、主イエズスを信じない人たちに呪いの言葉も述べています。宗教学専攻のサロ君が
それを知ってか知らずか、教会での結婚を金で買うという愚挙に出たのは、真に軽率だった
でしょう。
お金目当てで異教徒のサロ夫妻に結婚の秘跡を授けたインチキ教会の牧師も、聖書によれば
呪われる存在です(プロテでは秘跡と言わないようですが)。牧師にしたって聖書を読解
しているはずですから、聖書の教えに素直に従えば、サロ君の結婚ごっこに単に付き合った
だけで本気では無かったと言うでしょうし、聖書に従うならサロ夫妻を呪ったはずです。
およそ世界中の宗教で呪いの概念の無い宗教があるでしょうか。例えば日本の神道だって
根本は怨霊信仰にあると井沢元彦氏も述べています。鎮守様という字面を見たって怨霊を
鎮める物だということが理解できるでしょう。
削除(by投稿者)
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すなわちサロ君はキリスト教から呪われた存在であると言えます。私も主の教えに従って
サロ君を呪います。これはバチカンの公式見解ではありませんが、カトリックの信徒なら
誰しも口にせずとも、そう思っているはずです。2chのカトリックスレを見てもよく分かる
はずです。最後に聖書から私の好きな呪いの言葉を贈りましょう。
『カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで
落とされるのだ。』『はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムとゴモラの地の
方が軽い罰で済む。』
サロ君を呪います。これはバチカンの公式見解ではありませんが、カトリックの信徒なら
誰しも口にせずとも、そう思っているはずです。2chのカトリックスレを見てもよく分かる
はずです。最後に聖書から私の好きな呪いの言葉を贈りましょう。
『カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで
落とされるのだ。』『はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムとゴモラの地の
方が軽い罰で済む。』
しばらくぶりに見てみれば、
ろくに反論もせずに、スレに関係ない話題ばかりじゃないか(笑)
こういう態度が逃げであり、
社会性の欠如だと言ってるんだよ。
君がこのスレで出きることは、
敬虔なカソリックでありながら、クリスマスにしか教会いかない等といっていたのが、
翻って毎週通ってるなどとする、その適当な態度と嘘の釈明、
基本的な知識もないことの弁明だけだよ。
それ以外をしたいなら別スレで。
隔離スレとは言えど、スレ違いなんて基本的なマナー違反をやってるようじゃ、
いうことなすこと空々しすぎる。
共通して批判できることもある。
大学で宗教学を専攻していたと聞いて、宗教学者だと解釈する読解力の欠如。
デカルトの唯識論が神の存在証明に既決していることを知りもしない浅薄な知識。
君はそのあたりが、カエルでも酒でも全部共通しているんだよ。だから批判しているんだ。
ろくに反論もせずに、スレに関係ない話題ばかりじゃないか(笑)
こういう態度が逃げであり、
社会性の欠如だと言ってるんだよ。
君がこのスレで出きることは、
敬虔なカソリックでありながら、クリスマスにしか教会いかない等といっていたのが、
翻って毎週通ってるなどとする、その適当な態度と嘘の釈明、
基本的な知識もないことの弁明だけだよ。
それ以外をしたいなら別スレで。
隔離スレとは言えど、スレ違いなんて基本的なマナー違反をやってるようじゃ、
いうことなすこと空々しすぎる。
共通して批判できることもある。
大学で宗教学を専攻していたと聞いて、宗教学者だと解釈する読解力の欠如。
デカルトの唯識論が神の存在証明に既決していることを知りもしない浅薄な知識。
君はそのあたりが、カエルでも酒でも全部共通しているんだよ。だから批判しているんだ。
はいはい、俗物の痩せ我慢、空威張り。
盗用大学でどんな宗教学を学んだの?
トコロテン卒業でつか?
かえる学でつか?
屁理屈ばかりじゃなく、まともな事を言おうな。
呪われなさい。
呪われなさい。
盗用大学でどんな宗教学を学んだの?
トコロテン卒業でつか?
かえる学でつか?
屁理屈ばかりじゃなく、まともな事を言おうな。
呪われなさい。
呪われなさい。
毎度毎度お決まりの文句『ろくに反論もせず』って何でしょうね。
反論したつもりなんですけどね。まあ大人げない議論はスルーしたかもですが(笑)。
『カソリック』という言い方も気に入らないですね。カトリックとはギリシア語のカトリケー
(普遍的)に由来する言葉なので『カトリック』が正しいのです。宗教学者の彼がそれを知らない
ってのも意外ですね。おっと、サロ君は宗教学を学んだのに宗教学者では無いと言ってますね。
私は工学部を出たから大手を振ってエンジニアと自称してますけど、彼には何か複雑な事情がある
らしいですね、何しろ盗用大学ですもんね(笑)。
なんかデカルトの件でお怒りのようですが、本当はサロ君に教えて欲しい所ですけど、彼は馬鹿だ
から無理でしょう。私が代わってデカルトについて考察しますか。デカルトの根本は形而上学です。
いきなり形而上学といっても難しいので、簡単に解釈しましょう。
まず美という概念のみに絞ります。形而上学的美とは中世の思想家トマスなんとか(笑)という人
によると『1.充足性あるいは完全性。不完全な物はまさに不完全という真実ゆえに醜い。2.適切な
均衡あるいは調和。3.鮮やかさあるいは明るさ。輝かしい色をした物を美しいと呼ぶのはこのため』
と述べています。すなわち形而上学的に美を愛でるとは、知的に分析して定量的に美を理解する
態度です。デカルトはこのような理詰めな方法で神の存在へと迫ろうとしました。
反論したつもりなんですけどね。まあ大人げない議論はスルーしたかもですが(笑)。
『カソリック』という言い方も気に入らないですね。カトリックとはギリシア語のカトリケー
(普遍的)に由来する言葉なので『カトリック』が正しいのです。宗教学者の彼がそれを知らない
ってのも意外ですね。おっと、サロ君は宗教学を学んだのに宗教学者では無いと言ってますね。
私は工学部を出たから大手を振ってエンジニアと自称してますけど、彼には何か複雑な事情がある
らしいですね、何しろ盗用大学ですもんね(笑)。
なんかデカルトの件でお怒りのようですが、本当はサロ君に教えて欲しい所ですけど、彼は馬鹿だ
から無理でしょう。私が代わってデカルトについて考察しますか。デカルトの根本は形而上学です。
いきなり形而上学といっても難しいので、簡単に解釈しましょう。
まず美という概念のみに絞ります。形而上学的美とは中世の思想家トマスなんとか(笑)という人
によると『1.充足性あるいは完全性。不完全な物はまさに不完全という真実ゆえに醜い。2.適切な
均衡あるいは調和。3.鮮やかさあるいは明るさ。輝かしい色をした物を美しいと呼ぶのはこのため』
と述べています。すなわち形而上学的に美を愛でるとは、知的に分析して定量的に美を理解する
態度です。デカルトはこのような理詰めな方法で神の存在へと迫ろうとしました。
しかしこれは欧州的な思考法です。私たち日本人が美という場合、美しい、神々しい、きれい、
しぶい、いきだ、雅だ、はんなり・・・それこそ様々な言い方があります。これは知的に分析して
定量化できませんね。これは審美学的な美と呼びます。審美学的美とは理詰めで考えるのではなく
人間の感性に訴える物を素直に見つめようという態度です。
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが『形而上学』の反対が『審美学』ではありません。
神という存在を理解しようとする時、デカルトのような態度ももちろん必要ですが、形而上学的な
態度では無く審美学的な態度で理解するのが適切なのだと思います。カトリックでは神は最も完全
で、かつ最も美しいものとします。
人間は不完全な者ですから、それぞれの器量(受容力)によって神の美を受け入れます。いかに
すばらしいといわれる美でも、この世では有限ですから、神の無限の美の一部を反映したものに
しかすぎません。すなわち素晴らしいダビンチやミケランジェロの作品でさえも、神の無限の美の
一部分を捉えた物にすぎないのです。しかし、だからといって、それらの作品が駄作であると言う
のではありません。私たちにはそれらの作品を通して神の無限の美を眺望できる能力が授けられて
います。
つまり形而上学的に神を理解する必要はありません。それは『あるもの』として人間の理解を超越
して存在するものという態度で接するのが望ましいでしょう。
ちょっとデカルトから脱線してしまいましたが、門外漢の私よりサロ君が易しく答えてくれるでしょう。
しぶい、いきだ、雅だ、はんなり・・・それこそ様々な言い方があります。これは知的に分析して
定量化できませんね。これは審美学的な美と呼びます。審美学的美とは理詰めで考えるのではなく
人間の感性に訴える物を素直に見つめようという態度です。
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが『形而上学』の反対が『審美学』ではありません。
神という存在を理解しようとする時、デカルトのような態度ももちろん必要ですが、形而上学的な
態度では無く審美学的な態度で理解するのが適切なのだと思います。カトリックでは神は最も完全
で、かつ最も美しいものとします。
人間は不完全な者ですから、それぞれの器量(受容力)によって神の美を受け入れます。いかに
すばらしいといわれる美でも、この世では有限ですから、神の無限の美の一部を反映したものに
しかすぎません。すなわち素晴らしいダビンチやミケランジェロの作品でさえも、神の無限の美の
一部分を捉えた物にすぎないのです。しかし、だからといって、それらの作品が駄作であると言う
のではありません。私たちにはそれらの作品を通して神の無限の美を眺望できる能力が授けられて
います。
つまり形而上学的に神を理解する必要はありません。それは『あるもの』として人間の理解を超越
して存在するものという態度で接するのが望ましいでしょう。
ちょっとデカルトから脱線してしまいましたが、門外漢の私よりサロ君が易しく答えてくれるでしょう。
具体的な反論がないとは、
最初クリスマスにしか教会行かないと言っていた人が、
なぜ急に毎週通ってるなどと言を翻したのかということ。
その他のことも全部同じ。
共同訳聖書についても、ミスだミスだと繰り返すだけで、
どういう意図で用いたのか一切説明はないし、
教会籍の存在すら否定してたことも、
全部反論がなされてない。
中国でメジャーな食材であると認めたカエルについて、
学者でもない限り知らなくていい、などと述べたことや、
横浜の中華街の中でも、いきつけの店だけは腐ってないといいながら
その店が悪いと知りつつも科学調味料を使っていることなどは
いつまでたっても有効な反論はないよね。
いつも同じ。
最初クリスマスにしか教会行かないと言っていた人が、
なぜ急に毎週通ってるなどと言を翻したのかということ。
その他のことも全部同じ。
共同訳聖書についても、ミスだミスだと繰り返すだけで、
どういう意図で用いたのか一切説明はないし、
教会籍の存在すら否定してたことも、
全部反論がなされてない。
中国でメジャーな食材であると認めたカエルについて、
学者でもない限り知らなくていい、などと述べたことや、
横浜の中華街の中でも、いきつけの店だけは腐ってないといいながら
その店が悪いと知りつつも科学調味料を使っていることなどは
いつまでたっても有効な反論はないよね。
いつも同じ。
改めて言うけど、うが学部卒業してたら「学者」だなんて、非常識にもほどがある。
だいたい君は「工学部卒だからエンジニア」と対比させてるが、
それをいうなら「工学者」でないと対比にならんでしょうが(笑)
宗教学者ってのは、一般に研究職などで大学に籍を置く
教授や准教授クラスを言うんだよ。
俺は修士だけど、後期課程出てないし、
とても学者とは言えないな。
こんなことも知らず、よく人の学を問えたものだ。
宗教学の代表格が東洋大学(笑)?
そりゃ仏教学かなんかと区別がついてないだけだろう。
君は宗教学と宗教社会学と、神学と仏教学の区別がつくようになってから
言葉を発するべきだね。まるで理解してないじゃん。
宗教学の本場は東大や京大で、フレイザー研究なら京大が強い。
デカルト以降の話はまるで「よくわかる哲学入門」のようで、
突っ込みどころは多々あるけれど、
スレ違いなのは再三述べたので詳細は省く。
ただ、先に指摘した、デカルトと神の存在証明について、
まったく触れていないのは、議論ができませんと言ってるも同然だ。
だいたい君は「工学部卒だからエンジニア」と対比させてるが、
それをいうなら「工学者」でないと対比にならんでしょうが(笑)
宗教学者ってのは、一般に研究職などで大学に籍を置く
教授や准教授クラスを言うんだよ。
俺は修士だけど、後期課程出てないし、
とても学者とは言えないな。
こんなことも知らず、よく人の学を問えたものだ。
宗教学の代表格が東洋大学(笑)?
そりゃ仏教学かなんかと区別がついてないだけだろう。
君は宗教学と宗教社会学と、神学と仏教学の区別がつくようになってから
言葉を発するべきだね。まるで理解してないじゃん。
宗教学の本場は東大や京大で、フレイザー研究なら京大が強い。
デカルト以降の話はまるで「よくわかる哲学入門」のようで、
突っ込みどころは多々あるけれど、
スレ違いなのは再三述べたので詳細は省く。
ただ、先に指摘した、デカルトと神の存在証明について、
まったく触れていないのは、議論ができませんと言ってるも同然だ。
せっかくなのでブログ代わりに何か書きます。
アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。
あなたは女の内で祝福されご胎内のおん子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア、私たち罪びとのために今も死を迎える時もお祈りください。
アーメン。
私はこの祈りがとても好きです。主の祈りよりもこちらの方が回数的に多いかも。
それは、この祈りが直接に神に対するものでは無く、聖母マリアに取り次ぎをしてもらうという
形式だからでしょう。昔からこの祈りは多くの芸術家にインスピレーションを与えて来たもの
らしく、バッハなどは(他にもいるでしょうが)これに曲を付けてますよね。ご存知でしょう?
『アヴェ・マリア バッハ』でユーチューブを検索すれば分かりますよ。私はこの曲も大好きです。
なぜ聖母マリアに取り次ぎを願うかというと、私の場合、父なる神がちょっと怖いからです。
神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手を通してお捧げするいけにえを
お受けください。
とミサの間で唱える時、私は祭壇の上に屠られたばかりの血だらけの牡牛が見えるようで、眩暈がする
ような陶酔を覚えます。神は牡牛のいけにえが好きです(食べる松坂牛は牝牛ですが)。時には
息子を屠って差し出せという要求もします。これはちょっとヘタ打ったらマズいなと思い、後ろめたい
私は聖母マリアに祈ってしまいます。
でもキリスト教徒は旧約聖書の古い律法から自由になったのですから、まあ父なる神にお仕置きを受ける
ことも、無いかもですけどね(苦笑)。
アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。
あなたは女の内で祝福されご胎内のおん子イエスも祝福されています。
神の母、聖マリア、私たち罪びとのために今も死を迎える時もお祈りください。
アーメン。
私はこの祈りがとても好きです。主の祈りよりもこちらの方が回数的に多いかも。
それは、この祈りが直接に神に対するものでは無く、聖母マリアに取り次ぎをしてもらうという
形式だからでしょう。昔からこの祈りは多くの芸術家にインスピレーションを与えて来たもの
らしく、バッハなどは(他にもいるでしょうが)これに曲を付けてますよね。ご存知でしょう?
『アヴェ・マリア バッハ』でユーチューブを検索すれば分かりますよ。私はこの曲も大好きです。
なぜ聖母マリアに取り次ぎを願うかというと、私の場合、父なる神がちょっと怖いからです。
神の栄光と賛美のため、また全教会と私たち自身のために、司祭の手を通してお捧げするいけにえを
お受けください。
とミサの間で唱える時、私は祭壇の上に屠られたばかりの血だらけの牡牛が見えるようで、眩暈がする
ような陶酔を覚えます。神は牡牛のいけにえが好きです(食べる松坂牛は牝牛ですが)。時には
息子を屠って差し出せという要求もします。これはちょっとヘタ打ったらマズいなと思い、後ろめたい
私は聖母マリアに祈ってしまいます。
でもキリスト教徒は旧約聖書の古い律法から自由になったのですから、まあ父なる神にお仕置きを受ける
ことも、無いかもですけどね(苦笑)。
旧約聖書といえば、キリスト教はもちろん、ユダヤ教やイスラム教も聖典としています。多少の違い
はあるようですが。彼らにしてみれば、これが正しい聖書で、旧約とは何事かとか言う所でしょう。
だから三者とも聖地がエルサレムで国際紛争の種になったりしますね。
よくキリスト教は自由だと言いますが、この自由というのは狭義の解釈では旧約の律法から自由に
なったということでしょう。旧約聖書の律法は、たびたび椿事を引き起こします。
先日エルサレムに行った人に聞いた話ですが、ユダヤ教では主日(私たちは日曜日です)が土曜日
なんですが、この日は一切仕事をしてはいけないんです。何が仕事で何が仕事で無いか決まっていて、
例えばエレベーターのボタンを押すのは仕事だから禁止なのです。土曜日になると高層ビルのエレ
ベーターは各階停車の自動運転となり、人々はやって来たエレベーターに乗る。もちろん閉ボタン
など押せませんから、各階毎に停車するエレベーターにじっと我慢して目的階までやっと到着すると。
イスラム教でも椿事が起きます。強姦されたノルウエー人女性が警察に訴え出たら逆に逮捕され
有罪判決が出たとか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130722-00000068-reut-in...
これなんか外人だからニュースになったのであって、現地人の間だったら強姦のやり得ってこと?
はあるようですが。彼らにしてみれば、これが正しい聖書で、旧約とは何事かとか言う所でしょう。
だから三者とも聖地がエルサレムで国際紛争の種になったりしますね。
よくキリスト教は自由だと言いますが、この自由というのは狭義の解釈では旧約の律法から自由に
なったということでしょう。旧約聖書の律法は、たびたび椿事を引き起こします。
先日エルサレムに行った人に聞いた話ですが、ユダヤ教では主日(私たちは日曜日です)が土曜日
なんですが、この日は一切仕事をしてはいけないんです。何が仕事で何が仕事で無いか決まっていて、
例えばエレベーターのボタンを押すのは仕事だから禁止なのです。土曜日になると高層ビルのエレ
ベーターは各階停車の自動運転となり、人々はやって来たエレベーターに乗る。もちろん閉ボタン
など押せませんから、各階毎に停車するエレベーターにじっと我慢して目的階までやっと到着すると。
イスラム教でも椿事が起きます。強姦されたノルウエー人女性が警察に訴え出たら逆に逮捕され
有罪判決が出たとか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130722-00000068-reut-in...
これなんか外人だからニュースになったのであって、現地人の間だったら強姦のやり得ってこと?
今週の教会は聖イグナチオの取り次ぎを願う週間でした。7月31日がロヨラの聖イグナチオ記念日です。
イグナチオ・デ・ロヨラという人は、日本にも布教にやってきたフランシスコ・ザビエルらと共に、
パリのモンマルトルの丘でイエズス会を結成した人です。よく我々はザビエル禿などと言いますが、
あれは剥げているのでは無く剃っているのです。当時の聖職者の髪型ですね。悪口懺悔(苦笑)。
イエズス会というと、司馬遼太郎の小説などを読むと、戦国末期に長崎に不法に土地を取得して、日本を
植民地化しようという魂胆があったとか。実際イエズス会は織田信長ら有力大名に火薬を提供したり
キナ臭い部分もあったようです。当時の日本は鉄砲の国産化にはいち早く成功したけど、火薬はなかなか
国産化が進まなかったのですね。まあ現代の我々が四百年前のイエズス会の行いに白黒つけるというのも
無理なことですが。それにイエズス会はバチカンから一時潰されたりしたんですね。その顛末はウィキに
詳しいです。
聖イグナチオ教会という名前は、もちろん聖イグナチオ・デ・ロヨラからとったものです。これは言わずもがな
ですね。現在イエズス会はカトリックの中では最も教徒数が多いのだそうです。それに教育に熱心というのも
結成以来の方針ですね。織田信長の頃には日本にイエズス会の神学校が安土と有馬の二か所にあったん
ですよ。その他にもこれに準じた学校がいくつもあったんです。
この学校ではラテン語や西洋音楽はもちろんのこと、日本文学も教えていたんです。当時としては、最先端
というか良心的というか、現地の文化を尊重するイエズス会も、なかなかどうして立派な物じゃないですか。
当時の日本人学生たちは幼い者は十歳くらいで、皆お坊さんのように剃髪して青い羽織袴の制服を着て
主日の休みには、例えば有馬の神学校の生徒は、行列して海辺の別荘まで遊びに出かけたとか。
そんな四百年前の彼らが何ともけなげで、タイムマシンでもあれば行って励ましてあげたいです。
いやとりとめも無いことをグダグダと申し訳けありません。
イグナチオ・デ・ロヨラという人は、日本にも布教にやってきたフランシスコ・ザビエルらと共に、
パリのモンマルトルの丘でイエズス会を結成した人です。よく我々はザビエル禿などと言いますが、
あれは剥げているのでは無く剃っているのです。当時の聖職者の髪型ですね。悪口懺悔(苦笑)。
イエズス会というと、司馬遼太郎の小説などを読むと、戦国末期に長崎に不法に土地を取得して、日本を
植民地化しようという魂胆があったとか。実際イエズス会は織田信長ら有力大名に火薬を提供したり
キナ臭い部分もあったようです。当時の日本は鉄砲の国産化にはいち早く成功したけど、火薬はなかなか
国産化が進まなかったのですね。まあ現代の我々が四百年前のイエズス会の行いに白黒つけるというのも
無理なことですが。それにイエズス会はバチカンから一時潰されたりしたんですね。その顛末はウィキに
詳しいです。
聖イグナチオ教会という名前は、もちろん聖イグナチオ・デ・ロヨラからとったものです。これは言わずもがな
ですね。現在イエズス会はカトリックの中では最も教徒数が多いのだそうです。それに教育に熱心というのも
結成以来の方針ですね。織田信長の頃には日本にイエズス会の神学校が安土と有馬の二か所にあったん
ですよ。その他にもこれに準じた学校がいくつもあったんです。
この学校ではラテン語や西洋音楽はもちろんのこと、日本文学も教えていたんです。当時としては、最先端
というか良心的というか、現地の文化を尊重するイエズス会も、なかなかどうして立派な物じゃないですか。
当時の日本人学生たちは幼い者は十歳くらいで、皆お坊さんのように剃髪して青い羽織袴の制服を着て
主日の休みには、例えば有馬の神学校の生徒は、行列して海辺の別荘まで遊びに出かけたとか。
そんな四百年前の彼らが何ともけなげで、タイムマシンでもあれば行って励ましてあげたいです。
いやとりとめも無いことをグダグダと申し訳けありません。
>>48
そうそう聖歌ですよね。でも、なかなか一般の人には、讃美歌じゃないと通用しないです。
いくら言ってもカトリックのことをカソリックと言う人がいるくらいですからねえ。
いや、信徒の中にも『自分はカソリックが正しいと思う』と頑なに言い張る爺さんがいますし。
讃美歌というと、もう長い人生で何度プロテのインチキ結婚式につき合わされたことか。必ず、
『いつくしみ深き』を歌わされるんですよね。まず間違いないです。
いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いを取り去りたまわーん・・・ての、飽きました。
星無きみ空に煌めく光・・・っていう小学校唱歌(?)と同じ曲だから歌いやすいのかも。
私は次の曲が一番好きです。
主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、
今、小舟を捨てて共に海に出よう。
ペトロとのガリラヤ湖での出会いを歌った物ですが、私たちもこのように執着(小舟)を捨てて
イエスの教えた道を進まないといけないんでしょうね。
聖書の中では、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しいとありますが。昔は
文字通りに理解して、お金持ちは悪なのかなあと子供心に思っていたのですが、金持ちが悪なのでは
ないのですね。執着がいけないんですね。
聖書の別の個所には、イエスに付き従うと言った者が、従う前に家族に別れの挨拶をしたいと言って
『鋤に手をかけてから後ろを振り向くような奴は神の国にふさわしくない』と言い返されてますから
ね。だからと言うと変ですが、私は食べ物にお金を使う癖がついてしまいましたよ。それにお金持ちが
悪いと言うと、皆なまけて、教会維持費の収入も減るでしょうしね。
だんだん話が脱線していきますね。こんなことを言ってたらデーケン先生に怒られるでしょうね。
そうそう7月21日のデーケン神父様のミサと誕生パーティは大盛況でしたよ。昔と比べるとメンバー
も高齢化してましたけどね(苦笑)。
そうそう聖歌ですよね。でも、なかなか一般の人には、讃美歌じゃないと通用しないです。
いくら言ってもカトリックのことをカソリックと言う人がいるくらいですからねえ。
いや、信徒の中にも『自分はカソリックが正しいと思う』と頑なに言い張る爺さんがいますし。
讃美歌というと、もう長い人生で何度プロテのインチキ結婚式につき合わされたことか。必ず、
『いつくしみ深き』を歌わされるんですよね。まず間違いないです。
いつくしみ深き友なるイエスは、罪とが憂いを取り去りたまわーん・・・ての、飽きました。
星無きみ空に煌めく光・・・っていう小学校唱歌(?)と同じ曲だから歌いやすいのかも。
私は次の曲が一番好きです。
主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、
今、小舟を捨てて共に海に出よう。
ペトロとのガリラヤ湖での出会いを歌った物ですが、私たちもこのように執着(小舟)を捨てて
イエスの教えた道を進まないといけないんでしょうね。
聖書の中では、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しいとありますが。昔は
文字通りに理解して、お金持ちは悪なのかなあと子供心に思っていたのですが、金持ちが悪なのでは
ないのですね。執着がいけないんですね。
聖書の別の個所には、イエスに付き従うと言った者が、従う前に家族に別れの挨拶をしたいと言って
『鋤に手をかけてから後ろを振り向くような奴は神の国にふさわしくない』と言い返されてますから
ね。だからと言うと変ですが、私は食べ物にお金を使う癖がついてしまいましたよ。それにお金持ちが
悪いと言うと、皆なまけて、教会維持費の収入も減るでしょうしね。
だんだん話が脱線していきますね。こんなことを言ってたらデーケン先生に怒られるでしょうね。
そうそう7月21日のデーケン神父様のミサと誕生パーティは大盛況でしたよ。昔と比べるとメンバー
も高齢化してましたけどね(苦笑)。
星無きみ空に煌めく光じゃないですね、月無きみ空に煌めく光ですよね、星無きじゃ何も見えない(笑)。
ミサというと、たぶんに呪術的ですよね。毎週日曜日に、あるいは会社が早く終わった時は18時の
ミサに与るんですが、毎回毎回同じ文句を繰り返していて、こうして客観視すると何か不思議です。
『聖なるかな聖なるかな万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つ、天のいと高き所にホザンナ』とか
『主の死を思い復活を讃えよう、主が来られるまで』『主に栄光』エトセトラ・・・
これをカトリック教徒は二千年(諸説あるでしょうが)もの間、言語の違いはあれ行ってきたのです
から、なおさら不思議です。
これがプロテの礼拝だと牧師の説教があるんでしょ? いや礼拝なる物に行ったことが無いのでよく
は知らないのですが、小説などを読むと説教なる物が出て来ますよね。カトの場合だと、司祭が聖書朗読
に絡めてコメントをする位で説教なんて無いですもんね。
私は『お告げの祈り』が好きです。大好きなアヴェ・マリアも含まれているし『私は主のはしため、
お言葉通りになりますように』とか『み言葉は人となり私たちの内に住まわれた』とか『キリストの
約束に叶う者となりますように』とか素敵じゃないですか。
『私たちは今、選ばれた種族、神聖な民族、あがなわれた国民』というのはちょっと変ですね。
どう贔屓目に見ても日本民族が選ばれた種族とは思えないです。それじゃダメじゃん。
私は誕生日にスレ写真のような簡易型ではなく、ちゃんとしたロザリオを貰いました。ちゃんとした
ロザリオはロス(カルバーシティ)に単身赴任している時、現地教会でかなり良い品を購入して長年
使っていたのですが、引っ越しのドサクサで無くしてしまって残念だったのです。
『ではこのロザリオをいつおろすか?』『今でしょ』とはいかないんですよね。何かの記念日に
デーケン神父様に聖別してもらいます。クリスマスか、あるいは今の簡易型ロザリオが復活祭の
時に聖別してもらったので来年まで待つか・・・どちらが良いかな、フフン(鼻歌)。
もう完全に私のブログ状態ですね。いやスミマセン(*´з`)。
ミサというと、たぶんに呪術的ですよね。毎週日曜日に、あるいは会社が早く終わった時は18時の
ミサに与るんですが、毎回毎回同じ文句を繰り返していて、こうして客観視すると何か不思議です。
『聖なるかな聖なるかな万軍の神なる主、主の栄光は天地に満つ、天のいと高き所にホザンナ』とか
『主の死を思い復活を讃えよう、主が来られるまで』『主に栄光』エトセトラ・・・
これをカトリック教徒は二千年(諸説あるでしょうが)もの間、言語の違いはあれ行ってきたのです
から、なおさら不思議です。
これがプロテの礼拝だと牧師の説教があるんでしょ? いや礼拝なる物に行ったことが無いのでよく
は知らないのですが、小説などを読むと説教なる物が出て来ますよね。カトの場合だと、司祭が聖書朗読
に絡めてコメントをする位で説教なんて無いですもんね。
私は『お告げの祈り』が好きです。大好きなアヴェ・マリアも含まれているし『私は主のはしため、
お言葉通りになりますように』とか『み言葉は人となり私たちの内に住まわれた』とか『キリストの
約束に叶う者となりますように』とか素敵じゃないですか。
『私たちは今、選ばれた種族、神聖な民族、あがなわれた国民』というのはちょっと変ですね。
どう贔屓目に見ても日本民族が選ばれた種族とは思えないです。それじゃダメじゃん。
私は誕生日にスレ写真のような簡易型ではなく、ちゃんとしたロザリオを貰いました。ちゃんとした
ロザリオはロス(カルバーシティ)に単身赴任している時、現地教会でかなり良い品を購入して長年
使っていたのですが、引っ越しのドサクサで無くしてしまって残念だったのです。
『ではこのロザリオをいつおろすか?』『今でしょ』とはいかないんですよね。何かの記念日に
デーケン神父様に聖別してもらいます。クリスマスか、あるいは今の簡易型ロザリオが復活祭の
時に聖別してもらったので来年まで待つか・・・どちらが良いかな、フフン(鼻歌)。
もう完全に私のブログ状態ですね。いやスミマセン(*´з`)。
[YouTubeで再生]
バッハのアヴェ・マリア。『サンクタ、マリア、マリア』というサビ(?)の
部分がゾクっとするでしょ?
↓も良いですねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=uv4Wya7HSJ...
バッハのアヴェ・マリア。『サンクタ、マリア、マリア』というサビ(?)の
部分がゾクっとするでしょ?
↓も良いですねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=uv4Wya7HSJ...
[YouTubeで再生]
Pescador de Hombres ペスカドール・デ・オンブレス 主は水辺に立ちて。
主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、
主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、水辺に小舟を捨てて、
共に海に出よう。
ちょっと違ってたね・・・テヘペロ(古)。
Pescador de Hombres ペスカドール・デ・オンブレス 主は水辺に立ちて。
主は水辺に立ちて私に声をかけた、ただついて来て欲しいと、
主よ私を見つめ微笑みわが名を呼ぶ、水辺に小舟を捨てて、
共に海に出よう。
ちょっと違ってたね・・・テヘペロ(古)。
http://www.youtube.com/watch?v=5rBEcokvsF...
ヘンデルのオンブラ・マイ・フも良いですね。
キャスリーンバトルは良い声です。彼女のCDも何枚か持ってます。
彼女が歌うバッハのアヴェ・マリアも良いですよ。
惜しむらくは、古いCDがなかなかデジタルリマスタリングされない点ですね。
クラシックは売れないのかなあ。
それにしてもバトルもマイケル・ジャクソンみたいになんか白くなったみたい?
ポールの日本公演、チケット申し込みましたか?
S席の抽選、厳しいかなあ。
でもまたYesterdayやHey JudeやHere Todayなんでしょ?
Driving RainとかRun Devil Runを演って欲しいんだけどなあ。
しかしアメーバズシークレットのブートのHere Todayは名演ですよ。
歌の途中でポールが涙声になってしまうの。このブートは音源もオフィシャル盤と同じで、
たぶんアメーバレコードショップが直接流出させた物。編集もプロの仕事だし。
感動するからぜひとも買うべしですね。買える店のリンク貼りましょうか?
いらない? ああそうですか・・・。
だんだん話がそれてますかね。
ヘンデルのオンブラ・マイ・フも良いですね。
キャスリーンバトルは良い声です。彼女のCDも何枚か持ってます。
彼女が歌うバッハのアヴェ・マリアも良いですよ。
惜しむらくは、古いCDがなかなかデジタルリマスタリングされない点ですね。
クラシックは売れないのかなあ。
それにしてもバトルもマイケル・ジャクソンみたいになんか白くなったみたい?
ポールの日本公演、チケット申し込みましたか?
S席の抽選、厳しいかなあ。
でもまたYesterdayやHey JudeやHere Todayなんでしょ?
Driving RainとかRun Devil Runを演って欲しいんだけどなあ。
しかしアメーバズシークレットのブートのHere Todayは名演ですよ。
歌の途中でポールが涙声になってしまうの。このブートは音源もオフィシャル盤と同じで、
たぶんアメーバレコードショップが直接流出させた物。編集もプロの仕事だし。
感動するからぜひとも買うべしですね。買える店のリンク貼りましょうか?
いらない? ああそうですか・・・。
だんだん話がそれてますかね。
今日の主日のミサは『求めなさい。そうすれば与えられる』に関連して、神様を値切る話でした。
値切るなんて電気屋みたいですね。ソドムとゴモラの町についてアブラハムと神の問答があります。
ア『もし50人の正しい者がいても、その正しい50人もろとも、町を滅ぼすのですか?』。
神『その50人のために町を滅ぼさない』。
ア『45人では?』神『その45人のために町を滅ぼさない』。
ア『怒らずに聞いてください、30人では?』神『その30人のために町を滅ぼさない』。
ア『しつこくてスミマセン、20人かも知れません』神『その20人のために町を滅ぼさない』。
ア『もう一声、どうか10人しかいないかも知れません』神『その10人のために町を滅ぼさない』。
こうしてアブラハムは神を値切ることに成功したのですね。
『求めなさい。そうすれば与えられる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる』という聖書の言葉も
同じだと言うのですね。一回だけドアをノックしても『うるさいなあ』と居留守を使われるかも知れ
ないので、何度もドンドンと叩き続けるのです。そうすれば『ああ、わかったわかった』と出てきて
くれる。神様だって忙しいので、何度もしつこくお祈りするというのも大事なんですね。
そういった意味でロザリオの祈りは重要だと思うんです。あれは回数にこだわる余り、何を祈ってるんだか
途中で意味不明と思ったりもしますが、そういった事なんですね。粘着力が信仰でも大事なんだと。
イグナチオのエルナンデス神父様も、『ロザリオの祈りをしてますか?』といつも言いますよね。
値切るなんて電気屋みたいですね。ソドムとゴモラの町についてアブラハムと神の問答があります。
ア『もし50人の正しい者がいても、その正しい50人もろとも、町を滅ぼすのですか?』。
神『その50人のために町を滅ぼさない』。
ア『45人では?』神『その45人のために町を滅ぼさない』。
ア『怒らずに聞いてください、30人では?』神『その30人のために町を滅ぼさない』。
ア『しつこくてスミマセン、20人かも知れません』神『その20人のために町を滅ぼさない』。
ア『もう一声、どうか10人しかいないかも知れません』神『その10人のために町を滅ぼさない』。
こうしてアブラハムは神を値切ることに成功したのですね。
『求めなさい。そうすれば与えられる。門を叩きなさい。そうすれば開かれる』という聖書の言葉も
同じだと言うのですね。一回だけドアをノックしても『うるさいなあ』と居留守を使われるかも知れ
ないので、何度もドンドンと叩き続けるのです。そうすれば『ああ、わかったわかった』と出てきて
くれる。神様だって忙しいので、何度もしつこくお祈りするというのも大事なんですね。
そういった意味でロザリオの祈りは重要だと思うんです。あれは回数にこだわる余り、何を祈ってるんだか
途中で意味不明と思ったりもしますが、そういった事なんですね。粘着力が信仰でも大事なんだと。
イグナチオのエルナンデス神父様も、『ロザリオの祈りをしてますか?』といつも言いますよね。
[YouTubeで再生]
聖歌『ごらんよ空の鳥』。これも好きですね。今日のミサでも歌いました。
私は聖書の中でこの場面がとても美しい雄大なイメージで好きですね。
空を飛ぶ鳥を見なさい。あの者たちは働きもしないのに神様はちゃんと養ってくださる。野に咲く
花を見なさい。明日は炉に投げ込まれるかも知れない雑草なのに、神様はあのように美しく装って
くださる。だから明日のことを思い患わなくてもいいんですよ。今日を充実して生きれば、おのず
と素晴らしい明日が待っているじゃないですか。
・・・私の身勝手な超訳ですがイエスのお言葉です。美しいイメージですね。
聖歌『ごらんよ空の鳥』。これも好きですね。今日のミサでも歌いました。
私は聖書の中でこの場面がとても美しい雄大なイメージで好きですね。
空を飛ぶ鳥を見なさい。あの者たちは働きもしないのに神様はちゃんと養ってくださる。野に咲く
花を見なさい。明日は炉に投げ込まれるかも知れない雑草なのに、神様はあのように美しく装って
くださる。だから明日のことを思い患わなくてもいいんですよ。今日を充実して生きれば、おのず
と素晴らしい明日が待っているじゃないですか。
・・・私の身勝手な超訳ですがイエスのお言葉です。美しいイメージですね。
私のブログへようこそ(笑)!!
皆さんは中国の宗教事情についてご存知ですか?
中国は先進国ぶって『信教の自由』を謳ってますが、実のところ宗教に自由はありません。
記憶に新しいところでは、法輪功の弾圧がありますね。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/c87db50725505e...
中国が、独立国だった仏教国チベットを蹂躙しているのもご存知でしょう?
ダライ・ラマはチベットに戻れません。
実はカトリックも迫害の対象なのです。一応中国には『中国天主教愛国会』というカトリック教会
を詐称する団体がありますが、愛国会という名前が示す通り、中国政府の御用教会で、バチカンとは
何ら関係がありません。中国は、バチカンが台湾との国交を破棄しなければ、バチカンとの国交を
結ばないと主張するのです。日本の場合はあっさりと台湾を捨てて中国に頭を下げましたが、誇り高い
バチカンがそんな屈辱的な事をするはずもありません。だから中国には正式にバチカンから任命され
た司祭はいないのです。したがって本物のカトリック信徒も存在しないわけです(公には)。
でも実際のところバチカン公認の中国人司祭はいるらしいのです。7月某日、イグナチオ教会の某所で
イエズス会の東アジア&オセアニアの司祭会議が開かれたらしいのですが、そこに中国人司祭もやって
来て、中国の窮状を訴えたらしいのです。彼らは中国に正式に入国できないらしいし、仮に身分を偽っ
て入国できても、地下活動しかできないらしいのです。『らしいらしい』と連発したのは、バチカンも
これらについて何も公式発表しないし、イエズス会も何も言わないので、実情も私の憶測だからです。
中国のカトというと罰当たりのアグネスチャンが思い浮かびますが、何万というカト信徒が本当の司祭
を待ち望んでいるはずです。だから私たちも、中国の兄弟姉妹たちのために祈ろうではありませんか。
皆さんは中国の宗教事情についてご存知ですか?
中国は先進国ぶって『信教の自由』を謳ってますが、実のところ宗教に自由はありません。
記憶に新しいところでは、法輪功の弾圧がありますね。
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/c87db50725505e...
中国が、独立国だった仏教国チベットを蹂躙しているのもご存知でしょう?
ダライ・ラマはチベットに戻れません。
実はカトリックも迫害の対象なのです。一応中国には『中国天主教愛国会』というカトリック教会
を詐称する団体がありますが、愛国会という名前が示す通り、中国政府の御用教会で、バチカンとは
何ら関係がありません。中国は、バチカンが台湾との国交を破棄しなければ、バチカンとの国交を
結ばないと主張するのです。日本の場合はあっさりと台湾を捨てて中国に頭を下げましたが、誇り高い
バチカンがそんな屈辱的な事をするはずもありません。だから中国には正式にバチカンから任命され
た司祭はいないのです。したがって本物のカトリック信徒も存在しないわけです(公には)。
でも実際のところバチカン公認の中国人司祭はいるらしいのです。7月某日、イグナチオ教会の某所で
イエズス会の東アジア&オセアニアの司祭会議が開かれたらしいのですが、そこに中国人司祭もやって
来て、中国の窮状を訴えたらしいのです。彼らは中国に正式に入国できないらしいし、仮に身分を偽っ
て入国できても、地下活動しかできないらしいのです。『らしいらしい』と連発したのは、バチカンも
これらについて何も公式発表しないし、イエズス会も何も言わないので、実情も私の憶測だからです。
中国のカトというと罰当たりのアグネスチャンが思い浮かびますが、何万というカト信徒が本当の司祭
を待ち望んでいるはずです。だから私たちも、中国の兄弟姉妹たちのために祈ろうではありませんか。
この流れは・・傘地蔵誕生前夜と似ている。
私のブログにようこそ!!
先に400年以上前、安土と有馬にイエズス会の神学校があったと話しましたが、
その安土の神学校でのこと。ある時、突然に織田信長がアポ無しで安土の
神学校を訪れたのです。鷹狩の帰りだった由。
そこで日本人生徒たちは、チェンバロを始めオルガンやバイオリンで西洋音楽
を演奏し、信長に聴かせたそうです。初めて西洋音楽に接した彼はどんな気分
だったのでしょう。その時演奏されたチェンバロの曲も以下のような感じでしょうかね。
信長は大変気に入って、それを演奏した日向国の少年を褒めたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=qTlbfD5Ts-...
私はこのような音楽を聴いた時の彼の驚きを想像し、織田信長がとても身近に感じてしまいます。
西洋音楽に感動した戦国大名は他にもいますね。今の大分県の大友宗麟です。彼はキリシタン大名
としても有名です。彼がこの調べを聴いた時、宣教師に『これは何か?』と尋ねたんですね。宣教師の
答は『ムシカ』、ミュージックのことですね。大友宗麟は唸って『うーむ、ムシカか・・・ムシカね・・・
ムシカ・・・無鹿!!』。そしてキリシタンの理想郷を作って自分の本拠地にしようと、そして
その町の名前を無鹿にしようとしたんです。『音楽』という名前の町なんて素敵ですね。
しかし志半ばにしてこの夢は潰えます。島津勢の大群に攻められ、大友宗麟は逃げざるを得なかった
んですね。でもこの町『無鹿町』は今も宮崎県延岡市にあります。
たぶん無鹿町の名前の由来を地元の人でも知らないんじゃ無いでしょうか。
先に400年以上前、安土と有馬にイエズス会の神学校があったと話しましたが、
その安土の神学校でのこと。ある時、突然に織田信長がアポ無しで安土の
神学校を訪れたのです。鷹狩の帰りだった由。
そこで日本人生徒たちは、チェンバロを始めオルガンやバイオリンで西洋音楽
を演奏し、信長に聴かせたそうです。初めて西洋音楽に接した彼はどんな気分
だったのでしょう。その時演奏されたチェンバロの曲も以下のような感じでしょうかね。
信長は大変気に入って、それを演奏した日向国の少年を褒めたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=qTlbfD5Ts-...
私はこのような音楽を聴いた時の彼の驚きを想像し、織田信長がとても身近に感じてしまいます。
西洋音楽に感動した戦国大名は他にもいますね。今の大分県の大友宗麟です。彼はキリシタン大名
としても有名です。彼がこの調べを聴いた時、宣教師に『これは何か?』と尋ねたんですね。宣教師の
答は『ムシカ』、ミュージックのことですね。大友宗麟は唸って『うーむ、ムシカか・・・ムシカね・・・
ムシカ・・・無鹿!!』。そしてキリシタンの理想郷を作って自分の本拠地にしようと、そして
その町の名前を無鹿にしようとしたんです。『音楽』という名前の町なんて素敵ですね。
しかし志半ばにしてこの夢は潰えます。島津勢の大群に攻められ、大友宗麟は逃げざるを得なかった
んですね。でもこの町『無鹿町』は今も宮崎県延岡市にあります。
たぶん無鹿町の名前の由来を地元の人でも知らないんじゃ無いでしょうか。
をいをい、ハンドルネームが某コテハンさんになってるぞ。これじゃコテハンの意味がないじやん。
私のブログにようこそ!!
イグナチオ教会の片隅にひとつの建物があります。その名は岐部(きべ)ホール。
二階の図書室にはキリスト教関係の蔵書があり誰でも利用できます。また五階には
SARO君の大好きなイエズス会日本管区『会計室』があります。ただしこの階には
エレベーターは止まらず、階段室には施錠がされており一般人は中をうかがい知る
ことは出来ません。
問題はそこでは無く『岐部ホール』という名前です。岐部という人は戦国末期から江戸時代初期
まで実在した人で、洗礼名をペトロ岐部といいます。彼は西暦1600年、まさに関ヶ原の合戦が行わ
れたその年、有馬の神学校に入学したのですが、その後の徳川幕府のキリシタン弾圧でイエズス会
の司祭や修道士たちと共にマカオへ追放になりました。
そのマカオで岐部はキリスト教の司祭を目指そうとしたのですが、マカオの偉い人の黄色人種への
偏見が酷く、マカオでは司祭になれないことを悟り、マカオを脱走してローマを目指しました。
その途上、聖地エルサレムを訪れています。ローマに行った日本人は岐部の前にも天正少年使節団
がいたんですが、エルサレムを訪れた日本人は岐部が初めてです。
その間、マカオのイエズス会からローマへ『そちらに野蛮人が向っているので相手にしないように』
というような書簡が届けられたのですが、岐部と面会したローマのイエズス会では、彼の知性や
学識が高いのに驚き、かつ人格も適切であると認め、彼を司祭に叙階したのです。
その後、彼はキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる日本を目指して密入国を果たし、あちこちに潜伏し
ながら布教活動を行ったのですが、やがて徳川幕府に逮捕され、拷問の挙句に処刑されました。
日本の信徒としては、岐部の行動はまことに誇らしい限りです。その彼を記念して岐部ホールも
名づけられました。この物語は遠藤周作が銃と十字架という小説に著しています。
イグナチオ教会の片隅にひとつの建物があります。その名は岐部(きべ)ホール。
二階の図書室にはキリスト教関係の蔵書があり誰でも利用できます。また五階には
SARO君の大好きなイエズス会日本管区『会計室』があります。ただしこの階には
エレベーターは止まらず、階段室には施錠がされており一般人は中をうかがい知る
ことは出来ません。
問題はそこでは無く『岐部ホール』という名前です。岐部という人は戦国末期から江戸時代初期
まで実在した人で、洗礼名をペトロ岐部といいます。彼は西暦1600年、まさに関ヶ原の合戦が行わ
れたその年、有馬の神学校に入学したのですが、その後の徳川幕府のキリシタン弾圧でイエズス会
の司祭や修道士たちと共にマカオへ追放になりました。
そのマカオで岐部はキリスト教の司祭を目指そうとしたのですが、マカオの偉い人の黄色人種への
偏見が酷く、マカオでは司祭になれないことを悟り、マカオを脱走してローマを目指しました。
その途上、聖地エルサレムを訪れています。ローマに行った日本人は岐部の前にも天正少年使節団
がいたんですが、エルサレムを訪れた日本人は岐部が初めてです。
その間、マカオのイエズス会からローマへ『そちらに野蛮人が向っているので相手にしないように』
というような書簡が届けられたのですが、岐部と面会したローマのイエズス会では、彼の知性や
学識が高いのに驚き、かつ人格も適切であると認め、彼を司祭に叙階したのです。
その後、彼はキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる日本を目指して密入国を果たし、あちこちに潜伏し
ながら布教活動を行ったのですが、やがて徳川幕府に逮捕され、拷問の挙句に処刑されました。
日本の信徒としては、岐部の行動はまことに誇らしい限りです。その彼を記念して岐部ホールも
名づけられました。この物語は遠藤周作が銃と十字架という小説に著しています。
削除
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昨日語った天正少年使節団は正式には天正遣欧少年使節ですね。
これはウィキを見た方が早いでしょう。彼らは往復8年もかけて
ローマ法王に謁見して来ました。
天正少年使節はアフリカの喜望峰回りで欧州に行ったのですが、伊達藩の支倉常長はアメリカ大陸
経由でローマに行きました。支倉常長をモデルにした小説も遠藤周作氏が侍という題で著して
います。小説では、普段は畑を耕しているようなただの善良な下級武士の地侍である主人公が、
突然に伊達のお殿様に召し出され、少数の供を連れ外人司祭の案内でローマに行くことになり、
その善良さゆえに殿の命令と思い欧州で洗礼を受けるのです。小説は司祭のはやる功名心や侍の
葛藤、長い苦しい旅路を描き盛り上がります。帰国する侍を待っているのは、豊臣秀吉による
バテレン追放令が出た日本。善良な侍が、その善良さゆえにこうむる悲劇とは。まあこれは小説
を読んでいただきたい所です。
カトリックでは『地には善意の人に平和あれ』と教えますが、遠藤氏の描く善意の人は、大抵
弱く、最後には悲劇が待っています。『沈黙』とか『ある男の一生』などは、善意であろうと
する人の悲劇と言えるのではないでしょうか。
天正少年使節団はグーテンベルグの印刷機を土産に持って帰りました。天正少年使節団に付き従った
日本人修道士は活字の制作方法も学んで来ました。何と驚くことに天正少年使節団が欧州に行った
時点で、既に別の日本人修道士がポルトガルにいたんですね。彼の手伝いもあり活字の作り方も
教わることが出来たんです。
昨日語った天正少年使節団は正式には天正遣欧少年使節ですね。
これはウィキを見た方が早いでしょう。彼らは往復8年もかけて
ローマ法王に謁見して来ました。
天正少年使節はアフリカの喜望峰回りで欧州に行ったのですが、伊達藩の支倉常長はアメリカ大陸
経由でローマに行きました。支倉常長をモデルにした小説も遠藤周作氏が侍という題で著して
います。小説では、普段は畑を耕しているようなただの善良な下級武士の地侍である主人公が、
突然に伊達のお殿様に召し出され、少数の供を連れ外人司祭の案内でローマに行くことになり、
その善良さゆえに殿の命令と思い欧州で洗礼を受けるのです。小説は司祭のはやる功名心や侍の
葛藤、長い苦しい旅路を描き盛り上がります。帰国する侍を待っているのは、豊臣秀吉による
バテレン追放令が出た日本。善良な侍が、その善良さゆえにこうむる悲劇とは。まあこれは小説
を読んでいただきたい所です。
カトリックでは『地には善意の人に平和あれ』と教えますが、遠藤氏の描く善意の人は、大抵
弱く、最後には悲劇が待っています。『沈黙』とか『ある男の一生』などは、善意であろうと
する人の悲劇と言えるのではないでしょうか。
天正少年使節団はグーテンベルグの印刷機を土産に持って帰りました。天正少年使節団に付き従った
日本人修道士は活字の制作方法も学んで来ました。何と驚くことに天正少年使節団が欧州に行った
時点で、既に別の日本人修道士がポルトガルにいたんですね。彼の手伝いもあり活字の作り方も
教わることが出来たんです。
この印刷機では色々な聖典も印刷されたし、日本の書物である太平記なども印刷されたんですね。
このころ、イソップ寓話も日本にもたらされ印刷されたんですよね。
天正少年使節団が帰国したのも秀吉のバテレン追放令が出た後なのです。しかしこの追放令も有名無
実化してたんですね。追放令に対してイエズス会は日本の経済封鎖に出たんです。秀吉は有能な武士
である前に有能な商売人でしたから、生糸の南蛮貿易でしこたま儲けていたんですよ。おりしも
朝鮮出兵で戦費がかさんでいましたから、南蛮船が来なくなって秀吉は困りました。そこで、建前は
キリシタン禁止で、本音は見て見ぬふりをすることにしたんです。
だからイエズス会の外人宣教師たちも徳川政権の初期まで日本にいることが出来たんですね。でも
天正少年使節団の少年たちは、アジアやインドなどが白人キリスト教徒の植民地となり、同じ黄色
人種の現地人が奴隷となっているのを見てしまったんですね。だから彼らの内の一人は後に棄教しま
した。『日本での耶蘇教の布教は日本を彼らの植民地とするのが目的である』と言って。
このころ、イソップ寓話も日本にもたらされ印刷されたんですよね。
天正少年使節団が帰国したのも秀吉のバテレン追放令が出た後なのです。しかしこの追放令も有名無
実化してたんですね。追放令に対してイエズス会は日本の経済封鎖に出たんです。秀吉は有能な武士
である前に有能な商売人でしたから、生糸の南蛮貿易でしこたま儲けていたんですよ。おりしも
朝鮮出兵で戦費がかさんでいましたから、南蛮船が来なくなって秀吉は困りました。そこで、建前は
キリシタン禁止で、本音は見て見ぬふりをすることにしたんです。
だからイエズス会の外人宣教師たちも徳川政権の初期まで日本にいることが出来たんですね。でも
天正少年使節団の少年たちは、アジアやインドなどが白人キリスト教徒の植民地となり、同じ黄色
人種の現地人が奴隷となっているのを見てしまったんですね。だから彼らの内の一人は後に棄教しま
した。『日本での耶蘇教の布教は日本を彼らの植民地とするのが目的である』と言って。
ユダヤ教からキリスト教へと派生した経緯を教えてたも
>>71
ユダヤ教にはついてはよくわからないのですが、>>52で例に出したように、ユダヤ教は旧約聖書
を元に独自の発展をしたようです。
キリスト教はもちろん新約聖書を元にしていますが、この新約というのも旧約聖書を踏まえた
ものであるのは当然ですよね。新約聖書の中でイエスは、古い律法を守るのは当然とし、さらに
それを上回るようにしなさいと言われます。
例えば『目には目を、歯には歯を』と昔は教えられたかも知れないが、右の頬を打たれたら左の
頬も出しなさい、と言われます。
何かで読んだのですが、現在のキリスト教は本当はパウロ教と言うべきなんだそうです。というの
もキリスト教がヨーロッパにもたらされたのも彼の影響が大きいからです。
新約聖書にしても中に似たような四つの福音書があるのですが、これも数多くあった福音書の中
から、意図的に選ばれたようですね。初期のキリスト教宣教師が意図的に選んだのかも。
ずいぶん昔ですが、死海文書と呼ばれるものの中から、失われた福音書が発見されたというニュ
ースもありました。確かに現在の新約聖書の福音書は意図的だと思います。
例えば、マタイの福音書は当時のユダヤ教の人向けに書かれています。いきなり旧約聖書の登場
人物がずらずらと登場し、旧約で言うメシアがイエス・キリストだとしています。マルコの福音書は
ローマ人向けに、ルカは異教徒向けに書かれたものであることは明らかです。ヨハネの福音書は
別格ですね。詩的に高らかに神の愛を唱えます。格調高いです。
そんなわけで、西暦1世紀から2世紀の間に、パウロの教えを元にした今の形のキリスト教が完成
したものと私は考えます。3世紀には既に教えを説くイエスの絵が描かれていますからね。私は
もちろん、神学など学んでいませんから、以上はグータラな名も無い信徒の私的見解です。
ユダヤ教にはついてはよくわからないのですが、>>52で例に出したように、ユダヤ教は旧約聖書
を元に独自の発展をしたようです。
キリスト教はもちろん新約聖書を元にしていますが、この新約というのも旧約聖書を踏まえた
ものであるのは当然ですよね。新約聖書の中でイエスは、古い律法を守るのは当然とし、さらに
それを上回るようにしなさいと言われます。
例えば『目には目を、歯には歯を』と昔は教えられたかも知れないが、右の頬を打たれたら左の
頬も出しなさい、と言われます。
何かで読んだのですが、現在のキリスト教は本当はパウロ教と言うべきなんだそうです。というの
もキリスト教がヨーロッパにもたらされたのも彼の影響が大きいからです。
新約聖書にしても中に似たような四つの福音書があるのですが、これも数多くあった福音書の中
から、意図的に選ばれたようですね。初期のキリスト教宣教師が意図的に選んだのかも。
ずいぶん昔ですが、死海文書と呼ばれるものの中から、失われた福音書が発見されたというニュ
ースもありました。確かに現在の新約聖書の福音書は意図的だと思います。
例えば、マタイの福音書は当時のユダヤ教の人向けに書かれています。いきなり旧約聖書の登場
人物がずらずらと登場し、旧約で言うメシアがイエス・キリストだとしています。マルコの福音書は
ローマ人向けに、ルカは異教徒向けに書かれたものであることは明らかです。ヨハネの福音書は
別格ですね。詩的に高らかに神の愛を唱えます。格調高いです。
そんなわけで、西暦1世紀から2世紀の間に、パウロの教えを元にした今の形のキリスト教が完成
したものと私は考えます。3世紀には既に教えを説くイエスの絵が描かれていますからね。私は
もちろん、神学など学んでいませんから、以上はグータラな名も無い信徒の私的見解です。
当時のローマにはギリシャ神話の焼き直しのような神話しか無かったわけでしたから、
原罪、癒し、赦し、神の無限の愛、死からの復活など哲学的な命題をひっさげたキリスト教は人々の興味を惹き付けでしょう。
でも初期のキリスト教は弾圧されました。
地に宝を積むより天に積めとか、誰も二人の君主につかえてはならない、というのですから
時の君主に面白いわけがありません。
あるローマの名家もキリスト教ということで、逮捕されました。
その中でも幼い少女アグネスは、勇敢にも棄教を拒否し、
13才の若さで殉教しました。
今日、彼女は聖人に列っせられ、聖アグネスの日が祝われます。
この日には恋人通しがプレゼントのやりとりをする国もあるそうです。
原罪、癒し、赦し、神の無限の愛、死からの復活など哲学的な命題をひっさげたキリスト教は人々の興味を惹き付けでしょう。
でも初期のキリスト教は弾圧されました。
地に宝を積むより天に積めとか、誰も二人の君主につかえてはならない、というのですから
時の君主に面白いわけがありません。
あるローマの名家もキリスト教ということで、逮捕されました。
その中でも幼い少女アグネスは、勇敢にも棄教を拒否し、
13才の若さで殉教しました。
今日、彼女は聖人に列っせられ、聖アグネスの日が祝われます。
この日には恋人通しがプレゼントのやりとりをする国もあるそうです。
しかしローマ帝国のキリスト教政策も、皇帝が代わるたびに規制と緩和を繰り返しました。
これがかえってキリスト教徒の団結を生み、欧州に深い根を下ろすことになったのでしょう。
逆にユダヤ教への弾圧はほとんど無かったため、ユダヤ人の間にユダヤ教は残りました。
パウロがイスラエルから持ち帰った聖典によるキリスト教は、原始キリスト教と呼ばれる物
で、聖典も色々あったようですが、西暦2〜3世紀の間に聖典の中から4編の福音書と使徒行伝
が選ばれ、近代的なキリスト教へと変遷して行ったのではないでしょうか。
というのも、最後に書かれたといわれる最も洗練されたヨハネの福音書が著された年代が、
その後の研究で西暦95年〜100年の間と推定されているからです。
このようにベツレヘムの生まれ、ナザレのイエスの教えは、地元イスラエルには根付かず、
欧州に深く根付いてしまいました。キリスト教が本当はパウロ教だという揶揄も、
そんな点を指して言っているのだと思います。
まったく私のブログですね。
これがかえってキリスト教徒の団結を生み、欧州に深い根を下ろすことになったのでしょう。
逆にユダヤ教への弾圧はほとんど無かったため、ユダヤ人の間にユダヤ教は残りました。
パウロがイスラエルから持ち帰った聖典によるキリスト教は、原始キリスト教と呼ばれる物
で、聖典も色々あったようですが、西暦2〜3世紀の間に聖典の中から4編の福音書と使徒行伝
が選ばれ、近代的なキリスト教へと変遷して行ったのではないでしょうか。
というのも、最後に書かれたといわれる最も洗練されたヨハネの福音書が著された年代が、
その後の研究で西暦95年〜100年の間と推定されているからです。
このようにベツレヘムの生まれ、ナザレのイエスの教えは、地元イスラエルには根付かず、
欧州に深く根付いてしまいました。キリスト教が本当はパウロ教だという揶揄も、
そんな点を指して言っているのだと思います。
まったく私のブログですね。
引き続きどうも
最後におききします
これはキリスト教を信仰するdesperadoさんの気を害すかもしれませんがお許しください
私はキリスト教を学んだことはありません
知識量はおそらくあなた様の耳垢より少ないでしょう
そんな私には強いルサンチマンを持った人たち(大衆)をうまくとりこむために
キリスト教は作られたように思えるのです
一方で指導者が大衆をうまく扱うことにおいても都合がいいように思います
desperadoさんはこのような意見をお聞きになったことがあるかと思います
そして盲目的な信者ではないとお見受けしているので
わずかながら共感して頂ける点はあるのではないかと思います
しかし、それでも何故信じることができるのか
教えてたも
最後におききします
これはキリスト教を信仰するdesperadoさんの気を害すかもしれませんがお許しください
私はキリスト教を学んだことはありません
知識量はおそらくあなた様の耳垢より少ないでしょう
そんな私には強いルサンチマンを持った人たち(大衆)をうまくとりこむために
キリスト教は作られたように思えるのです
一方で指導者が大衆をうまく扱うことにおいても都合がいいように思います
desperadoさんはこのような意見をお聞きになったことがあるかと思います
そして盲目的な信者ではないとお見受けしているので
わずかながら共感して頂ける点はあるのではないかと思います
しかし、それでも何故信じることができるのか
教えてたも
>>78
ルサンチマンを強者に対する弱者の遠吠えや持たざる者の不満ととらえるならば、その推測は
半ば当たっていると言わざるを得ないでしょう。新約聖書の内容も、当時の強者であるところの
徴税人(税金取り)を悪人にしたり、金持ちは天の国に入れないかのように記述され、当時の
多数派だった(まあ今もですが)弱者を取り込みたいという意図は明らかです。
ちょっと考えると、これは強者たる指導者階層(領主とか君主とか)には都合が悪いと言えます。
地に富を積むのを悪とし、神を選ぶか君主を選ぶか二者択一を迫る教理は、指導者階層には
都合が悪いのではないでしょうか。にもかかわらず、キリスト教は最初は地方の領主など、
中間層に受け入れられました。そして配下の家来や農民層に強制させられたりします。戦国
末期の日本でのキリスト教の受け入れも地方の大名層からでした。そして家来や領地の農民は
半ば強制的に受洗させられました。
少し突っ込んで考えれば、これは当然の成り行きでしょう。当時の弱者である農民たちを慰撫
するのに、これはとても有効な手段です。持たざる者は、宣教師が説く聖書の教えに、日ごろの
うっぷんを晴らし溜飲を下げたことでしょう。だからローマ帝国もキリスト教を迫害したり
緩和したり、皇帝が代わるたびにふらふらしたのですね。
現在のカトリックでは金持ちを悪とせず、金への執着が悪だと教えます。古い律法も否定して
キリスト者は自由だと教えます。新約聖書の解釈の仕方だというのですが、これも中間層を自認
する人々が多くなったことへの対処でしょうか。でなければ信徒が逃げてしまいますからね。
ルサンチマンを強者に対する弱者の遠吠えや持たざる者の不満ととらえるならば、その推測は
半ば当たっていると言わざるを得ないでしょう。新約聖書の内容も、当時の強者であるところの
徴税人(税金取り)を悪人にしたり、金持ちは天の国に入れないかのように記述され、当時の
多数派だった(まあ今もですが)弱者を取り込みたいという意図は明らかです。
ちょっと考えると、これは強者たる指導者階層(領主とか君主とか)には都合が悪いと言えます。
地に富を積むのを悪とし、神を選ぶか君主を選ぶか二者択一を迫る教理は、指導者階層には
都合が悪いのではないでしょうか。にもかかわらず、キリスト教は最初は地方の領主など、
中間層に受け入れられました。そして配下の家来や農民層に強制させられたりします。戦国
末期の日本でのキリスト教の受け入れも地方の大名層からでした。そして家来や領地の農民は
半ば強制的に受洗させられました。
少し突っ込んで考えれば、これは当然の成り行きでしょう。当時の弱者である農民たちを慰撫
するのに、これはとても有効な手段です。持たざる者は、宣教師が説く聖書の教えに、日ごろの
うっぷんを晴らし溜飲を下げたことでしょう。だからローマ帝国もキリスト教を迫害したり
緩和したり、皇帝が代わるたびにふらふらしたのですね。
現在のカトリックでは金持ちを悪とせず、金への執着が悪だと教えます。古い律法も否定して
キリスト者は自由だと教えます。新約聖書の解釈の仕方だというのですが、これも中間層を自認
する人々が多くなったことへの対処でしょうか。でなければ信徒が逃げてしまいますからね。
と最後はグータラな正体がばれた所で、先に述べた徴税人がなぜ悪人か。これは現代に当てはめ
れば税務署の役人なわけで、ちょっと悪人と呼ぶにはかわいそうです(いや現代でも十分悪人
ですけどね)・・・苦笑。この徴税人という人たちは、ローマ帝国の植民地だったイスラエルの
の人たちから、ローマ帝国への税金を巻き上げる輩だから悪人なのです。敵のために働くわけで
すからね。それに善良な人々から多めな税金を巻き上げ、何割も自分のふところに入れてしまう
のです。徴税人という職業が成り立つわけですから大衆も嫌悪の目で見たことでしょう。そんな
当時のイスラエル事情を知りながら聖書を読むと、読み物としてもとても興味深い本だと気づき
ます。
キリスト教は時代時代によって二転三転してきました。イエズス会が出来た頃から雲行きも次第
に怪しくなり、やがて新教と旧教にわかれて行きました。だからイエズス会を新教に対する防波
堤と見る向きもあります。これはちょうど豊臣秀吉のキリスト教禁止令や徳川家康の禁止令が
出された当時と重なります。イエズス会の経済封鎖によって秀吉の禁教策は有名無実化しまし
たが、新教国出身のウィリアムアダムス(三浦按針)を顧問に迎えた家康は、安心して旧教国
であるポルトガルやスペインの宣教師を国外追放し、新教国であるオランダとの宗教抜きでの
貿易を手に入れました。
れば税務署の役人なわけで、ちょっと悪人と呼ぶにはかわいそうです(いや現代でも十分悪人
ですけどね)・・・苦笑。この徴税人という人たちは、ローマ帝国の植民地だったイスラエルの
の人たちから、ローマ帝国への税金を巻き上げる輩だから悪人なのです。敵のために働くわけで
すからね。それに善良な人々から多めな税金を巻き上げ、何割も自分のふところに入れてしまう
のです。徴税人という職業が成り立つわけですから大衆も嫌悪の目で見たことでしょう。そんな
当時のイスラエル事情を知りながら聖書を読むと、読み物としてもとても興味深い本だと気づき
ます。
キリスト教は時代時代によって二転三転してきました。イエズス会が出来た頃から雲行きも次第
に怪しくなり、やがて新教と旧教にわかれて行きました。だからイエズス会を新教に対する防波
堤と見る向きもあります。これはちょうど豊臣秀吉のキリスト教禁止令や徳川家康の禁止令が
出された当時と重なります。イエズス会の経済封鎖によって秀吉の禁教策は有名無実化しまし
たが、新教国出身のウィリアムアダムス(三浦按針)を顧問に迎えた家康は、安心して旧教国
であるポルトガルやスペインの宣教師を国外追放し、新教国であるオランダとの宗教抜きでの
貿易を手に入れました。
ちょっと誤解があるといけないので蛇足ですが、戦国末期に日本にいたキリスト教宣教師は
イエズス会が最も多かったのですが、他の会派、例えばフランシスコ会とかドミニコ会の
宣教師もいました。徳川家康のバテレン追放令におとなしく従ったのは、急進派と見られがち
なイエズス会士が最も多く、その他の会派は何とか地に潜ってでも宣教活動を続けようと
色々画策したようです。これも遠藤周作氏の本に教えられました。
今日、日本でのカトリック教会はイエズス会が最も多く、私の所属するイグナチオ教会も
イエズス会ですから、戦国時代のそんな話がとても身近に感じられてしまいます。
だから私は信長〜秀吉〜家康あたりの歴史がとても好きです。遠藤周作氏や司馬遼太郎氏や
津本陽氏の歴史小説を胸躍らせて読み漁りました。あげく素人の現地調査で、愛知や岐阜や
滋賀県も走り回ったりしたんですよ。蜂須賀屋敷跡や織田信長の息子が生まれた生駒屋敷跡を
発見して『ああ、ここにも遠藤周作氏が立たれたのだな』と感動したものです。
イエズス会が最も多かったのですが、他の会派、例えばフランシスコ会とかドミニコ会の
宣教師もいました。徳川家康のバテレン追放令におとなしく従ったのは、急進派と見られがち
なイエズス会士が最も多く、その他の会派は何とか地に潜ってでも宣教活動を続けようと
色々画策したようです。これも遠藤周作氏の本に教えられました。
今日、日本でのカトリック教会はイエズス会が最も多く、私の所属するイグナチオ教会も
イエズス会ですから、戦国時代のそんな話がとても身近に感じられてしまいます。
だから私は信長〜秀吉〜家康あたりの歴史がとても好きです。遠藤周作氏や司馬遼太郎氏や
津本陽氏の歴史小説を胸躍らせて読み漁りました。あげく素人の現地調査で、愛知や岐阜や
滋賀県も走り回ったりしたんですよ。蜂須賀屋敷跡や織田信長の息子が生まれた生駒屋敷跡を
発見して『ああ、ここにも遠藤周作氏が立たれたのだな』と感動したものです。
私のブログにようこそ!!
カトの皆さん、私は今日のミサの中で聖母マリア様に
『ポールのいい席が取れますように』ととりなしを願って
イグナチオ教会の波動が届くであろう四ツ谷駅前の
サンクスに駆け込み、10列目をゲットできました。
波動とかマリア様を私物化したりとか、電波な奴で申し訳ありません。
それほど私は、ポールをアニミズム的に、かつ盲目的に崇拝しています(苦笑)。
しかし今日のミサのテーマ『人間が苦労してみても何になろう』は意味が深いですよね。
キリスト者はオプティミストと教わっているのに、この言葉の何と悲観的なことか。
聖書朗読も例の『愚かな金持ちのたとえ』。これはちょっと実行が難しいです。
人間は貪欲でないと飯が食えないと思うんですがね。
会社で出世も出来ないし窓際族に甘んじるんですか?
普通だったら宝くじで五億円当てて、一生遊んで暮らしたい所ですが。
ある金持ちの畑が豊作で『今の納屋ではとても収まりきらないから、今の納屋を壊してもっと
大きな納屋を建てよう。そうすれば数年は遊んで暮らせる。しめしめ』と。すると神が『愚か者
め。今夜お前の命は取り上げられる』。でもその金持ちが豊作を神に感謝したらどうなるので
しょう。信仰の浅い生半可な私にはとても不思議な例えです。だから私もポールのチケットを
入手出来たことを神に感謝します。今夜ポックリ逝ったら目も当てられませんからね。
それはそうと、カトの皆さんはこの『聖書と典礼』をどうしてますか?
私は数回読み返したら断捨離!!、それじゃダメじゃん・・・ですか。
でも先週の物は教えを説くイエスの絵がかわいらしくて捨てられません(笑)。
カトの皆さん、私は今日のミサの中で聖母マリア様に
『ポールのいい席が取れますように』ととりなしを願って
イグナチオ教会の波動が届くであろう四ツ谷駅前の
サンクスに駆け込み、10列目をゲットできました。
波動とかマリア様を私物化したりとか、電波な奴で申し訳ありません。
それほど私は、ポールをアニミズム的に、かつ盲目的に崇拝しています(苦笑)。
しかし今日のミサのテーマ『人間が苦労してみても何になろう』は意味が深いですよね。
キリスト者はオプティミストと教わっているのに、この言葉の何と悲観的なことか。
聖書朗読も例の『愚かな金持ちのたとえ』。これはちょっと実行が難しいです。
人間は貪欲でないと飯が食えないと思うんですがね。
会社で出世も出来ないし窓際族に甘んじるんですか?
普通だったら宝くじで五億円当てて、一生遊んで暮らしたい所ですが。
ある金持ちの畑が豊作で『今の納屋ではとても収まりきらないから、今の納屋を壊してもっと
大きな納屋を建てよう。そうすれば数年は遊んで暮らせる。しめしめ』と。すると神が『愚か者
め。今夜お前の命は取り上げられる』。でもその金持ちが豊作を神に感謝したらどうなるので
しょう。信仰の浅い生半可な私にはとても不思議な例えです。だから私もポールのチケットを
入手出来たことを神に感謝します。今夜ポックリ逝ったら目も当てられませんからね。
それはそうと、カトの皆さんはこの『聖書と典礼』をどうしてますか?
私は数回読み返したら断捨離!!、それじゃダメじゃん・・・ですか。
でも先週の物は教えを説くイエスの絵がかわいらしくて捨てられません(笑)。
私のブログにようこそ!!
これはイコン(icon)といいます。イコンはギリシア語で、
英語読みではアイコンです。私たちはこの聖画像に向かって
祈ることが出来ます。しかしこの画自体が神様ではありません。
私たちはこのイコンを通して主なる神にアクセスしやすくなる
のです。何も無い空中を見つめながら、あるいは目を閉じて
祈ってもいいわけですけど、何か祈る対象がある方が便利でしょう?
ひるがえって、英語読みのアイコンですが、これはもうあなたのパソコンのデスクトップやスマホ
画面にいっぱい並んでいるはずです。これもアイコン自体がアプリではありませんよね。
私たちはアイコンをクリックしたりタップすることによって、アプリにアクセスできます。
昔はコマンドプロンプトに直接コマンドをタイプしていたわけですけど、それじゃ不便でしょう?
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を設計した時、このアプリへのショートカット
画像の名前に『アイコン』と付けたのも、やはりキリスト教文化が根強い欧米ならではじゃないで
しょうか。このように私たちは知らず知らずにキリスト教用語を使っています。三位一体とか。
そういった意味で欧米文化を知る上でもキリスト教を学ぶのは有益だと思います。
神にアクセスするicon、アプリにアクセスするicon。まことに含蓄のあるネーミングですね。
『アイコン』は『アイコンタクト』から派生したと思っていた人もいるくらいですから(笑)。
これはイコン(icon)といいます。イコンはギリシア語で、
英語読みではアイコンです。私たちはこの聖画像に向かって
祈ることが出来ます。しかしこの画自体が神様ではありません。
私たちはこのイコンを通して主なる神にアクセスしやすくなる
のです。何も無い空中を見つめながら、あるいは目を閉じて
祈ってもいいわけですけど、何か祈る対象がある方が便利でしょう?
ひるがえって、英語読みのアイコンですが、これはもうあなたのパソコンのデスクトップやスマホ
画面にいっぱい並んでいるはずです。これもアイコン自体がアプリではありませんよね。
私たちはアイコンをクリックしたりタップすることによって、アプリにアクセスできます。
昔はコマンドプロンプトに直接コマンドをタイプしていたわけですけど、それじゃ不便でしょう?
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を設計した時、このアプリへのショートカット
画像の名前に『アイコン』と付けたのも、やはりキリスト教文化が根強い欧米ならではじゃないで
しょうか。このように私たちは知らず知らずにキリスト教用語を使っています。三位一体とか。
そういった意味で欧米文化を知る上でもキリスト教を学ぶのは有益だと思います。
神にアクセスするicon、アプリにアクセスするicon。まことに含蓄のあるネーミングですね。
『アイコン』は『アイコンタクト』から派生したと思っていた人もいるくらいですから(笑)。
SAROいなくなって寂しいんじゃないか?
私のブログにようこそ!!
>>83のイコンは三位一体の神のイメージを描いたものです。オリジナルはロシアの美術館にあって、
これはその模写です。印刷では無く、ひとつひとつ聖職者の方が彩色した物なんですよ。
キリスト教の神様というのは、3つの側面・お姿を持っているのです。すなわち父(父なる神)と
子(イエス)と聖霊です。この三者がひとつになったものが主なる神なのです。これを私たちは
三位一体(さんみいったい)と言います。福音書記者のヨハネによると神とは言葉だけの存在で
誰も姿を見た者は無く、神が肉となって顕れた者がイエスで、そして聖霊となって父の元に還ると
いうイメージです。また聖母マリアを懐胎させたのも聖霊で、聖霊は父なる神の遣いでもあります。
上のイコンで真ん中が父、左がイエス、右が聖霊です。どうして左がイエスと分かるかというと、
聖書の中に『父の右に座している』と書かれているからです。でも三者とも年恰好が同じですよね。
本来なら父が高齢で、子なるイエスが若いはずですが。これは父なる神を老人として描くのが禁止
されているかららしいです。それに神というのは無限の者ですから、永遠に同じ年齢なわけで、
三者とも同じ年恰好で何も矛盾は無いのです。三位一体とはややこしいものです。
ミサの中で司祭が『父と子と聖霊のみ名によって』とおっしゃったら、それに合わせて私たちは
十字を切って『アーメン』と応えます。『主に栄光』と唱える時も十字を切りますね。ミサに与る
時は最低3回十字を切ります。自分で何かの祈りを開始する時も、心の中で『父と子と聖霊のみ名
によって』と祈って十字を切ります。何も祈らずに十字を切ってもいいんですけどね。
この三位一体という言葉もすっかり日本語化してしまって、かなり誤用されていますよね。
ひところ自民党は三位一体の改革などとスローガンに使っていましたが、これは重要な3つの事案を
実行するというような意味に使っていて、あきらかな誤用です。まあ別に構いませんがね。
>>83のイコンは三位一体の神のイメージを描いたものです。オリジナルはロシアの美術館にあって、
これはその模写です。印刷では無く、ひとつひとつ聖職者の方が彩色した物なんですよ。
キリスト教の神様というのは、3つの側面・お姿を持っているのです。すなわち父(父なる神)と
子(イエス)と聖霊です。この三者がひとつになったものが主なる神なのです。これを私たちは
三位一体(さんみいったい)と言います。福音書記者のヨハネによると神とは言葉だけの存在で
誰も姿を見た者は無く、神が肉となって顕れた者がイエスで、そして聖霊となって父の元に還ると
いうイメージです。また聖母マリアを懐胎させたのも聖霊で、聖霊は父なる神の遣いでもあります。
上のイコンで真ん中が父、左がイエス、右が聖霊です。どうして左がイエスと分かるかというと、
聖書の中に『父の右に座している』と書かれているからです。でも三者とも年恰好が同じですよね。
本来なら父が高齢で、子なるイエスが若いはずですが。これは父なる神を老人として描くのが禁止
されているかららしいです。それに神というのは無限の者ですから、永遠に同じ年齢なわけで、
三者とも同じ年恰好で何も矛盾は無いのです。三位一体とはややこしいものです。
ミサの中で司祭が『父と子と聖霊のみ名によって』とおっしゃったら、それに合わせて私たちは
十字を切って『アーメン』と応えます。『主に栄光』と唱える時も十字を切りますね。ミサに与る
時は最低3回十字を切ります。自分で何かの祈りを開始する時も、心の中で『父と子と聖霊のみ名
によって』と祈って十字を切ります。何も祈らずに十字を切ってもいいんですけどね。
この三位一体という言葉もすっかり日本語化してしまって、かなり誤用されていますよね。
ひところ自民党は三位一体の改革などとスローガンに使っていましたが、これは重要な3つの事案を
実行するというような意味に使っていて、あきらかな誤用です。まあ別に構いませんがね。
狭き門というのも日本語化してますが聖書の言葉です。狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は
広く、その道も広々していて、入る人も多い。しかし命に通じる道は狭く、その道も細い。その道
を見つける者も少ない。・・・狭き門をくぐって東大へ・・・は確かに正しい用法ですね(笑)。
SARO君の盗用大などは滅びに通じる広き門だったんじゃないでしょうか?
広く、その道も広々していて、入る人も多い。しかし命に通じる道は狭く、その道も細い。その道
を見つける者も少ない。・・・狭き門をくぐって東大へ・・・は確かに正しい用法ですね(笑)。
SARO君の盗用大などは滅びに通じる広き門だったんじゃないでしょうか?
削除
主の変容の祝日を迎えた今日のイグナチオ教会では、広島原爆の日を忘れないことも
併せて祈念し、日曜日と同じように『天のいと高きところには神に栄光、地には善意
の人に平和あれ』の栄光の賛歌が唱えられました。
聖書朗読はルカの主の変容のくだりです。この時、いずれかの日に訪れるであろう、
エルサレムでの受難を予知していたイエスは弟子たちを連れてある山に登ったのです。
そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエス
がモーセとエリアとお話になっている姿を見たのです。いや彼らは幻覚を見たのかも
知れません。それは弟子たちがとても眠かったと言っているからです。
私たちはこの逸話から何を学ぶべきでしょうか。いずれ訪れる何物かを、喜んで受け
入れる準備をしておくということでしょうか。
併せて祈念し、日曜日と同じように『天のいと高きところには神に栄光、地には善意
の人に平和あれ』の栄光の賛歌が唱えられました。
聖書朗読はルカの主の変容のくだりです。この時、いずれかの日に訪れるであろう、
エルサレムでの受難を予知していたイエスは弟子たちを連れてある山に登ったのです。
そしてイエスが祈り始めると、お姿が眩いばかりの白さに変わり、弟子たちはイエス
がモーセとエリアとお話になっている姿を見たのです。いや彼らは幻覚を見たのかも
知れません。それは弟子たちがとても眠かったと言っているからです。
私たちはこの逸話から何を学ぶべきでしょうか。いずれ訪れる何物かを、喜んで受け
入れる準備をしておくということでしょうか。
私のブログにようこそ!!
私の好きなポールマッカートニーの曲に『Biker Like An Icon』というのがあります。
バイク野郎を愛した少女がいたんだ。
彼女は彼をアメリカ中追いかけ回した。
でもバイク野郎は彼女が好きじゃなかった。
でも彼女はお構いなしだった、まだ追いかけた。
彼女の兄弟は彼女がふらふらになってると言ったけど、
家族は兄弟に彼女を見失わないよう言ったんだ。
彼女はバイク野郎の写真を毎日イコンのように見つめて愛した。
彼女はバイク野郎をイコンのように愛して、ゆっくりと涙がこぼれ落ちて過ぎ去り・・・。
以上が歌の概略ですが、ここで『Biker Like An Icon』とは、ポールの亡き妻のカメラ、
ライカとニコンから発想して、『I like a Nikon』からもじったものだそうです。
Nikon の英語圏での読みはナイコンですから、『like an icon』も『like a Nikon』も
共に、英語の発音は『ライクアナイコン』です。
アルバム Off The Ground の中の曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=run-Wgb--P...
私の好きなポールマッカートニーの曲に『Biker Like An Icon』というのがあります。
バイク野郎を愛した少女がいたんだ。
彼女は彼をアメリカ中追いかけ回した。
でもバイク野郎は彼女が好きじゃなかった。
でも彼女はお構いなしだった、まだ追いかけた。
彼女の兄弟は彼女がふらふらになってると言ったけど、
家族は兄弟に彼女を見失わないよう言ったんだ。
彼女はバイク野郎の写真を毎日イコンのように見つめて愛した。
彼女はバイク野郎をイコンのように愛して、ゆっくりと涙がこぼれ落ちて過ぎ去り・・・。
以上が歌の概略ですが、ここで『Biker Like An Icon』とは、ポールの亡き妻のカメラ、
ライカとニコンから発想して、『I like a Nikon』からもじったものだそうです。
Nikon の英語圏での読みはナイコンですから、『like an icon』も『like a Nikon』も
共に、英語の発音は『ライクアナイコン』です。
アルバム Off The Ground の中の曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=run-Wgb--P...
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もう飲食板にはこないの?
食板は名無しで書いてます。
聖ドミニコ司祭の祝日を迎えた今日の聖イグナチオ教会では、ドミニコ会を祝うミサが行われ
ました。ドミニコ会はサレジオ会や我がイエズス会よりずっと古く、伝統のある会派です。
戦国末期の安土桃山時代、イエズス会やフランシスコ会らと共にドミニコ会の宣教師も活躍
しました。
その後のキリシタン弾圧では、急進派と見られがちなイエズス会士より、フランシスコ会や
ドミニコ会の司祭の方が、地下に潜行してでも日本での布教を続けようとしたことは以前にも
書きました。今日、ドミニコ会は、イエズス会に次ぐ信徒数を誇る教会になっているそうです。
聖ドミニコ司祭の祝日を迎えた今日の聖イグナチオ教会では、ドミニコ会を祝うミサが行われ
ました。ドミニコ会はサレジオ会や我がイエズス会よりずっと古く、伝統のある会派です。
戦国末期の安土桃山時代、イエズス会やフランシスコ会らと共にドミニコ会の宣教師も活躍
しました。
その後のキリシタン弾圧では、急進派と見られがちなイエズス会士より、フランシスコ会や
ドミニコ会の司祭の方が、地下に潜行してでも日本での布教を続けようとしたことは以前にも
書きました。今日、ドミニコ会は、イエズス会に次ぐ信徒数を誇る教会になっているそうです。
私のブログにようこそ!!
みなさんは宗教というと迷信臭いとか、何か変な壺でも売る付けられ
そうで胡散臭い。あるいは○○学会やオウム真理教のように基 地 外
じみていると思いませんか。だいたい見えない神を信じろと言われても、
ちょっと常識人としては無理でしょう。私もそんな時期がありました。
幼稚園や小学生の頃は、それでも無邪気に神様なる物を信じていました。
でもこんなこともありました。ある時、母が私を告解室に連れて行ったんです。そして『今ま
でした悪いことを神父様に言いなさい。そうすれば頭をなでてくれます』と言うんです。私は
『僕は何も悪いことはしていない』と言いました。母は慌てて『歯を磨かなかったとか挨拶を
しなかったとか…あるでしょう』と言うのですが、私は頑なに『僕は何も悪いことはしていな
い』と言い張りました。それは私が本当のことを言えば、神父様にゲンコツでごつんとやられ
ると思ったからです。
次からは、告解室に連れて行かれると、私は黙秘権を決め込みました。口を真一文字に結んで
何も言わないのです。そんなことが何回か続いた後、母は私を告解室に連れて行くのをあきらめ
ました。
中学・高校は、私は美術が好きだったので、とりわけ日本の仏像の美しさに感動しました。あの
弥勒菩薩の知的なお顔はどうでしょう。なぞの微笑みを浮かべ指もしなやかで美しい。大日如来
はどうでしょう。虚空のある一点を凝視するお顔からは何物にも動じない信念が伝わります。
あの運慶・快慶作の阿吽の像は何とした素晴らしさでしょう。人間の躍動の瞬間を切り取った
ようなあの像はまさに動き出しそうです。
それに比べ、私が神と教わった像の何とみすぼらしいことか。その像は大抵、教会の祭壇の後ろの
壁に取り付けられているのですが、首をうなだれ、だらしなく十字架からぶらさがり、半裸で腰の
周りにしか衣が無く、視線も地面を見つめて美しさのかけらもありません。人間の躍動どころか
あばら骨の浮き出た痩せ細ったその体は、まるでアジの天日干しのようです。
みなさんは宗教というと迷信臭いとか、何か変な壺でも売る付けられ
そうで胡散臭い。あるいは○○学会やオウム真理教のように基 地 外
じみていると思いませんか。だいたい見えない神を信じろと言われても、
ちょっと常識人としては無理でしょう。私もそんな時期がありました。
幼稚園や小学生の頃は、それでも無邪気に神様なる物を信じていました。
でもこんなこともありました。ある時、母が私を告解室に連れて行ったんです。そして『今ま
でした悪いことを神父様に言いなさい。そうすれば頭をなでてくれます』と言うんです。私は
『僕は何も悪いことはしていない』と言いました。母は慌てて『歯を磨かなかったとか挨拶を
しなかったとか…あるでしょう』と言うのですが、私は頑なに『僕は何も悪いことはしていな
い』と言い張りました。それは私が本当のことを言えば、神父様にゲンコツでごつんとやられ
ると思ったからです。
次からは、告解室に連れて行かれると、私は黙秘権を決め込みました。口を真一文字に結んで
何も言わないのです。そんなことが何回か続いた後、母は私を告解室に連れて行くのをあきらめ
ました。
中学・高校は、私は美術が好きだったので、とりわけ日本の仏像の美しさに感動しました。あの
弥勒菩薩の知的なお顔はどうでしょう。なぞの微笑みを浮かべ指もしなやかで美しい。大日如来
はどうでしょう。虚空のある一点を凝視するお顔からは何物にも動じない信念が伝わります。
あの運慶・快慶作の阿吽の像は何とした素晴らしさでしょう。人間の躍動の瞬間を切り取った
ようなあの像はまさに動き出しそうです。
それに比べ、私が神と教わった像の何とみすぼらしいことか。その像は大抵、教会の祭壇の後ろの
壁に取り付けられているのですが、首をうなだれ、だらしなく十字架からぶらさがり、半裸で腰の
周りにしか衣が無く、視線も地面を見つめて美しさのかけらもありません。人間の躍動どころか
あばら骨の浮き出た痩せ細ったその体は、まるでアジの天日干しのようです。
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お〜いSARO相手してやれよw
私のブログにようこそ!!
アジの天日干しのような西洋人の神なんていやだ。神様なんていないに決まっている、と思いなが
らも、親の言う事をよく守る良い子を演技するため、中学生・高校生の私は両親と共に教会のミサ
に与っていました。
しかし大学に入ってからは、親からも独立したこともあり、私は教会に背を向けました。せっかく
出来た大学の友達に私がカトリックだと宣言することは、友達の好奇の目を受けることでもあり、
また反動的だと言われる可能性もあったからです。それにそんな線香臭い友達を持つなんて、誰でも
いやでしょう?
その頃、私たちのグループに一人の女の子がいました。ちなみに私の今の嫁ではありません。彼女
は自分をモルモン教徒だと宣言しました。そして聖人君子然として、高みから上から目線で、私たち
をさも年下のように扱い、何か人生論を語るのです。神を、信仰を持たないと、人生の高みに登る
ことは出来ないと。彼女は酒・煙草・コーヒー・コーラ・緑茶・紅茶など、思いがけぬ物を拒絶し
ます。そのくせ、私たちのコンパにのこのこついて来て、自分は水だけ飲みながらもっぱら食べる
ことに専念します。誰かが煙草を吸っても(私は吸いませんが)、ちらっと嫌な顔はするのですが、
聖人君子然として、私はあなたがたを許します…という顔をするのです。私はそんな彼女の高慢ちき
な鼻をへし折ろうと思い、『その唐揚げは味醂で味付けされているかも知れないぞ』と言いましたが
彼女は平然として『知らなければ良いのよ』と答えました。
そんな彼女は『モルモン教では教会に献金をするため働かなければならない』と言い、また『モル
モン教では収入の十分の一を献金するのよ』と言い、アルバイトを始めました。私たちの入った
大学は、アルバイトをしながら卒業できるほど安楽な大学ではありませんでしたから、その後の
彼女が大学を卒業できたかは私にはわかりません。たぶん神様のために大学を棒に振ったでしょう。
彼女が私たちを兄弟・姉妹と呼ぶのにも寒気がしました。これで私は一気にプロテスタントが嫌い
になりました。今、私はモルモン教が、プロテスタントではなく、カルトの一種だと知っています。
でも当時の私へはプロテスタントへの嫌悪感を残したのが事実です。
アジの天日干しのような西洋人の神なんていやだ。神様なんていないに決まっている、と思いなが
らも、親の言う事をよく守る良い子を演技するため、中学生・高校生の私は両親と共に教会のミサ
に与っていました。
しかし大学に入ってからは、親からも独立したこともあり、私は教会に背を向けました。せっかく
出来た大学の友達に私がカトリックだと宣言することは、友達の好奇の目を受けることでもあり、
また反動的だと言われる可能性もあったからです。それにそんな線香臭い友達を持つなんて、誰でも
いやでしょう?
その頃、私たちのグループに一人の女の子がいました。ちなみに私の今の嫁ではありません。彼女
は自分をモルモン教徒だと宣言しました。そして聖人君子然として、高みから上から目線で、私たち
をさも年下のように扱い、何か人生論を語るのです。神を、信仰を持たないと、人生の高みに登る
ことは出来ないと。彼女は酒・煙草・コーヒー・コーラ・緑茶・紅茶など、思いがけぬ物を拒絶し
ます。そのくせ、私たちのコンパにのこのこついて来て、自分は水だけ飲みながらもっぱら食べる
ことに専念します。誰かが煙草を吸っても(私は吸いませんが)、ちらっと嫌な顔はするのですが、
聖人君子然として、私はあなたがたを許します…という顔をするのです。私はそんな彼女の高慢ちき
な鼻をへし折ろうと思い、『その唐揚げは味醂で味付けされているかも知れないぞ』と言いましたが
彼女は平然として『知らなければ良いのよ』と答えました。
そんな彼女は『モルモン教では教会に献金をするため働かなければならない』と言い、また『モル
モン教では収入の十分の一を献金するのよ』と言い、アルバイトを始めました。私たちの入った
大学は、アルバイトをしながら卒業できるほど安楽な大学ではありませんでしたから、その後の
彼女が大学を卒業できたかは私にはわかりません。たぶん神様のために大学を棒に振ったでしょう。
彼女が私たちを兄弟・姉妹と呼ぶのにも寒気がしました。これで私は一気にプロテスタントが嫌い
になりました。今、私はモルモン教が、プロテスタントではなく、カルトの一種だと知っています。
でも当時の私へはプロテスタントへの嫌悪感を残したのが事実です。
私のブログにようこそ!!
そのようにして、のらりくらりと大学生活を送っていた時、
私は遠藤周作氏の本に出合いました。それは『私のイエス』と
いう本です。神を捨てたつもりでいた私ですが、本屋でこの本
を見つけた時は、思わず手に取ってしまいました。そしてそれ
を買って自分のアパートに帰りました。
そして読み進めるうち、私は感動を受けたのです。それは私が
幼い時、神父様に頭をゴツンと叩かれるのを恐れて、告解室で
『僕は何も悪いことはしていません』と言った日々を思い出させました。
氏は言うのです・・・・『信仰とは99%の疑いと1%の希望』。
私は神様なんかいないと心に決めていましたが、まだ10%くらいは神様の存在を期待していました。
私はこれを『信仰度数』と勝手に名づけました。私の信仰度数は10%だぞと。氏の言葉がどれほど
私のハードルを下げてくれたことか。また勇気付けてくれたことか。そして友達には内緒のまま、
平日の夜のミサに時々与るようになりました。日曜日は友達と遊ぶのに忙しく、また大学での活動
があったので、教会に行けなかったからです。
そのようにして、のらりくらりと大学生活を送っていた時、
私は遠藤周作氏の本に出合いました。それは『私のイエス』と
いう本です。神を捨てたつもりでいた私ですが、本屋でこの本
を見つけた時は、思わず手に取ってしまいました。そしてそれ
を買って自分のアパートに帰りました。
そして読み進めるうち、私は感動を受けたのです。それは私が
幼い時、神父様に頭をゴツンと叩かれるのを恐れて、告解室で
『僕は何も悪いことはしていません』と言った日々を思い出させました。
氏は言うのです・・・・『信仰とは99%の疑いと1%の希望』。
私は神様なんかいないと心に決めていましたが、まだ10%くらいは神様の存在を期待していました。
私はこれを『信仰度数』と勝手に名づけました。私の信仰度数は10%だぞと。氏の言葉がどれほど
私のハードルを下げてくれたことか。また勇気付けてくれたことか。そして友達には内緒のまま、
平日の夜のミサに時々与るようになりました。日曜日は友達と遊ぶのに忙しく、また大学での活動
があったので、教会に行けなかったからです。
でもこの本が私のプロテスタントへの嫌悪感を煽ったことも確かです。氏はあるプロテスタント
作家の言葉を引用しました。それは次のような言葉です。『キリスト教の洗礼を授かったからには、
これで痛いとか苦しいとか、死ぬのは嫌だと見苦しく叫びながら死んでいく覚悟が出来た』。
何というキザな言葉でしょう。プロテスタント者は『死ぬのは嫌だ嫌だ』と見苦しくのたうち回っ
て死んでいくことが出来ると・・・。もちろん遠藤氏は善意でこの言葉を引用しているのですが。
しかしカトリック者だからと言って、死に際して『みなさん今日までありがとう。私は死んで行き
ますが、また天国でお会いしましょう』と言い残すことが出来るか…というと私には自信がありま
せん。死は私個人の問題ですから、いざその場になったら神様もしょせん他人なわけで、70%程度
は自分自身で解決しなければならないでしょう。だから今の私の『信仰度数』は30%と言えます。
よくそれでイケシャーシャーと敬虔なカトリックを自称できるなとお叱りを受けそうですが、なん
とかこの度数を50%程度まで持って行きたいと悪あがきしているのが実態です。
私は死の時、イエスに習って次の言葉を言えるように修行したいと思います。『父よ、私の霊を
み手にゆだねます』あるいはヨハネ福音書の描く美しい最後の言葉『我がこと成れり…』。
作家の言葉を引用しました。それは次のような言葉です。『キリスト教の洗礼を授かったからには、
これで痛いとか苦しいとか、死ぬのは嫌だと見苦しく叫びながら死んでいく覚悟が出来た』。
何というキザな言葉でしょう。プロテスタント者は『死ぬのは嫌だ嫌だ』と見苦しくのたうち回っ
て死んでいくことが出来ると・・・。もちろん遠藤氏は善意でこの言葉を引用しているのですが。
しかしカトリック者だからと言って、死に際して『みなさん今日までありがとう。私は死んで行き
ますが、また天国でお会いしましょう』と言い残すことが出来るか…というと私には自信がありま
せん。死は私個人の問題ですから、いざその場になったら神様もしょせん他人なわけで、70%程度
は自分自身で解決しなければならないでしょう。だから今の私の『信仰度数』は30%と言えます。
よくそれでイケシャーシャーと敬虔なカトリックを自称できるなとお叱りを受けそうですが、なん
とかこの度数を50%程度まで持って行きたいと悪あがきしているのが実態です。
私は死の時、イエスに習って次の言葉を言えるように修行したいと思います。『父よ、私の霊を
み手にゆだねます』あるいはヨハネ福音書の描く美しい最後の言葉『我がこと成れり…』。
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私のブログにようこそ!!
もしあなたが『神様なんて絶対いない』、『神様なんて迷信だ』と言う場合、それは『神への100%
の疑いと0%の希望』を宣言したことになります。それは『絶望』を宣言したことに他なりません。
あなたは人生における全ての問題を独力で解決して行けますか。ハイデッガーの言葉を借りるまで
も無く、人間は『死へ向かう存在』そのものですから、最終的に解決すべきは自らの死という事象
です。あなたはこの人生最後の時に、『我がこと成れり』と満足してつぶやくことが出来るでしょ
うか。
私は『私のイエス』という本を手にしてからというもの、遠藤周作氏の小説を読み漁りました。もち
ろん狐狸庵閑話シリーズもです。『こりゃ、あかんわ』をもじった狐狸庵閑話は、評論家各氏の言う
通り、氏の純文学の照れ隠しというか裏返しでしょう。これは当時の中学生当たりの読者を獲得する
にも効果があったことでしょう。
氏の小説のテーマのひとつに『神の沈黙』というのがあります。
イエスがゴルゴタの丘で十字架に懸けられた時、神はどうしましたか?
聖アグネスが13才という幼さで処刑される時、神はどうしましたか?
秀吉のキリシタン弾圧時、長崎で二十六聖人が火刑に処せられた時、神はどうしましたか?
奇跡は起きませんでした・・・。
神は何も手を出さないばかりか、ただ沈黙していました。それは神の恐ろしい沈黙だと氏は述べます。
神の冷たい沈黙だと。神は彼らを見捨てたのでしょうか。やはり絶望しか残らないのでしょうか。
でも私は答えを持っています。それは美しいイメージです。
『ある晩、私は夢を見た。砂浜を主と共に歩いている夢。私の人生で楽しい時や悲しい時、後ろを
振り返ると二人の足跡が残っていた。しかし私が最後の苦しい時、後ろを振り返ると一人の足跡しか
残っていなかった。でも私にはわかった。主が私を背負って歩いてくれたのだと』。
もしあなたが『神様なんて絶対いない』、『神様なんて迷信だ』と言う場合、それは『神への100%
の疑いと0%の希望』を宣言したことになります。それは『絶望』を宣言したことに他なりません。
あなたは人生における全ての問題を独力で解決して行けますか。ハイデッガーの言葉を借りるまで
も無く、人間は『死へ向かう存在』そのものですから、最終的に解決すべきは自らの死という事象
です。あなたはこの人生最後の時に、『我がこと成れり』と満足してつぶやくことが出来るでしょ
うか。
私は『私のイエス』という本を手にしてからというもの、遠藤周作氏の小説を読み漁りました。もち
ろん狐狸庵閑話シリーズもです。『こりゃ、あかんわ』をもじった狐狸庵閑話は、評論家各氏の言う
通り、氏の純文学の照れ隠しというか裏返しでしょう。これは当時の中学生当たりの読者を獲得する
にも効果があったことでしょう。
氏の小説のテーマのひとつに『神の沈黙』というのがあります。
イエスがゴルゴタの丘で十字架に懸けられた時、神はどうしましたか?
聖アグネスが13才という幼さで処刑される時、神はどうしましたか?
秀吉のキリシタン弾圧時、長崎で二十六聖人が火刑に処せられた時、神はどうしましたか?
奇跡は起きませんでした・・・。
神は何も手を出さないばかりか、ただ沈黙していました。それは神の恐ろしい沈黙だと氏は述べます。
神の冷たい沈黙だと。神は彼らを見捨てたのでしょうか。やはり絶望しか残らないのでしょうか。
でも私は答えを持っています。それは美しいイメージです。
『ある晩、私は夢を見た。砂浜を主と共に歩いている夢。私の人生で楽しい時や悲しい時、後ろを
振り返ると二人の足跡が残っていた。しかし私が最後の苦しい時、後ろを振り返ると一人の足跡しか
残っていなかった。でも私にはわかった。主が私を背負って歩いてくれたのだと』。
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8月15日が近付いて来ました。この日は終戦記念日でもあり旧盆でお休みの会社も多いとかと思い
ますが、カトリックではこの日を『聖母の被昇天』の祭日として祝います。教会では主日のミサ
と同様に、聖歌隊も参加する盛大なミサがあげられます。
聖母マリアといえば当然イエスの母なのですが、イエスの誕生の次第については、福音書作家の
マタイとルカしか書いていません。大体次のような話です。絵本などでご存知だと思いますが。
当時のイスラエル(パレスチナ)はローマ帝国の植民地でした。ローマ人の知事もいましたが、
名目ながら自治が認められていました。このローマ帝国の傀儡ともいえるユダヤ人の指導者層が、
聖書に頻繁に出てくるファリサイ派とかサドカイ派という人たちです。日本の自民党といったら
語弊があるでしょうか。これらの人々は律法学者を擁し、旧約聖書を自分たちに都合よく解釈し
人民を治めるのです。
さてその生誕の件ですが、パレスチナのガリラヤ地方の田舎町ナザレに、ヨセフとマリアという
婚約者がいました。もちろん敬虔なユダヤ教徒ですから婚前交渉などありません。ところがある
時、ガブリエルという天使がマリアの所に降り言うのです。
『アヴェ、マリア、恵みに満ち方、主はあなたと共におられます』。
マリアはそれが何の意味か分からなかったので、天使に問いただすと、聖霊がマリアに降って、
神のおん子が宿っていると言うのです。そしてその子をイエスと名付けろと。マリアは処女で
したので本来なら抗議すべきですが、神への信仰が厚い人でしたから、
『私は主のはしため、お言葉どおりになりますように』と答えました。
マリアはザカリアという女性にも祝福を受けます。
『あなたは女のうちで祝福され、ご胎内のおん子イエスも祝福されています』。
これらの言葉はアヴェ・マリアの祈りやお告げの祈りの一部としてカトリックでは唱えられます。
(つづく)
8月15日が近付いて来ました。この日は終戦記念日でもあり旧盆でお休みの会社も多いとかと思い
ますが、カトリックではこの日を『聖母の被昇天』の祭日として祝います。教会では主日のミサ
と同様に、聖歌隊も参加する盛大なミサがあげられます。
聖母マリアといえば当然イエスの母なのですが、イエスの誕生の次第については、福音書作家の
マタイとルカしか書いていません。大体次のような話です。絵本などでご存知だと思いますが。
当時のイスラエル(パレスチナ)はローマ帝国の植民地でした。ローマ人の知事もいましたが、
名目ながら自治が認められていました。このローマ帝国の傀儡ともいえるユダヤ人の指導者層が、
聖書に頻繁に出てくるファリサイ派とかサドカイ派という人たちです。日本の自民党といったら
語弊があるでしょうか。これらの人々は律法学者を擁し、旧約聖書を自分たちに都合よく解釈し
人民を治めるのです。
さてその生誕の件ですが、パレスチナのガリラヤ地方の田舎町ナザレに、ヨセフとマリアという
婚約者がいました。もちろん敬虔なユダヤ教徒ですから婚前交渉などありません。ところがある
時、ガブリエルという天使がマリアの所に降り言うのです。
『アヴェ、マリア、恵みに満ち方、主はあなたと共におられます』。
マリアはそれが何の意味か分からなかったので、天使に問いただすと、聖霊がマリアに降って、
神のおん子が宿っていると言うのです。そしてその子をイエスと名付けろと。マリアは処女で
したので本来なら抗議すべきですが、神への信仰が厚い人でしたから、
『私は主のはしため、お言葉どおりになりますように』と答えました。
マリアはザカリアという女性にも祝福を受けます。
『あなたは女のうちで祝福され、ご胎内のおん子イエスも祝福されています』。
これらの言葉はアヴェ・マリアの祈りやお告げの祈りの一部としてカトリックでは唱えられます。
(つづく)
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マリアが臨月を迎える頃、ローマ帝国から、パレスチナの人々は全て生まれ故郷に戻って住民登
録をするようにと、命令が下ったのです。ヨセフとマリアは婚約者でしたから、共にヨセフの血
筋があるというユダヤのベツレヘムに向かいました。ベツレヘムの町は、そんな人たちが大勢集
まっていて、どこの宿屋も満員でした。その時マリアが産気づいたのです。なんとか宿屋の馬小
屋を借りることができ、無事男の子が産まれました。その男の子は布でくるまれ飼い葉桶に寝か
されました。
ちょうどその頃、ベツレヘム郊外で羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。すると空
から天使が顕れ、主の栄光で周囲が明るくなったのです。天使は言います『今日メシアがお生まれ
になった。その方は布にくるまれて飼い葉桶にいる』。そして天使の大群が顕れ神を賛美しました。
『天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平和あれ』。
『我ら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ…』天使たちは歌い続けます。そんなわけで
羊飼いたちは、そのメシアを探しました。そしてヨセフとマリアを見つけ、赤ちゃんが天使の言っ
た通り、布でくるまれ飼い葉桶に寝かされていることに感動し、神をあがめ、賛美し帰って行きま
した。
八日後に、この赤ちゃんは天使との約束どおりイエスと名付けられ、そして夫婦はナザレに帰って
行きました。イエスとはあちらではありふれた名前です。日本でいう太郎(実際はそんな名前の人
もいないでしょうが)に当たります。
マリアが臨月を迎える頃、ローマ帝国から、パレスチナの人々は全て生まれ故郷に戻って住民登
録をするようにと、命令が下ったのです。ヨセフとマリアは婚約者でしたから、共にヨセフの血
筋があるというユダヤのベツレヘムに向かいました。ベツレヘムの町は、そんな人たちが大勢集
まっていて、どこの宿屋も満員でした。その時マリアが産気づいたのです。なんとか宿屋の馬小
屋を借りることができ、無事男の子が産まれました。その男の子は布でくるまれ飼い葉桶に寝か
されました。
ちょうどその頃、ベツレヘム郊外で羊飼いたちが野宿をしながら羊の番をしていました。すると空
から天使が顕れ、主の栄光で周囲が明るくなったのです。天使は言います『今日メシアがお生まれ
になった。その方は布にくるまれて飼い葉桶にいる』。そして天使の大群が顕れ神を賛美しました。
『天のいと高き所には神に栄光、地には善意の人に平和あれ』。
『我ら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ…』天使たちは歌い続けます。そんなわけで
羊飼いたちは、そのメシアを探しました。そしてヨセフとマリアを見つけ、赤ちゃんが天使の言っ
た通り、布でくるまれ飼い葉桶に寝かされていることに感動し、神をあがめ、賛美し帰って行きま
した。
八日後に、この赤ちゃんは天使との約束どおりイエスと名付けられ、そして夫婦はナザレに帰って
行きました。イエスとはあちらではありふれた名前です。日本でいう太郎(実際はそんな名前の人
もいないでしょうが)に当たります。
ちなみに彼女たちの言葉や天使の歌は新共同訳聖書とは異なります。上記はカトリックで使われる
言葉です。また聖書がローマ人に読ませるのを前提に書かれた物だということを理解しておかない
と読み誤ります。当時のローマ人を刺激するような言葉は丁寧に排除されています。メシアという
語は救い主を意味しますが、これは当時のイスラエルにおいては、ローマ帝国から解放してくれる
人…すなわち革命のリーダーと理解して良いでしょう。盗賊として出てくる人はローマに反逆する
政治犯です。メシア…この言葉がその後どれほどイエスを苦しめたことか。
いずれにしろ『み言葉(父なる神)は人となり、私たちのうちに住まわれた』のです。
(つづく)
言葉です。また聖書がローマ人に読ませるのを前提に書かれた物だということを理解しておかない
と読み誤ります。当時のローマ人を刺激するような言葉は丁寧に排除されています。メシアという
語は救い主を意味しますが、これは当時のイスラエルにおいては、ローマ帝国から解放してくれる
人…すなわち革命のリーダーと理解して良いでしょう。盗賊として出てくる人はローマに反逆する
政治犯です。メシア…この言葉がその後どれほどイエスを苦しめたことか。
いずれにしろ『み言葉(父なる神)は人となり、私たちのうちに住まわれた』のです。
(つづく)
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聖コルベ司祭殉教の記念日にあたる今日、聖イグナチオ教会では
彼を讃えるミサが行われました。
ポーランド人のマキシミリアノ・コルベ司祭は、日本にも来たことの
ある人ですが、第二次大戦中、あのナチスによってアウシュビッツ収
容所に入れられていました。おりしも脱走者が出たことが判明し、無
作為に選ばれた10人が、みせしめのため処刑されることになりました。
あるポーランド人軍曹が運悪く選ばれたのですが『私には妻子がいる』と
泣き出したのです。それを聞いたコルベ司祭は『私が彼の身代わりになり
ます、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから』と申し出ました。
処刑は、餓死刑と呼ばれる残酷なものです。飲み物も食べ物も与えられない受刑者は錯乱状態で亡く
なるのです。もちろん大勢は飢餓で亡くなりましたが、コルベ司祭は皆を励まし2週間を耐え抜きま
した。彼は薬物注射で殺されました。
それが8月14日です。コルベ司祭は生前、聖母被昇天の日である8月15日に死にたいと言っていました
から、たった1日及ばなかったのです。しかし彼の亡骸は聖母被昇天の8月15日に火葬されました。
今日のイグナチオ教会のミサでは、拝領唱としてヨハネ福音書のあの個所が朗読されました。
『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』。
さて前回のつづき、ヨセフとマリアは・・・私は聖書を語りだしてしまったようです。以降はグダグダ
になるので、クリスチャンの方は文句を言わないように。まあ、こんな板を見ている人もいないと思い
ますけどね。
聖コルベ司祭殉教の記念日にあたる今日、聖イグナチオ教会では
彼を讃えるミサが行われました。
ポーランド人のマキシミリアノ・コルベ司祭は、日本にも来たことの
ある人ですが、第二次大戦中、あのナチスによってアウシュビッツ収
容所に入れられていました。おりしも脱走者が出たことが判明し、無
作為に選ばれた10人が、みせしめのため処刑されることになりました。
あるポーランド人軍曹が運悪く選ばれたのですが『私には妻子がいる』と
泣き出したのです。それを聞いたコルベ司祭は『私が彼の身代わりになり
ます、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから』と申し出ました。
処刑は、餓死刑と呼ばれる残酷なものです。飲み物も食べ物も与えられない受刑者は錯乱状態で亡く
なるのです。もちろん大勢は飢餓で亡くなりましたが、コルベ司祭は皆を励まし2週間を耐え抜きま
した。彼は薬物注射で殺されました。
それが8月14日です。コルベ司祭は生前、聖母被昇天の日である8月15日に死にたいと言っていました
から、たった1日及ばなかったのです。しかし彼の亡骸は聖母被昇天の8月15日に火葬されました。
今日のイグナチオ教会のミサでは、拝領唱としてヨハネ福音書のあの個所が朗読されました。
『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』。
さて前回のつづき、ヨセフとマリアは・・・私は聖書を語りだしてしまったようです。以降はグダグダ
になるので、クリスチャンの方は文句を言わないように。まあ、こんな板を見ている人もいないと思い
ますけどね。
で、そのつづき・・・と。
それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。
イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。
そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。
ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。
その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。
だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。
(つづく)
それから幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。ヨセフの職業は大工でしたから、イエ
ス少年も大工仕事の手ほどきを受たでしょう。もうすっかり大きくなったイエスは、ヨセフの仕事を手
伝い、一家は幸せだったでしょう。しかしそんな幸せな日々が永久に続くわけがありません。
イエスが19才の時、父ヨセフがこの世を去りました。イエスは一人っ子でしたから、マリアを支える
のはイエスが大工仕事でもらう賃金しかありません。イエスに兄弟がいたという記述が聖書にありま
すが、これは従兄弟を指すというのがカトリックの解釈です。それは中東では兄弟と従兄弟を区別す
る語が無く、また聖マリアは生涯処女を貫いたので、子供ができるはずが無いからです。聖マリアが
生涯処女を通したとは聖書のどこにも書いてありませんが、カトリックではそう考えるのです。
そうして幾たびか春が訪れ幾たびか秋が去って行きました。
ある日イエスは、彼が住むガリラヤ地方から100キロほど南の死海のさらに南方、ユダの荒野という
場所で、洗礼者ヨハネという人が革命的な説教をしているという噂を耳にしました。そしてユダヤ人
の革命家かも知れない彼の教えを、イエスも聞きたいと思うようになったのです。そしてマリアを捨て
て南へ向かいました。
その時の様子は聖書に書かれていませんが、例え話などの逸話で想像できます。ずっと後のことな
のですが、ある人がイエスへの弟子入りを許された時、では家族へいとま乞いをして来ますと言って、
『鋤に手をかけてから後ろを振り向く者は神の国にふさわしくない』とイエスに怒られています。
だからマリアとの別れの時も、イエスは泣いて引き止める彼女を振り払い、一度も後ろを振り返らず
ユダの荒野を目指したのではないでしょうか。あるいは、彼女が寝静まっているのを見計らい、こっ
そりと家を出たか…。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
(つづく)
私は仕事仲間やご近所様とは宗教の話など全くしないか、吹っかけられても
薄笑いをしてごまかします。それは信仰を持つ人の言葉がいかにウザいかと
いうことを、あのモルモン教の女に教わったからです。もちろん大多数のモ
ルモン教徒は慎み深いとは思います。しかしあの女を反面教師とし、以降の
生活では極力、抹香臭いことは避けるようにしています。だからこのような
場を与えられると指が止まりません。
死海とは皆さんもご存知のとおり塩分濃度がとても高く、人などが飛び込んでも浮かんでしまいます。
生物も住んでいない、文字通りの死の湖です。死海の周囲は塩害のため、草木一本生えていない荒
涼たる地が広がっています。この場所を当時の人々はユダの荒野と呼んでいました。
いずれにしろユダの荒野にやって来たイエスが見た物は、草木も生えてない荒野におびただしい小屋
が立っており、たくさんの人々が暮らしている風景だったでしょう。大勢の人々が洗礼者ヨハネの弟子
として暮らしていたのです。そしてその中には洗礼者ヨハネに洗礼を授かるために行列を作っている
人々もいました。
洗礼者ヨハネはといえば、驚くべき風体でイエスを驚かせたことでしょう。ヨハネはらくだの毛皮を着て、
腰に革ひもを巻いた異様な格好をしていました。彼は、いなごと野蜜を食べて生きているのです。
『洗礼』という秘跡はキリスト教独特のもので、ユダヤ教にはありません。しかし旧約のエゼキエル書に
『私は清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から
清める』とあります。これを文字どおり実行したのが洗礼者ヨハネです。
洗礼者ヨハネは教えます。『まむしの子らよ、差し迫った神の怒りをまぬかれると思うのか。斧は既に
木の根元に置かれている。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれる』。『私は荒れ
野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ』。ヨハネの弟子たちは皆、彼こそメシア=ローマからの
解放者だと思ったし、イエスもそう思った事ことでしょう。
(つづく)
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私のブログにようこそ!!
聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。
B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。
英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。
『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。
と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。
まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。
聖母の被昇天の祝日である今日は、趣向を変えて英語ミサに与って
来ました。英語では The assumption of the B. V. Mary と言います。
B. V. Mary とは Blessed Virgin Mary、すなわち聖なる処女のマリー
ですね。ちょっと聖母というより乙女というイメージでしょうか。
英語ミサといっても、日本語のミサと式次第は一緒ですから、コツさえ
覚えれば簡単です。それに何かありがたみが増すような気も(*´ω`*)。
『また司祭と共に』は And also with you です。英語の方が司祭に親しみを感じるでしょう?
日本語のミサと違う点が一か所だけあります。それは『全ての誉れと栄光は世々に至るまで』を
会衆では無く司祭が唱えるところです。なぜかというと、これに続く会衆の応答『アーメン』が
ミサの中で何回も唱えるアーメンの中で一番重要らしいからです。英語だと『エイメン』ですが。
と思って『キリストと我等のミサ』の小冊子をたった今見たら、やはり日本でもこの言葉は司祭が
唱えることになってますね。じゃあ、今まで私たちは何を勘違いしてたんでしょう。あなたも唱え
ていませんでしたか?『全ての誉れと栄光は世々に至るまで、アーメン』って…。
まあその謎はネットでも調べればわかるでしょう。昨日お話ししたコルベ神父様には、日本滞在時の
伝説があります。それは彼が長崎に初来日したわけですが、日本語もおぼつかなかったであろう彼が
日本信徒の助けもあったでしょうが、聖母の騎士という雑誌を来日からたった一か月で出版している
のです。ちなみに聖母の騎士社は今も長崎にあり、キリスト教関連の書籍を発行しています。
彼が長崎に来たのは1930年代でしょうか。その頃、日本には孤児院という施設がほとんど無かった
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。
しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。
のです。そこで彼は長崎にそれを作ろうと思ったのですが、なにしろお金がありません。彼と日本人
修道士は、ある長崎の大工さんの仕事場に行って『材木を貸していただけないでしょうか。お金はい
つかきっと払います』と言ったのです。大工さんはキリスト教徒では無かったのですが、そのポーラ
ンド人の趣旨に感動し『よっしゃー、わかった、寄付するから全部もってけ、ドロボー』と気前よく寄付
してくれました。私は長崎弁を知らないので江戸っ子風に書きましたが。まあそんな感じだったでしょう。
他の長崎の大工さんたちも材木を寄付してくれ、あっというまに孤児院はできあがりました。
しかし第二次大戦が厳しくなり、日本での運営資金に困ったコルベ神父は、ポーランドで資金調達
すべく母国に帰国し、運悪くナチスに捕まってしまったというわけです。
私のブログにようこそ!!
そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。
・・・イエスの続きです。
月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。
実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。
その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。
聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。
ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。
そうそう、昨日の英語ミサ The Assumption of the B. V. Mary は、
私の好きなバッハのアヴェ・マリアのオルガンから始まる盛大なミサ
でした。某外人タレントも複名来てましたよ。
・・・イエスの続きです。
月日は過ぎ去りました。ヨハネの弟子の中でもイエスはだんだん頭角を現していき、ヨハネに次のよ
うに言わしめています。『私は水で洗礼を授けるが、後からもっと優れた人が来る。私は彼の履物の
紐を解く値打もない。彼は聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける』。
実際、イエスには洗礼者ヨハネが説く恐怖の神、怒れる神に納得がいかない思いがあったのでしょう。
この頃から、『愛の神』という思想がイエスの中に芽生えたのではないでしょうか。やがてイエスは
ヨハネの集団から離れました。
その後40日間、悪魔に荒野を引き回されたのです。この悪魔とはたぶんヨハネ派とは異なるもっと過
激な集団のことでしょう。この集団はカリスマ的指導者を(たぶん傀儡として)欲していたのです。
聖書は過激集団の誘いを悪魔の言葉として語ります。『この国々の一切の権力と繁栄を与えよう。そ
れは私にまかされていて、これと思う人に与えられるからだ』。革命が成功した暁には国を全部与え
ようと。さらに悪魔は試します。『神の子なら石をパンに変えてみせろ』と。イエスはここで、
『人はパンのみにて生きるにあらず』という有名な言葉を残しています。
ヨハネ集団にいる時から、ヨハネの弟子からイエスの弟子に鞍替えする者たちがいました。それは
ヨハネをして『見よ、イエスこそ世の罪を除く神の子羊だ』と言わしめているからです。イエスは、
そうして弟子になった者に聞いています『何を求めているのか』。イエスは自分がメシア=革命家
では無いことを言いたかったのでしょう。それは皆が『私はメシアに会った』と言ったからです。
イエスが悪魔の誘惑を受けている時、彼は洗礼者ヨハネが
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。
この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。
イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。
その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。
イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。
(つづく)
逮捕されたことを知りました。ヨハネとその弟子たちがロ
ーマに反逆して一揆を起こすのを恐れた、ファリサイ派や
サドカイ派の連中が、イスラエルのヘロデ王(もちろんロ
ーマの息がかかった傀儡です)に、焚きつけたのでしょうか。
この頃、イエスは故郷のガリラヤに帰りました。イエスの弟子だった者やヨハネの弟子だった者など、
多くの人々が従ったでしょう。イエスの評判もガリラヤに伝わっていたでしょう。草木も生えていな
いユダの荒野に比べ、ガリラヤのなんと穏やかなことか。麦畑が風になびき、人々は葡萄酒が大好き
でしたから葡萄畑もあったでしょう。
イエスと弟子たちがガリラヤ湖のほとりを歩いている時、ペトロとアンデレという漁師が湖で網を
打っていました。イエスは水辺に立ち微笑んで『私について来なさい。人間を獲る漁師にしよう』。
彼らは即座に網を投げ捨てイエスに従いました。イエスの威光がそうさせたのでしょうか。あるい
は有名人イエスに声をかけられた喜びからでしょうか。この逸話から、私たちは物事に執着しては
いけないと教えられます。お金を稼ぐのは構わないが、それに執着してはいけないと。
その後ペトロはイエスの一番弟子となってやがてローマで殉教します。聖書の中では一番ドラマティ
ックでもあり、とても好人物と思われる人です。でも彼でさえ、イエスが亡くなるまで、イエスの
真意がわからなかったのです。しかし無学な漁師が偉大な伝道者に変貌するのですから、人生奥が
深いと言わざるを得ません。歴代のローマ教皇は彼の後継者なのです。
イエスはこのガリラヤ湖のほとりで四人の新たな弟子を得ています。
(つづく)
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そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。
そしてイエスはナザレのマリアの元へ帰りました。泣いて引き止めた
イエスが帰って来た時、マリアはどうしたでしょう。聖書には記述が
ありませんが、まだ遠く離れているにもかかわらず、息子を認めて、
憐れに思い走り寄って接吻したでしょう。有名な『放蕩息子の例え』が
それを暗示しています。
ある男に息子が二人いて、ある時、弟が『お父さん、私がいただくことになっている財産を今くださ
い』と言うのです。そこで男は、財産を半分づつ兄弟に与えました。すると弟は何年かのうちに放蕩
の限りを尽くし全部使い切って食べる物にも困り始めました。そして父に謝ろうと思い立ったのです。
『お父さん、私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました。息子と呼ばれる資格はありませ
んから、ただの雇人として受け入れてください』と謝ろうと。しかし父親は、『まだ遠く離れている
にもかかわらず、息子を認めて、憐れに思い走り寄って接吻した』のです。そして弟のために祝宴を
開きました。弟が放蕩の限りを尽くしている間、真面目に働いていた兄は面白いわけがありませんの
で文句を言いました。すると父親は『子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。しかし弟は死んでいた
のに生き返ったのだ。いなくなっていたのに見つかったのだから、祝宴を開いて当然ではないか』。
この逸話から私たちは神の愛を知らされます。怒れる神では無く優しく赦してくれる神。
しかしこの例えにも出てくるように、イエスが身勝手な理由で家を空けている間マリアの世話をして
いた従兄弟たちが、不満を言ったであろうことは想像できます。その後イエスは、母マリアと自分に
味方する従兄弟を連れてカファルナウムという村へ移ります。
さてイエスがナザレに帰ってから三日後、ガリラヤ地方のカナという町
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
(つづく)
で結婚式がありました。マリアもイエスも弟子たちも招待されました。
どんちゃん騒ぎの果て、ついに葡萄酒が無くなってしまいました。宴会
はまだ続いています。そこでマリアがイエスに言いました『葡萄酒が足
りなくなったわ』。
イエスは言いました『母さん、そんなこと私に関係ありません。私の時はまだ来ていないのです』。
でもマリアはお構いなしです。女中たちに命じ『息子が何か言ったらそのとおりにしてちょうだい』。
しかたなくイエスは女中にカメ一杯の水を用意するよう命じ、それを葡萄酒に変えて見せました。
これがイエスの起こした最初の奇跡です。病人や困った人のためでは無く、皆の楽しみのために奇跡
を行ったという所に、イエスの教える愛の神があります。それは罰する神ではありません。
その葡萄酒を味見した幹事役は驚きました。その葡萄酒がイエスの奇跡で出された物とは知りません
から、彼は花婿に言いました『だれでも一番最初に良い葡萄酒を出し、酔いが回ったら(もう味なん
てわからないから)劣った物を出すものだが、婿さんは後に上等の葡萄酒を用意しておくなんて粋で
すね』。これはすなわち、信仰が深いほど後に授かる物がより良い、という例えでしょうか。
いずれにしろ、ここにイエスの栄光が顕れたのです。弟子たちはイエスを信じました。そして皆はナ
ザレに帰りました。
(つづく)
私のブログにようこそ!!
そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。
彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。
『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。
そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。
こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。
イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。
もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。
(つづく)
そしてその後、イエスを快く思わない従兄弟たちを避け、イエスは母マリアを
連れてカファルナウムという村に行きました。彼の伝道はこの村から始まりま
す。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』。
彼も洗礼者ヨハネに習い、信仰厚い人に洗礼を授けます。しかしヨハネのような
罰する神、怒れる神を彼は語りません。ヨハネの説教は『まむしの子よ』で始ま
りましたが、イエスは違います。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のところに来なさい…。
休ませてあげよう…。あなたを』。
『私は柔和で謙遜な者だから、私と共に荷を負い、私に学びなさい…。
私の荷は負いやすく軽いのです』。
そう言われた人々は、平和な顔で帰って行ったでしょう。また弟子入りを志願する者もいたでしょう。
こうしてガリラヤの村々を伝道して回ると、イエスの名声はいやが上にも高まりました。人々はイエス
のお姿を見ようと、聖書の言葉を借りれば『大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほ
どになった』のです。
イエスが伝道を開始してどのくらいの月日がたったことか。
もうこの頃はイエスは有名人です。彼をエリア=ローマ植民地からの解放者と見る者もいれば、逮捕
された洗礼者ヨハネの後継者と考える者もいます。ローマの傀儡であるファリサイ派やサドカイ派は
スパイを放っていますし、律法学者がイエスの失言を見つけて食い下がろうと狙い始めています。
(つづく)
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