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聖書 Part9
▼ページ最下部
地球人類社会において、四書五経こそは、ここ2500年の長きにわたって、わざわざ
特筆するまでもないほどに標準的な聖書としての、その地位を守り続けてきている。
その理由は、四書五経が「社会統治の聖書」であるからで、その他の用途に
用いられる諸々の聖書一般と比べれば、書物活用の場でもある世の中全体を司る
聖書である点において、やはり別格級の存在意義を持っているからでこそある。
夏・殷・周の三代に渡る古代中国の治世のあり方を、春秋時代に孔子が五経として体系化し、
その孔子自身や弟子や亦弟子(孟子含む)の言説を取りまとめた四書がさらに朱子に
よって権威化された。両者を合わせて「四書五経」というが、四書五経は宋代に定型化された
儒学正典の代表書というまでのことで、これに漏れた「孝経」「周礼」「儀礼」「大載礼記」「国語」
などの儒書も、四書五経に勝るとも劣らない聖書として扱ってもまったく差し支えないもの
となっており、四書五経を含むこれら全ての聖書が、実際に天下国家全土における治世を
実現していく上でのマニュアルとなるに相応しいだけの、十分な度量を備えている。
実際に、当時世界最大規模の国力を誇った漢帝国や唐帝国や宋帝国、
死刑一つない治世を実験した平安朝や、識字率世界最高を誇った江戸の日本
などにおいて、四書五経に代表される儒学の聖書こそは、権力者から庶民に
至るまでの、「必須の教養」としての扱いを受け続けていたのだった。
四書五経の記述に基づくような治世が実現されて後に初めて興隆する、儒学以外の高度な文化
というものもまた別に多くあり、むしろそちらのほうが治世実現後の世の中における「花形」
としての扱いを受けたりもする。唐代における詩文芸の興隆や、宋代における禅仏教の興隆、
平安時代における密教文化や女流文芸の興隆、江戸時代における武芸文化や演劇文化の興隆などが
その好例であり、そのような人々を楽しませることにかけてより秀でている文化の興隆を実現する
「縁の下の力持ち」としての役割をも儒学は担って来たから、必ずしも目立つ存在ではなかった
せいで、あまり人々にその偉大さを意識されることすらないままでいることが多かったのだ。
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特筆するまでもないほどに標準的な聖書としての、その地位を守り続けてきている。
その理由は、四書五経が「社会統治の聖書」であるからで、その他の用途に
用いられる諸々の聖書一般と比べれば、書物活用の場でもある世の中全体を司る
聖書である点において、やはり別格級の存在意義を持っているからでこそある。
夏・殷・周の三代に渡る古代中国の治世のあり方を、春秋時代に孔子が五経として体系化し、
その孔子自身や弟子や亦弟子(孟子含む)の言説を取りまとめた四書がさらに朱子に
よって権威化された。両者を合わせて「四書五経」というが、四書五経は宋代に定型化された
儒学正典の代表書というまでのことで、これに漏れた「孝経」「周礼」「儀礼」「大載礼記」「国語」
などの儒書も、四書五経に勝るとも劣らない聖書として扱ってもまったく差し支えないもの
となっており、四書五経を含むこれら全ての聖書が、実際に天下国家全土における治世を
実現していく上でのマニュアルとなるに相応しいだけの、十分な度量を備えている。
実際に、当時世界最大規模の国力を誇った漢帝国や唐帝国や宋帝国、
死刑一つない治世を実験した平安朝や、識字率世界最高を誇った江戸の日本
などにおいて、四書五経に代表される儒学の聖書こそは、権力者から庶民に
至るまでの、「必須の教養」としての扱いを受け続けていたのだった。
四書五経の記述に基づくような治世が実現されて後に初めて興隆する、儒学以外の高度な文化
というものもまた別に多くあり、むしろそちらのほうが治世実現後の世の中における「花形」
としての扱いを受けたりもする。唐代における詩文芸の興隆や、宋代における禅仏教の興隆、
平安時代における密教文化や女流文芸の興隆、江戸時代における武芸文化や演劇文化の興隆などが
その好例であり、そのような人々を楽しませることにかけてより秀でている文化の興隆を実現する
「縁の下の力持ち」としての役割をも儒学は担って来たから、必ずしも目立つ存在ではなかった
せいで、あまり人々にその偉大さを意識されることすらないままでいることが多かったのだ。
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※省略されてます すべて表示...
大規模な戦争があろうがなかろうが乱世は乱世であり、そこには何らかの致命的な落ち度があるものである。
始皇帝による法家支配が敷かれた統一秦帝国においても、これといった内戦があったりしたわけでもなく、
せいぜい始皇帝の暗殺未遂事件が散発する程度だったが、それでも当時が極度の乱世であったことにも
間違いはない。秦国は、法家主義を基調とした極度の圧政によって民から暴利を巻き上げることでこそ
突発的な国力を獲得して諸外国を征服し、統一中華帝国をぶち上げたわけだから、中原全土が秦国並みの
圧政下に置かれたことで、かえって人々は春秋戦国時代以上もの被虐下に置かれることになったわけである。
だから、「これなら諸侯が支配していた戦国時代のほうがまだマシだった」というような嘆きが民の間で
囁かれてもいた、これこそは戦争状態以上もの「平和裏の乱世」であった実例だといえ、そんなものの持続を
誰も望みはしなかったから、たった15年の短期間の持続の後に、秦帝国も反乱による崩壊を来たしたのだった。
上記のような事情に即して、平和状態の世の中が戦争状態以上もの乱世たり得るということが、知られて
そうで実は知られていないことである。今の地球社会も、資本主義国の横暴によって年間に1000万人以上
もの人間が餓死し続けている状態であり、これは第二次世界大戦の死亡率にも匹敵する上、毎年ずっとその
程度の死亡率をはじき出し続けているわけだから、今が大戦期以上の乱世であることもまた間違いがない。
にもかかわらず、今という時代が「戦時中よりも平和でいい時代、少なくともマシな時代」として扱われて
いたりするのも「平和状態が戦争状態以上もの乱世たり得る」ということへの察知が全く欠けているからである。
始皇帝による法家支配が敷かれた統一秦帝国においても、これといった内戦があったりしたわけでもなく、
せいぜい始皇帝の暗殺未遂事件が散発する程度だったが、それでも当時が極度の乱世であったことにも
間違いはない。秦国は、法家主義を基調とした極度の圧政によって民から暴利を巻き上げることでこそ
突発的な国力を獲得して諸外国を征服し、統一中華帝国をぶち上げたわけだから、中原全土が秦国並みの
圧政下に置かれたことで、かえって人々は春秋戦国時代以上もの被虐下に置かれることになったわけである。
だから、「これなら諸侯が支配していた戦国時代のほうがまだマシだった」というような嘆きが民の間で
囁かれてもいた、これこそは戦争状態以上もの「平和裏の乱世」であった実例だといえ、そんなものの持続を
誰も望みはしなかったから、たった15年の短期間の持続の後に、秦帝国も反乱による崩壊を来たしたのだった。
上記のような事情に即して、平和状態の世の中が戦争状態以上もの乱世たり得るということが、知られて
そうで実は知られていないことである。今の地球社会も、資本主義国の横暴によって年間に1000万人以上
もの人間が餓死し続けている状態であり、これは第二次世界大戦の死亡率にも匹敵する上、毎年ずっとその
程度の死亡率をはじき出し続けているわけだから、今が大戦期以上の乱世であることもまた間違いがない。
にもかかわらず、今という時代が「戦時中よりも平和でいい時代、少なくともマシな時代」として扱われて
いたりするのも「平和状態が戦争状態以上もの乱世たり得る」ということへの察知が全く欠けているからである。
削除(by投稿者)
「平和」という言葉が英語の「peace」の訳語として用いられるようになってから、日本語としての「平和」
という言葉の意味もずいぶんと劣化してしまった。本来は出典の「礼記」にもあるような「平和で安寧な状態」
こそを「平和」と呼んでいたわけだが、今ではもはや「戦争だけはない状態」という意味で用いられるように
なってしまった。実際、英語の「peace」などはその程度の意味しか持ち合わせていないわけで、peaceという
言葉しか「平和」に当たる言葉が存在しないイギリスなども、万年上層階級が下層階級を経済的に圧迫し続ける
状態でいる。それでも自国で紛争などすらなければ、イギリス人にとってはそれがpeaceとなるわけで、英語圏
こそは、戦争状態以上もの平和裏の乱世という事態を全く察知していない未開社会であることが明らかだといえる。
「戦争状態以上もの乱世である平和状態」などという状態が可とされているようなところでは、漏れなく
権力道徳もまた存在しない。権力道徳が実践されていないのみならず、そんなものの実践が可能であることも、
そもそも権力道徳などというものが存在することすらも見落とされたままでいる。大体の場合、法治主義に
よって世の中の最低限の治安だけは保たれ、下層民に対する経済的な圧迫なども放任されたままでいながら、
紛争レベルの争いだけは徹底して防ぎ止められているような状態がほとんどである。そのような状態でこそ、
人々は戦時中以上もの苦しみに喘がされたりしているわけだが、「戦争だけはない今も戦時中よりはマシな
時代だ」などと思い込まされて、極度の被虐下に置かれ続けることを黙認させられたりもしているわけである。
そんな状態が、戦争状態以上もの乱世であるのは上に述べた通りである。じゃあ、そのまま戦争に突入してしまえば
いいのかといえば、それも違う。戦争状態は戦争状態でろくでもない状態であり、世の中の平和が確立された上で、
なおかつ人々への圧制が緩和された状態こそは真の治世なのだから、それこそを追い求めていくべきなのである。
という言葉の意味もずいぶんと劣化してしまった。本来は出典の「礼記」にもあるような「平和で安寧な状態」
こそを「平和」と呼んでいたわけだが、今ではもはや「戦争だけはない状態」という意味で用いられるように
なってしまった。実際、英語の「peace」などはその程度の意味しか持ち合わせていないわけで、peaceという
言葉しか「平和」に当たる言葉が存在しないイギリスなども、万年上層階級が下層階級を経済的に圧迫し続ける
状態でいる。それでも自国で紛争などすらなければ、イギリス人にとってはそれがpeaceとなるわけで、英語圏
こそは、戦争状態以上もの平和裏の乱世という事態を全く察知していない未開社会であることが明らかだといえる。
「戦争状態以上もの乱世である平和状態」などという状態が可とされているようなところでは、漏れなく
権力道徳もまた存在しない。権力道徳が実践されていないのみならず、そんなものの実践が可能であることも、
そもそも権力道徳などというものが存在することすらも見落とされたままでいる。大体の場合、法治主義に
よって世の中の最低限の治安だけは保たれ、下層民に対する経済的な圧迫なども放任されたままでいながら、
紛争レベルの争いだけは徹底して防ぎ止められているような状態がほとんどである。そのような状態でこそ、
人々は戦時中以上もの苦しみに喘がされたりしているわけだが、「戦争だけはない今も戦時中よりはマシな
時代だ」などと思い込まされて、極度の被虐下に置かれ続けることを黙認させられたりもしているわけである。
そんな状態が、戦争状態以上もの乱世であるのは上に述べた通りである。じゃあ、そのまま戦争に突入してしまえば
いいのかといえば、それも違う。戦争状態は戦争状態でろくでもない状態であり、世の中の平和が確立された上で、
なおかつ人々への圧制が緩和された状態こそは真の治世なのだから、それこそを追い求めていくべきなのである。
権力道徳の実践も察知も覚束ないでいるような状態で、なかなかそんなものを追い求めて行く気にもなれないと
しても無理のない話だが、それはそれはで実現し得るものであり、なおかつ、戦争状態はもちろんのこと、圧政の
敷かれた平和状態なぞ以上もの磐石な安定性が確立すらされ得るものなのであり、「道徳統治など長く続けられる
ものではない」などという、乱世の支配者の全く史実にも即していないような戯れ言などに流されるべきでもない。
「道は爾きに在り、而るに諸れを遠きに求む。事は易きに在り、而るに之れに
難きを求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、而うして天下も平らかなり」
「道はごくごく卑近なところにあるというのに、人々はみなそれを高遠なところなどに求めようとする。
それを実行することもさして難しいことではないのに、わざわざ難しいところばかりに実践手段を求める。
ただ誰しもが自らの親を親として尊び、年長者を年長者として尊びすらすれば、それだけで天下全土が平和
にもなるというのに。(過渡的な部分的平和などではなく、最終目的としての天下全土の平安を希求している。
そのための手段こそはかえって素朴なものであり、神聖さを追い求めたりするような無駄なこともしないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句上・一一より)
しても無理のない話だが、それはそれはで実現し得るものであり、なおかつ、戦争状態はもちろんのこと、圧政の
敷かれた平和状態なぞ以上もの磐石な安定性が確立すらされ得るものなのであり、「道徳統治など長く続けられる
ものではない」などという、乱世の支配者の全く史実にも即していないような戯れ言などに流されるべきでもない。
「道は爾きに在り、而るに諸れを遠きに求む。事は易きに在り、而るに之れに
難きを求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、而うして天下も平らかなり」
「道はごくごく卑近なところにあるというのに、人々はみなそれを高遠なところなどに求めようとする。
それを実行することもさして難しいことではないのに、わざわざ難しいところばかりに実践手段を求める。
ただ誰しもが自らの親を親として尊び、年長者を年長者として尊びすらすれば、それだけで天下全土が平和
にもなるというのに。(過渡的な部分的平和などではなく、最終目的としての天下全土の平安を希求している。
そのための手段こそはかえって素朴なものであり、神聖さを追い求めたりするような無駄なこともしないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句上・一一より)
始めから世界のごく一部を司る小物然とした神などでいるのならまだしも、「世界の全てを
造った」などと豪語しながら、その内の一部の儲や世界しか救わないとしているものだから、
仁義道徳を決定的に侵害する純度100%の邪神であることまでもが確定しているのである。
一部の事物を司る神であるというのなら、それ相応の扱いによる仁政への
役立てなどもまだ期待ができるのに、わざわざ「世界の全てを司る」などと
したものだから、仁政実現の上では根絶対象となることまでもが避けられない。
そして、そうでありながら一部の人間しか救わないような態度でいる神などを信じようとした
人間たち自身からして、人並み以上の不誠実さを帯びていたことが明らかである。せめてでも、
阿弥陀仏のように「西方浄土において一切衆生を救済の対象とする」と誓約しているような
神仏を信じたりしたのならば、それをして信者たち自身が不誠実である根拠などにはならない
のだが、「全世界を統べながら信じるものだけを救う」などという神を信じたものだから、
それによって自分たち自身の性根からの不誠実さまでをも露呈させてしまったのである。
世界の全てを統べるといいながら、一部の信者しか救わないともする。そこにすでに
歪んだ自己顕示欲が垣間見られる。仁者でもなければ身の程をわきまえた匹夫でもない、
身の程知らずとして世界に大迷惑をかけようとする不埒な小人としての素性が見受けられる。
その立場はといえばやはり、君子でも単なる小人でもない、政商あたりの奇形的な身分で
あっただろうこともうかがえる。君子が小人を治めることで世の中も成り立つわけだから、
君子も小人も世の中にとって欠くべからざる存在であるとはいえるが(昔の薩摩藩のように
藩が裕福だからといって猫も杓子も君子階級である武士になったりするのも考え物である)、
小人身分でありながら上位の君子並みの権限を持つ政商のような身分はといえば、世の中に
とって百害あって一利もない存在なわけだから、そのことからなるコンプレックスにかられての
歪んだ自己顕示欲を抱き、それを形而上の超越神などに偽託しただろうことが察せるのである。
造った」などと豪語しながら、その内の一部の儲や世界しか救わないとしているものだから、
仁義道徳を決定的に侵害する純度100%の邪神であることまでもが確定しているのである。
一部の事物を司る神であるというのなら、それ相応の扱いによる仁政への
役立てなどもまだ期待ができるのに、わざわざ「世界の全てを司る」などと
したものだから、仁政実現の上では根絶対象となることまでもが避けられない。
そして、そうでありながら一部の人間しか救わないような態度でいる神などを信じようとした
人間たち自身からして、人並み以上の不誠実さを帯びていたことが明らかである。せめてでも、
阿弥陀仏のように「西方浄土において一切衆生を救済の対象とする」と誓約しているような
神仏を信じたりしたのならば、それをして信者たち自身が不誠実である根拠などにはならない
のだが、「全世界を統べながら信じるものだけを救う」などという神を信じたものだから、
それによって自分たち自身の性根からの不誠実さまでをも露呈させてしまったのである。
世界の全てを統べるといいながら、一部の信者しか救わないともする。そこにすでに
歪んだ自己顕示欲が垣間見られる。仁者でもなければ身の程をわきまえた匹夫でもない、
身の程知らずとして世界に大迷惑をかけようとする不埒な小人としての素性が見受けられる。
その立場はといえばやはり、君子でも単なる小人でもない、政商あたりの奇形的な身分で
あっただろうこともうかがえる。君子が小人を治めることで世の中も成り立つわけだから、
君子も小人も世の中にとって欠くべからざる存在であるとはいえるが(昔の薩摩藩のように
藩が裕福だからといって猫も杓子も君子階級である武士になったりするのも考え物である)、
小人身分でありながら上位の君子並みの権限を持つ政商のような身分はといえば、世の中に
とって百害あって一利もない存在なわけだから、そのことからなるコンプレックスにかられての
歪んだ自己顕示欲を抱き、それを形而上の超越神などに偽託しただろうことが察せるのである。
超越神の仮面の内側に潜む歪んだ性格が信者たちにも落とし込まれた結果、
救いがたい不誠実さを内面に抱えながら、表向きだけは立派な修辞で取り繕うような、
典型的な偽善者が大勢作り上げられて行くことともなったのだった。
そのような邪教による歪んだ性格の植え付けもなければ、仁義道徳による謹厳さの教示なども
さして施されたことのない、東南アジアの田舎あたりの人間などは、いたって素朴なものである。
現代的な観点からすれば危ういほどにも素直だったりする、そんなままでいられたなら
それでもいいにしろ、案の定、一時はキリスト教圏による侵略などによって極度の疲弊に
晒されたりもしていたわけで(ブラックアフリカなどは今でもそのような状態にある)、
毒を制する薬としての、作為的な仁義道徳の修得なども多少はあってしかるべきことだといえる。
仮に今すぐ、歪んだ性格を信者に植え付けるような邪教がこの世から絶やされたとしても、
その禍根が当分甚だしいままであり続けることも間違いない。そこにプラマイゼロへの回復を
目指した矯正を施す目的で、仁徳の尊重を奨励して行くことなどもそれなりに必要であろう。
仁徳を尊ぶ儒者などもまた、>>294のように傍目には頑迷であるように見られることもあるわけだが、
それも、偽善者や悪人が増え過ぎた世の中における特効薬的な姿勢であるとして、大目に見て行くしかない。
「子張政を問う。子曰く、之れに居りて倦むこと無く、之れを行うには忠を以ってす」
「門弟の子張が政治のあり方を先生にお聞きした。先生は言われた。『任務にあっては決して倦むことなく、
奉行に際しても忠義を尽くすことだ』(難儀な仕事でも決して倦むことなく、忠義を尽くして執り行って
いくことで仁政も実現される。我田引水者はそんなことも始めから倦んで放り投げているのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一四)
救いがたい不誠実さを内面に抱えながら、表向きだけは立派な修辞で取り繕うような、
典型的な偽善者が大勢作り上げられて行くことともなったのだった。
そのような邪教による歪んだ性格の植え付けもなければ、仁義道徳による謹厳さの教示なども
さして施されたことのない、東南アジアの田舎あたりの人間などは、いたって素朴なものである。
現代的な観点からすれば危ういほどにも素直だったりする、そんなままでいられたなら
それでもいいにしろ、案の定、一時はキリスト教圏による侵略などによって極度の疲弊に
晒されたりもしていたわけで(ブラックアフリカなどは今でもそのような状態にある)、
毒を制する薬としての、作為的な仁義道徳の修得なども多少はあってしかるべきことだといえる。
仮に今すぐ、歪んだ性格を信者に植え付けるような邪教がこの世から絶やされたとしても、
その禍根が当分甚だしいままであり続けることも間違いない。そこにプラマイゼロへの回復を
目指した矯正を施す目的で、仁徳の尊重を奨励して行くことなどもそれなりに必要であろう。
仁徳を尊ぶ儒者などもまた、>>294のように傍目には頑迷であるように見られることもあるわけだが、
それも、偽善者や悪人が増え過ぎた世の中における特効薬的な姿勢であるとして、大目に見て行くしかない。
「子張政を問う。子曰く、之れに居りて倦むこと無く、之れを行うには忠を以ってす」
「門弟の子張が政治のあり方を先生にお聞きした。先生は言われた。『任務にあっては決して倦むことなく、
奉行に際しても忠義を尽くすことだ』(難儀な仕事でも決して倦むことなく、忠義を尽くして執り行って
いくことで仁政も実現される。我田引水者はそんなことも始めから倦んで放り投げているのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一四)
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頼って行く必要が出てくる場合がある。それは、我田引水を目的とした悪徳商売や権力犯罪を
牽制するためであり、決して為政者たる自分自身が独自にいい思いをしたりするためではない。
昔ながらの王宮や城郭を中心として形成された都市構造などは、その中央部に勝手に立ち入る
ことができない民間の商売人などに身の程を思い知らせると共に、その中央部にどっかりと
居座る王君や重臣が誰しもからの注目対象となって、隠れた不品行などに及べないように
する効果までをも持ち合わせていた。確かに、始皇帝などのように自己顕示欲の過剰によって
人々を重労働で困窮に陥れるほどにも甚大な王宮(阿房宮)を拵えたりすることもあったわけだが、
その逆に、自らは豪華な王宮を造ることなどを拒み通していたにもかかわらず、重臣の蕭何が勝手に
豪壮な王宮(未央宮)を造営したものだから腹を立て、「これぐらいのものがなければ帝王としての
威厳が保てません」となだめられてようやく納得した高祖劉邦のような事例もあるわけであり、後者の
事例などは、本当に必要にかられてやむなく王宮中心の都を構築していった事例であることが確かである。
民主主義の蔓延によって、王君を中心とした制度や都市設計などが軒並み撤廃や有名無実化されて
しまっている現代においては、現存する王宮や城郭といえばただの観光地扱い、金持ちが勝手に王宮をも
上回るような豪華絢爛な自宅を建築したりするのもしたい放題な状態となってしまっている。だからと
いってそのような金持ちが誰しもからの監視対象になったりするわけでもなく、王都の中心にどっかりと
宮殿を据えてそこに居座る王君などよりも遥かに無責任なままでのやりたい放題が可能となっている。
それは結局、封土を責任持って統治する主君の住処こそを中心として都市を設計して行く場合
などと比べても、世の中にかける負担がより大きなものと化す結果を招いてしまっているのである。
素封家が囲い込む富の分量が、世の中で取り回せる富の分量をも上回るような事態と化してしまう
ようならば、自明なこととして世の中のほうが貧困に見舞われることとなる。素封家は基本民間人だから、
「民主主義」の名の下でその主権を尊重される人間の内にも入ることとなる。だからといっていち私人
としての身の程を大きく逸脱するほどもの富を私物化したりしようものなら、そのせいで自分たちが
世の中に対して加える負担が、責任ある王君が年貢や納税によって世の中にかける負担すらをも上回る
ようなことにすらなってしまうわけである。資本主義の民主主義社会ともなればそのような体たらくと
化してしまうのが常套的なことであり、民衆にこそ主権を与えることで、王侯貴族が世の中に加える負担
を最小化ないし抹消しようとした民主化の試みは、完全に本末転倒の結果を来たしてしまったのである。
むろん、民主主義などというもの自体、始めから素封家の独り勝ちこそを真の目的としていたのだとも
言えなくはないわけで、結局のところ、これといった王侯将相の下で全体社会からの統率下に置かれる
ことでのみ、民間人もまた共食い状態などに陥ったりすることなく最善度の豊かさを謳歌して行ける
ように、人間社会の原理的な構造上からしてできているのだと結論付けることもできるわけである。
始皇帝のように、民衆を困窮に陥れるほどもの圧政を敷いたりするわけでもない主君が、素封家の横暴
によって世の中が困窮に陥れられたりすることを抑止するためにこそ全体規模で君臨する世の中こそは、
人々が最大級の豊かさに与れる世の中ともなることを十分に理解して、万端の納得の下に、「民主主義に
よってこそ人々もまた最大級の豊かさに与れる」という事実誤認を払拭して行くようにすべきなのである。
ようならば、自明なこととして世の中のほうが貧困に見舞われることとなる。素封家は基本民間人だから、
「民主主義」の名の下でその主権を尊重される人間の内にも入ることとなる。だからといっていち私人
としての身の程を大きく逸脱するほどもの富を私物化したりしようものなら、そのせいで自分たちが
世の中に対して加える負担が、責任ある王君が年貢や納税によって世の中にかける負担すらをも上回る
ようなことにすらなってしまうわけである。資本主義の民主主義社会ともなればそのような体たらくと
化してしまうのが常套的なことであり、民衆にこそ主権を与えることで、王侯貴族が世の中に加える負担
を最小化ないし抹消しようとした民主化の試みは、完全に本末転倒の結果を来たしてしまったのである。
むろん、民主主義などというもの自体、始めから素封家の独り勝ちこそを真の目的としていたのだとも
言えなくはないわけで、結局のところ、これといった王侯将相の下で全体社会からの統率下に置かれる
ことでのみ、民間人もまた共食い状態などに陥ったりすることなく最善度の豊かさを謳歌して行ける
ように、人間社会の原理的な構造上からしてできているのだと結論付けることもできるわけである。
始皇帝のように、民衆を困窮に陥れるほどもの圧政を敷いたりするわけでもない主君が、素封家の横暴
によって世の中が困窮に陥れられたりすることを抑止するためにこそ全体規模で君臨する世の中こそは、
人々が最大級の豊かさに与れる世の中ともなることを十分に理解して、万端の納得の下に、「民主主義に
よってこそ人々もまた最大級の豊かさに与れる」という事実誤認を払拭して行くようにすべきなのである。
「天下に王有り、地を分け国を建て、都を置き邑を立て、廟祧壇墠を設けて之れを祭り、親疏多少の数を為す」
「天下に帝王があれば、必ず地を諸国に分けて国を立て、都や村も指定して、それぞれに規則に則った祭祀
のため廟壇(日本なら神社に相当)を設置させる。それによって万人の親疎多少を統制して行くようにする。
(このような事業がもたらす効能は上記の通りである。確かな理由があるのだから決して軽んじてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭法第二十三より)
「天下に帝王があれば、必ず地を諸国に分けて国を立て、都や村も指定して、それぞれに規則に則った祭祀
のため廟壇(日本なら神社に相当)を設置させる。それによって万人の親疎多少を統制して行くようにする。
(このような事業がもたらす効能は上記の通りである。確かな理由があるのだから決して軽んじてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭法第二十三より)
ヴァカ。^^
「知る」ということが、人間のあらゆる行為のうちでも第一の自力作善にあたる。
だから「格物致知誠意正心修身斉家治国平天下(大学)」が善行の順序ともなるのである。
実際に仕官して主君に臣従したりするのは「修身」からであり、そこまでの「格物致知誠意正心」
は自学自習によってこそ達成して行くものである。「主君の弟子」たる君子階級としての事業に
取り組むことには多少の他力依存が介在して行くわけだが、それ以前の自学自習にかけては
独立独行を主とし、君子としての事業に望むに際してもあくまで自力本位でいられるようにする。
他者への信用に基づく依頼もあり得るにしろ、あくまで自力で知見を得て独立的な成果を挙げて行く
ことを主体とするのが君子としてのあり方である。だからこそ「仁義礼智信」の優先順位でもある。
信も智もあった上で智のほうが信よりも優位、自力も他力もあった上で自力のほうが他力よりも優位
であるとするのが君子であり、善人たるもの、誰しもが潜在的にその序列をわきまえているものである。
自力と他力、智と信の序列すらをも見損なってしまう所に君子と小人、善人と悪人の決定的な分岐点がある。
孔子は妾腹の私生児でいながら自ら家系を調べ上げて、孔家の正式な跡取りとして学者や君子階級と
しての事績を挙げた。一方、イエスも妾腹の私生児でいたものの、自分の系譜などはろくに調べもせず、
「自分は神の子だ」などとうそぶいての依存心まみれな邪教を触れ回り、いち匹夫小人としての身分の
ままに磔刑に処されてその人生を完全に終え去った。孔子は自己学習を主体として君子となり、イエスは
自学自習を拒んでの依存心まみれによって、小人としての度し難さをかえって深刻化させた。これらの
事例こそは、智と信の優先順位の正誤が、君子と小人を決定的に分断した好例中の好例ともなっている。
信に一辺倒でろくにものも知らないでいる、それなら別に害はないのである。それ以上にも、
信に溺れたままで歪んだ知識を身に付けようとするところにこそ致命的な問題が生ずる。
だから「格物致知誠意正心修身斉家治国平天下(大学)」が善行の順序ともなるのである。
実際に仕官して主君に臣従したりするのは「修身」からであり、そこまでの「格物致知誠意正心」
は自学自習によってこそ達成して行くものである。「主君の弟子」たる君子階級としての事業に
取り組むことには多少の他力依存が介在して行くわけだが、それ以前の自学自習にかけては
独立独行を主とし、君子としての事業に望むに際してもあくまで自力本位でいられるようにする。
他者への信用に基づく依頼もあり得るにしろ、あくまで自力で知見を得て独立的な成果を挙げて行く
ことを主体とするのが君子としてのあり方である。だからこそ「仁義礼智信」の優先順位でもある。
信も智もあった上で智のほうが信よりも優位、自力も他力もあった上で自力のほうが他力よりも優位
であるとするのが君子であり、善人たるもの、誰しもが潜在的にその序列をわきまえているものである。
自力と他力、智と信の序列すらをも見損なってしまう所に君子と小人、善人と悪人の決定的な分岐点がある。
孔子は妾腹の私生児でいながら自ら家系を調べ上げて、孔家の正式な跡取りとして学者や君子階級と
しての事績を挙げた。一方、イエスも妾腹の私生児でいたものの、自分の系譜などはろくに調べもせず、
「自分は神の子だ」などとうそぶいての依存心まみれな邪教を触れ回り、いち匹夫小人としての身分の
ままに磔刑に処されてその人生を完全に終え去った。孔子は自己学習を主体として君子となり、イエスは
自学自習を拒んでの依存心まみれによって、小人としての度し難さをかえって深刻化させた。これらの
事例こそは、智と信の優先順位の正誤が、君子と小人を決定的に分断した好例中の好例ともなっている。
信に一辺倒でろくにものも知らないでいる、それなら別に害はないのである。それ以上にも、
信に溺れたままで歪んだ知識を身に付けようとするところにこそ致命的な問題が生ずる。
キリスト教徒も、そのような歪んだ知識を洋学などとして構築しながら狂信を続けてきたものだから、
それらの知識を実際の世の中に適用しつつ世界を征服して行った結果、自分たちを含む全人類を
滅亡の危機に陥れるほどもの事態を招いてしまっているのである。そんなことは、無知を開き直って
信仰一辺倒でいようとする浄土教あたりなら決して成し得なかったことであり、むしろそんな所業に
までは至り得なければこそ、無知を開き直っての信仰のほうがマシであることまでもが実証されたのである。
ある程度以上の規模の悪逆非道というのはいつも、歪んだ知識に基づく自己正当化や悪行の体系化を
帯びているものであり、そのような知識自体を正当化する最終手段が邪神への信仰であったりもする。
単なる無知でもなければ単なる信仰でもなく、信>智という間違った序列に基づく邪信や歪んだ知識
こそが人類を滅亡の危機に陥れるほどもの大害悪となり得る。今までにも何度か指摘した位相上の
問題であり、故にこそ難解でもあるわけだが、ことは重大であるから、決して軽んじてもならない。
「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず」
「(現代語訳は不要だろう。仁徳に基づく上知はむしろ憂いや惑いを排するものである。仁徳の伴わない
歪んだ知識こそは憂いや惑いや懼れを生じさせ、狂信でも抱いていないではいられなくするのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・憲問第十四・三〇より)
それらの知識を実際の世の中に適用しつつ世界を征服して行った結果、自分たちを含む全人類を
滅亡の危機に陥れるほどもの事態を招いてしまっているのである。そんなことは、無知を開き直って
信仰一辺倒でいようとする浄土教あたりなら決して成し得なかったことであり、むしろそんな所業に
までは至り得なければこそ、無知を開き直っての信仰のほうがマシであることまでもが実証されたのである。
ある程度以上の規模の悪逆非道というのはいつも、歪んだ知識に基づく自己正当化や悪行の体系化を
帯びているものであり、そのような知識自体を正当化する最終手段が邪神への信仰であったりもする。
単なる無知でもなければ単なる信仰でもなく、信>智という間違った序列に基づく邪信や歪んだ知識
こそが人類を滅亡の危機に陥れるほどもの大害悪となり得る。今までにも何度か指摘した位相上の
問題であり、故にこそ難解でもあるわけだが、ことは重大であるから、決して軽んじてもならない。
「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず」
「(現代語訳は不要だろう。仁徳に基づく上知はむしろ憂いや惑いを排するものである。仁徳の伴わない
歪んだ知識こそは憂いや惑いや懼れを生じさせ、狂信でも抱いていないではいられなくするのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・憲問第十四・三〇より)
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歪んだ知識が無知以上の害悪をこの世にもたらす実例の一つとして、
実定法の悪用が無法状態以上もの放辟邪侈を実現するということがある。
ほとんど無法状態だった春秋戦国時代の諸侯による統治以上もの暴政が、
法家支配を主体とした秦始皇帝による統一支配によって中国にもたらされたことなどが
その歴史的な実例である。中国史の場合、法家や名家や縦横家などの劣悪な教学を
宗教的に正当化したりまでしたようなことがほぼ皆無だから、そのあたりが分かりやすい。
西洋史などの場合は、法家にあたる理念を聖書信仰で正当化したり、名家に当たる
理念をイデア主義で正当化したり、縦横家に当たる理念を悪魔崇拝で正当化したりと
いったような不埒な正当化までもが噛まされて来たものだから、中国史よりはずっと
劣悪な異端の教学が世の中に及ぼしていた悪影響の構造が理解しにくい。けれども、
結局のところは、中国の法家や名家や縦横家などが世の中に与えていた悪影響と全く
同じような悪影響を、聖書信仰やイデア主義や悪魔崇拝が及ぼしていたことにも
変わりはないのである。(もちろん、より損害が甚大だったということはある)
邪教邪学による劣悪な教学の正当化の一環として、無為自然の価値を貶めるということがある。
アダムの原罪を根拠として不労を罪とする旧約の教義などがその実例であり、人々に無為自然
の価値を見失わせることで、「悪いことをするぐらいなら何もしないでいたほうがマシ」という
聞いてみれば当たり前な事実関係への誤認をもけしかけるのである。それにより、人々の悪逆非道
への自制心が振り切れて、宗教的な正当化などしない場合以上もの害悪をもたらして来たのである。
(「韓非子」にも不労を罪とするような記述はあるが、宗教的な正当化までは為されていない)
実定法の悪用が無法状態以上もの放辟邪侈を実現するということがある。
ほとんど無法状態だった春秋戦国時代の諸侯による統治以上もの暴政が、
法家支配を主体とした秦始皇帝による統一支配によって中国にもたらされたことなどが
その歴史的な実例である。中国史の場合、法家や名家や縦横家などの劣悪な教学を
宗教的に正当化したりまでしたようなことがほぼ皆無だから、そのあたりが分かりやすい。
西洋史などの場合は、法家にあたる理念を聖書信仰で正当化したり、名家に当たる
理念をイデア主義で正当化したり、縦横家に当たる理念を悪魔崇拝で正当化したりと
いったような不埒な正当化までもが噛まされて来たものだから、中国史よりはずっと
劣悪な異端の教学が世の中に及ぼしていた悪影響の構造が理解しにくい。けれども、
結局のところは、中国の法家や名家や縦横家などが世の中に与えていた悪影響と全く
同じような悪影響を、聖書信仰やイデア主義や悪魔崇拝が及ぼしていたことにも
変わりはないのである。(もちろん、より損害が甚大だったということはある)
邪教邪学による劣悪な教学の正当化の一環として、無為自然の価値を貶めるということがある。
アダムの原罪を根拠として不労を罪とする旧約の教義などがその実例であり、人々に無為自然
の価値を見失わせることで、「悪いことをするぐらいなら何もしないでいたほうがマシ」という
聞いてみれば当たり前な事実関係への誤認をもけしかけるのである。それにより、人々の悪逆非道
への自制心が振り切れて、宗教的な正当化などしない場合以上もの害悪をもたらして来たのである。
(「韓非子」にも不労を罪とするような記述はあるが、宗教的な正当化までは為されていない)
信教それ自体は人々の無知蒙昧をけしかけるものだったりもするわけだが、それと同時に
根本的無知に即した妄動をけしかけたりもする、そのような信教こそは最悪級のカルトであり、
聖書信仰や、日蓮宗やヒンズー教の異端派などがその条件を満たしていたりする一方、
浄土信仰やイスラム教や拝火教などは辛うじてその条件を満たしていない。ここにこそ、
作為的な廃絶すらをも心がけて行くべきか否かの境界線があり、前者はそうしてすら
行かねばならない一方、後者はそこまではする必要がないようになっている。ただ、
両者とも人々の聡明さを積極的に伸ばしていくほどもの良質さは備えていないわけだから、
必要もなく積極的に振興していったりすべきだとまでは言えない点でも共通している。
(最悪級のカルト撃退のために、後者のようなマシな教学の振興が是とされ得る場合はある)
信教が優良な教学のより一層の振興に協力してくれるようならば、そのような信教をも推進
して行くべきだとすらいえるが、そのような信教こそはさしてうまみのないものだったりもする。
信教を儲けのために利用したりすることもなく、厳しい修行に励み続けるものだったりするから、
なかなか従事者を募ることからして難しかったりする。そこではむしろ、世の中の側が家系主義を講じて、
身寄りのない次男三男などを義務的に宗門に入れさせるなどの支援すらもが必要になって行くのであり、
まあ、儲けのための信教を好んでいたような人間が鞍替えしたがれるようなものではないといえる。
それで結局、自分から自主的に信教を好んで行くような人間のほとんどは精神的な堕落や儲けを
期待するものばかりとなるわけだから、信教全般の積極的な推進というものには歯止めをかけて
行くようにすべきだといえる。宗教を信じているからといって偉いなどとは限らない、むしろ
賤しい場合すらある。それぐらいのところに信教の扱いを集約させて、アブラハム教的な
「信教ありき」の姿勢を脱却した、より自由な文化振興を育んでいけるようになればいいのである。
根本的無知に即した妄動をけしかけたりもする、そのような信教こそは最悪級のカルトであり、
聖書信仰や、日蓮宗やヒンズー教の異端派などがその条件を満たしていたりする一方、
浄土信仰やイスラム教や拝火教などは辛うじてその条件を満たしていない。ここにこそ、
作為的な廃絶すらをも心がけて行くべきか否かの境界線があり、前者はそうしてすら
行かねばならない一方、後者はそこまではする必要がないようになっている。ただ、
両者とも人々の聡明さを積極的に伸ばしていくほどもの良質さは備えていないわけだから、
必要もなく積極的に振興していったりすべきだとまでは言えない点でも共通している。
(最悪級のカルト撃退のために、後者のようなマシな教学の振興が是とされ得る場合はある)
信教が優良な教学のより一層の振興に協力してくれるようならば、そのような信教をも推進
して行くべきだとすらいえるが、そのような信教こそはさしてうまみのないものだったりもする。
信教を儲けのために利用したりすることもなく、厳しい修行に励み続けるものだったりするから、
なかなか従事者を募ることからして難しかったりする。そこではむしろ、世の中の側が家系主義を講じて、
身寄りのない次男三男などを義務的に宗門に入れさせるなどの支援すらもが必要になって行くのであり、
まあ、儲けのための信教を好んでいたような人間が鞍替えしたがれるようなものではないといえる。
それで結局、自分から自主的に信教を好んで行くような人間のほとんどは精神的な堕落や儲けを
期待するものばかりとなるわけだから、信教全般の積極的な推進というものには歯止めをかけて
行くようにすべきだといえる。宗教を信じているからといって偉いなどとは限らない、むしろ
賤しい場合すらある。それぐらいのところに信教の扱いを集約させて、アブラハム教的な
「信教ありき」の姿勢を脱却した、より自由な文化振興を育んでいけるようになればいいのである。
「礼は本に反りて古えを修む、其の初めを忘れざるなり。故に凶事には詔せず、朝事には
楽を以てす。醴酒の用ありて、玄酒の尚びあり。割刀の用ありて、鸞刀の貴びあり。莞簟の安ありて、
稿靺の設けあり。是の故に先王の礼を制するや、必ず主有るなり。故に述べて多くを学ぶ可きなり」
「礼はその根本に回帰して古えのあり方をあえて修め、本来のあり方を忘れないようにすることがある。
要人の死などの凶事があれば詔勅を控え、養老養賢などの礼遇に際しては雅楽などの催事を行う。
本物の上等酒を用意しながらも、神前には酒に見立てた水を供えたりする。本当によく切れる刀の
用意がありながらも、鈴を付けた刃のない儀礼用の刀を用いたりする。畳や筵の席も用意しながらも、
藁で拵えた古風な席を用意したりする。これらは先王の礼にまつわる主意に即して執り行われる
ことであり、(表層だけ鑑みてもなかなかその意義が計り知りがたいものであるから、)よく勉強して
その主意までをも計り知れるようにならなければならない。(礼は法律のようにただ規律を忘れずに
いればいいというばかりのものではない。今となっては不可解であるような礼法の主意などまでをも
自らの勉強によって調べ上げ、その根本的な意義までをも忘れないでいられるようにしなければならない。
これこそは、礼が実定法などと違って人々の精神的怠惰を禁じていく材料ともなっている。勉強
への積極性に基づく精神の自由を養生させていく手段として、礼の修得が有効ともなるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼器第十より)
楽を以てす。醴酒の用ありて、玄酒の尚びあり。割刀の用ありて、鸞刀の貴びあり。莞簟の安ありて、
稿靺の設けあり。是の故に先王の礼を制するや、必ず主有るなり。故に述べて多くを学ぶ可きなり」
「礼はその根本に回帰して古えのあり方をあえて修め、本来のあり方を忘れないようにすることがある。
要人の死などの凶事があれば詔勅を控え、養老養賢などの礼遇に際しては雅楽などの催事を行う。
本物の上等酒を用意しながらも、神前には酒に見立てた水を供えたりする。本当によく切れる刀の
用意がありながらも、鈴を付けた刃のない儀礼用の刀を用いたりする。畳や筵の席も用意しながらも、
藁で拵えた古風な席を用意したりする。これらは先王の礼にまつわる主意に即して執り行われる
ことであり、(表層だけ鑑みてもなかなかその意義が計り知りがたいものであるから、)よく勉強して
その主意までをも計り知れるようにならなければならない。(礼は法律のようにただ規律を忘れずに
いればいいというばかりのものではない。今となっては不可解であるような礼法の主意などまでをも
自らの勉強によって調べ上げ、その根本的な意義までをも忘れないでいられるようにしなければならない。
これこそは、礼が実定法などと違って人々の精神的怠惰を禁じていく材料ともなっている。勉強
への積極性に基づく精神の自由を養生させていく手段として、礼の修得が有効ともなるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼器第十より)
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