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聖書 Part9
▼ページ最下部
地球人類社会において、四書五経こそは、ここ2500年の長きにわたって、わざわざ
特筆するまでもないほどに標準的な聖書としての、その地位を守り続けてきている。
その理由は、四書五経が「社会統治の聖書」であるからで、その他の用途に
用いられる諸々の聖書一般と比べれば、書物活用の場でもある世の中全体を司る
聖書である点において、やはり別格級の存在意義を持っているからでこそある。
夏・殷・周の三代に渡る古代中国の治世のあり方を、春秋時代に孔子が五経として体系化し、
その孔子自身や弟子や亦弟子(孟子含む)の言説を取りまとめた四書がさらに朱子に
よって権威化された。両者を合わせて「四書五経」というが、四書五経は宋代に定型化された
儒学正典の代表書というまでのことで、これに漏れた「孝経」「周礼」「儀礼」「大載礼記」「国語」
などの儒書も、四書五経に勝るとも劣らない聖書として扱ってもまったく差し支えないもの
となっており、四書五経を含むこれら全ての聖書が、実際に天下国家全土における治世を
実現していく上でのマニュアルとなるに相応しいだけの、十分な度量を備えている。
実際に、当時世界最大規模の国力を誇った漢帝国や唐帝国や宋帝国、
死刑一つない治世を実験した平安朝や、識字率世界最高を誇った江戸の日本
などにおいて、四書五経に代表される儒学の聖書こそは、権力者から庶民に
至るまでの、「必須の教養」としての扱いを受け続けていたのだった。
四書五経の記述に基づくような治世が実現されて後に初めて興隆する、儒学以外の高度な文化
というものもまた別に多くあり、むしろそちらのほうが治世実現後の世の中における「花形」
としての扱いを受けたりもする。唐代における詩文芸の興隆や、宋代における禅仏教の興隆、
平安時代における密教文化や女流文芸の興隆、江戸時代における武芸文化や演劇文化の興隆などが
その好例であり、そのような人々を楽しませることにかけてより秀でている文化の興隆を実現する
「縁の下の力持ち」としての役割をも儒学は担って来たから、必ずしも目立つ存在ではなかった
せいで、あまり人々にその偉大さを意識されることすらないままでいることが多かったのだ。
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特筆するまでもないほどに標準的な聖書としての、その地位を守り続けてきている。
その理由は、四書五経が「社会統治の聖書」であるからで、その他の用途に
用いられる諸々の聖書一般と比べれば、書物活用の場でもある世の中全体を司る
聖書である点において、やはり別格級の存在意義を持っているからでこそある。
夏・殷・周の三代に渡る古代中国の治世のあり方を、春秋時代に孔子が五経として体系化し、
その孔子自身や弟子や亦弟子(孟子含む)の言説を取りまとめた四書がさらに朱子に
よって権威化された。両者を合わせて「四書五経」というが、四書五経は宋代に定型化された
儒学正典の代表書というまでのことで、これに漏れた「孝経」「周礼」「儀礼」「大載礼記」「国語」
などの儒書も、四書五経に勝るとも劣らない聖書として扱ってもまったく差し支えないもの
となっており、四書五経を含むこれら全ての聖書が、実際に天下国家全土における治世を
実現していく上でのマニュアルとなるに相応しいだけの、十分な度量を備えている。
実際に、当時世界最大規模の国力を誇った漢帝国や唐帝国や宋帝国、
死刑一つない治世を実験した平安朝や、識字率世界最高を誇った江戸の日本
などにおいて、四書五経に代表される儒学の聖書こそは、権力者から庶民に
至るまでの、「必須の教養」としての扱いを受け続けていたのだった。
四書五経の記述に基づくような治世が実現されて後に初めて興隆する、儒学以外の高度な文化
というものもまた別に多くあり、むしろそちらのほうが治世実現後の世の中における「花形」
としての扱いを受けたりもする。唐代における詩文芸の興隆や、宋代における禅仏教の興隆、
平安時代における密教文化や女流文芸の興隆、江戸時代における武芸文化や演劇文化の興隆などが
その好例であり、そのような人々を楽しませることにかけてより秀でている文化の興隆を実現する
「縁の下の力持ち」としての役割をも儒学は担って来たから、必ずしも目立つ存在ではなかった
せいで、あまり人々にその偉大さを意識されることすらないままでいることが多かったのだ。
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「不仁、不智、無礼、無義は、人に役せらるものなり。人に役せらるものにして役を為すを恥ずるは、由お
弓人にして弓を為るを恥じ、矢人にして矢を為るを恥ずるが如し。之れを恥ずるなら、仁と為るに如くは莫し」
「不仁や無知や無礼や不義でいるものは、人に夫役を課せられる身分であるのが当たり前である。召使の身分
でありながら召使であることを恥じるのは、弓職人が弓を作るのを恥じ、矢職人が矢を作るのを恥じるのと全く
同じことだ。それが恥であるというのなら、仁者となる他はない。(不仁者は永遠に召使であり続ける他はない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・七より)
弓人にして弓を為るを恥じ、矢人にして矢を為るを恥ずるが如し。之れを恥ずるなら、仁と為るに如くは莫し」
「不仁や無知や無礼や不義でいるものは、人に夫役を課せられる身分であるのが当たり前である。召使の身分
でありながら召使であることを恥じるのは、弓職人が弓を作るのを恥じ、矢職人が矢を作るのを恥じるのと全く
同じことだ。それが恥であるというのなら、仁者となる他はない。(不仁者は永遠に召使であり続ける他はない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・公孫丑章句上・七より)
大道が廃れ、さらには仁義までもが廃れてから、すでに久しい。
つまり、真理に適うことも、道理を守ることも、共に廃れきってしまっているが現代という時代である。
その証拠に、儒者として飯を食っていくことも、自力作善の仏者として食っていくことも覚束ない。
大学の中国哲学科や仏教哲学科なども単なる知識を学び教えるというばかりのこと止まりで、
最高級の学者といえどもその知識内容を忠実に実践したりすることはない。せいぜい
自分の知識を我流の筆法で披露した書籍を販促して儲けたりすることがあるぐらいである。
個人的に儒学や仏教の教えを好むようなことがあっても、それに忠実に従うなどということはできない。
渋沢栄一なぞも、本来は権力道徳のための倫理である儒学上の倫理体系を、商売哲学として相当に
曲解することで初めて、近代における実践対象としていた。それは当然、儒学の忠実な実践などには
なっていないわけで、かえって人々に儒学への偏見を抱かせる原因ばかりになったのである。
ただ、それらも現状、大いに肯んじる他はない現実である。
「そんなことはない、これほどもの乱世であっても、それなりに儒学や仏教を実践して行ける余地はある」
などという綺麗ごとを言うことはできても、実際そんなことはない。他力本願の念仏や曲解儒学の実践なら
ともかく、自力作善の本格仏教や、道徳統治を本分とする本物の儒学の実践までもが覚束くものではない。
だからこそ、今のような破滅寸前の乱世の責任を、儒学や仏教に押し付けたりすることもまた全くの不可能である。
儒学が中国発祥の学問であるからといって、今の中国を敵対視してみたりしたところで、とっくの昔に
儒学も中国本土からその姿を消してしまっている。文化大革命などを通じて古来の伝統文化の継承が徹底的に
絶やされて、かろうじて歴史的価値のある寺院建築の保全などが存続している程度でしかなくなって
しまっているわけだから、今の中国と戦争をして侵略対象などにしてみたところで、それで
儒学や仏教文化がより損なわれるなどということもほとんど皆無に等しい。
つまり、真理に適うことも、道理を守ることも、共に廃れきってしまっているが現代という時代である。
その証拠に、儒者として飯を食っていくことも、自力作善の仏者として食っていくことも覚束ない。
大学の中国哲学科や仏教哲学科なども単なる知識を学び教えるというばかりのこと止まりで、
最高級の学者といえどもその知識内容を忠実に実践したりすることはない。せいぜい
自分の知識を我流の筆法で披露した書籍を販促して儲けたりすることがあるぐらいである。
個人的に儒学や仏教の教えを好むようなことがあっても、それに忠実に従うなどということはできない。
渋沢栄一なぞも、本来は権力道徳のための倫理である儒学上の倫理体系を、商売哲学として相当に
曲解することで初めて、近代における実践対象としていた。それは当然、儒学の忠実な実践などには
なっていないわけで、かえって人々に儒学への偏見を抱かせる原因ばかりになったのである。
ただ、それらも現状、大いに肯んじる他はない現実である。
「そんなことはない、これほどもの乱世であっても、それなりに儒学や仏教を実践して行ける余地はある」
などという綺麗ごとを言うことはできても、実際そんなことはない。他力本願の念仏や曲解儒学の実践なら
ともかく、自力作善の本格仏教や、道徳統治を本分とする本物の儒学の実践までもが覚束くものではない。
だからこそ、今のような破滅寸前の乱世の責任を、儒学や仏教に押し付けたりすることもまた全くの不可能である。
儒学が中国発祥の学問であるからといって、今の中国を敵対視してみたりしたところで、とっくの昔に
儒学も中国本土からその姿を消してしまっている。文化大革命などを通じて古来の伝統文化の継承が徹底的に
絶やされて、かろうじて歴史的価値のある寺院建築の保全などが存続している程度でしかなくなって
しまっているわけだから、今の中国と戦争をして侵略対象などにしてみたところで、それで
儒学や仏教文化がより損なわれるなどということもほとんど皆無に等しい。
俺もまた、別に現状で儒学を実践できているわけでもない。ただ文面の知識を学んでいるだけの匹夫の
身分であり、そんな相手を迫害対象にしてみたりしたところで、儒学や仏教のほうは痛くもかゆくもない。
真理を把捉した教学の代表としては仏教を、道理を把捉した学問の代表としては儒学をここでは主に挙げて
いるけども、真理や道理を忠実に把捉しているような教学はいずれも、その実践が覚束なくなってしまっている。
真理や道理にたがう邪教邪学が最大級に幅を利かせることで、善良な教学はその立場を追われてしまっているのが現状
であるからこそ、今の世界を破滅に陥れている邪教邪学が、他の教学などにその責任を押し付けることもできないのである。
自分たちの教えにたがう者であるからこそ、自分たち以上の破滅に陥れられる相手などというのを、
この地球上のどこにも見つけることができない。自分たちこそがそのような人間を現世から絶やして
しまったのだから、そうである責任を自分たち以外の誰かに押し付けたりすることもまた、全くの不能である。
「他人がもたらした禍いは、たとえ天からの禍いであっても多少の逃れようがあるが、
自らがもたらした禍いは、それほどの逃れようすらない」とは「書経」にもあるとおり。
そうである如実なるケースの一つが、現代における邪教邪学の自業自得の破滅ともなっている。
身分であり、そんな相手を迫害対象にしてみたりしたところで、儒学や仏教のほうは痛くもかゆくもない。
真理を把捉した教学の代表としては仏教を、道理を把捉した学問の代表としては儒学をここでは主に挙げて
いるけども、真理や道理を忠実に把捉しているような教学はいずれも、その実践が覚束なくなってしまっている。
真理や道理にたがう邪教邪学が最大級に幅を利かせることで、善良な教学はその立場を追われてしまっているのが現状
であるからこそ、今の世界を破滅に陥れている邪教邪学が、他の教学などにその責任を押し付けることもできないのである。
自分たちの教えにたがう者であるからこそ、自分たち以上の破滅に陥れられる相手などというのを、
この地球上のどこにも見つけることができない。自分たちこそがそのような人間を現世から絶やして
しまったのだから、そうである責任を自分たち以外の誰かに押し付けたりすることもまた、全くの不能である。
「他人がもたらした禍いは、たとえ天からの禍いであっても多少の逃れようがあるが、
自らがもたらした禍いは、それほどの逃れようすらない」とは「書経」にもあるとおり。
そうである如実なるケースの一つが、現代における邪教邪学の自業自得の破滅ともなっている。
「君仁なれば不仁なるもの莫く、君義なれば不義なるもの莫し」
「主君に仁があれば不仁なものもなく、主君に義があれば不義を働くものもない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句下・五)
「仲子は不義にして之れに斉国を与うるも受けること弗からん、人皆な之れを信ずるも、
是れ箪食豆羹を舎つるの義なり。人の親戚、君臣、上下を亡するより大なるは莫し」
「斉の陳仲子はたとえ斉一国をくれるとしてもそこに不義があればもらわないほど潔癖だという。
みなそれを信じて仲子を称えているが、私に言わせれば、そんなのはちょっとした食い物の贈り物を
不義だからといって断る程度のものでしかない。親戚君臣上下の序列を乱すことの不義には遠く及ばない。
(上の引用と合わせて。主君に不義を働かせて国中不義まみれにしたり、君臣上下の序列を乱して民に勝手に
不義を働かせたりすること両方ともが大罪である。犯罪聖書の神は必ずいずれかの罪を犯している)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・三四より)
「主君に仁があれば不仁なものもなく、主君に義があれば不義を働くものもない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句下・五)
「仲子は不義にして之れに斉国を与うるも受けること弗からん、人皆な之れを信ずるも、
是れ箪食豆羹を舎つるの義なり。人の親戚、君臣、上下を亡するより大なるは莫し」
「斉の陳仲子はたとえ斉一国をくれるとしてもそこに不義があればもらわないほど潔癖だという。
みなそれを信じて仲子を称えているが、私に言わせれば、そんなのはちょっとした食い物の贈り物を
不義だからといって断る程度のものでしかない。親戚君臣上下の序列を乱すことの不義には遠く及ばない。
(上の引用と合わせて。主君に不義を働かせて国中不義まみれにしたり、君臣上下の序列を乱して民に勝手に
不義を働かせたりすること両方ともが大罪である。犯罪聖書の神は必ずいずれかの罪を犯している)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・三四より)
どんな形であれ、この世で役に立つ言葉は、この世の内側の言葉である。
この世との密接な関係性によってのみその存在意義を帯びる言葉である。
そのような限定的な有用性を超越しているのが他でもない仏説であり、この世での有用性などに
飽き足りていないからこそ、その意味も俗人にはなかなか計り知りがたいものとなっている。
そういった分かりにくさは儒説にはないし、犯罪聖書の言葉にもない。
犯罪聖書の場合、極度の精神薄弱者やサイコパス患者が落書きした言葉であるために、
構文などが稚拙なせいで分かりにくいということはあるが、書いてある内容が難解だから
分かりにくいなどということはない。あくまでもこの世の内側の範疇に止まる意味の言葉であり、
そのセット数も厳密に四書五経以内の四書五経以下なものに止まっている。
それでいて、ただの俗人が適当に述べる言葉などとは決定的に違う点が、四書五経の言葉にも
犯罪聖書の言葉にもある。四書五経の言葉が俗人の戯言などと決定的に違うのは、易の法則に
即した陽唱陰和を念頭にした言葉こそを集成している点である。しかもそれを俗世の言葉で簡潔に
述べているものだから、それが「勧善懲悪」の理念に適った言葉であるとも考えられるのである。
犯罪聖書の言葉はその逆で、易の法則でいえば陽唱陰和の逆を行く言葉の集成となっている。
それは別に犯罪聖書の編纂者がそれを狙ったからではなく、政商犯などとしての自分たちの
素行の悪さに即してものを書こうとした結果、自然とそうなってしまったのであり、
自分たちでも知らず知らずのうちから、悪逆非道の黄金比こそを体系化てしまったのである。
四書五経の言葉と犯罪聖書の言葉のうちで、どちらのほうがより形而上的かといえば、
それもむしろ四書五経のほうである。別に儒説が形而上的な物言いなどを心がけているわけでは
ないが、精一杯この世界のすべてを捉えきろうとしていることは間違いがない。そのために、
易の法則の如きこの世界のすべてを包括する法則の把握にまで及んでいる。犯罪聖書の著者には
そんな心がけはなく、この世界の内側のごく一部の法則の把握までにしか心がけが及んでいない。
この世との密接な関係性によってのみその存在意義を帯びる言葉である。
そのような限定的な有用性を超越しているのが他でもない仏説であり、この世での有用性などに
飽き足りていないからこそ、その意味も俗人にはなかなか計り知りがたいものとなっている。
そういった分かりにくさは儒説にはないし、犯罪聖書の言葉にもない。
犯罪聖書の場合、極度の精神薄弱者やサイコパス患者が落書きした言葉であるために、
構文などが稚拙なせいで分かりにくいということはあるが、書いてある内容が難解だから
分かりにくいなどということはない。あくまでもこの世の内側の範疇に止まる意味の言葉であり、
そのセット数も厳密に四書五経以内の四書五経以下なものに止まっている。
それでいて、ただの俗人が適当に述べる言葉などとは決定的に違う点が、四書五経の言葉にも
犯罪聖書の言葉にもある。四書五経の言葉が俗人の戯言などと決定的に違うのは、易の法則に
即した陽唱陰和を念頭にした言葉こそを集成している点である。しかもそれを俗世の言葉で簡潔に
述べているものだから、それが「勧善懲悪」の理念に適った言葉であるとも考えられるのである。
犯罪聖書の言葉はその逆で、易の法則でいえば陽唱陰和の逆を行く言葉の集成となっている。
それは別に犯罪聖書の編纂者がそれを狙ったからではなく、政商犯などとしての自分たちの
素行の悪さに即してものを書こうとした結果、自然とそうなってしまったのであり、
自分たちでも知らず知らずのうちから、悪逆非道の黄金比こそを体系化てしまったのである。
四書五経の言葉と犯罪聖書の言葉のうちで、どちらのほうがより形而上的かといえば、
それもむしろ四書五経のほうである。別に儒説が形而上的な物言いなどを心がけているわけでは
ないが、精一杯この世界のすべてを捉えきろうとしていることは間違いがない。そのために、
易の法則の如きこの世界のすべてを包括する法則の把握にまで及んでいる。犯罪聖書の著者には
そんな心がけはなく、この世界の内側のごく一部の法則の把握までにしか心がけが及んでいない。
故にこそ、いくら卑俗な言葉の集成であるにしても、
四書五経の言葉のほうが比較的形而上に近い一方、どんなに思わせぶりでも、
犯罪聖書の言葉のほうが比較的形而上から遠いものだといえる。
四書五経のような模範的な儒説を会得できたものこそは、この世界の内側にいながら、
この世界の全てを知る。世界の全てを知るがゆえに、自分自身が形而上的な存在とすらなれる。
犯罪聖書の言葉はその逆で、この世界の内側の、さらにごく一部の矮小な領域に
のみ信者たちを閉じ込めてしまうものである。そのせいで信者たちは、自分たちが
形而上的な存在であることを禁止される一方、自分たちがごく矮小な領域に閉じ込め
られたことを以ってして、「形而上への昇天」だなどと倒錯してしまいもするのである。
儒術の体得は結局、この世界の法則を超越する真理の法(仏法)に合致しようとする仏教の修養
にも漸近する。儒学が専門とするのはあくまでこの世界の内側の問題であるが、この世界の全てを
捉えきるほどにも儒学を修め尽くせたなら、もはやその人間自身の境地は形而上にあるも同然である、
故にこそ、始めからそれを狙っている仏門の境地にも、図らずとも合致することとなるのである。
(実際には、仏教の修得が儒学の修養を助成するようなことのほうが多いようである)
この世界の内側の、さらにごく一部の矮小な領域の法則ばかりに拘泥して、それを
形而上への昇天だなどと倒錯する件の邪教への耽溺は、儒学の修養と仏教の修養
いずれとも相容れないものである。形而下の全てを知って形而上の境地に赴くことも、
始めから形而上の境地を目指すことも、いずれをも不能と化してしまうものである。
そんな所ばかりに自分たちが陥ってしまうことほど、もったいないことも他にないのである。
「天地の害を除去す、之れを義と謂う」
「天地に跋扈する害、天地を害するものを除去して行くことこそを『義』という。
(所詮天地が滅んだりすることはないわけだが、天地が害されて懸隔状態となり、万物が利を損なう
ようなことはいくらでもある。そのようになるのを黙認したり、助長したりすることこそは不義である)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・経解第二十六より)
四書五経の言葉のほうが比較的形而上に近い一方、どんなに思わせぶりでも、
犯罪聖書の言葉のほうが比較的形而上から遠いものだといえる。
四書五経のような模範的な儒説を会得できたものこそは、この世界の内側にいながら、
この世界の全てを知る。世界の全てを知るがゆえに、自分自身が形而上的な存在とすらなれる。
犯罪聖書の言葉はその逆で、この世界の内側の、さらにごく一部の矮小な領域に
のみ信者たちを閉じ込めてしまうものである。そのせいで信者たちは、自分たちが
形而上的な存在であることを禁止される一方、自分たちがごく矮小な領域に閉じ込め
られたことを以ってして、「形而上への昇天」だなどと倒錯してしまいもするのである。
儒術の体得は結局、この世界の法則を超越する真理の法(仏法)に合致しようとする仏教の修養
にも漸近する。儒学が専門とするのはあくまでこの世界の内側の問題であるが、この世界の全てを
捉えきるほどにも儒学を修め尽くせたなら、もはやその人間自身の境地は形而上にあるも同然である、
故にこそ、始めからそれを狙っている仏門の境地にも、図らずとも合致することとなるのである。
(実際には、仏教の修得が儒学の修養を助成するようなことのほうが多いようである)
この世界の内側の、さらにごく一部の矮小な領域の法則ばかりに拘泥して、それを
形而上への昇天だなどと倒錯する件の邪教への耽溺は、儒学の修養と仏教の修養
いずれとも相容れないものである。形而下の全てを知って形而上の境地に赴くことも、
始めから形而上の境地を目指すことも、いずれをも不能と化してしまうものである。
そんな所ばかりに自分たちが陥ってしまうことほど、もったいないことも他にないのである。
「天地の害を除去す、之れを義と謂う」
「天地に跋扈する害、天地を害するものを除去して行くことこそを『義』という。
(所詮天地が滅んだりすることはないわけだが、天地が害されて懸隔状態となり、万物が利を損なう
ようなことはいくらでもある。そのようになるのを黙認したり、助長したりすることこそは不義である)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・経解第二十六より)
己れの利得が道義に適っているか否かを、仁者はあくまで自分自身が判断する。
その判断基準は「公益を害していないか否か」であり、害しているような
場合には不正利得とみなして、自らが受けたりすることも拒む。
公益を害しているか否かということが、普遍的な判断材料によって判別することが難しいから、
「仁」という理念も漠然としている所がある。なぜ普遍的な判断材料に乏しいかといって、
それは、商売人なり何なりが、私利私益の追求をあたかも公益寄与であるかのように
見せかける手段にも枚挙に暇がないからである。本当はただ私腹を肥やしたいだけであり、
実際に、世の中に利益以上の損害をもたらすことで不当な利得をかすめたりもするわけだが、
そうであることがあからさまだと凶賊もいいとこだから、そうであることを開き直っている
わけでもないような商売人などの場合、手を変え品を変えしての我田引水の隠蔽にも務めるのである。
その手段は、日に日に進化して行く。かつては黙認されたりすることがあった贋金作りも、
今は公然では厳禁とされている。だからといって悪徳商人などによるあぶく銭の膨らましが
完全に禁じられていたりするのではなく、株式市場での実態に沿わない景況の釣り上げだとか、
一部の富豪が各国中央銀行を私物化しての紙幣増刷の身勝手な操作だとかまでもが企てられている。
要は、贋金作りの手段が巧妙化したというばかりのことであり、事態はむしろ深刻化すらしてしまっている。
そういった現状において仁政を尽くすというのであれば、ただ贋金作りを禁止するだけで済んでいた
かつてのままの取り締まり手段などではとうてい済むはずもない。悪徳金融の犯行が巧妙化して
しまったぶんだけ、取り締まりの手法にも手管を尽くさねばならない。なればこそ、それを試みて
いくための「仁」という理念もまた、漠然とした範疇にとどめられておく必要があるのである。
その判断基準は「公益を害していないか否か」であり、害しているような
場合には不正利得とみなして、自らが受けたりすることも拒む。
公益を害しているか否かということが、普遍的な判断材料によって判別することが難しいから、
「仁」という理念も漠然としている所がある。なぜ普遍的な判断材料に乏しいかといって、
それは、商売人なり何なりが、私利私益の追求をあたかも公益寄与であるかのように
見せかける手段にも枚挙に暇がないからである。本当はただ私腹を肥やしたいだけであり、
実際に、世の中に利益以上の損害をもたらすことで不当な利得をかすめたりもするわけだが、
そうであることがあからさまだと凶賊もいいとこだから、そうであることを開き直っている
わけでもないような商売人などの場合、手を変え品を変えしての我田引水の隠蔽にも務めるのである。
その手段は、日に日に進化して行く。かつては黙認されたりすることがあった贋金作りも、
今は公然では厳禁とされている。だからといって悪徳商人などによるあぶく銭の膨らましが
完全に禁じられていたりするのではなく、株式市場での実態に沿わない景況の釣り上げだとか、
一部の富豪が各国中央銀行を私物化しての紙幣増刷の身勝手な操作だとかまでもが企てられている。
要は、贋金作りの手段が巧妙化したというばかりのことであり、事態はむしろ深刻化すらしてしまっている。
そういった現状において仁政を尽くすというのであれば、ただ贋金作りを禁止するだけで済んでいた
かつてのままの取り締まり手段などではとうてい済むはずもない。悪徳金融の犯行が巧妙化して
しまったぶんだけ、取り締まりの手法にも手管を尽くさねばならない。なればこそ、それを試みて
いくための「仁」という理念もまた、漠然とした範疇にとどめられておく必要があるのである。
とはいえ、仁という理念を実践して行くために適切となる手段として、現代でも普遍的に
通用する古来からの儒説というものもまたやはりある。それが、それぞれの国家の体制をよく
整えて、国益をよく尊重して行くということである。そのために必要なのは、一国や二国ばかりの
国益が偏重されることではなく、天下全土の国家の権益が相応に守られて行く必要がある。
今も、公私織り交ぜた悪徳外交家(縦横家)が多数暗躍している時代であり、それらの人間によって、
一国や同盟国の利益すら守られればそれでいいというような偏見の流布までもが企てられている時代である。
それはむしろあらゆる国家の長期的な国益を損なうと共に、仁義道徳に反する狭隘に過ぎた見識でもある
のだから、そんな讒言に囚われることなく、天下国家の公益というものを第一に考えて行かなければならない。
これもまた、実際に企図していくとなると、画一的な手法ばかりに囚われていてはならない所がある。
それもやはり、悪徳外交家による国益横領の手段が昔以上に巧妙化したりしているからで、戦時中は
嘘八百を並べ立てる説客などとしても活躍していた儒者の叔孫通ぐらいの機転を利かせるのでなければ、
縦横家の権謀術数にもとうてい対抗しきれるものではない。もちろん縦横家や悪徳商人の暗躍が絶やされて
治世が確立されて後には、これまた叔孫通のような礼楽統治の復興にも務めて行けばいいわけで、仁政の
ための手段というものは乱世においてこそ不定なものとなり、治世においては定まるものであるのだといえる。
「仁を里とするを美と為す。択んで仁に処らずんば、焉んぞ知なることを得ん」
「仁を自らの居場所とすることこそは善美なことである。自分から選んで仁に居ようとするのでなければ、
どうして知者であるなどということが言えようか。(仁なることを強要する他者など居ないし、また
居てはならない。強制されて仁となるようでは、仁義礼智>信という五条の徳の序列にももとるから)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——里仁第四・一より)
通用する古来からの儒説というものもまたやはりある。それが、それぞれの国家の体制をよく
整えて、国益をよく尊重して行くということである。そのために必要なのは、一国や二国ばかりの
国益が偏重されることではなく、天下全土の国家の権益が相応に守られて行く必要がある。
今も、公私織り交ぜた悪徳外交家(縦横家)が多数暗躍している時代であり、それらの人間によって、
一国や同盟国の利益すら守られればそれでいいというような偏見の流布までもが企てられている時代である。
それはむしろあらゆる国家の長期的な国益を損なうと共に、仁義道徳に反する狭隘に過ぎた見識でもある
のだから、そんな讒言に囚われることなく、天下国家の公益というものを第一に考えて行かなければならない。
これもまた、実際に企図していくとなると、画一的な手法ばかりに囚われていてはならない所がある。
それもやはり、悪徳外交家による国益横領の手段が昔以上に巧妙化したりしているからで、戦時中は
嘘八百を並べ立てる説客などとしても活躍していた儒者の叔孫通ぐらいの機転を利かせるのでなければ、
縦横家の権謀術数にもとうてい対抗しきれるものではない。もちろん縦横家や悪徳商人の暗躍が絶やされて
治世が確立されて後には、これまた叔孫通のような礼楽統治の復興にも務めて行けばいいわけで、仁政の
ための手段というものは乱世においてこそ不定なものとなり、治世においては定まるものであるのだといえる。
「仁を里とするを美と為す。択んで仁に処らずんば、焉んぞ知なることを得ん」
「仁を自らの居場所とすることこそは善美なことである。自分から選んで仁に居ようとするのでなければ、
どうして知者であるなどということが言えようか。(仁なることを強要する他者など居ないし、また
居てはならない。強制されて仁となるようでは、仁義礼智>信という五条の徳の序列にももとるから)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——里仁第四・一より)
信仰は情念のほとばしりである。
何を信じるのであれそれは共通していて、その情念こそを正信によって善用することもできれば、
邪信によって悪用することもできる。全く知性を欠いた情念が正信に踏み止まれるか邪信に
陥るかは不定なことだから、まずは十分な分別知によって正信と邪信を区別できるものが
社会的に後者を排して前者を推奨するなどして、たとえ妄信にしか耽っていられないような
人間であっても自然と正信を選択できるような風潮を盛り立てて行ってやる必要がある。
キリシタンや日蓮カルトが排されて、最低でも念仏信仰ぐらいに踏み止まっていられる体制が
敷かれていた頃の日本などはまさにそのようだった。みんながやってる当たり前なものとしての
念仏唱名が無知な百姓あたりにまで行き渡り、さして善行は為せずとも、最悪の悪行にまでは
走らないでいられる程度の正信による「結界」が日本中に張り巡らされていた。
キリシタンが解禁された明治以降、さらにはマッカーサー憲法で「信教の自由」が謳われて、
カルト教団でも宗教法人法による税制優遇が受けられるようになった敗戦後などには、誰かが
正信と邪信をより分けて、邪信を排して正信を奨めておいてやるなんていうことは不可能となった。
正信を促す正統な信教こそは泰然として、無闇な布教などにも及ばないでいる一方、邪信を促すカルト
こそは、信者獲得による儲けのために必死で布教を試みているものだから、特に目に付く宗教といえば
カルトばかりとなって、そのせいで宗教全般への嫌悪感が日本人に植え付けられることともなったのだった。
誰しもが信仰なんか抜きにして、己れの知恵によってまともな生活や社会活動を営めるというのなら、
全くそれでいいのである。しかし残念ながら、そこまで誰しもが賢良方正であるほど世の中という
ものもできていないものだから、己れの知恵だけでは生きていくこともままならないような愚人を
精神面から統御してやるための手段として、信教が有効となる場合がある。科学至上主義の時代に
未だ宗教なんてものが残存していることが不可解に思われたりもするが、そう思えてしまう
ような人間は、世の中のダメな部分に対する配慮が未だ足りていないのである。
何を信じるのであれそれは共通していて、その情念こそを正信によって善用することもできれば、
邪信によって悪用することもできる。全く知性を欠いた情念が正信に踏み止まれるか邪信に
陥るかは不定なことだから、まずは十分な分別知によって正信と邪信を区別できるものが
社会的に後者を排して前者を推奨するなどして、たとえ妄信にしか耽っていられないような
人間であっても自然と正信を選択できるような風潮を盛り立てて行ってやる必要がある。
キリシタンや日蓮カルトが排されて、最低でも念仏信仰ぐらいに踏み止まっていられる体制が
敷かれていた頃の日本などはまさにそのようだった。みんながやってる当たり前なものとしての
念仏唱名が無知な百姓あたりにまで行き渡り、さして善行は為せずとも、最悪の悪行にまでは
走らないでいられる程度の正信による「結界」が日本中に張り巡らされていた。
キリシタンが解禁された明治以降、さらにはマッカーサー憲法で「信教の自由」が謳われて、
カルト教団でも宗教法人法による税制優遇が受けられるようになった敗戦後などには、誰かが
正信と邪信をより分けて、邪信を排して正信を奨めておいてやるなんていうことは不可能となった。
正信を促す正統な信教こそは泰然として、無闇な布教などにも及ばないでいる一方、邪信を促すカルト
こそは、信者獲得による儲けのために必死で布教を試みているものだから、特に目に付く宗教といえば
カルトばかりとなって、そのせいで宗教全般への嫌悪感が日本人に植え付けられることともなったのだった。
誰しもが信仰なんか抜きにして、己れの知恵によってまともな生活や社会活動を営めるというのなら、
全くそれでいいのである。しかし残念ながら、そこまで誰しもが賢良方正であるほど世の中という
ものもできていないものだから、己れの知恵だけでは生きていくこともままならないような愚人を
精神面から統御してやるための手段として、信教が有効となる場合がある。科学至上主義の時代に
未だ宗教なんてものが残存していることが不可解に思われたりもするが、そう思えてしまう
ような人間は、世の中のダメな部分に対する配慮が未だ足りていないのである。
宗教なんて、なくて済むならそれに越したことはない。ただ、どうしても必要というのなら、
正信を促すまともな信教に限るべきだ。どんな宗教でも信じることは自由、むしろ邪な宗教こそを
信じてしまえなんていうのなら、本当に宗教保護なんか一切取り去ってしまったほうがマシである。
信仰にそれなりの統制が効かされていた頃の日本でも、朝廷や幕府からの手厚い庇護を受けていた
仏門宗派(天台真言禅など)と、ほとんど民間からの支援だけで成り立っていた宗派(一向宗や日蓮宗)
との両方があった。信仰を禁じる・禁じないなんてのは極端な話で、禁教まで施される必要があるような
信教はごくごく限られている。禁教まではされない信教のうちでも、権力者からの手厚い庇護を受ける
宗門と、庇護を受けられない宗門とを分けたりすべきなのだから、禁教すべき邪教はさっさと禁教して、
さらにその先、保護すべき秀教と保護まではすべきでない凡教との選別へと早急に向かうべきである。
宗教なんて世の中の必要悪でしかないからこそ、そうするのである。まずは、宗教というジャンル
に対する無駄な憧憬を軒並み排すべきである。そうしたなら、信仰なんてそれなりの統制を受けて当然、
信教の自由なんて非常識極まりないことだとも自然と思えるはずである。そういう風に考えられる人間が
世の中の大多数となり、権力機構には必ずその程度の達観の持ち主が従事するようになることを心がける
べきである。宗教というものを排することまではできなくとも、それぐらいのことは目指すべきである。
「信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報ずれば、垂拱して天下治まる」
「信心を篤くして道義を明らかにし、仁徳を貴んで功業にも相応の報償を施せば、
指一つ動かさずとも天下はよく治まる。(正信は戦いを収めるものである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・武成より)
正信を促すまともな信教に限るべきだ。どんな宗教でも信じることは自由、むしろ邪な宗教こそを
信じてしまえなんていうのなら、本当に宗教保護なんか一切取り去ってしまったほうがマシである。
信仰にそれなりの統制が効かされていた頃の日本でも、朝廷や幕府からの手厚い庇護を受けていた
仏門宗派(天台真言禅など)と、ほとんど民間からの支援だけで成り立っていた宗派(一向宗や日蓮宗)
との両方があった。信仰を禁じる・禁じないなんてのは極端な話で、禁教まで施される必要があるような
信教はごくごく限られている。禁教まではされない信教のうちでも、権力者からの手厚い庇護を受ける
宗門と、庇護を受けられない宗門とを分けたりすべきなのだから、禁教すべき邪教はさっさと禁教して、
さらにその先、保護すべき秀教と保護まではすべきでない凡教との選別へと早急に向かうべきである。
宗教なんて世の中の必要悪でしかないからこそ、そうするのである。まずは、宗教というジャンル
に対する無駄な憧憬を軒並み排すべきである。そうしたなら、信仰なんてそれなりの統制を受けて当然、
信教の自由なんて非常識極まりないことだとも自然と思えるはずである。そういう風に考えられる人間が
世の中の大多数となり、権力機構には必ずその程度の達観の持ち主が従事するようになることを心がける
べきである。宗教というものを排することまではできなくとも、それぐらいのことは目指すべきである。
「信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報ずれば、垂拱して天下治まる」
「信心を篤くして道義を明らかにし、仁徳を貴んで功業にも相応の報償を施せば、
指一つ動かさずとも天下はよく治まる。(正信は戦いを収めるものである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・周書・武成より)
麻雀は哲学だ、とか
商売は哲学だ、とか
哲学のての字も知らないような俗物がよく嘯いてるでしょ。しかし頭は悪いにしてもされはそれである意味正しいんですね。どういうことかと言うと、
そら何ごとであれ一生懸命やれば古典哲学的あるいは形示上学的な世界を垣間見ることはあるでしょう。
儒教をやれば真理に近づくなんて論法も全く同じですよ。
真理を求めるのであれば儒教から攻める必要性はないし、それなら正面切ってそれを求める宗教の方が好感がもてるし、そのやり方を俗人が聖人のふりをしてとやかく言う資格もないでしょう。
商売は哲学だ、とか
哲学のての字も知らないような俗物がよく嘯いてるでしょ。しかし頭は悪いにしてもされはそれである意味正しいんですね。どういうことかと言うと、
そら何ごとであれ一生懸命やれば古典哲学的あるいは形示上学的な世界を垣間見ることはあるでしょう。
儒教をやれば真理に近づくなんて論法も全く同じですよ。
真理を求めるのであれば儒教から攻める必要性はないし、それなら正面切ってそれを求める宗教の方が好感がもてるし、そのやり方を俗人が聖人のふりをしてとやかく言う資格もないでしょう。
「小道と雖ども、必ず観るべき者有り。遠きを致すには
泥まぬことを恐る。是を以て君子は為さざるなり(既出)」
「小道にも全く見所がないわけではない。 しかし、遠く進んで行けば
必ず泥沼にはまることになる。だから君子はその道を歩まないのだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・四より)
「君子の道は闇然として而も日に章らかに、小人の道は的然として日に亡ぶ(既出)」
「君子の道は(謙譲を尽くすので)始めは暗がりのようだが、日々の積み重ねで次第に明らかになり、
小人の道は(巧言令色を尽くすので)始めは明るげでも、風化によって次第に衰亡していく。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・三三より)
「非可換なものの実在」を、これから改めて人々に啓蒙して行く必要がある。
それは、昔は直観的に認識されていたものだが、今は無理に無きものとされている。
しかし、残念ながらやっぱり実在していたわけだから、それはわきまえて行くほかない。
泥まぬことを恐る。是を以て君子は為さざるなり(既出)」
「小道にも全く見所がないわけではない。 しかし、遠く進んで行けば
必ず泥沼にはまることになる。だから君子はその道を歩まないのだ」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子張第十九・四より)
「君子の道は闇然として而も日に章らかに、小人の道は的然として日に亡ぶ(既出)」
「君子の道は(謙譲を尽くすので)始めは暗がりのようだが、日々の積み重ねで次第に明らかになり、
小人の道は(巧言令色を尽くすので)始めは明るげでも、風化によって次第に衰亡していく。」
(権力道徳聖書——通称四書五経——中庸・三三より)
「非可換なものの実在」を、これから改めて人々に啓蒙して行く必要がある。
それは、昔は直観的に認識されていたものだが、今は無理に無きものとされている。
しかし、残念ながらやっぱり実在していたわけだから、それはわきまえて行くほかない。
安らぐべからざる所に安んじ、楽しむべからざる所を楽しむような状態を
荀子は「狂生」と呼んだ。ただ、この言葉は唱えられ始めた頃からすでに誤用されていたようで、
戦国時代末期から荀子学派の儒者であった酈食其なども、自らが始皇帝の焚書坑儒から逃れるために
アル中の狂人を装っていたために、人々から「狂生」と呼ばれていたという。(「漢書」酈生列伝参照)
おそらく本人自身が、秦帝国の権力者などを「狂生者」などと呼んでいたのだろうが、その時にはむしろ
自分のほうが狂人を装っていたわけだから、自らの言葉を跳ね返されて、自分自身まこそが人から「狂生」と
呼ばれてしまったのである。(この『狂生』には『狂った先生』という皮肉めいた意味までもが込められている)
ただ、結果はやはり本物の狂生者にこそ最大級の禍いを報い、そうでない者にはそれなりの厚遇を処した。
秦帝国は民衆レベルの反乱によって完全崩壊し、その王統に至るまで中国では完全に絶やされた。
酈食其もまた楚漢戦争中に韓信(正確にはその参謀の蒯通)の策略の犠牲となって斉国で客死するも、
一度は斉国を説得で帰服させたその功績が認められて、子孫が万戸侯として封ぜられるなどしている。
酈食其も結局は戦死したわけだから、必ずしも救われたとまではいえないが、中国本土でも逃亡先の
日本などでも、天下の笑い者としての恥辱に見舞われ続けることとなった秦帝国の徒輩などと比べれば、
ずいぶんとマシな運命を辿ることとなったものだといえる。荀子が定義した「狂生」という言葉の意味も、
本来からしてそういった長期的な普遍性に即したものだったはずで、本物の狂生者は不謹慎な安静を
追い求めて最悪の破滅に見舞われる一方、あてつけや言いがかりで狂生者扱いされたような人間は、
いつかは誤解が解かれて名誉を取り戻し、子孫代々にいたるまでのマシ以上な処遇に与れるものである。
荀子は「狂生」と呼んだ。ただ、この言葉は唱えられ始めた頃からすでに誤用されていたようで、
戦国時代末期から荀子学派の儒者であった酈食其なども、自らが始皇帝の焚書坑儒から逃れるために
アル中の狂人を装っていたために、人々から「狂生」と呼ばれていたという。(「漢書」酈生列伝参照)
おそらく本人自身が、秦帝国の権力者などを「狂生者」などと呼んでいたのだろうが、その時にはむしろ
自分のほうが狂人を装っていたわけだから、自らの言葉を跳ね返されて、自分自身まこそが人から「狂生」と
呼ばれてしまったのである。(この『狂生』には『狂った先生』という皮肉めいた意味までもが込められている)
ただ、結果はやはり本物の狂生者にこそ最大級の禍いを報い、そうでない者にはそれなりの厚遇を処した。
秦帝国は民衆レベルの反乱によって完全崩壊し、その王統に至るまで中国では完全に絶やされた。
酈食其もまた楚漢戦争中に韓信(正確にはその参謀の蒯通)の策略の犠牲となって斉国で客死するも、
一度は斉国を説得で帰服させたその功績が認められて、子孫が万戸侯として封ぜられるなどしている。
酈食其も結局は戦死したわけだから、必ずしも救われたとまではいえないが、中国本土でも逃亡先の
日本などでも、天下の笑い者としての恥辱に見舞われ続けることとなった秦帝国の徒輩などと比べれば、
ずいぶんとマシな運命を辿ることとなったものだといえる。荀子が定義した「狂生」という言葉の意味も、
本来からしてそういった長期的な普遍性に即したものだったはずで、本物の狂生者は不謹慎な安静を
追い求めて最悪の破滅に見舞われる一方、あてつけや言いがかりで狂生者扱いされたような人間は、
いつかは誤解が解かれて名誉を取り戻し、子孫代々にいたるまでのマシ以上な処遇に与れるものである。
子孫代々の将来にまで至るような、長期的な視点に即した安寧の希求こそは正善である一方、
その場しのぎの事なかれ主義は狂生だし、間違った方法での長期的安定の企図もまた狂生である。
後二つの方針に即した平和の追い求めは、より大きな破滅を後々にもたらす原因ともなる。
故にこそ狂生である。破滅をもたらすような偽りの平和を追い求めているからこそ、狂生である。
平和なんかわざと追い求めなくたって、自然と平和ということがある。人々の濁念が根本から清められて、
争いの火種になるような不埒な言行なども始めから試みられないような状態、それこそを理想とするのが
正しい平和の追い求め方である一方、人々の濁念は肥大化させっぱなし、争いや奪い合いの火種はそこら中に
撒き散らしておいた上で、腕力によって無理やり停戦状態を持続させようなどとするのが、狂生然とした平和の
追い求め方である。狂生者は、自分自身が不埒な濁念にまみれきっているからこそ、人々の濁念を根本から清めて
いくことこそは無理があることのように自分では思ったりするわけだが、それ以上にも、戦乱の火種で溢れ返って
いる世の中を、極大級の暴力で無理やり抑え付け続けたりすることのほうが、よっぽと無理のあることである。
人々の本然からの清浄さの養生に基づく平和状態は数百年と持たせられる一方、暴力による抑え付けでの平和は
百年と持たない。百年持てば自分の人生だけは平和裡に済ませられるからそれでいいなどとも、極度の狂生者
であれば考えるわけで、実際、前ロスチャイルド家当主なども、英米帝国の完全崩壊が決定的となった2008年
には早々とこの世を去った。哀れなのはその子孫や残党であり、これから人類史上でも最悪級の破滅や恥辱
に見舞われる運命ばかりが待っている。自分たちをそんな非業の運命に見舞わせたのも自分たちの先代でこそある。
にもかかわらず逆恨みを外部の人間に当て付けたりするようならば、それこそ一族郎党皆殺し級の処遇すらもが
免れられるものではない。自分たちは、自分たちや自分たちの先祖の狂生によって不可避なる破滅に見舞われた
のだということへの切なる反省がある場合にのみ、狂生の報いとしての破滅や恥辱が軽減されることもあり得る。
その場しのぎの事なかれ主義は狂生だし、間違った方法での長期的安定の企図もまた狂生である。
後二つの方針に即した平和の追い求めは、より大きな破滅を後々にもたらす原因ともなる。
故にこそ狂生である。破滅をもたらすような偽りの平和を追い求めているからこそ、狂生である。
平和なんかわざと追い求めなくたって、自然と平和ということがある。人々の濁念が根本から清められて、
争いの火種になるような不埒な言行なども始めから試みられないような状態、それこそを理想とするのが
正しい平和の追い求め方である一方、人々の濁念は肥大化させっぱなし、争いや奪い合いの火種はそこら中に
撒き散らしておいた上で、腕力によって無理やり停戦状態を持続させようなどとするのが、狂生然とした平和の
追い求め方である。狂生者は、自分自身が不埒な濁念にまみれきっているからこそ、人々の濁念を根本から清めて
いくことこそは無理があることのように自分では思ったりするわけだが、それ以上にも、戦乱の火種で溢れ返って
いる世の中を、極大級の暴力で無理やり抑え付け続けたりすることのほうが、よっぽと無理のあることである。
人々の本然からの清浄さの養生に基づく平和状態は数百年と持たせられる一方、暴力による抑え付けでの平和は
百年と持たない。百年持てば自分の人生だけは平和裡に済ませられるからそれでいいなどとも、極度の狂生者
であれば考えるわけで、実際、前ロスチャイルド家当主なども、英米帝国の完全崩壊が決定的となった2008年
には早々とこの世を去った。哀れなのはその子孫や残党であり、これから人類史上でも最悪級の破滅や恥辱
に見舞われる運命ばかりが待っている。自分たちをそんな非業の運命に見舞わせたのも自分たちの先代でこそある。
にもかかわらず逆恨みを外部の人間に当て付けたりするようならば、それこそ一族郎党皆殺し級の処遇すらもが
免れられるものではない。自分たちは、自分たちや自分たちの先祖の狂生によって不可避なる破滅に見舞われた
のだということへの切なる反省がある場合にのみ、狂生の報いとしての破滅や恥辱が軽減されることもあり得る。
狂生者の悲哀は、
自分たちの過ちを認めて贖罪と反省の限りを尽くす所にしか、
自分たち自身の救いまでもが見込めなくなるところにこそある。
自分たちを救うためにこそ、世のため人のためにも尽くさねばならない、
すでに罪悪の限りを尽くしているわけだから、その手段も当分は贖罪や反省で
しかあり得ないわけだが、そうであるにしたって、自分たち自身が仁徳に適った
相応の振る舞いを為すのでなければ、自分たちの救いもないというわけであって、
世界でも最も仁徳を忌み嫌って来た部類の者たちこそが、完全に強制的に、仁徳に
適った振る舞いを実行していかなければならないというのだから、悲惨の限りである。
仁徳こそは、それを慕う者にとっての福果ともなる一方、それを忌み嫌う者にとっての
地獄の仕打ちともなるのである。故に、始めから慕っておくに越したこともないのである。
「是の月や、日短至れり。陰陽争い、諸生蕩ず。君子斎戒し、処るには必ず身を掩い、身寧からんことを欲す。
声色を去り、耆欲を禁ず。形性を安んじ、事は静かならんことを欲し、以て陰陽の定むる所を待つ」
「日照時間が一番短くなる冬至のころ、陰陽の和気は乱れて互いに相い争い、諸々の生き物も蕩心を
帯びやすくなる。君子は斎戒沐浴して安居中には必ず身を覆い、己れの身が安からんことを企図する。
大声をあげたりすることを慎み、欲にまみれることも戒める。それにより万物の形性をも安んじ、
物事が静穏であるように企図し、陰陽の和気が定まることを待つのである。(自分一身の安静ではなく、
天下万物万人諸生の安静を修己治人にもよって企図している。狂生とは程遠いあり方だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・月令第六より)
自分たちの過ちを認めて贖罪と反省の限りを尽くす所にしか、
自分たち自身の救いまでもが見込めなくなるところにこそある。
自分たちを救うためにこそ、世のため人のためにも尽くさねばならない、
すでに罪悪の限りを尽くしているわけだから、その手段も当分は贖罪や反省で
しかあり得ないわけだが、そうであるにしたって、自分たち自身が仁徳に適った
相応の振る舞いを為すのでなければ、自分たちの救いもないというわけであって、
世界でも最も仁徳を忌み嫌って来た部類の者たちこそが、完全に強制的に、仁徳に
適った振る舞いを実行していかなければならないというのだから、悲惨の限りである。
仁徳こそは、それを慕う者にとっての福果ともなる一方、それを忌み嫌う者にとっての
地獄の仕打ちともなるのである。故に、始めから慕っておくに越したこともないのである。
「是の月や、日短至れり。陰陽争い、諸生蕩ず。君子斎戒し、処るには必ず身を掩い、身寧からんことを欲す。
声色を去り、耆欲を禁ず。形性を安んじ、事は静かならんことを欲し、以て陰陽の定むる所を待つ」
「日照時間が一番短くなる冬至のころ、陰陽の和気は乱れて互いに相い争い、諸々の生き物も蕩心を
帯びやすくなる。君子は斎戒沐浴して安居中には必ず身を覆い、己れの身が安からんことを企図する。
大声をあげたりすることを慎み、欲にまみれることも戒める。それにより万物の形性をも安んじ、
物事が静穏であるように企図し、陰陽の和気が定まることを待つのである。(自分一身の安静ではなく、
天下万物万人諸生の安静を修己治人にもよって企図している。狂生とは程遠いあり方だといえる)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・月令第六より)
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防護のための甲冑にも趣向を凝らし、立てこもりにも向いた城普請などにも多額の費用をかけていた。
信長のように頑丈な木柵をこしらえて、その隙間からの連射戦法を企てることで武田の騎馬軍を
打ち破るものもあった。(これは近代戦におけるトーチカや戦車や機関銃の原型ともなっている)
総力戦だからこそ、そのような防護にかけての手管が尽くされるということがあった。
泰平が確立された江戸時代には銃砲も取り締まられ、城の造営も厳しく制限され、戦国時代に
用いられていた甲冑なども破棄されるなり、お蔵入りするなりして実用の場を追われて行った。
武家社会の中枢たる江戸城ですら、明暦の大火で焼失して後には天守閣の再建が断念された。
それ程にも、世の中総出を挙げての武装解除ならぬ防護解除が推進されて後になお、
正規の武士たちは大小二本の刀を差して街を歩き、浪人も一本差しで武家としての面子を守っていた。
刀にも刃長制限などのそれなりの取締りが講じられたものの、武士の魂としての刀の温存は
それなりに認められ、場合によってはそれを実用しての仇討ちや無礼討ちすらもが実行に移された。
この時にこそ、人々は戦国時代以上もの勇気が場合によっては必要とされるようにもなったのだった。
上記の事例は、特に分かりやすいものとして挙げたわけだが、実際、戦時だからといって
危険というわけでもなければ、平時だからといって安全というわけでもないようなことはいくら
でもある。利権がらみでの謀殺なんてのは、今の日本でですら陰に陽に横行していることであり、
その実情を大っぴらにしなかったりするぶんだけ、戦死以上にも陰惨なものですらある。
だから結局、戦地に赴く勇気などではなく、常日頃から死への覚悟を欠かさずにいる
勇気こそは、実質的にも必要だったりするものであるが故にこそ、本物の大勇でもあるといえる。
平時にもただ凶事がひた隠されているだけであって、実際にはどこかでくすぶっている刃傷沙汰が
あったりする。そのような影の側面も宿している所、少なくとも宿しうる所である世の中という
ものに対して、常に泰然自若としながら対峙できる者こそは、真の大勇の持ち主だといえる。
蛮勇や匹夫の勇には隙があるが、大勇には隙がない。常日頃からの死への覚悟、
勇気の善用にかけて最善を尽くす配慮などがあればこそ、隙がない。
そんな勇気が実在し得ること自体、西洋などでは認知されて来たことですらない。
ギリシャ神話における勇士アキレウスと策士オデュッセウスの対比以来、
勇気のあるものには知謀がなく、知謀のあるものには勇気がないというのが
西洋社会における固定観念と化したままであり続けてきてしまったものだから、
配慮にかけても最善を尽くす所にこそ大勇があるなどとは考えられもしなかったのである。
東洋においても、大勇こそは知謀にも長け、匹夫の勇こそは知謀を欠くということをちゃんと
理解している人間はそんなに多くない。真の大勇の持ち主だった劉邦や源頼朝や徳川家康よりも、
匹夫の勇止まりだった項羽や源義経や織田信長のほうが人気があったりするのもそのためである。
前者三人を軽んじて後者三人を無責任に持て囃すような人間は、東洋人といえどもろくに政治責任を
負う覚悟もないような人間である可能性が高い。自分自身が責任を担って為政を働いていくことを
本格的に想定してみたならば、ただ劉邦や頼朝や家康を慕いやすくなるだけでなく、彼らこそは
項羽や義経や信長以上もの大勇の持ち主であったことすらもが計り知れるはずなのだから。
討ち死にを果たした項羽や義経や信長の死に様と比べても、劉邦や頼朝や家康の死に様が別段
華々しいなどということもない。矢傷や落馬や食あたりを原因として、床の上で亡くなっている。
それは、乱世の最終勝利者であるが故にこその、比較的平穏な死だったのであり、生存中に
命の危機に見舞われた頻度では、項羽や義経や信長に勝るとも劣らないものとなっている。
そうであることを計り知るためには、ちゃんと数十年以上にわたる偉人たちの事跡を調べ通す必要が
あるわけだから、勉強嫌いな人間こそは大勇の何たるかを計り知ることもできないままに終わるのである。
勇気の善用にかけて最善を尽くす配慮などがあればこそ、隙がない。
そんな勇気が実在し得ること自体、西洋などでは認知されて来たことですらない。
ギリシャ神話における勇士アキレウスと策士オデュッセウスの対比以来、
勇気のあるものには知謀がなく、知謀のあるものには勇気がないというのが
西洋社会における固定観念と化したままであり続けてきてしまったものだから、
配慮にかけても最善を尽くす所にこそ大勇があるなどとは考えられもしなかったのである。
東洋においても、大勇こそは知謀にも長け、匹夫の勇こそは知謀を欠くということをちゃんと
理解している人間はそんなに多くない。真の大勇の持ち主だった劉邦や源頼朝や徳川家康よりも、
匹夫の勇止まりだった項羽や源義経や織田信長のほうが人気があったりするのもそのためである。
前者三人を軽んじて後者三人を無責任に持て囃すような人間は、東洋人といえどもろくに政治責任を
負う覚悟もないような人間である可能性が高い。自分自身が責任を担って為政を働いていくことを
本格的に想定してみたならば、ただ劉邦や頼朝や家康を慕いやすくなるだけでなく、彼らこそは
項羽や義経や信長以上もの大勇の持ち主であったことすらもが計り知れるはずなのだから。
討ち死にを果たした項羽や義経や信長の死に様と比べても、劉邦や頼朝や家康の死に様が別段
華々しいなどということもない。矢傷や落馬や食あたりを原因として、床の上で亡くなっている。
それは、乱世の最終勝利者であるが故にこその、比較的平穏な死だったのであり、生存中に
命の危機に見舞われた頻度では、項羽や義経や信長に勝るとも劣らないものとなっている。
そうであることを計り知るためには、ちゃんと数十年以上にわたる偉人たちの事跡を調べ通す必要が
あるわけだから、勉強嫌いな人間こそは大勇の何たるかを計り知ることもできないままに終わるのである。
天性によって、知らず知らずの内から大勇を持てるような人間も居はするが、大勇の何たるかを
自主的に計り知った上でそれにあやかろうとするのであれば、惜しみのない勉強が必須ともなる。
その心がけもないのに、短絡的な勇猛さを追い求めたりすれば、それが匹夫の勇に転んだりするのである。
「雄雉于こに飛ぶ、泄泄たる其の羽。我れ之れを懐いて、自ら伊の阻いを詒す。
雄雉于こに飛ぶ、下上する其の音。展なる君子、実に我が心を労せしむ。
彼の日月を瞻れば、悠悠として我れ思う。道の云こに遠き、曷か云こに能く来たらん。
百そ爾じ君子、徳行を知らざらんや。忮わず求めざれば、何ぞ用て臧からざらんや」
「雄キジがその羽を打ち立てて飛び立つように、わが夫も出征して行く。私はそれを思うと憂いばかりが募る。
雄キジが天空を羽音を立てて上下するように、わが夫も出征して行く。かの君子は、私の心を労させるばかり。
空に日月を見上げれば、憂患を募らせながらまた思う。遠い道を往きて、またここに帰ってくださることを。
あなたは君子だから、徳行にかけては私などよりもずっと知っていることでしょう。ただ、害悪を好んだり
無闇に利益を追い求めたりしないことで、不善に手を染めないことばかりを私は願うのみです。(雄雄しく
出征して行く夫を思い慕う妻の歌。『忮わず求めざれば、何ぞ用て臧からざらんや』は、孔子の弟子の子路が
好んで謳っていた一節で、孔子は『そんなことばかりでいいはずがない』と子路に苦言を呈していたわけだが、
上記のような文脈で歌われた言葉なわけだから、この言葉にもそれなりの含蓄があることがわかる。雄雄しく
ある夫こそは、最悪の不善にまでは手を染めないで居てくれというのが、妻たるものの切なる願いなのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・邶風・雄雉)
自主的に計り知った上でそれにあやかろうとするのであれば、惜しみのない勉強が必須ともなる。
その心がけもないのに、短絡的な勇猛さを追い求めたりすれば、それが匹夫の勇に転んだりするのである。
「雄雉于こに飛ぶ、泄泄たる其の羽。我れ之れを懐いて、自ら伊の阻いを詒す。
雄雉于こに飛ぶ、下上する其の音。展なる君子、実に我が心を労せしむ。
彼の日月を瞻れば、悠悠として我れ思う。道の云こに遠き、曷か云こに能く来たらん。
百そ爾じ君子、徳行を知らざらんや。忮わず求めざれば、何ぞ用て臧からざらんや」
「雄キジがその羽を打ち立てて飛び立つように、わが夫も出征して行く。私はそれを思うと憂いばかりが募る。
雄キジが天空を羽音を立てて上下するように、わが夫も出征して行く。かの君子は、私の心を労させるばかり。
空に日月を見上げれば、憂患を募らせながらまた思う。遠い道を往きて、またここに帰ってくださることを。
あなたは君子だから、徳行にかけては私などよりもずっと知っていることでしょう。ただ、害悪を好んだり
無闇に利益を追い求めたりしないことで、不善に手を染めないことばかりを私は願うのみです。(雄雄しく
出征して行く夫を思い慕う妻の歌。『忮わず求めざれば、何ぞ用て臧からざらんや』は、孔子の弟子の子路が
好んで謳っていた一節で、孔子は『そんなことばかりでいいはずがない』と子路に苦言を呈していたわけだが、
上記のような文脈で歌われた言葉なわけだから、この言葉にもそれなりの含蓄があることがわかる。雄雄しく
ある夫こそは、最悪の不善にまでは手を染めないで居てくれというのが、妻たるものの切なる願いなのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・邶風・雄雉)
損なわず求めないが故に不善ではない——
そんなことは、多少できた婦女子でも分かることだってんだ。
女だから害悪を求めるわけじゃない。
老若男女に関わりない人でなしだからこそ、害悪を可とするんだ。
そんなことは、多少できた婦女子でも分かることだってんだ。
女だから害悪を求めるわけじゃない。
老若男女に関わりない人でなしだからこそ、害悪を可とするんだ。
この世界、天地万物全宇宙は生々流転の易の法則に即しているから、それなりの柔軟性や流動性を
持ち合わせている事物こそは、ただただ堅固であるような事物以上にも普遍的である場合が多々ある。
故に老子も「柔よく剛を制す」と言ったのであり、決してただの草の根志向だったりしたのではない。
生々流転の易の法則に即した上で、なおかつこの世界この宇宙は自己完結的なものであり、
形而上との連絡などが可能となったりすることもない。故に、形而上における絶対に普遍的な事物への
寄りすがりなどが実質性を帯びたりすることもなく、そのような試みは必ず不毛に終わることともなる。
ただただ堅固なだけでは柔軟でもあるものに敵わない。かといってただただ柔軟なのでは張り合いがない。
だから剛柔織り交ぜての為政を心がけるのが儒家の推奨する礼楽統治だったりもする。ただただ世の中を
制度で雁字搦めにする法家支配よりも柔軟でいて、何もかもをやらせたい放題なままにおく道家的統治
などと比べれば、メリハリがある。礼楽統治といえども数百年も経てば腐敗を来たして瓦解してしまう
のが常ではあるけれども、人間が実現する治世としては最上級のものであることにも間違いがない。
礼楽統治が法家支配や道家的統治よりも長寿で上質となるからには、剛柔織り交ぜた中正なあり方こそが
至上ともなるということである。ただただ硬いばかりでは脆くもなるが、ただただ柔らかいのでも
腐敗を来たす。硬いばかりじゃダメだからヤワヤワに振れ切るというのも極端なことであり、それが
休暇程度に許容されるのは可であるにしたって、振り切れてそのまんまというのでは賢いもんじゃない。
ただただ強固なものを追い求めるものにとって、ただただ柔弱なものが絶対に相容れないものなのではない。
法家の韓非も老子に傾倒していたし、キリスト教圏のままである近現代の欧米社会においても、自分たちで
示し合わせた範囲でのアンチキリストだとかアナーキズムだとかはそれなりに許容されている。あくまでその
勢力を矮小化させたりした範囲での活動ではあるものの、共存が絶対に不可能だったりまではしないのである。
持ち合わせている事物こそは、ただただ堅固であるような事物以上にも普遍的である場合が多々ある。
故に老子も「柔よく剛を制す」と言ったのであり、決してただの草の根志向だったりしたのではない。
生々流転の易の法則に即した上で、なおかつこの世界この宇宙は自己完結的なものであり、
形而上との連絡などが可能となったりすることもない。故に、形而上における絶対に普遍的な事物への
寄りすがりなどが実質性を帯びたりすることもなく、そのような試みは必ず不毛に終わることともなる。
ただただ堅固なだけでは柔軟でもあるものに敵わない。かといってただただ柔軟なのでは張り合いがない。
だから剛柔織り交ぜての為政を心がけるのが儒家の推奨する礼楽統治だったりもする。ただただ世の中を
制度で雁字搦めにする法家支配よりも柔軟でいて、何もかもをやらせたい放題なままにおく道家的統治
などと比べれば、メリハリがある。礼楽統治といえども数百年も経てば腐敗を来たして瓦解してしまう
のが常ではあるけれども、人間が実現する治世としては最上級のものであることにも間違いがない。
礼楽統治が法家支配や道家的統治よりも長寿で上質となるからには、剛柔織り交ぜた中正なあり方こそが
至上ともなるということである。ただただ硬いばかりでは脆くもなるが、ただただ柔らかいのでも
腐敗を来たす。硬いばかりじゃダメだからヤワヤワに振れ切るというのも極端なことであり、それが
休暇程度に許容されるのは可であるにしたって、振り切れてそのまんまというのでは賢いもんじゃない。
ただただ強固なものを追い求めるものにとって、ただただ柔弱なものが絶対に相容れないものなのではない。
法家の韓非も老子に傾倒していたし、キリスト教圏のままである近現代の欧米社会においても、自分たちで
示し合わせた範囲でのアンチキリストだとかアナーキズムだとかはそれなりに許容されている。あくまでその
勢力を矮小化させたりした範囲での活動ではあるものの、共存が絶対に不可能だったりまではしないのである。
ただただ強固であろうとするような姿勢と、剛柔織り交ぜた中正の尊重こそは、決して相容れることがない。
礼楽統治もまた礼法などにかけて格式ばるところがある、そしてその取り決めこそは、実定法の規律などとも
全く次元の違うものであり、礼節の範囲で人々の品性を根本から正していくものだから、そのぶんだけ
実定法によって人々の活動を取り締まったりする必要がなくなる。お互いに権益を脅かし合うもの同士で
あればこそ、ただただ頑なな法家支配と、剛柔織り交ぜる礼楽統治もまた相容れることがないのである。
ただただ強固であることにばかり慣れきってしまった人間こそは、中正の実践にも参画のしようがない。
ただの一般人以上にも、中正を守ることへの素養を欠いてしまっていて、もはや中正の何たるかも分からない。
そんな人間ばかりが支配層を占めてしまっていたりするようなら、革命すらもが避けられるものではなく、
革命によって地位を追われた旧支配層こそは、治産行為を強く制限される被差別階級にすらならねばならない。
キリスト教がそのような強固一辺倒の姿勢を信者に深く植え付けたのなら、キリスト教こそは、信者たる
欧米人などから、自分たちが世界の支配者たる資格を奪い去ったのだといえる。強固一辺倒を基調とした
世界支配などが、どんな形であれ長続きするものではなく、最悪の場合は滅亡級の破綻すらもが免れるもの
ではない、だから中正に適った礼楽統治を実現できるものにこの世を明け渡して、自分たちは飼い犬か飼い猫
も同然の立場に甘んじるしかない、そのような自分たちの運命を、キリスト教こそは決定付けたのである。
「有の扁りし石は、之れを履むにも卑き兮む」
「形のゆがんだ踏み石は、それを踏むときに自分の姿勢をもゆがめる必要がある。
(堅固な岩石であればこそ、それ自体が歪んでいれば、それを踏襲するものも態度姿勢が歪む)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・都人士之什・白華より)
礼楽統治もまた礼法などにかけて格式ばるところがある、そしてその取り決めこそは、実定法の規律などとも
全く次元の違うものであり、礼節の範囲で人々の品性を根本から正していくものだから、そのぶんだけ
実定法によって人々の活動を取り締まったりする必要がなくなる。お互いに権益を脅かし合うもの同士で
あればこそ、ただただ頑なな法家支配と、剛柔織り交ぜる礼楽統治もまた相容れることがないのである。
ただただ強固であることにばかり慣れきってしまった人間こそは、中正の実践にも参画のしようがない。
ただの一般人以上にも、中正を守ることへの素養を欠いてしまっていて、もはや中正の何たるかも分からない。
そんな人間ばかりが支配層を占めてしまっていたりするようなら、革命すらもが避けられるものではなく、
革命によって地位を追われた旧支配層こそは、治産行為を強く制限される被差別階級にすらならねばならない。
キリスト教がそのような強固一辺倒の姿勢を信者に深く植え付けたのなら、キリスト教こそは、信者たる
欧米人などから、自分たちが世界の支配者たる資格を奪い去ったのだといえる。強固一辺倒を基調とした
世界支配などが、どんな形であれ長続きするものではなく、最悪の場合は滅亡級の破綻すらもが免れるもの
ではない、だから中正に適った礼楽統治を実現できるものにこの世を明け渡して、自分たちは飼い犬か飼い猫
も同然の立場に甘んじるしかない、そのような自分たちの運命を、キリスト教こそは決定付けたのである。
「有の扁りし石は、之れを履むにも卑き兮む」
「形のゆがんだ踏み石は、それを踏むときに自分の姿勢をもゆがめる必要がある。
(堅固な岩石であればこそ、それ自体が歪んでいれば、それを踏襲するものも態度姿勢が歪む)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・都人士之什・白華より)
今の法人法の改正によっても、医療法人はそのほとんどが公益法人としての認可を
受けることが出来ず、おおむね社団法人として扱われるようにもなっている。
この実情一つとっても、怪我や病気を押してでも人間が無理に
生き続けようとすること自体、私欲の充足でしかないことが分かる。
公共機関で重要な職務に就いている人間が、己れの職務を果たすために健康や長寿を企図するとする。
その場合においても、まず病気や怪我に見舞われるような不摂生や不注意から排除して行くべきだし、
それでも老齢による心身の衰弱は免れられないから、潔く後代に職務を譲るなどする必要が出てくる。
人間、個人個人が独立的な生に執着することが公益に適う場合があるとは、この場合にも言えはしない。
家康公のように、天下の情勢が定まるまで死にきろうにも死にきれないでいた挙句に、
当時としては非常に高齢な75歳まで生きたような事例もあるが、やはり征夷大将軍としての
座は早急に息子の秀忠に譲り、駿府城からの半隠居状態での時局の見守りに徹したのだった。
生きる限りにおいても、やはり消極的に生きるということが仁者の事跡にこそ顕著であり、
やたらめったら自分自身が生きて個人的な繁栄を謳歌するようなことは控えている。
少なくとも、そうだったりすることを恥じて、見せびらかしたりはしないようにしている。
(一汁三菜を基本としていたという家康公の食生活も、本人の恰幅のよさなどからいえば疑わしい
ことだが、それでも大食いだったりしたことは恥じて隠している。その姿勢からして仁者である)
最大級に世のため人のためにあろうとする仁者であってなお、なるべく自分自身の健康を保つ程度までが、
自らが生きることに積極的であることが道義に適う限度だといえる。それ以上にも、利得をむさぼって
遊興に耽ったりするのなら、その時点で道義からは外れるのである。清廉すぎる物言いのように
思われるかもしれないが、それはそれで事実であり、それをわきまえた上で、適度に清濁
併せ呑んだ生き方をして行くことが、現実上から仁を為していく手立てともなるのである。
受けることが出来ず、おおむね社団法人として扱われるようにもなっている。
この実情一つとっても、怪我や病気を押してでも人間が無理に
生き続けようとすること自体、私欲の充足でしかないことが分かる。
公共機関で重要な職務に就いている人間が、己れの職務を果たすために健康や長寿を企図するとする。
その場合においても、まず病気や怪我に見舞われるような不摂生や不注意から排除して行くべきだし、
それでも老齢による心身の衰弱は免れられないから、潔く後代に職務を譲るなどする必要が出てくる。
人間、個人個人が独立的な生に執着することが公益に適う場合があるとは、この場合にも言えはしない。
家康公のように、天下の情勢が定まるまで死にきろうにも死にきれないでいた挙句に、
当時としては非常に高齢な75歳まで生きたような事例もあるが、やはり征夷大将軍としての
座は早急に息子の秀忠に譲り、駿府城からの半隠居状態での時局の見守りに徹したのだった。
生きる限りにおいても、やはり消極的に生きるということが仁者の事跡にこそ顕著であり、
やたらめったら自分自身が生きて個人的な繁栄を謳歌するようなことは控えている。
少なくとも、そうだったりすることを恥じて、見せびらかしたりはしないようにしている。
(一汁三菜を基本としていたという家康公の食生活も、本人の恰幅のよさなどからいえば疑わしい
ことだが、それでも大食いだったりしたことは恥じて隠している。その姿勢からして仁者である)
最大級に世のため人のためにあろうとする仁者であってなお、なるべく自分自身の健康を保つ程度までが、
自らが生きることに積極的であることが道義に適う限度だといえる。それ以上にも、利得をむさぼって
遊興に耽ったりするのなら、その時点で道義からは外れるのである。清廉すぎる物言いのように
思われるかもしれないが、それはそれで事実であり、それをわきまえた上で、適度に清濁
併せ呑んだ生き方をして行くことが、現実上から仁を為していく手立てともなるのである。
生きるということに積極的であり過ぎることをほとんどの東洋教学が戒めている一方、
「さっさと死んじまえ」などという虚無主義を前面に押し出しているものもまた、まれである。
「荘子」の雑篇などに、国王になることを薦められたが、権力嫌悪のあまり逃亡して自殺してしまう
隠者の逸話などもあるが、これも権力者としての奢り高ぶりなどに対するアンチテーゼとして提示された
方便的な極論なのであり、とにかく死をよしとするような所にまで暴論が及んでいるわけではないのである。
生きるか死ぬか、そんな極論に振り切れないような人生やその死に与れることこそは理想である。
偉大な人間は誰しもがその生を羨望し、死ねば誰しもがその死を悲しむ、外的にそのようであることはいい
としても、自分自身は生きることにも死ぬことにも積極的であり過ぎない、楚々とした態度でこそあるべきだ。
肉体や頭脳は所詮は単なる物質であり、それが死して廃壊するのも単なる物質の損壊であるまでだ。
そこに命をもたらしていた精神そのものは、肉体の生死などに関わらず不滅である。さほど大事で
ないものこそは生死の乱脈に翻弄される一方、本当に大事なものは始めから生じることも滅ぶことも
ありはしない。故にこそ、生死というものをさほど偏重して取り扱ったりする必要もないのである。
「我れ生の初め、尚お為すこと無し。
我れ生れて後、此の百罹に逢う。尚くは寐ねて吪くこと無からん」
「私は生まれたばかりの頃には無為の清浄に与れていたのに、長らく生きて後の今には
もはや百千万の難儀に見舞われるばかりである。もう寝たままで一切動かずにでもいたいものだ。
(仏法の一切皆苦ほど極端ではないが、生きるということの濁悪さをよく捉えた一節である)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・兔爰より)
「さっさと死んじまえ」などという虚無主義を前面に押し出しているものもまた、まれである。
「荘子」の雑篇などに、国王になることを薦められたが、権力嫌悪のあまり逃亡して自殺してしまう
隠者の逸話などもあるが、これも権力者としての奢り高ぶりなどに対するアンチテーゼとして提示された
方便的な極論なのであり、とにかく死をよしとするような所にまで暴論が及んでいるわけではないのである。
生きるか死ぬか、そんな極論に振り切れないような人生やその死に与れることこそは理想である。
偉大な人間は誰しもがその生を羨望し、死ねば誰しもがその死を悲しむ、外的にそのようであることはいい
としても、自分自身は生きることにも死ぬことにも積極的であり過ぎない、楚々とした態度でこそあるべきだ。
肉体や頭脳は所詮は単なる物質であり、それが死して廃壊するのも単なる物質の損壊であるまでだ。
そこに命をもたらしていた精神そのものは、肉体の生死などに関わらず不滅である。さほど大事で
ないものこそは生死の乱脈に翻弄される一方、本当に大事なものは始めから生じることも滅ぶことも
ありはしない。故にこそ、生死というものをさほど偏重して取り扱ったりする必要もないのである。
「我れ生の初め、尚お為すこと無し。
我れ生れて後、此の百罹に逢う。尚くは寐ねて吪くこと無からん」
「私は生まれたばかりの頃には無為の清浄に与れていたのに、長らく生きて後の今には
もはや百千万の難儀に見舞われるばかりである。もう寝たままで一切動かずにでもいたいものだ。
(仏法の一切皆苦ほど極端ではないが、生きるということの濁悪さをよく捉えた一節である)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・兔爰より)
「困った時の神頼み」という言葉は、ご都合主義の神仏帰依として
批判目的で用いられる場合が多いことわざだが、これはこれで一つの真実の提示である。
困ってない時は神仏なんかにすがらない。自分から積極的に善行すら為していくというのなら、
神仏も我が子の自立を遠くから見守る親ぐらいのものでしかあり得ないというのが実際である。
本当に善を為して行く時には、もはや自問自答すらすべきでない。
一切の雑念を排した無念夢想の境地と共にこそ、真の善行もまた為し得るものである。
だからこそ幼少期の頃から儒学や武芸を学び込んでいた武家なども、
さらに禅寺での座禅によって雑念を排する修養を積んだりしていたのである。
「信仰によってこそ善が為せる、信仰がなければ善は為せない」というところにまで固定観念が
定着しきってしまっているようなら、そのせいでこそ、誰も善は為せなくなる。善を為そうとして
無為以上の悪しか為せなくなる。せいぜい信仰によって不善を最小限に控えるぐらいのことしかできはせず、
そのような信仰を辛うじて保っているのが浄土信仰や正統のイスラム信仰だったりするのみである。
不善を為さなかったり、最小限に止めたりすることは、それだけでは善と呼ぶにも値しないとは孔子も
子罕第九・二八に言い遺していることである。ただ、不善を為さないという程度のことも、女子供や
小人にとってはそれなりに重大なことであるのが、>>228の詩経からの引用を読んでも分かることである。
自分たちではさして大きな善行を為すこともできない、やもすれば大悪すらをも働きかねない
小人や女子供にとって、ただ不善や悪を為さないことだけでも一大命題となるのであり、
ただそれを守り通せただけでも、十分に賞賛に値するものだといえなくもないのである。
批判目的で用いられる場合が多いことわざだが、これはこれで一つの真実の提示である。
困ってない時は神仏なんかにすがらない。自分から積極的に善行すら為していくというのなら、
神仏も我が子の自立を遠くから見守る親ぐらいのものでしかあり得ないというのが実際である。
本当に善を為して行く時には、もはや自問自答すらすべきでない。
一切の雑念を排した無念夢想の境地と共にこそ、真の善行もまた為し得るものである。
だからこそ幼少期の頃から儒学や武芸を学び込んでいた武家なども、
さらに禅寺での座禅によって雑念を排する修養を積んだりしていたのである。
「信仰によってこそ善が為せる、信仰がなければ善は為せない」というところにまで固定観念が
定着しきってしまっているようなら、そのせいでこそ、誰も善は為せなくなる。善を為そうとして
無為以上の悪しか為せなくなる。せいぜい信仰によって不善を最小限に控えるぐらいのことしかできはせず、
そのような信仰を辛うじて保っているのが浄土信仰や正統のイスラム信仰だったりするのみである。
不善を為さなかったり、最小限に止めたりすることは、それだけでは善と呼ぶにも値しないとは孔子も
子罕第九・二八に言い遺していることである。ただ、不善を為さないという程度のことも、女子供や
小人にとってはそれなりに重大なことであるのが、>>228の詩経からの引用を読んでも分かることである。
自分たちではさして大きな善行を為すこともできない、やもすれば大悪すらをも働きかねない
小人や女子供にとって、ただ不善や悪を為さないことだけでも一大命題となるのであり、
ただそれを守り通せただけでも、十分に賞賛に値するものだといえなくもないのである。
「信仰によって善を為すことなんかできない、せいぜい不善を止める効果があったりするのみであり、
積極的な善行ともなれば、もはや無念無想によって為すぐらいでなければ勤まらない」といった認識こそを
誰しもに広めて行ったとき、せいぜい不善を為さない程度の所にしか自分たちの目的を定められなくなる
人間が多々生じ得る。自分たちでも善を為せるつもりでいたのが、せいぜい不善を控える程度のことしか
自分たちにはできないのだと思い知らされた時の小人男や女子供の落胆たるや、生半可なものではあるまい。
それこそ、身の程を思い知らされたがための落胆であるわけで、時には鬱病の発症すらもが免れ得ないだろう。
しかし、実際に世の中で為して行ける大規模な善行というのも、実物からして地味なものでもある。
権力道徳者としての活動こそは純粋かつ極大級の善行ともなるわけだが、そこで心がけられるのも万人の
食糧確保だとか、贋金作りや盗賊活動の取り締まりだとかで、とうてい女子供や小人男などがそれをこなして
行くことを欲しすらできないものである。しかもそれらの善行を為したからといって、貧民に寄付を恵んで
やった時の笑顔のような、己れの良心をくすぐるあからさまな見返りが得られたりするとも限らない。
仁政がよく行き届いている世の中においてこそ、恵みをありがたがる貧民なども始めから生じないのだから、
はじめからそのような世の中を保全していく権力道徳者の活動たるや、どこまでも「縁の下の力持ち」
であることこそを主体として行かねばならない。ゆえに、あからさまな見返りばかりを求めたがる
小人や女子供が率先して実行して行くことなどは、到底できないようにもなっているのである。
積極的な善行ともなれば、もはや無念無想によって為すぐらいでなければ勤まらない」といった認識こそを
誰しもに広めて行ったとき、せいぜい不善を為さない程度の所にしか自分たちの目的を定められなくなる
人間が多々生じ得る。自分たちでも善を為せるつもりでいたのが、せいぜい不善を控える程度のことしか
自分たちにはできないのだと思い知らされた時の小人男や女子供の落胆たるや、生半可なものではあるまい。
それこそ、身の程を思い知らされたがための落胆であるわけで、時には鬱病の発症すらもが免れ得ないだろう。
しかし、実際に世の中で為して行ける大規模な善行というのも、実物からして地味なものでもある。
権力道徳者としての活動こそは純粋かつ極大級の善行ともなるわけだが、そこで心がけられるのも万人の
食糧確保だとか、贋金作りや盗賊活動の取り締まりだとかで、とうてい女子供や小人男などがそれをこなして
行くことを欲しすらできないものである。しかもそれらの善行を為したからといって、貧民に寄付を恵んで
やった時の笑顔のような、己れの良心をくすぐるあからさまな見返りが得られたりするとも限らない。
仁政がよく行き届いている世の中においてこそ、恵みをありがたがる貧民なども始めから生じないのだから、
はじめからそのような世の中を保全していく権力道徳者の活動たるや、どこまでも「縁の下の力持ち」
であることこそを主体として行かねばならない。ゆえに、あからさまな見返りばかりを求めたがる
小人や女子供が率先して実行して行くことなどは、到底できないようにもなっているのである。
偽りでない本物の善というものもそれはそれである、ただ、それは意外と微妙不可思議なものであり、
あからさまに分かりやすいものとして現出するほうがまれである。中国の三国時代の群雄割拠だとか、
寛政期の火盗改長官である長谷川平蔵の活躍をフィクション混じりに描いた時代劇だとかが、一般にも
分かりやすい善の姿ともなっているが、それはむしろ当時の中国や日本の世相が乱れていたからこそ、
それを対症的に取り締まる英雄たちの姿が分かりやいというばかりのことなのであって、それで
善たるもののあり方をわかり切ったつもりになったりするのも、危険なことだといえる。
第一に微妙不可思議なものであり、第二に辛うじて分かりやすかったりすることがある、
そういう風に善というものを捉えて行くべきなのであり、何よりも分かりやすさばかりを善に要求
したりするようなことがあってはならない。善は分かりにくいが故にこそ旺盛でもあったりする一方、
脆弱化してしまったればこそ分かりやすくなってしまったりもするのだから、分かりにくいぐらいのほうがいいのだ。
「徳に常師無し、善を主とするを師と為す。善に常主無し、克く一なるに協うのみ」
「徳に恒常的な師というものはない、ただ善を主とするものを師とするのみ。
善にも恒常的な主というものはない、よく一を以って貫くことに適っているものが主たるのみ。
(死ぬことで生きるみたいな一貫しない態度姿勢からしてすでに善の主たるものではない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・咸有一徳より)
あからさまに分かりやすいものとして現出するほうがまれである。中国の三国時代の群雄割拠だとか、
寛政期の火盗改長官である長谷川平蔵の活躍をフィクション混じりに描いた時代劇だとかが、一般にも
分かりやすい善の姿ともなっているが、それはむしろ当時の中国や日本の世相が乱れていたからこそ、
それを対症的に取り締まる英雄たちの姿が分かりやいというばかりのことなのであって、それで
善たるもののあり方をわかり切ったつもりになったりするのも、危険なことだといえる。
第一に微妙不可思議なものであり、第二に辛うじて分かりやすかったりすることがある、
そういう風に善というものを捉えて行くべきなのであり、何よりも分かりやすさばかりを善に要求
したりするようなことがあってはならない。善は分かりにくいが故にこそ旺盛でもあったりする一方、
脆弱化してしまったればこそ分かりやすくなってしまったりもするのだから、分かりにくいぐらいのほうがいいのだ。
「徳に常師無し、善を主とするを師と為す。善に常主無し、克く一なるに協うのみ」
「徳に恒常的な師というものはない、ただ善を主とするものを師とするのみ。
善にも恒常的な主というものはない、よく一を以って貫くことに適っているものが主たるのみ。
(死ぬことで生きるみたいな一貫しない態度姿勢からしてすでに善の主たるものではない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・咸有一徳より)
危難を外界にしわ寄せすることで、領域内の人間の安全を確保してやっていた邪教があったとして、
もはや危難をしわ寄せする余地が外界になくなって、自分たち領域内の人間たち自身で危難を甘受して
行かなければならなくなった場合に、「(邪教の)神の保護から離れざるを得なくなった」などと嘆いたりする
のはおかしい。あくまで、自分たちで危難を甘受しなければならなくなったことまで含めて邪教やその神の責任
なのであり、責任はそれらや、そんなものを信じてしまった自分たちにこそあるのだとわきまえねばならない。
今まで他者に危難を押し付けてきたぶんだけ、人並み以上もの危難を自分たちが受け入れて行かなければならない。
それもまた邪教やその神の責任なのであり、怨むのならそれらこそを対象としなければならない。
(実在しない架空神であるのなら、そんなものを捏造した人間こそを怨むべきだ)
「完全なる平和」「完全なる秩序」、そんなものを本当に望めるような人間からして稀である。
まずは心から安寧を欲することのできる衆生こそを育て上げて行くのでなければ、みんな戦乱を望んでいるにも
関わらず、極大級の軍力で強制的に世情を鎮圧するなんていう状態にすらなってしまう。それこそ、名目上は平和で
あるにもかかわらず、その平和を謳歌する人間自身がろくにいないという、本末転倒の事態となってしまうのである。
心から安寧を求めるというのなら、当然マッチポンプの結果としての安全や平和などを欲したりもしない。
それは、より大きな危難をもたらしつつのなけなしの安全や平和でしかないのだから、本当に心から平安を求める
人間こそは、そんな風であってはならないと考えるのである。仮にマッチポンプ込みの安全や平和を欲することが
あるとすれば、そんな人間は本当は安全も平和も求めてはいない、暴虎馮河の危難こそを本質的に求めているのである。
もはや危難をしわ寄せする余地が外界になくなって、自分たち領域内の人間たち自身で危難を甘受して
行かなければならなくなった場合に、「(邪教の)神の保護から離れざるを得なくなった」などと嘆いたりする
のはおかしい。あくまで、自分たちで危難を甘受しなければならなくなったことまで含めて邪教やその神の責任
なのであり、責任はそれらや、そんなものを信じてしまった自分たちにこそあるのだとわきまえねばならない。
今まで他者に危難を押し付けてきたぶんだけ、人並み以上もの危難を自分たちが受け入れて行かなければならない。
それもまた邪教やその神の責任なのであり、怨むのならそれらこそを対象としなければならない。
(実在しない架空神であるのなら、そんなものを捏造した人間こそを怨むべきだ)
「完全なる平和」「完全なる秩序」、そんなものを本当に望めるような人間からして稀である。
まずは心から安寧を欲することのできる衆生こそを育て上げて行くのでなければ、みんな戦乱を望んでいるにも
関わらず、極大級の軍力で強制的に世情を鎮圧するなんていう状態にすらなってしまう。それこそ、名目上は平和で
あるにもかかわらず、その平和を謳歌する人間自身がろくにいないという、本末転倒の事態となってしまうのである。
心から安寧を求めるというのなら、当然マッチポンプの結果としての安全や平和などを欲したりもしない。
それは、より大きな危難をもたらしつつのなけなしの安全や平和でしかないのだから、本当に心から平安を求める
人間こそは、そんな風であってはならないと考えるのである。仮にマッチポンプ込みの安全や平和を欲することが
あるとすれば、そんな人間は本当は安全も平和も求めてはいない、暴虎馮河の危難こそを本質的に求めているのである。
引っ切り無しの動乱こそを欲しているような輩に対して平和をあてがってやったりするのは、
猫に小判もいいとこである。むしろ武力支配の到来などによって、己れの剣呑さをよく自覚させて、
それでも乱世を欲するか否かを問うてみればいい。それでも相変わらず欲するようであれば武力支配を継続、
それに懲りて心から平和を求めるようになるようなら、より柔弱な統治方法に切り替えるようにしてやればいい。
(京都に朝廷を置き、東京に幕府を置くような両輪統治もまた不可能ではない)
マッチポンプの一環としてのなけなしの平和などを欲したりする人間にも、自分たちが本当は平和以上にも
乱世こそを欲しているのだということを思い知らせた上で、それでも乱世を欲し続けるか、本物の平和を求める
ようになるかを問うべきである。そしてその答えようによって、武力統治か文治かのいずれかをあてがったりする。
それでこそ、本当に平和を企図することにもなる。乱世以上の平和を現実に呼び込む施策となる。
それと比べれば、ただ引っ切り無しの乱世を呼び込むのはもちろんのこと、マッチポンプの平和を希求したり
することですら、むしろ乱世を呼び込むことのうちに入るものである。日本の武家統治など、今の欧米聖書圏の
統治などと比べてもあからさまにこわもてではあるが、心から平和を追い求めたりすることのできない愚かな
人間を統治対象とするうえでは、むしろ武家統治のほうが真の平和を企図する手段ともなっていたのである。
「彼の譖人を取らえて、豺虎に投げ畀えよ。
豺虎も食わずんば、有北に投げ畀えよ。有北も受けずんば、有昊に投げ畀えよ」
「讒言を放つあの凶人をひっ捕らえて、豹や虎に投げ与えよ。豹や虎も嫌がって口にしないようなら、
北の果ての鬼に食わせよ。北の果ての鬼すら嫌がって受けぬようなら、後は天の裁きにかけるばかり。
(猛獣の害を免れられたからといって、さらにその先により大きな危難が待ち受けるのみである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・小旻之什・巷伯より)
猫に小判もいいとこである。むしろ武力支配の到来などによって、己れの剣呑さをよく自覚させて、
それでも乱世を欲するか否かを問うてみればいい。それでも相変わらず欲するようであれば武力支配を継続、
それに懲りて心から平和を求めるようになるようなら、より柔弱な統治方法に切り替えるようにしてやればいい。
(京都に朝廷を置き、東京に幕府を置くような両輪統治もまた不可能ではない)
マッチポンプの一環としてのなけなしの平和などを欲したりする人間にも、自分たちが本当は平和以上にも
乱世こそを欲しているのだということを思い知らせた上で、それでも乱世を欲し続けるか、本物の平和を求める
ようになるかを問うべきである。そしてその答えようによって、武力統治か文治かのいずれかをあてがったりする。
それでこそ、本当に平和を企図することにもなる。乱世以上の平和を現実に呼び込む施策となる。
それと比べれば、ただ引っ切り無しの乱世を呼び込むのはもちろんのこと、マッチポンプの平和を希求したり
することですら、むしろ乱世を呼び込むことのうちに入るものである。日本の武家統治など、今の欧米聖書圏の
統治などと比べてもあからさまにこわもてではあるが、心から平和を追い求めたりすることのできない愚かな
人間を統治対象とするうえでは、むしろ武家統治のほうが真の平和を企図する手段ともなっていたのである。
「彼の譖人を取らえて、豺虎に投げ畀えよ。
豺虎も食わずんば、有北に投げ畀えよ。有北も受けずんば、有昊に投げ畀えよ」
「讒言を放つあの凶人をひっ捕らえて、豹や虎に投げ与えよ。豹や虎も嫌がって口にしないようなら、
北の果ての鬼に食わせよ。北の果ての鬼すら嫌がって受けぬようなら、後は天の裁きにかけるばかり。
(猛獣の害を免れられたからといって、さらにその先により大きな危難が待ち受けるのみである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・小雅・小旻之什・巷伯より)
善徳や罪悪と利害とは、必ずしも関連付けて論じられるとも限らないものである。
しかし、結局のところこれらは不可分な関係にあるのであり、
全くの別物として捉えてまでいいものではないのである。
善徳は結局のところ公益寄与であり、罪悪は結局のところ公的害悪である。
ただ、人間必ずしも善行ばかりをやっていられるものでもなければ、悪行ばかりに専らでいるものでも
ないから、純粋な公益寄与か公的害悪ばかりを善や悪として捉えていると実情からかけ離れることになる。
金融詐欺で世界中に多大なる損害を及ぼしておきながら、それによって得た金の一部で貧窮者を救済したり
する場合もあり、その救済という部分だけをみれば善行のように思えたりすることもあるわけだから、
上記のような結局論ばかりを念頭に置くこともあまり奨められたものではないのである。
己れが天下に及ぼしている公益が公害を上回れば善、公害が公益を上回れば悪である。
これならより厳密な善悪の定義になるが、これまた実社会における分析的な把握は困難である。
商売なんていう職業は大元のところ、商売人本人が世の中に及ぼす利益よりも、本人が世の中から奪い取る
利益のほうがより大きくなるものである。そうであっても、商売人たちはあたかも自分たちの労働が
公益に寄与しているかのように手を変え品を変え見せかけてくる。それらの偽りを全て見抜いて、
害悪を分析的に糾弾するのも難しいことであり(商売人もあえてそうしているのだから)、
結局は上の定義を実社会で厳密に援用して行くのもなかなか難しいこととなるのである。
実社会における勧善懲悪の実践のためには、どうしたって直観的、本能的な判断にも頼る必要が出てくる。
上二つのような理論的な定義を、偽善詐悪の限りを尽くす悪徳商人なども入り混じる世の中で
いちいち通用させ尽くすことにこそ無理があるから、善悪の分別を漠然とした理念に止めて、
己れの直観に基づく勧善懲悪こそを実践して行く必要がある。
しかし、結局のところこれらは不可分な関係にあるのであり、
全くの別物として捉えてまでいいものではないのである。
善徳は結局のところ公益寄与であり、罪悪は結局のところ公的害悪である。
ただ、人間必ずしも善行ばかりをやっていられるものでもなければ、悪行ばかりに専らでいるものでも
ないから、純粋な公益寄与か公的害悪ばかりを善や悪として捉えていると実情からかけ離れることになる。
金融詐欺で世界中に多大なる損害を及ぼしておきながら、それによって得た金の一部で貧窮者を救済したり
する場合もあり、その救済という部分だけをみれば善行のように思えたりすることもあるわけだから、
上記のような結局論ばかりを念頭に置くこともあまり奨められたものではないのである。
己れが天下に及ぼしている公益が公害を上回れば善、公害が公益を上回れば悪である。
これならより厳密な善悪の定義になるが、これまた実社会における分析的な把握は困難である。
商売なんていう職業は大元のところ、商売人本人が世の中に及ぼす利益よりも、本人が世の中から奪い取る
利益のほうがより大きくなるものである。そうであっても、商売人たちはあたかも自分たちの労働が
公益に寄与しているかのように手を変え品を変え見せかけてくる。それらの偽りを全て見抜いて、
害悪を分析的に糾弾するのも難しいことであり(商売人もあえてそうしているのだから)、
結局は上の定義を実社会で厳密に援用して行くのもなかなか難しいこととなるのである。
実社会における勧善懲悪の実践のためには、どうしたって直観的、本能的な判断にも頼る必要が出てくる。
上二つのような理論的な定義を、偽善詐悪の限りを尽くす悪徳商人なども入り混じる世の中で
いちいち通用させ尽くすことにこそ無理があるから、善悪の分別を漠然とした理念に止めて、
己れの直観に基づく勧善懲悪こそを実践して行く必要がある。
すると、衆生に対する厳密な説明というのが追い付かなくなる。悪徳商人なんざを摘発するにしたって、
どんな悪いことをやって来たのかということをいちいち厳密に説明し尽くすのでは埒が明かない。
そうなるように悪徳商人の側こそはあの手この手の権謀術数の限りを尽くして来たのだから、
摘発に際して十分な説明が追い付かないこともまた、悪徳商人の側の自業自得というものである。
そしてそのような、直観的な方法に基づく勧善懲悪の指針を示したのが、他でもない儒学である。
孔子も全く利害と善悪を別物として扱っていたわけではないが、そもそも利害について語ること
自体が稀であったという(子罕第九・一)。実際的な勘定なども抜きにした純粋なな善悪論こそを
述べ立てていたのも、実は勧善懲悪の現実的な実践こそを目的としていたからなのであり、
だからといって現実への適用に無理があるなどと考えるのでは誤解となってしまうのである。
直観に基づく活動を尊重するためには、密教的なものに対する尊重もまた必要となる。
何もかもを明らかに説明されなければ気が済まないなどというのは、密教的なものへの尊重が足りない
からであり、それ自体、是正されて行かねばならない不埒さの一種なのである。そのための手段は、
仏門の密教への尊崇でもいいし、神道の神への誠意ある崇敬でもかまわない、信教などを抜きにして、
「密談中らしき部屋があるようなら立ち入るな(礼記・曲礼上第一)」という礼法に即するのでもいい。
何もかもをあからさまにしてしまおうとする意地汚さすら正されたなら、それでいいのである。
「事典を制し、法罪を正す」
「諸事の典礼を制して、法の定める所の罪や罰を正す。
(そもそも悪法を正して善法に替え、それを守らせることこそが自他の善行となるのだから、
法規に触れることを不善と見なしもしないようなことからしておかしい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左子伝・文公六年より)
どんな悪いことをやって来たのかということをいちいち厳密に説明し尽くすのでは埒が明かない。
そうなるように悪徳商人の側こそはあの手この手の権謀術数の限りを尽くして来たのだから、
摘発に際して十分な説明が追い付かないこともまた、悪徳商人の側の自業自得というものである。
そしてそのような、直観的な方法に基づく勧善懲悪の指針を示したのが、他でもない儒学である。
孔子も全く利害と善悪を別物として扱っていたわけではないが、そもそも利害について語ること
自体が稀であったという(子罕第九・一)。実際的な勘定なども抜きにした純粋なな善悪論こそを
述べ立てていたのも、実は勧善懲悪の現実的な実践こそを目的としていたからなのであり、
だからといって現実への適用に無理があるなどと考えるのでは誤解となってしまうのである。
直観に基づく活動を尊重するためには、密教的なものに対する尊重もまた必要となる。
何もかもを明らかに説明されなければ気が済まないなどというのは、密教的なものへの尊重が足りない
からであり、それ自体、是正されて行かねばならない不埒さの一種なのである。そのための手段は、
仏門の密教への尊崇でもいいし、神道の神への誠意ある崇敬でもかまわない、信教などを抜きにして、
「密談中らしき部屋があるようなら立ち入るな(礼記・曲礼上第一)」という礼法に即するのでもいい。
何もかもをあからさまにしてしまおうとする意地汚さすら正されたなら、それでいいのである。
「事典を制し、法罪を正す」
「諸事の典礼を制して、法の定める所の罪や罰を正す。
(そもそも悪法を正して善法に替え、それを守らせることこそが自他の善行となるのだから、
法規に触れることを不善と見なしもしないようなことからしておかしい)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左子伝・文公六年より)
「力(特に剛力)」こそは、人間を世俗の汚濁や深刻な情欲と
切っても切れない関係に追いやってしまうものである。
力を競うのは修羅道であり、修羅道こそは人間を六道輪廻の業から引き止めて離すことがない。
特に100%純粋な修羅道は、ただただ腕力の強大さばかりを競い合い、技巧や謀略での勝利なども邪道とする。
歴史上に多々出没する「猪武者」こそはまさに純粋な修羅道を体現していて(項羽や呂布や不破数右衛門など)、
動乱にかけての名物的な存在ともなり得るものの、決して「最高の武人」たり得ているわけでもない点が共通する。
力を駆使する中にも、まだ剛柔織り交ぜる要素を織り込むようであれば、神仏の域にも達することがある。
合気柔術など小手先の腕力は全くといっていいほど用いず、姿勢制御や深層筋の潜在力だけで屈強な相手を
投げ飛ばしもする。和風プロレス化した今の柔道などにはほとんど見られなくなった「柔よく剛を制す(老子)」
という理念もまた天道に適うものであり、天道に適うからには、多少は世俗の汚濁を脱却しかけてもいるのだといえる。
ただ、修羅道から天道や仏道に向かうにかけて、単なる剛力の出しゃばる余地は次第になくなって行く。
修羅道然とした剣術である一刀流や次元流のほうが力にものをいわせる一方で、神道や仏道の理念も取り入れた
新当流や新陰流こそは腕力を超えたところにある崇高な理念に基づく武芸を旨としている。幕末に腕力で幕府から
政権を乗っ取ろうとした反幕勢力が主要な修得対象としていたのも一刀流や次元流であり、(ただし実際に倒幕を
決定付ける原因となったのは、連中が大阪堺の豪商から借金して外国の武器商人から購入した重火器であった)
力で何かを達成しようとするものにとっては、神仏の域に達するような武芸などもまた邪道扱いになるのである。
力の競い合いにかけて専らであろうとすることこそは、世俗の汚濁にまみれきる原因となる一方、
そんなことに専らでなけれはこそ、多少なりとも世俗の汚濁から離縁していくことができるようになる。
切っても切れない関係に追いやってしまうものである。
力を競うのは修羅道であり、修羅道こそは人間を六道輪廻の業から引き止めて離すことがない。
特に100%純粋な修羅道は、ただただ腕力の強大さばかりを競い合い、技巧や謀略での勝利なども邪道とする。
歴史上に多々出没する「猪武者」こそはまさに純粋な修羅道を体現していて(項羽や呂布や不破数右衛門など)、
動乱にかけての名物的な存在ともなり得るものの、決して「最高の武人」たり得ているわけでもない点が共通する。
力を駆使する中にも、まだ剛柔織り交ぜる要素を織り込むようであれば、神仏の域にも達することがある。
合気柔術など小手先の腕力は全くといっていいほど用いず、姿勢制御や深層筋の潜在力だけで屈強な相手を
投げ飛ばしもする。和風プロレス化した今の柔道などにはほとんど見られなくなった「柔よく剛を制す(老子)」
という理念もまた天道に適うものであり、天道に適うからには、多少は世俗の汚濁を脱却しかけてもいるのだといえる。
ただ、修羅道から天道や仏道に向かうにかけて、単なる剛力の出しゃばる余地は次第になくなって行く。
修羅道然とした剣術である一刀流や次元流のほうが力にものをいわせる一方で、神道や仏道の理念も取り入れた
新当流や新陰流こそは腕力を超えたところにある崇高な理念に基づく武芸を旨としている。幕末に腕力で幕府から
政権を乗っ取ろうとした反幕勢力が主要な修得対象としていたのも一刀流や次元流であり、(ただし実際に倒幕を
決定付ける原因となったのは、連中が大阪堺の豪商から借金して外国の武器商人から購入した重火器であった)
力で何かを達成しようとするものにとっては、神仏の域に達するような武芸などもまた邪道扱いになるのである。
力の競い合いにかけて専らであろうとすることこそは、世俗の汚濁にまみれきる原因となる一方、
そんなことに専らでなけれはこそ、多少なりとも世俗の汚濁から離縁していくことができるようになる。
相撲のように、むしろ力の競い合いを定型化して興行化してしまうことで、観衆たち自身が腕力を蓄えようとする
気概を萎えさせてしまう神事などもあるわけだが、その目的はやはり「力の適切な扱い」にこそ集約されていて、
適切に扱おうとするからには、腕力中毒による濁世へのしがらみなどを脱却する目的もまたあるのだといえる。
戦史上に名のある猪武者といえども、まだ力の扱いが適切なほうだったといえる。古今東西史上でも最大級の
猪武者だった西楚の覇王項羽も、自らが俗世の汚濁にまみれていることを否定したりまでしているのではなかった。
むしろ、そのやり過ぎな戦いぶりが、対抗馬であり漢帝国の祖となった劉邦に「あれほどにも強大な相手を
屈服させて天下を取った」という箔を付ける助けにもなったのだった。
「腕力こそは神の域にすら達する」という倒錯、これこそは力の不適切な扱いの最たるものである。
そこまで倒錯が深刻化しきったままの状態では、もはや本物の神仏の域に触れることはおろか、目に見える範囲に
近づくことすらも叶いはしない。失神状態仏滅状態でただただ俗世の汚濁にまみれきることしかできなくなってしまう。
出家でもしない限りは世俗に生きる常人として、「腕力こそは神の域にすら達する」という倒錯にまでは及ばない
でいること、これだけは必須条件である。ただただそれなりの力比べに乗ずることは、許容範囲内だったり、
ちょっと問題的だったりする。力の適切な扱いを旨として、柔よく剛を制することの合理性にまで配慮が
及ぶのならそれに越したことはなく、それでこそ自分自身が神仏の域にすら触れることができるようにもなる。
鬼畜の領域、修羅の領域、神仏の領域。人間が進取することまでもが可とされ得るのは、後二つのみである。
気概を萎えさせてしまう神事などもあるわけだが、その目的はやはり「力の適切な扱い」にこそ集約されていて、
適切に扱おうとするからには、腕力中毒による濁世へのしがらみなどを脱却する目的もまたあるのだといえる。
戦史上に名のある猪武者といえども、まだ力の扱いが適切なほうだったといえる。古今東西史上でも最大級の
猪武者だった西楚の覇王項羽も、自らが俗世の汚濁にまみれていることを否定したりまでしているのではなかった。
むしろ、そのやり過ぎな戦いぶりが、対抗馬であり漢帝国の祖となった劉邦に「あれほどにも強大な相手を
屈服させて天下を取った」という箔を付ける助けにもなったのだった。
「腕力こそは神の域にすら達する」という倒錯、これこそは力の不適切な扱いの最たるものである。
そこまで倒錯が深刻化しきったままの状態では、もはや本物の神仏の域に触れることはおろか、目に見える範囲に
近づくことすらも叶いはしない。失神状態仏滅状態でただただ俗世の汚濁にまみれきることしかできなくなってしまう。
出家でもしない限りは世俗に生きる常人として、「腕力こそは神の域にすら達する」という倒錯にまでは及ばない
でいること、これだけは必須条件である。ただただそれなりの力比べに乗ずることは、許容範囲内だったり、
ちょっと問題的だったりする。力の適切な扱いを旨として、柔よく剛を制することの合理性にまで配慮が
及ぶのならそれに越したことはなく、それでこそ自分自身が神仏の域にすら触れることができるようにもなる。
鬼畜の領域、修羅の領域、神仏の領域。人間が進取することまでもが可とされ得るのは、後二つのみである。
「此こに人有りて、力は一匹の雛に勝うることも能わずといわば、則ち力無き人と為すも、
今百鈞を挙ぐると曰わば、則ち力有る人と為さんや。然れば則ち烏獲の任を挙ぐれば、是れ亦た烏獲と為すのみ。
夫れ人豈に勝えざるを以って患いと為さんや。為さざるのみ。徐行して長者に後る、之れを弟と謂い、
疾行して長者に先んずる、之れを不弟と謂う。夫れ徐行は、豈に人の能わざる所たらんや。為さぬ所なり」
「ここに一人の人間がいて、アヒルの雛一羽も持ち上げることができないというなら、みな彼を力のない人間だ
と見なすだろうが、もし百鈞(約1.8トン)のものすら持ち上げられるというなら、誰しもが力ある人間だと
見なすだろう。(伝説上の力士である)烏獲が持ち上げられたものを自分も持ち上げられるというのなら、
その人間もまた烏獲並みだと見なされるだろう。ただそれだけのことなのであり、どうして力がないことなどを
憂いとする必要があるだろうか。自分がゆっくり歩いて年長者の後ろを行くのは悌順なことだが、さっさと
走り去って年長者の先を行くようならこれは不悌である。どうして力がないからといって、徐行して年長者の
後を行くことができなかったりするだろう。ただそうあろうとする心がけがないだけのことだろう。
(儒家の司る人道もまた、力の有無ではなく、真心の有無こそを第一の問題としている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句下・二より)
今百鈞を挙ぐると曰わば、則ち力有る人と為さんや。然れば則ち烏獲の任を挙ぐれば、是れ亦た烏獲と為すのみ。
夫れ人豈に勝えざるを以って患いと為さんや。為さざるのみ。徐行して長者に後る、之れを弟と謂い、
疾行して長者に先んずる、之れを不弟と謂う。夫れ徐行は、豈に人の能わざる所たらんや。為さぬ所なり」
「ここに一人の人間がいて、アヒルの雛一羽も持ち上げることができないというなら、みな彼を力のない人間だ
と見なすだろうが、もし百鈞(約1.8トン)のものすら持ち上げられるというなら、誰しもが力ある人間だと
見なすだろう。(伝説上の力士である)烏獲が持ち上げられたものを自分も持ち上げられるというのなら、
その人間もまた烏獲並みだと見なされるだろう。ただそれだけのことなのであり、どうして力がないことなどを
憂いとする必要があるだろうか。自分がゆっくり歩いて年長者の後ろを行くのは悌順なことだが、さっさと
走り去って年長者の先を行くようならこれは不悌である。どうして力がないからといって、徐行して年長者の
後を行くことができなかったりするだろう。ただそうあろうとする心がけがないだけのことだろう。
(儒家の司る人道もまた、力の有無ではなく、真心の有無こそを第一の問題としている)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句下・二より)
とりあえず板だとたたかれるのでこちらに書きます。
ほぼ毎日読ませてもらってるぜ。ではもう寝ますお休み。
ほぼ毎日読ませてもらってるぜ。ではもう寝ますお休み。
人間はその本性が善だから、外物に囚われることなく己れの本性に立ち返ることでこそ、
善思善言善行を為すことができる。その逆に、外物に囚われて己れの本性を見失うことでこそ、
悪思悪言悪行に走ってしまう。故に、自力作善を基本として行くことこそは真に善徳の推進とも
なる一方、他力本願でいることはそれだけでも罪悪の積み重ねになってしまいがちなのである。
一時的に人に頼るとか頼らないとかいった段階の話ではなく、己れの心持ちが常日頃から
自律的であるか他律的であるかということこそが問題である。人に頼るか頼らないかでいえば、
人間は誰しもがお互いに頼り合うことでしかやっていけない生き物なのだから、頼るしかない。
そうであってなお、自らの心持ちが本質的に独立的であることが善徳の推進につながって行く一方、
本当に心持ちから完全に頼りきり、依存第一な状態でしかいられないことが罪悪に繋がるのである。
依存第一の状態を極大化させたところにこそあるのが、自分の見失いである。
自らの心を完全に失って、単なる情報処理機械も同然な脳内状態でしかいられなくなる状態、
そこでこそ、人は絶対に善行を為すことも、善徳の実在を計り知ることすらも適わなくなる。
確信犯の罪人や悪人はおおむねそういった精神状態であり、サイコパスともなれば確実にそうである。
そこに至る過程は人さまざまであり、あからさまな罪悪に手を染めることでそうなるとも限らない。
人の真心を蔑ろにするような世知辛い世の中の荒波にもまれることでそうなってしまうこともある。
ただ、そうなってしまうほどにも世の中が世知辛いのは、やっぱり世の中のどこかで致命的な
罪悪が積み重ねられてもいるからであり、自分が知らず知らずのうちからその従犯と化せられて
しまう過程として、殺伐とした世の中に嫌らしく順応させられてしまうようなことがあるのである。
一時的な頼り合いではなく、恒久的な心持ちからの依存状態を促すもの——そんなものが
あるとすれば、これこそは人々に罪悪の積み重ねをけしかける元凶の最たるものだといえる。
少なくとも、人々から善思善言善行といった選択肢を完全に奪い去るものであり、どんなに無害な
教条に止め置かれた所で、所詮は不善を最小限に抑える程度の効果しか期待できないものである。
善思善言善行を為すことができる。その逆に、外物に囚われて己れの本性を見失うことでこそ、
悪思悪言悪行に走ってしまう。故に、自力作善を基本として行くことこそは真に善徳の推進とも
なる一方、他力本願でいることはそれだけでも罪悪の積み重ねになってしまいがちなのである。
一時的に人に頼るとか頼らないとかいった段階の話ではなく、己れの心持ちが常日頃から
自律的であるか他律的であるかということこそが問題である。人に頼るか頼らないかでいえば、
人間は誰しもがお互いに頼り合うことでしかやっていけない生き物なのだから、頼るしかない。
そうであってなお、自らの心持ちが本質的に独立的であることが善徳の推進につながって行く一方、
本当に心持ちから完全に頼りきり、依存第一な状態でしかいられないことが罪悪に繋がるのである。
依存第一の状態を極大化させたところにこそあるのが、自分の見失いである。
自らの心を完全に失って、単なる情報処理機械も同然な脳内状態でしかいられなくなる状態、
そこでこそ、人は絶対に善行を為すことも、善徳の実在を計り知ることすらも適わなくなる。
確信犯の罪人や悪人はおおむねそういった精神状態であり、サイコパスともなれば確実にそうである。
そこに至る過程は人さまざまであり、あからさまな罪悪に手を染めることでそうなるとも限らない。
人の真心を蔑ろにするような世知辛い世の中の荒波にもまれることでそうなってしまうこともある。
ただ、そうなってしまうほどにも世の中が世知辛いのは、やっぱり世の中のどこかで致命的な
罪悪が積み重ねられてもいるからであり、自分が知らず知らずのうちからその従犯と化せられて
しまう過程として、殺伐とした世の中に嫌らしく順応させられてしまうようなことがあるのである。
一時的な頼り合いではなく、恒久的な心持ちからの依存状態を促すもの——そんなものが
あるとすれば、これこそは人々に罪悪の積み重ねをけしかける元凶の最たるものだといえる。
少なくとも、人々から善思善言善行といった選択肢を完全に奪い去るものであり、どんなに無害な
教条に止め置かれた所で、所詮は不善を最小限に抑える程度の効果しか期待できないものである。
そんなものの享受が横行してしまっているせいで、人々がみな善性を湛えた己れの心を
見失ってしまっているような状況において、人々をその心から正して行ってやるなどというのも、
順序の取り違えになるといえる。自らの本然からの善性を完全に見失わせてしまうような諸々の
外物の除去だとか、善性を見失った状態での人々の妄動の制限だとかの、外的な措置をそれなりに
講じてから、その後に己れの本性たる善性に気づかせて行くほうが、順序としても正しいといえる。
最悪の濁世における、実力行使による矯正の優先、それぐらいは確かに許容せざるを得ないことでも
あるらしい。だからといって「誠意正心修身斉家治国平天下(大学)」といった、人々の心からの
成長やそれに基づく治世などが全く蔑ろにされたりしてもならない。実力での矯正は、せいぜい
最悪の乱世の収拾のめどが立つあたりまで。そこから先は、人々の善性を養生することでの
低コスト高パフォーマンスかつ堅実な統治こそを主体として行くべきである。
どこまでも実力支配一辺倒でい続けるというのなら、せいぜい独裁主義支配や共産主義支配の
レベルに止まるばかり。平安時代の日本のような理想的な文治はおろか、それなりに人々の善性をも
重んじていた武家時代の実力支配にすら、為政の健全度で及ぶことはない。未だ実力支配が旺盛で
ある時期からでも、人々の本性からの善性への尊重ぐらいはあるべきであり、それに基づいて、
己れの心を見失ってしまっている愚人たちへの相応な扱いにも及んで行くべきなのである。
心ないものたちの非道が横行する世の中と、それをただ実力で押さえつけるだけ世の中と、
どちらのほうがよりマシかすら判別のしようもない。どちらも最悪にろくでもないという他はなく、
そのような両極端への振り切れから脱却して行くことこそをマシ以上の指針とすべきである。
人間の本性からの善性を蔑ろにしたままでいるような状態全般からの脱却のあらんことを。
見失ってしまっているような状況において、人々をその心から正して行ってやるなどというのも、
順序の取り違えになるといえる。自らの本然からの善性を完全に見失わせてしまうような諸々の
外物の除去だとか、善性を見失った状態での人々の妄動の制限だとかの、外的な措置をそれなりに
講じてから、その後に己れの本性たる善性に気づかせて行くほうが、順序としても正しいといえる。
最悪の濁世における、実力行使による矯正の優先、それぐらいは確かに許容せざるを得ないことでも
あるらしい。だからといって「誠意正心修身斉家治国平天下(大学)」といった、人々の心からの
成長やそれに基づく治世などが全く蔑ろにされたりしてもならない。実力での矯正は、せいぜい
最悪の乱世の収拾のめどが立つあたりまで。そこから先は、人々の善性を養生することでの
低コスト高パフォーマンスかつ堅実な統治こそを主体として行くべきである。
どこまでも実力支配一辺倒でい続けるというのなら、せいぜい独裁主義支配や共産主義支配の
レベルに止まるばかり。平安時代の日本のような理想的な文治はおろか、それなりに人々の善性をも
重んじていた武家時代の実力支配にすら、為政の健全度で及ぶことはない。未だ実力支配が旺盛で
ある時期からでも、人々の本性からの善性への尊重ぐらいはあるべきであり、それに基づいて、
己れの心を見失ってしまっている愚人たちへの相応な扱いにも及んで行くべきなのである。
心ないものたちの非道が横行する世の中と、それをただ実力で押さえつけるだけ世の中と、
どちらのほうがよりマシかすら判別のしようもない。どちらも最悪にろくでもないという他はなく、
そのような両極端への振り切れから脱却して行くことこそをマシ以上の指針とすべきである。
人間の本性からの善性を蔑ろにしたままでいるような状態全般からの脱却のあらんことを。
「昊天を瞻卬するも、嘒たる其の星の有るのみ。大夫君子よ、昭め仮みて贏る無かれ。
大命も止みて近くも、爾じが成イサオを棄つる無かれ。何をか求めて我が為めにせん、
以て庶正を戻せんとて。昊天を瞻卬するにも、曷しか恵みて其れ寧からん」
「天上を見上げてもまたたく星があるばかりで、天の助けなどを期待すべくもない。
君子大夫たちよ、だからといって怠るようなこともせず、よく謹んで勤めに励むがよい。
大いなる天命に与ることもできなくなって久しいが、だからといって己れの功業を軽んじてもならない。
どうして自分のためなどであろうか、ただ正しき民たちに利するため。天上を見上げれば、
いつかは天もまた恵みを施してこの世を安んじてくれるかもしれぬ。(天からの恵みなど全く
当てにせず修善に励み、恵みがあるとてそれは衆生のためにとする。徹底した自力作善志向)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・雲漢より)
大命も止みて近くも、爾じが成イサオを棄つる無かれ。何をか求めて我が為めにせん、
以て庶正を戻せんとて。昊天を瞻卬するにも、曷しか恵みて其れ寧からん」
「天上を見上げてもまたたく星があるばかりで、天の助けなどを期待すべくもない。
君子大夫たちよ、だからといって怠るようなこともせず、よく謹んで勤めに励むがよい。
大いなる天命に与ることもできなくなって久しいが、だからといって己れの功業を軽んじてもならない。
どうして自分のためなどであろうか、ただ正しき民たちに利するため。天上を見上げれば、
いつかは天もまた恵みを施してこの世を安んじてくれるかもしれぬ。(天からの恵みなど全く
当てにせず修善に励み、恵みがあるとてそれは衆生のためにとする。徹底した自力作善志向)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・大雅・蕩之什・雲漢より)
悪党をその心から正してやるなんてことも、もう望むべきでもない。
それこそ、心から正されることが最も困難な類いの人種であるのだから。
悪党を常人並みの心境にまで持って行ってやるぐらいまでは、
武力制圧だとか刑罰だとか禁治産だとかの実力行使にも頼らねばならない。
ただ、頼るのはそこまでであって、治世のための統治手段はあくまで、
「誠意正心修身斉家治国平天下」といった順序に則って行かねばならない。
心田の耕しを十八番としているのは何といっても仏門だから、
武力以上にも仏教に頼るぐらいのつもりでなければならない。
それこそ、心から正されることが最も困難な類いの人種であるのだから。
悪党を常人並みの心境にまで持って行ってやるぐらいまでは、
武力制圧だとか刑罰だとか禁治産だとかの実力行使にも頼らねばならない。
ただ、頼るのはそこまでであって、治世のための統治手段はあくまで、
「誠意正心修身斉家治国平天下」といった順序に則って行かねばならない。
心田の耕しを十八番としているのは何といっても仏門だから、
武力以上にも仏教に頼るぐらいのつもりでなければならない。
http://bbs0.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/toriaezu/13594671...
「人間は本性が善だから、悪党を心から正せはしない。」
大したことないようでいて、実は重大な発見になっている。
ここんとこすらちゃんとわきまえとけば、独裁制の到来も防げる。
実力行使による悪党の摘発があまって、いつまでも世の中を
腕力によって支配し続けるようなことも防げるから。
「人間は本性が善だから、悪党を心から正せはしない。」
大したことないようでいて、実は重大な発見になっている。
ここんとこすらちゃんとわきまえとけば、独裁制の到来も防げる。
実力行使による悪党の摘発があまって、いつまでも世の中を
腕力によって支配し続けるようなことも防げるから。
つまり、逆に言えば、
そこんとこすらわきまえとけば、やり過ぎなども気にせずに、
心置きなく悪党どもを取り締まって行けるということでもある。
悪党を裁きにかけることと、無辜の市民を支配下に置くこととは、
全く別の性格を帯びたものとして捉えねばならなくなるから。
そこんとこすらわきまえとけば、やり過ぎなども気にせずに、
心置きなく悪党どもを取り締まって行けるということでもある。
悪党を裁きにかけることと、無辜の市民を支配下に置くこととは、
全く別の性格を帯びたものとして捉えねばならなくなるから。
邪教信仰はえてして、信者に自己を偽る迫真の演技を促すものである。
旧約信仰の肝要は、信者たるユダヤ人が政商犯としての横暴を深刻化させていくことを促すものであるし、
新約信仰の肝要も、信者に政商犯の横行を許容させたり、犯行の被害者となることを容認させたりする所にある。
真実のところを正しく指摘すれば上のようだけれども、自分が新旧約の信者となるためには、
むしろそんなことに気づいてはならないのである。ただ「神の物語」を享受するだけの盲目な子羊で
いられればこそ、内実がそれほどにも悪辣な犯罪寓意の教条を信仰対象にすらして行けるのである。
邪教にとって、真実を悟ることは信仰に結び付かず、真実から目を背けることこそは信仰に結び付く。
他人に信仰を促す邪教信者なども、「真実こそは直視しがたいもの」であるかのようにあえて触れ回ったりも
するけれども、(たとえば、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」でイワンに語らせている現実描写など)
そのような直視しがたい現実を到来させているものこそは、邪教信仰に基づく政商の横行だったりするのであり、
現実が直視しがたいからといって盲目な信仰を促すこと自体、1セットのマッチポンプ戦略になっているのである。
新旧約信仰の内実という真実から目を背けさせて、ただただ神に帰依する、神の愛に服するなどという怠慢に
陥れるものこそは真性の信仰にも溺れてしまう。それこそ、邪教の側にとっての絶好のカモともなるわけだが、
そうならないためには、現実をよく直視して、決して見失ったりすることのない強靭な精神力こそが必要である。
すでに政商犯の暴慢が肥大化してしまっているようならば、邪教信仰を排した所にある現実社会の実情なども、
それはそれは見るに耐えない惨状と化してしまっていたりするわけだが、それでもなお現実を直視することを
やめないでいられるだけの胆力と、そこから着実に回復して行こうと志せるだけの大勇こそが必要となるのである。
邪教信仰自体は、精神の薄弱な女子供や小人男こそが享受しやすいものである。しかし、
邪教信仰がこの世にもたらす惨暴たるや、大の大人の男でも直視しがたい程のものであったりする。
旧約信仰の肝要は、信者たるユダヤ人が政商犯としての横暴を深刻化させていくことを促すものであるし、
新約信仰の肝要も、信者に政商犯の横行を許容させたり、犯行の被害者となることを容認させたりする所にある。
真実のところを正しく指摘すれば上のようだけれども、自分が新旧約の信者となるためには、
むしろそんなことに気づいてはならないのである。ただ「神の物語」を享受するだけの盲目な子羊で
いられればこそ、内実がそれほどにも悪辣な犯罪寓意の教条を信仰対象にすらして行けるのである。
邪教にとって、真実を悟ることは信仰に結び付かず、真実から目を背けることこそは信仰に結び付く。
他人に信仰を促す邪教信者なども、「真実こそは直視しがたいもの」であるかのようにあえて触れ回ったりも
するけれども、(たとえば、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」でイワンに語らせている現実描写など)
そのような直視しがたい現実を到来させているものこそは、邪教信仰に基づく政商の横行だったりするのであり、
現実が直視しがたいからといって盲目な信仰を促すこと自体、1セットのマッチポンプ戦略になっているのである。
新旧約信仰の内実という真実から目を背けさせて、ただただ神に帰依する、神の愛に服するなどという怠慢に
陥れるものこそは真性の信仰にも溺れてしまう。それこそ、邪教の側にとっての絶好のカモともなるわけだが、
そうならないためには、現実をよく直視して、決して見失ったりすることのない強靭な精神力こそが必要である。
すでに政商犯の暴慢が肥大化してしまっているようならば、邪教信仰を排した所にある現実社会の実情なども、
それはそれは見るに耐えない惨状と化してしまっていたりするわけだが、それでもなお現実を直視することを
やめないでいられるだけの胆力と、そこから着実に回復して行こうと志せるだけの大勇こそが必要となるのである。
邪教信仰自体は、精神の薄弱な女子供や小人男こそが享受しやすいものである。しかし、
邪教信仰がこの世にもたらす惨暴たるや、大の大人の男でも直視しがたい程のものであったりする。
メディア戦略などの洗脳支配で、人々の精神力の平均値から大幅に引き下げられているような世の中で、
まともに政商犯の暴慢込みの世の中の実情と向き合って行けるような人間なども、そんなに多くいる
などとは期待できない。仮にいたとした所で、その人間が惨憺たる世の中の実情を着実に改善して
いけるだけの事務的な能力を持ち合わせているとも限らない。人々の文科系と体育会系への大別によって、
無知な蛮勇の持ち主と文弱の徒とにばかり、ほとんどの人間が枝分かれしてしまっていたりもするから、
智勇兼ね備えた真の壮士というものを期待すること自体、ほとんど望みのないことともなってしまっている。
——というような、現実との対峙者の側の不遇自体、すでに惨憺たる実情の一環ともなっている。
智勇兼備の英雄たち自身がほとんどこの世から絶やされてしまっているような最悪の状況において、
なおのこと着実な起死回生を目指して行ける指針があるとすれば、それはもはや真理の悟りでしかあるまい。
真理真実を悟った先にこそ、盲目な狂信に溺れている状態以上もの爽快さすらもがあるのだという
確信のみが、最悪の事態すらをも正善へと反して行けるだけの気概のよりどころともなるであろう。
真理に即してしか物事を改善して行く目処も立たないことを、今一度、真理の大切さを見直す機会と
することによって、このこの最悪の事態をも、一つのめでたい機縁に変えてしまえばいいのである。
「鳲鳩桑に在り、其の子は七つ。淑人君子、其の儀一なり。其の儀一なりて、心も結ばるるが如し」
「カッコウの親鳥が桑の木に止まり、その子供も七羽にまで至っている。仁徳ある君子もまた、
(多くの民を養って行くための)儀を一にする。ただ一つの儀にのみ、その心も結ばれている。
(むしろ、民を統治下に置く君子こそは民の化育に心を結ぶ。君子の志しとサービス精神の相違)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・曹風・鳲鳩より)
まともに政商犯の暴慢込みの世の中の実情と向き合って行けるような人間なども、そんなに多くいる
などとは期待できない。仮にいたとした所で、その人間が惨憺たる世の中の実情を着実に改善して
いけるだけの事務的な能力を持ち合わせているとも限らない。人々の文科系と体育会系への大別によって、
無知な蛮勇の持ち主と文弱の徒とにばかり、ほとんどの人間が枝分かれしてしまっていたりもするから、
智勇兼ね備えた真の壮士というものを期待すること自体、ほとんど望みのないことともなってしまっている。
——というような、現実との対峙者の側の不遇自体、すでに惨憺たる実情の一環ともなっている。
智勇兼備の英雄たち自身がほとんどこの世から絶やされてしまっているような最悪の状況において、
なおのこと着実な起死回生を目指して行ける指針があるとすれば、それはもはや真理の悟りでしかあるまい。
真理真実を悟った先にこそ、盲目な狂信に溺れている状態以上もの爽快さすらもがあるのだという
確信のみが、最悪の事態すらをも正善へと反して行けるだけの気概のよりどころともなるであろう。
真理に即してしか物事を改善して行く目処も立たないことを、今一度、真理の大切さを見直す機会と
することによって、このこの最悪の事態をも、一つのめでたい機縁に変えてしまえばいいのである。
「鳲鳩桑に在り、其の子は七つ。淑人君子、其の儀一なり。其の儀一なりて、心も結ばるるが如し」
「カッコウの親鳥が桑の木に止まり、その子供も七羽にまで至っている。仁徳ある君子もまた、
(多くの民を養って行くための)儀を一にする。ただ一つの儀にのみ、その心も結ばれている。
(むしろ、民を統治下に置く君子こそは民の化育に心を結ぶ。君子の志しとサービス精神の相違)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・曹風・鳲鳩より)
精子 Part9wwww
自らが社会的な弱者であることを認めるというのなら、
なぜ正規の王侯将相に統治されることを認められないのだろうか。
王侯のごとき封建社会の統治者こそは、弱者としての民たちの保護に務めることを本分としている。
民主主義社会の為政者のように民の強壮化を促したりするのでもなく、純粋な弱者としての民を保護下
に置き、その安全や福利厚生を保証するのと引き換えに、自分たちが「人の上に立つ人」たろうともする。
封建社会において為政者が上位の存在として扱われるのも、それによって相対的な弱者としての
扱いが確立される民たちを保護下に置くためでこそある。にもかかわらず、王侯や士大夫に見下される
ことに反感を抱いて体制の転覆を企てたり、士民全人の平等を謳うような信教を好んだりするのは、
「自分たち民こそは強者である」というような思い込みと共にであればまだ話が通るが、
「自分たちこそは弱者である」という自認と共にであるのなら、完全に矛盾している。
実際のところ、為政者こそは極大級の軍事力すらをも保持することが公的に認められる存在だから、
公人と民間人とでどちらのほうが普遍的に強者であるのかといえば、それは公人のほうだといえる。
「軍事力も民を守るためにこそ存在する」、理念としてはそうであるが、民同士が大規模な詐欺行為
などによって利権の共食い争いを繰り広げていたりするようならば、一時的に民間社会こそを
軍事的な制圧下に置いて事態の沈静化を図ったりすることも一種の民の保護になるといえる。
一方で、民間人が民間人であるままに国家規模の軍事力を私有したりすることはできない。軍需産業
を牛耳って陰ながらの軍部支配を試みたりすることはできても、「これこそは俺を守るための私兵だ」
などと公言しつつ民間人が私有できる軍事力なんてのは、せいぜいテロ組織レベルに止まり続ける。
故に、コソコソと陰ながらに済ますこともできないような極大級、大局規模の領域において、
民間人が正規の公人に実力行使の能力面で勝るようなことも決してありはしないのである。
なぜ正規の王侯将相に統治されることを認められないのだろうか。
王侯のごとき封建社会の統治者こそは、弱者としての民たちの保護に務めることを本分としている。
民主主義社会の為政者のように民の強壮化を促したりするのでもなく、純粋な弱者としての民を保護下
に置き、その安全や福利厚生を保証するのと引き換えに、自分たちが「人の上に立つ人」たろうともする。
封建社会において為政者が上位の存在として扱われるのも、それによって相対的な弱者としての
扱いが確立される民たちを保護下に置くためでこそある。にもかかわらず、王侯や士大夫に見下される
ことに反感を抱いて体制の転覆を企てたり、士民全人の平等を謳うような信教を好んだりするのは、
「自分たち民こそは強者である」というような思い込みと共にであればまだ話が通るが、
「自分たちこそは弱者である」という自認と共にであるのなら、完全に矛盾している。
実際のところ、為政者こそは極大級の軍事力すらをも保持することが公的に認められる存在だから、
公人と民間人とでどちらのほうが普遍的に強者であるのかといえば、それは公人のほうだといえる。
「軍事力も民を守るためにこそ存在する」、理念としてはそうであるが、民同士が大規模な詐欺行為
などによって利権の共食い争いを繰り広げていたりするようならば、一時的に民間社会こそを
軍事的な制圧下に置いて事態の沈静化を図ったりすることも一種の民の保護になるといえる。
一方で、民間人が民間人であるままに国家規模の軍事力を私有したりすることはできない。軍需産業
を牛耳って陰ながらの軍部支配を試みたりすることはできても、「これこそは俺を守るための私兵だ」
などと公言しつつ民間人が私有できる軍事力なんてのは、せいぜいテロ組織レベルに止まり続ける。
故に、コソコソと陰ながらに済ますこともできないような極大級、大局規模の領域において、
民間人が正規の公人に実力行使の能力面で勝るようなことも決してありはしないのである。
実際のところ、民間人は公人以上の強者たり得ないし、民間人も「自分たちこそは強者である」
などとまで開き直るようなこともほとんどない。いくら女が男に対してえらそうな顔をしようとも、
実際のところの能力面でまで男に敵わないのは、女もまた認めざるを得ないでいるのと同じように、
民間人もまた自分たちが本質的な弱者であることを大前提としながら、それなりに従順でいたり、
逆にルサンチマンを抱いて官民上下の序列の転覆をも図ったりする。とはいえ、後者によって
実現されるのもあくまで「カカア天下」止まりであり、そのせいで公人の側が天下国家の
総裁としての責任を放棄しての、世相の乱脈ばかりを招いたりすることともなるのである。
公人こそは強者であり、民間人こそは弱者である。その普遍的な前提に即して公人が民を保護
するというのなら、ある程度は官民上下の序列もまたわきまえられてしかるべきである。もちろん
強い者が弱い者を虐げるためではなく、強い者が弱い者を守ってやることを磐石化するためでこそある。
それを健全に実現して行くためには、官民上下の序列を否定したり蔑ろにしたりするような
思想信条をよしとしたりもしないことである。虚構の超越神への浮気によって実際の君子階級への
崇敬が疎かになったりするようならば、そのような神格信仰も害あるものとしていかねばならない。
あくまで、実際の君子士人への崇敬を助成するような神仏への信仰に限って正統とする。
ただ、それは世界中のほとんどの神仏が満たしている条件であり、それに即して邪神と見なされて
排されるような神のほうがむしろ少ない。実際の為政者への崇敬を損なわせるような邪神こそは、
八百万の神なり毛穴の数ほどの仏なりとの並存を禁止してまで、自らへの絶対的帰依を信者に強制
したりするものでもあるから、世界中の数多の神仏信仰系の信教にとっても、上のような正統異端の
条件付けが興隆の助けになることこそあれど、妨げになるようなことは決してないのである。
などとまで開き直るようなこともほとんどない。いくら女が男に対してえらそうな顔をしようとも、
実際のところの能力面でまで男に敵わないのは、女もまた認めざるを得ないでいるのと同じように、
民間人もまた自分たちが本質的な弱者であることを大前提としながら、それなりに従順でいたり、
逆にルサンチマンを抱いて官民上下の序列の転覆をも図ったりする。とはいえ、後者によって
実現されるのもあくまで「カカア天下」止まりであり、そのせいで公人の側が天下国家の
総裁としての責任を放棄しての、世相の乱脈ばかりを招いたりすることともなるのである。
公人こそは強者であり、民間人こそは弱者である。その普遍的な前提に即して公人が民を保護
するというのなら、ある程度は官民上下の序列もまたわきまえられてしかるべきである。もちろん
強い者が弱い者を虐げるためではなく、強い者が弱い者を守ってやることを磐石化するためでこそある。
それを健全に実現して行くためには、官民上下の序列を否定したり蔑ろにしたりするような
思想信条をよしとしたりもしないことである。虚構の超越神への浮気によって実際の君子階級への
崇敬が疎かになったりするようならば、そのような神格信仰も害あるものとしていかねばならない。
あくまで、実際の君子士人への崇敬を助成するような神仏への信仰に限って正統とする。
ただ、それは世界中のほとんどの神仏が満たしている条件であり、それに即して邪神と見なされて
排されるような神のほうがむしろ少ない。実際の為政者への崇敬を損なわせるような邪神こそは、
八百万の神なり毛穴の数ほどの仏なりとの並存を禁止してまで、自らへの絶対的帰依を信者に強制
したりするものでもあるから、世界中の数多の神仏信仰系の信教にとっても、上のような正統異端の
条件付けが興隆の助けになることこそあれど、妨げになるようなことは決してないのである。
「三老五更を大学に食うときは、天子も袒ぎて牲を割き、醤を執りて饋り、
爵を執りて酳い、冕して干を總る。諸侯の弟を教える所以なり。是の故に、
郷里に齒有りて、老窮を遺さず、強は弱を犯さず、衆は寡を暴かず、此れ大学由り来たる者なり」
「旧公卿で孤独の引退者たちを大学に招いた時は、天子も肩脱ぎして生贄を割き、
ひしおの料理でもてなし、名誉の爵位を送り、冕服に干という尊者に対する装束で舞いを踊る。
この大学での天子の振る舞いによる教化によって、方々の地域でも年長者を困窮させたままで
いるようなことがなくなり、強者が弱者を犯すことも、多数派が少数派を脅かすこともなくなる。
(天子が弱者を憐れみ尊ぶことでこそ、誰しもが自分以上の弱者を哀れむようになれるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭義第二十四より)
爵を執りて酳い、冕して干を總る。諸侯の弟を教える所以なり。是の故に、
郷里に齒有りて、老窮を遺さず、強は弱を犯さず、衆は寡を暴かず、此れ大学由り来たる者なり」
「旧公卿で孤独の引退者たちを大学に招いた時は、天子も肩脱ぎして生贄を割き、
ひしおの料理でもてなし、名誉の爵位を送り、冕服に干という尊者に対する装束で舞いを踊る。
この大学での天子の振る舞いによる教化によって、方々の地域でも年長者を困窮させたままで
いるようなことがなくなり、強者が弱者を犯すことも、多数派が少数派を脅かすこともなくなる。
(天子が弱者を憐れみ尊ぶことでこそ、誰しもが自分以上の弱者を哀れむようになれるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭義第二十四より)
人間にとってのあらゆる救いのなさは、全て生への執着を元凶としている。
生々流転、諸行無常の実世界において、個人の生存ばかりに専らであろうとすることが、
人間にとってのあらゆる苦しみの源となる。他人の命を重んずることではなく、
自分の命を偏重しようとすることこそは致命的な救いのなさの原因となり、
そのような傾向を人々に植え付けようとするような教条こそは、
人々に救いようのないほどもの苦しみをもたらすことともなる。
他人の命はむしろ重んずるべきであり、そのために自分の命をなげうつぐらいであるべきである。
しかも、そのような心情を一般化して世間に広く通用すらさせれば、個人個人はむしろ
自らの命を惜しみもしないにもかかわらず、お互いがお互いの命を尊重し合うことで
奪い合い殺し合いなども横行しない福利厚生の万全な世の中が形成されて行くこととなる。
しかもそれでこそ、人々が個人的な生への執着からなる苦悩を脱却して、わさわざ救いを
求めねばならなくなるような濁悪な思考や言行を帯びなくても済むようになるのである。
そのような世の中の実現を直接的に企図しているのが仏教であり、生への執着を
捨て去らせようとするその教条が個人の救いになるばかりでなく、上記のような
実利面からの福利厚生に満ち足りた世の中の到来をも実現して行けるのである。
儒学や神道やヒンズー教などはそこまでは行かず、生への執着を家の尊重などに善用することで
適正化して行こうとする。自分自身の生存もそれなりに重要なものとするが、それはあくまで
世のため人のため自分の家のための生であるとし、私的な生存欲などはやはり捨て去るのである。
長らく仏教振興に与ってきた日本人の感覚などからすれば、もはや生への執着など完全に
捨て去ってもいいぐらいの心持ちでいられもする。その上で、自分が大切な家の嫡子で
あったりする場合に限って、相応の世俗的な人生を営んで行くぐらいでちょうどだと思える。
これは、仏教も儒学も神道もという風に、世界中の教学のいいとこばかりを選別して
凝縮的に享受して来た、この日本ならではの恵まれた境遇に基づく心持ちだともいえる。
生々流転、諸行無常の実世界において、個人の生存ばかりに専らであろうとすることが、
人間にとってのあらゆる苦しみの源となる。他人の命を重んずることではなく、
自分の命を偏重しようとすることこそは致命的な救いのなさの原因となり、
そのような傾向を人々に植え付けようとするような教条こそは、
人々に救いようのないほどもの苦しみをもたらすことともなる。
他人の命はむしろ重んずるべきであり、そのために自分の命をなげうつぐらいであるべきである。
しかも、そのような心情を一般化して世間に広く通用すらさせれば、個人個人はむしろ
自らの命を惜しみもしないにもかかわらず、お互いがお互いの命を尊重し合うことで
奪い合い殺し合いなども横行しない福利厚生の万全な世の中が形成されて行くこととなる。
しかもそれでこそ、人々が個人的な生への執着からなる苦悩を脱却して、わさわざ救いを
求めねばならなくなるような濁悪な思考や言行を帯びなくても済むようになるのである。
そのような世の中の実現を直接的に企図しているのが仏教であり、生への執着を
捨て去らせようとするその教条が個人の救いになるばかりでなく、上記のような
実利面からの福利厚生に満ち足りた世の中の到来をも実現して行けるのである。
儒学や神道やヒンズー教などはそこまでは行かず、生への執着を家の尊重などに善用することで
適正化して行こうとする。自分自身の生存もそれなりに重要なものとするが、それはあくまで
世のため人のため自分の家のための生であるとし、私的な生存欲などはやはり捨て去るのである。
長らく仏教振興に与ってきた日本人の感覚などからすれば、もはや生への執着など完全に
捨て去ってもいいぐらいの心持ちでいられもする。その上で、自分が大切な家の嫡子で
あったりする場合に限って、相応の世俗的な人生を営んで行くぐらいでちょうどだと思える。
これは、仏教も儒学も神道もという風に、世界中の教学のいいとこばかりを選別して
凝縮的に享受して来た、この日本ならではの恵まれた境遇に基づく心持ちだともいえる。
そのような恵まれた環境下に与れなかったような人々が、まずどうすべきかを考えてみるに、
それは、「どういう風に恵まれていなかったか」によって対処法が変わるものだといえる。
欧米のように生への執着ばかりに専らでい過ぎた地域では、生への執着こそを捨てさせる
仏教のような教学の受容が推奨できるし、アフリカのようにむしろ個人個人の生命を蔑ろに
し過ぎているような地域では、古来からの民俗文化に神道や儒学の文化的手法を兼ね合わさせる
などして、家族単位での人々の生活をより尊重させて行くなどすればいいのではないかと思う。
今の人類社会は、総体的に生への執着が過剰化してしまっている状態である。
だからといって人々が不老不死の命を手に入れたりできるわけでもないから、
苦悩のはけ口を性向に追い求めて、世界人口を爆発的に増大させるまでに至っている。
人々に過剰な生への執着を捨てさせることこそは、人類にとっての急務である。
そのために第一に必要となるのは、人々の生への執着を極大化させる例の邪教の根絶である
けれども、ただ根絶するだけでその後に何らの精神的ケアも行わないままでいるのであれば、
邪教によって植えつけられた執着を持ち越して問題を引き起こし続けることにもなりかねない。
だからこそ、邪教を根絶した後の穴の埋め合わせにもまた勤しんで行かねばならないのである。
「我れ生の初め、庸き無きを尚いしに、我れ生の後、此の百凶に逢えり。尚くば寐ねて聡むる無からん」
「まだ生まれ付いて間もない頃から、私はただ無事な人生を送れたならばと思っていたのに、
しばらく生きてみれば、ただただ百千万の凶事に見舞われるばかり。願わくばずっと寝たままで
人の言うことも聞きたくはない。(人生の就寝以上ものつまらなさ。乱世を嘆く君子の歌でもある)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・兔爰より)
それは、「どういう風に恵まれていなかったか」によって対処法が変わるものだといえる。
欧米のように生への執着ばかりに専らでい過ぎた地域では、生への執着こそを捨てさせる
仏教のような教学の受容が推奨できるし、アフリカのようにむしろ個人個人の生命を蔑ろに
し過ぎているような地域では、古来からの民俗文化に神道や儒学の文化的手法を兼ね合わさせる
などして、家族単位での人々の生活をより尊重させて行くなどすればいいのではないかと思う。
今の人類社会は、総体的に生への執着が過剰化してしまっている状態である。
だからといって人々が不老不死の命を手に入れたりできるわけでもないから、
苦悩のはけ口を性向に追い求めて、世界人口を爆発的に増大させるまでに至っている。
人々に過剰な生への執着を捨てさせることこそは、人類にとっての急務である。
そのために第一に必要となるのは、人々の生への執着を極大化させる例の邪教の根絶である
けれども、ただ根絶するだけでその後に何らの精神的ケアも行わないままでいるのであれば、
邪教によって植えつけられた執着を持ち越して問題を引き起こし続けることにもなりかねない。
だからこそ、邪教を根絶した後の穴の埋め合わせにもまた勤しんで行かねばならないのである。
「我れ生の初め、庸き無きを尚いしに、我れ生の後、此の百凶に逢えり。尚くば寐ねて聡むる無からん」
「まだ生まれ付いて間もない頃から、私はただ無事な人生を送れたならばと思っていたのに、
しばらく生きてみれば、ただただ百千万の凶事に見舞われるばかり。願わくばずっと寝たままで
人の言うことも聞きたくはない。(人生の就寝以上ものつまらなさ。乱世を嘆く君子の歌でもある)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・王風・兔爰より)
Out of Base.^^;;
この世には、陰陽法則に即して日向者(ひたなもの)として扱うべきものと、日陰者
として扱うべきものとの両方がある。男か女かでいえば、男を日向者、女を日陰者として
扱うべきだし、官か民かでいえば、官職者を日向者、民間人を日陰者として扱うべきである。
民間人同士のうちでも、農業や必需産業に従事するものを日向者として扱い、ガラクタ産業や
商業に従事するものを日陰者として扱うべきである。以上のような扱いを講じることでこそ、
陰陽法則に司られているこの世の中もまた、最善級にうまくいくようになるのである。
日陰者だからといって完全な排斥対象になるのではなく、日向者に順ずるものとしてこそ
模範的であるべきである。女が夫や子に尽くす良妻賢母たれば、それが女としての誉れ
ともなる。本家の嫡子の長男などと比べれば日陰者であるべき分家の庶子や次男三男、
さらには妾腹の私生児なども、学者や僧侶や、養子先での孝子などとしての精進に励めば、
孔子や一休和尚や鬼平のような高名を後世にまで轟かすことだってできなくはないのである。
一概な日向者でいることと、多少は日陰者に甘んずることと、どちらのほうがより
個人的な幸福に与れる可能性があるかといって、それはむしろ日陰者のほうである。
偉大な王侯将相の跡取りなどのほうが、もはや個人的な栄達などを追い求めて行ける
余地もほとんどないのに対し、劉邦や羽柴秀吉のような卑賤の身分の出身者であればこそ、
そこからどこまでも上を目指して行ける余地があるために、それに基づく僥倖をも
期待して行けるのである。(ただしこの場合にも高転びなどへの注意が必要である)
ただ日陰者であるべきような立場の人間が、そこからの栄達を目指して行くためには、
相当な苦労が必要ともなる。妾腹の私生児から大学者へと大成した孔子の血のにじむような
その努力具合も、本人が体系化した五経の記録内容の精緻さなどからも伺えることである。
として扱うべきものとの両方がある。男か女かでいえば、男を日向者、女を日陰者として
扱うべきだし、官か民かでいえば、官職者を日向者、民間人を日陰者として扱うべきである。
民間人同士のうちでも、農業や必需産業に従事するものを日向者として扱い、ガラクタ産業や
商業に従事するものを日陰者として扱うべきである。以上のような扱いを講じることでこそ、
陰陽法則に司られているこの世の中もまた、最善級にうまくいくようになるのである。
日陰者だからといって完全な排斥対象になるのではなく、日向者に順ずるものとしてこそ
模範的であるべきである。女が夫や子に尽くす良妻賢母たれば、それが女としての誉れ
ともなる。本家の嫡子の長男などと比べれば日陰者であるべき分家の庶子や次男三男、
さらには妾腹の私生児なども、学者や僧侶や、養子先での孝子などとしての精進に励めば、
孔子や一休和尚や鬼平のような高名を後世にまで轟かすことだってできなくはないのである。
一概な日向者でいることと、多少は日陰者に甘んずることと、どちらのほうがより
個人的な幸福に与れる可能性があるかといって、それはむしろ日陰者のほうである。
偉大な王侯将相の跡取りなどのほうが、もはや個人的な栄達などを追い求めて行ける
余地もほとんどないのに対し、劉邦や羽柴秀吉のような卑賤の身分の出身者であればこそ、
そこからどこまでも上を目指して行ける余地があるために、それに基づく僥倖をも
期待して行けるのである。(ただしこの場合にも高転びなどへの注意が必要である)
ただ日陰者であるべきような立場の人間が、そこからの栄達を目指して行くためには、
相当な苦労が必要ともなる。妾腹の私生児から大学者へと大成した孔子の血のにじむような
その努力具合も、本人が体系化した五経の記録内容の精緻さなどからも伺えることである。
ただ勉強に励んでいただけでなく、卑賤の身分からなる劣等感との葛藤に孔子も苛まれていた
はずである。その劣等感に取り込まれて非道な邪義を触れ回ったのがイエスだったりするわけで、
妾腹の私生児級の不遇者の大半はそのような暴発に陥るか、もしくは日陰者としての苦しみの中に
一生を尽くすかのいずれかに終わるものである。そのようなあり方では「やっぱり日陰者止まり」
という謗りを免れ得ないのはもちろんのこと、日陰者としての不遇を克服した先にこそある幸福に
与るような醍醐味をも得られはしない。日陰者が日陰者なりに大成して行くという選択肢は確かに
拓けているが、その道は大変細く険しく、生半な努力などでは到底踏破できないようになっている。
以上のような論及は、もちろん先天的な不遇を克服して行く場合にこそ言えることである。
自分から好き好んで悪徳商売のような賤業に従事したりするようなら、もはや自力で不遇を克服
して行く選択肢すらをもかなぐり捨てているといえる。先天的な日陰者扱いの不遇を克服して
行くために必須となるのは、何といっても自助努力であり、自助努力こそは人並み以上でなければ
何も務まらない。自分から不遇の限りを尽くした挙句に誰かからの救いを期待するなんていう
選択肢こそはなく、それこそ誰からの同情も受けるに値しない道化としての自滅を招くのみである。
「王憂いに宅り、陰に亮すこと三祀。既に喪を免るるも、其れ惟れ言うこと弗し。(中略)曰く、
台れ四方に正たるを以って、惟れ徳の類からざるを恐る、茲の故に言わず。恭みて黙して道を思う」
「殷の王(武丁)は先代の死後、常に憂いの中にあり、三年もの間影ながらの生活に順じていた。
すでに服喪期間を過ぎてからも、ほとんどものを言わなかった。(これでは仕事にならないと憂えた
臣下が催促すると)王は言われた。『私は自分が四方の国々に対して正大な存在たるに相応しい
だけの徳を具えていないことを恐れている。そのためほとんどものも言わず、慎み黙って道を
懐い続けているのである』(影ながらの生活の中に慎み黙する中にこそ、徳を得るための道を
思うこともまたある。『伝道の書』の著者はそんなことは思いもよらなかったのだろう)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・説命上より)
はずである。その劣等感に取り込まれて非道な邪義を触れ回ったのがイエスだったりするわけで、
妾腹の私生児級の不遇者の大半はそのような暴発に陥るか、もしくは日陰者としての苦しみの中に
一生を尽くすかのいずれかに終わるものである。そのようなあり方では「やっぱり日陰者止まり」
という謗りを免れ得ないのはもちろんのこと、日陰者としての不遇を克服した先にこそある幸福に
与るような醍醐味をも得られはしない。日陰者が日陰者なりに大成して行くという選択肢は確かに
拓けているが、その道は大変細く険しく、生半な努力などでは到底踏破できないようになっている。
以上のような論及は、もちろん先天的な不遇を克服して行く場合にこそ言えることである。
自分から好き好んで悪徳商売のような賤業に従事したりするようなら、もはや自力で不遇を克服
して行く選択肢すらをもかなぐり捨てているといえる。先天的な日陰者扱いの不遇を克服して
行くために必須となるのは、何といっても自助努力であり、自助努力こそは人並み以上でなければ
何も務まらない。自分から不遇の限りを尽くした挙句に誰かからの救いを期待するなんていう
選択肢こそはなく、それこそ誰からの同情も受けるに値しない道化としての自滅を招くのみである。
「王憂いに宅り、陰に亮すこと三祀。既に喪を免るるも、其れ惟れ言うこと弗し。(中略)曰く、
台れ四方に正たるを以って、惟れ徳の類からざるを恐る、茲の故に言わず。恭みて黙して道を思う」
「殷の王(武丁)は先代の死後、常に憂いの中にあり、三年もの間影ながらの生活に順じていた。
すでに服喪期間を過ぎてからも、ほとんどものを言わなかった。(これでは仕事にならないと憂えた
臣下が催促すると)王は言われた。『私は自分が四方の国々に対して正大な存在たるに相応しい
だけの徳を具えていないことを恐れている。そのためほとんどものも言わず、慎み黙って道を
懐い続けているのである』(影ながらの生活の中に慎み黙する中にこそ、徳を得るための道を
思うこともまたある。『伝道の書』の著者はそんなことは思いもよらなかったのだろう)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・説命上より)
「泰山其れ頽れんか、梁木其れ壊れんか、哲人其れ萎まんか」
「泰山ですらもが崩れ落ちるのか、巨木すらもが折れ去るのか、哲人も衰え死ぬのか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・檀弓上第三より)
孔子が晩年に死期を悟ったときに詠ったとされる歌。半ば尊大なようにも受け止められかねないが、
孔子自身の生まれの不遇さだとか、それをバネにしての努力研鑽による大成だとかをよく
慮ってみたならば、この歌も決して誇張表現などではなかったことが計り知れるのである。
母子家庭育ちの妾腹の私生児から、世界で最も子孫の多い偉人へと上り詰めたその由緒も、
決してまがい物だったりするのではなく、宇宙の真理にすら半ば合致しているものであった。
それでいて孔子は出家者や隠遁者などとは違って、旺盛な活動意欲や生存欲の持ち主でもあった。
ただそうであるというだけなら、生きる価値の無さにすらさいなまれることになりかねないような
「妾腹の私生児」という極度の逆境をはねのけて大成すればこそ、人一倍自尊心も強かったのである。
それも、根拠のない自尊心などではなく、磐石な根拠にこそ根ざした、きわめて安定的な自尊心。
妾腹の私生児にもかかわらずではなくだからこそ、それが得られた。純粋な自力作善のみによって
勝ち得た、磐石な根拠と共なる自尊心であればこそ、泰山ほどにも揺らぐことがなかったのだった。
確かにそれはきわめて困難なことであり、妾腹の私生児に生まれついたからといって誰しもが
それほどもの大成を実現できるなどとは決して言えないことである。ただ、上に書いたような
孔子の事績などもあればこそ、「妾腹の私生児=決して救われることのない不遇」などと開き直って、
不遇を極めることに陶酔したり、そのような状態の人間に同情したりすることも許されないのである。
自分が妾腹の私生児だからといって、孔子ほどもの大成はとうてい見込めない。
だとすれば隠遁者なり出家者なりとして日陰者の人生に徹すればいいのであり、
不遇に呑み込まれた自己こそをひけらかして同情を買うなんてことだけは自制すべきである。
「泰山ですらもが崩れ落ちるのか、巨木すらもが折れ去るのか、哲人も衰え死ぬのか」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・檀弓上第三より)
孔子が晩年に死期を悟ったときに詠ったとされる歌。半ば尊大なようにも受け止められかねないが、
孔子自身の生まれの不遇さだとか、それをバネにしての努力研鑽による大成だとかをよく
慮ってみたならば、この歌も決して誇張表現などではなかったことが計り知れるのである。
母子家庭育ちの妾腹の私生児から、世界で最も子孫の多い偉人へと上り詰めたその由緒も、
決してまがい物だったりするのではなく、宇宙の真理にすら半ば合致しているものであった。
それでいて孔子は出家者や隠遁者などとは違って、旺盛な活動意欲や生存欲の持ち主でもあった。
ただそうであるというだけなら、生きる価値の無さにすらさいなまれることになりかねないような
「妾腹の私生児」という極度の逆境をはねのけて大成すればこそ、人一倍自尊心も強かったのである。
それも、根拠のない自尊心などではなく、磐石な根拠にこそ根ざした、きわめて安定的な自尊心。
妾腹の私生児にもかかわらずではなくだからこそ、それが得られた。純粋な自力作善のみによって
勝ち得た、磐石な根拠と共なる自尊心であればこそ、泰山ほどにも揺らぐことがなかったのだった。
確かにそれはきわめて困難なことであり、妾腹の私生児に生まれついたからといって誰しもが
それほどもの大成を実現できるなどとは決して言えないことである。ただ、上に書いたような
孔子の事績などもあればこそ、「妾腹の私生児=決して救われることのない不遇」などと開き直って、
不遇を極めることに陶酔したり、そのような状態の人間に同情したりすることも許されないのである。
自分が妾腹の私生児だからといって、孔子ほどもの大成はとうてい見込めない。
だとすれば隠遁者なり出家者なりとして日陰者の人生に徹すればいいのであり、
不遇に呑み込まれた自己こそをひけらかして同情を買うなんてことだけは自制すべきである。
実際、孔子のような極度の不遇からの大成者が実在していればこそ、東洋社会においては不遇を
ひけらかしての人気取りなどは非とされて来た。特に、妾腹の私生児のような克服のしようの
ある不遇で同情を買おうなどとする人間には「甘ったれんな」という冷たい視線が注がれた。
それは別に間違ったことでもない、世界的に通用させても何ら問題のない常識的措置なのであり、
それにすら耐えられないなんていう薄弱者こそは社会的立場を追われたとしても仕方がないのである。
それが「ガサツ」だったりするのでもない。どちらかといえば、己れの精神の薄弱さのあまり
私利私益ばかりをむさぼって、遠方の他人を困窮や餓死にまで追い込んでおきながら、一向に意に
介さないでいたりすることのほうがよっぽどガサツである。そんなガサツさよりは、社会人として
最低限必要な厳しさとしての、克服可能な不遇に対する同情の抑制のほうを講じて行くべきである。
接ぎ木ではなく、種から生えた芽としてこれから育って行かねばならないものがあったとして、
「まだまだこれからだ」というような叱咤激励をかけてやるのが水遣りに相当するとすれば、
「大変だねえ」などと同情ばかりをかけるのは芽を無理に伸ばしたりすることに相当するといえる。
前者は成長を促す一方、後者はかえって芽を立ち枯れにさせる原因にすらなってしまう。これから
育って行こうとする芽に対する適切な助成のためにも、不埒な同情などは禁物なのである。
「災いを救いて鄰りを恤れむは道なり。道を行えば福有り」
「災いからの救いを企図し、隣りの被害者を憐れむのは道である。道を行えば福徳にも与れる。
(災いへの救助支援や憐憫は確かに人道に適っている。人道に適わなければこそ福もない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・僖公十三年より)
ひけらかしての人気取りなどは非とされて来た。特に、妾腹の私生児のような克服のしようの
ある不遇で同情を買おうなどとする人間には「甘ったれんな」という冷たい視線が注がれた。
それは別に間違ったことでもない、世界的に通用させても何ら問題のない常識的措置なのであり、
それにすら耐えられないなんていう薄弱者こそは社会的立場を追われたとしても仕方がないのである。
それが「ガサツ」だったりするのでもない。どちらかといえば、己れの精神の薄弱さのあまり
私利私益ばかりをむさぼって、遠方の他人を困窮や餓死にまで追い込んでおきながら、一向に意に
介さないでいたりすることのほうがよっぽどガサツである。そんなガサツさよりは、社会人として
最低限必要な厳しさとしての、克服可能な不遇に対する同情の抑制のほうを講じて行くべきである。
接ぎ木ではなく、種から生えた芽としてこれから育って行かねばならないものがあったとして、
「まだまだこれからだ」というような叱咤激励をかけてやるのが水遣りに相当するとすれば、
「大変だねえ」などと同情ばかりをかけるのは芽を無理に伸ばしたりすることに相当するといえる。
前者は成長を促す一方、後者はかえって芽を立ち枯れにさせる原因にすらなってしまう。これから
育って行こうとする芽に対する適切な助成のためにも、不埒な同情などは禁物なのである。
「災いを救いて鄰りを恤れむは道なり。道を行えば福有り」
「災いからの救いを企図し、隣りの被害者を憐れむのは道である。道を行えば福徳にも与れる。
(災いへの救助支援や憐憫は確かに人道に適っている。人道に適わなければこそ福もない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——春秋左氏伝・僖公十三年より)
妾腹の私生児程度の不遇は、実際に孔子のように克服ができるものでもあるわけだから、
その不遇からなる悲哀にかられての暴発に及んで、非業の最期を辿ったことなどに
「聖性」を見出せたりするようなことも、決してないわけである。
そんなものに聖性を見出すような界隈があったとすれば、そんな界隈全体が一人前の
社会人としてやっていくにも値しない重度の精神薄弱者の集いであることが確かである。
実際、そのような持て囃すべきでないものを持て囃す慣習を持つ薄弱者の界隈である
キリスト教圏こそは、世界中にガン細胞並みの有害無益な悪影響ばかりを撒き散らし続けてもいる。
他者の不運や危難を憐れむ心、いわゆる「惻隠の情」それ自体は道理に適ったものである。(>>264の引用参照)
ただ、同情をかけるべき相手とそうでない相手とを分別するのもまた、一つの道理である。
人間の心に内在する本性としての善性を完全に見失っての悪逆非道に及んだ挙句、自業自得の
自滅に見舞われてしまったような人間にまで同情をかけたりはしないのも、一つの道義的措置である。
そんな人間に同情をかけて救ってやったりした所で、何も懲りることなしにまた同じ過ちを
繰り返すことになるだけなのだから、あえて同情もかけず、救いも講じないでいるべきなのである。
己れの善性ごと心を見失っているような人間を心から矯正して行くのも不可能なことであり、
常人並みの品性に立ち戻るまでは実力での矯正が必要となることもまた、すでに述べた通りである。
(>>245-251あたりの論議を参照)
故に、「地獄」と表現されるような状況もまた、必要悪たり得ることがあるわけである。
仏教などでは、地獄をあくまで心象の一つとして捉えているけれども、実際に社会上で酷烈な処罰だとか
社会的制限だとかを講じることがあるとすれば、そのような実力行使が処理対象となる人間にとっての
「地獄」となったりもするわけである。そのような地獄こそは、やはりどうしても必要となる場合がある。
その不遇からなる悲哀にかられての暴発に及んで、非業の最期を辿ったことなどに
「聖性」を見出せたりするようなことも、決してないわけである。
そんなものに聖性を見出すような界隈があったとすれば、そんな界隈全体が一人前の
社会人としてやっていくにも値しない重度の精神薄弱者の集いであることが確かである。
実際、そのような持て囃すべきでないものを持て囃す慣習を持つ薄弱者の界隈である
キリスト教圏こそは、世界中にガン細胞並みの有害無益な悪影響ばかりを撒き散らし続けてもいる。
他者の不運や危難を憐れむ心、いわゆる「惻隠の情」それ自体は道理に適ったものである。(>>264の引用参照)
ただ、同情をかけるべき相手とそうでない相手とを分別するのもまた、一つの道理である。
人間の心に内在する本性としての善性を完全に見失っての悪逆非道に及んだ挙句、自業自得の
自滅に見舞われてしまったような人間にまで同情をかけたりはしないのも、一つの道義的措置である。
そんな人間に同情をかけて救ってやったりした所で、何も懲りることなしにまた同じ過ちを
繰り返すことになるだけなのだから、あえて同情もかけず、救いも講じないでいるべきなのである。
己れの善性ごと心を見失っているような人間を心から矯正して行くのも不可能なことであり、
常人並みの品性に立ち戻るまでは実力での矯正が必要となることもまた、すでに述べた通りである。
(>>245-251あたりの論議を参照)
故に、「地獄」と表現されるような状況もまた、必要悪たり得ることがあるわけである。
仏教などでは、地獄をあくまで心象の一つとして捉えているけれども、実際に社会上で酷烈な処罰だとか
社会的制限だとかを講じることがあるとすれば、そのような実力行使が処理対象となる人間にとっての
「地獄」となったりもするわけである。そのような地獄こそは、やはりどうしても必要となる場合がある。
己れの心を見失ってまでの悪逆非道に走っているような人間がいれば、そのような人間に対して
特定的に施すべきものとしての酷烈な刑罰などが必要となるし、妾腹の私生児の暴発死ごときに同情を
抱いてしまうような精神縛弱者がいたとすれば、これまたそのような人間に特定的に施すべきものとしての
行為能力制限だとかが必要ともなる。これらこそは、実社会に到来する必要悪としての地獄だといえる。
地獄自体は必要悪であり、地獄を招かざるを得なくなるようなならず者の悪逆非道こそは不必要悪である。
そのようなならず者の活動を活発化させる教条などがあったとすれば、これこそは地獄の到来以上にも
不必要で有害無益な邪教であったことが確実であり、地獄の仕打ちを怨むとしても、地獄そのものではなく
そのような邪教こそを怨まねばならない。むしろそのような邪教こそは、言葉巧みに信者をたぶらかして
一時的にいい思いをさせてやったりもしたわけだが、それでも、そこにこそ地獄を招く元凶があったのだ
ということをわきまえて、全ての罪責はそこにばかりあったのだということを承っていかねばならない。
そんなものに依存してしまった自分こそは、救いようのない馬鹿だったことを認めねばならない。
「一隅を挙げるに三隅を以って反さざれば、則ち復せざるなり」
「一つの物事を挙げれば、それに三つの答えを返してくるぐらいの者でなければ、繰り返し物事を
教えてやるには値しない。(一度きりで満足という慢心の非。新井白石もキリシタンの形而上学が
一世代上止まりで、二世代や三世代上の形而上への想定を全く欠いていることを非難した)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・述而第七・八より)
特定的に施すべきものとしての酷烈な刑罰などが必要となるし、妾腹の私生児の暴発死ごときに同情を
抱いてしまうような精神縛弱者がいたとすれば、これまたそのような人間に特定的に施すべきものとしての
行為能力制限だとかが必要ともなる。これらこそは、実社会に到来する必要悪としての地獄だといえる。
地獄自体は必要悪であり、地獄を招かざるを得なくなるようなならず者の悪逆非道こそは不必要悪である。
そのようなならず者の活動を活発化させる教条などがあったとすれば、これこそは地獄の到来以上にも
不必要で有害無益な邪教であったことが確実であり、地獄の仕打ちを怨むとしても、地獄そのものではなく
そのような邪教こそを怨まねばならない。むしろそのような邪教こそは、言葉巧みに信者をたぶらかして
一時的にいい思いをさせてやったりもしたわけだが、それでも、そこにこそ地獄を招く元凶があったのだ
ということをわきまえて、全ての罪責はそこにばかりあったのだということを承っていかねばならない。
そんなものに依存してしまった自分こそは、救いようのない馬鹿だったことを認めねばならない。
「一隅を挙げるに三隅を以って反さざれば、則ち復せざるなり」
「一つの物事を挙げれば、それに三つの答えを返してくるぐらいの者でなければ、繰り返し物事を
教えてやるには値しない。(一度きりで満足という慢心の非。新井白石もキリシタンの形而上学が
一世代上止まりで、二世代や三世代上の形而上への想定を全く欠いていることを非難した)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・述而第七・八より)
イエスも甘ったれだし、そこに付いて行こうとした信者も甘ったれでしかない。
一人前の社会人としてやって行く上での、最低限の厳しさも受け付けられなかった甘ったれ。
地球規模での大罪を犯したのも、あくまでその結果に過ぎないであって、本質的な問題は、
社会人としてやって行くにも値しない甘ったれにすら権能を与えようとした所にこそある。
一人前の社会人としてやって行く上での、最低限の厳しさも受け付けられなかった甘ったれ。
地球規模での大罪を犯したのも、あくまでその結果に過ぎないであって、本質的な問題は、
社会人としてやって行くにも値しない甘ったれにすら権能を与えようとした所にこそある。
「願わくは善を伐ることなく、労を施すこと無けん(既出)」
「願わくは自らの善行を誇ることなく、他人に労役を課すようなこともないようにしたい」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・公冶長第五・二六より)
「勲労有るを挾みて問うは、〜皆な答えざる所なり」
「自分の仕事の功労を鼻にかけるような無礼者は、その質問に答えてやるにも値しない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・四三より)
俺も皮肉で自分の無為自然を誇ったりしてるがな。
いずれも今の世の中では全くわきまえられていない道徳的教条だといえる。
働いてなんぼ、働かせてなんぼなんてのは、道家思想だけでなく、
人間道徳上の勧善懲悪志向にも完全にもとっているのだ。
「願わくは自らの善行を誇ることなく、他人に労役を課すようなこともないようにしたい」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・公冶長第五・二六より)
「勲労有るを挾みて問うは、〜皆な答えざる所なり」
「自分の仕事の功労を鼻にかけるような無礼者は、その質問に答えてやるにも値しない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・四三より)
俺も皮肉で自分の無為自然を誇ったりしてるがな。
いずれも今の世の中では全くわきまえられていない道徳的教条だといえる。
働いてなんぼ、働かせてなんぼなんてのは、道家思想だけでなく、
人間道徳上の勧善懲悪志向にも完全にもとっているのだ。
聖書圏には、仁義道徳と、あと無為自然の徳に対する察知や理解が全く存在しない。
どちらかといえば、無為自然の徳に対する了解こそが全く欠けている。だからこそ、
人々が絶え間ない焦燥やルサンチマンにまみれた状態とも化してしまっている。
妾腹の私生児といえども、孔子のように社会的な大成を果たすことができる。
そこまでいかずとも、卑賤の身の上を恥じて安静を決め込んですらいたならば、暴発して
邪教を触れ回ったりするよりは、よっぽどマシな存在でいられるとはすでに述べたことである。
(道家の見地からすれば、そのほうが社会的大成以上にも上等なこととすらされる)
無為自然の徳を解さないことが、無根拠な劣等意識や嫉妬の原因ともなる。
「悪いことをするぐらいなら何もしないでいたほうがマシ」という事実関係をわきまえられて
すらいたなら、悪逆非道な犯罪稼業によって暴利を巻き上げてやりたい放題でいるような
畜生野郎などに対しては、当たり前なこととしての侮蔑意識を抱いたりするものである。
しかし、上記のような事実関係へのわきまえを欠いていたならば、なりふり構わぬ稼ぎで
富裕となっているような者に対する劣等感や羨望すらをも抱いてしまいかねないのである。
世界中の億万長者を「世界の偉人ランキング」の上位に並べ立ている欧米の経済誌なども、
無為自然の徳を全く解さない聖書信仰的な価値観に即して発行されているものである。
そんな連中はむしろ「世界の賤人ランキング」の上位にこそはべらせなければならないと、
無為自然の徳を解するものであれば考える。ただそう考えるだけでなく、それによって
賤人ランキングの上位者を心からの笑いものの対象として行きもする。
小百姓の末子や下級役人だった頃の高祖劉邦なども、そのような「いるよりも
いないほうがマシな権力者に対する心からの侮蔑意識」を抱いていたのである。
だからこそ、当時すでに相当な富豪でもあった呂氏のVIP御用達の宴会などにも
無一文で乗り込んで、好き勝手に飲食するなどの豪快な振る舞いにも及んでいたのだった。
そして、その豪放さをそのまま押し通した挙句に中華皇帝にまでのし上がった。
画像削除(by投稿者)
どちらかといえば、無為自然の徳に対する了解こそが全く欠けている。だからこそ、
人々が絶え間ない焦燥やルサンチマンにまみれた状態とも化してしまっている。
妾腹の私生児といえども、孔子のように社会的な大成を果たすことができる。
そこまでいかずとも、卑賤の身の上を恥じて安静を決め込んですらいたならば、暴発して
邪教を触れ回ったりするよりは、よっぽどマシな存在でいられるとはすでに述べたことである。
(道家の見地からすれば、そのほうが社会的大成以上にも上等なこととすらされる)
無為自然の徳を解さないことが、無根拠な劣等意識や嫉妬の原因ともなる。
「悪いことをするぐらいなら何もしないでいたほうがマシ」という事実関係をわきまえられて
すらいたなら、悪逆非道な犯罪稼業によって暴利を巻き上げてやりたい放題でいるような
畜生野郎などに対しては、当たり前なこととしての侮蔑意識を抱いたりするものである。
しかし、上記のような事実関係へのわきまえを欠いていたならば、なりふり構わぬ稼ぎで
富裕となっているような者に対する劣等感や羨望すらをも抱いてしまいかねないのである。
世界中の億万長者を「世界の偉人ランキング」の上位に並べ立ている欧米の経済誌なども、
無為自然の徳を全く解さない聖書信仰的な価値観に即して発行されているものである。
そんな連中はむしろ「世界の賤人ランキング」の上位にこそはべらせなければならないと、
無為自然の徳を解するものであれば考える。ただそう考えるだけでなく、それによって
賤人ランキングの上位者を心からの笑いものの対象として行きもする。
小百姓の末子や下級役人だった頃の高祖劉邦なども、そのような「いるよりも
いないほうがマシな権力者に対する心からの侮蔑意識」を抱いていたのである。
だからこそ、当時すでに相当な富豪でもあった呂氏のVIP御用達の宴会などにも
無一文で乗り込んで、好き勝手に飲食するなどの豪快な振る舞いにも及んでいたのだった。
そして、その豪放さをそのまま押し通した挙句に中華皇帝にまでのし上がった。
画像削除(by投稿者)
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いるよりもいないほうがマシな世の中のガンと化してしまっている時に、「悪いことをする
ぐらいなら何もしないでいたほうがマシ」という事実関係への了解を守り通せてすらいたなら、
小百姓すらもが皇帝にのし上がることだってできなくはないという史実的証拠になっている。
だからこそ、権力者に対する「ルサンチマン」などというものが不正であるともいえるのである。
権力者が、磐石な治世に貢献する徳治者であるのならば、民もまたそれを素直に尊崇すべきである。
また、権力者が「いないほうがマシ」なほどもの暴政を働く権力犯罪者であるというのなら、
その場合には「世の中のガン」としての権力者たちを透徹した見下しの対象とすればいいのであり、
権力者が優良である場合と劣悪である場合いずれにおいても、無為自然の徳をわきまえている
民が権力者を嫉妬の的にしたりする道理はないわけである。
庶民が権力者に対するルサンチマンを抱いたりするのも、無為自然の徳への了解が足りていないか、
もしくは皆無だからである。権力者が悪辣だからといって、庶民の身分からそれを羨望や嫉妬の
対象にするのも「事実誤認」の結果なのであり、その限りにおいて民の側もまた間抜けなのである。
その間抜けさからの脱却が可能であるのも、高祖劉邦の匹夫時代の振る舞いなどから察せる
ことであり、権力者へのルサンチマンを抱かないではいられないような間抜けな民であることを
開き直ったりすることも決して認められはしないのである。自らが妾腹の私生児だったりする
ことと同じように、間抜けな小市民だったりすることも克服しようとすればできることなのだから、
その惨めさを開き直ることを認めてもらおうとするような甘ったれであってもいけないのである。
植草! 乳首! ^^
「刑死しても生き返る」ということ自体、実際問題不可能な上に、
倫理的にも許されがたいことであるから、そんなものを自らの努力の指針にしてもならない。
たとえしてみたところで、決してそれが健全な尽力たり得たりすることもなく、
必ず人と世と自分とに有害無益な悪影響ばかりを及ぼす結果となることが間違いない。
実際問題不可能であるという以上に、生き返ることなど不可能なように刑死させてこその処罰である。
何らかの蘇生が可能となる手段が許容されていたりする時点で、当該の刑事のほうが不正となるだけである。
故に、刑死しても生き返ることを可とするのは、刑事処理の不正を可とするのと全く同義であり、
そんなことを奨励する神がいたとすれば、社会的不正を助長する邪神であることが自明である。
そこにこそ、「始めに毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後々に千里の過ちともなる(礼記・経解第二十六)」
というところの「始めの毛筋ほどの過ち」がありもする。後付けでどんなに取り繕ったりしてみたところで
決して正しきれはしない、限りなき不正推進の種子が邪教の信者たちの心中に植え付けられることとなる。
ほとんどそれは、本人たち自身が自覚してもいないような所からその振る舞いを束縛して行くものである。
「今まさに私は神の教えを信じている」などと意識しているわけでもない時に、何気なく考えたことや口に
したこと、行ったことまでもが全て「不正の推進」に加担する代物となってしまう。仁義道徳に基づくような
公正な思考や言行と真逆の振る舞いを、ごくごく当たり前なこととして為してしまうようになるのである。
仮に、不滅の命を手に入れられたりするとしても、そのような罪人に対する処罰をまた別に工夫して
行かなければならなくなるのみである。永遠の命の持ち主であるからして、死刑が不能であるというのなら、
永遠に地獄の責め苦にあえがせ続けたり、無間地獄に延々と幽閉し続けたりするのみである。限りある命の持ち主
に対する処罰こそは死刑であるのだから、やはり刑死後に生き返ったりしないでこそ自明に公正なことだといえる。
倫理的にも許されがたいことであるから、そんなものを自らの努力の指針にしてもならない。
たとえしてみたところで、決してそれが健全な尽力たり得たりすることもなく、
必ず人と世と自分とに有害無益な悪影響ばかりを及ぼす結果となることが間違いない。
実際問題不可能であるという以上に、生き返ることなど不可能なように刑死させてこその処罰である。
何らかの蘇生が可能となる手段が許容されていたりする時点で、当該の刑事のほうが不正となるだけである。
故に、刑死しても生き返ることを可とするのは、刑事処理の不正を可とするのと全く同義であり、
そんなことを奨励する神がいたとすれば、社会的不正を助長する邪神であることが自明である。
そこにこそ、「始めに毛筋ほどもの過ちを犯していれば、後々に千里の過ちともなる(礼記・経解第二十六)」
というところの「始めの毛筋ほどの過ち」がありもする。後付けでどんなに取り繕ったりしてみたところで
決して正しきれはしない、限りなき不正推進の種子が邪教の信者たちの心中に植え付けられることとなる。
ほとんどそれは、本人たち自身が自覚してもいないような所からその振る舞いを束縛して行くものである。
「今まさに私は神の教えを信じている」などと意識しているわけでもない時に、何気なく考えたことや口に
したこと、行ったことまでもが全て「不正の推進」に加担する代物となってしまう。仁義道徳に基づくような
公正な思考や言行と真逆の振る舞いを、ごくごく当たり前なこととして為してしまうようになるのである。
仮に、不滅の命を手に入れられたりするとしても、そのような罪人に対する処罰をまた別に工夫して
行かなければならなくなるのみである。永遠の命の持ち主であるからして、死刑が不能であるというのなら、
永遠に地獄の責め苦にあえがせ続けたり、無間地獄に延々と幽閉し続けたりするのみである。限りある命の持ち主
に対する処罰こそは死刑であるのだから、やはり刑死後に生き返ったりしないでこそ自明に公正なことだといえる。
物理的に不可能であるという以上にも、原理的に不正であるのが「刑死しても生き返る」という事態であればこそ、
そんなものを思想信条の根本に据えてしまったならば、否応なく何もかもを不正に為してしまうようになるのである。
永遠の命を手に入れられるか入れられないかでいえばやはり手に入れられないが、仮に手に入れられるとしたところで、
不滅の命の持ち主が「刑死しても生き返る」などということを自由の証拠にしたりするのはやはりおかしなことである。
故に、そのような事態の信奉者が「原理的に不正な作為規範」を植えつけられることだけは間違いないのである。
それこそ、1+1を3にしたり、鹿を馬と言ったりする類いの、名辞(言葉の定義)の乱れからの過ちであり、
だからこそ現実問題を扱うか空想問題を扱うかに関わらず、間違いきった思考や言行に及んでしまうようになる。
しかも、「刑死しても生き返る」という事態は強度に現実問題にも根ざした不正であり、不正を為してしまいがちな
精神薄弱者には特に信奉しやすい代物でもある。それでいてなおかつ名辞の乱れに即した原理的な不正でもある
わけだから、ただ1+1=3だと言ったり、鹿を馬だと言ったりする以上にも悪質な意味合いを備えているのだといえる。
あらゆる名辞の乱れの中でも、特に現実問題に即して悪質なのが「刑死しても生き返る」という教条であればこそ、
それが不可能であることを科学的に実証しようなどとする試みが多々為されてきているけれども、本質的には、
当該の教条もまた1+1=3のような原理的な誤謬性を帯びた代物なのであり、だからこそ、それを信奉するものに
致命的な悪為を植え付けてしまうことこそが一番の問題なのである。そこの所をうやむやにしてしまうようなら、
刑死後の復活の不能性の科学的実証なども、かえって邪教の延命に加担してしまうことにすらなりかねないのである。
とにかく論争を続けていられればまだ生き延びられる、それがまた邪宗門にとっての助けとなってしまうのだから。
そんなものを思想信条の根本に据えてしまったならば、否応なく何もかもを不正に為してしまうようになるのである。
永遠の命を手に入れられるか入れられないかでいえばやはり手に入れられないが、仮に手に入れられるとしたところで、
不滅の命の持ち主が「刑死しても生き返る」などということを自由の証拠にしたりするのはやはりおかしなことである。
故に、そのような事態の信奉者が「原理的に不正な作為規範」を植えつけられることだけは間違いないのである。
それこそ、1+1を3にしたり、鹿を馬と言ったりする類いの、名辞(言葉の定義)の乱れからの過ちであり、
だからこそ現実問題を扱うか空想問題を扱うかに関わらず、間違いきった思考や言行に及んでしまうようになる。
しかも、「刑死しても生き返る」という事態は強度に現実問題にも根ざした不正であり、不正を為してしまいがちな
精神薄弱者には特に信奉しやすい代物でもある。それでいてなおかつ名辞の乱れに即した原理的な不正でもある
わけだから、ただ1+1=3だと言ったり、鹿を馬だと言ったりする以上にも悪質な意味合いを備えているのだといえる。
あらゆる名辞の乱れの中でも、特に現実問題に即して悪質なのが「刑死しても生き返る」という教条であればこそ、
それが不可能であることを科学的に実証しようなどとする試みが多々為されてきているけれども、本質的には、
当該の教条もまた1+1=3のような原理的な誤謬性を帯びた代物なのであり、だからこそ、それを信奉するものに
致命的な悪為を植え付けてしまうことこそが一番の問題なのである。そこの所をうやむやにしてしまうようなら、
刑死後の復活の不能性の科学的実証なども、かえって邪教の延命に加担してしまうことにすらなりかねないのである。
とにかく論争を続けていられればまだ生き延びられる、それがまた邪宗門にとっての助けとなってしまうのだから。
「徂く攸の民、室家相慶して曰く、予が后を徯つ。后来たらば其れ蘇らん」
「(殷の湯王が、夏の桀王の暴政によって疲弊させられていた天下の平定に臨むや、)
湯王が赴く所の民はみなこぞって大喜びしながら『わが君をお待ちしておりました。
大君が来られましたので、みな生き返るような気持ちでいます。』(聖王賢臣のごとき
権力道徳者こそは民を疲弊から生き返らせるものであるのに、イエスは権力者を端から
『罪人』などと決め付けて名辞をも歪める。そして自分一人の蘇生すら実現できはしな
かった。現実だけを見れば、劣悪至極な惨劇の黄金比以外の何物でもあり得てはいない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・仲虺之誥より)
「(殷の湯王が、夏の桀王の暴政によって疲弊させられていた天下の平定に臨むや、)
湯王が赴く所の民はみなこぞって大喜びしながら『わが君をお待ちしておりました。
大君が来られましたので、みな生き返るような気持ちでいます。』(聖王賢臣のごとき
権力道徳者こそは民を疲弊から生き返らせるものであるのに、イエスは権力者を端から
『罪人』などと決め付けて名辞をも歪める。そして自分一人の蘇生すら実現できはしな
かった。現実だけを見れば、劣悪至極な惨劇の黄金比以外の何物でもあり得てはいない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——書経・商書・仲虺之誥より)
世の中を乱世に陥れるのも治世に導くのも、結局は易の法則の範疇に止まることだが、
個々の人間、個々の部分的集団というのはどこまでも、易の法則の一翼だけを担うものである。
乱世をもたらす個人や部分集団、治世をもたらす個人や部分集団というものも別個のものであるのが
普遍的な事情であり、天下全土全世界を占めるほどもの大局からの乱世や治世をもたらす者である
のなら、それこそ絶対に両者が同一だったり、親和的だったりすることもあり得ないのである。
全世界、全宇宙を司る易の法則が「万物斉同」であるから、万事万物もその内側の部分的存在で
しかあり得ない。全てを超越する絶対者などを気取ってみたところで、所詮は部分的存在としての
宿命から逃れきることもできないのが、すでに量子論の不確定性原理からすらも察知されている。
故に、悪に手を染めた主体が同時に善を司る主体でもあり得たり、その逆だったりすることもない。
善悪をみそくそに扱おうとするものはそれ自体が高度な悪となってしまうだけなのであり、この世に
善悪が現出してしまった以上は、両者がその主体から別個のものとして存在するしかないのである。
善も悪も明瞭でないような状態、真理に即して善悪をも諦観するインド社会や平安時代の日本社会
などもまたあるわけだが、それとはまた別に善悪が分裂しきってしまっているような時代や世の中と
いうものがある。この地球人類社会においては、中国社会や武家時代の日本社会、そして中東社会
などが特に善悪の枝分かれが頻繁であり続けてきた社会だといえる。西洋社会ともなれば、もはや
悪一色に染まりきっていたとすらいえるが、その西洋社会と東洋社会を総合した全地球社会もまた、
やはり相当に善悪が大分裂して鬩ぎ合ってきた社会であるということがいえるわけである。
個々の人間、個々の部分的集団というのはどこまでも、易の法則の一翼だけを担うものである。
乱世をもたらす個人や部分集団、治世をもたらす個人や部分集団というものも別個のものであるのが
普遍的な事情であり、天下全土全世界を占めるほどもの大局からの乱世や治世をもたらす者である
のなら、それこそ絶対に両者が同一だったり、親和的だったりすることもあり得ないのである。
全世界、全宇宙を司る易の法則が「万物斉同」であるから、万事万物もその内側の部分的存在で
しかあり得ない。全てを超越する絶対者などを気取ってみたところで、所詮は部分的存在としての
宿命から逃れきることもできないのが、すでに量子論の不確定性原理からすらも察知されている。
故に、悪に手を染めた主体が同時に善を司る主体でもあり得たり、その逆だったりすることもない。
善悪をみそくそに扱おうとするものはそれ自体が高度な悪となってしまうだけなのであり、この世に
善悪が現出してしまった以上は、両者がその主体から別個のものとして存在するしかないのである。
善も悪も明瞭でないような状態、真理に即して善悪をも諦観するインド社会や平安時代の日本社会
などもまたあるわけだが、それとはまた別に善悪が分裂しきってしまっているような時代や世の中と
いうものがある。この地球人類社会においては、中国社会や武家時代の日本社会、そして中東社会
などが特に善悪の枝分かれが頻繁であり続けてきた社会だといえる。西洋社会ともなれば、もはや
悪一色に染まりきっていたとすらいえるが、その西洋社会と東洋社会を総合した全地球社会もまた、
やはり相当に善悪が大分裂して鬩ぎ合ってきた社会であるということがいえるわけである。
残念ながら、未だ世の中が善悪両極に振れきってしまっているこの地球人類社会において、
最大級の悪の主体たり得ているのはやはり欧米聖書圏であり、欧米人が正義の主体となることも
今後数百年は覚束ないこととなっている。だから、欧米人がこれからまず志すべきなのは、
正義の主体たる以上にも、善悪全体を諦観する仏教徒的なあり方だといえる。一方、
善悪懸隔の中での勧善懲悪を志して来た部類の東洋人は、その志しを貫徹するか、
あるいは善悪全体を諦観する境地の尊崇にも励むなどすればよい。
要は、それぞれに分をわきまえるべきだということであり、そこにしか世の中が改善されて
行く余地もないということである。世の中も宇宙の法則も超越する絶対者など存在し得ない、
そんなものを目指せば目指すだけ余計な負担をかけられた世の中のほうがダメになるのみである
ということをわきまえて、自らの立場に即した振る舞いを誰しもが心がけて行くべきなのである。
「人は以て恥すること無かる可からず。恥ずること無きを之れ恥ずれば、恥無し」
「人は決して恥じぬようなことがあってはならない。恥知らずであることを恥じるぐらいの
恥じらいがあってのみ、初めて恥から遠ざかることができる。(恥知らずはそれだけでも人道に悖る)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上六より)
最大級の悪の主体たり得ているのはやはり欧米聖書圏であり、欧米人が正義の主体となることも
今後数百年は覚束ないこととなっている。だから、欧米人がこれからまず志すべきなのは、
正義の主体たる以上にも、善悪全体を諦観する仏教徒的なあり方だといえる。一方、
善悪懸隔の中での勧善懲悪を志して来た部類の東洋人は、その志しを貫徹するか、
あるいは善悪全体を諦観する境地の尊崇にも励むなどすればよい。
要は、それぞれに分をわきまえるべきだということであり、そこにしか世の中が改善されて
行く余地もないということである。世の中も宇宙の法則も超越する絶対者など存在し得ない、
そんなものを目指せば目指すだけ余計な負担をかけられた世の中のほうがダメになるのみである
ということをわきまえて、自らの立場に即した振る舞いを誰しもが心がけて行くべきなのである。
「人は以て恥すること無かる可からず。恥ずること無きを之れ恥ずれば、恥無し」
「人は決して恥じぬようなことがあってはならない。恥知らずであることを恥じるぐらいの
恥じらいがあってのみ、初めて恥から遠ざかることができる。(恥知らずはそれだけでも人道に悖る)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上六より)
弱小であっても正しき行いに務めている者に報い、強大であっても過てる者には誅罰を下すのが
正しい世の中であり、その逆であるのが間違った世の中である。どんなに絶対的な超越者などと
あがめ立てられているような者であろうとも、邪悪であるようなら天罰を下す、それでこそ正しい世である。
綺麗ごとだどうだという以前に、単なる定義上から自然と導き出されるものとしての、正しい世の中。
そして、そういった世の中を実現して行こうとすることが綺麗ごと止まりになるのかといえば、
決してそんなこともない。世界経済をも先導する今の日本の経済力だとか、中国の人口増大力だとかも、
数百年から数千年に渡る「正しい世の中の希求」としての道徳統治の試みを基盤としてこそ
得られたものである。そんな試みを未だ企てた試しもない、「邪悪な超越者」が絶対神として
君臨することを是とし続けて来た欧米聖書圏たるや、人口面でも経済面でももはや劣勢な
立場に追いやられつつある。これこそは、正しい世の中の希求が国力の増大につながる一方、
間違った世の中の是認が国力の弱体化につながることを示した決定的な証拠ともなっている。
勝つためにこそ、正しい世の中の希求が有効である。
個人や小団体としての勝利なんざより、天下国家規模での勝利こそは、雄大かつ絶対的な勝利ともなるのだから、
真に絶大な勝利を克ち得ようと思うのなら、国力からの増大を決定付ける正しき世の中の追及をも試みて
行かないでいいわけがない。そのためには、破綻した物言いや邪悪な振る舞いに及ぶ部分的強者などの
討伐にも熱心であるべきであり、そんなものを絶対者などとして崇め立てる邪教の廃絶にも専念すべきである。
そもそも、邪悪な強者を絶対神などとして崇めたてるような邪教を好き好んで信仰し続けていたりしたなら、
自業自得での破滅すらもが免れ得なくなるから、そんな邪教を廃絶する他はないという事情もまた別にある。
ただ、そのような邪教の廃絶を済ませて後にも、絶対神とまでは行かない邪悪な強者の跳梁跋扈を容認したり
しているようなら、国家規模での弱小化が顕著化してしまい、最終的な敗亡に見舞われたりすることともなる
だろうから、そのような「人間でありながらの弱肉強食の是認」という性向からの脱却こそを図らねばならない。
正しい世の中であり、その逆であるのが間違った世の中である。どんなに絶対的な超越者などと
あがめ立てられているような者であろうとも、邪悪であるようなら天罰を下す、それでこそ正しい世である。
綺麗ごとだどうだという以前に、単なる定義上から自然と導き出されるものとしての、正しい世の中。
そして、そういった世の中を実現して行こうとすることが綺麗ごと止まりになるのかといえば、
決してそんなこともない。世界経済をも先導する今の日本の経済力だとか、中国の人口増大力だとかも、
数百年から数千年に渡る「正しい世の中の希求」としての道徳統治の試みを基盤としてこそ
得られたものである。そんな試みを未だ企てた試しもない、「邪悪な超越者」が絶対神として
君臨することを是とし続けて来た欧米聖書圏たるや、人口面でも経済面でももはや劣勢な
立場に追いやられつつある。これこそは、正しい世の中の希求が国力の増大につながる一方、
間違った世の中の是認が国力の弱体化につながることを示した決定的な証拠ともなっている。
勝つためにこそ、正しい世の中の希求が有効である。
個人や小団体としての勝利なんざより、天下国家規模での勝利こそは、雄大かつ絶対的な勝利ともなるのだから、
真に絶大な勝利を克ち得ようと思うのなら、国力からの増大を決定付ける正しき世の中の追及をも試みて
行かないでいいわけがない。そのためには、破綻した物言いや邪悪な振る舞いに及ぶ部分的強者などの
討伐にも熱心であるべきであり、そんなものを絶対者などとして崇め立てる邪教の廃絶にも専念すべきである。
そもそも、邪悪な強者を絶対神などとして崇めたてるような邪教を好き好んで信仰し続けていたりしたなら、
自業自得での破滅すらもが免れ得なくなるから、そんな邪教を廃絶する他はないという事情もまた別にある。
ただ、そのような邪教の廃絶を済ませて後にも、絶対神とまでは行かない邪悪な強者の跳梁跋扈を容認したり
しているようなら、国家規模での弱小化が顕著化してしまい、最終的な敗亡に見舞われたりすることともなる
だろうから、そのような「人間でありながらの弱肉強食の是認」という性向からの脱却こそを図らねばならない。
動物界では弱肉強食が当たり前であり、ただ単に強大な動物こそは、食物連鎖の頂点に立つなどして
最強たるわけだけれども、人間にまでそのような動物と同様の法則が通用すると思ったら大間違いである。
人間には動物と違って国家を形成する能力があり、国家単位での公益を企図することを通じて、個人的な
強大さを増進する場合以上もの勢力の底上げというものを実現して行くことができる。そこでこそ、漢帝国が
匈奴を屈服させたような「公の個に対する勝利」が実現できもするわけだから、強者たらんとするもの、決して
国家規模での勢力の底上げや、そのための正しい世の中の追及といった選択肢を無視してはならないのである。
国家規模での政財界の癒着だとか、軍産複合体の肥大化だとかによって、「邪悪なものこそが突出して強大化する」
ということが実際にある。今の資本主義諸国などもそうだし、殷代末期や秦代の中国、織豊時代の日本なども
その内に入るものであるが、むしろそのような政権が瓦解して後、仁徳を保った立場から天下を継ぐものこそが
それ以上の強大さを手に入れることもあり得る。始皇帝の代の秦帝国などは、匈奴からの侵略にもひどく苛まれて
いたのに対し、武帝の代の漢帝国などはもはや匈奴を圧倒し、次代の宣帝の頃には匈奴に朝貢すらさせていた
という記録など、まさに仁義なき皇帝の業を継いだ仁義ある皇帝がより強大たり得た実例を指し示してもいる。
仁徳あるもの、そもそも強大さばかりを追い求めず、まず第一には天下国家の安寧を企図するのが当然である
けれども、その結果として覇者以上にも強大な王者たり、武威でもまた史上空前たり得るような「おまけ」
に与れることもたまにある。故に、ただ精進滅私ばかりが仁政の全てだなどとも言えはしないのである。
「貴くして位无く、高くして民无く、賢人下位に在りて輔くる无し。是れを以て動きて悔い有るなり」
「貴いとしながら正式な位にも就かず、高いとしながらもまともに治めている民があるわけでもなく、
(身分が不審だから)低い身分にある賢人が助けてくれることもない。何をやっても悔いある結果しか招かない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・乾・上九・文言伝より)
最強たるわけだけれども、人間にまでそのような動物と同様の法則が通用すると思ったら大間違いである。
人間には動物と違って国家を形成する能力があり、国家単位での公益を企図することを通じて、個人的な
強大さを増進する場合以上もの勢力の底上げというものを実現して行くことができる。そこでこそ、漢帝国が
匈奴を屈服させたような「公の個に対する勝利」が実現できもするわけだから、強者たらんとするもの、決して
国家規模での勢力の底上げや、そのための正しい世の中の追及といった選択肢を無視してはならないのである。
国家規模での政財界の癒着だとか、軍産複合体の肥大化だとかによって、「邪悪なものこそが突出して強大化する」
ということが実際にある。今の資本主義諸国などもそうだし、殷代末期や秦代の中国、織豊時代の日本なども
その内に入るものであるが、むしろそのような政権が瓦解して後、仁徳を保った立場から天下を継ぐものこそが
それ以上の強大さを手に入れることもあり得る。始皇帝の代の秦帝国などは、匈奴からの侵略にもひどく苛まれて
いたのに対し、武帝の代の漢帝国などはもはや匈奴を圧倒し、次代の宣帝の頃には匈奴に朝貢すらさせていた
という記録など、まさに仁義なき皇帝の業を継いだ仁義ある皇帝がより強大たり得た実例を指し示してもいる。
仁徳あるもの、そもそも強大さばかりを追い求めず、まず第一には天下国家の安寧を企図するのが当然である
けれども、その結果として覇者以上にも強大な王者たり、武威でもまた史上空前たり得るような「おまけ」
に与れることもたまにある。故に、ただ精進滅私ばかりが仁政の全てだなどとも言えはしないのである。
「貴くして位无く、高くして民无く、賢人下位に在りて輔くる无し。是れを以て動きて悔い有るなり」
「貴いとしながら正式な位にも就かず、高いとしながらもまともに治めている民があるわけでもなく、
(身分が不審だから)低い身分にある賢人が助けてくれることもない。何をやっても悔いある結果しか招かない」
(権力道徳聖書——通称四書五経——易経・乾・上九・文言伝より)
世の中に広く仁政を施すためには、最低でも政商の根絶ぐらいは必須である。
政商が食客(死兵要員)や縦横家(悪徳外交家)までをも駆使することでの権力犯罪こそは、
天災や紛争以上もの仁政にとっての大敵であり、仁政を志す漢や唐のごとき
国家にとっても亡国級の禍いを招く元凶とすらなりかねないものである。
度し難いのは、政商自身が政商であるということを公表もせず、最悪の場合、
自分が政商と化してしまっていることに気づいてすらいない場合があるということである。
唐を滅ぼした黄巣の如きは、塩の密売などのあからさまな悪徳商人としての暗躍によって勢力を付けて
いたわけだからまだ分かりやすいが、後漢を滅ぼした曹家などは純粋な官職者(ただし元下級役人)でいた。
それでいて漢朝における専横の限りを尽くし、賄賂を基調とした政財界の癒着などにも基づく狭隘な
利権の占有によって帝位を奪い取ったわけで(ただし名目上は禅譲)、これなどは政商そのものが曹家を
隠れ蓑として、あまり大きな顔もしないでいるままに仁徳ある国家を滅ぼした事例にも当たっている。
多くの賄賂を役人に贈りすらすれば、営業面や税制面での優遇が得られることに味を占めて、賄賂を
贈っては稼ぎまくり、贈っては稼ぎまくりしていただけで、別に自分が政商犯と化してしまっているなど
とは自覚すらしないままに、政商としての膨大な富に与れていたような商売人などもいたはずなのである。
所詮は政商もまた、無責任極まりない民間からボウフラのように湧いて出てくるものであり、
政商ども自身に自律的な抑制などを期待すべきものでもない。まずは官職者こそが賄賂などによって
政治に取り入ってくる素封家を完全にシャットアウトするなどの修身に勤め、その上で民間に対しても、
腐ったドブからボウフラが湧き出てくるかのような政商の発生を防ぎとめる浄化措置を講じて行くべきである。
政商が食客(死兵要員)や縦横家(悪徳外交家)までをも駆使することでの権力犯罪こそは、
天災や紛争以上もの仁政にとっての大敵であり、仁政を志す漢や唐のごとき
国家にとっても亡国級の禍いを招く元凶とすらなりかねないものである。
度し難いのは、政商自身が政商であるということを公表もせず、最悪の場合、
自分が政商と化してしまっていることに気づいてすらいない場合があるということである。
唐を滅ぼした黄巣の如きは、塩の密売などのあからさまな悪徳商人としての暗躍によって勢力を付けて
いたわけだからまだ分かりやすいが、後漢を滅ぼした曹家などは純粋な官職者(ただし元下級役人)でいた。
それでいて漢朝における専横の限りを尽くし、賄賂を基調とした政財界の癒着などにも基づく狭隘な
利権の占有によって帝位を奪い取ったわけで(ただし名目上は禅譲)、これなどは政商そのものが曹家を
隠れ蓑として、あまり大きな顔もしないでいるままに仁徳ある国家を滅ぼした事例にも当たっている。
多くの賄賂を役人に贈りすらすれば、営業面や税制面での優遇が得られることに味を占めて、賄賂を
贈っては稼ぎまくり、贈っては稼ぎまくりしていただけで、別に自分が政商犯と化してしまっているなど
とは自覚すらしないままに、政商としての膨大な富に与れていたような商売人などもいたはずなのである。
所詮は政商もまた、無責任極まりない民間からボウフラのように湧いて出てくるものであり、
政商ども自身に自律的な抑制などを期待すべきものでもない。まずは官職者こそが賄賂などによって
政治に取り入ってくる素封家を完全にシャットアウトするなどの修身に勤め、その上で民間に対しても、
腐ったドブからボウフラが湧き出てくるかのような政商の発生を防ぎとめる浄化措置を講じて行くべきである。
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大企業や資産家などからの政治献金や天下り先を提供されるなどして政治腐敗を深刻化
させたりすることが「政商現象」となっている。政商自体であるのは財界人だが、
今の日本などの場合、政治家も官僚も完全な財界の操り人形と化してしまっているわけだから、
政官財ひっくるめての政商現象という深刻な腐敗に苛まれていると考えたほうが、実態が把握しやすい。
単なる財界の操り人形と化してしまっているからこそ、政治家や官僚にとっては、財界こそが頼れる
お母さんとでもいったところである。お金も転職先もいくらでも用意してくれる、甘やかしてくれ放題な
ママンといったもので、為政者たち自身にとってありがたいこと極まりない存在であるには違いない。
しかし、世の中の側からみれば、権力機構の深刻な腐敗の元凶以外の何物でもなく、そんな人間は、
恥部から食物をひり出すオホゲツヒメのごとく、スサノオに斬り殺されてしまえとすら思えるのである。
為政者が素封家(今でいう財界人)などを頼りにはすべきでない、それぐらいは当たり前のことである。
素封家が主、為政者が従というような政治構造も当然厳禁であり(民主主義がそれを正当化してもいる)、
政財が完全に分離された上で、なおかつ素封家を平民以上に賤しむぐらいであって初めて仁政もまた可能となる。
「甘えを断ち切れ」どころの話ですらない。根本的な政治理念からしてひっくり返してしまう必要があるのだ。
「貴きを欲するは人の心を同じくするところなるも、人人己れに貴き者有り。思わざるのみ。
人の貴きとする所は良貴に非ざるなり。趙孟の貴くする所は、趙孟能く之れを賤しむ。
(詩に)云く、既に酒を以って醉い、既に徳を以って飽くとは、仁義に飽くを言うなり。
人の膏粱の味を願わざる所以なり。令聞広誉を身に施す人の文繡を願わざる所以なり」
「みな高貴であることを願う心は同じであるけれども、本当は自分自身の内面にこそ高貴なるものがあって、
にもかかわらずだれもそれを自覚することはない。(みな他人から高貴なものとされることばかりを
願っているが、)常の人の欲する所の高貴さというのは、実はろくな高貴さでもないようなものばかりである。
たとえば(晋の公卿で他人に爵位をやるのを好んでいた)趙孟が高貴な相手だと見なしたものは、
また趙孟が卑賤なものだと見なすことができる。(これこそはろくでもない高貴さの実例である)
詩経(大雅・既酔)に『既に酒に酔い、既に徳に飽く』というが、これなどは己れの内面に湛えられた
仁徳に酔い飽きたことを示している。(つまり、内面からの高貴さを自覚して満足している)
そうなれば他人が美食を食んでいることを羨んだりするようにして他人の高貴さを妬んだりすることも
なくなるし、外面的ないい評判や高い名誉を豪華な衣装ように願い欲したりすることもなくなるのである。
(高貴さを願い欲するはいいが、それは自分以外の誰かから貰い受けたりできるものではない。
あくまで自分自身の修養によって自得するものなのだから、他者に願ったりすべきではないのである。)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句上・一七より)
人の貴きとする所は良貴に非ざるなり。趙孟の貴くする所は、趙孟能く之れを賤しむ。
(詩に)云く、既に酒を以って醉い、既に徳を以って飽くとは、仁義に飽くを言うなり。
人の膏粱の味を願わざる所以なり。令聞広誉を身に施す人の文繡を願わざる所以なり」
「みな高貴であることを願う心は同じであるけれども、本当は自分自身の内面にこそ高貴なるものがあって、
にもかかわらずだれもそれを自覚することはない。(みな他人から高貴なものとされることばかりを
願っているが、)常の人の欲する所の高貴さというのは、実はろくな高貴さでもないようなものばかりである。
たとえば(晋の公卿で他人に爵位をやるのを好んでいた)趙孟が高貴な相手だと見なしたものは、
また趙孟が卑賤なものだと見なすことができる。(これこそはろくでもない高貴さの実例である)
詩経(大雅・既酔)に『既に酒に酔い、既に徳に飽く』というが、これなどは己れの内面に湛えられた
仁徳に酔い飽きたことを示している。(つまり、内面からの高貴さを自覚して満足している)
そうなれば他人が美食を食んでいることを羨んだりするようにして他人の高貴さを妬んだりすることも
なくなるし、外面的ないい評判や高い名誉を豪華な衣装ように願い欲したりすることもなくなるのである。
(高貴さを願い欲するはいいが、それは自分以外の誰かから貰い受けたりできるものではない。
あくまで自分自身の修養によって自得するものなのだから、他者に願ったりすべきではないのである。)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・告子章句上・一七より)
実際に、実社会に影響を及ぼし得るもののうちで優良であるのは、
王侯将相のごとき正式な位に就いて、仁政のような善良な職務に励むものである。
それとはまた別に、超俗的な神仏が優良で高貴なものとされたりするのは、
あくまで世俗を黙って見守る度量衡的存在である場合に限って可とされるべきことである。
ただの人間が、実社会で正式な地位にも就かずにどんなことをやってみたところで
ろくな結果を挙げられもしないのはもちろんのこと、世俗を超越する神などが、
正式な社会的地位にもないままに何らかの影響を世の中に及ぼすということを想定
してみたとしても、そこに何らかのいい結果を期待できたりすることもないのである。
全国全土を統べる正式な統率者であればこそ、公明正大な仁政を施すことができる。
民たちも彼を天子と仰いで、仁政のための事業であることを了承しつつその命に服するなどする
こともできるようになるわけで、それは決して非正規な立場などから可能となることではない。
たとえば、阿弥陀仏による一切衆生の救済などが実現されるとしたところで、実際には、
阿弥陀仏のような仏性を帯びた正式な為政者が仁政によって「厭離穢土欣求浄土」を
実現して行くなどするのであり、あくまで阿弥陀仏そのものはその仮託対象となるのみである。
(もちろん真諦優位俗諦劣位の仏説に即して阿弥陀仏を真、実社会の為政者を仮と考えてもよい)
正式な位にあるわけでもない超越的な何者か自身が特定の人間を救ったりする、これは結局、
原理的に劣悪であると見なす他ない事案である。実際問題、世の中というのは一定の範囲内に
限られていて、その範囲内で最善を尽くすことが普遍的な最善ともなる。天下国家における
最善の行為は、天下万人を安寧や繁栄へと導く仁政であるわけだけれども、「超越的な何者かが
特定の人間を救う」という事案は、その言語構造上からいって仁政の条件を満たしてはいない。
王侯将相のごとき正式な位に就いて、仁政のような善良な職務に励むものである。
それとはまた別に、超俗的な神仏が優良で高貴なものとされたりするのは、
あくまで世俗を黙って見守る度量衡的存在である場合に限って可とされるべきことである。
ただの人間が、実社会で正式な地位にも就かずにどんなことをやってみたところで
ろくな結果を挙げられもしないのはもちろんのこと、世俗を超越する神などが、
正式な社会的地位にもないままに何らかの影響を世の中に及ぼすということを想定
してみたとしても、そこに何らかのいい結果を期待できたりすることもないのである。
全国全土を統べる正式な統率者であればこそ、公明正大な仁政を施すことができる。
民たちも彼を天子と仰いで、仁政のための事業であることを了承しつつその命に服するなどする
こともできるようになるわけで、それは決して非正規な立場などから可能となることではない。
たとえば、阿弥陀仏による一切衆生の救済などが実現されるとしたところで、実際には、
阿弥陀仏のような仏性を帯びた正式な為政者が仁政によって「厭離穢土欣求浄土」を
実現して行くなどするのであり、あくまで阿弥陀仏そのものはその仮託対象となるのみである。
(もちろん真諦優位俗諦劣位の仏説に即して阿弥陀仏を真、実社会の為政者を仮と考えてもよい)
正式な位にあるわけでもない超越的な何者か自身が特定の人間を救ったりする、これは結局、
原理的に劣悪であると見なす他ない事案である。実際問題、世の中というのは一定の範囲内に
限られていて、その範囲内で最善を尽くすことが普遍的な最善ともなる。天下国家における
最善の行為は、天下万人を安寧や繁栄へと導く仁政であるわけだけれども、「超越的な何者かが
特定の人間を救う」という事案は、その言語構造上からいって仁政の条件を満たしてはいない。
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だから結局、超越的な何者かによって救われるなどということを以ってして、それを正当化
したりもできはしない。むしろ、「特定の人間が救われる」という事案を正当化できたような
気にさせることがあるぶんだけ、それを実現するなどとする超越者などは、
不正を助長する手先にしかならないとすら考えられるわけである。
世俗の救済を促す神仏が必ずしも正式な為政者の仁政を阻害するとも限らないが、
「正式な位に就いているわけでもないからこそ、特定の人間を救う」などとまで条件が限定
されている神ともなれば、これはもう仁政を阻害する神であることが間違いないから、仁政を
志す以上はそのような邪神への帰依の横行などは当然のこととして根絶していかなければならない。
刑死しても生き返って罪が清められるとか、超越者が非正規な立場から特定の人間を救うとか、
頭の悪い人間には聞こえがよかったりしたところで、そもそもその言語構造上からいって
不正な教義であることが自明である。現実に可能かどうかなど以前に、そんなことが
あり得た所でやはり不正なままである。実現可能であった所で不正でしかないのだから、
そんなものを希求すべきでないし、希求して得られた所でつまらないだけである。
「圭璋特達するは徳なり。天下に貴ばざる莫きは道なり」
「諸侯の国交の際の聘礼では専用の宝玉だけを用い、他の雑多な事物を用いぬことで倹約を尽くす。
天下に何一つとして貴ばざるべきものなどないでいてこそ道であることを示すためである」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・聘義第四十八より)
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個人も世の中も共に繁栄できるのは、仁政が大成功している場合に限ったことであり、
別に仁を志しているわけでもない人間が個人的な栄華を極めようとしたりしたなら、そのための
安易な手段としての我田引水に及び、そのせいで社会の側の貧窮を招いてしまうものなのである。
特に、商業権力が体系的に部分の豊満を極めようとしたりしたなら、それが世の中の側に
極度かつ持続的な負担をかけることになる、そしたらどうなるかといえば、人口爆発を招く。
富裕者の非常識な規模の物質的繁栄を実現するために、その下積みを担わされる人間の数も
過度に増大させて行く必要が出てくるから、そのせいで自然と人口が増大して行くこととなる。
徳川綱吉が悪貨を乱造してまで商業を隆盛させた元禄時代など、江戸期でも最も華やかな時代
だったなどとされるが、当時の日本の人口もやはりうなぎ上り状態であった。楽して大金を稼げる
商売に多くの人間が飛びついたせいで、そのような虚業の従事者までをも食わせて行ってやるための
農業人口なども合わせて増大した結果、日本の総人口もまた増加した。しかし、いい加減虚業への
従事人数に対する実業への従事人数が足らなくなって、享保時代には大飢饉を招くことともなった。
分家将軍吉宗による倹約を主体とした政治改革によって危機を免れて後には、日本の人口も
横ばい状態となり、倒幕に至るまでその状態が百五十年以上に渡って続いたのだった。
今の世界などは、まさに享保初期の日本の状態などにも近似したものとなっている。
江戸時代の日本の場合、元禄期の頃にはそれなりの豊かさを保てていたのが、その後の
享保期に至ってついに大飢饉を来たしたわけだが、近代以降の世界はずっとコンスタントに
大量の餓死者や戦死者をはじき出しながら今までやって来ているわけだから、江戸時代の日本
よりもさらにひどい状態となっているといえる。実際、江戸史上最悪の飢饉である天明の大飢饉を
上回る死亡率での餓死者をはじき出し続けており、資本主義国の虚業偏重のしわ寄せとしての
人口爆発もまた、元禄期の日本すらもが遠く及ばないほどもの激甚さとなってしまっている。
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楽して大金を稼ぐことに対する戒めを通じて、誰しもがそのような安易さに流れぬようにする。
したらば全体社会にかける負担も少なくなり、人口を爆発させてまで重労働を担っていく
必要もなくなるわけで、資本主義国の虚業偏重による放辟邪侈が人口爆発を招いている昨今、
この方法以外に人口爆発を抑制して行く手段もないといえる。
虚業による物質的繁栄も元禄期の日本以上だから、その是正も享保の改革以上の厳格さで
なければならない。豪商に対する禁治産などを徳川吉宗が実施したわけでもないが(せいぜい
町代や町名主の員数を減らしたりした程度)、今という時代にはそれすらをも必要としかねない。
目安箱によって下層民の言葉にも耳を傾けるどころか、むしろ下層民の意見こそを優先的に
聞き入れて行くぐらいでなければならない。吉宗以上、劉邦や武帝以上の引き締め改革を心がけて
行く必要があるわけだが、当然それが共産化などであっていいはずもない。問題はあくまで
商業の過度の偏重なのであって、商売自体は都市化した人間社会などにある程度はなくては
ならない必要悪でもあるわけだから、そのあたりのさじ加減を工夫して行くことも必要である。
「四体既に正しく、膚革充盈なるは、人の肥えたるなり。父子篤く、兄弟睦まじく、夫婦和するは
家の肥えたるなり。大臣法あり、小臣廉あり、官職相い序たり、君臣相い正しきは、国の肥えたるなり。
天子徳を以て車と為し、楽を以て御と為し、諸侯礼を以って相い与し、大夫法を以って相い序し、士信を
以って相い考し、(ここから既出)百姓睦を以って相い守るは、天下の肥えたるなり。是れを大順と謂う」
「四体も満足で肌色からいかにも満ちているのは、人が豊かな証拠である。父子夫婦兄弟がお互いに篤く
和睦し合うのは、家が豊かな証拠である。大臣に節度があり、小臣にも清廉さがあり、官職はお互いに
序列を尊重し合い、君臣の関係も正しいのは、国が豊かな証拠である。天子は徳を楽しむことを以って我が
御車とし、諸侯大名も礼節を以って協力し合い、大夫家老も節度を持ってお互いに序列を尊重し、士人も
信頼を以ってお互いを配慮し合い、百姓も和睦によってお互いを守り合うのは、天下が豊かな証拠である。
これこそを大順という。(聖書信仰は、このうちの一番最初『個人の豊かさ』を保証するものでしかない。
故に、個人の豊かさばかりを追い求めすぎた結果、大順を損ねて大逆を招くことともなるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼運第九より)
家の肥えたるなり。大臣法あり、小臣廉あり、官職相い序たり、君臣相い正しきは、国の肥えたるなり。
天子徳を以て車と為し、楽を以て御と為し、諸侯礼を以って相い与し、大夫法を以って相い序し、士信を
以って相い考し、(ここから既出)百姓睦を以って相い守るは、天下の肥えたるなり。是れを大順と謂う」
「四体も満足で肌色からいかにも満ちているのは、人が豊かな証拠である。父子夫婦兄弟がお互いに篤く
和睦し合うのは、家が豊かな証拠である。大臣に節度があり、小臣にも清廉さがあり、官職はお互いに
序列を尊重し合い、君臣の関係も正しいのは、国が豊かな証拠である。天子は徳を楽しむことを以って我が
御車とし、諸侯大名も礼節を以って協力し合い、大夫家老も節度を持ってお互いに序列を尊重し、士人も
信頼を以ってお互いを配慮し合い、百姓も和睦によってお互いを守り合うのは、天下が豊かな証拠である。
これこそを大順という。(聖書信仰は、このうちの一番最初『個人の豊かさ』を保証するものでしかない。
故に、個人の豊かさばかりを追い求めすぎた結果、大順を損ねて大逆を招くことともなるのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・礼運第九より)
大順の反対が大逆、大逆の反対が大順。
何も、主君殺しばかりが大逆行為に当たるわけではない。
君臣父子夫婦の和睦や、それに基づく安寧を損なう行為全般を大逆というのである。
民主主義や個人主義も、大逆行為を正当化したイデオロギーなのである。
何も、主君殺しばかりが大逆行為に当たるわけではない。
君臣父子夫婦の和睦や、それに基づく安寧を損なう行為全般を大逆というのである。
民主主義や個人主義も、大逆行為を正当化したイデオロギーなのである。
信仰が盲目な活動の推進を促すということ自体、常人以下の品性を人々に植え付けるものである。
故に、そのような教義を持つ他力本願系の信教全般(アブラハム教や拝火教や浄土教など)が、
自力作善を促す信教に及ばないのはもちろんのこと、何を信じているというわけでもなく
ただ独立独行を旨とする以上にも拙劣なことであるとすらいえるのである。
信仰に対して一概であろうとすることからして、もはや作為の塊である。
中国浄土教の開祖である曇鸞も、無為自然を貴ぶ道家の書を焼き捨てて浄土信仰に
帰依したというし、良くも悪しくも、信仰こそは旺盛な作為の種子となるものである。
そして悪しき場合には、なにも信仰なんかしないでいたほうがマシなほどにも
劣悪な思考規範や言動規範が信者に植え付けられることにすらなってしまうのである。
だからこそ、「とにかく何かを信じてすらいれば、何も信じていないよりマシ」「何も信じて
いない人間こそは信用が置けない」なんていう思い込みもまた是正されて行かねばならない。
確かに、長きに渡って邪教信仰などに耽溺し続けてきた人間が急激に信仰を破棄したりすると、
そのせいでの虚無感にかられて居ても立ってもいられないような不安に苛まれたりすることにも
なるわけだけれども、べつにそれが無信仰者一般にとってのデフォルトだったりするわけでもない。
邪信に溺れないではいられないような精神薄弱者にとっての特殊なデフォルトに過ぎないのであり、
自力作善に基づく修養によってそれを克服して行くことが可能であるのみならず、そもそも常人に
とってのデフォルトの心理状態自体、そこまでどうしようもなく辛いものだったりもしないのである。
邪信に依存しないではいられないほどにも拙劣な精神薄弱状態に一部の地球人が陥れられた
そもそもの原因は何だったのかといえば、古代のオリエント社会や西洋社会や中国社会などにおける、
政商犯の介入までをも容認しつつの権力腐敗であった。その名残りが数多の遺跡として世界中に
存在していたりするわけだけれども、それ自体は宗教的だったり、そうでもなかったりした。
故に、そのような教義を持つ他力本願系の信教全般(アブラハム教や拝火教や浄土教など)が、
自力作善を促す信教に及ばないのはもちろんのこと、何を信じているというわけでもなく
ただ独立独行を旨とする以上にも拙劣なことであるとすらいえるのである。
信仰に対して一概であろうとすることからして、もはや作為の塊である。
中国浄土教の開祖である曇鸞も、無為自然を貴ぶ道家の書を焼き捨てて浄土信仰に
帰依したというし、良くも悪しくも、信仰こそは旺盛な作為の種子となるものである。
そして悪しき場合には、なにも信仰なんかしないでいたほうがマシなほどにも
劣悪な思考規範や言動規範が信者に植え付けられることにすらなってしまうのである。
だからこそ、「とにかく何かを信じてすらいれば、何も信じていないよりマシ」「何も信じて
いない人間こそは信用が置けない」なんていう思い込みもまた是正されて行かねばならない。
確かに、長きに渡って邪教信仰などに耽溺し続けてきた人間が急激に信仰を破棄したりすると、
そのせいでの虚無感にかられて居ても立ってもいられないような不安に苛まれたりすることにも
なるわけだけれども、べつにそれが無信仰者一般にとってのデフォルトだったりするわけでもない。
邪信に溺れないではいられないような精神薄弱者にとっての特殊なデフォルトに過ぎないのであり、
自力作善に基づく修養によってそれを克服して行くことが可能であるのみならず、そもそも常人に
とってのデフォルトの心理状態自体、そこまでどうしようもなく辛いものだったりもしないのである。
邪信に依存しないではいられないほどにも拙劣な精神薄弱状態に一部の地球人が陥れられた
そもそもの原因は何だったのかといえば、古代のオリエント社会や西洋社会や中国社会などにおける、
政商犯の介入までをも容認しつつの権力腐敗であった。その名残りが数多の遺跡として世界中に
存在していたりするわけだけれども、それ自体は宗教的だったり、そうでもなかったりした。
古代エジプトのピラミッドだとか、秦始皇帝による非常識な規模の王宮や陵墓の建造だとかは、
単なる本人たち自身の自己顕示欲を満たす目的で造られたものだと考えたほうが実に即している。
(もちろんそれを美化するための神託だとかも多々捏造されていたりしたのではある)
精神薄弱者の悪逆非道を信仰によって推進して行くことを理念として体系化までしたのは、
権力腐敗のさ中にある帝王たち自身ではなく、その帝王に取り入った政商犯たちのほうであった。
すなわち、イエスを含む古代ユダヤ人であり、自分たちが古代オリエントや古代ローマの権力者に
取り入って暴利を掠め取ったりしていたこと自体は、本人たちの編纂書である犯罪聖書中に
あからさまに記しているわけではない。しかし、古来からのユダヤ教徒の伝統的な生業が
政商であるのは周知のことであり、政商犯としての性向に根ざして犯罪聖書が編纂された
ことも、当該の聖書の記述が、政商を排することでての仁政を貴ぶ権力道徳聖書——
通称四書五経の記述と決定的に相反していることなどからも察することができるのである。
信教というもの、特に常人以下の退廃を信者に促す邪教こそは、元から権力の腐敗に乗じて
捏造されたものである。母子家庭の環境下での苦学によって孔子が大成させた儒学などとも違い、
ユダヤ教やキリスト教こそは、信徒が権力機構に深く取り入る過程ででっち上げたものである。
その誕生の経緯からして不純であるのが邪教であり、自力作善の信教はもちろんのこと、
無信仰の勉学精進を促す儒学にすら、その起源のまともさで及ばないものとなっている。
だからこそ「神からの啓示」であることなどを標榜して本当の起源を隠蔽しようなどとも
しているわけで、神託であることに依存していること自体、実は発祥が不純な証拠なのである。
神からの啓示であるからこそ嬉しい、そこからもうすでに過ちなのであり、神仏に仮託するので
あっても、その実際的な起源もまた後ろめたくないような信教ですらないことからしておかしい。
精神が強靭である人間ならば、信教がそんな由緒を売りにしたりしている所から嫌悪感を抱くが、
薄弱者にはそれがかえって魅力的に思えたりもする。そこからすでに魔が差しているのである。
単なる本人たち自身の自己顕示欲を満たす目的で造られたものだと考えたほうが実に即している。
(もちろんそれを美化するための神託だとかも多々捏造されていたりしたのではある)
精神薄弱者の悪逆非道を信仰によって推進して行くことを理念として体系化までしたのは、
権力腐敗のさ中にある帝王たち自身ではなく、その帝王に取り入った政商犯たちのほうであった。
すなわち、イエスを含む古代ユダヤ人であり、自分たちが古代オリエントや古代ローマの権力者に
取り入って暴利を掠め取ったりしていたこと自体は、本人たちの編纂書である犯罪聖書中に
あからさまに記しているわけではない。しかし、古来からのユダヤ教徒の伝統的な生業が
政商であるのは周知のことであり、政商犯としての性向に根ざして犯罪聖書が編纂された
ことも、当該の聖書の記述が、政商を排することでての仁政を貴ぶ権力道徳聖書——
通称四書五経の記述と決定的に相反していることなどからも察することができるのである。
信教というもの、特に常人以下の退廃を信者に促す邪教こそは、元から権力の腐敗に乗じて
捏造されたものである。母子家庭の環境下での苦学によって孔子が大成させた儒学などとも違い、
ユダヤ教やキリスト教こそは、信徒が権力機構に深く取り入る過程ででっち上げたものである。
その誕生の経緯からして不純であるのが邪教であり、自力作善の信教はもちろんのこと、
無信仰の勉学精進を促す儒学にすら、その起源のまともさで及ばないものとなっている。
だからこそ「神からの啓示」であることなどを標榜して本当の起源を隠蔽しようなどとも
しているわけで、神託であることに依存していること自体、実は発祥が不純な証拠なのである。
神からの啓示であるからこそ嬉しい、そこからもうすでに過ちなのであり、神仏に仮託するので
あっても、その実際的な起源もまた後ろめたくないような信教ですらないことからしておかしい。
精神が強靭である人間ならば、信教がそんな由緒を売りにしたりしている所から嫌悪感を抱くが、
薄弱者にはそれがかえって魅力的に思えたりもする。そこからすでに魔が差しているのである。
削除(by投稿者)
「儒に貧賤に隕獲せず、富貴に充詘せず、君王に慁められず、長上に累せず、有司に閔しめられざる有り。
故に儒を曰うに、今衆人の儒を命づくるや妄なり、常ら儒を以って相い詬病すと。孔子舍に至りて、哀公之れを館す。
此の言を聞くや、言は信を加え、行いは義を加う、吾が世の終没するまで、敢えて儒を以って戯れと為さずと」
「孔子『儒者のうちには、極度の貧賤に苛まれたり富貴に淫したりすることでも志しを失ったりはせず、
王君に引け目を抱くこともなく、長者や上位者に列したがりもせず、官職者を妬んだりもしない者がいます。
そのため(醜悪なルサンチマンにかられている)大衆の内には、儒者を盲目だなどと決め付ける者もいます。
儒学に耽ってものが見えない病に陥っているというのです』 孔子が学舎に来ると、哀公は食い扶持と官職を
以ってこれを遇し、先ほどの孔子の言葉について返答した。『その言葉には信実さがあり、その行いにも
道義性がある。私の在位中には、決して儒学を衆人の言うような戯れ扱いにすることを許しますまい』
(権力への取り入りも断って物事をしっかと見据えている所にこそ、王侯をも感服させるだけの信実さが備わる。
それでいて、そのような真に信実ある儒者の姿こそを、迷妄な衆人が盲者などと決め付けたりもするのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——儒行第四十一より)
故に儒を曰うに、今衆人の儒を命づくるや妄なり、常ら儒を以って相い詬病すと。孔子舍に至りて、哀公之れを館す。
此の言を聞くや、言は信を加え、行いは義を加う、吾が世の終没するまで、敢えて儒を以って戯れと為さずと」
「孔子『儒者のうちには、極度の貧賤に苛まれたり富貴に淫したりすることでも志しを失ったりはせず、
王君に引け目を抱くこともなく、長者や上位者に列したがりもせず、官職者を妬んだりもしない者がいます。
そのため(醜悪なルサンチマンにかられている)大衆の内には、儒者を盲目だなどと決め付ける者もいます。
儒学に耽ってものが見えない病に陥っているというのです』 孔子が学舎に来ると、哀公は食い扶持と官職を
以ってこれを遇し、先ほどの孔子の言葉について返答した。『その言葉には信実さがあり、その行いにも
道義性がある。私の在位中には、決して儒学を衆人の言うような戯れ扱いにすることを許しますまい』
(権力への取り入りも断って物事をしっかと見据えている所にこそ、王侯をも感服させるだけの信実さが備わる。
それでいて、そのような真に信実ある儒者の姿こそを、迷妄な衆人が盲者などと決め付けたりもするのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——儒行第四十一より)
面白い。。。
率先して重荷を背負って行く者こそは上位者たり、重荷を嫌って易々とした
生き方に逃げたがる者こそは下位に置かれるのが道理というものである。
易行道を奨励する仏門として浄土門などがありもするが、その主な帰依者は一般の
百姓であり、武家や公家のような率先して重荷を背負って行くべき立場の人間は、
むしろ禅や密教のごとき自力作善の聖道門への帰依を主体としていた。だからこそ、
昔の日本の全体規模での仏門帰依なども適正なものであったといえる。重荷を背負う
立場にある人間こそは他力本願でいて、そうでもないような人間ばかりが自力作善を
志してたりするようならば不健全極まりないが、昔の日本はそうではなかったわけで、
自力他力の配分を適正化することに当時の仏教が貢献していたのだともいえるのである。
キリスト教圏などはこの逆で、重荷を背負うべき正規の王侯たちこそは、キリスト
への他力本願を本是とする正統派のキリスト信仰に帰依していた一方、商売人などの
賤しい身分の人間こそが、「キリストの到来もまだ」とするユダヤ教に入信したり、
プロテスタントの異端派として「自力の悪行」に執心するなどして来たのである。
日本で自力他力の配分を適正化した主体も仏教という信教であったし、
キリスト教圏で自力他力の配分を不正化した主体も聖書信仰という信教であった。
儒学や神道や道教のごとき純極東産の教学は、全体社会を体系的に司ることで
自力他力の配分までをも人工的に操作するような試みにまでは及んでいなかった。
(だからこそ為政者を君子扱いしたり、民間人を小人扱いしたりの一方通行でもいた)
そこはコーカソイド圏(インドや古代オリエント)発祥の信教などとは違う部分であり、
全体に対する征服的な姿勢に欠けている点が善い所でも悪い所でもあるといえる。
生き方に逃げたがる者こそは下位に置かれるのが道理というものである。
易行道を奨励する仏門として浄土門などがありもするが、その主な帰依者は一般の
百姓であり、武家や公家のような率先して重荷を背負って行くべき立場の人間は、
むしろ禅や密教のごとき自力作善の聖道門への帰依を主体としていた。だからこそ、
昔の日本の全体規模での仏門帰依なども適正なものであったといえる。重荷を背負う
立場にある人間こそは他力本願でいて、そうでもないような人間ばかりが自力作善を
志してたりするようならば不健全極まりないが、昔の日本はそうではなかったわけで、
自力他力の配分を適正化することに当時の仏教が貢献していたのだともいえるのである。
キリスト教圏などはこの逆で、重荷を背負うべき正規の王侯たちこそは、キリスト
への他力本願を本是とする正統派のキリスト信仰に帰依していた一方、商売人などの
賤しい身分の人間こそが、「キリストの到来もまだ」とするユダヤ教に入信したり、
プロテスタントの異端派として「自力の悪行」に執心するなどして来たのである。
日本で自力他力の配分を適正化した主体も仏教という信教であったし、
キリスト教圏で自力他力の配分を不正化した主体も聖書信仰という信教であった。
儒学や神道や道教のごとき純極東産の教学は、全体社会を体系的に司ることで
自力他力の配分までをも人工的に操作するような試みにまでは及んでいなかった。
(だからこそ為政者を君子扱いしたり、民間人を小人扱いしたりの一方通行でもいた)
そこはコーカソイド圏(インドや古代オリエント)発祥の信教などとは違う部分であり、
全体に対する征服的な姿勢に欠けている点が善い所でも悪い所でもあるといえる。
ただ、そのうちの儒学、特に易の法則に即して、自力作善を旨とするものが尊ばれ、
他力本願を旨とするものが賤しまれることが道理であり、それに反することが
道理に悖るとも判断することもできる。信仰ではなく純粋な学問の見地に即して、
仏教が日本に及ぼした自力他力の配分は適正であった一方、聖書信仰が
欧米などに及ぼした自力他力の配分は不正であったともいえる。
仏教の真理は虚空にこそあり、聖書信仰の真理は超越神にこそあるとされる。
どちらが本物の真理かは一旦おいておくとして、虚空を真理とすることこそは自力の
尊重と他力の賤しみに帰結する一方、超越神を真理とすることは他力の尊重と自力の
賤しみに繋がる。道理に適うのは前者であり、道理に反するのは後者であるから、
無宗教の道理に即して前者を是とし、後者を非として行くべきだともいえる。
世間を虚仮なるものとしながらも、仏教は結局社会的な上位者に自力作善を促し、
下位者に他力本願を奨励している。社会への対応もまた適正であるのが仏教である
一方、そこが不正なのが聖書信仰である。王侯は他力本願、商人は独立独行といった
布教姿勢がすでに社会の退廃を決定付けるものであり、世界のすべてを超越神の配下に
置こうとする宗教的な姿勢からして社会的に悪用されていることが明らかである。
「社会についてどうこうこだわるのは卑俗なことだ」邪教信者はそうほざいたりもする。
そうではなく、邪教こそは世の中の側を決定的に低俗ならしめている元凶なのであり、
そんなものがなければ世の中の側もそれなりに見られたものであり得るのである。そして
そのような世の中での活動を奨励するのが儒学であるし、そのような世の中を信教として
実現して行こうとするのが仏教でもあったりするのだから、邪教ありきなものの考え方に
よってこそ世俗を見るに値しないものだなどと決め付け、実際に世の中の低俗さが深刻化
して行くことを黙認し続けるようなことを可としてやったりしてもならないのである。
他力本願を旨とするものが賤しまれることが道理であり、それに反することが
道理に悖るとも判断することもできる。信仰ではなく純粋な学問の見地に即して、
仏教が日本に及ぼした自力他力の配分は適正であった一方、聖書信仰が
欧米などに及ぼした自力他力の配分は不正であったともいえる。
仏教の真理は虚空にこそあり、聖書信仰の真理は超越神にこそあるとされる。
どちらが本物の真理かは一旦おいておくとして、虚空を真理とすることこそは自力の
尊重と他力の賤しみに帰結する一方、超越神を真理とすることは他力の尊重と自力の
賤しみに繋がる。道理に適うのは前者であり、道理に反するのは後者であるから、
無宗教の道理に即して前者を是とし、後者を非として行くべきだともいえる。
世間を虚仮なるものとしながらも、仏教は結局社会的な上位者に自力作善を促し、
下位者に他力本願を奨励している。社会への対応もまた適正であるのが仏教である
一方、そこが不正なのが聖書信仰である。王侯は他力本願、商人は独立独行といった
布教姿勢がすでに社会の退廃を決定付けるものであり、世界のすべてを超越神の配下に
置こうとする宗教的な姿勢からして社会的に悪用されていることが明らかである。
「社会についてどうこうこだわるのは卑俗なことだ」邪教信者はそうほざいたりもする。
そうではなく、邪教こそは世の中の側を決定的に低俗ならしめている元凶なのであり、
そんなものがなければ世の中の側もそれなりに見られたものであり得るのである。そして
そのような世の中での活動を奨励するのが儒学であるし、そのような世の中を信教として
実現して行こうとするのが仏教でもあったりするのだから、邪教ありきなものの考え方に
よってこそ世俗を見るに値しないものだなどと決め付け、実際に世の中の低俗さが深刻化
して行くことを黙認し続けるようなことを可としてやったりしてもならないのである。
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「君子、重からざれば威あらず」
「君子も重々しさがなければ威厳が備わらない。
(重荷を背負って重々しくあることで威厳を備えよというのだ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・八より)
「君子も重々しさがなければ威厳が備わらない。
(重荷を背負って重々しくあることで威厳を備えよというのだ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・学而第一・八より)
率先して罪を認めてそこからの救いを請うという点が、いかにもキリスト教の美談めいた点として扱われる。
儒学と言わず仏教と言わずイスラム教と言わず、悪いことはするな、悪いことをするのはよくないとし、
実際に悪いことをすれば罰をあたえるべしという姿勢を基本としている。法家ほどあからさまではなくとも、
信賞必罰を大前提とするのが世界中の主要な教学の本旨であり(ユダヤ教ですらもがそうだが、
トーラーにあるような徒法ばかりを守らせようとするためにいいもの扱いまではできない)、
その点、キリスト教こそは他のいかなる教学と比べても異端であるといえる。
結論からいえば、それも偽善止まりの教条なのである。信賞必罰を絶対化して、
徒法や悪法すらをも頑なに守らせる法家やユダヤ教の姿勢も決してできたものではないが、
かといって罪を罪、徳を徳と分別する正常な判断能力を備えた上で、自らは罪を避け徳を積み、他者にも
なるべくそうあるように促して行ってこそ、本当の善美たり得ることにも変わりはない。にもかかわらず、
キリスト教徒はめくら滅法に誰も彼もを罪人だなどと決め付けて、その内でも率先して罪を認めて神に
救いを請うている自分たちこそは清いとする、そんなことで何らのいい効験が期待できるはずもないのであり、
信者自身の自己陶酔や、誤解に基づく信者への尊崇だとかを生じさせる原因にしかなりはしないのである。
杓子定規に過ぎるような信賞必罰と、キリスト教徒のごときめくら滅法な罪の開き直り、
この二つが避けるべき両極端であり、いずれにも振れ切らない中正こそが人々の目指すべき道である。
そしてその中正を守って行くためには、儒学の勉強や正統な仏教への帰依などに基づいて正しい
善悪の分別を養い、融通の利いた勧善懲悪や断悪修善を実践して行けるようにすればいいのである。
正しい善悪の分別と、それに基づく適度な勧善懲悪や断悪修善という選択肢が拓かれていればこそ、
罪業を開き直るようなことも許されない。少なくとも、罪業を開き直ったりすることを賤しいことと見なせる。
儒学と言わず仏教と言わずイスラム教と言わず、悪いことはするな、悪いことをするのはよくないとし、
実際に悪いことをすれば罰をあたえるべしという姿勢を基本としている。法家ほどあからさまではなくとも、
信賞必罰を大前提とするのが世界中の主要な教学の本旨であり(ユダヤ教ですらもがそうだが、
トーラーにあるような徒法ばかりを守らせようとするためにいいもの扱いまではできない)、
その点、キリスト教こそは他のいかなる教学と比べても異端であるといえる。
結論からいえば、それも偽善止まりの教条なのである。信賞必罰を絶対化して、
徒法や悪法すらをも頑なに守らせる法家やユダヤ教の姿勢も決してできたものではないが、
かといって罪を罪、徳を徳と分別する正常な判断能力を備えた上で、自らは罪を避け徳を積み、他者にも
なるべくそうあるように促して行ってこそ、本当の善美たり得ることにも変わりはない。にもかかわらず、
キリスト教徒はめくら滅法に誰も彼もを罪人だなどと決め付けて、その内でも率先して罪を認めて神に
救いを請うている自分たちこそは清いとする、そんなことで何らのいい効験が期待できるはずもないのであり、
信者自身の自己陶酔や、誤解に基づく信者への尊崇だとかを生じさせる原因にしかなりはしないのである。
杓子定規に過ぎるような信賞必罰と、キリスト教徒のごときめくら滅法な罪の開き直り、
この二つが避けるべき両極端であり、いずれにも振れ切らない中正こそが人々の目指すべき道である。
そしてその中正を守って行くためには、儒学の勉強や正統な仏教への帰依などに基づいて正しい
善悪の分別を養い、融通の利いた勧善懲悪や断悪修善を実践して行けるようにすればいいのである。
正しい善悪の分別と、それに基づく適度な勧善懲悪や断悪修善という選択肢が拓かれていればこそ、
罪業を開き直るようなことも許されない。少なくとも、罪業を開き直ったりすることを賤しいことと見なせる。
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愚夫であることをも認めていた。読経中に美女の姿が頭に思い浮かぶような賤しい身の程であればこそ、
他力本願の浄土門に帰依するしかないとした。その上でなおかつ他者にまで浄土門への帰依を促していたのも、
当時が武家による争いも絶えない乱世であり、自力作善の聖道門への帰依などもなかなか覚束ない時代
であったからだ。自らが弘法大師の如き偉人であり、なおかつ今が平安時代のごとき安寧な時代で
あるというのなら、それこそ真言密教のごとき最難関級の聖道門にでも帰依すればいいわけで、それが
無理だから仕方なく他力本願の念仏者だったりするとしても、決してそれで偉いなんてことはないのである。
自己の賤しさを認めながらの他力本願の徒であることが、マシであるということぐらいなら確かにある。
それこそ、罪を開き直って神に救いを請うている自分たちこそは常人以上にも偉いなどとするほどもの
邪曲が横行しているようであるならば、それよりはまだ自分たちの人並み以上の賤しさを自認しながら
浄土門に帰依している念仏者のほうがまだマシな存在だったりもする。それこそ「最悪かマシか」の
どん尻争いでの辛勝なわけで、そんなこと嬉しがっていたりするのも空しいことだからやめるべきではある。
率先して罪を認めて救いを請うているから人並み以上に偉い、そんな転倒夢想に陥っていればこそ、
人並み以上の賤しさを認めながら他力本願でいる人間にすら及ばない存在ともなってしまうのだから、
そんなことを美学か何かのように勘違いするようなことも決してあってはならないのである。
「舜の天下を棄つるを視るや、猶お敝蹝を棄つるがごときなり。
竊かに負いて逃れ、海浜に遵いて処り、終身訢然として、楽しみて天下を忘れん」
「舜帝にとって天下を捨て去ることは、使い古して破れた草履を捨て去るのも同然なことであった。
密かに老いた親を背負って朝廷を逃げ出し、海浜に沿って人里離れた場所に行き、死ぬまで欣然として
楽しみながら天下のことなど忘れていただろう。(十字架を背負うぐらいなら自分自身の親を背負えよ)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・尽心章句上・三五より)
大規模な戦争があろうがなかろうが乱世は乱世であり、そこには何らかの致命的な落ち度があるものである。
始皇帝による法家支配が敷かれた統一秦帝国においても、これといった内戦があったりしたわけでもなく、
せいぜい始皇帝の暗殺未遂事件が散発する程度だったが、それでも当時が極度の乱世であったことにも
間違いはない。秦国は、法家主義を基調とした極度の圧政によって民から暴利を巻き上げることでこそ
突発的な国力を獲得して諸外国を征服し、統一中華帝国をぶち上げたわけだから、中原全土が秦国並みの
圧政下に置かれたことで、かえって人々は春秋戦国時代以上もの被虐下に置かれることになったわけである。
だから、「これなら諸侯が支配していた戦国時代のほうがまだマシだった」というような嘆きが民の間で
囁かれてもいた、これこそは戦争状態以上もの「平和裏の乱世」であった実例だといえ、そんなものの持続を
誰も望みはしなかったから、たった15年の短期間の持続の後に、秦帝国も反乱による崩壊を来たしたのだった。
上記のような事情に即して、平和状態の世の中が戦争状態以上もの乱世たり得るということが、知られて
そうで実は知られていないことである。今の地球社会も、資本主義国の横暴によって年間に1000万人以上
もの人間が餓死し続けている状態であり、これは第二次世界大戦の死亡率にも匹敵する上、毎年ずっとその
程度の死亡率をはじき出し続けているわけだから、今が大戦期以上の乱世であることもまた間違いがない。
にもかかわらず、今という時代が「戦時中よりも平和でいい時代、少なくともマシな時代」として扱われて
いたりするのも「平和状態が戦争状態以上もの乱世たり得る」ということへの察知が全く欠けているからである。
始皇帝による法家支配が敷かれた統一秦帝国においても、これといった内戦があったりしたわけでもなく、
せいぜい始皇帝の暗殺未遂事件が散発する程度だったが、それでも当時が極度の乱世であったことにも
間違いはない。秦国は、法家主義を基調とした極度の圧政によって民から暴利を巻き上げることでこそ
突発的な国力を獲得して諸外国を征服し、統一中華帝国をぶち上げたわけだから、中原全土が秦国並みの
圧政下に置かれたことで、かえって人々は春秋戦国時代以上もの被虐下に置かれることになったわけである。
だから、「これなら諸侯が支配していた戦国時代のほうがまだマシだった」というような嘆きが民の間で
囁かれてもいた、これこそは戦争状態以上もの「平和裏の乱世」であった実例だといえ、そんなものの持続を
誰も望みはしなかったから、たった15年の短期間の持続の後に、秦帝国も反乱による崩壊を来たしたのだった。
上記のような事情に即して、平和状態の世の中が戦争状態以上もの乱世たり得るということが、知られて
そうで実は知られていないことである。今の地球社会も、資本主義国の横暴によって年間に1000万人以上
もの人間が餓死し続けている状態であり、これは第二次世界大戦の死亡率にも匹敵する上、毎年ずっとその
程度の死亡率をはじき出し続けているわけだから、今が大戦期以上の乱世であることもまた間違いがない。
にもかかわらず、今という時代が「戦時中よりも平和でいい時代、少なくともマシな時代」として扱われて
いたりするのも「平和状態が戦争状態以上もの乱世たり得る」ということへの察知が全く欠けているからである。
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「平和」という言葉が英語の「peace」の訳語として用いられるようになってから、日本語としての「平和」
という言葉の意味もずいぶんと劣化してしまった。本来は出典の「礼記」にもあるような「平和で安寧な状態」
こそを「平和」と呼んでいたわけだが、今ではもはや「戦争だけはない状態」という意味で用いられるように
なってしまった。実際、英語の「peace」などはその程度の意味しか持ち合わせていないわけで、peaceという
言葉しか「平和」に当たる言葉が存在しないイギリスなども、万年上層階級が下層階級を経済的に圧迫し続ける
状態でいる。それでも自国で紛争などすらなければ、イギリス人にとってはそれがpeaceとなるわけで、英語圏
こそは、戦争状態以上もの平和裏の乱世という事態を全く察知していない未開社会であることが明らかだといえる。
「戦争状態以上もの乱世である平和状態」などという状態が可とされているようなところでは、漏れなく
権力道徳もまた存在しない。権力道徳が実践されていないのみならず、そんなものの実践が可能であることも、
そもそも権力道徳などというものが存在することすらも見落とされたままでいる。大体の場合、法治主義に
よって世の中の最低限の治安だけは保たれ、下層民に対する経済的な圧迫なども放任されたままでいながら、
紛争レベルの争いだけは徹底して防ぎ止められているような状態がほとんどである。そのような状態でこそ、
人々は戦時中以上もの苦しみに喘がされたりしているわけだが、「戦争だけはない今も戦時中よりはマシな
時代だ」などと思い込まされて、極度の被虐下に置かれ続けることを黙認させられたりもしているわけである。
そんな状態が、戦争状態以上もの乱世であるのは上に述べた通りである。じゃあ、そのまま戦争に突入してしまえば
いいのかといえば、それも違う。戦争状態は戦争状態でろくでもない状態であり、世の中の平和が確立された上で、
なおかつ人々への圧制が緩和された状態こそは真の治世なのだから、それこそを追い求めていくべきなのである。
という言葉の意味もずいぶんと劣化してしまった。本来は出典の「礼記」にもあるような「平和で安寧な状態」
こそを「平和」と呼んでいたわけだが、今ではもはや「戦争だけはない状態」という意味で用いられるように
なってしまった。実際、英語の「peace」などはその程度の意味しか持ち合わせていないわけで、peaceという
言葉しか「平和」に当たる言葉が存在しないイギリスなども、万年上層階級が下層階級を経済的に圧迫し続ける
状態でいる。それでも自国で紛争などすらなければ、イギリス人にとってはそれがpeaceとなるわけで、英語圏
こそは、戦争状態以上もの平和裏の乱世という事態を全く察知していない未開社会であることが明らかだといえる。
「戦争状態以上もの乱世である平和状態」などという状態が可とされているようなところでは、漏れなく
権力道徳もまた存在しない。権力道徳が実践されていないのみならず、そんなものの実践が可能であることも、
そもそも権力道徳などというものが存在することすらも見落とされたままでいる。大体の場合、法治主義に
よって世の中の最低限の治安だけは保たれ、下層民に対する経済的な圧迫なども放任されたままでいながら、
紛争レベルの争いだけは徹底して防ぎ止められているような状態がほとんどである。そのような状態でこそ、
人々は戦時中以上もの苦しみに喘がされたりしているわけだが、「戦争だけはない今も戦時中よりはマシな
時代だ」などと思い込まされて、極度の被虐下に置かれ続けることを黙認させられたりもしているわけである。
そんな状態が、戦争状態以上もの乱世であるのは上に述べた通りである。じゃあ、そのまま戦争に突入してしまえば
いいのかといえば、それも違う。戦争状態は戦争状態でろくでもない状態であり、世の中の平和が確立された上で、
なおかつ人々への圧制が緩和された状態こそは真の治世なのだから、それこそを追い求めていくべきなのである。
権力道徳の実践も察知も覚束ないでいるような状態で、なかなかそんなものを追い求めて行く気にもなれないと
しても無理のない話だが、それはそれはで実現し得るものであり、なおかつ、戦争状態はもちろんのこと、圧政の
敷かれた平和状態なぞ以上もの磐石な安定性が確立すらされ得るものなのであり、「道徳統治など長く続けられる
ものではない」などという、乱世の支配者の全く史実にも即していないような戯れ言などに流されるべきでもない。
「道は爾きに在り、而るに諸れを遠きに求む。事は易きに在り、而るに之れに
難きを求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、而うして天下も平らかなり」
「道はごくごく卑近なところにあるというのに、人々はみなそれを高遠なところなどに求めようとする。
それを実行することもさして難しいことではないのに、わざわざ難しいところばかりに実践手段を求める。
ただ誰しもが自らの親を親として尊び、年長者を年長者として尊びすらすれば、それだけで天下全土が平和
にもなるというのに。(過渡的な部分的平和などではなく、最終目的としての天下全土の平安を希求している。
そのための手段こそはかえって素朴なものであり、神聖さを追い求めたりするような無駄なこともしないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句上・一一より)
しても無理のない話だが、それはそれはで実現し得るものであり、なおかつ、戦争状態はもちろんのこと、圧政の
敷かれた平和状態なぞ以上もの磐石な安定性が確立すらされ得るものなのであり、「道徳統治など長く続けられる
ものではない」などという、乱世の支配者の全く史実にも即していないような戯れ言などに流されるべきでもない。
「道は爾きに在り、而るに諸れを遠きに求む。事は易きに在り、而るに之れに
難きを求む。人人其の親を親とし、其の長を長とすれば、而うして天下も平らかなり」
「道はごくごく卑近なところにあるというのに、人々はみなそれを高遠なところなどに求めようとする。
それを実行することもさして難しいことではないのに、わざわざ難しいところばかりに実践手段を求める。
ただ誰しもが自らの親を親として尊び、年長者を年長者として尊びすらすれば、それだけで天下全土が平和
にもなるというのに。(過渡的な部分的平和などではなく、最終目的としての天下全土の平安を希求している。
そのための手段こそはかえって素朴なものであり、神聖さを追い求めたりするような無駄なこともしないのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——孟子・離婁章句上・一一より)
始めから世界のごく一部を司る小物然とした神などでいるのならまだしも、「世界の全てを
造った」などと豪語しながら、その内の一部の儲や世界しか救わないとしているものだから、
仁義道徳を決定的に侵害する純度100%の邪神であることまでもが確定しているのである。
一部の事物を司る神であるというのなら、それ相応の扱いによる仁政への
役立てなどもまだ期待ができるのに、わざわざ「世界の全てを司る」などと
したものだから、仁政実現の上では根絶対象となることまでもが避けられない。
そして、そうでありながら一部の人間しか救わないような態度でいる神などを信じようとした
人間たち自身からして、人並み以上の不誠実さを帯びていたことが明らかである。せめてでも、
阿弥陀仏のように「西方浄土において一切衆生を救済の対象とする」と誓約しているような
神仏を信じたりしたのならば、それをして信者たち自身が不誠実である根拠などにはならない
のだが、「全世界を統べながら信じるものだけを救う」などという神を信じたものだから、
それによって自分たち自身の性根からの不誠実さまでをも露呈させてしまったのである。
世界の全てを統べるといいながら、一部の信者しか救わないともする。そこにすでに
歪んだ自己顕示欲が垣間見られる。仁者でもなければ身の程をわきまえた匹夫でもない、
身の程知らずとして世界に大迷惑をかけようとする不埒な小人としての素性が見受けられる。
その立場はといえばやはり、君子でも単なる小人でもない、政商あたりの奇形的な身分で
あっただろうこともうかがえる。君子が小人を治めることで世の中も成り立つわけだから、
君子も小人も世の中にとって欠くべからざる存在であるとはいえるが(昔の薩摩藩のように
藩が裕福だからといって猫も杓子も君子階級である武士になったりするのも考え物である)、
小人身分でありながら上位の君子並みの権限を持つ政商のような身分はといえば、世の中に
とって百害あって一利もない存在なわけだから、そのことからなるコンプレックスにかられての
歪んだ自己顕示欲を抱き、それを形而上の超越神などに偽託しただろうことが察せるのである。
造った」などと豪語しながら、その内の一部の儲や世界しか救わないとしているものだから、
仁義道徳を決定的に侵害する純度100%の邪神であることまでもが確定しているのである。
一部の事物を司る神であるというのなら、それ相応の扱いによる仁政への
役立てなどもまだ期待ができるのに、わざわざ「世界の全てを司る」などと
したものだから、仁政実現の上では根絶対象となることまでもが避けられない。
そして、そうでありながら一部の人間しか救わないような態度でいる神などを信じようとした
人間たち自身からして、人並み以上の不誠実さを帯びていたことが明らかである。せめてでも、
阿弥陀仏のように「西方浄土において一切衆生を救済の対象とする」と誓約しているような
神仏を信じたりしたのならば、それをして信者たち自身が不誠実である根拠などにはならない
のだが、「全世界を統べながら信じるものだけを救う」などという神を信じたものだから、
それによって自分たち自身の性根からの不誠実さまでをも露呈させてしまったのである。
世界の全てを統べるといいながら、一部の信者しか救わないともする。そこにすでに
歪んだ自己顕示欲が垣間見られる。仁者でもなければ身の程をわきまえた匹夫でもない、
身の程知らずとして世界に大迷惑をかけようとする不埒な小人としての素性が見受けられる。
その立場はといえばやはり、君子でも単なる小人でもない、政商あたりの奇形的な身分で
あっただろうこともうかがえる。君子が小人を治めることで世の中も成り立つわけだから、
君子も小人も世の中にとって欠くべからざる存在であるとはいえるが(昔の薩摩藩のように
藩が裕福だからといって猫も杓子も君子階級である武士になったりするのも考え物である)、
小人身分でありながら上位の君子並みの権限を持つ政商のような身分はといえば、世の中に
とって百害あって一利もない存在なわけだから、そのことからなるコンプレックスにかられての
歪んだ自己顕示欲を抱き、それを形而上の超越神などに偽託しただろうことが察せるのである。
超越神の仮面の内側に潜む歪んだ性格が信者たちにも落とし込まれた結果、
救いがたい不誠実さを内面に抱えながら、表向きだけは立派な修辞で取り繕うような、
典型的な偽善者が大勢作り上げられて行くことともなったのだった。
そのような邪教による歪んだ性格の植え付けもなければ、仁義道徳による謹厳さの教示なども
さして施されたことのない、東南アジアの田舎あたりの人間などは、いたって素朴なものである。
現代的な観点からすれば危ういほどにも素直だったりする、そんなままでいられたなら
それでもいいにしろ、案の定、一時はキリスト教圏による侵略などによって極度の疲弊に
晒されたりもしていたわけで(ブラックアフリカなどは今でもそのような状態にある)、
毒を制する薬としての、作為的な仁義道徳の修得なども多少はあってしかるべきことだといえる。
仮に今すぐ、歪んだ性格を信者に植え付けるような邪教がこの世から絶やされたとしても、
その禍根が当分甚だしいままであり続けることも間違いない。そこにプラマイゼロへの回復を
目指した矯正を施す目的で、仁徳の尊重を奨励して行くことなどもそれなりに必要であろう。
仁徳を尊ぶ儒者などもまた、>>294のように傍目には頑迷であるように見られることもあるわけだが、
それも、偽善者や悪人が増え過ぎた世の中における特効薬的な姿勢であるとして、大目に見て行くしかない。
「子張政を問う。子曰く、之れに居りて倦むこと無く、之れを行うには忠を以ってす」
「門弟の子張が政治のあり方を先生にお聞きした。先生は言われた。『任務にあっては決して倦むことなく、
奉行に際しても忠義を尽くすことだ』(難儀な仕事でも決して倦むことなく、忠義を尽くして執り行って
いくことで仁政も実現される。我田引水者はそんなことも始めから倦んで放り投げているのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一四)
救いがたい不誠実さを内面に抱えながら、表向きだけは立派な修辞で取り繕うような、
典型的な偽善者が大勢作り上げられて行くことともなったのだった。
そのような邪教による歪んだ性格の植え付けもなければ、仁義道徳による謹厳さの教示なども
さして施されたことのない、東南アジアの田舎あたりの人間などは、いたって素朴なものである。
現代的な観点からすれば危ういほどにも素直だったりする、そんなままでいられたなら
それでもいいにしろ、案の定、一時はキリスト教圏による侵略などによって極度の疲弊に
晒されたりもしていたわけで(ブラックアフリカなどは今でもそのような状態にある)、
毒を制する薬としての、作為的な仁義道徳の修得なども多少はあってしかるべきことだといえる。
仮に今すぐ、歪んだ性格を信者に植え付けるような邪教がこの世から絶やされたとしても、
その禍根が当分甚だしいままであり続けることも間違いない。そこにプラマイゼロへの回復を
目指した矯正を施す目的で、仁徳の尊重を奨励して行くことなどもそれなりに必要であろう。
仁徳を尊ぶ儒者などもまた、>>294のように傍目には頑迷であるように見られることもあるわけだが、
それも、偽善者や悪人が増え過ぎた世の中における特効薬的な姿勢であるとして、大目に見て行くしかない。
「子張政を問う。子曰く、之れに居りて倦むこと無く、之れを行うには忠を以ってす」
「門弟の子張が政治のあり方を先生にお聞きした。先生は言われた。『任務にあっては決して倦むことなく、
奉行に際しても忠義を尽くすことだ』(難儀な仕事でも決して倦むことなく、忠義を尽くして執り行って
いくことで仁政も実現される。我田引水者はそんなことも始めから倦んで放り投げているのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・顔淵第十二・一四)
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頼って行く必要が出てくる場合がある。それは、我田引水を目的とした悪徳商売や権力犯罪を
牽制するためであり、決して為政者たる自分自身が独自にいい思いをしたりするためではない。
昔ながらの王宮や城郭を中心として形成された都市構造などは、その中央部に勝手に立ち入る
ことができない民間の商売人などに身の程を思い知らせると共に、その中央部にどっかりと
居座る王君や重臣が誰しもからの注目対象となって、隠れた不品行などに及べないように
する効果までをも持ち合わせていた。確かに、始皇帝などのように自己顕示欲の過剰によって
人々を重労働で困窮に陥れるほどにも甚大な王宮(阿房宮)を拵えたりすることもあったわけだが、
その逆に、自らは豪華な王宮を造ることなどを拒み通していたにもかかわらず、重臣の蕭何が勝手に
豪壮な王宮(未央宮)を造営したものだから腹を立て、「これぐらいのものがなければ帝王としての
威厳が保てません」となだめられてようやく納得した高祖劉邦のような事例もあるわけであり、後者の
事例などは、本当に必要にかられてやむなく王宮中心の都を構築していった事例であることが確かである。
民主主義の蔓延によって、王君を中心とした制度や都市設計などが軒並み撤廃や有名無実化されて
しまっている現代においては、現存する王宮や城郭といえばただの観光地扱い、金持ちが勝手に王宮をも
上回るような豪華絢爛な自宅を建築したりするのもしたい放題な状態となってしまっている。だからと
いってそのような金持ちが誰しもからの監視対象になったりするわけでもなく、王都の中心にどっかりと
宮殿を据えてそこに居座る王君などよりも遥かに無責任なままでのやりたい放題が可能となっている。
それは結局、封土を責任持って統治する主君の住処こそを中心として都市を設計して行く場合
などと比べても、世の中にかける負担がより大きなものと化す結果を招いてしまっているのである。
素封家が囲い込む富の分量が、世の中で取り回せる富の分量をも上回るような事態と化してしまう
ようならば、自明なこととして世の中のほうが貧困に見舞われることとなる。素封家は基本民間人だから、
「民主主義」の名の下でその主権を尊重される人間の内にも入ることとなる。だからといっていち私人
としての身の程を大きく逸脱するほどもの富を私物化したりしようものなら、そのせいで自分たちが
世の中に対して加える負担が、責任ある王君が年貢や納税によって世の中にかける負担すらをも上回る
ようなことにすらなってしまうわけである。資本主義の民主主義社会ともなればそのような体たらくと
化してしまうのが常套的なことであり、民衆にこそ主権を与えることで、王侯貴族が世の中に加える負担
を最小化ないし抹消しようとした民主化の試みは、完全に本末転倒の結果を来たしてしまったのである。
むろん、民主主義などというもの自体、始めから素封家の独り勝ちこそを真の目的としていたのだとも
言えなくはないわけで、結局のところ、これといった王侯将相の下で全体社会からの統率下に置かれる
ことでのみ、民間人もまた共食い状態などに陥ったりすることなく最善度の豊かさを謳歌して行ける
ように、人間社会の原理的な構造上からしてできているのだと結論付けることもできるわけである。
始皇帝のように、民衆を困窮に陥れるほどもの圧政を敷いたりするわけでもない主君が、素封家の横暴
によって世の中が困窮に陥れられたりすることを抑止するためにこそ全体規模で君臨する世の中こそは、
人々が最大級の豊かさに与れる世の中ともなることを十分に理解して、万端の納得の下に、「民主主義に
よってこそ人々もまた最大級の豊かさに与れる」という事実誤認を払拭して行くようにすべきなのである。
ようならば、自明なこととして世の中のほうが貧困に見舞われることとなる。素封家は基本民間人だから、
「民主主義」の名の下でその主権を尊重される人間の内にも入ることとなる。だからといっていち私人
としての身の程を大きく逸脱するほどもの富を私物化したりしようものなら、そのせいで自分たちが
世の中に対して加える負担が、責任ある王君が年貢や納税によって世の中にかける負担すらをも上回る
ようなことにすらなってしまうわけである。資本主義の民主主義社会ともなればそのような体たらくと
化してしまうのが常套的なことであり、民衆にこそ主権を与えることで、王侯貴族が世の中に加える負担
を最小化ないし抹消しようとした民主化の試みは、完全に本末転倒の結果を来たしてしまったのである。
むろん、民主主義などというもの自体、始めから素封家の独り勝ちこそを真の目的としていたのだとも
言えなくはないわけで、結局のところ、これといった王侯将相の下で全体社会からの統率下に置かれる
ことでのみ、民間人もまた共食い状態などに陥ったりすることなく最善度の豊かさを謳歌して行ける
ように、人間社会の原理的な構造上からしてできているのだと結論付けることもできるわけである。
始皇帝のように、民衆を困窮に陥れるほどもの圧政を敷いたりするわけでもない主君が、素封家の横暴
によって世の中が困窮に陥れられたりすることを抑止するためにこそ全体規模で君臨する世の中こそは、
人々が最大級の豊かさに与れる世の中ともなることを十分に理解して、万端の納得の下に、「民主主義に
よってこそ人々もまた最大級の豊かさに与れる」という事実誤認を払拭して行くようにすべきなのである。
「天下に王有り、地を分け国を建て、都を置き邑を立て、廟祧壇墠を設けて之れを祭り、親疏多少の数を為す」
「天下に帝王があれば、必ず地を諸国に分けて国を立て、都や村も指定して、それぞれに規則に則った祭祀
のため廟壇(日本なら神社に相当)を設置させる。それによって万人の親疎多少を統制して行くようにする。
(このような事業がもたらす効能は上記の通りである。確かな理由があるのだから決して軽んじてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭法第二十三より)
「天下に帝王があれば、必ず地を諸国に分けて国を立て、都や村も指定して、それぞれに規則に則った祭祀
のため廟壇(日本なら神社に相当)を設置させる。それによって万人の親疎多少を統制して行くようにする。
(このような事業がもたらす効能は上記の通りである。確かな理由があるのだから決して軽んじてはならない)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——礼記・祭法第二十三より)
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