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聖書 Part8


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065 2012/06/11(月) 14:12:48 ID:prjh06Ko1E
とはいえ、良心の呵責を自覚した後の後付けによってでも、完全誤謬信仰への没入によって苦悩から
解き放たれようとすること自体が、罪の償い方として不正なものであり、現実の罪悪のほうが相応の処罰
にもよらずに野放しにされて来たことは着実に破綻の温床となり、今日に至って絶体絶命の危機をも招いた。

キリスト教徒同士の間では、悪因苦果の苦しみを多少なりとも自覚した後に救われようとして来たことが、
自分たちの誠実さの証しであるかのようにも認識されて来たわけだが、非聖書圏の人間の感覚からすれば、
それもまた十分に不誠実な所業の範疇であり、何ら情状酌量の事由とするに足らないものだとする他はない。

酌量の余地があるとすれば、それは聖書教義が、信者を完全誤謬信仰に没入させる悪巧方便として、
あまりにもその性能が高かったことであり、故にこそ、信者が罪悪の苦しみを実感したかのような
体裁を取った上で、完全誤謬信仰の酩酊に没入することすらをも実現させて来てやったことだといえる。

それにより、信者たちに快楽犯などにはないような偽善を行使する余地を与えてやったことが、
聖書教義に特有の罪であるといえ、快楽犯よりはまだ聖書信者たちのほうが、「察しようのある
気休め」のさ中にありながら罪悪を積み重ねてきたということが、言えなくもないわけである。

「子、衛の公子荊を謂えり。「善く室に居る。始め有るに、曰く、苟くも合えりと。
少しく有あるに、曰く、苟くも完きなりと。富みて有るに、曰く、苟くも美なりと」
「先生が衛国の公子の荊を評して言われた。『家内の治め方が非常に優れている。財産が最低限足りている時に〈まあまあだ〉
といい、多少余りがある時に〈やっと完全といった所だ〉といい、非常に富んでいるときに〈立派なことだ〉といっている』
(これは、天下と利害を共にする純正な公族であればこそ評価に値する逸話であり、政商とつるんで私利私欲を貪る暴君など
であれば評するに値しないことだが、純正な公族としては、完全な仁政の達成すら志しとしては低いものとされる。
志しが『完全』止まりなカルト信仰の神経は、仁政に転用するにも値しないものなのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——論語・子路第十三・八より)

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