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聖書 Part7


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001 2011/11/22(火) 17:27:53 ID:K4EjJDucuI
「聖書」という言葉には別段、必ずしも善良な意味が込められているわけでもない。
「他人の不幸を我が幸福にするための聖書」だって確かに聖書であり、いま固有名詞として
用いられている「聖書」に該当する新旧約聖書も、確かにそういう意味での聖書の一種ではある。

しかし、「聖書の標準」が「他人の不幸を我が幸福にするための聖書」であるところの新旧約聖書
であるなどということは決してありえず、最も聖書の標準に値しない聖書であるとすら言える。

「聖書の標準」は、太古の昔からずっと四書五経である。

ユダヤ人がバビロン捕囚中に旧約を書いたりする以前、イエスが新約の教義を流布して回る以前から
ずっと、人類の根本的な思想信条の拠り所として最も大きな支持を得続けてきた聖書が四書五経であり、
それが「聖書」であることはあまりにも自明なことであるために、わざわざ「聖書」と呼ばれもしなかっただけ。

この世に存在するあらゆる聖書は、聖書の標準たる四書五経を追随する形で形成されて来たものであり、
四書五経の記述にことごとく相反する意見を記録した新旧約聖書すら、その範疇を逸するものではない。

「聖書の原器」たる四書五経の記述を、後付けでことごとくひっくり返しただけの代物であるからこそ、
新旧約聖書が聖書の標準であるかのようなフリもしていられたが、そもそもの聖書の標準は四書五経である。
別に「聖書」と呼ばれていたわけでもないからといって、存在性の根本から聖書の原器である四書五経を
聖書として扱わないのなら、他のあらゆる聖書もまた、聖書としての根本的な存在意義を失うのである。

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371 2012/05/09(水) 13:44:35 ID:s8ZlhMgmXY
地盤が軟弱で、なおかつ多湿で水資源が豊富な日本の気候風土は、
岩盤のような強固な地盤を是とし、水の性質を低レベルなものとして扱う
キリスト教の理念に真っ向から反している。一方で、どこまでも低いほうへと
落ち続ける水の性質を「君子の謙譲さ」に見立てて褒め称えた孔子の言説や、
地盤の強固さにかまけて注意力をなまらせることを懸念対象とした孟子の論弁
などに基づくなら、むしろ日本の気候風土こそは、謙譲や注意力も豊かな
君子を育む理想的な環境であると見なすことができるのである。

一方で、その孔子や孟子の生まれ故郷である中国でこそ、「湿気の多い低地」を
忌み嫌う傾向があって、「史記」にも「湿気の多い低地に住む人間は長生きできない」
などという迷信が記録されてもいる。もちろん、低地や湿地も多い日本の国民が、
中国人よりも寿命が短いなんてこともないわけで、「湿気嫌い」というのは、どうも中国人に
特有の性格のようである。湿気だけでなく大水も中国人は嫌いで、内陸国であるせいもあって、
海水浴や海鮮食を好まない中国人も多いし、古代中国の魏王朝も、朝貢に来た日本の使節が、
絶海である日本海を超えてやって来たことに畏れを抱き、陸続きである朝鮮半島の諸国
などには銀印を授けていたのを、日本国からの使節に対しては金印を授けたともされる。

たとえば、精神力の惰弱な人間が塩辛い食べ物を嫌ったりするのと同じように、
人間には性格として、湿気とか大水とかを忌み嫌うような傾向が多少はあるのである。
それは孔子や孟子の生まれ故郷である中国の人間といえども同じことで、その世間一般の大衆が
忌み嫌うほどもの「試練」としての湿気の不快さ、大水の扱いにくさなどを乗り越えた所にこそ
君子としての大成までもがあるのであり、それはなかなか、好き好めたりするものでもないのである。

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372 2012/05/09(水) 13:52:45 ID:s8ZlhMgmXY
[YouTubeで再生]
日本で、これからの季節に到来する梅雨がもたらす多湿や多雨は、長年日本に住み続けている
邦人すらもが不快感を隠さないもので、気温だけなら日本以上である東南アジアやインドの
人間ですらもが、日本の梅雨期の高温多湿の不快さには辟易させられるそうな。それは確かに、なかなか
好き好んだりできるような代物ではないのであり、無理にそれ自体を好いたりする必要もないのである。
ただ、やはりその梅雨期の降雨が日本の農産の豊穣にも貢献するようにして、多湿さとか大水とか
いったような試練が人々にも大成の機縁を与えるのであり、大成を目指す志しが高ければこそ、
好き好むことなどとうてい出来ないような大きな試練にまで臨んで行くのである。

好きだからではなく、試練を乗り越えた先にある大成を目指すためにこそ、それを受容する。
そこまでの努力などやる気も起きないというような人間もいるだろうにしろ、あえてそれを選択するのである。
試練から積極的に逃避することこそを選んできたような人間もまた、当然まったく以って与らぬことである。

「敝れし笱梁に在り、其の魚は魴に鰥。斉の子の帰し止まるに、其の従うや雲の如し。
敝れし笱梁に在り、其の魚は魴に鱮。斉の子の帰し止まるに、其の従うや雨の如し。
敝れし笱梁に在り、其の魚は唯唯として。斉の子の帰し止まるに、其の従うや水の如し」
「魚を獲る仕掛けの中の竹網が破れて、そこからオシキウオとエザケ(やもめ)が逃げ出した。
斉の姫君が嫁ぐに際し、御付きの者どもはまるで群ら立ち込める雲の如く。
魚を獲る仕掛けの中の竹網が破れて、そこからオシキウオとタナゴが逃げ出した。
斉の姫君が嫁ぐに際し、御付きの者どもはまるでザンザンと降り注ぐ大雨の如く。
魚を獲る仕掛けの中の竹網が破れて、そこから制することも出来ない勢いで魚が飛び出した。
斉の姫君が嫁ぐに際し、御付きの者どもはまるで謙る水の如く。(雨雲には『権勢』という意味もあるが、
湿気や水に由来するために謙譲さをも伴う。謙譲さに欠ける『金権(聖霊)』などとはそこが違うのである)」
(権力道徳聖書——通称四書五経——詩経・国風・斉風・敝笱より)

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373 2012/05/09(水) 19:08:36 ID:s8ZlhMgmXY
容量超過寸前につき、次スレへ。

聖書 Part8
http://bbs77.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/thought/133655801...

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374 2018/02/14(水) 20:51:35 ID:Kx.Ylss/bQ
え、書けないの

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375 2018/02/14(水) 20:54:51 ID:Kx.Ylss/bQ
すげえ長すぎるな

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