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ニヒリズム


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001 2011/07/16(土) 05:43:57 ID:.WJ3xPNB0A
ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism / 独: Nihilismus)とは、
この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。
名称はラテン語の Nihil (無)に由来する。

ニヒリストは概して以下の論点を強く主張している。

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002 2011/07/16(土) 06:50:41 ID:4JhUfT/Kwk
しょせん、オナニー。妹の御パンツには萌えるくせに。
えらそーなこと言うな。

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003 2011/07/16(土) 06:56:49 ID:g7vCjvNL1Y
>>1
市川雷蔵の良さが分かるお前って・・・
でも先ずは能書きよりも日々の物事に感動しろよ!

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004 2011/07/16(土) 10:09:08 ID:b1LztUAnls
般若心経とか空とかって
なにもかも、ないって考えて否定していくから
虚無主義になるんじゃないっすか。

しかし、虚無主義って非生産的で
引きこもりの廃人みたいな考え方だから
やべーと思います。

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005 2011/07/16(土) 11:44:43 ID:CQnUmPi3Bk
おうよ
んで般若心経を知ったうえで
一瞬一瞬を大切に
一所懸命に生きる事を実践していけば
死の心配は必要ないわけで
生きる心配も必要ない
その延長で
死ぬ時も一所懸命に死ねば
生きることも死ぬことも一緒なわけだ

このへんが
般若心経と虚無主義とは違うところだべ

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006 2011/07/16(土) 13:18:28 ID:5P9KvFZXdc:DoCoMo
否定の重畳の先に万物への肯定的な観点をも得る般若思想と、
万物への否定的な観点に止まる西洋のニヒリズムとの違いは、
否定の透徹が己れの自我にまで行き届いているか否かという点にある。

般若思想:完全否定された己我で完全否定された万物を観る→万物に対する観点は肯定的となる
ニヒリズム:否定が不十分な己我で完全否定された万物を観る→万物への観点が否定的となる

己我を含む万有への否定が完全だから、
般若菩薩は「観自在(何もかもを肯定的にも否定的にも観られる)」なのでもある。

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007 2011/07/16(土) 19:40:49 ID:PNxJIBX6is
>>4
空観の空は、無とは違う概念よ。

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008 2011/07/16(土) 22:50:54 ID:ivN9yWBD0k
>>7
ばーか

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009 2011/07/16(土) 23:12:36 ID:.gghJ6oMF.:au
万物は流転し、永遠に続くものなどない
この、レベル&パラメータMAXのゲームデータもまた然り

悟り開きしニート「だが、それでも…わたしはレベル上げをする」

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010 2011/07/16(土) 23:26:20 ID:ivN9yWBD0k



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011 2011/07/17(日) 02:01:23 ID:cqXAsexyyk
>>6
おうよ
うめえこと言いやがる

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012 2011/07/17(日) 14:59:14 ID:nImcC09tog
過去と現在を否定しても未来は否定しないのがニヒリズム。
未来まで否定するのはただの鬱病。

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013 2011/07/17(日) 15:11:28 ID:Ws5l4iGmxM
般若思想の実践者は、まず己の自我を極限まで否定し尽くしてから、
それによって得た「虚空の徳」を他者にまで振り向ける。
そのため否定されることに慣れ尽くしている自我が、
否定意識に押しつぶされて苦しみを呼び込んだりすることもない。

一方で、ニヒリズムの実践者は、己の自我を否定することは全く疎かなままに
他者ばかりを否定し尽くす。最後には自己肯定だけが残るが、他者への
否定意識が有り余って自分にまで及んだとき、否定されることに慣れて
いなかった自我は自壊して、鬱や発狂、自殺などに至ってしまったりする。

自己を否定してから次に他者へと及ぶか、
他者を否定してから次に自己へと及ぶかという違いが、
両者の精神的な健全性に決定的な相違を生じさせる。

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014 2011/07/18(月) 03:10:00 ID:iuXXcA/vAs
偽善を排除する作業を進めていくとニヒルなかんじになってくるよ。
そこには「無償の優しさ・思いやり」と「感謝」くらいしか残らないよ。
一杯の水に感謝するところに偽善はないよ。

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015 2011/07/18(月) 12:03:05 ID:M5DCSgdHHg
否定されている側としては、般若思想を会得している坊さんに否定されるのも、
ニーチェのような真性のニヒリストに否定されるのも大して変わりない
ように思われるかもしれないが、ことに否定している側にとっては、
自分自身の個我の否定が十分か否かという決定的な相違が備わっている。

弘法大師が真言密教の立場から他宗派や俗人を見下しているようなところにも、
何よりもまず自分自身に対する否定が行き届いている。だからまだ出家修行を
志したばかりの頃の処女作である「三教指帰」でも、自らをモデルにした仮名乞児が、
他のどの登場人物にも増してみすぼらしい風体の持ち主として描かれてもいる。

他者を見下せば見下すほどに、自分自身が大きくなったかのように感じるのは、
否定された他者と比べての相対的な自己の大きさが増していくからで、そもそも
最原初に自己への極限までの否定が行き届いていれば、他者の自我を否定して
小さくさせることが、自分並みの虚心坦懐さを他者に振り分けることになる。

正確にいえば、般若思想に基づいて他者を否定するものは、他者を"見下して"いるの
ではなく、十分に低い所から、高い所に有りすぎる他者の自我を引き摺り下ろしている。
そのため他者の否定が自己の思い上がりを生むことがなく、否定の意義が正当である
限りにおいて(不当であるときには見下している)、己れの精神の衛生を損なわない。

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016 2011/07/19(火) 22:29:10 ID:qKEcNxu8Wk
上下関係が気になってしょうがない奴。
自分を「偉い」と思いたい。
自惚れているのは勝手だ。
ひっそりと暮らせ。
くれぐれも他人のすることに容喙するな。
迷惑なだけだから。

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017 2011/07/19(火) 22:52:30 ID:2dCk4hqIOM
そのとおりでいられれば、ありがたいもんだがな。

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018 2011/07/20(水) 00:13:20 ID:M4oOivp8hU:au
若きゴータマはカピラ城から老病死苦を目にされ
「もういいや、とにかく自分自身だけでも救おう」
と決意し、国を出奔なさいました

これが仏教の始まりでした

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019 2011/07/20(水) 02:15:20 ID:RyBMkt9EXE
>>18
おうよ
防災の大原則に通じるものがあるな
自分が被災して怪我をしたら
誰も救うことは出来んから
まず自分が逃げんといかんわな
話はそれからだわい

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020 2011/07/20(水) 13:03:45 ID:yJRJ19lA2s
ステキな言い訳だことw

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021 2011/07/20(水) 17:57:30 ID:M4oOivp8hU:au
福祉関係で長年働いて定年を迎えたじいさんがこういった

「ええか? 若いもんは福祉ではたらくとき
みんなを助けるとか、みんなを幸せにとか言うが、それはちがうぞ。
まず、自分や。自分が幸せでなかったら他人を幸せになんかでけへん
自分が幸せを知らんかったら他人を幸せになんかでけへん。
まずお前が幸せになれ」

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022 2011/07/22(金) 04:14:24 ID:BPcpzK7aKI
>>13
もう少しわかり易く書いて頂けますか?

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023 2011/07/22(金) 10:54:56 ID:W5/6rNYcCg
>>18 >>19 >>21
剃頭の俗人に都合のいい理屈

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