>>66 「書経」周書・無逸や「春秋左氏伝」隠公十一年、襄公十七年、昭公二十年などに呪いにまつわる記事がある。
このうちの「左伝」隠公十一年だけが君子階級の人間(鄭の荘公)による呪いで、他は「無名の被支配者たちが、
乱世に収拾を付けようとしないお上を呪っている」という告発の記事。鄭の荘公が、射殺事件を起こした相手に供儀を
用いての呪いをかけたことに対しても、ある君子(おそらく孔子)が「自分の刑政がダメなものだからこそ射殺事件の
ような禍が起こったのに、その犯人を呪ったりするのは自業自得の道理をわきまない愚行だ」といった苦言を呈している。
まず、人を呪ったりすること自体が「小人の所業」であり、自らが世の中を変えていく能力を実際に持つ君子が
呪いのような邪儀に頼ろうとするのは理に適っていないとするのが、四書五経や正統な儒学の旨とするところ。
日本の呪詛信仰の最たるものである真言密教なども、平安京から遠く離れた和歌山の高野山に総本山を構え、
地政上重要な価値を持たない四国を主要な霊場ともしている。朝廷や幕府の御用仏教としての立場も天台宗に譲り、
どこまでも政治上の第一線からは遠のいたところでの活動に徹するように心がけられている。民間人として一歩以上
退いた立場から呪詛信仰などに頼るのは構わないが、表向きの第一線に立つ政治家までもが呪詛に頼ったりしてはならない。
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