いや、手先どころか根本のほうですらある。
歴史的に、重度精神障害への罹患による白痴状態のみを嬉しがるカトリックや正教のほうが、
重度精神障害とサイコパスの併発をも嗜好するプロテスタントやハザール系近代ユダヤなどよりも
その歴史が古く、しかも、より本格的な侵略行為に及んでいるのがプロテスタントやユダヤのほうで
あることからして、侵略行為などの重権力犯罪よりも、単なる重度精神障害への罹患のほうが、
時間軸上からも先行してきたものであることがわかる。
あらゆる精神障害の中でも、サイコパスはごく一部の症例であり、全ての精神障害者がサイコパス患者でも
あったりするわけじゃない。さらに、サイコパスによって実際の知能犯罪におよぶ人間はさらに少なく、
精神障害者やサイコパス患者であることが、必ずしも重権力犯罪者であることには決してならない。
ただ、「重度精神障害への罹患→サイコパスの併発→重権力犯罪の実行」という順序は一貫しており、
この順序が逆であったりすることはない。精神障害者が必ずしも犯罪者であるとは限らないが、犯罪者は
必ず精神障害者でもあり、犯罪者に科す服役などの懲罰にもまた、罪人自身の精神障害を治療する目的がある。
(ただし、死刑の場合は本人の治療は諦めて、処刑の見せしめによって犯罪の再発を防止することを目的とする)
野放し状態の犯罪者を、未だ健常な人間であると見なして、いっぱしの憎悪の対象にしようとしたりするが、
犯罪者である以上は必ず精神障害者でもあるのであり、己れの欲せざるところを人に施さぬように努める
自性の把捉を喪失してしまった、IQ20〜35程度までもの知能低下者でもある。常にIQ100程度の
健全な知能を保てる精神的健常者ならば、己れの欲せざる所を人に施す犯罪行為に手を出してしまったなら、
たとえ過失であろうとも罪の意識に苛まれて、相応の服罪によって罪を償いたい気持ちになる。もちろん、
自分以外の誰かが十字架にかけられたりすることで、自分の罪が償われたりすることがないのも分かるから、
十字架への信仰などによって罪をうやむやにしようなどともしない。健常な精神の持ち主ならば、必ずそうする。
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