我れを救い、世を救う道がただの一本きりであるだなんてことからして、あり得ない。 
   いま俺なんかは儒学を志している身だが、儒学が世を治める唯一の道だなどとは決して思っていない。 
 むしろ、神道や道家や自力仏教などのほうが、より高度な手法をも用いて、世をさらなる安寧へと導く 
 優等な教学であるとすらも考えているが、今の世に生きているというだけでも相当に卑しい身分である 
 ことが確かな、俺などですらもが手出しできる最低限の学問としての、儒学や浄土教学などを専修している。   
 そもそも、世を治めるにすら値していない、破滅へとまっしぐらの邪義を振りかざすのがカルトであり、 
 人間が脳みそを使って何かをする上での最低最悪の規範をもたらす。それは、必ずしも宗教信仰で 
 あるとも限らず、カルト宗教への反目としてこしらえられた近代の洋学などの中にも、カルト並みに 
 精神障害を煽って、罪悪の執拗な積み重ねへと人々を導くような性向を宿した劣等学は数多い。   
 キリスト教の発生から約1800年もの後に、ユダヤ教徒であるマルクスが提唱した共産主義や、 
 プロテスタントの家柄であるニーチェが提唱したニヒリズムなども、非宗教的な学問で 
 ありながら、聖書信仰並みの精神障害をも伴った「カルト的学問」となってしまっている。   
 儒学にしろウパニシャッド哲学にしろ、聖書信仰やギリシャ哲学よりも発祥が数百年から数千年も早く、 
 仏教もキリスト教よりは500年程度その発祥が先んずる。別に聖書信仰みたいな精神障害カルトに 
 対抗してぶち上げられたのでもなく、健全な精神に即した真っ当な学問宗教が、カルトにすら先んじて 
 自主的に構築されていた。そうであることがありのままに、精神障害カルトやカルト的学問などが 
 人類文化の根本などであるはずがなく、精神障害やカルトこそは末節であり、精神的な健全さや、 
 その健全さに基づく正統な学問宗教のほうが、人類文化の根本でもある何よりの証拠になっている。
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