文明というのはそもそも抗いがたい自然を支配し、
自らの生命維持を容易にし脅威を遠ざけるための技術だと考えられる。
だからラスコー洞窟に描かれた狩猟を子供らに教えるための絵画も、
灌漑や稲作も、貨幣も、鉄の発明も、蒸気機関もマネー経済も、
すべて文明であり技術。狭義では生産技術というところか。
シュペングラーの説はこの狭義の生産技術としての文明の終焉を
意味しているように思える。
いずれは生産労働の大半が自動機械によってもたらされるようになり、
それ以上の発展が期待されなくなる。
人間社会の秩序は、「願望」や「希望」という望ましい将来像に向けて、
市民が結束し同方向に行動することで成り立っているため、
技術発展が上限にまで行きついてしまうと、この社会秩序が崩壊する。
シュペングラーの推論は論理的で破綻無く思えるのだけど
しかし自分はそこに自信過剰な西洋ならではの視座の欠落があるように感じる。
どこまで技術が発展しても、我々人間はいまだ自然の脅威を克服していない点だ。
天変地異が起こるたびに上限にまで近づいた技術力はリセットされるのだ。
どうして文明が終焉できようか。
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