円明園は北京市西北に清聖祖・世宋・高宗の三代にわたってつくられた大離宮である。
とくに高宗が一七四七年、フランス人に設計させたロココ式の壮麗な欧風宮殿と庭園によって
有名であった。一八六〇年、英仏連合軍が北京に入城すると、まず仏軍がここに進駐し、
宮殿内の豪華な調度・珍宝のことごとくを略奪して去った。ついで離宮に入った英軍は、
清軍によって惨殺された自軍捕虜の遺骸を見て憤慨し、報復のため宮殿に放火し、
このため壮観をきわめた建築もたちまち灰燼に帰した。アジア文化に対して無理解で、
その文化財を尊重しなかったとしてもふしぎではないが、ヨーロッパをひな型としてつくられた
豪壮な建築を破壊した心理は、今から考えると不可解である。廃墟は今もって残っていて、
西欧の文化国をほこる英仏国民がアジア民族にたいしておかした蛮行の一大記念物となっている。
(岩波新書「中国の歴史」下巻・105ページ・円明園より)
マッチポンプが慣習になっているのは、何も長崎に始まったことじゃない。
それよりも昔から西欧人は、恐れ憚りつつ侵攻するおかしな過ちを積み重ねている。
返信する