フロイトがこころの消息=本能を性的衝動(リビドー)というモデルに置き換え、ユングはその
消息=無意識世界を元型(アーキタイプ)の上に元像(ウルビルト)を置いて構成してみせた。
こころが個別の気質の上に「経験的」に構築されたものとして、 個々の臨床に役立てたフロイト
に対し 、ユングは「先験的」なプレインストールされたOS、さらにそのインストを待つbasicの
ように、生まれる前からもっている、こころのダイナミクス構造を予言した。
長い歴史の重なりに従って、多様に変化してゆくこころが、 種族、文明の異なりに現れ、
それがまた元像をアップデートさせる。 ユング自身がふれているように元像は「ショーペンハウ
エルが言うところの理念」に重ねられる。つまり元像こそ人間の豊かな想像力の源とされる。
ユングは元像がこころの最深部にある超自我=精神の黎明期、 さらに以前の獣の時代を生ぬいた
人類の、恐れ荒ぶる本能をコントロールしていると考えた。
哲学的に語るとしたらこんなとこでしょうか。原典を今日に照らしてあれこれの過不足を言う
より、霧中の旅のような精神世界研究の、偉大な出発点であることを評価すべきでしょ。
精神医学の世界でも、お二人の実績は補完関係になって、現在の治療プロセスに両派の違いは
ほとんどないそうです。
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