フィクション混じりの幕末ものの小説やドラマなどで、
坂本龍馬や中岡慎太郎、武市瑞山といった「郷士」たちが
土佐藩で酷い冷遇を受けていたという風に描かれることがある。
特に近ごろの「龍馬伝」などでは、龍馬たちが自分たちを「下士」と呼び、
「上士」と比べて多くの差別を受け、上士に切り捨て御免にすらされることが
あることを受けて、「上士も下士もないぜよ」などと憤っている姿が描かれている。
しかし、まず土佐藩では「下士」と「郷士」とは全くの別物であり、
下士こそは本物の下級武士で、四石取り程度の足軽身分なども含まれていた。
一方で郷士のほうは、元々が全く士分格ではなかった庶民のうちで、
特に九石取り以上に相当するような富農や豪商などが、
検地不備のせいなどで常に財政危機に瀕していた土佐藩から
士分の株を買って一応武士の体裁を得た代物であり、
中には帰農していた元長宗我部家臣などもいたようだが、
いずれにしろ土佐山内にとっての「家臣」に値するような人種ではなかった。
足軽級を含む正規家臣の場合には、たとえ最底辺の下士であろうとも、
奉公に勤め励むことでその功績を認められ、加増を頂いて上士格になったり
することもあった。しかし郷士のほうはといえば、ただ士分の株を
金で買っただけの存在であり、別にお上に仕える仕事に励んでいた
わけでもないから、功績が認められて上士になるなんてこともなかった。
裏口入学みたいなことをして武士になった富裕な庶民が、
最底辺からのお勤めによって上士を目指していく本物の武士の世界に
馴染むことができなかったというのが、土佐藩での郷士の分断の真相。
忠孝に励むことを旨とする儒学的な素養だけは、金で買うことはできなかった。
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