物理的に不能、倫理的に邪悪な宗教


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001 2017/10/28(土) 18:29:43 ID:oaA6iXq42s
この世に存在する宗教を、特に現代的価値観に基づく
要点に絞って考えてみれば、主に以下の四つに分類される。

甲類:物理的に妥当、倫理的に優良
乙類:物理的に妥当、倫理的に凡庸
丙類:物理的に不能、倫理的に無難
丁類:物理的に不能、倫理的に邪悪

上記の四種の宗教の効用は、以下の通り。

甲類:実践者の心身を壮健ならしめ、世の中を長期の平和や繁栄に導く。
乙類:信者や実践者の精神衛生を保ち、世の中をある程度は繁栄させる。
丙類:信者の健康を最低限は保ち、世の中も最低限の安定には導く。
丁類:信者に心や体の病を患わせ、世の中を戦乱や破滅へと陥れる。

具体例は以下の通り。

甲類:密教、禅仏教
乙類:儒教、道教、ヒンズー教
丙類:浄土教、イスラム教
丁類:キ○○ト教、ユ○教、その他カルトと位置付けるべき宗教

ーー全ての宗教が物理的に不能だったり倫理的に邪悪だったりするのではなく、
一部の宗教、上記の丙類に相当する宗教が「信教の自由」の名の下に
市民権を得ていることこそが、宗教全体の価値を下げる原因になっている。

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002 2017/10/28(土) 18:43:36 ID:FtFA1CxGZg
真言密教が最強。

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003 2017/10/28(土) 18:59:41 ID:pwT9RHo0/k
>>1
ここは「思想・哲学板」だぞ。
「気違いの寝言板」でやっとけ。

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004 2017/10/28(土) 19:08:07 ID:dYGxszirhU
主観で書いてるよね

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005 2017/10/28(土) 19:27:57 ID:oaA6iXq42s
物理的に妥当/不能とは、まさに物理科学的な観点から見て
教義が妥当であるか、不能であるかということである。

世界や宇宙がフラクタル構造であることを曼荼羅によって図示したり、
流祖が著書(正法眼蔵・有時)で時空の不可分性を説いたりしている
ような宗教は、現代物理の観点から見ても極めて妥当なものである。

宗教の物理的妥当性の一番の分岐点になっているのが、来世信仰の有無である。

今生の成道を諦めて、死後の世界での救済だの昇天だのを願う。
科学が発展すればするほど、その手の宗教こそは
物理的に不能であることが確実化して行っている。

科学的観点から見て妥当だからといって倫理的に優良であるとも限らないし、
不能だからといって絶対的に害悪であるとまでも言えないが、
最高級に倫理的に優良である宗教が科学的にも秀逸であったり、
害悪まみれの宗教が致命的な不能性を宿しているといった程度の法則はある。

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006 2017/10/28(土) 19:30:44 ID:TXs6BZTYi.
「その他のカルト」の連中。

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007 2017/10/28(土) 19:41:25 ID:oaA6iXq42s
>>4
物理的な妥当性の有無は、例えば>5のような判断基準に沿うている。

倫理的な邪悪さの根拠もまた、個々の宗教の歴史的な営業成績に基づいている。

有史以来、>1丁類のキ○○ト教やユ○ヤ教を信仰して来た西洋諸国だけは、
まともに自給自足の国家社会を維持運営できた試しがない。

古くは十字軍遠征の名を借りた中東への侵略から、大航海時代における
植民地の拡大支配、今でも米軍やNATOによるイチャモンつけ侵攻と、
外界侵略による利益の収奪なくしては成り立たない社会であり続けて来た。

個々の人間を見てもやはり、発達障害や統合失調症に類推されるような症状の
持ち主が多い。世のため人のため自分のため、どの目的性をもって見ても、
丁類の宗教が信者や世の中に害以上の益をもたらしたような事実はない。

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008 2017/10/28(土) 19:46:17 ID:RsNd8wS4Hs
宗教なんて「人間の弱みに付け込んだ汚い商売」だよ。

人間は死んだら自然に還り「無」になるんだ。
それでいいじゃないか。

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009 2017/10/28(土) 19:49:31 ID:oVyw7Pml.U
各員

オカルト番長さんのブログです。
ご確認ください。
https://twitter.com/sonmas...

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010 2017/10/28(土) 19:50:12 ID:xRRxABbYjM
>>8 本当にそう
でも神社とか檀家制度お墓は
住むための税金みたいなもの
氏子代表と檀家総代は地元の名士

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011 2017/10/28(土) 20:09:38 ID:oaA6iXq42s
>>8
民衆が誰も彼も金儲けばかりに勤しんでいるのに、
なぜ宗教家だけが金儲けに走ってはいけないのか?

世の中の誰しもが清貧や品行方正を矜持としているのなら、宗教家もその手本となるべきだが、
今は金持ちや放辟邪侈こそが人のあるべき姿とされているのだから、その手本になってるだけだ。

この信者にして、この宗教ありだ。
そもそも今は宗教が社会的なイニシアティブを持っていない(とされている)時代でもあるが。

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013 2017/10/28(土) 20:26:28 ID:wbUT.TGNBQ
日本で、万人が金儲けを良しとする風潮が生まれたのも、
キリスト教が(実質)解禁された明治以降のことである。

いくら豪商が儲けに走ろうとも、支配者の武家は禅仏教による清貧主義。
極端な無礼への切り捨て御免も自らの切腹を覚悟の上で辞さないといった
時代に、金儲けこそが至上の命題などであり得たはずもないのである。

別に明治以降に爆発的にキリスト教徒が増大したわけでもないが、
ただキリスト教が解禁されたというだけで、そうでなくなった。

同時に仏教も廃仏毀釈で形骸化されて、人々の精神性を司る主幹では
あり得なくなった。その挙句の妥協として、万民の儲け主義にも同調している。

金儲けを卑しむ自尊心を根絶やしにした程度には、この日本における
キリスト教の影響力も目を見張るものがある。もちろん害悪の甚大さとして。

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014 2017/10/28(土) 20:54:10 ID:wbUT.TGNBQ
[YouTubeで再生]
>>8がこの発言のために思い浮かべた宗教こそは、

「死後の救済のための布施を説く宗教」

という、物理的にも不能な上に、倫理的にも不正な宗教である。

そんな宗教は流派の数でも少数派なほうだし、
今の世界における信者数でも決して多数派ではない。
そういう流派の中での熱心な信者もまたごく一部に限られている。

確かに、そんな宗教は切り捨ててしまえばいい。
しかし、それは全く宗教文化を廃絶することを意味しない。

物理的にも倫理的にも不正なものを信じる所に宗教の本質を
集約させようとしたりするのは暴挙な上に、愚かなことである。
そのせいでまた、不正な宗教が真っ当な宗教を盾にして生き延びてしまう。

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015 2017/10/28(土) 21:36:34 ID:xmK3cM93fU
そこで排除の論理は不当だとマスコミが騒ぎ出す

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016 2017/10/29(日) 01:14:31 ID:lOwZwhFxA.
キリスト教が人間は罪深い生き物だと説くのはそういう事かもしれない。
つまりキリスト教に入る人間なんて罪深い人間なんだよ。そして事実、罪のある行動ばかりをとる。

科学が発展して尚、よりその神秘さを増す仏教。科学とは相容れないので、科学をこき下ろすキリスト教。

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017 2017/10/29(日) 08:29:05 ID:z3McQd4MXY
>>1訂正
×一部の宗教、上記の丙類に相当する宗教が「信教の自由」の名の下に
市民権を得ていることこそが、宗教全体の価値を下げる原因になっている。
○一部の宗教、上記の丁類に相当する宗教が「信教の自由」の名の下に
市民権を得ていることこそが、宗教全体の価値を下げる原因になっている。

ISISやボコハラム、アルカイダ等も
イスラムを名乗ってはいるが、丁類に該当するものである。

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018 2017/10/29(日) 08:55:38 ID:z3McQd4MXY
>>16
ニワトリが先か卵が先か、
罪人がキリスト教徒となるのか、キリスト教徒になったから罪人となるのか。

キリスト教が生じる以前から、西洋人はアレクサンドロスの東征で中東の
権益を侵したり、ローマ帝国時代に外界に食糧生産を丸投げしたりしていた。

キリスト教徒なんかになる以前から、西洋人はサイコパス気質だったようではある。
しかし、似たような残虐さでかつては世界中を暴力による支配下においたモンゴル人が
今では敬虔な仏教徒として、さほど迷惑もかからない勢力に落ち着いてたりもする。

キリスト教は、西洋人のサイコパス気質に、火に油を注いでいる。
中東のイスラエルで生まれたとされているキリスト教もローマ帝国の権力に
乗っかって勢力を広げ、ユダヤ教徒も西洋の商業利権として猛威を振るっているように、
西洋人こそが好んでその手の宗教に飛びつき、自分たちの病状をより悪化させた。

中にはメナンドロス1世のように、仏教にまで傾倒した西洋人もいたが、
それも一時的で少数なものでしかあり得ず、マニ教を通じて仏教教義の都合のいい部分を
パクるような真似を冒してまで、総出ではキリスト教のほうに帰依していようとした。

病人悪食を好み、悪食によってさらなる病状の悪化に勤める。
味覚神経を退化させる程の悪循環の積み重ねの前には、美食による感化も空しい。

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019 2017/10/29(日) 09:16:08 ID:0qcw4jnQn6
日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の
7回の裁きを受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき
場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間
を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84_(%E4%B...

六道も三途の川も輪廻転生も物理学の範疇ではない。

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020 2017/10/29(日) 09:52:10 ID:l/EGnBD/Ko
>>19
そういうものを論題とするのは仏教の中でも浄土教の類いであり、
>1でも「物理的に不能」な丙類の宗教のうちに分類している。

Q.別に、物理的に不能であっても、
道徳的に優れた教えがあるのなら構わないじゃないか?と。

A.不体失往生や悪人正機を旨とする浄土信仰はその条件を満たしている。

Q.別に、物理的に不能であっても、
自給自足の世の中を穏便に司れる効果があるのならいいじゃないか?と。

A.過激派でない普通のイスラム教はその条件を満たしている。

上の、いずれの条件も満たしていないのがキリスト教やユダヤ教であり、
故に「丙類以下の丁類」としての問題扱いを要点とすべきなのである。

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022 2017/10/29(日) 10:42:37 ID:z3McQd4MXY
古くは古代ギリシャの科学技術の破棄から、
地動説や進化論への反目に至るまで、キリスト教こそは
物理法則を真っ向から非とする、反科学主義の宗教の極端例で
あり続けて来ていることは、周知の事実である。

とはいえ、2000年近くにも渡って多くの人々の精神性を司って来た
世界宗教の代表格でもあるわけだから、それなりにありがたいものなのだろう、と。

物理的に不能であっても、倫理的には有意義な側面も帯びているのだろうと
見なしているから、宇宙飛行士すらもが法王に対して礼節的な態度を取る。

道徳倫理が専門ではないにしても、宇宙飛行士は知的エリートである。
各国のトップ級の頭脳の持ち主であるのに、そんな思い込みのままでいる。

それほどにも、現代人の宗教の内実への認知は疎かなものである。
>>8も最も拙劣な部類の宗教を全ての宗教の代表格であるかのように
論じているように、そもそも現代人のほとんどは宗教に対して無知である上に、
表面的な知識だけでの知ったかを決め込んでまでいる。そんな状態の人間が
いくら宗教への批判を重ねたところで、効果的なものではあり得ないのである。

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023 2017/10/29(日) 12:49:43 ID:q8Re3e9QNQ
マリリンマンソンみたいな欧米のアンチキリストも、
一応はキリスト教を道徳的な教えだと認めているから、
悪魔みたいな装束で聖書を焼き捨てるマネをしている。

シェイクスピアも「悪魔でも聖書を引用できる」と。
むしろ聖書こそが人倫を損なう悪徳の書であるというのに。

物理的にあり得ないことよりも、倫理的に許されない
ことのほうが重大であり、キリスト教の場合は
科学的な検証によってそれが確証されただけのことである。

ベルクソンも道徳と宗教を二極化して論じたように、
聖書の教えがただの人間道徳とは別物であることぐらいは
西洋人も察知して来ているが、それも聖書の教えを
「人間道徳ごときを超越して余りある神の教え」と
見込んでのことであった。実際はそんなでもない、
バビロンの詐欺犯や妾腹の私生児の誇大妄想でしかなかった
ことが明らかとなって、西洋流の二極化擁護も潰えたのだった。

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024 2017/10/29(日) 17:19:25 ID:0qcw4jnQn6
「"公(きみ)は是、何れの州(くに)、何れの県(こほり)、誰が資ぞ"仮名、大きに笑って曰く、"三界は家無し。
六趣は不定なり。或るときは天堂を国と為し、或るときは地獄を家と為す。或いは汝の妻孥(せいど)たり、或いは
汝の父母たり"」
(弘法大師 空海『三教指帰』)

【現代語訳 "あなたはどの州、どの県の人で、誰の子で、誰の弟子ですか?"と。それを聞いて仮名乞児は大笑いし
ていう、"迷いの三界(欲界・色界・無色界)に一定の家はない。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の中で固
定した所にいない。六道に輪廻する者はある時には天を国とし、またある時は地獄を家として住むこともある。或い
はあなたの妻子となり、またあなたの父母ともなる】
http://www.mishimaga.com/tonari-bousan/006.htm...

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025 2017/10/29(日) 17:39:55 ID:0qcw4jnQn6
奈良県桜井市の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山。
その本尊十一面観世音菩薩は六観音のひとつ。六観音は六道輪廻に迷う衆生を救うという思想に基づき生まれたもの。

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026 2017/10/29(日) 18:37:25 ID:26y4FwWV6.
まあ、生きた人間が現世に存在しながら、異次元の大日如来と結合して仏となるなんて思想も物理学じゃないわけで。

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027 2017/10/29(日) 19:30:50 ID:z3McQd4MXY
真言宗に限らず、大乗仏教の多くは凡愚な衆生への
善巧方便としての六道十界論や他力信仰を付録している。

自力作善の仏辺から見れば、六道十界は現世の人間の品性の位階である。
大日如来との融合も、梵我一如の境地の分かりやすい表現である。

方便に物理的にあり得ない表現が含まれているとした所で、
それはウソをウソと知った上での方便でしかない上に、
方便を抜きにした真実の所には厳密な物理法則への合致と、
それに即した人々への優良な道徳倫理的導きがある。

完全に、善巧方便のウソも許さないというのなら、禅仏教だってある。
結局、本格の出家者がこなしてる修行の内容や厳しさは真言密教も
遜色がないので、お互いに遠征的な交流をすることも多いようだがな。

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028 2017/10/29(日) 20:08:19 ID:z3McQd4MXY
物理的にあり得るかあり得ないかという所よりはむしろ、
倫理的に善良か邪悪かという所のほうが、
宗教の本質を見定める上での命題となる。

かといって、物理法則との関連性を全く無視したのでは、
形而上の超越神への偽託によって、反倫理的な教えを
倫理的なものと開き直るような暴挙が通用してしまう。

上記のような暴挙を抑止するため程度には、
物理的な妥当性にも監査の目を向けた上で、
人間の幸福のための教えとしての質を問う。

物理法則にも反し、人々を不幸に陥れるための
邪説ばかりを触れ回るような究極の邪教を廃絶するだけで、
この世における宗教の致命的な問題は解消され、
底辺を這いずり回りっぱなしな宗教全般の威信も回復する。

未だにそれを怠っているのは、
反科学的かつ反倫理的なことなのだから、
世の中が病人や騒乱ばかりで溢れ返るのも当然のことだと言える。

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029 2017/10/29(日) 20:11:13 ID:26y4FwWV6.
たしかに、生きた人間が現世に存在しながら、異次元の大日如来と結合して仏となるなんて非物理的思想は方便だ。

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030 2017/10/29(日) 20:20:16 ID:26y4FwWV6.
ここまでくると、倫理は倫理学として教えれば、宗教はいらんという帰結にたどり着く。

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031 2017/10/29(日) 20:35:07 ID:z3McQd4MXY
真言宗の方便は、方便としても別に、「物理的に不能」ではない。

自力の出家者もまた厳しい修行の末に、
梵我一如の悟りによって大日如来との融合とも呼べるような体験をする。

お遍路も、弘法大師が開発した寺や道を行脚することで
お大師様との同行を実感し、帰依(南無)とも呼べるような親しみを抱く。

そうした経験によって心の強さを養い、
修行や遍路の行脚によって身体の丈夫さも得られる。
方便も内実もいずれもが人々の福徳に高度に寄与するようになっている。

教義に基づく「奇跡」なんて布のシミの形とかぐらいにしか期待できない
ものだから、誇大妄想による精神薄弱を助長するような宗教もある。
嘘を嘘で塗り固める部類の宗教はそうやって人々の心身を蝕んで行く。

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032 2017/10/29(日) 20:41:15 ID:26y4FwWV6.
人間が絶対的な他者に遭遇する宗教的体験、いわゆるヌミノーゼは一神教の得意とするところ。

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033 2017/10/29(日) 20:54:01 ID:z3McQd4MXY
>>30
そしたらまず、道徳倫理をいかに定義づけるかという話になる。

人々の健康や能力を増進し、世の中をより一層の平和や繁栄へと
導くものが道徳的、倫理的であると定義するのならば、
孔子や孟子や四書五経の教え以上に、非宗教的な
範囲内で完璧な道徳倫理は存在しないといえる。

しかし、儒学は決して魅力的なものではない。
ここでさんざん純学術的に孔孟や四書五経の論説を考察し体得し抜いて来た
俺も未だに気違い扱いを受けるような始末。それ程にも単なる
学問対象としての道徳倫理は、感傷的な魅力に欠けるもの。

だから、宗教にも道徳倫理の実践を単なる倫理学以上に
増進する役割ぐらいは担わせればいい。そのためになるのなら、
物理法則に反するような方便を介するのでも構わない。

それもまた、ウソの方便を人倫の毀損のために悪用しているような
宗教が許容されている内は、決して叶わぬことである。
これで、仏教が明治以降に無効化された理由も知れたであろう?

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034 2017/10/29(日) 20:54:12 ID:26y4FwWV6.
大日如来の物性物理学的諸考察。

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035 2017/10/29(日) 21:02:49 ID:26y4FwWV6.
>>1のコメントでは宗教を超えた普遍的な道徳倫理があると仮定している。
だから、諸宗教を甲乙丙丁とランク付けできるのである。

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036 2017/10/29(日) 21:14:33 ID:26y4FwWV6.
ぶっちゃけ、倫理観なんてのは文化依存なんだから、時代や国、宗教などによって異なる部分があるのは理の当然。
となると、倫理的正邪をジャッジできる人間はいないことになり、スレタイトル自体が矛盾をはらむ。

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037 2017/10/29(日) 21:33:38 ID:z3McQd4MXY
だから、現代という時代の要求に即して道徳倫理を定義してみると言った。

宗教の権威は地に落ち、思想哲学も実用性がないのなら無用の長物扱い。
それでも人々が求めるのは健康長寿だったり、不便のない生活や世の中の平和だったり。

だったら、それでもやっぱり有用であるのは、
そのような願いを叶える道徳倫理のみである。

さすれば、単なる倫理学として良くも悪しくも最適格なのが儒学。
単なる知識として過不足なく完璧だが、最たる魅力もなく、
それ故に方便を通じて最大級の成功をもたらすような期待まではできない。

方便自体はウソであっても全否定まではせず、
倫理的要求を単なる倫理学以上に満たすような奨励すらしてやる。
それが、人々の福徳を実現して行く上での最善となる。

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038 2017/10/29(日) 22:23:28 ID:26y4FwWV6.
なるほど、旧来から道徳倫理は宗教の影響を受けてきたが、現代ではその呪縛が解かれたというわけか。
よって純粋な倫理学的見地から世界共通の普遍道徳倫理を定義できると。
宗教終わったな。

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039 2017/10/29(日) 23:07:11 ID:26y4FwWV6.
現代という時代の要求に即することが目的ならば、
古に物されたドグマよりも、情報を更新し続ける倫理学のほうが、よほど有用だろうに。

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042 2017/10/30(月) 05:22:52 ID:ghBI3vFPRc
笠地蔵に科学的言説が増えたのは、以前にはなかったことか?
それとも科学の重要性を再認識したのか?

笠地蔵は宗教論や倫理論に重きを置くが、俺としてはまず「人間学」ありきで、あくまでも宗教はその副産物に過ぎないと考えている。
教えが邪悪だからとか、曲解が可能だからとか、そんな事は事の本質ではない。
そこには「人間の性」と言うものがある。 他人に同情するのも、他人を利用搾取するのも、神を見るのも、人間の本能に備わった機能。
その機能によって生み出されたのが、宗教や科学や、哲学、思想と言うもの。
つまり哲学や宗教、倫理を研ぎ澄ますよりも、人間を知りそれを基本にして対策を講じないと、ほぼ徒労に終わるということ。
人間を知る上で、さらにそれを分かりやすく説明する上でも、最も有用なのが科学と言うこと。

どんなに非の打ち所のない完璧な倫理学であったとしても、悪人が利用すればそれは災いしかもたらさない。科学も右に同じ。
人間を理解しない限り、人間のソースコードに触れて改良に導かない限り、何をやっても同じことだと思っている。

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043 2017/10/30(月) 07:10:57 ID:Kg4J3p3SCs
人間の性を理解し、その知識を利用する悪人ほどタチの悪いものはない。

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044 2017/10/30(月) 07:13:21 ID:LfOmxiqV3Y
なんか難しい話をごちゃごちゃ言っているが
宗教が人に何かを与えてくれるものと仮定する時点で間違っている
まるで夢見る少女のようだ
世の中は騙す者と騙される者で出来ている

宗教は支配者への反抗心を押さえるツールとして考案された
本来、支配者に対峙すべきところを、そのリスクを負わずに神と対話するようになってしまう
努力せずに神にお願いするような腑抜けになってしまう
キリスト教に至っては労働は罪人がするものだ

そしてアメリカがフィリピンを植民地にするときには
異教徒の魂を救え!と言って何十万人も虐殺したのだから
宗教なんて議論の余地が無いほどに、バカバカしくてお話にならない

スペインのキリスト教徒は中南米に布教に行って
マヤ文明、アステカ文明(2500万人)、インカ文明(1600万人)を消滅させ
奴隷が足りなくなってアフリカから黒人を連れてきたのでブラジルあたりには黒人が混じっている
もうね、宗教の根底からおかしい、白人の頭は根底からおかしい、議論の余地なし

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045 2017/10/30(月) 10:42:37 ID:yn1y3Q05Rs
>>42
俺は元々物理学を研究していた。
物理以上に重要な学問は他にないぐらいの思いで
量子力学や相対論や素粒子物理等の本を読み漁り、
自分でも計算や作図を繰り返して、物理研究の限界を悟った。
(自分の能力の限界ではなく、物理を研究すること自体の限界を)
その後に、古代中国の儒学が単なる主観や政治的意図ではなく、
現代物理にも通ずるほどの高度な自然法則の理解(格物致知)に即して
体系化されているものであることをも察して、専攻を儒学に切り替えた。
ただ物理法則への理解が秀逸なだけでなく、その理解をあくまで人間の
福徳のために活用する方法を模索している点が儒学は物理学と異なる。
故に、この宇宙の物理が普遍的である以上は共に普遍的な倫理学ともなっている。

>>44
お前が言ってるような宗教こそは、>1の丁類に該当する宗教でしかなく、
この世における宗派数でも信者数でも少数派でしかない。そのような宗教を
有害無益なものとしてこの世から廃絶することには俺も賛成だが、それは決して
全ての宗教を廃絶することを意味しない。むしろ宗教全般の評判を下げている
ようなカルト系の特定的な断絶によって、宗教の威信を回復する機縁になる。
この世に存在する宗教のほとんどは、無宗教の現代人の我流の思想信条などよりも
遥かに物理法則に合致している上に、道徳倫理的にも優秀なものばかりなのだから。

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046 2017/10/30(月) 11:03:02 ID:yn1y3Q05Rs
特定の宗教に篤く帰依しているわけでもないような並みの現代人が、
人間誰しもいつかは死ぬことをわきまえて、潔い死に様への用意をすることができるか?

できないから、老人の貯蓄も膨大な額に上り、若者の経済活動を圧迫して少子高齢化を招いたり、
医療費が国家予算の大部分を占めることで、国の借金を1000兆円超にまで膨れ上がらせたりしている。

仏教帰依で諸行無常を信仰の対象にまでしていたような時代の日本なら、決してなかったこと。
あくまで既存の仏教には頼るまいとしたところで、結局は似たような手段を講じるしかない。

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047 2017/10/30(月) 17:52:17 ID:ghBI3vFPRc
>>45
>古代中国の儒学が単なる主観や政治的意図ではなく、
現代物理にも通ずるほどの高度な自然法則の理解(格物致知)に即して
体系化されているものであることをも察して、専攻を儒学に切り替えた

これは知らなかったな。一体どんな物、教えなのか?手短にそのエッセンスを教えてくれないか?

しかし笠地蔵よ。物理学は生命を語るには無理な学問だが、人類に直接迫る、進化人類学、心理学、行動経済学、認知科学とかその辺を学ぶと
面白いものだぞ。それと今トレンドAIとか。その辺を知ると、人間の思考とはなんなのか?
人間の行動を変える、導くには何が必要? 何が最も効果的なのか? という事が具体的に見えてくる。
人間てのは思っている以上に馬鹿だから、割りと条件反射的な要素が強い。しかし人はそれを知らない。知らないことを知らないからバカになる。
今も昔も人を動かすのは、理路整然とした道理や理論などではなく、感情、恐怖、不安なんだ。

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048 2017/10/30(月) 19:45:51 ID:yn1y3Q05Rs
孔孟の論説、書経における聖王賢臣の言行、
詩経における無名の古人たちの感嘆、礼記における古式の作法、
それら全てが易学の物理的解釈を素地としている。
(春秋伝はその反面教師的記録に)

占い材料ではなく、自然現象や人間社会への数理物理的な解釈の
精髄としての易学は、現代物理学以上に遜色のないものとなっている。
量子論や素粒子論並みの微視的理解と、相対論や宇宙論並みの巨視的理解を
兼ね備えながら、この世界の物理法則だけを過不足なく記述する簡潔さを帯びている。

そのような神業的な格物致知を大前提とした上で、
孔子や孟子は形而上への夢想ではなく、あくまで人間のための論説を展開した。
限られた物理法則の中で生きている人々が最大級の幸福を享受しながらも、
度を越した放辟邪侈で経済破綻や戦乱を招いたりしないための秘訣を伝授した。

「格物致知誠意正心修身斉家治国平天下(大学)」を、
あくまで最冒頭の「格物致知」から入念に心がけたなら、
人間も自業自得で自分たちを不幸にするほどの愚かさは予防できる。
物理への理解こそが最大級の福徳をもたらすことを、儒学が保証している。

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049 2017/10/31(火) 18:31:40 ID:GCg.akK2w6
すまんがそれでは凄いと言うこと以外わからない。

>現代物理学以上に遜色のないものとなっている。
量子論や素粒子論並みの微視的理解と、相対論や宇宙論並みの巨視的理解を
兼ね備えながら、この世界の物理法則だけを過不足なく記述する簡潔さを帯びている。

この辺の具体例を幾つか教えてくれないか? ちょっと調べたけど珍紛漢分。
物理学ってのは、客観性、再現性、更に反証可能性を最重要としているから、それらに欠ける哲学的体系は
どんなに深くとも、まさに無用の長物であると思っている。面白さはあるけどね。

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050 2017/10/31(火) 20:04:47 ID:XEMbx0syXQ
易の六十四卦の上卦と下卦を、三行三列の線形代数系の行列成分と見なすと、
この世界この宇宙におけるあらゆる物理現象の位相的動向を過不足なく記述する数理モデルになる。

量子レベルでは必ず、全六爻のうちのいずれかの爻が逆相に転ずる変化を来たす。
その変化こそがありのままに時系列tの発展なので、空間的な現象の遷移と時間の経過は等価である。

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051 2017/10/31(火) 20:29:41 ID:XEMbx0syXQ
易の数理構造はあくまで、このような複素関数系で展開されている
この宇宙の根本構造の概括的な表現であり、古典物理学はおろか、
現代物理学で記述されるような個別の物理現象にも直接的には適用されない。

ただし、この関数系を特殊なヒルベルト空間の極座標系に変換すれば
あらゆる物理現象を包含する、この宇宙全体の過不足なきシミュレートとなる。

一応原理的には可能なことだが、この数式自体が入れ子構造のフラクタル系なので、
どんなに強力なスパコンでの演算を試みても、ここまででヨシとできるような答えは得られない。

そういった機械仕掛けのシミュレーションによらずとも、
人間は直観で易学の数理的な知恵を実際の現象に照らし合わせる能力を持っている。
そちらのほうがとっくに現象理解の限界点まで達しているらしいから、
孔孟や老荘以上に社会の普遍性を掘り下げられるような人間も現れないのである。

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052 2017/10/31(火) 20:53:38 ID:kwGpoJu47w
>>50で「時系列t」と言いながら、>>51の数式にtが含まれていないのは。
このような幾何学構造が右から左へとドミノ倒しされて行く様相が
ありのままに時系列の発展だからである。

ベクトルOP≡Dは時に物質だったり、波動だったり、空間だったり、場だったり。
森羅万象でDの派生に該当しないものは一つもないから、全てはこの図示の下で共変的であり、
故にドミノ倒しの速度が速かろうが遅かろうが、万物の時間は共に一定して流れる。

そういう自己完結的な物理理解に即して何事も考えられたなら、
感情的な問題は別として、人としての処世を極限までつつがなく済ませられる。

中国人は良くも悪しくもそういう人種であり、魅力も嫌悪感も共にそこに起因する。
川の流れにあまりにも逆らわなさすぎる生き様も、それはそれで考えものである。

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053 2017/11/01(水) 01:33:37 ID:nTkCcgfWsA
八卦、六十四卦、易学? の基礎知識が無いのと、物理理論の知識が足りないので、どうにも理解できない。
自分で催促しといて悪いがねw

要はその卦の構造が、テンソルとか行列とかそういう方程式とアナロジーを持っているということか。
で全ての物理モデルを卦の構造が包括していると。

しかし数理体系と言うが卦と言うのはこねくり回せるような代物なのか?実際何かを導けるのか?
面白そうな内容ではあるが、両方の知識がないと分からないので、一冊本でも書いていただきたい。

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スレッドタイトル:物理的に不能、倫理的に邪悪な宗教

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